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スン シニア (Sen Sr.)
Япония
Добавлен 23 сен 2021
越乃Su*Kura完
新潟県上越妙高と十日町を走る、のって楽しい列車・越乃ShuKuraに乗って来ました。今日は十日町から直江津まで乗車します。
十日町に来たので、魚沼地方を代表する食のひとつ「へぎそば」を味わってみるのも楽しみの一つです。
越乃Shu*Kuraは日本酒をコンセプトにした観光列車です。
今日の蔵元イベントさんは長岡の柏露酒造ようです。緑色のシャツやエプロンに白文字で柏露と大きく描かれています。客も柏露関係者も2号車に詰めかけ、居酒屋状態です。1号車は新潟の「酒と食」の食事付きです。窓が大きいので外からもよく見えます。
十日町に来たので、魚沼地方を代表する食のひとつ「へぎそば」を味わってみるのも楽しみの一つです。
越乃Shu*Kuraは日本酒をコンセプトにした観光列車です。
今日の蔵元イベントさんは長岡の柏露酒造ようです。緑色のシャツやエプロンに白文字で柏露と大きく描かれています。客も柏露関係者も2号車に詰めかけ、居酒屋状態です。1号車は新潟の「酒と食」の食事付きです。窓が大きいので外からもよく見えます。
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日中線 おわかれSL・磐越西線 今と昔
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今回は日中線と磐越西線を、一緒にアップします。 福島県喜多方駅です。かつて、喜多方から熱塩まで11.6Kmを結ぶ日中線が延びていました。朝一往復、夕方一往復、夜一往復で、一日三往復のみで日中には走っていな、超、ローカル線でした。ローカル線であっても、会津加納駅では貨物取扱いが有り、貨車を連結し混合列車として、C11蒸気機関が頑張っていました。 磐越西線は福島県郡山駅と新潟県新津駅175.6Kmを結んでいる、JR東日本の路線です。1968年当時は、まだ会津若松と新津間は無煙化さておらず、客車も貨物も蒸気機関車が牽引していました。 観光列車SLばんえつ物語C57180でいまもその面影は残っています。以前、磐越西線に来たことがあるので振返って見ます
羽越本線 今と昔
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羽越本線は秋田県秋田駅と新潟県新津駅271.7Kを結び日本海側を走る路線です。今も昔も貨物列車のほうが多いくらいで、長編成の貨物列車が走っている重要路線です。50数年前まではD51・C57蒸気機関車が活躍していました。今回訪れた時は記憶も薄れているせいか、思い出せない場所も多くありましたが、海岸沿いを走る美しい風景は今も健在でした。観光列車海里から眺める夕日は絶景です。
只見線C11蒸気機関が活躍していた頃
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上越本線小出駅に来ています。小出からは小出~会津若松を結ぶ只見線が走っています。 今は一本の線で結ばれていますが、かつては新潟県側の小出~大白川間が只見線、国境を越えた福島県側の只見~会津福島間が会津線と呼ばれ、新潟県側は長岡運転所 小出駐伯所のC11、福島県側は会津若松運転区のC11が運用されていました。そのC11蒸気機関車が頑張っていた頃を振返って見ます。 只見線、会津線、会津若運転区、えちごトキめき「雪月花」
呉線 大型蒸気機関車C59・C62・D51の最後の活躍
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瀬戸内海沿いを走る呉線。特に東側は風光明媚な場所が多く、観光客が絶えない場所です。 かつて呉線を受け持つ糸崎機関区は大型蒸気機関車C59、C62、D51が配属され、全国で無煙化が急速に進むなか、最後の活躍の場として頑張っていました。1967年10月の完全電化で平機関区所属のC62 23、C62 37、C62 46、C62 47、C62 48の5両が移動してきて、糸崎機関区廃車対象C62が置き換わりました。 私が訪問した1969年初頭C62蒸気機関車はC62 15、C62 16、C62 17、C62 23、C62 37、C62 41、C62 46、C62 48の8台になっていました。
日中線跡地を辿る
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日中線・熱塩間ー喜多方廃線跡を辿った記録です。 今年は2024年、今はどうなっているのか40年前に廃線(1984年4月1日)となった日中線跡をたどってみます。NPO法人日中線しだれ桜プロジェクトにより、熱塩駅まで全線跡地に枝垂桜植林が進められているので、枝垂桜を目あすにしてたどれるので容易でした。会津加納付近までは会津平が広がり、遠くを見れば四方が山に囲まれているので、盆地と分かるが、目の前に広がった平地は広いです。廃線跡は道路などに変わっているところも多いですが、こんなローカルなところに日中線があったのです。
快速 あいずSATONO
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ディーゼルハイブリットHB-E300系気動車「リゾートあすなろ」が、新たな観光列車「あいずSATONO」として生まれ変わりました。 1号車は青を基調とし、2号車は緑を基調としたデザインの2両編成で、「リゾートあすなろ」がリニューアルされた車両です。内装、外装共にピカピカ、窓が大きく、席もゆったり、乗務員関係者も親切で気持ちの良い列車です。会津の郷を走る新しい観光列車、喜多方の枝垂桜開会に合わせれ出かけました。 でも、私の開花時期予想が見事に外れてに合わず当日は葉桜になっていまし。直近の予想では人気のある列車ですので、1ヶ月前の発売時にはあっという間、SATONOの席は埋まってしまい、切符を買いなおすことは不可能です。葉ばかりの枝垂桜はほんの少しだけど咲いており、それはそれで良かったとではと、納得します。家族連れが多く、会津若松駅、喜多方駅で皆さん目的に向かって散っていきました。
呉線観光列車 etSETO・エトセトラ に乗車しました
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呉線 観光列車 etSETOra・エトセトラ "美しい瀬戸内海の多島美を眺めながら走るetSETOra、ビュースポットでは速度を落として走ります。 忠海~安芸幸崎の海岸縁では列車は一旦止まり、瀬戸内を眺望します。列車下がすぐ海なので、窓を通して見ると海の上を走っているみたいです。 以上、宣伝文句みたいになりましたが、沿線には観光地も点在し、一度は乗ってみたい列車です。車内でお弁当は販売していないので、食事をしたい方は広島駅で前もって買っておく必要があります。 全車指定席です。と、言っても、2両編成で40席しかないです。しかもそのうちの1両は基本的にツーリスト客優先ですので、直接JR西日本で変えるのは20席しかないので、予約の取りにくい切符です。
室蘭本線 栗丘・沼ノ端・礼文 etc 。追分機関区の9600蒸気機関車は全国で最後まで残りました
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室蘭本線は長万部と岩見沢を結ぶ路線です。運転系統は長万部-苫小牧は千歳線を介して函館方面から札幌首都圏を結ぶ大幹線とし、苫小牧-岩見沢間は石炭を室蘭港に運ぶ重要な幹線でした。 当時は石狩炭田地方の産出量はとうにピークを超えていましたが、まだまだ沢山の石炭列車が室蘭港へ向けて走っていました。 石炭列車は滝川機関区・岩見沢第一機関区・追分機関区・鷲別機関区のD51蒸気機関車が活躍していた時代です。
千歳線
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千歳線は札幌(苗穂、のちに白石での接続に変更される)~苫小牧(沼ノ端)を結ぶ路線です。 かつて千歳線は、いちローカル線にローカル線に過ぎなかったが、いまでは札幌都市圏として、白石ー苫小牧が38,410人(2023年6月:JR北海道資料)でJR北海道輸送密度一番になっている。道内で一番変貌を遂げた路線です。北海道の玄関口新千歳空港で降り立つとほとんどの人が利用する路線です。 訪問したころの千歳線はC57・C58・D51蒸気機関車が単独あるいは重連組み合わせで運用されており、変化に富んだ路線でした。
幌内線
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蒸気機関が現役の頃と今を追いかけている、鉄道系動画です。今回は幌内線です。 道内最初の鉄道です。手宮 - 札幌間に鉄道が敷かれ、その2年後札幌~幌内間が完成し幌内鉄道が開業しました。これが後の幌内線です。 私が訪問した1974年当時、奔別炭鉱は閉山していたが幌内炭鉱は残っていたので9600やD51蒸気機関車が頑張っていました。
宗谷本線塩狩峠・名寄本線天北峠
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蒸気機関車を主に取り上げているページです。年配の方は昔を思い出し、若年の方は過去の鉄道を垣間見て頂ければありがたいです。 宗谷本線は旭川と稚内を結ぶ全長259Kmの最北の路線です。本線とは名ばかりで普通列車で全線を走破しようとすれば、今は下り2本、上り3本しかないし、貨物列車はありません。典型的な過疎線です。かつて昼間帯にC55が牽引する列車が上り・下り各1本があり大変人気を博していました。 旭川発10時38分発稚内着18時57分着321ㇾは全行程259Kmを約8時間20分かけて走破し、蒸気蒸気機関車の旅を満喫できました。
函館本線函館 小樽
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函館本線函館~小樽間で蒸気機関車追い求めた頃の追憶です。小樽から旭川までは電化されていましたが、函館~小樽間は非電化ですので ディーゼル化になるまで蒸気機関車が活躍していました。特に御殿場線のD52、呉線のC62がなくなり函館本線で最後の活躍場でした。 山線と言われる長万部~小樽間は急勾配が続き、C62重連急行ニセコが黒煙を上げて走る姿を求め大勢の鉄道ファンが押しかけていました。
函館本線C62蒸気機関車
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1971年9月15日で急行ニセコのC62最終牽引となりました。呉線電化でC62牽引急行安芸がなくなり最後に残ったC62活躍場所が急行ニセコ函館本線小樽~函館間でした。 特に山線の小樽~倶知安はC62蒸気機関車が重連で驀進するする姿を見ようと、大勢の鉄道ファンが集まっていました。 C62小樽築港機関区配置は1968年末に2・3・32・44号機でしたが、1971年初頭糸崎機関区から15・16号機が入ってきて、32・44が廃車となりました。
二俣線C58蒸気機関車
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天竜浜名湖線は天浜線と呼ばれ、東海道線を迂回するように浜名湖の北側を走る第三セクター線です。 天竜浜名湖線は国有鉄道時代の二俣線であり、C58蒸気機関車が活躍していました。 田園、茶畑、ミカン畑、桜並木、トンネルのように覆われた樹木など、季節ごとの様々な風景が展開します。また、国の登録有形文化財である国鉄時代の駅本屋が10ヶ所も残されています。 1日フリーパスきっぷを購入すると沿線グルメガイドなる小雑誌をもらえるので、沿線グルメを堪能するにはもってこいです。
筑豊本線・若松―原田の今と昔 D50・D60蒸気機関車は無煙化最後まで頑張りました
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筑豊本線・若松―原田の今と昔 D50・D60蒸気機関車は無煙化最後まで頑張りました
石北本線 遠軽駅の朝7時台(玉ねぎ列車)とD51が活躍したころの常紋信号場
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石北本線 遠軽駅の朝7時台(玉ねぎ列車)とD51が活躍したころの常紋信号場
花咲線、別寒辺牛湿原を走るラッピングトレインキハ54を見に、新千歳空港から根室駅へ
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花咲線、別寒辺牛湿原を走るラッピングトレインキハ54を見に、新千歳空港から根室駅へ
貴重な資料をありがとうございます。
D51197 当時沿線から眺めてても目立つカマでした。門デフと注釈ありますが長工デフ(長野工場デフ)と呼んでた記憶があります。
@@だっしぇ ご指摘ありがとうございます。 下部切り取り式デフは小倉工場(小工;門鉄式)、鹿児島工場(鹿工式)、長野工場(長工式)、後藤工場(後藤式)などがあったのですね。 いまさらながら調べてみると 下部切り取り式デフは正確には門デフの総称ではないです。 @ダッシェさんのご指摘で勉強させて貰いました。 これからも宜しくお願いします。 追:RUclipsは一度アップすると、削除以外、修正はできませんので、このまま行きます。
ご存じでしたら教えて下さい。今、梅小路機関庫で全検しているC57 1号機の山口線復帰はいつぐらいになるのかお分かりでしょうか?
C12の走っている姿も、見たかったですね。
日中走らぬ日中線と言われ喜多方駅日中線ホームにはいつもオハフ61が留置されてましたね。S45以前はC12でした。熱塩にはターンテーブルがありましたが使用されていませんでした。
昭和23年生まれですから、大変懐かしく拝見しました。小学生のスケッチ大会は機関区でした。
昔の直方機関区は懐かしいです。私も1971年頃から構内で写真を撮ってましたが、もうその時期はほとんどの蒸気(D60数両、C11等)が廃車になって構内の角に列べてありました。生き残っていたのがC11 329やD60数両、9600形が数両です。ちなみに原田駅にはターンテーブルはあったのでしょうか?
記憶をたどる、全てが懐かしいです。筑前山家には転車台は無かったです。ホーム原田方面に支線があって、貨車が留置されていた記憶があります。転車台は原田駅筑豊本線ホーム先端川にありました。丁度中学2年生の時、母に連れらC55牽引列車に乗り、蒸気機関がたくさんいるのが珍しく、列車から見ていたら転車台台が目に入りました。列車やホームから、当時買って貰ったハーフサイズのカメラで撮ったのですが、全てボケボケの写真で何となく形だけは分かります。当時、ホームでの駅弁の売り子さんなども写っており、今では考えられないことです。
@@sen-sr. 原田駅に転車台があったのですね。貴重な情報ありがとうございます。国土地理院の昔の航空写真を見ても写ってないので疑問に思ってました。それで筑豊本線の原田駅からの上り(直方行き貨物や客車)は蒸気がバック運転でなかったのですね。
田川伊田駅洒落た姿してますねー
交流直流セクは越後早川です。
滑舌、、
久々アップですね、お疲れです。 登録者1,000人まであと少し!
いつもご視聴ありがとうございます。 そろそろネタがなくなってきた😅 ところで今も蔵前で頑張っているの?
@@sen-sr. 秘密的(^^)
@@takahironagayama6355 なるほど、頑張れ
@@sen-sr. 登録者1,000人おめでとうございます㊗️🎊
@@takahironagayama6355 ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
村上〜鶴岡の海に近い区間は、1972年の電化後もさらに新トンネル開通によりあちこちでルートが変わりましたね。 国鉄はなんとも無駄なおカネの掛け方してまぁ…。 特急白鳥や青森便のいなほなどを幾度も乗りましたが、やはり冬場の日本海風景がいつまでも忘れられません。
酒田機関区は確かに大きかったですね。羽越本線の周辺路線米坂線などは思い出がありますが羽越本線自体は何故か印象が薄いです。鉄道雑誌にもあまり取り上げられていませんでした。今思えば素晴らしい路線です。
いつもご視聴ありがとうございます。 私の記憶では平坦が多く、最大勾配は10%位しかなく、煙が期待できなかったかので、魅力の無かった原因の一つではと、思っています。
無残にも解体された与野号に捧ぐ。
2024年07月19日14:10に福北ゆたか線(筑豊本線)で今、SL人吉に使用した客車三両が熊本方面へ下りました。 本務機は熊本のDE10+客車三両+後部補機も熊本DE10でした。客車にはSL人吉のマーキングがそのまま入ってました😊
関東エリアから近くS49まで蒸気が見れた唯一の路線だったので会津/日中線はよく行きました。会津若松にはC58も居ましたね。日中線はS44まではC12でした。
そうですね、1974年10月30日(S49)をもって無煙化されたので、最後まで頑張りました。数台のC11は標津線りましたが、そこも1975年3月末で無煙化となったので、蒸気機関車はほぼ終焉になりました。自分でも振り返ればほんと懐かしく思います。
昔、只見線のC11は有名で撮影スポットも多くて人気がありましたね! 蒸気機関車の雑誌を見てると良く掲載されてました。 私が写真を撮っていた時は遠くまで行けなあので地場の筑豊本線、田川線、宮田線、室木線、日豊本線(宮崎駅より)と限られていました。 あとは機関区で撮った形式写真ばかりで直方機関区、若松機関区、後藤寺機関区、鹿児島機関区、山口県の小郡機関区、長門機関区ぐらいです。
昔はC56と言えば蒸気ファンの中でも小海線が有名でしたね! そのころ、日本のSL運行時刻表と言う本をいつも片手に持ってました。 私も写真撮りに行きたかったですけど当時、高校生だったので福岡からでは遠くて行けませんでした。 今の蒸気とは違って昔の蒸気はすす汚れでたくましかったですね。今の蒸気はきれい過ぎて重みがなく感じます。 先日、倉庫を掃除してましたら昔、和紙を使って採取したナンバープレートの拓本が出てきました😊C11 329、D51数枚、D60多数、C62 1号機、8620形数枚、9600形多数です。これは当時機関士の方に許可をとり蒸気機関車の全面に上り機関車のすすを利用して和紙にナンバープレートと製造工場、年代を写し採った物です。その和紙の裏側に採取した年月場所が書いてありました。実際、その和紙を手に取ってみるとナンバープレートはけっこう大きな物だったと実感しました。懐かしいです😊
@green_lineさん 私も当時は高校生でした。ほんと、昔をたどると思い出が尽きないです。確かに蒸気機関車は真黒に汚れていましたよね。小梅線は夜行日帰りができたので、大勢のファンが集まっていました。現在小梅線沿線には5台ものC 56が静態保存されていますので、沿線の住民にも愛されていたのですね。九州では鹿児島、宮崎、吉松に配置されていましたよね。少し写真もありますので機会があったらアップしていきます。
@@sen-sr. 小海線C56をお待ちしてます。宜しくお願い致します。
おお!C62-48号機。東海道から常磐線。 そして銀河鉄道株式会社999号(笑)
懐かしい駅ばかりです、その内の「筑前山家」、S18年の暮れ佐世保から父が戦地(ラバウル)に赴く事になり急遽、実家に疎開(豊前川崎)でした。 母方の実家も佐世保から熊本・川尻に疎開、S19年(当時10歳)祖母に会う為、川尻行きを決めました、が切符(本線経由)は何処の駅も購入は難しかったですね。 豊前川崎から後藤寺〜新飯塚〜筑前山家で下車、此処から筑紫駅(西鉄電車)まで歩き〜大牟田でした、熊本までは貨物車(無蓋車)によじ登り寒さとの戦いでしたね、深夜の熊本駅前で浮浪者の焚き火に加わり夜明けを待ち、郊外電車?の線路を歩き「川尻横丁まで」ました。 線路は道案内でしたからね、祖母に会い、ばたんきゅうで、祖母の着物が治療代やブドウ糖注射代になり忘れられない出来事でした。
豊前川崎から川尻までの移動は、当時の状況からだと一言では言い表わせないほど苦労をしたのですね。私には戦後生まれなので線路を歩いたり無蓋車に乗ったりの移動は、写真でしか見たことがないので、貴重な話をありがとうございます。 私の母が他の祖母が後藤寺の隣の舟尾の石鉱山住宅の長屋に住んでいましたので、子供の頃行ったことがあります。今長屋がどうなっているか、今回RUclipsをアップするために舟尾駅を訪れたにですが、鉱山はあったのに広い地域にあった長屋は全てなくなっていました。
呉線、本当に憧れでした!!活躍を見たかったです。
広島出身の私としては懐かしくありがたいです。次は宇品線をお願いしたいです。
国鉄うなじ線ですか。路線はあるが既に1968年の時刻表には載っていません。1965年12月で一般旅客営業は廃止になっています。私には宇品線はないです😊KingKingさんに写真があるならお宝ですね。
八ヶ岳登る時に深夜の普通で小淵沢を降りて向かっていったな 帰りは徒歩で茅野駅からあずさだったけど。
グリーン券を持ってないとグリーン車は立ち入り出来ません
鋭いツッコミ、その通りです。でも、お弁当はグリーン車車内受け取り場所で受け取りです。発車前の新車両の紹介の意味あいもあり、温情をかけて貰っています。
久しぶりに見ました😢
ありがとうございます、他もいっぱいあるから見てね😊
懐かしい映像ありがとうございます。昭和49年7月 中学3年生の時に朝1番(と言っても唯一の午前便)で往復してきました。その時の牽引機が C1163 でした。朝便の牽引機はそのまま 喜多方〜会津若松の列車の牽引機となって 会津若松まで戻っていました。いつか訪ねてみたいと思っています。
ご視聴ありがとうございます。昭和49年10月31日をもって無縁化となったので、ギリギリで間に合ったのですね。日中線さよなら列車もまとめ中ですので、その時はまた宜しくお願いします。
初めまして…❗。😊😉 動画の6分8秒位に紹介している… 特急ですが、キハ80系では無くて… 画像の車輌はキハ181系で、500馬力のターボエンジンを搭載した… 岡山 〜 倉敷を経由して伯備線を全線走り出雲市や、益田までの区間を… 昭和47年から昭和57年に電化され 引退した、特急やくも!!。 では無いですか…❓。😊😅 余談ですが、電化してデビューした… 381系のやくも❗も、41年走り… 今年… 令和6年6月15日❗。 国鉄特急色に復活して、やくも1号で…さよなら運転します❗。🥹🥹😭
スンシニアさんは北海道にお住まいですか?雪の中での撮影は特に大変ですけど良く写真が撮れてますね!白と黒の映えが素敵です。
昔々小海線で臼田(その頃は三反田って名前だった気がしますが)に降りた事があります。懐かしい画像ありがとうございます😊
三反田駅を知っているとは、小海線に詳しい方ですね。ローカル線の駅としては立派な駅です。小諸に向かう時降りたことはないが交換駅だったので、その時のホームにから見た記憶がかすかにあります。そのときは駅名は臼田駅でした😊
小海線、小淵沢―清里―野辺山間、乗ったことあるでござる、清里の高原と野辺山の滝沢牧場も、行ったでござる、牛や、ヤギ🐐や、馬🐴も、いってたでござる😊
小海線は四季変化に富んで美しいですね。牧場もあるんですか、すごいすごい。
この動画に登場するC12 263は一時期四国でも使われていました。現在の予土線である宇和島線が軽便鉄道から改軌された当初の主力機としても使われていました。宇和島線の無煙化を見届けたカマということもあって愛媛県民として少し親近感のわく機関車です。
四国でも使われていたのですか。四国は早く無縁化されていたので、四国の蒸気機関車は知らない人が多いですよね。私もその一人です。貴重な情報ありがとうございます。
@@sen-sr. いえいえ、私もC12を調べていてこの動画に出会い、見覚えのある263号機に出会いました。車歴を調べたら改軌から無煙化までを見守ったカマだとは思いませんでした...なんせ四国は1970年までに無煙化が完了していましたからね...。
岩一は96/D51/C57とメチャ蒸気がいた印象です。木造と煉瓦の三線方形庫を思い出しました。
列車の窓を通してしか見たことがなかったけど、確かに岩一は大きかったですね。今も跡地はその面影が残っています。それと操車場も大変大きく、9600が走り回っていた記憶があります。
石炭保存館から見た直方駅は壮大でした。昭和45年に横浜から引っ越し 天草51号で 新大阪~直方 😅 それから5年後にかもめで修学旅行で京都まで この時期までが一番の思い出です。懐かしい動画を見えて ありがとうございました。昨年、30年ぶり直方駅から折尾経由で東京迄帰りましたが 西鉄のバスターミナルも無いし 商店街も閑散で寂れた駅で 寂しく思えましま。😢
直方機関区は本当に壮大でしたね。1970年頃までは蒸気機関車の華やか時代でした。特にD60は全国で最後まで残り、活躍していた姿を思い出します。その地区に住んでいたとは、何と素晴らしい事です。当時、筑豊訪問に合わせて、五木寛之の青春の門「筑豊篇」は、筑何度も読んだ思い出があります。
冒頭の「今は廃止された駅構内の踏切」ですが、名前は何と”天使踏切”でした。由来は、近くに修道院系の児童福祉施設があり、その名称が『天使の園』であるためです。踏切に代わって歩道橋が敷設され、今に続いています。
貴重な情報ありがとうございます。「天使の踏切」とは知りませんでした。確かに歩道橋になっていますね。動画のエアポート号のすれ違いはその歩道橋から撮っています。
癖があって聞きにくいので、合成音声にしてください。
ハイ、自分で他の人と比べるとおかしいなと思うことも有りますので、気おつけます。ありがとうございました♪
動画投稿ありがとうございます。C5757は東京世田谷区の大蔵公園で静態保存されています。 幼少期に室蘭本線で岩見沢から室蘭までこのC5757に一度だけ乗車しました。とても懐かしいです。
貴重な情報有難うございます。昔乗った蒸気機関車が今も見れることは、嬉しいですね。
北広島駅からエスコンに行く時に旧線の歩道をよく通ります。 西の里信号場のあたりは未だに森が多いですね。
ほんとうに、野幌原始林東端にあたる西の原信号場付近は森が深いですね。エスコンの町が開発され、更に北の上野幌方面が町になって行くのでしょうか?北広島市の発展はすごいですね。
電化される前の千歳線に蒸機が走っていた頃の貴重な映像っすな 上に架線がないとスッキリして牽引機関車の姿が際立ちますね
はい、架線の無い風景の蒸気機関車は美しいと思いまだ。
北広島、大好きです、蒸気釜輸送、貨物大変良かったですありがとうございます。、上野幌、北広島、恵庭、沼の端も随分変わりましたね、私も北斗星が走り始めた頃から知っています
北斗星ですか、長編成で美しかったでしょうね。本当に千歳線は変わりました。道内一番の成長路線ですよね。
画像がきれいすぎて合成に見える
ありがとうございます
千歳線上り線と室蘭本線が立体交差する所に蒸気撮影者が多く居た事を覚えています。
両線から沢山の蒸気機関車が来ますので、人気のあった場所ですね。千歳線上り線は土手をかけ上がって、室蘭本線の上を超え、沼ノ端駅に向かいますので、何もない一面の泥湿地を見渡せる雄大な風景に北海道らしを貰ったことを思い出します。
これ、千歳線の新線切り替え直後なんですね。旧線跡は今はサイクリングロードになっていて、一部は北広島駅からエスコンフィールドへの徒歩ルートになっています。
そうですね、旧線の時代には間に合いませんでした。ハイ、整備されたサイクリングロードがありました。ロード中央に続く街灯の下にはエスコンフィールドの三角旗が連なっていました。
来月飲み行きましょう! 連絡しますね。
3月前半はいませんので、後半にしてくれればOKです。
いつも楽しみにしております。今回は幌内線ですか。無煙化が遅くS50年末まで蒸気が走り末期は写真の通り団結号が来るとがっかりしました。見た事ないのですがS47頃までスハニ62の蒸気混合列車が運用されてました。
いつもご視聴ありがとうございます。しかし、初めてから2年、ネタが切れてきました😅当時客車も4往復ほど走っていたのは知っていたのですが、時間帯が合わなく、客車牽引に写真が無くて残念です。
2:16 宗谷本線の敵役C57も撮影なさっていたのですね この機関車はあまり活躍の場を与えられずに取り替えられた不遇の運命だと聞きましたが映像が残っていて嬉しかったです もう今はキハ40すらも見かけなくなった事に時代の移り変わりを見せていただきました
そうですね、C 55 50は無煙化最後まで残っていましたよね。C57 87は、はなちゃんと呼ばれ人気ありました。でも宗谷本線はC55ですので、C57が来ると皆さんがっかりしていました。
塩狩峠で本務機C55のサポートしてたのがロータリーヘッドはずしたDD53やったけど あのカマは北海道ではほとんど除雪せんと補機運用ばっかりやったのが長年の疑問やわ 北海道の雪質が合わんかったんやろか? すでに利尻の担当がDD51になってたのに普通列車はずっとC55っちゅうのも不思議やな 労働組合が頑強に抵抗したんやろか?利尻は14系化後ですらも塩狩じゃ補機連結してたのに 普通列車はDD51化で補機がなくなったから余計に疑問やわ
そうですね、DD531が補機で使われていることも現地で初めて知った次第です。でものちに、結局新潟に戻されましたよね。
山陽本線のC62 1とか8ミリムービー映像などあるとはすごいですね。 私は東京在住です。当時は北海道ワイド周遊券とか九州ワイド周遊券があり、急行は乗れたのでそれを使っていました。まだ急行が全盛期でしたので重宝しました。佐世保線の早岐-佐世保間は方向が変わるので、その区間はブルートレインさくらにC11 がさくらのヘッドマークをつけて走っていた姿や鹿児島機関区のB20 10なども撮影した 記憶があるのですが、ネガがどこに消えたのか不明です。 出て来たらRUclipsに載せますので、その時は宜しくお願いします。 9:22
鹿児島のB20も撮ってるんですか?私とご年代がほぼ同じようですね・・ 撮り鉄と採り鉄(ナンバープレート拓本採り)を両方やってたものですから大変でした。特に拓本は機関車フロントに上らないと採れないのでその都度、機関士の方に許可をとってました。1つの機関車に一枚が限度です。多分50枚ぐらい拓本があると思うのですが・・ 拓本にはご興味ございますか?
私も同年代と思っていました。拓本も趣味とは珍しいですね、今まで拓本が趣味の鉄道ファンは1人だけ会った事があります。新潟県の新津機関区でです。最初何をしているのか不思議に思ったくらいです。もしかしたらその人がグリーンラインさんですか?まさか場所が違いますね。すみませんが拓本には興味ありません。
@@sen-sr. 私が拓本採ったのは福岡県、山口県までです。機関車のフロントに上がって機関車のすすを使い採るのは大変でした。機関車の写真を撮り、拓本を採取してました。山間部では300ミリ望遠カメラとズーム式8ミリカメラの両方で撮ってました。拓本はなかなか機関車のフロントには上がれなかったので記念に採ってました。山陽本線 山口県小郡機関区で採ったC62 1号機もあります。昔、撮ったネガや8ミリフィルムを探してみたいと思います。
C55利尻は間に合いませんでしたが321レは乗車する事が出来ました。湧網線96とワムフ100良い写真ですね。地元の利用者はワムフ100に乗車できた様です。乗車してみたかったです。
ワムフ100に乗れたら最高ですね!
スン シニアさんは北海道にお住まいですか?私は福岡です。 積雪の中のSLはすごく映えますね! 私も昔はSLを撮りまくってました。遠方にはなかなか出れなかったので九州管内だけの写真でC55型多数、C57型多数、C11型多数、C12型多数、D51型多数、D60型多数、D50型は何両か、9600型多数、8620型何両か、C61 20(日豊本線 佐土原駅で客車牽引停車中のホームにて)、C62 1(山口県 山陽本線 小郡機関区にて)、B20 10(鹿児島機関区 構内にて)入れ換え作業中など撮ってましたが今ではネガがどこにあるか・・😅当時は8ミリムービーでも撮ってました。懐かしいですね!
見ました。やすお😂
ありがとうございます