最強マシンが当初陥った弱点とは? F1史に残る名車の真実【F1解説】【ウイリアムズ FW14/FW14B】
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- Опубликовано: 24 авг 2023
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今回はナイジェル・マンセル、リカルド・パトレーゼの二人がドライブし、ルノーエンジンやで電子制御のパッケージで最強を誇ったウイリアムズFW14/FW14Bについて解説します。
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ただウィリアムズはどんなに最強マシン造ってもモナコ勝てないジンクスは付きまとってた。
FW14Bがあまりにも速すぎたことから、セナが「タダでもいいからウイリアムズに乗りたい」と言って政治的ゆさぶりをかけ、まんまとそれに乗ったウイリアムズがマンセルにギャラを出し渋ったため、マンセルがキレて翌年にインディに移籍したといういわくつきの名車ですね (まあ結局シート争いはプロストが勝つんだけど) 。あの時マンセルがチームに残っていたら、もっともっとチャンピオン取れていたはずだったのになあ
デイモンヒルが縁の下の力持ちで開発していた事も大きかったはず
ニューウェイの自伝を読むと ただの空力屋ではないことがわかる 技術に詳しく 自分でテストドライブしたりする
ニューウェイの悪癖が残ったマシンでしたが、所謂ハイテクデバイスの装着でスーパーマシンになりましたね。また実はマンセルは意外にもクレバーなドライバーなんですよね。確か工大卒だったか……メカニズムに一定の知識があったんですよね。アクティブ車は姿勢変化をほぼしない為マシン側からのインフォメーションが無いに等しい……らしいです。パトレーゼがある意味で苦戦したのは、その部分だと言ってましたね…。マンセルはリアクティブ車の経験があるし特性がある程度わかっていたと思いますね。実質マンセルだからマシンの特性をフルに引き出せたかな……と…。他のドライバーであればFW14があそこまで名車とはならなかったと思いますね。92年のチャンピオンはマシンの出来も良かったと思いますが特性を理解しアドバンテージを掴んだマンセルの実力だったな……と私的には思いますね。過去にピケやプロストと組んでチームメイトバトルも学んだのも一因でしょう。同マシンに乗るパトレーゼに対しても圧倒的でしたもんね。無冠の帝王が遂に戴冠した瞬間は感動的でした。
マンセルもなんだかんだでしょっぱい男だったな
91年は時々ブレーキトラブルの話があったが、92年は解消され、92年で失敗に近いのはルノーRS4エンジンの信頼性だったかも。 当時は12気筒に移行しつつあった時代に、ベストは10気筒だと知らしめ、 マクラーレンと真っ向勝負で強かったからね。
FW14 何年たっても かっこいいんだよね
当時はマンセルがマシン作れなくてセッティングはパトレーゼ任せみたいに言われてたけど違うんだね。この頃はセナがモナコで抑えた以外圧勝だったイメージしかないな。そしてハイテク禁止になってピーキーなマシンだけが残りイモラを迎えるんだね。
91年のFW14は中盤あたりからオーバーテイクボタンが話題になりましたね。モンツァかな?セナがブロックする事なくパトレーゼに置いていかれるを見た時はタイトルはマンセル・ウィリアムズかと思った位圧倒的な速さだったもんね
ちょっと考えてみると、この時期にアクティブサスを実装したマシンに乗ってその特性も可能性も、ある意味でポンコツぶりも知っていたのは、セナとマンセル、中嶋くらい。しかもマンセルはロータスとウイリアムズ、異なる2チームでアクティブカーに乗っている。テストは嫌いとか言われたマンセルだけど、ことアクティブサスについては最も知見のあるドライバーだったと言ってもいい。彼の意見やドライビングデータは、ウイリアムズのアクティブサスペンション開発に非常に多くのものをもたらしたんだと思う。
FW14Bは90年代F1の最高傑作と言えるマシンですね😊🏁👍
というかマクラーレンが80年代後半から
歴代チャンピオンマシーンの中でも屈指の美しさだと思っている。
当時、確か89年あたりから豪快なマンセルのファンになりました。92年の快進撃とチャンピオンは嬉しい反面モナコは凄いものを見れたがとても悔しかった。展開的には91年FW14でのレースのほうが好きでカナダ以降は毎回ハラハラしながら見てました。中でもポルトガルの悲劇、執念を見せたスペイン戦の逆襲が劇的過ぎてマンちゃんらしいレースだったと思ってます。
ホンダ勢が、6年連続で取っていたタイトルを失ったのが、当時の日本人ファンが一番受けたショックだったと思います。
FW14Bの快進撃は確かにニューウェイの空力デザインとハイテクデバイスの恩恵もありましたが、何よりも重要だったのは暴走しがちなニューウェイをコントロールしたパトリック・ヘッドのマネジメント能力と、マシンの速さを活かすべく意識改革や肉体改造に取り組んだマンセルの功績が非常に大きいと考えます。
パトレーゼは後年、FW14Bの性能が良すぎたせいで、逆にドライブし辛かったと、インタビューでそう語ってました。
この時期はどのチームも空力特性がピーキーという問題点を抱えていたから、それを解決出来るアクティブサスを最初に導入した者勝ちという状況まで来ていたように見えます。その点、80年代から研究を続けてきたウィリアムズには先見の明があったということですかね。
セナ様が、タダでもいいからウィリアムズのマシンに乗りたい!