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悲惨な歴史の中に多田さんの様な人がいたことが救いだと思います。
多田さんが頑張っても首相が近衛だったのが痛かった
宇垣一成が首相だったらという歴史のイフはあるが、それを潰したのは彼の盟友の石原莞爾であるのが皮肉だな。
@@ともん-b1z石原は終生の過ちと後悔してたね。無論宇垣への反発は強いから彼が首相でも上手く行くとは限らないが、長老としての期待はあった😮
とりあえず、大日本帝国の存在を消滅させたこと、これが日本にとっても世界にとっても1000年の世界大戦のない平和を与える良い決断であったのは間違いない
日本国万歳
いつも悪いほうの選択肢を選んでしまう男ならず、自ら最悪の選択肢を作っていく天才、将棋を覚えたての小学生もしないような、日本を壊していくために悪手の提案をしてしまおうような間諜でも思いつかないような、交戦国政府対手トセズ声明、ゲームで言えば資源を使いバトルをしつづけても、褒美は自ら拒絶していくようなプレイ
ありがとうございます!
動画ありがとうございます。多田駿は何故かあまり注目されない良識派の軍人ですね。
どんな時代にも人物は必ずいて、やはり組織は人事と痛感させられる。動画いつも楽しみにしています
多田のような良識派が弾かれるような組織がだめなんだと思う。
全くその通りです。権力の中央が真空になっている。組織の責任主体がない。ガバナンスの欠如。それらに伴う組織内の有効な人事査定と人材配置の不能。そして状態化する内部対立。それらの問題の根源は、200年以上続いた幕府体制にある。そら恐ろしいのは、現在においてもこの問題が解決しているように思えないことです。
日本だね。
良くも悪くも多大な戦果を上げたり、悪名高い軍人の方がインパクトあるからね。和平交渉など地味だけど重要な事を成してる人の事をもっと知る機会があっても良いと思う。こういう部分も掬ってくれるこの動画は本当にありがたいですね。
ノモンハン事件で和平工作に従事した、日本陸軍の情報将校の親分にあたる参謀本部第二部長時代の樋口少将も似たような印象がありますね。樋口少将の場合は、中将に昇進し、北海道、樺太、千島列島戦域の司令官になったことで名を残していますが。
世論がイケイケだったのが痛い。そして、ポピュリスト(大衆迎合主義)の近衛。最悪の組み合わせだった。
迎合しないと5.15や2.26不可避で撃たれた方が悪いって世論になるからね…(2.26もなあなあの態度で済ませようとしたし、陛下激怒でやっと毅然とした態度だが時既に遅し)
近衛が大政翼賛会構想をぶち上げた時、政友会や民政党を始めとしたほとんどの政党が即解党し参加すると表明してましたしね…張本人の近衛が「まだ中身何も決まってないのに…」とドン引きし、構想を近衛に吹き込んだ風見章も「こんな連中の集まる政党なら叩き壊して正解だ」とあきれています陸軍が戦争を煽ったのは事実ですが、国民も政治家もそれに嬉々として乗っかってたんですから、もうどうにもならないですね
日本の軍人に多田駿と言う軍人いたんだ多田のことよくわからなかったけど日本軍にこのような良識派がいたことに驚き😊😊😊😊
たしか、中国の抗日映画"百団大戦"では残忍な指揮官として描かれていましたが、この動画の様に実際は真逆です。
あれは二分間憎悪が目的だからね。
戦争の目的が曖昧なまま戦火だけを拡大させたので、講和条件も揺れ動き停戦の機会を失った。
ホントそれ。暗澹たる気持ちになります。
多田が動画になるのは珍しい。
🌴🌏🐎今晩は大切な先人達を学ぶ事も大切ですね📱
こういう男が本当にカッコいいんだよな。
この時代の陸軍に、このように事態を冷静で客観的に考えられた、良識人がいたのが驚きです。
動画ではスルーされているけど、東條との対立で更迭になった後、陸相就任の機会があった。しかし、石原との結びつきを警戒した昭和天皇の介入によって、それは実現しなかった。
「支那屋」は概ね陛下からのご信任は乏しかった。多田の様な人でもそうかと思うと残念だ。
昭和天皇って、結構目が腐ってますよね。人事ダメダメ
ああ、そうでした。残念なことです。多田陸相が実現すれば、軍内外に絶大な人気を誇る石原将🎉軍も、多田陸相に対しては大人しくなり、協力したかもしれません。多田陸相をサポートする発信もあると思います。石原将軍は、東条将軍には万に一つも協力しないでしようけど。
昭和天皇の人事介入ダメダメじゃん。東条英機登板させたり、犬養毅の後任で憲政の常道終わらせたり
あの酷い軍部の中には、こんな優れた方もいらしたのですね。目から鱗が落ちる動画でした!
全面戦争は避けて満洲国を維持する方針としても、結局満洲国がある限りいずれ全面戦争になっただろうね
中国との戦争は職業軍人にとって利益の方が多かった。昇進、現役復帰、戦時加俸、権限増加。結果、拡大派東條は戦争を止められなくなった。
最初に流れてるBGMの名前誰か教えて下さい🙇
当時の日本の軍人の中にも、まともな人って一定数いたんだな…。
いや、かなり数は多かったよ、ただし、特に陸軍の最高幹部が、本編にもあるように石原など「まともな」人物は「左遷」、意志決定機関の中央には「茶坊主」だらけになった。と、ここまで書いたら「今の政権」も酷似していて愕然とした。
@@mtlook0704 不拡大派は意思決定の中枢にいたよ。日中戦争開始時の石原は上司が病気療養中の今井と宮様であったため、事実上の参謀本部の意思決定する立場だった。多田はその今井の後釜なので宮様を除けば参謀本部のトップだよ。でも結局は下にいる多数の拡大派という「数」に負けて、意思決定の立場に居たにも関わらず不拡大を通すことが出来なかった。
まともな人間は東條英機のような好き嫌いで人事を行う上層部によって左遷されました。海軍の条約派もそうですね。
全ては【人事】と言う粛清やね。東條氏はやっぱり戦後に東京裁判で裁かれて人って思うね。勿論、他の拡大派は進めた陸軍幹部も。
@@mtlook0704 おそらくそのムーブメントの背後には日本の失墜を狙うソ連やイギリスの諜報活動があったのだろうと見ている。
このような軍人の名が動画を通して陽の目を見られ真実が語られることは歴史上においても意義のあることだと思います。
1938年武漢会戦前後のこの時点で、日本は中華民国の大部分の出海口、90%の主要工業都市、首都南京、主要対外港上海を占領し、さらに長江中流と江漢平原に攻め込んだ。制海権、制空権を完全に掌握し、国民革命軍の長江江防を突破した。この時点の日本国内では「日本は戦争に負けている」と考える人はほとんどいない
沈没コストがかかりすぎて、参謀本部は「もう一度軍事賭博をすれば必ず勝利できる」と錯覚している。軍事賭博に失敗すると、「真珠湾奇襲」のようなより大規模な賭博で以前の失敗を補うことになる
@@junkaisavoy1020 途中から賭けの相手は実質米英ソに変わってたけどね
ドイツとは根本的には考え方は合わなかったようです最初は中華民国を支援していました多田さんも大半は聞く耳持たず大変だったと思います。
和平交渉は、🇩🇪産武器と🇺🇸🇬🇧が資金を提供されている事から拒否したと言う事です。国際会議で不信に思った日本は、そこから暫くたって気がついていて、🇺🇸🇬🇧が武器を輸送する援蒋ルートを遮断するため、🇫🇷🇮🇳と条約を結び協力を得て日本軍が合法的に遮断しています。ここに書くと消されるので、書けませんが、私が気がついたのは、「日月神示」の内容と天皇陛下が🇺🇸に送った文書やWikipediaです。そして、当時の日本人は誰も気がつく事はなかったと思いますが、🇺🇸は、日中戦争の何年も前から「オレンジ計画」によって実行していました。記事⥥★日中戦争 Wikipedia『1937年7月7日 - 1945年8月15日1941年12月8日より大東亜戦争(第二次世界大戦)の一部』【なぜ🇺🇸軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?】『無差別爆撃により約8〜万人以上の国民が犠牲になったと言われています。無差別攻撃と爆撃を行い日本の厭戦気分を高めるとともに、都市部を壊滅させることで速やかに占領しようと考えたようだ。根底には🇺🇸陸海軍、そして陸軍から独立を企てる陸軍航空軍(後に空軍)の主導権争いもあったとされる。その証拠に🇺🇸が空襲を計画した准将が、1923年の段階で構想に織り交ぜていました。同1923年に、日本で起きた関東大震災の際、🇺🇸は救助隊という名目で調査団(OSS現在CIA)を派遣し、彼らが調査した被害レポートから1943(昭和18)年、ユタ州の砂漠に日本の木造長屋を再現し、焼夷弾による燃焼実験を行っている。やはり無差別爆撃は「🇺🇸の意思」だった。(🇺🇸公文書)また原爆は「日本に徹底的なダメージを与えて屈服させる」と記述があり、もちろん大空襲も原爆も、🇺🇸がいきなり計画したものではありません。「1906年版オレンジ計画」を実行に移したものであった。🇺🇸が「オレンジ計画」の内容を公にしたのは、戦後から50年も経った平成6年(1994)です。まさに完璧といえる戦争計画書だったのです...。つまり、🇺🇸は、あろうことか🇯🇵の震災から着想を得た作戦も計画していたのでした..。これは「オレンジ計画」のほんの一部に過ぎません。他にも、この計画で日本を苦しめた経済制裁である「ABCD包囲網」や、日本とイギリスを分断することになってしまった1923年8月17日の「日英同盟破棄」等など…。(※「ABCD包囲網」とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。)「戦前の日本の悪いところを正してくれた」と占領教育し洗脳し思いこまされ、現在でも、🇺🇸にそんなにいつまでも従属するような関係を続けていることや決断する事にも思考停止した状態で疑問を持てなくなっているのが日本国民の現状です...。今の政治や歴史に関心がある人は、「同じ過ちを繰り返さないためにも過去から学ぶ」とよく言いますが、世界規模で現代の人々は正しい過去や自国の歴史を知ることができず、知らず知らずのうちに、🇺🇸が作り上げた「ウソの歴史」に洗脳されてしまっているのです…。学ぶ過去が間違っていたとしたら、、、それは、まさにその洗脳による然「今」も「未来」も間違った方向に進んでいってしまっていると言っても過言ではないでしょう。』以下省略。
日本が対米戦争に踏み切らずに済む道が残されていたのか……本当に残念です。
三度の飯より戦争が大好きな軍上層部にとっては鬱陶しい存在だったろうね
軍人は戦争してナンボの世界軍人が非戦を叫ぶときは 負けた戦争を経験したときだけ日清・日露・第一次大戦で勝ったことしかない当時の軍人で非戦を言うなんて珍しい存在と言える
国力考えたら、非戦にせざるを得なかったのにな!
陸相就任が昭和天皇によって反故にされたのも取り上げて欲しかった
昭和天皇は後醍醐帝がそうだったように、自分に良い顔をする行儀の良い人間ばかりを信用しすぎたと思う。
平沼騏一郎の解説もお願いします。
旧日本軍は途上国の軍隊と同じで、利権と権力争いが目的に成り下がっていた。そこに平和だの軍縮だの言い出す存在は邪魔でしか無い。そして敗戦。ここで生き残った高級将校達に必要だったのは「自分は悪く無い」という言い訳。零戦は最強だし大和は無敵。陸軍は銃剣で戦えるし、特攻も地雷を抱いての自爆攻撃も兵士の意思。「自分達が命令した訳では無い」って訳だ。コレで特攻を命令しておきながらのうのうと生き残る事が出来た。彼らにとっては、特定の条件でしか有利じゃ無い零戦も、燃料が無くて動けない大和も、和平を主張する士官もあってはならない存在なんだよ。戦前の構想どおりに作戦が進んでも、数年で燃料が不足ってレポートも握りつぶされた時点で、軍の目的は戦争では無く、利権なのさ。今の自民党と同じだよ。
自民党は社会主義を目指していない。当事の統制派軍部は社会主義体制に被れた全体主義者だ。今の日本共産党や立憲の政策に近い。
当時の首相が近衛文麿ではなく非戦派の米内光政だったらどうだったのでしょう?
日活映画の戦争と人間で一瞬台詞の中に名前だけ出てきたのを覚えてます。副司令官や副首相、次長という2番目の地位の人は何かと目立たないから記憶に残らないイメージ。勉強不足なため、昭和陸軍の参謀総長は閑院宮大将、杉山大将、東條大将、梅津大将くらいはすぐに思い出せるが、参謀次長は河辺中将くらいしかすぐに出てこない。
多田さんは立派です立派だけでは世の中は動かないです。残念な事でしたその後日本は焼け野原になりました自業自得です
多田さんの意見を、もし近衛首相が大反対しても、昭和天皇が支持していればどうなったのでしょうか?
天皇は自分の意見を言ってはいけない慣例になってましたからね降伏決定の折にようやくやったくらいでただ降伏時のあの惨状においても、戦争しようとしていた連中がいるわけで彼らは戦争継続のためには天皇なんぞすげかえればいい って言っちゃうような輩ですから、軍備が疲弊してない状態で天皇がご意思を表明しても聞く耳持たないでしょうねえ持たないどころか(以下略
止まったとは思うが、それをやるところまで世の中が、切迫してなかったからね。連日の大陸での勝利で日本と日本人が酔っていた時代やもん。
米内や阿南のような良識派ですら対中強硬だったのに、この先見の明よ。惜しむらくは石原莞爾のような人間と同じ派閥とみなされて冷や飯食わされたこと。ほんま石原莞爾というのは周りに迷惑しかかけてない。そしてことごとく有能と対立する東條英機の凄さ(褒めてはいない)よ。
憎まれっ子世にはばかる。
その孫がTBSテレビの会長だった
米内が良識派!???????ん
多田駿陸軍大将、このような方が陸軍大臣に就任してほしかったですね。
明治憲法体制という「システムの欠陥」を「個人」が何とかするのはムリだよ。
内閣が国策として和平を拒否して拡大方針を選択、議会はその予算を承認したのだから憲法は関係ないやろ。民主政治の結果でしかない。
@@ケンケン-e2l戦前の内閣は、憲法等法で選定方法が規定されてません。これも一つの欠陥でしょう。元老または重臣会議の推薦とうい非民主的なプロセスで決まってます。また日中戦争の戦費は、実質的に議会のチェックが不要の臨時軍事費特別会計で調達されています。
@@ともん-b1z 内閣制度を憲法条文にしなかったのが伊藤博文の知恵なのよ。超然内閣も政党内閣も軍事内閣も臨機応変に対応できるように敢えてそうしてるの。今は議院内閣制で政党内閣に限定されており、政党政治が機能しなかったら国家運営が機能不全に陥るんですな。今の岸田政権が戦時中なら地獄やで。占領期にGHQが作ったニホンコクケンポウにはそういう非常事態が想定されてない究極の欠陥文書。あと特別会計は議会が事後承認してるから。そこに対しては帝国憲法は厳格なんだわ。民主制議会の根幹は立法権と予算承認権であると伊藤博文も言ってるしな。
@@ケンケン-e2l その臨機応変の対応を一体誰がコントロールするかということが問題。国民がコントロールするのであれば、民主的と言えるだろう。実際のコントロールは、当初は元老という法的根拠の無い機関が担い、その後は重臣会議というこれも法的根拠の無い機関が担うことになった。そしてコントロールを誤った場合に彼らの責任を追求する法的根拠も無く完全に無責任体制となっている。あと予算の承認というのはチェックして事前に承認することに意味があるのだから、承認するしか選択肢のない事後承認には何の意味もない。
@@ケンケン-e2l まあダイニッポンテイコクケンポウとかいう欠陥憲法の復活なんて、保守派ですら見向きもしないと思うけど、復活の活動頑張ってくださいな。
そろそろ笹川良一が出てきそうな予感‥
川島芳子繫がりでかな?
@@三毛猫瑞鶴スゴいブーメランだ、笹川への(笑)「♪用心用心、火のよ〜うじん」子供の頃、あのCMを見て、「社会改善に奔走する立派なおじいさん」だと思っていた。「社会改善」の原資がどこから出ていたのかを知ったのは、ずっと後のことだった。
「まともなこと」を言うと叩かれるのは当時も今も一緒か…石原は戦術家を多く育成してきた日本が珍しく輩出できた戦略家だった
マトモな軍人
第二次上海事変での陸軍派兵問題で拡大派の海軍米内 14:0大臣との軋轢も解説してほしい‼️🤣
同感。それなりの見通しを示し得ていた米内光政がなんでああも強硬に反対の立ち位置を取ったのか、いかなる見込みと意図を持っていたのか、スルーすべきてはないだろうと思う。
@@草莽-b6d 上海にいた日本軍民を見捨てればよかったんですか?
この方の回想録が数年前に上梓されませんでしたっけ? 参謀総長になってほしかったですね。しかし、あの暴れ馬のような、統帥の乱れた、下剋上陸軍で、よくもこんな良識派が将官までなれたと思いました。政治的に策動する方とも思えませんし。
…ビッテンフェルトとオイゲンか
昭和陸海軍の首脳部は維新時の幕府側の藩人となっている。
佐幕派の藩士の子弟は、頭が良い人でも、お金がないので帝国大学へは進めない。陸士や海兵に進むしかなかった。その結果なんでしょうね。
そういう方がいらしたんですね、不勉強で存じ上げませんでした。
良識派ばかりが、中央で力なくしてますね。近衞首相も最後に好戦派になったのは、国内世論が上から下まで好戦的だったのではないでしょうか。軍人も楽勝できると思うと、安全圏にいる人には出世のチャンスですし。
石原と多田をうまく使えず、アメリカと最終戦争しなかった日本は戦争に負けたな
2021年の終わり頃に財政破綻を訴えた論文を寄稿した財務次官を思い出す。
その財務次官は、増税原理主義の方のことかと思いますが、彼は多田大将の対局の存在かと思われます。
やっぱ東條がガンだった。早くガンを切除すべきだった。一体誰がこの顔に権力を与えたのか
なんか結局今も昔もな〜んも変わらんのよね。正しいこと言ってる奴が疎まれ弾かれる
多田陸相、石原次官のような体制なら、第二次世界大戦の様相は変わっていたのだろうか。
やっぱり陸軍は優秀だったと思った基地外海軍が始めた海軍は本当にどうしようもない😅
あほか 陸軍がマトモやったら破滅の対米戦になんかなってなかったわ
@@シュペールエタンダールその陸軍からの、「対米戦となれば海軍がノーと言えば出来ない。海軍がノーなら考え直さざるを得ないが、その点如何」との合理的な問いを受けて「和戦の決は総理に一任」と責任回避したのは、海軍なんだよなあ。ちなみに、コレ答えたのは海軍大臣だからな。政府の一員でありながらオノレの職掌への政治的責任を回避したのだから、どうしようもない話だ。「開戦の可否? そんなん総理に任せますわ」と外務大臣が言った様なもんだからな。政府の一員でありながら決定を丸投げし、勝てそうになくなると「終戦工作」なる宮廷クーデタを企てるのだから、少なくとも「赤レンガ」連中はそれこそ官僚としても「どうしようもない」者共だったということだろうよ。
@@草莽-b6d 「和戦の決は総理に一任」の何がいけないの?軍が政治の決断に従うのは当然でしょ。日露戦争の時に海軍が「ロシアと戦争できない」などと主張したらどうyなった?
陸軍が優秀だったとは思わないが、多田大将のようにまともで有能な人は大勢いた海軍は内輪重視のなあなあ組織で、陸軍の花谷みたいな精神異常者は少ないが、有能な人物はほとんどいない海軍でまともかつ有能な人って木村提督くらいしか思いつかない
@@相羽タカヤ-j8e 多田をもてはやしてるけど、和戦を決めるのは政治の役割なので、純然たる軍人の立場(参謀次長)の多田が政府に対して和平を主張するのは立派な政治介入であり、「軍人は政治に拘わらず」と定めた軍人勅諭にもあきらかに反する。
The farsighted wise but Ill fated are ignored until too late, we are always mislead by selfish ppl n fake facade n sycophantic words like those from poems n songs n slumbers on,,,,,,
日本は負けるべくして負けた。そして、アメリカにボコボコにされて良かった。そうじゃなけりゃ、日本人は絶対反省しなかった。
この動画はよく出来ていますが、部分的に抜けているところがあると思います。日中戦争は🇯🇵の軍事キャンプに向けての1発の銃弾事件から始まりました。和平交渉を蔣介石が拒否したのは、資金と🇩🇪で製造していた武器を最初から🇺🇸🇬🇧が提供していたからです。日本が、それに気がついたのは国際会議以降で、🇺🇸🇬🇧が日本を強く叩いた事からです。それで、武器を🇩🇪から輸送する援蒋ルートを遮断するため、🇫🇷🇮🇳と条約を結び協力を得て日本軍が合法的に遮断しています。なのでWikipediaでは、★日中戦争 Wikipedia『1937年7月7日 - 1945年8月15日1941年12月8日より大東亜戦争(第二次世界大戦)の一部』とあります。そして、もっと詳しく言うならば、日中戦争から🇺🇸の「オレンジ計画」による戦争計画だったのです。記事⥥【なぜ🇺🇸軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?】無差別爆撃により約8〜万人以上の国民が犠牲になったと言われています。無差別攻撃と爆撃を行い日本の厭戦気分を高めるとともに、都市部を壊滅させることで速やかに占領しようと考えたようだ。根底には🇺🇸陸海軍、そして陸軍から独立を企てる陸軍航空軍(後に空軍)の主導権争いもあったとされる。その証拠に🇺🇸は空襲を計画した准将が、1923年の段階で構想に織り交ぜていました。同1923年に、日本で起きた関東大震災の際、🇺🇸は救助隊という名目で調査団(OSS現在CIA)を派遣し、彼らが調査した被害レポートから1943(昭和18)年、ユタ州の砂漠に日本の木造長屋を再現し、焼夷弾による燃焼実験を行っている。やはり無差別爆撃は「🇺🇸の意思」だった。(🇺🇸公文書)また原爆は「日本に徹底的なダメージを与えて屈服させる」と記述があり、もちろん大空襲も原爆も、🇺🇸がいきなり計画したものではありません。「1906年版オレンジ計画」を実行に移したものであった。🇺🇸が「オレンジ計画」の内容を公にしたのは、戦後から50年も経った平成6年(1994)です。まさに完璧といえる戦争計画書だったのです...。つまり、🇺🇸は、あろうことか🇯🇵の震災から着想を得た作戦も計画していたのでした..。これは「オレンジ計画」のほんの一部に過ぎません。他にも、この計画で日本を苦しめた経済制裁である「ABCD包囲網」や、日本とイギリスを分断することになってしまった1923年8月17日の「日英同盟破棄」等など…。(※「ABCD包囲網」とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。)つまり、日中戦争の何年も前から実行されていたのです。「戦前の日本の悪いところを正してくれた」と占領教育し洗脳し思いこまされ、現在でも、そんな🇺🇸にいつまでも従属するような関係を続けていることや決断する事にも思考停止した状態で疑問を持てなくなっているのが日本国民の現状です...。今の政治や歴史に関心がある人は、「同じ過ちを繰り返さないためにも過去から学ぶ」とよく言いますが、現代の人々は正しい過去や自国の歴史を知ることができず、知らず知らずのうちに、🇺🇸が作り上げた「ウソの歴史」に洗脳されてしまっているのです…。学ぶ過去が間違っていたとしたら、、、それは、まさにその洗脳による然「今」も「未来」も間違った方向に進んでいってしまっていると言っても過言ではないでしょう。
中国を甘く見過ぎたんでしょう!広大な領地、莫大な人口、言語、習慣も違う敵地!多くの列強を味方につけてればまだしもドイツを除いてはほとんど中国側についたわけでしょう!敵を知り己を知れば百戦危うからずの逆をやってしまった!
日中和平を理性でやろうとしたから失敗した。本能的に「どうしても成し遂げる」という感性で事に当たらないと、利害損失の計算で結局失敗する。
そんな根性論で戦争をやるから、戦争に負けたのだ。引くべき時に引き際を知らず、妥協すべき時に欲をかく……だから泥沼にはまり犠牲を大きくしただけだった。もとより戦争などやるべきではないが、やるなら利害損失を冷静に見極めていなければならない。
@@hideyukimiyake9039 こういう場合は逆に根性論と言うか精神論の「無執着」の精神で、日中和平に取り組まないとダメ。何故なら理性で取り組んでいたら必ずそれまでに、大陸問題に要した予算や人命の収支決算を突き付けられて、交渉が暗礁に乗り上げる。普通に日中和平は陸軍省という官僚組織を、自ら解体するに等しい行為だし陸軍のパトロンをして、大陸での一儲けを狙っていた財閥から貸を返せと迫られるし、右翼からのテロの対象になるからね。
まあ、この人がした最大の間違いは、東條さんを敵に回したことですね。大将進級と同時に軍事参議官になった多田さん、陸軍大臣は東條さんがなっていた。東條さんに異動報告をしないといけないのに無視、この事がたたって2か月で予備役編入になった。
と言いつつ「東條を敵に回すと干される」と大勢順応した連中のことを「だからケシカラン」「東條に取り入ったロクデナシ」とクズ呼ばわりしているのがアナタなわけだ(笑)自分の発言の内容さえ理解出来ていないのか、根本的にダブルスタンダードな結果論者なのか、どっちかということなんだろうね、アナタは。ご都合主義なアナタの発言、いつも楽しく見ています(笑)
Amazon、Kindleにて「これだけ読めば対英米戦争は分かる」が発売中です!是非お求めください!Kindle Unlimitedにて読むこともできます!amzn.asia/d/5UvADHn
悲惨な歴史の中に多田さんの様な人がいたことが救いだと思います。
多田さんが頑張っても首相が近衛だったのが痛かった
宇垣一成が首相だったらという歴史のイフはあるが、それを潰したのは彼の盟友の石原莞爾であるのが皮肉だな。
@@ともん-b1z石原は終生の過ちと後悔してたね。無論宇垣への反発は強いから彼が首相でも上手く行くとは限らないが、長老としての期待はあった😮
とりあえず、大日本帝国の存在を消滅させたこと、
これが日本にとっても世界にとっても1000年の世界大戦のない平和を与える良い決断であったのは間違いない
日本国万歳
いつも悪いほうの選択肢を選んでしまう男ならず、自ら最悪の選択肢を作っていく天才、将棋を覚えたての小学生もしないような、日本を壊していくために悪手の提案をしてしまおうような間諜でも思いつかないような、交戦国政府対手トセズ声明、ゲームで言えば資源を使いバトルをしつづけても、褒美は自ら拒絶していくようなプレイ
ありがとうございます!
動画ありがとうございます。
多田駿は何故かあまり注目されない良識派の軍人ですね。
どんな時代にも人物は必ずいて、やはり組織は人事と痛感させられる。
動画いつも楽しみにしています
多田のような良識派が弾かれるような組織がだめなんだと思う。
全くその通りです。
権力の中央が真空になっている。
組織の責任主体がない。
ガバナンスの欠如。
それらに伴う組織内の有効な人事査定と人材配置の不能。そして状態化する内部対立。
それらの問題の根源は、200年以上続いた幕府体制にある。
そら恐ろしいのは、現在においてもこの問題が解決しているように思えないことです。
日本だね。
良くも悪くも多大な戦果を上げたり、悪名高い軍人の方がインパクトあるからね。
和平交渉など地味だけど重要な事を成してる人の事をもっと知る機会があっても良いと思う。
こういう部分も掬ってくれるこの動画は本当にありがたいですね。
ノモンハン事件で和平工作に従事した、日本陸軍の情報将校の親分にあたる参謀本部第二部長時代の樋口少将も似たような印象がありますね。
樋口少将の場合は、中将に昇進し、北海道、樺太、千島列島戦域の司令官になったことで名を残していますが。
世論がイケイケだったのが痛い。
そして、ポピュリスト(大衆迎合主義)の近衛。
最悪の組み合わせだった。
迎合しないと5.15や2.26不可避で撃たれた方が悪いって世論になるからね…(2.26もなあなあの態度で済ませようとしたし、陛下激怒でやっと毅然とした態度だが時既に遅し)
近衛が大政翼賛会構想をぶち上げた時、政友会や民政党を始めとしたほとんどの政党が即解党し参加すると表明してましたしね…
張本人の近衛が「まだ中身何も決まってないのに…」とドン引きし、構想を近衛に吹き込んだ風見章も「こんな連中の集まる政党なら叩き壊して正解だ」とあきれています
陸軍が戦争を煽ったのは事実ですが、国民も政治家もそれに嬉々として乗っかってたんですから、もうどうにもならないですね
日本の軍人に多田駿と言う軍人いたんだ多田のことよくわからなかったけど日本軍にこのような良識派がいたことに驚き😊😊😊😊
たしか、中国の抗日映画"百団大戦"では残忍な指揮官として描かれていましたが、この動画の様に実際は真逆です。
あれは二分間憎悪が目的だからね。
戦争の目的が曖昧なまま戦火だけを拡大させたので、講和条件も揺れ動き停戦の機会を失った。
ホントそれ。
暗澹たる気持ちになります。
多田が動画になるのは珍しい。
🌴🌏🐎今晩は大切な先人達を学ぶ事も大切ですね📱
こういう男が本当にカッコいいんだよな。
この時代の陸軍に、このように事態を冷静で客観的に考えられた、良識人がいたのが驚きです。
動画ではスルーされているけど、東條との対立で更迭になった後、陸相就任の機会があった。
しかし、石原との結びつきを警戒した昭和天皇の介入によって、それは実現しなかった。
「支那屋」は概ね陛下からのご信任は乏しかった。
多田の様な人でもそうかと思うと残念だ。
昭和天皇って、結構目が腐ってますよね。人事ダメダメ
ああ、そうでした。残念なことです。
多田陸相が実現すれば、軍内外に絶大な人気を誇る石原将🎉軍も、多田陸相に対しては大人しくなり、協力したかもしれません。多田陸相をサポートする発信もあると思います。石原将軍は、東条将軍には万に一つも協力しないでしようけど。
昭和天皇の人事介入ダメダメじゃん。東条英機登板させたり、犬養毅の後任で憲政の常道終わらせたり
あの酷い軍部の中には、こんな優れた方もいらしたのですね。目から鱗が落ちる動画でした!
全面戦争は避けて満洲国を維持する方針としても、結局満洲国がある限りいずれ全面戦争になっただろうね
中国との戦争は職業軍人にとって利益の方が多かった。
昇進、現役復帰、戦時加俸、
権限増加。
結果、拡大派東條は戦争を止められなくなった。
最初に流れてるBGMの名前誰か教えて下さい🙇
当時の日本の軍人の中にも、まともな人って一定数いたんだな…。
いや、かなり数は多かったよ、ただし、特に陸軍の最高幹部が、本編にもあるように石原など「まともな」人物は「左遷」、意志決定機関の中央には「茶坊主」だらけになった。
と、ここまで書いたら「今の政権」も酷似していて愕然とした。
@@mtlook0704 不拡大派は意思決定の中枢にいたよ。
日中戦争開始時の石原は上司が病気療養中の今井と宮様であったため、事実上の参謀本部の意思決定する立場だった。
多田はその今井の後釜なので宮様を除けば参謀本部のトップだよ。
でも結局は下にいる多数の拡大派という「数」に負けて、意思決定の立場に居たにも関わらず不拡大を通すことが出来なかった。
まともな人間は東條英機のような好き嫌いで人事を行う上層部によって左遷されました。海軍の条約派もそうですね。
全ては【人事】と言う粛清やね。
東條氏はやっぱり戦後に東京裁判で裁かれて人って思うね。
勿論、他の拡大派は進めた陸軍幹部も。
@@mtlook0704 おそらくそのムーブメントの背後には日本の失墜を狙うソ連やイギリスの諜報活動があったのだろうと見ている。
このような軍人の名が動画を通して陽の目を見られ真実が語られることは歴史上においても意義のあることだと思います。
1938年武漢会戦前後のこの時点で、日本は中華民国の大部分の出海口、90%の主要工業都市、首都南京、主要対外港上海を占領し、さらに長江中流と江漢平原に攻め込んだ。制海権、制空権を完全に掌握し、国民革命軍の長江江防を突破した。この時点の日本国内では「日本は戦争に負けている」と考える人はほとんどいない
沈没コストがかかりすぎて、参謀本部は「もう一度軍事賭博をすれば必ず勝利できる」と錯覚している。軍事賭博に失敗すると、「真珠湾奇襲」のようなより大規模な賭博で以前の失敗を補うことになる
@@junkaisavoy1020 途中から賭けの相手は実質米英ソに変わってたけどね
ドイツとは根本的には
考え方は合わなかったようです
最初は中華民国を支援していました
多田さんも大半は聞く耳持たず
大変だったと思います。
和平交渉は、🇩🇪産武器と🇺🇸🇬🇧が資金を提供されている事から拒否したと言う事です。
国際会議で不信に思った日本は、そこから暫くたって気がついていて、🇺🇸🇬🇧が武器を輸送する援蒋ルートを遮断するため、🇫🇷🇮🇳と条約を結び協力を得て日本軍が合法的に遮断しています。
ここに書くと消されるので、書けませんが、私が気がついたのは、「日月神示」の内容と天皇陛下が🇺🇸に送った文書やWikipediaです。
そして、当時の日本人は誰も気がつく事はなかったと思いますが、🇺🇸は、日中戦争の何年も前から「オレンジ計画」によって実行していました。
記事
⥥
★日中戦争 Wikipedia
『1937年7月7日 - 1945年8月15日
1941年12月8日より大東亜戦争(第二次世界大戦)の一部』
【なぜ🇺🇸軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?】
『無差別爆撃により約8〜万人以上の国民が犠牲になったと言われています。無差別攻撃と爆撃を行い日本の厭戦気分を高めるとともに、都市部を壊滅させることで速やかに占領しようと考えたようだ。根底には🇺🇸陸海軍、そして陸軍から独立を企てる陸軍航空軍(後に空軍)の主導権争いもあったとされる。
その証拠に🇺🇸が空襲を計画した准将が、1923年の段階で構想に織り交ぜていました。同1923年に、日本で起きた関東大震災の際、🇺🇸は救助隊という名目で調査団(OSS現在CIA)を派遣し、彼らが調査した被害レポートから1943(昭和18)年、ユタ州の砂漠に日本の木造長屋を再現し、焼夷弾による燃焼実験を行っている。やはり無差別爆撃は「🇺🇸の意思」だった。(🇺🇸公文書)
また原爆は「日本に徹底的なダメージを与えて屈服させる」と記述があり、もちろん大空襲も原爆も、🇺🇸がいきなり計画したものではありません。
「1906年版オレンジ計画」を実行に移したものであった。
🇺🇸が「オレンジ計画」の内容を公にしたのは、戦後から50年も経った平成6年(1994)です。
まさに完璧といえる戦争計画書だったのです...。
つまり、🇺🇸は、あろうことか🇯🇵の震災から着想を得た作戦も計画していたのでした..。
これは「オレンジ計画」のほんの一部に過ぎません。
他にも、この計画で日本を苦しめた経済制裁である「ABCD包囲網」や、日本とイギリスを分断することになってしまった1923年8月17日の「日英同盟破棄」等など…。
(※「ABCD包囲網」とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。)
「戦前の日本の悪いところを正してくれた」と占領教育し洗脳し思いこまされ、現在でも、🇺🇸にそんなにいつまでも従属するような関係を続けていることや決断する事にも思考停止した状態で疑問を持てなくなっているのが日本国民の現状です...。
今の政治や歴史に関心がある人は、「同じ過ちを繰り返さないためにも過去から学ぶ」とよく言いますが、世界規模で現代の人々は正しい過去や自国の歴史を知ることができず、知らず知らずのうちに、🇺🇸が作り上げた「ウソの歴史」に洗脳されてしまっているのです…。
学ぶ過去が間違っていたとしたら、、、それは、まさにその洗脳による然「今」も「未来」も間違った方向に進んでいってしまっていると言っても過言ではないでしょう。』
以下省略。
日本が対米戦争に踏み切らずに済む道が残されていたのか……
本当に残念です。
三度の飯より戦争が大好きな軍上層部にとっては鬱陶しい存在だったろうね
軍人は戦争してナンボの世界
軍人が非戦を叫ぶときは 負けた戦争を経験したときだけ
日清・日露・第一次大戦で勝ったことしかない当時の軍人で非戦を言うなんて珍しい存在と言える
国力考えたら、非戦にせざるを得なかったのにな!
陸相就任が昭和天皇によって反故にされたのも取り上げて欲しかった
昭和天皇は後醍醐帝がそうだったように、自分に良い顔をする行儀の良い人間ばかりを信用しすぎたと思う。
平沼騏一郎の解説もお願いします。
旧日本軍は途上国の軍隊と同じで、利権と権力争いが目的に成り下がっていた。
そこに平和だの軍縮だの言い出す存在は邪魔でしか無い。
そして敗戦。
ここで生き残った高級将校達に必要だったのは「自分は悪く無い」という言い訳。
零戦は最強だし大和は無敵。陸軍は銃剣で戦えるし、特攻も地雷を抱いての自爆攻撃も兵士の意思。
「自分達が命令した訳では無い」って訳だ。
コレで特攻を命令しておきながらのうのうと生き残る事が出来た。
彼らにとっては、特定の条件でしか有利じゃ無い零戦も、燃料が無くて動けない大和も、和平を主張する士官もあってはならない存在なんだよ。
戦前の構想どおりに作戦が進んでも、数年で燃料が不足ってレポートも握りつぶされた時点で、軍の目的は戦争では無く、利権なのさ。
今の自民党と同じだよ。
自民党は社会主義を目指していない。当事の統制派軍部は社会主義体制に被れた全体主義者だ。今の日本共産党や立憲の政策に近い。
当時の首相が近衛文麿ではなく非戦派の米内光政だったらどうだったのでしょう?
日活映画の戦争と人間で一瞬台詞の中に名前だけ出てきたのを覚えてます。
副司令官や副首相、次長という2番目の地位の人は何かと目立たないから記憶に残らないイメージ。
勉強不足なため、昭和陸軍の参謀総長は閑院宮大将、杉山大将、東條大将、梅津大将くらいはすぐに思い出せるが、参謀次長は河辺中将くらいしかすぐに出てこない。
多田さんは立派です立派だけでは世の中は動かないです。残念な事でしたその後日本は焼け野原になりました自業自得です
多田さんの意見を、もし近衛首相が大反対しても、昭和天皇が支持していればどうなったのでしょうか?
天皇は自分の意見を言ってはいけない慣例になってましたからね
降伏決定の折にようやくやったくらいで
ただ降伏時のあの惨状においても、戦争しようとしていた連中がいるわけで
彼らは戦争継続のためには天皇なんぞすげかえればいい って言っちゃうような輩ですから、軍備が疲弊してない状態で天皇がご意思を表明しても聞く耳持たないでしょうねえ
持たないどころか(以下略
止まったとは思うが、それをやるところまで世の中が、切迫してなかったからね。
連日の大陸での勝利で日本と日本人が酔っていた時代やもん。
米内や阿南のような良識派ですら対中強硬だったのに、この先見の明よ。惜しむらくは石原莞爾のような人間と同じ派閥とみなされて冷や飯食わされたこと。ほんま石原莞爾というのは周りに迷惑しかかけてない。そしてことごとく有能と対立する東條英機の凄さ(褒めてはいない)よ。
憎まれっ子世にはばかる。
その孫がTBSテレビの会長だった
米内が良識派!???????ん
多田駿陸軍大将、このような方が陸軍大臣に就任してほしかったですね。
明治憲法体制という「システムの欠陥」を「個人」が何とかするのはムリだよ。
内閣が国策として和平を拒否して拡大方針を選択、議会はその予算を承認したのだから憲法は関係ないやろ。民主政治の結果でしかない。
@@ケンケン-e2l戦前の内閣は、憲法等法で選定方法が規定されてません。これも一つの欠陥でしょう。元老または重臣会議の推薦とうい非民主的なプロセスで決まってます。また日中戦争の戦費は、実質的に議会のチェックが不要の臨時軍事費特別会計で調達されています。
@@ともん-b1z
内閣制度を憲法条文にしなかったのが伊藤博文の知恵なのよ。超然内閣も政党内閣も軍事内閣も臨機応変に対応できるように敢えてそうしてるの。今は議院内閣制で政党内閣に限定されており、政党政治が機能しなかったら国家運営が機能不全に陥るんですな。今の岸田政権が戦時中なら地獄やで。占領期にGHQが作ったニホンコクケンポウにはそういう非常事態が想定されてない究極の欠陥文書。あと特別会計は議会が事後承認してるから。そこに対しては帝国憲法は厳格なんだわ。民主制議会の根幹は立法権と予算承認権であると伊藤博文も言ってるしな。
@@ケンケン-e2l その臨機応変の対応を一体誰がコントロールするかということが問題。国民がコントロールするのであれば、民主的と言えるだろう。実際のコントロールは、当初は元老という法的根拠の無い機関が担い、その後は重臣会議というこれも法的根拠の無い機関が担うことになった。そしてコントロールを誤った場合に彼らの責任を追求する法的根拠も無く完全に無責任体制となっている。あと予算の承認というのはチェックして事前に承認することに意味があるのだから、承認するしか選択肢のない事後承認には何の意味もない。
@@ケンケン-e2l まあダイニッポンテイコクケンポウとかいう欠陥憲法の復活なんて、保守派ですら見向きもしないと思うけど、復活の活動頑張ってくださいな。
そろそろ笹川良一が出てきそうな予感‥
川島芳子繫がりでかな?
@@三毛猫瑞鶴
スゴいブーメランだ、笹川への(笑)
「♪用心用心、火のよ〜うじん」
子供の頃、あのCMを見て、
「社会改善に奔走する立派なおじいさん」
だと思っていた。
「社会改善」の原資がどこから出ていたのかを知ったのは、ずっと後のことだった。
「まともなこと」を言うと叩かれるのは当時も今も一緒か…石原は戦術家を多く育成してきた日本が珍しく輩出できた戦略家だった
マトモな軍人
第二次上海事変での陸軍派兵問題で拡大派の海軍米内 14:0大臣との軋轢も解説してほしい‼️🤣
同感。
それなりの見通しを示し得ていた米内光政がなんでああも強硬に反対の立ち位置を取ったのか、いかなる見込みと意図を持っていたのか、スルーすべきてはないだろうと思う。
@@草莽-b6d 上海にいた日本軍民を見捨てればよかったんですか?
この方の回想録が数年前に上梓されませんでしたっけ?
参謀総長になってほしかったですね。
しかし、あの暴れ馬のような、統帥の乱れた、下剋上陸軍で、よくもこんな良識派が将官までなれたと思いました。
政治的に策動する方とも思えませんし。
…ビッテンフェルトとオイゲンか
昭和陸海軍の首脳部は維新時の幕府側の藩人となっている。
佐幕派の藩士の子弟は、頭が良い人でも、お金がないので帝国大学へは進めない。陸士や海兵に進むしかなかった。
その結果なんでしょうね。
そういう方がいらしたんですね、不勉強で存じ上げませんでした。
良識派ばかりが、中央で力なくしてますね。
近衞首相も最後に好戦派になったのは、
国内世論が上から下まで好戦的だったのではないでしょうか。
軍人も楽勝できると思うと、
安全圏にいる人には出世のチャンスですし。
石原と多田をうまく使えず、アメリカと最終戦争しなかった日本は戦争に負けたな
2021年の終わり頃に財政破綻を訴えた論文を寄稿した財務次官を思い出す。
その財務次官は、増税原理主義の方のことかと思いますが、彼は多田大将の対局の存在かと思われます。
やっぱ東條がガンだった。早くガンを切除すべきだった。一体誰がこの顔に権力を与えたのか
なんか結局今も昔もな〜んも変わらんのよね。正しいこと言ってる奴が疎まれ弾かれる
多田陸相、石原次官のような体制なら、第二次世界大戦の様相は変わっていたのだろうか。
やっぱり陸軍は優秀だったと思った基地外海軍が始めた海軍は本当にどうしようもない😅
あほか 陸軍がマトモやったら破滅の対米戦になんかなってなかったわ
@@シュペールエタンダール
その陸軍からの、
「対米戦となれば海軍がノーと言えば出来ない。海軍がノーなら考え直さざるを得ないが、その点如何」
との合理的な問いを受けて
「和戦の決は総理に一任」
と責任回避したのは、海軍なんだよなあ。
ちなみに、コレ答えたのは海軍大臣だからな。
政府の一員でありながらオノレの職掌への政治的責任を回避したのだから、どうしようもない話だ。
「開戦の可否? そんなん総理に任せますわ」
と外務大臣が言った様なもんだからな。
政府の一員でありながら決定を丸投げし、勝てそうになくなると
「終戦工作」
なる宮廷クーデタを企てるのだから、少なくとも「赤レンガ」連中はそれこそ官僚としても「どうしようもない」者共だったということだろうよ。
@@草莽-b6d 「和戦の決は総理に一任」の何がいけないの?軍が政治の決断に従うのは当然でしょ。日露戦争の時に海軍が「ロシアと戦争できない」などと主張したらどうyなった?
陸軍が優秀だったとは思わないが、多田大将のようにまともで有能な人は大勢いた
海軍は内輪重視のなあなあ組織で、陸軍の花谷みたいな精神異常者は少ないが、有能な人物はほとんどいない
海軍でまともかつ有能な人って木村提督くらいしか思いつかない
@@相羽タカヤ-j8e 多田をもてはやしてるけど、和戦を決めるのは政治の役割なので、純然たる軍人の立場(参謀次長)の多田が政府に対して和平を主張するのは立派な政治介入であり、「軍人は政治に拘わらず」と定めた軍人勅諭にもあきらかに反する。
The farsighted wise but Ill fated are ignored until too late, we are always mislead by selfish ppl n fake facade n sycophantic words like those from poems n songs n slumbers on,,,,,,
日本は負けるべくして負けた。
そして、アメリカにボコボコにされて良かった。
そうじゃなけりゃ、日本人は絶対反省しなかった。
この動画はよく出来ていますが、部分的に抜けているところがあると思います。
日中戦争は🇯🇵の軍事キャンプに向けての1発の銃弾事件から始まりました。
和平交渉を蔣介石が拒否したのは、資金と🇩🇪で製造していた武器を最初から🇺🇸🇬🇧が提供していたからです。
日本が、それに気がついたのは国際会議以降で、🇺🇸🇬🇧が日本を強く叩いた事からです。
それで、武器を🇩🇪から輸送する援蒋ルートを遮断するため、🇫🇷🇮🇳と条約を結び協力を得て日本軍が合法的に遮断しています。
なのでWikipediaでは、
★日中戦争 Wikipedia
『1937年7月7日 - 1945年8月15日
1941年12月8日より大東亜戦争(第二次世界大戦)の一部』とあります。
そして、もっと詳しく言うならば、日中戦争から🇺🇸の「オレンジ計画」による戦争計画だったのです。
記事
⥥
【なぜ🇺🇸軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか?】
無差別爆撃により約8〜万人以上の国民が犠牲になったと言われています。無差別攻撃と爆撃を行い日本の厭戦気分を高めるとともに、都市部を壊滅させることで速やかに占領しようと考えたようだ。
根底には🇺🇸陸海軍、そして陸軍から独立を企てる陸軍航空軍(後に空軍)の主導権争いもあったとされる。
その証拠に🇺🇸は空襲を計画した准将が、1923年の段階で構想に織り交ぜていました。同1923年に、日本で起きた関東大震災の際、🇺🇸は救助隊という名目で調査団(OSS現在CIA)を派遣し、彼らが調査した被害レポートから1943(昭和18)年、ユタ州の砂漠に日本の木造長屋を再現し、焼夷弾による燃焼実験を行っている。
やはり無差別爆撃は「🇺🇸の意思」だった。
(🇺🇸公文書)
また原爆は「日本に徹底的なダメージを与えて屈服させる」と記述があり、もちろん大空襲も原爆も、🇺🇸がいきなり計画したものではありません。
「1906年版オレンジ計画」を実行に移したものであった。🇺🇸が「オレンジ計画」の内容を公にしたのは、戦後から50年も経った平成6年(1994)です。
まさに完璧といえる戦争計画書だったのです...。
つまり、🇺🇸は、あろうことか🇯🇵の震災から着想を得た作戦も計画していたのでした..。
これは「オレンジ計画」のほんの一部に過ぎません。
他にも、この計画で日本を苦しめた経済制裁である「ABCD包囲網」や、日本とイギリスを分断することになってしまった1923年8月17日の「日英同盟破棄」等など…。
(※「ABCD包囲網」とは、1930年代後半(昭和10年頃)から、海外に進出する日本に対抗して行われた石油や屑鉄など戦略物資の輸出規制・禁止による米英蘭中諸国による経済的な対日包囲網。)
つまり、日中戦争の何年も前から実行されていたのです。
「戦前の日本の悪いところを正してくれた」と占領教育し洗脳し思いこまされ、現在でも、そんな🇺🇸にいつまでも従属するような関係を続けていることや決断する事にも思考停止した状態で疑問を持てなくなっているのが日本国民の現状です...。
今の政治や歴史に関心がある人は、「同じ過ちを繰り返さないためにも過去から学ぶ」とよく言いますが、現代の人々は正しい過去や自国の歴史を知ることができず、知らず知らずのうちに、🇺🇸が作り上げた「ウソの歴史」に洗脳されてしまっているのです…。
学ぶ過去が間違っていたとしたら、、、それは、まさにその洗脳による然「今」も「未来」も間違った方向に進んでいってしまっていると言っても過言ではないでしょう。
中国を甘く見過ぎたんでしょう!広大な領地、莫大な人口、言語、習慣も違う敵地!多くの列強を味方につけてればまだしもドイツを除いてはほとんど中国側についたわけでしょう!敵を知り己を知れば百戦危うからずの逆をやってしまった!
日中和平を理性でやろうとしたから失敗した。
本能的に「どうしても成し遂げる」という感性で事に当たらないと、
利害損失の計算で結局失敗する。
そんな根性論で戦争をやるから、戦争に負けたのだ。引くべき時に引き際を知らず、妥協すべき時に欲をかく……だから泥沼にはまり犠牲を大きくしただけだった。
もとより戦争などやるべきではないが、やるなら利害損失を冷静に見極めていなければならない。
@@hideyukimiyake9039
こういう場合は逆に根性論と言うか精神論の「無執着」の精神で、
日中和平に取り組まないとダメ。
何故なら理性で取り組んでいたら必ずそれまでに、
大陸問題に要した予算や人命の収支決算を突き付けられて、
交渉が暗礁に乗り上げる。
普通に日中和平は陸軍省という官僚組織を、
自ら解体するに等しい行為だし陸軍のパトロンをして、
大陸での一儲けを狙っていた財閥から貸を返せと迫られるし、
右翼からのテロの対象になるからね。
まあ、この人がした最大の間違いは、東條さんを敵に回したことですね。大将進級と同時に軍事参議官になった多田さん、陸軍大臣は東條さんがなっていた。東條さんに異動報告をしないといけないのに無視、この事がたたって2か月で予備役編入になった。
と言いつつ「東條を敵に回すと干される」と大勢順応した連中のことを
「だからケシカラン」
「東條に取り入ったロクデナシ」
とクズ呼ばわりしているのがアナタなわけだ(笑)
自分の発言の内容さえ理解出来ていないのか、
根本的にダブルスタンダードな結果論者なのか、
どっちかということなんだろうね、アナタは。
ご都合主義なアナタの発言、いつも楽しく見ています(笑)