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昭和30年産まれです。貧しくも本当にいい時代を生きてこさせてもらいました。
今69歳です。少年ジェットにはハマりましたね。うーやーたー!と振りを付けて良く叫んでいました。月光仮面はリアルタイムでは見ていません。まだ三歳でしたから。テレビの幕開け時代でありました。
いや〜懐かしいです、テレビでみんな見てました、月光仮面はふろしきかぶってました、う〜や〜た〜は自分たちも言ってましたね、子供たちみんな、なりきって遊んでました、テレビで放映してた変幻三日月丸、見てたのを思い出します、テレビに夢中で見てた子供の頃の遠い昔の思い出、懐かしい動画ありがとうございました
1959年生まれの私は、風のフジ丸、忍者部隊月光、ゼロ戦隼人、など印象的でした。ここでは紹介されませんでしたが、ロケットラーメンのCMが脳裏に焼き付いてます。
ロケットラーメン知りません、ホンコンに美味いよホンコン焼きそば、だんしのコマーシャルのまだ販売してるらしい
今52歳でして、この時代のヒーローについては子供の頃に両親から聞かされていました。
昭和27年生まれで今72歳ですが 観てました。懐かしいですね。此の話を一緒にしゃべれる方が居なく成りました。有難うございました。
私も昭和27年生まれです、もっとマイナーのもいつぱい有るし宝塚映画のも、イカンプアーも最近アイキャンパワーと知りました言われて見れば成るほどと
昭和28年生まれです。初期の放映は、アメリカの番組が多かったですね。首に風呂敷、確かに巻いてました😅少年ジェットのミラクルボイスは、本気で練習しました😅チロリン村とくるみの木、ひょうたん島の前は見てましたね。クルミのくる子とか、リップちゃんとか、今思えば、わかりやすい名前でした。 吉永小百合さんは、まぼろし探偵にも出てましたね。 ちなみに、東京タワーの前、子供達のチャンバラ映像の時の、橋の映像が懐かしい気がします。昔、携帯が使われ出した頃、月光仮面の主題歌の前奏が、突然、電車の中で鳴り出して、オジサンが1人、慌てて挙動不審になていました😅😅鉄腕アトムも実写版の方が、好きです。
本当に懐かしいです😂ス-パーマンのまねして、風呂敷を首に巻いて、走ったものですね!この頃は、今と違って、物が無い時代だから、友達同士で、外で遊び本当に楽し見ましたね。懐かしい動画配信ありがとうございます!
昭和33年生まれ66歳です、懐かしい映像ありがとうございます。なんといってもスーパーマン、月光仮面、赤胴鈴之助は鉄板です。
生まれる前のお話ですが楽しめました😊
動画の冒頭で紹介された『スーパーマン』の主演俳優は番組終了後、スーパーマンのイメージから脱却出来ず、自ら命を絶ったんですよね…。子供番組に限らず、大人気番組の主演俳優はその後の活動で重い十字架を背負うことになったりもします。それでも、人気番組の主演として視聴者に愛されたのですから、やっぱり幸せな役者人生だと思います。やっぱり、ヒーローは永遠です!
ウルトラQ以前の特撮ってこんな感じだったんですね。ミニチュア特撮は殆ど無く、怪獣は主に東宝の特撮映画だけ。(月光仮面のマンモスコングとかマリンコングはあったけど)やっぱりウルトラQは革命だったんだ。
いつもながらに資料の収集力がすごいですね。怪傑鷹の羽や竜巻小天狗も時代劇ヒーローに加えてあげて ^^v
昭和35年生まれです。ふじ丸は番組の最後に実写で忍者になれるような手ほどきがあったような。
女優の本間千代子さんの司会で忍者のノウハウをゲストの子供達と😊忍者の子孫😮からいろいろお話しがきけましたね😊本間千代子さんは本当に綺麗でした🎉
@@伊藤光夫-d5d 忍術を指導していたのは、戸隠流34代、千葉武神館の初見良昭先生でした。
この頃家にはTVがなく、近所のTVがある家何人かで何人かで見せてもらいました。もう60年も前になるのかな~ なつかしい~&貧しかった!
昭和34年生まれです。ここでは出て来ませんでしたが隠密剣士とスパイキャッチャーJ3は好きでよく観てました。車が浮いて走るところはカッコよかったですね。
昭和29年産まれなので、昭和30年代の前半は見ていないはずです。後の時代の「懐かしの番組」等の記憶が後付けで刷り込まれていると思います。
1954年生まれ。国産ものの前にバッチリ外国ものTV劇、アニメーションを見られたことはわが世代の特権だろう。それにしても映画赤胴、月光、そして両者のTV版は大変な憧れでした。わが左目下の傷跡は赤胴のセルロイドの丁髷を被って暴れ回っていてのもの。絆創膏を貼ってなお刀を構える写真が残っています。矢車剣之介、七色仮面、少年ジェット、海底人8823、ナショナルキッド、怪傑ハリマオ、恐怖のミイラ、白馬童子、とんま天狗、あんみつ姫、琴姫七変化、隠密剣士、忍者部隊月光、実写版鉄人28号、鉄腕アトム、‥。アニメーション鉄腕アトム、狼少年ケン、鉄人28号、エイトマン、マッハGOGOGO、0戦太郎、零戦はやと、遊星仮面、宇宙エースなどなどが次々と登場する前は、幼児〜児童にとって目眩くヒーロー漬けの時でした。そして今、古稀70。いやはや、懐かしい画のエッセンスを有難うございます!
系列局が県下に無く、NHK以外は民放はTBSだけだったので、視たことのないヒーローも多く、都会が羨ましかった。昼間や深夜は放送休憩時間があり、テストパターン画像も懐かしい。
我が家では自分が生まれた昭和34年にテレビを買って、当時は珍しく近所の人が我が家に都合に関係なく見に来ていたそうです。自分が覚えているのが昭和38年放送開始からの番組で鉄腕アトム、エイトマン、実写では忍者部隊月光などは好きでした。それ以前の実写など例えばハリマオや月光仮面は再放送でみました。以後はTVっこで何でも見てました。夕方のアメリカのアニメ時間帯、大相撲放送のある期間は相撲好きのおじいちゃんとはチャンネル争いがありました(笑
初代月光仮面が特撮版とアニメ版とで、主題歌の歌詞だけは同じだがメロディ調がまるで違っているのは知っていましたが、赤胴鈴之助は特撮版もアニメ版も主題歌そっくりだったんですねぇ。 これは知りませんでした。 貴重な映像ありがとうございます。
アニメ版はカッコいいですね!主題歌も歌詞は一緒ですがテンポよくていいです。
34年生まれです、確か隣の家に良く見に行っていた、多分再放送だと思うのですが、スーパーマンにはまり当時白黒だったのでマント代わりに大きめのフロシキで遊んでいた、因みに家にテレビ登場は小学生1年の頃で父が会社の備品を譲られたそうで頻繁に故障していた記憶が有った
七色仮面 初代 :波島進 2代目:千葉真一アラーの使者 千葉真一全部覚えている。
少年ドラマから怪獣シリーズになってそれと並行して年長になると各チャンネルの映画劇場に行きそれからNHKの渋い大人のヒーローのコロンボやポワロやミスマープルに行き着くのが定番でした。
34年、生まれですが割と裕福な家庭だつたので自宅で友達とテレビ観てました特撮はうるとら/Qやうウルトラマンで後はララミー牧場やコンバットみてたような気がします
昭和33年生まれです。確かにテレビの普及率が悪くて、自分もテレビのたる家へ行って見せてもらってました。スーパーマンは、再放送か何かで見ました。自分達の所は田舎なので、稲刈りから脱穀まで終わった田んぼで、風呂敷をマント代わりにして、スーパーマンごっこして遊びました。赤胴鈴之助は、アニメで見ました。月光仮面は見た事はないですが、♪月光仮面は誰でしょう♪は、カラオケで歌います。大瀬こういちさんは、隠密剣士にも出演されてました。少年画報は、最初に読んだ漫画雑誌でした。忍者部隊月光も見て、色々と真似してました。
昭和34年生まれなのでどのドラマも内容はほとんど覚えてませんが、何故か主題歌だけは記憶に残ってますね。七色仮面だけはヒーローのはずなんですが当時怖かった記憶があります。赤胴鈴之助も月光仮面もアニメ化されてからみてましたね。
昭和32年生ですので、うっすら覚えている番組と、はっきり覚えている番組がありますね。スーパーマンのオープニングの「弾よりも早く・・・・」のシーンはよく覚えています。ハリマオの「ヤドン小僧の歌」は、今だと差別とか言われそうですね。
昭和38年生まれですが36年や34年生まれの姉も居るので当時の絵本やおもちゃを見て育ったので馴染みがある時代です。長く続けていくにつれてネタ切れになっていくでしょうが是非頑張って下さい。
全て生まれる前で、ウーヤーターはタケシがパロっていた記憶しかないです。七色仮面は駄菓子屋にあったメンコにありましたが、当時は友達に昔のヒーローだと教えられるまで謎。月光仮面は見たことないドラマ版と見てるアニメ版の主題歌を歌い比べるのが私の周りで流行りました。"どーこーのだぁれぇかぁはしーらなーいけーれーどー"、"どっこーのーだーれかはーしぃらないけれどー"とポップなアレンジ。けっこう仮面やサタンの足の爪も好きです。赤胴や鉄人やアトムもアニメが先に浮かびます。
私も七色仮面のメンコが何のヒーローかわからずパイナップル仮面と勝手に名付けてました。(笑)
昭和30年代、東京にはまだまだあちらこちらにたくさんの空き地や原っぱがありました。そこには大きな土管が山積みになっていたり、野球のボールが草むらに入って行方不明になったり、戦争ごっこもし放題でした。忍者ごっこ、探偵ごっこ、空き地で子供たちが主人公をまねて奇声をあげていました。テレビのドラマの主人公は何故か少年ばかりでした。アメリカのドラマがゴールデンタイムに放映されるのはこの後からになるでしょうか。4チャンネル6チャンネル8チャンネルが民放のキー局でした。千葉真一のアラーの使者もなつかしい。
リアルタイム世代ではないですが、ビデオ全盛の頃にこの時代の作品が発売&レンタルされて知りました。宣弘社は様々な特撮作品を世に出してくれましたね♪🙂この動画では触れてませんが遊星王子とかもありましたね♪
チロリン村懐かしいです。あの頃の声優で御存命なのは黒柳徹子さんくらいでしょうか。その後、ひょっこりひょうたん島、ドリフターズが声優だった西遊記、と続きますが最近は見られなくなってしまい寂しいですね。
私が住む所では民放は一つしか映らなかった。月光仮面は見たことなかった。七色仮面は再放送で見た。少年ジェットは最近ユーチューブで初めて見た。まぼろし探偵は再放送で見た。子供向けは夕方に再放送が定番だった。
怪傑ハリマオは最高でした。ただサングラスを外したハリマオは少しイメージがちがいましたね。少年ケニアのケイトは少しお姉さんの感じがしてコスチュームもなんとなく色っぽい(ませた子どもでした😂)ので好きでした。風のフジ丸は当時の藤沢薬品がスポンサー1社。隠密剣士は月光仮面の主人公大瀬康一さんでした。小学校の遠足先の秩父長瀞でちょうど隠密剣士のロケをしていたのでみんなが群がり、当時のスタッフさんたちに迷惑をかけたのを憶えています。当時は、ほとんどの特撮は日本で撮影していました。千葉県の房総で少年ケニアも撮影していたそうです。唯一、怪傑ハリマオはアンコール・ワットの宮殿で撮影があったと大人になってはじめて知りました。
昭和三十三年といえば日本が国連に加盟した年でもあり自信を取り戻しつつあった日本人が現代劇でも十分に海外ドラマに対抗できるゅうななった頃でした。
37年生まれです。アニメの方はかろうじてアトムが同時代なので追えるのですが、特撮の方はウルトラ以前だと文献や断片紹介に頼るしかなく時代情勢は実感難しいですねー(^^;35年に一つのピークがあったのですね、いつも勉強になりますありがとうございます。
昭和31年生まれのジジイです。ここで紹介されたほとんどの番組は、リアルタイムではなく、小学校の登校前に毎日見てから学校に行ったのを覚えています。怪傑ハリマオはちょっと難しかったのかも、七色仮面は、千葉真一さんになってから見た記憶がありますね。
70年代のマンガにここらの特撮ネタがふんだんに折り込まれていましたが、世代的にその特撮を見ていないもので「うーやーたー!って何!?」とか「リンチンチン…!?」とばかり困惑するばかり。ナショナルキッドやまぼろし探偵なんかバラエティー番組のお笑いネタで知りました…。
同世代かと思われるので失礼いたしますw『すすめ!パイレーツ』や『マカロニほうれん荘』、『三年奇面組』で、特にそういうネタを多用していた記憶があります。後に『軽井沢シンドローム』を読んで、耕平とノンの「ぼくは忍者部隊月光が好きだった」「あたしなんか月光仮面が好きだったんだから」なんてやりとりに、作者がコマ外に「なんとなく想像できるトコがおかしい」なんて割り込んでるあたり、当時を生きた子供達への影響や、想像を絶するものだったんでしょうねぇ……
快傑ハリマオ は懐かしい。テレビがなくある家に見に行った。テレビは東北放送とNHKとNHK教育しか映らなかった。アラ-の使者や忍者部隊月光が懐かしい。25年生まれ。
赤胴鈴之助はアニメの十数年前だけど主題歌は一緒なのね月光仮面はアニメだと、歌詞おんなじで曲が全く違うというアクロバットでした
流石です。今でも3曲ソラでうたえます。
1:44 白黒の時代みると2024年待ち遠しい雰囲気になる
アメリカ人の知り合いは言っていました、日本に限らず独立を復活させていく国々。事後からしたら良い事なんだろうけど、全ての国の兵士達は自分の仲間達は何の為に天国へ行ったのか分からなくなり違和感しかない。との事でした。エンターテイメント格闘イベントのはじめ険悪だけど試合終われば仲良しこよしみたいなものですね、あれもだったら最初から仲良くしろよって思うので戦争とおんなじなんだなと思いました。
月光仮面はサングラスとマスクで顔を隠し白い全身タイツにピストル二丁を持ち、スクーターでそこいら中を走り回っていて、事情を知らない人から見たら結構恐ろしい存在ですよねぇ😂
「がんばあれ、強いど、僕らのなまか、赤胴鈴之助!」このギャグ分かる人も、少ないかな?
9:421992年位の話なのですが、家に帰って自室の扉を開けると、知らない高校生が!咄嗟に出た言葉は「弟の部屋…隣」「あ、スイマセンお兄さん」…と、弟の部屋に去っていく高校生。『ったく、呼ぶんなら部屋くらい ちゃんと教えとけっての』と思ってたところ、帰ってきた弟。部屋に入った弟の第一声は「何、お前? 来てたの?!」…流石に椅子から滑り落ちましたw
吉永小百合さんが可愛いすぎる
ハリマオこの時代に海外ロケ、幼くても脳味噌にインプットされてしまい石の宮殿が有ると!数十年して世界遺産と登録され、これだアンコオールと確認して衝撃でしたアンコールトム南大門の石像からステテコオジサンと拳銃少年が現れる、感激しちゃいましたよ。
『ミラクルボイス』はマジで修練したけれど奇跡的なコトは起こりませんでした😅😅😅当時のチビッ子の残念感に対して担当者はどう責任を取るのか❗ちなみに長い間ワルモンはトニー谷さんやと思てました😆😆😆
Good
昭和50年代の少年向けドラマの記録って意外と少ないんですよ番組の紹介はされてたんですけど
昭和33年の大卒初任給は1万3千円だそうです。一万円は、現在の20万円くらいの価値とも聞きます。月光仮面のホンダドリーム号は、17万円くらいだったそうで、今の貨幣価値では、350万円~400万円くらい?現在ホンダで最も高価なモデルは排気量1800ccの大型ツアラー・ゴールドウイング ツアー。346万5000円。モーターリゼーションが普及していない昭和33年当時では、ホンダドリーム号は子供のみならず、当時の青年の心も捉えたでしょうね。
うーりゃーたーやってたなぁ それとハリマオはとにかくカッコ良かった
サタンの足の爪・・・
以前月光仮面闇配信あった。嬉しかったが
赤胴鈴之助の連載予告をしているのが福井英一先生なのに注目福井先生は第一話を描いたあと急死されたのです
それで武内つなよしが続きを描いてうれたんですよね。福井英一はイガグリくんでスポ根のルーツかもしれない、惜しい人でした。🥹😥
まだテレビが普及してなかったです覚えているのは東京オリンピック以後です
わし、昭和38年生まれなので、昭和30年代の記憶は皆無。
そういや武田鉄矢が少年の頃、実写版鉄腕アトムについて「あんなマヌケなアトム、だっさ、がっかりした」って言ってたな。
ちょうど時代が古い😂もう少し新しいのを、お願いします❤
ジェットのヤツ少年ちゃうやん😂
うーやーたーっ!
川内さんと川端さんが一緒でな伊豆の踊り子を月光仮面の原作者が書いたってよガーガーガーガー😮😮😮😮😮😮😮❤
いつも不思議に思うのですが、どうして、半世紀以上前の映像をお持ちなのでしょうか。
忍者部隊月光 「拳銃は最後の武器」いや戦力知れてるやろ
@@ちゃマフェリシタル これははっきり言わないけど「自決用」という意味です
月光仮面の後ろに?居るは「谷幹一」?町の催し大会に審査員として その時が初めて生で観た芸能人さんだったですね 自分も大会?に出 審査してもらえましたよ 懐かしいねこれらは皆わかるけど 自分は冷めたクソガキで アニメを観たのはウルトラマンが最後7も半分ほどは観たけど それ以後全編みたアニメは無い 仮面ライダーも3/4話?くらいですね観たのはね そうね皆懐かしいけど ウルトラマンが最後 何とも冷めたガキでしたね近年では北斗の拳さえ 再々放送を留守録で観たくらい(めんどくさい)うる星やつら」も「うるホシやつら」って何だ?くらい知らなかった こまわり君もブームが去ってから「これおもろいね」と言えば「今頃何言うとるだ?オマエ」ってねやはり昭和45年くらいで自分の中では アニメの世界は終わっているのだね七色仮面のオープニング あれは迫力あったよね 七色さんの登場 何度見てもあれが最高ですね
月光仮面などは今から見ると、実に呑気で牧歌的に見えますが、作者の川内康範先生の、憎むな、殺すな、許しましょう、というコンセプトは素晴らしいし、先生がその後も生み出し続けた、レインボーマン、ダイヤモンドアイ、コンドールマン、はどれも大人も納得するテーマ性に貫かれて大好きです。川内康範作品に比べると、確かに面白いけど、ウルトラマンは怪獣虐待だし仮面ライダーは嘘っぽい活劇に見えちゃいます。それと実写版アトムは一生懸命に演じてる主人公の少年には悪いけど、究極にダサいですね。手塚先生が実写化に失望する訳です。
親はガキの敵だ 勉強しなさいと苦しめ ガキはテレビ漫画等に救いをだ あーあくまだらねえ😮
主題歌にある様に子供目線で月光仮面はおじさんだこの時代のおじさんはたくましい😊
太めのアトム😂
血湧き肉躍ります(´・ω・`)
昭和30年代のヒーローは銃刀砲違者や、無免許運転違反者だらけだったんですねぇ、ある意味悪と、悪の闘いですなぁ😂
この頃の漫画は、今ではお馴染みのこれはフィクションであり事実でなく架空の物語です。みたいな文言がなかった気がする。
@@りんご-d8z7c フィクションの説明ガ付き始めたのは、バロムワンの、ドルゲ事件がきっかけです、悪の親玉ドルゲと同じ名前の子供がいて、いじめられたのが原因で、番組に説明が付く様になだたんですけど蛇足でしたかねぇ?
@@とらねこ-z9y たしかドイツ人でしたっけ?本人にしてみれば可哀想でしたね。😔
@@りんご-d8z7c ほんと、人間不信になっちやいますよねぇ
ぱあすうまん
昭和30年産まれです。貧しくも本当にいい時代を生きてこさせてもらいました。
今69歳です。少年ジェットにはハマりましたね。うーやーたー!と振りを付けて良く叫んでいました。月光仮面はリアルタイムでは見ていません。まだ三歳でしたから。テレビの幕開け時代でありました。
いや〜懐かしいです、テレビでみんな見てました、月光仮面はふろしきかぶってました、う〜や〜た〜は自分たちも言ってましたね、子供たちみんな、なりきって遊んでました、テレビで放映してた変幻三日月丸、見てたのを思い出します、テレビに夢中で見てた子供の頃の遠い昔の思い出、懐かしい動画ありがとうございました
1959年生まれの私は、風のフジ丸、忍者部隊月光、ゼロ戦隼人、など印象的でした。
ここでは紹介されませんでしたが、ロケットラーメンのCMが脳裏に焼き付いてます。
ロケットラーメン知りません、ホンコンに美味いよホンコン焼きそば、だんしのコマーシャルの
まだ販売してるらしい
今52歳でして、この時代のヒーローについては子供の頃に両親から聞かされていました。
昭和27年生まれで今72歳ですが 観てました。懐かしいですね。此の話を一緒にしゃべれる方が居なく成りました。有難うございました。
私も昭和27年生まれです、もっとマイナーのもいつぱい有るし宝塚映画のも、イカンプアーも最近アイキャンパワーと知りました言われて見れば成るほどと
昭和28年生まれです。初期の放映は、アメリカの番組が多かったですね。首に風呂敷、確かに巻いてました😅少年ジェットのミラクルボイスは、本気で練習しました😅チロリン村とくるみの木、ひょうたん島の前は見てましたね。クルミのくる子とか、リップちゃんとか、今思えば、わかりやすい名前でした。 吉永小百合さんは、まぼろし探偵にも出てましたね。 ちなみに、東京タワーの前、子供達のチャンバラ映像の時の、橋の映像が懐かしい気がします。昔、携帯が使われ出した頃、月光仮面の主題歌の前奏が、突然、電車の中で鳴り出して、オジサンが1人、慌てて挙動不審になていました😅😅鉄腕アトムも実写版の方が、好きです。
本当に懐かしいです😂ス-パーマンのまねして、風呂敷を首に巻いて、走ったものですね!この頃は、今と違って、物が無い時代だから、友達同士で、外で遊び本当に楽し見ましたね。懐かしい動画配信ありがとうございます!
昭和33年生まれ66歳です、懐かしい映像ありがとうございます。なんといってもスーパーマン、月光仮面、赤胴鈴之助は鉄板です。
生まれる前のお話ですが楽しめました😊
動画の冒頭で紹介された『スーパーマン』の主演俳優は番組終了後、スーパーマンのイメージから脱却出来ず、自ら命を絶ったんですよね…。
子供番組に限らず、大人気番組の主演俳優はその後の活動で重い十字架を背負うことになったりもします。
それでも、人気番組の主演として視聴者に愛されたのですから、やっぱり幸せな役者人生だと思います。
やっぱり、ヒーローは永遠です!
ウルトラQ以前の特撮ってこんな感じだったんですね。ミニチュア特撮は殆ど無く、怪獣は主に東宝の特撮映画だけ。(月光仮面のマンモスコングとかマリンコングはあったけど)やっぱりウルトラQは革命だったんだ。
いつもながらに資料の収集力がすごいですね。怪傑鷹の羽や竜巻小天狗も時代劇ヒーローに加えてあげて ^^v
昭和35年生まれです。ふじ丸は番組の最後に実写で忍者になれるような手ほどきがあったような。
女優の本間千代子さんの司会で忍者のノウハウをゲストの子供達と😊忍者の子孫😮からいろいろお話しがきけましたね😊本間千代子さんは本当に綺麗でした🎉
@@伊藤光夫-d5d 忍術を指導していたのは、戸隠流34代、千葉武神館の初見良昭先生でした。
この頃家にはTVがなく、近所のTVがある家何人かで何人かで見せてもらいました。もう60年も前になるのかな~ なつかしい~&貧しかった!
昭和34年生まれです。ここでは出て来ませんでしたが隠密剣士とスパイキャッチャーJ3は好きでよく観てました。車が浮いて走るところはカッコよかったですね。
昭和29年産まれなので、昭和30年代の前半は見ていないはずです。後の時代の「懐かしの番組」等の記憶が後付けで刷り込まれていると思います。
1954年生まれ。国産ものの前にバッチリ外国ものTV劇、アニメーションを見られたことはわが世代の特権だろう。それにしても映画赤胴、月光、そして両者のTV版は大変な憧れでした。わが左目下の傷跡は赤胴のセルロイドの丁髷を被って暴れ回っていてのもの。絆創膏を貼ってなお刀を構える写真が残っています。矢車剣之介、七色仮面、少年ジェット、海底人8823、ナショナルキッド、怪傑ハリマオ、恐怖のミイラ、白馬童子、とんま天狗、あんみつ姫、琴姫七変化、隠密剣士、忍者部隊月光、実写版鉄人28号、鉄腕アトム、‥。アニメーション鉄腕アトム、狼少年ケン、鉄人28号、エイトマン、マッハGOGOGO、0戦太郎、零戦はやと、遊星仮面、宇宙エースなどなどが次々と登場する前は、幼児〜児童にとって目眩くヒーロー漬けの時でした。そして今、古稀70。いやはや、懐かしい画のエッセンスを有難うございます!
系列局が県下に無く、NHK以外は民放はTBSだけだったので、視たことのないヒーローも多く、都会が羨ましかった。昼間や深夜は放送休憩時間があり、テストパターン画像も懐かしい。
我が家では自分が生まれた昭和34年にテレビを買って、当時は珍しく近所の人が我が家に都合に関係なく見に来ていたそうです。
自分が覚えているのが昭和38年放送開始からの番組で鉄腕アトム、エイトマン、実写では忍者部隊月光などは好きでした。
それ以前の実写など例えばハリマオや月光仮面は再放送でみました。以後はTVっこで何でも見てました。
夕方のアメリカのアニメ時間帯、大相撲放送のある期間は相撲好きのおじいちゃんとはチャンネル争いがありました(笑
初代月光仮面が特撮版とアニメ版とで、主題歌の歌詞だけは同じだがメロディ調がまるで違っているのは知っていましたが、
赤胴鈴之助は特撮版もアニメ版も主題歌そっくりだったんですねぇ。 これは知りませんでした。 貴重な映像ありがとうございます。
アニメ版はカッコいいですね!主題歌も歌詞は一緒ですがテンポよくていいです。
34年生まれです、確か隣の家に良く見に行っていた、多分再放送だと思うのですが、スーパーマンにはまり当時白黒だったのでマント代わりに大きめのフロシキで遊んでいた、因みに家にテレビ登場は小学生1年の頃で父が会社の備品を譲られたそうで頻繁に故障していた記憶が有った
七色仮面 初代 :波島進 2代目:千葉真一
アラーの使者 千葉真一
全部覚えている。
少年ドラマから怪獣シリーズになってそれと並行して年長になると各チャンネルの映画劇場に行きそれからNHKの渋い大人のヒーローのコロンボやポワロやミスマープルに行き着くのが定番でした。
34年、生まれですが割と裕福な家庭だつたので自宅で友達とテレビ観てました特撮はうるとら/Qやうウルトラマンで後は
ララミー牧場やコンバットみてたような気がします
昭和33年生まれです。確かにテレビの普及率が悪くて、自分もテレビのたる家へ行って見せてもらってました。
スーパーマンは、再放送か何かで見ました。自分達の所は田舎なので、稲刈りから脱穀まで終わった田んぼで、風呂敷をマント代わりにして、スーパーマンごっこして遊びました。
赤胴鈴之助は、アニメで見ました。月光仮面は見た事はないですが、♪月光仮面は誰でしょう♪は、カラオケで歌います。大瀬こういちさんは、隠密剣士にも出演されてました。
少年画報は、最初に読んだ漫画雑誌でした。忍者部隊月光も見て、色々と真似してました。
昭和34年生まれなのでどのドラマも内容はほとんど覚えてませんが、何故か主題歌だけは記憶に残ってますね。七色仮面だけはヒーローのはずなんですが
当時怖かった記憶があります。赤胴鈴之助も月光仮面もアニメ化されてからみてましたね。
昭和32年生ですので、うっすら覚えている番組と、はっきり覚えている番組がありますね。
スーパーマンのオープニングの「弾よりも早く・・・・」のシーンはよく覚えています。
ハリマオの「ヤドン小僧の歌」は、今だと差別とか言われそうですね。
昭和38年生まれですが36年や34年生まれの姉も居るので当時の絵本やおもちゃを見て育ったので馴染みがある時代です。長く続けていくにつれてネタ切れになっていくでしょうが是非頑張って下さい。
全て生まれる前で、ウーヤーターはタケシがパロっていた記憶しかないです。七色仮面は駄菓子屋にあったメンコにありましたが、当時は友達に昔のヒーローだと教えられるまで謎。月光仮面は見たことないドラマ版と見てるアニメ版の主題歌を歌い比べるのが私の周りで流行りました。"どーこーのだぁれぇかぁはしーらなーいけーれーどー"、"どっこーのーだーれかはーしぃらないけれどー"とポップなアレンジ。けっこう仮面やサタンの足の爪も好きです。赤胴や鉄人やアトムもアニメが先に浮かびます。
私も七色仮面のメンコが何のヒーローかわからずパイナップル仮面と勝手に名付けてました。(笑)
昭和30年代、東京にはまだまだあちらこちらにたくさんの空き地や原っぱがありました。そこには大きな土管が山積みになっていたり、野球のボールが草むらに入って行方不明になったり、戦争ごっこもし放題でした。忍者ごっこ、探偵ごっこ、空き地で子供たちが主人公をまねて奇声をあげていました。テレビのドラマの主人公は何故か少年ばかりでした。アメリカのドラマがゴールデンタイムに放映されるのはこの後からになるでしょうか。4チャンネル6チャンネル8チャンネルが民放のキー局でした。千葉真一のアラーの使者もなつかしい。
リアルタイム世代ではないですが、ビデオ全盛の頃にこの時代の作品が発売&レンタルされて知りました。宣弘社は様々な特撮作品を世に出してくれましたね♪🙂この動画では触れてませんが遊星王子とかもありましたね♪
チロリン村懐かしいです。あの頃の声優で御存命なのは黒柳徹子さんくらいでしょうか。その後、ひょっこりひょうたん島、ドリフターズが声優だった西遊記、と続きますが最近は見られなくなってしまい寂しいですね。
私が住む所では民放は一つしか映らなかった。月光仮面は見たことなかった。七色仮面は再放送で見た。少年ジェットは最近ユーチューブで初めて見た。まぼろし探偵は再放送で見た。子供向けは夕方に再放送が定番だった。
怪傑ハリマオは最高でした。ただサングラスを外したハリマオは少しイメージがちがいましたね。少年ケニアのケイトは少しお姉さんの感じがしてコスチュームもなんとなく色っぽい(ませた子どもでした😂)ので好きでした。風のフジ丸は当時の藤沢薬品がスポンサー1社。隠密剣士は月光仮面の主人公大瀬康一さんでした。小学校の遠足先の秩父長瀞でちょうど隠密剣士のロケをしていたのでみんなが群がり、当時のスタッフさんたちに迷惑をかけたのを憶えています。当時は、ほとんどの特撮は日本で撮影していました。千葉県の房総で少年ケニアも撮影していたそうです。唯一、怪傑ハリマオはアンコール・ワットの宮殿で撮影があったと大人になってはじめて知りました。
昭和三十三年といえば日本が国連に加盟した年でもあり自信を取り戻しつつあった日本人が現代劇でも十分に海外ドラマに対抗できるゅうななった頃でした。
37年生まれです。アニメの方はかろうじてアトムが同時代なので追えるのですが、特撮の方はウルトラ以前だと文献や断片紹介に頼るしかなく時代情勢は実感難しいですねー(^^;
35年に一つのピークがあったのですね、いつも勉強になりますありがとうございます。
昭和31年生まれのジジイです。ここで紹介されたほとんどの番組は、リアルタイムではなく、小学校の登校前に毎日見てから学校に行ったのを覚えています。
怪傑ハリマオはちょっと難しかったのかも、七色仮面は、千葉真一さんになってから見た記憶がありますね。
70年代のマンガにここらの特撮ネタがふんだんに折り込まれていましたが、世代的にその特撮を見ていないもので「うーやーたー!って何!?」とか「リンチンチン…!?」とばかり困惑するばかり。ナショナルキッドやまぼろし探偵なんかバラエティー番組のお笑いネタで知りました…。
同世代かと思われるので失礼いたしますw
『すすめ!パイレーツ』や『マカロニほうれん荘』、『三年奇面組』で、特にそういうネタを多用していた記憶があります。
後に『軽井沢シンドローム』を読んで、耕平とノンの「ぼくは忍者部隊月光が好きだった」「あたしなんか月光仮面が好きだったんだから」なんてやりとりに、作者がコマ外に「なんとなく想像できるトコがおかしい」なんて割り込んでるあたり、当時を生きた子供達への影響や、想像を絶するものだったんでしょうねぇ……
快傑ハリマオ は懐かしい。テレビがなくある家に見に行った。テレビは東北放送とNHKとNHK教育しか映らなかった。アラ-の使者や忍者部隊月光が懐かしい。25年生まれ。
赤胴鈴之助はアニメの十数年前だけど主題歌は一緒なのね
月光仮面はアニメだと、歌詞おんなじで曲が全く違うというアクロバットでした
流石です。今でも3曲ソラでうたえます。
1:44 白黒の時代みると2024年待ち遠しい雰囲気になる
アメリカ人の知り合いは言っていました、日本に限らず独立を復活させていく国々。事後からしたら良い事なんだろうけど、全ての国の兵士達は自分の仲間達は何の為に天国へ行ったのか分からなくなり違和感しかない。との事でした。エンターテイメント格闘イベントのはじめ険悪だけど試合終われば仲良しこよしみたいなものですね、あれもだったら最初から仲良くしろよって思うので戦争とおんなじなんだなと思いました。
月光仮面はサングラスとマスクで顔を隠し白い全身タイツにピストル二丁を持ち、スクーターでそこいら中を走り回っていて、事情を知らない人から見たら結構恐ろしい存在ですよねぇ😂
「がんばあれ、強いど、僕らのなまか、赤胴鈴之助!」
このギャグ分かる人も、少ないかな?
9:42
1992年位の話なのですが、家に帰って自室の扉を開けると、知らない高校生が!
咄嗟に出た言葉は「弟の部屋…隣」
「あ、スイマセンお兄さん」…と、弟の部屋に去っていく高校生。
『ったく、呼ぶんなら部屋くらい ちゃんと教えとけっての』と思ってたところ、帰ってきた弟。
部屋に入った弟の第一声は「何、お前? 来てたの?!」
…流石に椅子から滑り落ちましたw
吉永小百合さんが可愛いすぎる
ハリマオこの時代に海外ロケ、幼くても脳味噌にインプットされてしまい石の宮殿が有ると!数十年して世界遺産と登録され、これだアンコオールと確認して衝撃でした
アンコールトム南大門の石像からステテコオジサンと拳銃少年が現れる、感激しちゃいましたよ。
『ミラクルボイス』はマジで修練したけれど奇跡的なコトは起こりませんでした😅😅😅当時のチビッ子の残念感に対して担当者はどう責任を取るのか❗ちなみに長い間ワルモンはトニー谷さんやと思てました😆😆😆
Good
昭和50年代の少年向けドラマの
記録って意外と少ないんですよ
番組の紹介はされてたんですけど
昭和33年の大卒初任給は1万3千円だそうです。一万円は、現在の20万円くらいの価値とも聞きます。
月光仮面のホンダドリーム号は、17万円くらいだったそうで、今の貨幣価値では、350万円~400万円くらい?
現在ホンダで最も高価なモデルは排気量1800ccの大型ツアラー・ゴールドウイング ツアー。346万5000円。
モーターリゼーションが普及していない昭和33年当時では、ホンダドリーム号は子供のみならず、当時の青年の心も捉えたでしょうね。
うーりゃーたー
やってたなぁ それとハリマオはとにかくカッコ良かった
サタンの足の爪・・・
以前月光仮面闇配信あった。
嬉しかったが
赤胴鈴之助の連載予告をしているのが福井英一先生なのに注目
福井先生は第一話を描いたあと急死されたのです
それで武内つなよしが続きを描いてうれたんですよね。
福井英一はイガグリくんでスポ根のルーツかもしれない、惜しい人でした。
🥹😥
まだテレビが普及してなかったです覚えているのは東京オリンピック以後です
わし、昭和38年生まれなので、昭和30年代の記憶は皆無。
そういや武田鉄矢が少年の頃、実写版鉄腕アトムについて「あんなマヌケなアトム、だっさ、がっかりした」って言ってたな。
ちょうど時代が古い😂もう少し新しいのを、お願いします❤
ジェットのヤツ少年ちゃうやん😂
うーやーたーっ!
川内さんと川端さんが一緒でな伊豆の踊り子を月光仮面の原作者が書いたってよガーガーガーガー😮😮😮😮😮😮😮❤
いつも不思議に思うのですが、
どうして、半世紀以上前の映像を
お持ちなのでしょうか。
忍者部隊月光 「拳銃は最後の武器」いや戦力知れてるやろ
@@ちゃマフェリシタル これははっきり言わないけど「自決用」という意味です
月光仮面の後ろに?居るは「谷幹一」?町の催し大会に審査員として その時が初めて生で
観た芸能人さんだったですね 自分も大会?に出 審査してもらえましたよ 懐かしいね
これらは皆わかるけど 自分は冷めたクソガキで アニメを観たのはウルトラマンが最後
7も半分ほどは観たけど それ以後全編みたアニメは無い 仮面ライダーも3/4話?くらいですね
観たのはね そうね皆懐かしいけど ウルトラマンが最後 何とも冷めたガキでしたね
近年では北斗の拳さえ 再々放送を留守録で観たくらい(めんどくさい)
うる星やつら」も「うるホシやつら」って何だ?くらい知らなかった こまわり君も
ブームが去ってから「これおもろいね」と言えば「今頃何言うとるだ?オマエ」ってね
やはり昭和45年くらいで自分の中では アニメの世界は終わっているのだね
七色仮面のオープニング あれは迫力あったよね 七色さんの登場 何度見ても
あれが最高ですね
月光仮面などは今から見ると、実に呑気で牧歌的に見えますが、作者の川内康範先生の、憎むな、殺すな、許しましょう、というコンセプトは素晴らしいし、先生がその後も生み出し続けた、レインボーマン、ダイヤモンドアイ、コンドールマン、はどれも大人も納得するテーマ性に貫かれて大好きです。川内康範作品に比べると、確かに面白いけど、ウルトラマンは怪獣虐待だし仮面ライダーは嘘っぽい活劇に見えちゃいます。それと実写版アトムは一生懸命に演じてる主人公の少年には悪いけど、究極にダサいですね。手塚先生が実写化に失望する訳です。
親はガキの敵だ 勉強しなさいと苦しめ ガキはテレビ漫画等に救いをだ
あーあくまだらねえ😮
主題歌にある様に子供
目線で月光仮面はおじさんだ
この時代のおじさんは
たくましい😊
太めのアトム😂
血湧き肉躍ります(´・ω・`)
昭和30年代のヒーローは銃刀砲違者や、無免許運転違反者だらけだったんですねぇ、ある意味悪と、悪の闘いですなぁ😂
この頃の漫画は、今ではお馴染みのこれはフィクションであり事実でなく架空の物語です。みたいな文言がなかった気がする。
@@りんご-d8z7c フィクションの説明ガ付き始めたのは、バロムワンの、ドルゲ事件がきっかけです、悪の親玉ドルゲと同じ名前の子供がいて、いじめられたのが原因で、番組に説明が付く様になだたんですけど蛇足でしたかねぇ?
@@とらねこ-z9y たしかドイツ人でしたっけ?
本人にしてみれば可哀想でしたね。😔
@@りんご-d8z7c ほんと、人間不信になっちやいますよねぇ
ぱあすうまん