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snisi Nishijima
Добавлен 3 ноя 2011
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酒場で奏でる愉快なバイオリンの日
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2019.02.10 高崎のA's DINING に、かなでさんをお迎えして行われた初めてのライブ「酒場で奏でる愉快なバイオリンの日」の様子!
かえり道170617
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2017.6.17 みんなのうた高崎で行われた「楽団白ばら」のライブで15曲歌った後、リクエストに応えて歌ったJIRON UNITEDのGt.清水明夫が作曲した切ないバラード。
白ばらライブin宗泉寺
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2017年5月28日に群馬県安中市のお寺「宗泉寺」で行われた「野外お寺ライブin宗泉寺」に参加した「楽団白ばら」のライブの様子です。 毎年行われる楽しいイベントです!
かえり道
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2017年1月3日 LIVE BAR みんなのうた の3周年記念日に同日誕生日の西嶋ゆかりが弾き語り。 この「かえり道」はJIRON UNITEDのGt.清水明夫が作曲した切ないバラードです。
新線ができる前のアプト式の映像見てみたいな。どこからどこまで複線でどこから単線になるか気になる。
音楽は何ですか?
アプト式が第三軌条では無く架線式を使ったなら、アプト式は第三軌条と比べて現実で長く使われたかな?
ED42の動画を見た時パンタグラフを下ろしてどうやって上り下りしていたのかと思っていたのですが 旧線は第三軌条方式だったんですね 横川機関区の出入庫時と横川駅の入換時はパンタグラフを上げて客車に連結したらパンタグラフを下ろしていたことをこの動画を見て初めて知りました しかも客車列車や貨物列車は軽井沢寄りに1両・横川寄りには3両も連結して合計4両で峠を上り下りし さらに高崎~横川間と軽井沢から先は蒸気機関車がけん引していたとは驚きです 貴重な映像をありがとうございました
ただただ素晴らしい映像です。スゴイ貴重な映像です。先人の苦労を感じる映像です。
8年前了
サウンド・トラックのサーというノイズが懐かしいですね。 また16mmの映像はやっぱり綺麗です。この頃の個人による撮影は8mmの18コマが主流ですから、非常に値打ちのあるえいぞうですね。 テレシネの垂直同期のズレが少し残念と言うか、懐かしいと言うか。 横川のアプト式の映像も貴重ですが、銀塩写真を学んだ者としても非常に懐かしいですね。
貴重な映像に感謝します、私も過去に行けたらまっ先に体験したいのがコレです。
17:21 しれっと物凄いのが繋がってるのに注目。 タンク車2両目は恐らくタキ50000(ガソリン・荷重50㌧)か同系のタキ55000(石油類・荷重50㌧)。三軸台車TR78を履いていた。
18:16 当時の特急「白鳥」は上野を出発して碓氷峠を経由して直江津で大阪発と連結して青森へ行っていたんですね。
違いますよ。 当時の気動車特急「白鳥」号は、 大阪〜直江津間が、 大阪〜青森間+大阪〜上野間 と言う編成で走り、直江津駅で分割・併合が行われていました。
10:11 この489系は白山の仕業を終えた後はあさま36号となるそうです。
0:30 今のロクサンは13+21号機で、あさま4号を従えています。 3:23 次に来たのは10+15号機で、担当はあさま6号です。この列車が横川に着く頃にはあさま3号が茶ガマの25+24号機を連結していました。
ドリフのなにはなくとも全員集合の世界なんだなぁと思った
草軽電鉄 今までに見たいくつかの映像とは異なるすごい影像ですね。 冒頭は草津温泉湯畑でしょうか。 かぶとむし電気、デキ10だったか愛称由来のパンタグラフ小さな車体から精一杯伸ばして集電する様。短躯ながら先輪が確認でき、上には朝顔形連結器が。 客車との連結状態もはっきりと見えます。 すごいのは車掌が廻しているハンドル! 停置、あるいは非常用ブレーキとしてではなく運行中に車掌が操作し、客車側で減速ブレーキを掛けている様で初めて見た驚きのシーンです。 バスとの並走や産物の運搬も担っていたこともうかがえます。 車窓からのシーンで、斜面下に並行する2線の軌道も鉄路がつづら折れ状であったことが連想されました。 なんか感動でした。
草軽電鉄を偲ぶ話まじ草枯れる()
麻雀プロの西嶋さんですね!
今やったら受けるでえ!
懐かしくて貴重な撮影、ありがとうございました。 私はすでに50代の半分を過ぎてしまいましたが、 せめて、アプト式の電車に乗りたかったです。 (大井川鉄道にあると聞いたので、時間とお金があれば行きたいですね) 碓氷峠の坂(66㍊)は新幹線でも登りきれないみたいだから、 専用機関車に連結してみるのもありかな? (時速200kmで以上で降り登るのは圧巻でしょうね。安全とはいえないが・・・) 叶えるわけないけど、やって欲しいと思うのは、私の勝手な妄想ですね?
Hello, Does anyone know the title for the song playing at 1:46? Thanks!
先程途中になってしまい申し訳ありません。 鉄道は無くても、先人の方々がこの急勾配に列車を走らせようとした尽力、ご苦労を訪れたメガネ橋の下で感じ取ることができた様な気がしました。 映像ではアプトを走る走行音が聴けて感動です!貴重な動画ですね。
夏に軽井沢、碓氷峠、横川行ってきました。勿論、もう鉄道はありませんが、
うーーん 、BGM いらない。
アプト区間のメカニカル音は一定のリズムを奏でていて非常に独特です。一度聴いたら忘れません。 一方、最後に出てくるデゴイチのドラフト音もやはり、素晴らしい音。忘ませんね。 是非!この時代に生まれていたかった!! 非常に貴重な音声入り映像をどうもありがとうございました!!
71歳男。齋藤様の仰言る通りでした。60年余り前、アプト式のこの区間は夏の信州への旅のハイライトでした。風景は深山の鮮やかな緑と清冽な水の流れ。都会の子供には別世界の美しさでした。当時の列車には冷房などなく、映像のように皆が窓を開けて、特にこの区間では顔や身まで乗り出して外を眺め、風の冷たさを感じておりました。あの警笛や走行の音は今でも耳に残っています。もっとはっきりした大きな響きでした。一切が感無量です。
2~3年に自分の中で数回くる「タタラうた」ブームですが、24歳にしてこの動画に出会えてよかった。声質とかビブラートの付け方が本当に好きですありがとう。
ピアノ弾いて歌っていた者です😊 ありがとうございます🥰
草軽電鉄って「カルメン故郷に帰る」に出ているらしいですね。未見なので、配信で見てみますかね。
+tousekitetsu様 「カルメン故郷に帰る」は日本最初のカラー映画ですから、カラーの草軽電鉄を見ることができますよ。
映画『カルメン、故郷に帰る』を彷彿させる映像です。ただ草軽電鉄は特に下り勾配で事故をよく起こし、あまり評判は良くなかったと記憶しています。
12:35 25+24号機はあさま10号で横川に戻った後、ヘッドマークを交換してあさま9号の補機につきました。ちょうど運転区にはすでに組み相手を3号機に変えた茶ガマの19号機が止まっていました。そして19+3号機の最初の下り仕業があさま13号となるのです。
7:54 キハ82だ!
6:30 何をしてるのかな?まるで畑を耕してるみたいだ。
これは保線では言うムラ直し作業と言います。バラスト道床の軌道では例え1本の列車が通過するたびに道床のバラストは少しずつ崩れて軌道は狂い始めます。なので当時はヨコーカル間に保線支区、さらに配下の線路班が存在して保線職員がツルハシに似たビーターという工具で道床のバラストを雪固めています。このアブト区間は多くは鉄枕木にてタイタンパーが利用出来ませんし、急勾配ゆえにレール運搬にもモーターカーは運転出来ず、工事臨時列車を運転して指定位置に正確に停止して機材を無蓋車から搬出積み下ろししていたのです。
6:55 下り最後の白山を担当したロクサンは碓氷峠鉄道文化むらでまだまだ生きている11+12号機のゴールデンコンビです。上り最後の白山は13+21号機が担当しました。
6:29 この日の25+24号機の仕事はあさま3号、あさま10号、あさま9号、あさま14号、単171(2号機の軽井沢への展示回送)、あさま20号と言うたった3往復の分かりやすいダイヤでした。一方で同じ茶ガマの19号機は早朝で18号機を切り離した後に青ガマの3号機に付け替え、18号機は一足早く最後の仕事を終えたのです。4両の茶ガマのうち最後まで働いたのが19号機なのです。ちなみに、19号機と組んだ青ガマの3号機も早朝までは軽井沢へ展示回送される2号機と一緒でした。
0:43〜3:21 の間に流れている音楽が気になって仕方がない。何なんだコレ?
2022/6/8/2053時。今年で72年が経過した熊の平駅土砂崩落大災害。今の時間の第一復旧作業で続々と高崎管理部配下の横川保線区、横川電力区 通信区の職員が集計し始め雨天で足場が悪い中で線路開作作業に従事している時間です。
いつ頃なんだろう
1960年代前半です
歌すごくうまいですよね🍽
その昔、三笠から浅間山の間で廃線跡を歩いたことがある。草むした橋脚台などが見えた。
廃止間際の草軽電鉄の貴重映像ですが、良いものはいつ見ても良いですね。
観光路線でも良いから何時か横軽復活して欲しい😣
BGMはRavel"Borelo"
第三常軌方式が熊ノ平事故の原因となった
ヌ600がED42に連結していましたヌ600は暖房車ですが元はピフというブレーキ車ですピニオンブレーキの略称です、信越線には10系軽量客車が優先的に使用されました長野前後25パミールと碓氷の難所があったので優先的に使いました
11:06 熊ノ平駅前に(奥羽線の板谷駅のごとく)力餅を売ってる商店があったという事実。 官舎とはいえ7件も家があったのも驚き!。 両側をトンネルで挟まれてるので、今もあったら「小幌」と並ぶ究極の秘境駅になったかも。
何ともや美しい歌声で
「碓氷アブト」と検索したら出てきた(笑)アブト君は地元愛がありますね!
1950/6/9/0608時。2021/6/9熊の平駅構内土砂崩れ災害より71年が経過しました。殉職した鉄道員と家族に哀悼の意を表します。
碓氷峠の貴重なアプト式時代の映像此だけ苦労して造ったこの区間を🆕新幹線と引き換えに廃止にして良いものか?
無理なのはわかってる。だけど鉄道社会が再び来て欲しい。
もう少し残ってれば、観光路線として存続できなかったかな…。
懐かしく拝見しました。 父親が作っていた円柱型の硫黄のケーキと幼少の頃追いかけたトラックが映っており感涙です。 遠い記憶が甦りましたUPありがとうございます。
嬬恋村の50年前に亡くなった祖父が工夫として働いていたので、貴重な映像ありがとう!