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奇遇だなぁ、つい先日走ったばかり。昔に比べると随分走りやすくなったよね。地名も興味深いものがあり、今治市朝倉には『死人谷』という場所があります。
死人谷、さっそく調べさせて頂きました。参謀本部地図には記載がありませんでしたが、某所にて位置の詳細等確認できました。正確な由来は特定できないようですが、興味深いところです。実は県道17号北条玉川線と県道154号東予玉川線のもとになっている三芳北条線というのが、全体的にダメなよう今治・西条側に出ても暗い気持ちになって仕方がないんです。死人谷は県道155号今治丹原線に寄りなんですが、県道154号とも近いですし、このラインは何かあるのかもしれないですね。155号、154号あたりで是非触れてみたいと思います。貴重な情報ありがとうございました。
こんにちは〜昨日初めて通った道でした!まさか動画にしてくれてる方がいるなんて!感激です!バイクで走ったら楽しいですね♪
県内の県道、国道をひととおり走り、説明をつけていく予定でいますのでよろしくお願いいたします。一車線部分もありますが、バイクで走るのにはほどほどのコーナーリングがあって楽しいと思います。
この道は北条から今治までは最短です。
北条の市街地からだと確かに近いですね。越智西部広域農道(で愛、ふれ愛ロード)も近そうな気がしますが、どちらの方が近いんでしょう。ruclips.net/video/02thAcSvi40/видео.html
高縄山の登リ降りの道路が一番幽霊おりそう
個人的には高縄山のアクセス路より、この道の延長になる東予玉川線という道もあんまり気持ち良くないんですよね。途中にあるさやの峠はとても気持ち悪い。ここは道祖神を祀っていた所らしくて、玉川ダム近辺がもともといろいろあるような所じゃないかと思っています。それらしい文献は見つかりませんが、地名も他にないものがありますしね。
法皇トンネルは地面から老婆が出てきて足掴まれて、捕まれた人は精神崩壊して未だに精神科病院に入院中と聞かされました😨
この話は初めて聞きます。車と並走する老婆はどこのトンネルでも聞く話なんですが、法皇は地面から出てくるんですね。あの離合の難しいトンネルの地面から老婆が出てくるのは、かなり怖い光景です!
@@shin65 そうなんです、トンネル怪談でよくある、車をトンネルの真ん中で停めてクラクションを鳴らしたけど何も起きず、車から降りて3人で出口に向かって歩いていたら、1人が来てない事に気づいて戻ったら足首を掴まれて動けなくなっていて、2人で力づくで助けようとしたけどびくともせんかったと聞きました、普通なら足首より上の関節は動く筈なのに、完全に直立で棒の様な状態だったみたいです
追っかけてくるというのかなと思ったんですが、車を下りたところを捕まれたということですね。これは最悪の状況ですね。気が触れても全くおかしくないです。
@@shin65 そうなんです、本当に面白半分でやる事では無いと知らされましたね。
私も嫌いではないので、大晦日の深夜に原付で大谷池に行くとか、大抵の心霊スポットには行っていますけど、何もなかったのは幸いだったんでしょうね
この道35年位前に夜中に通ったら、ネコが道なりに1km以上も走っていました
ネコちゃんがですか? ネコは可愛いですけど、そのネコは怖いネコですね。説明文に凶太郎さんの体験を追加させていただきました。
ここが心霊動画でよく取り上げられる「死入り道峠」か、姥捨て山だった高縄山へと続く道だったという今は県によって笹ヶ峠という名称に変更されたが・・・なお翌年の22年2月末まで道路補強工事により一部通行止めになっている
そうなんです。ここがあの有名な死入道峠です。交通規制情報を確認すると、道路改良工事として、愛媛県今治市玉川町龍岡下地先において2021年09月07日~2022年03月25日、上下線全面通行止め・封鎖となっているようですね。情報ありがとうございました。説明欄に追加しておきます。
何にもないのであらかじめコンビニで何か買っていたらいいですよ。
お店がない区間になりますね。ついでにトイレにもいっておきたいです。
儀式 ですね
意味深な地名ですよね。旧儀式村で、古名を祇式というそうなんですが、由来とかは不明です。何かの儀式をするところだったんでしょうね。
儀式というバス停🚏もありますね。家族と別れて山へと入って行く老人と最後のお別れの儀式をした場所がそのまま地名として残りました。自分は市内の介護施設に勤めていますがこの地区出身のばあちゃんが入所されておられるんですがこのばあちゃんのばあちゃんの頃までは姨捨の風習が残っていたそうです。
貴重なお話ありがとうございます。そういった証言をされている地元の人がいらっしゃるんですね。おばあちゃんが80歳として、この方のおばあちゃん時代、80+30+30の140年くらい前までは風習があったのですね。ざっと1881年、明治14年。明治の初期までは残っていたのかもしれません。
奇遇だなぁ、つい先日走ったばかり。昔に比べると随分走りやすくなったよね。
地名も興味深いものがあり、今治市朝倉には『死人谷』という場所があります。
死人谷、さっそく調べさせて頂きました。参謀本部地図には記載がありませんでしたが、某所にて位置の詳細等確認できました。正確な由来は特定できないようですが、興味深いところです。
実は県道17号北条玉川線と県道154号東予玉川線のもとになっている三芳北条線というのが、全体的にダメなよう今治・西条側に出ても暗い気持ちになって仕方がないんです。死人谷は県道155号今治丹原線に寄りなんですが、県道154号とも近いですし、このラインは何かあるのかもしれないですね。
155号、154号あたりで是非触れてみたいと思います。貴重な情報ありがとうございました。
こんにちは〜
昨日初めて通った道でした!
まさか動画にしてくれてる方がいるなんて!
感激です!
バイクで走ったら楽しいですね♪
県内の県道、国道をひととおり走り、説明をつけていく予定でいますのでよろしくお願いいたします。一車線部分もありますが、バイクで走るのにはほどほどのコーナーリングがあって楽しいと思います。
この道は北条から今治までは最短です。
北条の市街地からだと確かに近いですね。
越智西部広域農道(で愛、ふれ愛ロード)も近そうな気がしますが、どちらの方が近いんでしょう。
ruclips.net/video/02thAcSvi40/видео.html
高縄山の登リ降りの道路が一番幽霊おりそう
個人的には高縄山のアクセス路より、この道の延長になる東予玉川線という道もあんまり気持ち良くないんですよね。途中にあるさやの峠はとても気持ち悪い。ここは道祖神を祀っていた所らしくて、玉川ダム近辺がもともといろいろあるような所じゃないかと思っています。それらしい文献は見つかりませんが、地名も他にないものがありますしね。
法皇トンネルは地面から老婆が出てきて足掴まれて、捕まれた人は精神崩壊して未だに精神科病院に入院中と聞かされました😨
この話は初めて聞きます。車と並走する老婆はどこのトンネルでも聞く話なんですが、法皇は地面から出てくるんですね。あの離合の難しいトンネルの地面から老婆が出てくるのは、かなり怖い光景です!
@@shin65
そうなんです、トンネル怪談でよくある、車をトンネルの真ん中で停めてクラクションを鳴らしたけど何も起きず、車から降りて3人で出口に向かって歩いていたら、1人が来てない事に気づいて戻ったら足首を掴まれて動けなくなっていて、2人で力づくで助けようとしたけどびくともせんかったと聞きました、普通なら足首より上の関節は動く筈なのに、完全に直立で棒の様な状態だったみたいです
追っかけてくるというのかなと思ったんですが、車を下りたところを捕まれたということですね。これは最悪の状況ですね。気が触れても全くおかしくないです。
@@shin65 そうなんです、本当に面白半分でやる事では無いと知らされましたね。
私も嫌いではないので、大晦日の深夜に原付で大谷池に行くとか、大抵の心霊スポットには行っていますけど、何もなかったのは幸いだったんでしょうね
この道35年位前に夜中に通ったら、ネコが道なりに1km以上も走っていました
ネコちゃんがですか? ネコは可愛いですけど、そのネコは怖いネコですね。説明文に凶太郎さんの体験を追加させていただきました。
ここが心霊動画でよく取り上げられる「死入り道峠」か、姥捨て山だった高縄山へと続く道だったという
今は県によって笹ヶ峠という名称に変更されたが・・・
なお翌年の22年2月末まで道路補強工事により一部通行止めになっている
そうなんです。ここがあの有名な死入道峠です。交通規制情報を確認すると、道路改良工事として、愛媛県今治市玉川町龍岡下地先において2021年09月07日~2022年03月25日、上下線全面通行止め・封鎖となっているようですね。情報ありがとうございました。説明欄に追加しておきます。
何にもないのであらかじめコンビニで何か買っていたらいいですよ。
お店がない区間になりますね。ついでにトイレにもいっておきたいです。
儀式 ですね
意味深な地名ですよね。旧儀式村で、古名を祇式というそうなんですが、由来とかは不明です。何かの儀式をするところだったんでしょうね。
儀式というバス停🚏もありますね。家族と別れて山へと入って行く老人と最後のお別れの儀式をした場所がそのまま地名として残りました。自分は市内の介護施設に勤めていますがこの地区出身のばあちゃんが入所されておられるんですがこのばあちゃんのばあちゃんの頃までは姨捨の風習が残っていたそうです。
貴重なお話ありがとうございます。そういった証言をされている地元の人がいらっしゃるんですね。おばあちゃんが80歳として、この方のおばあちゃん時代、80+30+30の140年くらい前までは風習があったのですね。ざっと1881年、明治14年。明治の初期までは残っていたのかもしれません。