満韓鉄道唱歌

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Комментарии • 17

  • @hanchou3485
    @hanchou3485 7 месяцев назад

    前バージョンも好きでしたがこちらも良いですね♪

  • @DMH17-x5y
    @DMH17-x5y 7 месяцев назад +3

    オリジナルは、こういう曲だったのですね。朝鮮半島から大陸へ。何とも壮大なスケールです。最後の歌詞は現代にまで通じる我が国との関係を感じます。

  • @kouichishammiekawakami3604
    @kouichishammiekawakami3604 7 месяцев назад +3

    最近「AIきりたん」が歌ったこの曲を聴きましたが、やはり生の人間の声が一番安心します!

  • @rikuriku-bi7ge
    @rikuriku-bi7ge 10 дней назад

    旧作の方と新作の方の満韓鉄道唱歌どちらが実際に歌われていたんですか?

    • @uesawa
      @uesawa  9 дней назад +1

      新作の方が本来のメロディになります。

  • @kouichishammiekawakami3604
    @kouichishammiekawakami3604 2 месяца назад

    約15年前に韓国🇰🇷はソウルへ旅行で行った事がありますが、その頃とは随分街の様子が変化していると思います。
    もし次回行く事があれば、この唄と共に周ってみようかな?

  • @つば十朗
    @つば十朗 7 месяцев назад +3

    映像だいぶ変えてますね〜
    いつか倭城行ってみたいです

  • @tetsu0804
    @tetsu0804 7 месяцев назад +2

    「広瀬中佐」「橘中佐」「水師営の会見」「独立守備隊の歌」が浮かんできた。
    朝鮮半島の地名が漢字読みなのがものすごくしっくりしたのは自分が昭和の人間だからかな。

  • @昭和の香りー
    @昭和の香りー 4 месяца назад

    65❤
    ものすごく貴重な資料ですね。

  • @chihfeng1975
    @chihfeng1975 4 месяца назад +1

    (31~60番)
    31.
    高麗門(かうらいもん)の舊蹟(きうせき)も 
    見(み)はてて過(す)ぐる鳳凰城(ほうわうじやう)
    町(まち)には孔子(こうし)の靈(たま)屋(や)あり 
    山(やま)には四季(しき)のながめあり
    32.
    乾(いぬゐ)の方(かた)に天(てん)を摩(ま)し 
    聳(そび)ゆる峯(みね)は摩天嶺(まてんれい) 
    その頂(いただき)に立(た)ちたるは 
    日淸戰爭(につしんせんさう)紀念碑(きねんひ)よ
    33.
    連山關(れんざんくわん)を打(う)ち過(す)ぎて 
    下馬塔(げばたふ)・楡樹林(ゆじゆりん)・本溪湖(ほんけいこ) 
    ここもかしこも我軍(わがぐん)の 
    血(ち)を流(なが)さざる方(かた)もなし
    34.
    百萬斤(ひやくまんきん)の石炭(せきたん)を 
    日(ひ)每(ごと)に堀(ほ)りて出(だ)すと聞(き)く 
    撫順(ぶじゅん)炭礦(たんくわう)右(みぎ)に見(み)て 
    今(いま)ぞ着(つ)きぬる奉天府(ほうてんふ)
    35.
    三百年來(さんびやくねんらい)おかれたる 
    帝都(ていと)の昔(むかし)忍(しの)ばれて 
    城壁(じやうへき)たかく町(まち)榮(さか)え 
    人口(じんこう)およそ三十萬(さんじふまん)
    36.
    北(きた)に進(すす)まば黑龍江(こくりゆうかう) 
    かなたの岸(きし)も近(ちか)けれど 
    まづ此(こ)のたびは見合(みあ)はせて 
    南(みなみ)に歸(かへ)りの道(みち)取(と)らん
    37.
    東淸鐵道(とうしんてつだう)名(な)をかへて 
    今(いま)は南滿鐵道(なんまんてつだう)の 
    驛(えき)また驛(えき)を尋(たづ)ぬれば 
    渾河堡(こんかほ)・沙河堡(しやかほ)・煙臺驛(えんだいえき)
    38.
    沙河(さか)は露軍(ろぐん)を我軍(わがぐん)の 
    大敗(たいはい)せしめし古戰場(こせんぢやう) 
    歪頭山(わいとうざん)の峰(みね)高(たか)く 
    あげしは武勳(ぶくん)の譽(ほまれ)なり
    39.
    煙臺(えんだい)炭山(たんざん)名(な)も高(たか)く 
    敵(てき)に砲擊(はうげき)加(くは)へたる 
    三塊(さんかい)石山(せきざん)・萬寶山(ばんぽうざん)
    みな此(こ)の附近(ふきん)の著名(ちよめい)の地(ち)
    40.
    岡崎(をかざき)旅團(りよだん)が苦戰(くせん)せし 
    其(そ)の名(な)を殘(のこ)す岡崎山(をかざきさん) 
    見(み)ながら渡(わた)る太子河(たいしか)の 
    水(みづ)も凱歌(がいか)や歌(うた)ふらん
    41.
    奧(おく)、野津(のづ)、黑木(くろき)の三軍(さんぐん)が
    力(ちから)あはせて乘(の)り取(と)りし 
    遼陽(りやうやう)市街(しがい)の遠近(をちこち)に 
    殘(のこ)るは敵(てき)の角面堡(かくめんほ)
    42.
    關谷(せきや)、橘(たちばな)二勇士(にゆうし)が 
    天晴(あつぱ)れ名譽(めいよ)の戰死(せんし)せし 
    首山堡(しゆさんほ)すぎて海城(かいじやう)の 
    右(みぎ)には牛莊(にゆうちやん)紅瓦塞(こうぐわさい)
    43.
    海城(かいじやう)すぎて大石橋(たいせきけう) 
    石(いし)より堅(かた)き敵壘(てきるい)も 
    攻(せ)め碎(くだ)きたる奧軍(おくぐん)の 
    苦戰(くせん)何(なに)かに譬(たと)ふべき
    44.
    右(みぎ)に分(わか)れて營口(えいこう)を 
    過(す)ぐれば遼河(りやうが)の渡(わた)しあり 
    北京(ぺきん)に赴(おもむ)く旅人(たびびと)は 
    是(これ)に乘(の)るこそ便利(べんり)なれ
    45.
    それより錦州(きんしう)山海關(さんかいくわん) 
    山海關(さんかいくわん)を中(なか)にして 
    こなたを關外(くわんぐわい)かなたをば 
    關內線(くわんないせん)と名(な)づけたり
    46.
    又(また)立(た)ち戾(もど)る大石橋(たいせきけう) 
    東(ひがし)に行(ゆ)けば柝木城(たくぼくじやう) 
    續(つづ)きて岫嚴(しうがん)大弧山(たいこざん) 
    下車(げしや)して地理(ちり)や探(さぐ)らまし
    47.
    生糸(きいと)の市場(いちば)と聞(き)こえたる 
    蓋平(がいへい)すぎて熊嶽城(ゆうがくじやう) 
    城外(じやうぐわい)四面(しめん)に波(なみ)立(た)てて 
    起(お)き伏(ふ)す岡(をか)ぞ望(のぞ)まるる
    48.
    十六門(じふろくもん)の速射砲(そくしやはう) 
    得(え)たりし戰利(せんり)の得利寺(とくりじ)は 
    左右(さいう)に高(たか)く聳(そび)えたる 
    山(やま)の間(あひだ)を行(ゆ)く處(ところ)
    49.
    貔子窩(ひしか)を上(のぼ)りし我軍(わがぐん)の 
    魂(たましひ)こめたる彈丸(だんぐわん)を 
    始(はじ)めて敵(てき)に贈(おく)りたる 
    紀念(きねん)の土地(とち)は普蘭店(ふらんてん)
    50.
    鐵條網(てつでうまう)の激戰(げきせん)に 
    其(そ)の名(な)も高(たか)き南山(なんざん)の 
    麓(ふもと)にそひて行(ゆ)く道(みち)の 
    右(みぎ)に見(み)ゆるは金州灣(きんしうわん)
    51.
    進(すす)みも早(はや)く行(ゆ)く汽車(きしや)の 
    窗(まど)より左(ひだり)にながめやる 
    風景(ふけい)佳絕(かぜつ)の和尚島(をしやうたう) 
    貿易(ぼうえき)繁華(はんくわ)の大連灣(たいれんわん)
    52.
    大連灣(たいれんわん)の灣頭(わんとう)に 
    露國(ろこく)の手(て)にて作(つく)られし 
    規模(きぼ)壯大(さうだい)の靑泥窪(だるにい)は 
    今(いま)の大連(たいれん)市街(しがい)なり
    53.
    雙溝臺(さうこうだい)も土城子(どじやうし)も 
    過(す)ぎて左(ひだり)にながめゆく 
    松樹(しようじゆ)・二龍(にりゆう)の二砲臺(にはうだい) 
    あれかや二百(にひやく)三高地(さんかうち)
    54.
    朝日(あさひ)にきらめく日(ひ)の御旗(みはた) 
    山又山(やままたやま)にさし立(た)てて 
    凱歌(がいか)うたひし我軍(わがぐん)の 
    當時(たうじ)の心(こころ)ぞ思(おも)はるる
    55.
    乃木將軍(のぎしやうぐん)が苦戰(くせん)せし 
    名譽(めいよ)の陸(りく)はここなるぞ 
    廣瀨中佐(ひろせちゆうさ)が戰死(せんし)せし 
    名譽(めいよ)の海(うみ)はここなるぞ
    56.
    港(みなと)の口(くち)を封鎖(ふうさ)して 
    功(いさを)をたてし決死(けつし)の士(し) 
    朽(くち)ぬ譽(ほまれ)は千代(ちよ)八千代(やちよ) 
    老鐵山(らうてつざん)と諸共(もろとも)に
    57.
    苦戰(くせん)の旅順(りよじゆん)も我(われ)は見(み)つ 
    平和(へいわ)の旅順(りよじゆん)も我(われ)は見(み)つ 
    之(これ)を旅路(たびぢ)の土產(みやげ)にて 
    行(ゆ)きて語(かた)らん見(み)ぬ人(ひと)に
    58.
    大連灣(たいれんわん)を出港(しゆつかう)の 
    定期(ていき)の船(ふね)は何丸(なにまる)ぞ 
    名殘(なご)りは殘(のこ)る滿洲(まんしう)の 
    地(ち)を踏(ふ)む事(こと)も今日(けふ)ばかり
    59.
    別(わか)れて久(ひさ)しき故鄕(ふるさと)の 
    空(そら)を何(いづ)くとながむれば 
    煙水(えんすい)萬里(ばんり)の海(うみ)の上(うへ) 
    日(ひ)は暮(く)れそめて月(つき)高(たか)し
    60.
    ああ淸國(しんこく)も韓國(かんこく)も 
    共(とも)に親(した)しき隣國(りんごく)ぞ 
    互(たがひ)に近(ちか)く行(ゆ)きかひて 
    硏(みが)かん問題(もんだい)數(かず)多(おほ)し

  • @chihfeng1975
    @chihfeng1975 4 месяца назад +1

    この曲風が大好きです❤
    もしこの曲風で《臺灣周遊唱歌》(90番)を歌えば良いですね😊

  • @tadahiro39
    @tadahiro39 7 месяцев назад

    Excellent🌟

  • @chihfeng1975
    @chihfeng1975 4 месяца назад +1

    上澤さんへ:
    《臺灣周遊唱歌》の歌詞は此処に:
    ruclips.net/user/postUgkxemy9kcqJ8_YhPeLBVVWDysczFhad8H2d?si=9C1l1aWnqAMZ0ckd
    これも鉄道唱歌の一つです😀

  • @Nummttue
    @Nummttue 7 месяцев назад +1

    처음 들어보는 버전이네요

  • @chihfeng1975
    @chihfeng1975 4 месяца назад

    こんにちは、台湾人です。
    よろしくお願いします🙇
    鉄道唱歌が大好きです❤
    以下には「歴史的仮名遣い」での表現する歌詞です。
    (1~30番)
    《滿韓鐵道唱歌》(明治39年、1906年)
    作詞:大和田 建樹
    作曲:天谷 秀
    (漢字は旧字体で表示する、又、振り仮名や送り仮名等も歴史的仮名遣いで表示する)
    (「ゝ」と「ゞ」を使用しない)
    1.
    汽笛(きてき)の響(ひび)きいさましく 
    馬關(ばくわん)を跡(あと)に漕(こ)ぎ出(い)でて 
    蹴破(けやぶ)る荒波(あらなみ)百海里(ひやくかいり) 
    鷄林八道(けいりんはちだう)いづかたぞ
    2.
    日本海(につぽんかい)の海戰(かいせん)に 
    大捷(たいせふ)得(え)たりし對馬沖(つしまおき) 
    あれよと指(ゆび)さす程(ほど)もなく 
    船(ふね)は釜山(ふざん)に着(つ)きにけり
    3.
    釜山(ふざん)は名(な)だたる港(みなと)にて 
    韓國(かんこく)屈指(くつし)の貿易場(ぼうえきば) 
    出船(でふね)入船(いりふね)絕(た)え間(ま)なく 
    竝(なら)ぶ市街(しがい)の賑(にぎは)しさ
    4.
    船(ふね)よりあがりて汽車(きしや)に乘(の)る 
    京釜線路(けいふせんろ)の初旅路(はつたびぢ) 
    ものめづらしき草梁(さうりやう)を 
    出(い)づればまもなく釜山鎭(ふざんちん)
    5.
    三百尺(さんびやくしやく)の山上(さんじやう)に 
    築(きづ)き捨(す)てたる殘壘(ざんるい)は 
    小西行長(こにしゆきなが)千載(せんざい)の 
    雄圖(ゆうと)を示(しめ)す好紀念(かうきねん)
    6.
    古(いにしへ)韓國(かんこく)水軍(すいぐん)の 
    牙營(がえい)おかれし東萊府(とうらいふ) 
    東萊(とらい)溫泉(をんせん)梵魚寺(ぼんぎよじ)に 
    遊(あそ)ぶ旅客(りよかく)も多(おほ)からん
    7.
    勿禁驛(ふつきんえき)の甑城(そうじやう)は 
    威風(ゐふう)草木(くさき)を靡(なび)かせて 
    鬼(おに)と呼(よ)ばれし淸正(きよまさ)が 
    敵(てき)を防(ふせ)ぎし蹟(あと)とかや
    8.
    院洞(ゐんどう)過(す)ぎて三浪津(さんらうしん) 
    馬山浦(ばさんほ)ゆきの分岐點(ぶんぎてん) 
    早(はや)くも來(き)ぬる密陽(みつやう)は 
    人口(じんこう)四千(しせん)の小都會(せふとくわい)
    9.
    春秋(しゆんじう)二季(にき)に開(ひら)かるる 
    名(な)も大邱(たいきう)の大市場(おほいちば) 
    集(あつ)まる商人(しやうにん)一萬餘(いちまんよ) 
    土地(とち)の潤(うるほ)ひいくばくぞ
    10.
    豐太閤(ほうたいかふ)の征韓軍(せいかんぐん) 
    暫(しばら)くここに留(とど)まりて 
    其(そ)の名(な)を殘(のこ)す倭館驛(わくわんえき) 
    偉志(ゐし)千年(せんねん)に朽(く)ちもせず
    11.
    黃金(こがね)の泉(いづみ)湧(わ)くといふ 
    商業(しやうげふ)繁華(はんくわ)の金泉(きんせん)に 
    つぎたる驛(えき)は秋風嶺(しうふうれい) 
    秋風(あきかぜ)さむく土地(とち)高(たか)し
    12.
    京釜線路(けいふせんろ)の央(なかば)なる 
    永洞驛(えいどうえき)の近(ちか)くには 
    春(はる)は花(はな)ちる落花臺(らくくわだい) 
    秋(あき)は紅葉(もみぢ)の錦城山(きんじやうさん)
    13.
    深川驛(しんせんえき)に名(な)も響(ひび)く 
    夏(なつ)なほ寒(さむ)き瀧(たき)の水(みづ) 
    太田驛(たいでんえき)の西方(せいはう)に 
    冬(ふゆ)は雪(ゆき)見(み)る鷄籠山(けいろうざん)
    14.
    水(みづ)美(うつく)しき錦江(きんかう)の 
    岸(きし)に沿(そ)ひたる芙江驛(ふかうえき) 
    米(こめ)と鹽(しほ)との商業(しやうげふ)に 
    旅人(たびびと)つどひ市(いち)榮(さか)ゆ
    15.
    葛巨里(かつきより)全義(ぜんぎ)小井里(せふせいり) 
    天安驛(てんあんえき)の南(みなみ)には 
    溫陽(をんやう)溫泉(をんせん)名(な)も高(たか)し 
    浴(あ)みても見(み)ばや急(いそ)がずば
    16.
    昔(むかし)は黑田長政(くろだながまさ)の 
    明軍(みんぐん)破(やぶ)りし稷山(しよくざん)を
    過(す)ぐればここぞ成觀府(せいくわんふ) 
    安城川(あんじやうがは)も遠(とほ)からず
    17.
    かしこに見(み)ゆる牙山(がさん)まで 
    過(す)ぎし日淸(につしん)戰役(せんえき)の 
    面影(おもかげ)みゆる苦戰(くせん)の地(ち) 
    思(おも)へば夢(ゆめ)か夢(ゆめ)ならず
    18.
    米(こめ)の市場(いちば)の開(ひら)かるる 
    烏山(うざん)をすぎて餠店(べいてん)の 
    北(きた)に眺(なが)むる松原(まつばら)は 
    韓廷廟(かんていべう)の大皇橋(たいくわうけう)
    19.
    西湖(せいこ)の風景(ふうけい)おもしろき 
    水原(すいげん)過(す)ぎて富谷驛(ふこくえき) 
    京仁線(けいじんせん)に分(わか)るるは 
    始興(しこう)の次(つぎ)の永登浦(えいとうほ)
    20.
    仁川港(じんせんかう)に在留(ざいりう)の 
    邦人(はうじん)一萬三千餘(いちまんさんぜんよ) 
    日露(にちろ)の役(えき)の手始(てはじめ)に 
    敵艦(てきかん)沈(しづ)めし浦(うら)なるぞ
    21.
    港(みなと)の賑(にぎは)ひ見物(けんぶつ)し 
    要務(えうむ)終(を)はりて餘暇(よか)あらば 
    日本公園(にほんこうゑん)月尾島(げつびたう) 
    ついでにそれも行(ゆ)きて見(み)ん
    22.
    また本線(ほんせん)に立(た)ちかへり 
    間(ま)もなく渡(わた)る漢江(かんかう)は 
    韓國(かんこく)五江(ごかう)の其(そ)の一(ひと)つ 
    水利(すいり)に富(と)めど冬冰(ふゆこほ)る
    23.
    それより京義鐵道(けいぎてつだう)の 
    基點(きてん)に名(な)ある龍山(りゆうざん)を 
    過(す)ぐれば來(きた)る南大門(なんだいもん) 
    嬉(うれ)しやここは京城(けいじやう)よ
    24.
    さすがに名(な)高(たか)き韓國(かんこく)の 
    首府(しゆふ)の地(ち)なれば盛(さかん)にて 
    東西(とうざい)長(なが)さ三十町(さんじふちやう) 
    壁(へき)には八(や)つの門高(もんたか)し
    25.
    京城(けいじやう)隈(くま)なく一覽(いちらん)し 
    重(かさ)ねて乘(の)り込(こ)む京義線(けいぎせん) 
    驛驛(えきえき)過(す)ぎて大同江(だいどうかう) 
    渡(わた)ればかなたは平壤府(へいじやうふ)
    26.
    あれ見(み)よ二十七年(にじふしちねん)の 
    役(えき)に立見(たちみ)の一隊(いつたい)が 
    打(う)ち破(やぶ)りたる牡丹臺(ぼたんだい) 
    今(いま)なほ虛空(こくう)に聳(そび)えたり
    27.
    定州(ていしう)宣川(せんせん)新義州(しんぎしう) 
    前(まへ)は岸(きし)うつ波(なみ)高(たか)き 
    滿韓(まんかん)境(ざかひ)の鴨綠江(あふりよくかう)
    アリナレ川(がは)は是(これ)かとよ
    28.
    黑木(くろき)軍隊(ぐんたい)此川(このかは)を 
    烈風(れつぷう)破竹(はちく)の勢(いきほ)ひに 
    渡(わた)して揚(あ)げたる閧(とき)の聲(こゑ) 
    まじるか今(いま)も水音(みづおと)に
    29.
    水(みづ)を後(うしろ)に乘(の)りうつる 
    名(な)も輕便(けいべん)の假鐵道(かりてつだう) 
    起點(きてん)の驛(えき)は安東縣(あんとうけん) 
    近(ちか)くの名所(めいしよ)は九連城(きうれんじやう)
    30.
    數十(すじふ)の敵砲(てきはう)分(ぶん)捕(ど)りて 
    殆(ほとん)ど全滅(ぜんめつ)せしめたる 
    血戰(けつせん)著名(ちよめい)の蛤蟆塘(かふもたう)
    それもここより遠(とほ)からず

  • @第四軍道
    @第四軍道 7 месяцев назад +3

    >互いに近く行き交いて 研(みが)かん問題数多し
    まったくです

  • @cronoss416
    @cronoss416 7 месяцев назад +2

    なんか、メロディや歌詞が軍歌っぽい・・・って軍歌か