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和田 嘉浩 / Yoshihiro Wada
Япония
Добавлен 18 апр 2012
#わだよしひろ
ラッパー名義では MC YOTA
東京都 世田谷区に妻と息子(2014年生まれ)の三人で在住。
1972年6月30日04:21 目黒区生まれ。小中学校は群馬県高崎市。太陽/蟹座の月/水瓶座。
ラッパー名義では MC YOTA
東京都 世田谷区に妻と息子(2014年生まれ)の三人で在住。
1972年6月30日04:21 目黒区生まれ。小中学校は群馬県高崎市。太陽/蟹座の月/水瓶座。
MC YOTA / パンデミックフリースタイル(2020年5月)
緊急事態宣言が出され、日本中がステイホームさせられていた頃に演ったツイキャスでのライブ配信です。マスクだワクチンだと人々が分断されていった2020年。あの頃の記憶が忘れ去られていっても、世界は既に不可逆的に変わってしまいました。今のこの変革期はあのパンデミック騒ぎから始まったようにも思えるので、あの狂った時代を思い出すようにこのフリースタイルラップをRUclipsに移植しました。
twitcasting.tv/c:yotayotayonta/archive/
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 5~
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 5~
和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 4~
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 4~
和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 3~
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Live 2021 ~Part 3~
和田 嘉浩 / Christmas Eve Eve 2021 ~Part 2~
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Eve 2021 ~Part 2~
和田 嘉浩 / Christmas Eve Eve 2021 ~Part 1~
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和田 嘉浩 / Christmas Eve Eve 2021 ~Part 1~
和田丈太郎の部屋の和田丈太郎です楽しかったです!
35:13 デザインパーマじゃなくてアイロンパーマですね。石原良純みたいな。多分天パーだったんでしょうけど。
33:38 で「ザブザブ頭からバッチャーンって入るんですよね。ダイナミックに‥」と申していますが、実際は皆ポッチャンと静かに潜水しておられます。全身が水風呂に入る時、自分が感じる擬音が「バッチャーン」だったので「そう」言ってしまいました。ちなみに「バッチャーンとダイナミックに水風呂に入る」のはマナー違反だと思います。
『Cosmic Story』25:47 自然なことが 自然じゃないの 不自然が 自然に成る頃に 追い出されてゆく その大事なものが 心太(ところてん)みたいに 放り出された 俺が拾い集めてゆくよ 受け取ってくれるかな 君が君を落としたって 君が君を追いかけて 大丈夫 ズレたって 縫い合わせるよ タペストリー 縦の糸と横の糸 君が オリジナル その絵を描いた身体が 今も 続いて 大丈夫 君と一緒に生ける場所に行く 身体 重ね合う あぁ もう 忘れていたこと 思い出す瞬間に 君の隣で 溜め息をついて 居られたら その溜め息さへ 吐息に 変わりゆく sexy movin' 君の声に もう メロメロに成ってゆくように あぁ もう きっと 君と同じ時間の中で 生まれていく そのファンタジックな光 闇を 知ってしまう 身体の中で 育ち続けてた 育てていた 「君が好き」と言う気持ち 今も有って だから 安心して 消えないよ 君のことを想って 夢心地 空の上へ 浮かぶ雲 その先にある 星 星 光 いつまでも 君を照らして 俺を照らして star shine 全部 light 繋げてゆく そのステージの上で 回る ミラーボール 一人 一人 照らし出されてゆく sun shining star lightning cosmic story 今 終わり また 始まり 続いてゆく the end それも the beginning と同じ 表裏一体 今 始まり 終わるように この瞬間に 終わるように その終わりのメロディー 始まりの悲鳴と 同じ あぁ requiemも happy birthdayも ちょっとの時間差の有るだけで 宇宙と同じ位に 観ていたら 点のように成って 一つに 重なってしまう
聴き終えた後に痕跡だけがただそこに残るような余韻たなびく素晴らしい音楽
本当にありがとうございます!お陰さまで元気が出ましたw
既存のオリジナル曲が2曲有りますが、それ以外はその時その場で降ろしたものです。 思えば、インプロビゼーションでJ-POPを演奏するという指針を私が立ててから、二十年以上の歳月が流れました。それは当時「産みの苦しみ」から精神を病み、「このままじゃもう無理!」と追い詰められた末の「ミュージシャン」から「イタコ」への転身でした。 自分を管にして、天から流れ込んでくるエネルギーを、そのまま歌や演奏に変換する技術。 その精度を上げる道は必然的に「人間道場」に入門する道でもありました。今は自粛で閉店していますが、ほぼ毎日スポーツジムへ行って水風呂に入り、筋トレをする生活も十四年目に突入しています。 都会の中でも滝行みたいなことが出来るのに、ネット環境も充実して個と個が繋がれる「現代日本」に生まれることが出来て、本当に良かったです。
今回は全編「その時」「その場」で降ろした楽曲のみです。2021年3月11日の夜半から12日の朝方まで、9枠(1枠は30分間)、つまり4時間30分のライブをしたのですが、この日は「東日本大震災から10年」という節目になる日だったんですね。演っている最中は頭の片隅にも有りませんでした。 とは言えその日は配信をする前から、全身全霊に物凄いエナジーが迫ってきていて、「これは完全に入るな」という予感はビンビン来ていました。ちなみにこの動画は丑三つ刻に演奏したものです。
このシリーズは全部で6本あり、第六作目もRUclipsに上げているのですが、それには字幕を付けなくてもいいかなと思っています。何故なら最終作である第六作目は、前の五作品と比べるとクォリティーが落ちているからです。同様の理由で『俺っちのラップに字幕を付けてみたシリーズ』も最終作だけ字幕を付けていません。普通そういう作品はボツにするのだと思います。しかし、その日私に降りて来たエナジーを時間軸に沿う形で「始まり」から「終わり」まで余す所無く流すことが大事だと思ったのでUpしました。 実際、私は2021年3月11日の深夜から翌朝まで「フリースタイルラップで3枠」「ギターの弾き語りで6枠」と計9枠(1枠/30分)のツイキャス配信をしました。私のライブは基本全て即興なので、つまりそれは「その日に降りて来たエナジーを、歌や演奏に270分間変換し続けた」と言うことです。もちろん、その4時間30分の間にはムラがあり、中には文字通り「迷走」しているような時間もあります。 しかし「LIVE」とは本来「生きている」と言う意味なので、そこに「今を生きているエナジー」が満ちているのなら、多少のミスや失敗があっても私はあまり気にしません。それは自分がオーディンエンスの立場でも一緒です。私にとって「素晴らしかった!」と思えるライブは、目が眩むような生命力がステージから放射されていて、客席のこちらまでクラクラしてしまうようなものです。逆に予定調和のルーティンで演っているようなライブは、どれほど演奏や歌が上手かったとしても「つまらなかった」となります。だから私は15年くらい前からセットリストを組んでいません。今でも頭を真っ白にしてからステージには上がるようにしています。 逆に言えば自分は「再現能力」が低いので、普通のライブを演る才能がありません。既に出来上がった曲を安定した技量で再現するには、相当な練習を積まなければなりませんが、飽き性なのか私にはそれが出来ません。歌詞やコード進行なども不思議なほどに憶えられないのです。 それは私のティーンエイジャー後半からのナイトライフがもっぱら「クラブ」だったことにも関係があるかもしれません。時は折しもレイブカルチャーが勃興してきた90年代です。ノンストップでDJが回し続ける音楽で朝まで踊り続けることが多かったので、たまにライブハウスに行くと曲と曲の間に空白が有ったりしてソワソワしてしまうのです。おそらくそういう踊り狂うような感覚が、未だに表現の根っ子にあるのだと思います。 そんな訳で自分にとってライブは「公開チャネリング」へと変わったのですが、当然過去には放送事故のような酷いライブを、数え切れないほど積み重ねて来ました。その度に悶絶するような恥辱で倒れ込みましたが、6年くらい前にあるライブで成功(開通)して以来、トランスに入る精度が格段に高くなったのです。 それからは死刑場へ引き渡されるような気持ちでライブに挑むことは無くなりましたが、今でもライブの日は朝から固形物を一切摂りません。必ず水風呂に入って、心身を清めてから、ライブには臨むようにしています。それは一人部屋の中でやるツイキャスでも同じです。歯を磨き、心身を整え、ライブ同様頭を空っぽにしてから始めます。 例えるならそれは、一度飛び込んだら最後「30分は水面から顔を出してはいけない」と言う条件の下で、深海に向けて飛び込んでいくのにも似ています。一呼吸で30分間をダイヴ。だから今回上げた9つの動画には合計で70曲くらい入っていますが、自分としては「9曲上げた」みたいな印象もあります。 ところで、主に邦ロック系のライブで「出し切れよー!」とMCをするミュージシャンがいますが、その言葉はきっとオーディエンスに向けると同時に他ならぬ自分自身にも言い聞かせているのだと思います。何故なら出し切れずに、不完全燃焼のまま終わったライブには敗北感しか残らないからです。事実出し切れなかったエナジーは毒に変わり、自分を攻撃して来ます。一方エナジーを出し切ると、空(から)になった所に新しいエナジーが流れ込んで来て、元気になります。 今回私はフリースタイルラップから配信を始めて、それが3枠まで行きました。ちなみに最後の1枠は始める前から「これで最後になりそうだな‥」と感じていました。何故ならトランスに入る為の集中力と受信感度が落ちかけていたからです。 しかし、そんな時でも必ず私はもう1枠を演ることにしています。「それでも演る。」と決意してライブを始めると、底力のようなものが湧き出てくることがありますし、給湯器の電源を落としても水道管の中にお湯が残っていて、すぐには冷水にならず温水がしばらく出てくる現象と似たようなことも起こるからです。 いずれにしても私は限界まで出し切りました。すると空になった真空地帯にエナジーが入って来たのか「次はガットギターで弾き語りをしてみよう」と成り、これが更に6枠まで行ったので、合計9枠の配信になったのです。 人生や旅に「始まり」と「終わり」があるように、音楽やライブにもイントロ(Beginning)とアウトロ(Ending)があります。ライブとは「離陸して→着陸する」までのドキュメンタリーでもあるので、例えグダグダな時間帯があっても、それが一概に不必要な時間であるとは自分には思えません。むしろ混沌とした谷間があるからこそ、山場は高らかに鳴り響くのだと思います。やはりライブは旅や人生と似ています。 始まったから終わる命。生まれては死んでいく不思議。生命の燃焼。そこから放射される熱。 2021年3月11日の夜に[配信開始]をして始まった『Gospel Type Beats Freesstyle 1』ruclips.net/video/GYlk_lUGaTo/видео.html から、翌朝12日の明け方に[配信終了]をして終わった『弾き語り Freestyle 6/6』ruclips.net/video/uc5KHmQ75lI/видео.html まで。 これは夜中から朝方まで私の身に起きた現象を時間軸に沿って記録をし、その9つがそのままの形で流れていく実録映像作品集です。 終わりて見ゆれば一炊之夢(いっすいのゆめ) 息を吐き出しては生まれ、息を吸い込んでは死んでいく長く短い一場の夢(いちじょうのゆめ) それはまるで生き通しの命のように、一呼吸の狭間で観た夢のような現実でした。
例えばの話ですが、今から死ぬことになるとして、その時に自分が言い残したい最期の言葉は何かと考えてみました。対象は問いません。特定の誰かに向けての言葉でもいいし、自分が生きてきたこの世界全体に対しての言葉でも良しとします。そしてそれは、遺言のように語りかけるものでは無く、「事切れる直前の一言であるなら」と想定してみます。今際の際に必死の思いで絞り出す一言です。果たして自分は「どんな一言」を言い残したいのかを考えてみました。 もちろん「死」には様々なケースがあります。突然の事故死なら「ゔゎー!」みたいな叫びしかきっと出ないでしょうし、自ら命を絶つ場合は「謝罪」もしくは「恨み」から来る一言になるのかもしれません。また戦場で命を散らすような極限状態なら(俺に構わず)「行けー!」とか(後は)「頼んだぞ!」などの一言になるかもしれません。 考えてみた結果、死ぬ直前に痛みや恐怖でパニックになっておらず、冷静な自分が保てていればの話ですが、最期はやはり「ありがとう」の一言しかないなぁと思いました。これは誰かに向けてであれ、世界全体に対してであれ、同じでした。 よくハリウッド映画で「愛してる」みたいな一言を言って、劇的に死んでいくシーンがありますが、日本人の自分には昔からあまりピンと来ませんでした。なんなら「来るぞ!来るぞ!!やっぱ来た~ww」みたいなダチョウ倶楽部のギャグを笑う時のように、その手のセリフに備えてしまう自分すらいます。 そもそも「愛」と「憎しみ」は表と裏でセットです。利害関係の薄い他人なら親切になられても、一つ屋根の下で暮らすような深い関係ともなると、「愛しているけど憎い」みたいな相反する感情や思考になってしまうことがあります。元々は分断していた二人の個人が「愛」と言う情念から結合されていく過程では、そういうことがよく起こります。だから「相手が嫌い」と思っている時、そこには筋の通った理由もあるのでしょうが、その憎しみの対象は相手で無く、実は他ならぬ自分自身であったというケースがあります。これは分断を結合させる愛の力によって自分と相手が一体化していく中で、相手に自意識を無意識に投影してしまった結果です。 そんな訳で相手から「愛してる」と言われたら悪い気はしませんが、臨終の際に自分から「愛してる」と言うことは無いなと思いました。もし言ったとしても「感極まっているから今はそう言ってるけど、日常に戻ったら、また愛と憎しみがぐちゃぐちゃになっちゃうのかもなぁ」とか思うかもしれません。その点「思いやり」と言う概念や行動なら理解が出来ます。それなりに信用も出来ます。しかし「愛してる」だとその愛の中にはいかほどの自己愛(エゴ)が入っているのかと訝しんでしまう自分がいるのです。 もう一つ、エンタメから考えてみました。ドラマや漫画とかでたまにあるのですが、誰かのことを「宜しく」と頼んでから死んでいくシーンがあります。私が憶えているのは豊臣秀吉が死ぬシーンです。そのドラマで秀吉は、家康を始めとする全国の有力大名を枕元に呼び寄せ「くれぐれも秀頼のことを頼みますぞ~」みたいなことを言ってから、事切れていました。時は戦国時代だから仕方が有りませんが、自分の死んだ後が心配で心配でならないような死に際でした。 この約束、お互いが心の底から大切にしている存在を「くれぐれも宜しく」と頼まれるのなら、「わかった」とキッパリ応えられるでしょうが、相手との関係性如何によっては精神的な負担になりそうです。更にその言葉からは必死な想いを感じとることが出来ても、「この人、このまま成仏せずに幽霊になってしまうんじゃなかろうか」と心配をさせるような重さもあります。 しかし、もし秀吉が「ありがとぉ、ありがとぅ~」と言いながら臨終を迎えていたら、その印象はガラリと変わります。時は戦国時代ですから大名たちも「大丈夫か、こいつ」みたいに思ってしまうかもしれません。しかし同時に「こちらこそありがとう、太閤殿は幸せな人生だったんですね」と好感度が上がるかもしれません。やはり「ありがとう」と言い残す死に様には爽やかな後味があります。 また「さようなら」という一言についても考えてみました。しかしこれは「私たちが別れる」と言う現象を説明している言葉です。「さようなら。」と万感の思いを込めて言うことはあるでしょうが、それは(お別れの)挨拶であって、そこに伝えたい想いは特に見当たりません。ただ「さようなら」にも色々な段階があります。明日も会うだろうけど、今日のところは「さようなら」と言う ’’さようなら’’ があれば、死を目前にして言う「さようなら」もある訳です。 今回私はこの動画の『Farewell greeting 』と言う曲で「さようなら ありがとう」と繰り返し歌っています。その歌を降ろしている最中、明確にそういう意味で「さようなら ありがとう」と自分が歌っていたことを憶えています。これは我ながら究極のことを歌ったなぁと思う次第です。
今回も全編「その時」「その場」で降ろした楽曲のみです。 考えてみれば、この即興で音を奏でて、歌うと言う行為。最早これはもう「眠りながら演奏している」または「滑舌良く寝言を連発している」とも言える気がします。実際、演っている最中は集中力を切らさぬように緊張感で全身をプロテクトしているような感覚が有りますが、覚醒の末に脳波が静止していくような感覚も同時に有ります。「脳波が静止していく」とは「熟睡している時の状態に近づいていく」と言う意味です。だからでしょうか。ライブ後の私は大抵ギンギンになり、しばらくは眠れなくなります。つまりライブをすると、私はすごく元気になるのです。 以前「ミュージシャン」から「イタコ」に転身した過去のことを書きましたが、「イタコ」と言っても、それは「〇〇の霊を呼び出す」とかでは有りません。あくまで「トランス状態に入る」と言うことです。しかし、もし「〇〇の霊を呼び出している」のだとしたら、それは自分の守護霊なのかもしれません。また「人間は誰しも胸の奥に良心と言う名の『神』を宿している」のだと私は認識しておりますが、その領域と交信、交流をしているのかもしれません。いずれにせよ、ライブの時私の脳波は多分グッスリと眠っています。しかし、その深い眠りは「超覚醒」と言えるものかとも思います。 だから結局は普段から自分が「どういう情報を」「どういう感覚で」「どう処理している」のかが大事になって来ます。何故なら眠っているので、自我でその場を取り繕うことが出来ないからです。実際、演奏中にエゴを出すと、即トランスから外れます。すると自分の生命力で走らせる感じになり、無理な発声をして喉を傷めたりする率が上がります。片や天から流れ込んでくるエナジーを自分を管にして通す演り方は、全然疲れません。実際この日は4時間30分のライブをしましたが、終わった後は温泉から出た後なのに眠くないみたいな状態で在ったことを憶えています。 もう一つ。「イタコ方式」でライブをすることの利点は、実力を越えたライブが出来ることです。実力以上の歌と演奏を「奇跡」とも言うのですが、その奇跡を録(撮)ってネットに上げることで、これが実力に変わります。すると自己肯定感が上がり、自然と「穏やかで幸福な状態」に入ります。これは以前、自分が喉から手が出るほどに渇望していた状態です。だからネット環境が整った現代日本に私は本当に感謝しています。 ちなみに自分は「朝起きた瞬間に死にたくなる」レベルの鬱が48年間の人生の内、10年は有りました。そこまでは行かなくても、「なんとなくBAD」みたいな状態なら、人生の半分以上がそうだったような気もします。しかし自信の有る最新作をネットで公開出来る様になってからは、「生かしていただいて、ありがとうございます」みたいな気持ちになれるようにも成りました。でもこれは、毎朝神棚の水を替えたり、先祖供養(伊勢白山道方式)をしていることにも関係があるかもしれません。 真相はわかりませんが、いずれにせよ、最近の自分の作品に「すごいな」と他ならぬ私自身が驚いています。自分の理性で考えたら、まず出てこないような歌と演奏だからです。自己に満足をし、自画を自賛する。私は幸せです。
『作詞作曲セミナー』第三十回。最終回です。 ここまで5時間44分に渡って「0から1を産み出す方法」というサブタイトルを付けて実演してきましたが、残す所最後の一回と成りました。元々この全三十回のセミナーは2017年にブログ (imakalahajimaru.seesaa.net) で公開しながら進めたものでしたが、2022年新たに映像と字幕を付けて、更にはこうして五年越しの解説文まで載せた「完全版」としてRUclipsに上げることが出来たので、この企画はこれにて終了です。 およそ五年前、突然取り憑かれたように五日間で産み出した『作詞作曲セミナー』でしたが、これに映像を付けてRUclipsに上げるという構想は三年くらい前から練っていたように思います。通常私は【和田夫妻チャンネル】(wadafupsy.com) で作品を発表していますが、このセミナーを移植するにあたって2020年【和田嘉浩チャンネル】を立ち上げ、2021年の後半は様々な映像を撮りつつ編集をすることに多くの時間を費やしました。そうまでしてこの『作詞作曲セミナー:RUclips版』をリリースすることに私が拘ったのは、このセミナーを産み出してブログにUpし終わった時の感動が今でも継続しながら生きているからです。これはどういうことなのかと言いますと、その時私は生まれて初めて感じる深い安堵感と共にこう思ったのです。 ~これで俺はいつ死んでも大丈夫だ~ もちろん妻と息子の気持ちや周囲への影響を考えれば「いつ死んでも大丈夫だ」とは思いません。それでも今世で「ここまでは行けよ」と設定されたラインを越えたような、果たすべき重要な任務を遂行したような達成感が込み上げて来て「これから先の人生は余生だ」とも素直に思えました。 それまで私には「ギタリスト」とか「シンガーソングライター」または「音楽プロデューサー」みたいな自己イメージがあったのですが、その頸木も外れたようで、それからはピアノで弾き語りをしたり、ラッパーとして活動を始めたりとより楽しく自由に音楽の道を歩いています。 昔から私は広く深く多く音楽を聴くタイプでしたが、年を経るごとにその傾向は加速していき、昨今は様々なエンターテイメントで事あるごとに感動して泣くようにも成りました。こんな風に「大胆且つ繊細な中年」として私が日々を生きられている要因の一つは時代の流れ、より具体的に言えばインターネットのお陰です。 1972年6月生まれの私がプロのミュージシャンに成ると志を立てた90年代はまだネットが広く一般にまで普及していませんでした。その頃はレコード会社からデビューするという夢しか思い描くことが出来ず、知人や友人にデモテープを配ったり、オーディションを受けては落ちることを繰り返していました。 しかし10年くらい前から世界中で音楽業界のみならず、人々の音楽との接し方が変わっていきます。音楽はストリーミング方式の「データ」で配信されることが主流になり、CDなどの「物」はコレクターズアイテムという位置付けに変わりました。また音楽配信サービスやRUclips、SNSなどでリスナーとアーティストが直接繋がるように成り、無名の新人がネットから有名になっていくことも今では普通になっています。こうなると最早「メジャーデビュー」に固執する必要は無くなりました。ネット上に自分の作品を上げることで小規模ではあっても全世界に向けて「デビュー」することが出来ます。またCDやカセットテープなどは破損したり、再生機器を持っていなかったり、廃盤になったりとこの世から消滅してしまう運命を孕んでいますが、ネット上に置いたデータはきっと自分が死んだ後にも残るでしょう。このような時代の流れは私にとって、大いなる救いと成りました。 そもそも「売れる/売れない」を含めて「人からの評価」というものは、自分の責任(コントロール)の及ぶ所ではありません。私の責任は自分が納得のいく作品を創り続けることであり、いつか芽吹くかもしれない種(作品)をネットと言う名の土壌に最良の形で埋め続けることです。私は自己顕示欲や自己承認欲求が人一倍強いので、何者かに成らないと情緒が不安定になります。だから20世紀までの自分は「〇〇レコード所属のアーティスト」という看板が欲しくて欲しくて堪りませんでした。しかし21世紀からは、自信のある作品さへ創り出せればネットのお陰で何者かに成ることが出来ます。 実際30年ぶりに中学校の同窓会が催された時、私には何の肩書きもありませんが「和田夫妻で検索して」の一言だけで胸を張って出席することが出来ました。「〇〇で検索して」の一言を肚の中に持っていることは、現代ネット社会においては如何なる名刺よりも有効、且つ自信にも繋がると感じた次第です。 思えば、即興でJ-POPを演奏するという指針を私が立ててから、二十年以上の歳月が流れました。それは当時「産みの苦しみ」から精神を病み、「このままじゃもう無理!」と追い詰められた末の「ミュージシャン」から「イタコ」への転身でした。自分を管にして、天から流れ込んでくるエネルギーを、そのまま歌や演奏に変換する技術。その精度を上げる道は必然的に「人間道場」へ入門する道でもありました。 この天の才を降ろす「神がかった状態」を神道では「惟神(かんながら)」と呼んでいますが、惟神の道は音楽家に限らず、老若男女あらゆる立場の人にとっても、これからの時代を生き抜く正道で在り、王道にも成るでしょう。 パンデミック以降、世界は更に混迷を深めて、これまでの常識や価値観が崩壊していくような激動の時代に入りました。そんなカオスの中で試されるのは常に個人です。そして個を完成させる道は一生完成しないからこそ、ライフワークと言う名の面白いゲームにも成るでしょう。特典やご褒美は「幸せ」と「有り難み」を感じる能力が上がることです。この力は死んだ後にも持っていける素晴らしい財産と成るでしょう。 『第三十回』は今後益々時代から求められるであろう古くて新しい生き方 ー神がかりー で創られたセミナーの締めくくりです。この『作詞作曲セミナー』を最初から最後まで繰り返して視聴すると、意図的に奇跡を起こして、無から有を産み出せるように成ります。皆様がクリエイティブに生きていく為に、このセミナーがお役に立ちましたら幸いです。有り難う御座いました。
2017年5月17日、私はある曲を仕上げる為に東京都 世田谷区の自宅から小平市の(今は無き)別宅に移動しました。 その時その曲は一つのモチーフが頭の中で鳴っているだけで、まだ全体像や完成像は見えていない状態でした。そういう訳で作詞作曲に取り掛かろうとしたのですが、「その制作過程の全てをリアルタイムに一発録りで記録していったら面白そうだ」というアイディアが閃きました。 そしてやり始めるとそれは『作詞作曲セミナー』の様相を呈していき、結果5月21日までの五日間、合計5時間48分、全三十回の録音と成りました。 このシリーズruclips.net/video/ML7saZzF9Rc/видео.html はそれらの音声に私が撮った映像を貼りあわせたもので、この動画はその幕開けとなる『第一回』です。 0から1を産み出すための創作セミナー。字幕はONにして、視聴して頂けたらと思います。
『作詞作曲セミナー』第二十九回。 2017年5月21日14時50分の録音です。ゴールまであと10分なので、これが最後の演奏になるという覚悟で歌いました。そして実際にそうなるのですが、この曲の中で ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一つ 一人の人生を 生きていく 二つ 二人の人生を 育てていく 三つ 一つの社会を造って 国とする ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ と歌う所があります。この歌い回しですが、ソース(源)はこのセミナーを始める前の日に降りて来ていたものです。5月16日の午前中、自宅の近くを車で運転していた時に「一つ 〇〇 二つ 〇〇 三つ 〇〇」と〇〇の歌詞は朧げでしたが、メロディーを伴って曲想が頭を掠めました。それからその日の午後、今は亡き犬と猫を乗せて別宅(ruclips.net/video/c0KAGeqREx8/видео.html) へと車を走らせ、私と二匹はそこで眠ります。明けて17日、昼間から曲を作り始めると、それがそのまま『作詞作曲セミナー』の第一回になりました。元々は「生まれて死んで 生まれて死んで 生まれて死んでいく途中で出会って」というモチーフから一曲を仕上げるつもりだったのですが、まさか作詞作曲のセミナーに発展していくなんて思いも寄りませんでした。 つまりこの企画は事前に準備どころか、構想さへ練っていません。録音ボタンを押した瞬間に神懸からせて、出て来た音声が結果的に三十回あったというだけのものです。この五日間のセミナーが進んでいく過程は録音をしていない日常も含めて全てが Live、つまり「今、此処」を生き続ける戦いでした。 そんな時間の最先端で新曲が次々と産まれて来ることもあって、私はすっかり「一つ 二つ 三つ」の閃きを忘れていました。しかし第二十九回の山場でそれは突如戻って来ます。まるで過去の自分が未来に張った伏線を現在の自分が回収していくように、忘れていたイメージが顕現していきました。それは予(あらかじ)め決められていたゴールのようで、偶然に着いた場所が目的地だったという必然を感じます。 『第二十九回』はこれまでの集大成であり、生まれて死んでいく途中で出会った貴方と私の話です。私は今でもこの曲に音楽家として、人間としての一つの到達点を見ています。
『作詞作曲セミナー』第二十八回です。 この動画で私は油絵を描いていますが、「黒」の出し方について説明をします。黒という色は強烈です。全ての色彩を飲み込み、黒一色に塗り潰すことさへ出来ます。そして水墨画や鉛筆デッサンを見れば判る通り、黒は万能です。濃淡をつけることで森羅万象を様々に表現することが出来ます。 それだけに黒の出し方は大事なのですが、絵の具の黒をそのまま使うと他の色と馴染みません。強すぎて浮き上がってしまうのです。そもそも自然界に絵の具のようなベッタリとした黒は存在しないような気がします。炭や黒曜石などが一番近いのでしょうが光沢や艶、影や質感などが絡み合い、それらは実に複雑な黒です。 あらゆる影と光をその中に収めてしまう黒という特別な色。その「黒」という色彩を油絵で描き出す時、私は赤と緑を混ぜて作ります。緑がかった黒か、赤味を帯びた黒か。時には茶色を少量混ぜて、色合いを調整していきます。すると自然界にある黒のように色々な表情を出せるので、他の色とも馴染みが良いのです。 この手法はバリ島を旅した時に森喜久雄氏 (instagram.com/kikuo_mori/?hl=ja) から教えて頂きました。空間にエネルギーを放出するのが音楽だとしたら、絵画はキャンバスにエネルギーを封じ込めるタイプの芸術です。しかし森氏の膨大な作品群を鑑賞していると、「封じ込める」という【陰性のエネルギー】が「放出する」という【陽性のエネルギー】と渾然一体になっていることが感じられます。それは森氏がトランスに入り、無我夢中で創作していたからに他なりません。 天才(天から降りてくる才能)の特徴は多作であることです。大量に創作していって初めて見えてくる景色や作風、辿り着ける境地や本質があります。「量よりも質が大事」と同じく「質よりも量が大事」という考え方も真理です。 『第二十八回』で私は「青い鳥」を描き始めますが、最終的にそれは「黒い鳥」へと変わっていきます。黒はどんな色にも負けません。なら最初の青は無意味だったのでしょうか。先ほども述べましたが、絵を描くことはエネルギーや念を封じ込めていく作業でもあります。 ~幸せの青い鳥~ 当初、私はそんなイメージで鳥を青く塗っていきました。だからこれは私の思い込みなのでしょうが、あの鳥には「近くにあって見えない幸せ」という色彩が裏側に込められています。
『作詞作曲セミナー』第二十七回です。 ところで私は、片想いにこそ恋愛の本質的なものが顕れると思っています。「大好きな人に好きになってもらいたい」このシンプルでごく当たり前な欲求が激しくなればなるほど、寝ても覚めてもその人のことを想い続けるようになります。そんな日々を重ねていると、やがては心の中に「一つの王国」が造られていくでしょう。一人孤独を感じている時は、大なり小なり妄想に浸ったりもします。 ~あのお姫様(王子様)に好きになってもらえたら‥もしその王国が現実にも成立したなら‥、二人で入るコンビニも、海も山も街も人も全てが輝きを増して‥この世界を愛してやまない自分に成れるような気がする~とか‥ そんなパラダイスな妄想を色情を交えて繰り広げていく内に 「その人と共に生きる世界 or Die」な心境にまでいくかもしれません。そうなると片想いは自己の存在意義を賭けた命懸けの戦いに突入します。その時、選択肢は三つです。 A【あらゆる手段を講じて相手を落とすべく行動をする生き方】 B【相手に相応(ふさわ)しい自分と成るように努力をする生き方】 C【傷つくのが怖いので具体的には行動をしないでおく生き方】 以上、恋心に A、B、C 三つの方向性が生まれます。ある人は昨日 A0% B30% C70%だったけど、今この瞬間は A60% B30% C10%であったりと気分や時間帯などによって変動しながら、人はそれぞれの片想いに耽(ふけ)ります。極端な例ですが、壁ドンどころか顔ドンをして押し倒すなんてのは最悪のA100%でしょうし、C100%ばかりを繰り返せば、深い喜びを知らないまま人生を終えていくことにもなりかねません。 だから片想いの神髄は、やはりBの領域にあると思います。片想いが高じれば、相手はもはや信仰の対象とも成り、神の如き存在として崇められもするでしょう。あの尊い神に認められたい。あの神と同じ時間と場所を共有して喜びを分かち合いたい。狂おしいまでにそう願いますが、決定権はあくまでも神に有ります。自分には有りません。 だから大抵の片想いは切なくて苦しいのですが、そこで一念発起して相手に相応しい自分に成ろうと頑張る人がいます。これは「相手を諦めたくない」というよりも、「自分自身を諦めたくない」という自己実現的な欲求に近いのかもしれません。そしていつか今よりも自信がついてきた時、恐怖に震えながらもAの方向へと一歩を踏み出し、神のみ前に立って審判を仰ぐという「BからAの片想い」が私は一番格好良いと思います。 それなら例えフラれたとしても「それでも私は頑張った」と自分を誇りながら、その恋を過去に出来るかもしれません。片やCの方向で諦めた片想いはその恋をいつまでも過去に出来ない可能性があります。それどころかその後の人生を「取り繕ったり」「言い訳したり」をしながら生きていくことにもなり兼ねません。だから本気で何かを好きになると、人は時に命懸けに成らざるを得なくなります。「自分を受け入れるか受け入れないか」は相手の自由。私にある自由は「自分を高めて相手に想いを伝える」のみです。 『第二十七回』は自分が自由に出来る領域で戦い続ける孤独を歌った恋の話です。
『作詞作曲セミナー』第二十六回です。 「それは思い込みだよ」みたいなことを言われて、宥(なだ)められたり、慰められたりした経験は誰しもあるかと思います。また自分自身がそう言って、状況に収まりを付けようとした過去をお持ちの方も多いでしょう。 確かにその通り、それは「思い込み」です。しかし、思い込みだからこそ変え難いとも言えます。何故なら恋に落ちるのも、失恋で死にたくなるのも、希望も絶望も、幸福や不幸でさへも全て「思い込み」だからです。 きっと友の為に命を懸けて走ったメロスも「友情は大切」と思い込んだのでしょう。夢を持てば「挫折する」というリスクを人は負わねばなりません。思いが強まり、信念にもなれば、それが崩壊していく時の衝撃は凄まじいものがあります。だから夢を持ったり、何かを本気で求めるのは怖いことです。 それでもそんな推測や理性が働かなくなるほどに、その思いと一体化した時のみ広がっていく自分だけの光景があります。それこそが唯一無二な自分の物語です。その物語の中で失敗するのなら自分らしく失敗していくのでしょうし、成功するのなら自分らしく成功していくのでしょう。その「らしく」だって日々自分が創って更新していくもので、そんな風に生きていると「生活=芸術」という境地が立ち上がってきます。 すると人生をRPG(ロールプレイングゲーム)や一本の長い映画のように捉える感性も身に付いていくでしょう。我々は目に見えぬ世界の中で、目に見える世界を相手にしています。一人裸で生まれ、一人喜怒哀楽に振動をして、一人死んで消えていきます。最初から最期まで、世界にいたのは自分一人だけだった。自らが織り成してきた良きことも悪きことも、その両方がスクリーンに反映されて、愛しき人も憎き人も総出演していた一本の映画を観ていた自分という確かなる存在。そのたった一つの実存に気づく時に、思い知ることって何でしょうか。それを生きている内に何回でも悟っていきたいから、私は音楽を続けているのかもしれません。 『第二十六回』では「振り子の原理」から「生きること」を考察していきます。
『作詞作曲セミナー』第二十五回。 このセミナーを通じて私が歌っている曲は全て即興、つまり「神がかり」です。だから普段の自分では考えもつかない歌詞やメロディーが炸裂していて、他ならぬ自分が驚いています。しかし、そもそも何故私はこのようなことが出来るのでしょうか。note.com/yotayotayonta/n/nd3879bb2c456 『第二十五回』ではこれまでサラッと演って来た「即興」という天の才と繋がる方法ー神がかりーについてお話ししています。
『作詞作曲セミナー』第二十四回です。 初めて聴く歌、初めて観るRUclipsrなど、私は大抵3秒くらいで「快」か「不快」かを判断します。その判断材料ですが、私の場合は見た目よりも「声」や「喋り方」であることが多いです。これは理屈を越えた生理的なもので、おそらく血流にも関係があるような気がします。 脳が生み出す思考。心に育てた理想。それらのファンタジーを越えて、血はいつだってリアルです。歓喜にも憤怒にも悲哀にも悦楽にも心臓は一瞬で反応して、身体中の血管や神経に「不快」か「快」かを伝えて来ます。そのシグナルは「直感」と呼ばれていて、それに従っていれば人生はまず間違いがありません。 『第二十四回』では声の話を通じて、直感のセンサーを研ぎ澄ませていくメソッドを紹介します。
『作詞作曲セミナー』第二十三回。 今回は心の構造を解き明かして、そのコントロール方法についての話です。 目に見えず、触れもせず、無味無臭な心という名の不思議。そもそもそんな得体の知れないものを制御など出来るのでしょうか。それでも心に訊いたり、耳を澄ましたりをして気づいたことがあります。 過去から未来へと流れて、未来から過去へと流れていく時の川の真っ只中で「今ここ」にいる為にはどう在れば宜しいのか。心を「感情」と「思考」と「意志」の三つに分けて考えてみました。 『第二十三回』では「現在」「過去」「未来」の三要素から心の働きを説明していきます。
『作詞作曲セミナー』第二十二回です。 最終日、朝から三番目の録音となります。このセミナーを通して私は何曲も歌っていますが、どれもが全て即興です。つまり自分を管にして、天から才(エネルギー)を流入させて歌と演奏に変換しています。だから時たま、 ①【文節のみならず文単位でも倒置法が発生します】 ②【特定の単語が「直前」と「直後」の両方に掛かります】 ③【助詞の「て・に・を・は」がおかしくなります】 以下は『第二十回』から抜粋した一例です。 ============================================== A 消えない記憶 それに巻かれて 今を失ってしまって B まるで 夢遊病者みたいに ふらふらと 歩いている幽霊 ①まるで この世に 置き場を 失くした ②光を 見つけた ゴミ捨て場で C 何にも言えない人形は あなたに語りかけて D「人間③ヲ復讐スル」なんて 酷い話で E まるで 白昼夢 どうにかしたいの ============================================== A行からB行へは普通に流れています。 ①行は文単位でB行全体に対して倒置しています。つまり、この倒置を解除すると「まるで この世に置き場を失くした夢遊病者みたいに ふらふらと歩いている幽霊」 となります。 * B行と①行の頭で『まるで』が重複しているのは日本語の文章として正しくありませんが、これは歌詞なので「有り」という認識です。 ②の『光を』は直前の「失くした」と直後の「見つけた」の両方に掛かっています。つまり、「失くした光を見つけたゴミ捨て場で」となってC行→D行→E行へ流れて行きます。 * 即興で演るライブの最中は「深いトランスに入ってイタコ状態」になる時があれば、「迷いながら言葉を探しながらの夢現(ゆめうつつ)状態」である時もあります。実際はその前者と後者がマダラ状態になりながらライブは進行していくのですが、後者の傾向が強い時によく②が起こります。それは口から衝いて出てきた言葉が次の言葉を呼ぶドミノ倒しの様に歌を紡いでいく感じです。 ③は後から聴き直して「ここは ’’ヲ’’ じゃなくて ’’ニ’’ だな‥」と私も思う様な「変換ミス」です。 * 確かに日本語の文法的には崩壊しています。しかし語感的には流れるので、歌いやすいというメリットがあります。 以上、私の歌によく起こる3つの間違い方についての解説でした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 私は「今この瞬間に産まれている」ライブ感を重視しています。ライブ感とはエネルギーであり、生物(なまもの)なので新鮮でなければ生けません。 同じことを何度も言うオジサンの話が疲れる様に、古くなったエネルギーは毒に変わり、相手からエネルギーを奪います。俗に言うエナジーヴァンパイアですが、こうした闇堕ちは大なり小なり誰しもする危険があるので私も気をつけます。逆にそういう人と遭遇したら「落ちこぼれ天使ちゃん」だと思って、モナリザの微笑みで対応出来ればと思います。
『作詞作曲セミナー』第二十一回です。 最終日2017年5月21日に突入し、午後三時の締め切りまで私は自分を追い込んで行きますが、実際は「今ここ」という時間の最先端をサーフし続けていただけでした。 舞台俳優や音楽家はステージの上で素の自分に戻っては生けません。お別れの挨拶をして、袖に隠れるまでは全身全霊で戦闘状態に入っているのがプロの在るべき姿です。しかし同時に、お客様から演者はリラックスしているように見えなければ成りません。これは一見矛盾している様ですが、人間は超がつくほど集中すると時間がスローモーションしていくような不思議なゾーンに入ります。「ボールが止まっているように見えました」みたいなことをホームランを打ったバッターが言うのは多分そういうゾーンに入っていたからでしょう。 そのゾーンは無念無想で居なければ入れませんが、強固な目的意識に支配されても居なければ成りません。それは丁度引力と斥力が拮抗している状態で、海流と海流がぶっつかり合う所が凪に入って魚が沢山集まり、豊富な漁場に成っているのにも似ています。力と力が拮抗している真空地帯には無尽蔵のゼロ・ポイント・フィールド(量子ゼロ場)からのエネルギーが流れているので、その波に乗っかって行ける所まで行く感じです。そうしていたら結果的に三十回まで行ったこの作詞作曲セミナーも残すところあと十回と成りました。 『第二十一回』は「ホップ→ステップ→ジャンプ」なら【ジャンプ】、「守・破・離」なら【離】のチャプターの始まりです。
『作詞作曲セミナー』第二十回。 セミナー最終日、朝一番最初の録音です。 2017年5月17日から始まった五日間に渡るセミナーも残すところ最後の一日となりました。この日5月21日は合計十一回、2時間56分20秒の音声が産み出されます。〜日が明けた日〜はその曙であり、この曲を皮切りに私は締め切りの午後三時まで全力で駆け抜けていきます。 と同時に『第二十回』はこれまでの集大成であり、全三十回を「ホップ→ステップ→ジャンプ」で括るなら【ステップ】の着地点、「守・破・離」なら【破】の締めくくりです。
『作詞作曲セミナー』第十九回。 セミナー四日目、最後の録音です。昼間に五回を連続で録りましたが、これは間を空けて夜に録ったものです。つまり2017年5月20日は合計六回の録音に成功しました。 その日の昼間、約60分の収録を終えた後に私はスポーツジムへと向かいます。そこで日々のルーティンである「温浴→水風呂→ストレッチ」をして、気分や体調を整えていきました。そうすることで身体と心を再起動し、もう一仕事出来たりもするので一日を長く有効に使えるのです。だから私は大抵一日の中間、集中力が切れたり、心身が澱んできたのを感じた時にジムへ行ったり、お風呂に入ります。 そしてパフォーマンスの高い仕事を終えた後は自己肯定感と共に寛(くつろ)いだり、そのまま眠りに落ちていく至福の時間です。『第十九回』はそんな至福を感じた後と感じる前に録ったもので、生き物に無くては成らない「水」について語っています。
『作詞作曲セミナー』第十八回です。 セミナー四日目の昼間は五回を連続で録音しました。つまり「第十四回」から「第十八回」までの計60分10秒は、一呼吸を五回に分けて吐き出したものです。 一気に出産した五回でしたが、それぞれの回が抱えているテーマは全く異なります。まるでキャラクターの異なる五つ子が次々と登場してきたようでした。団体戦の【先鋒-次鋒-中堅-副将-大将】で例えるなら『第十八回』は大将に当たります。
『作詞作曲セミナー』第十七回。 前回から引き続いての録音です。 地球には多種多様、色とりどりの花が咲いていて、その芳香と美しさに我々人類は魅了され続けてきました。花や植物に限らず、虫や鳥や獣、鉱物や砂に海に山に空に星と、およそ自然界に存在する創造物はどれもこれも人智を越えて完璧なまでの美しさです。更にその美しさは時間と共に常に変化をしていて、全てが揺らぎの中にあります。 しかし星々の運行は正確無比です。おそらく100万年前も100万年後も全く変わりません。早まることも遅まることも無く、それぞれの星はその星特有の速度と軌道で螺旋状に回転し続けています。こうした永久機関の中で命は育まれ、生と死の循環を永遠と繰り返している訳ですが、この宇宙法則を音楽は表現することが出来ます。 例えば [Em-D-Bm-C] のコード進行で作曲をしてみましょう。その永遠と続く循環コードの中、64小節に一回だけ天と地を切り裂くような衝撃的な音を鳴り響かせます。次に32小節に一回彗星が落ちていくような音を流します。そして16小節に一回生命が誕生するような爆発音を鳴らします。それから8小節に一回重低音を響かせて、その上に8ビートを走らせます。こうして出来上がったトラックの上に歌や声を乗せるなり、楽器を鳴らすなどして、イントロとアウトロをつければ宇宙的な一曲が完成するという寸法です。 『第十七回』では見えず、触れずの時間芸術である音楽について、数学という観点から説明をしています。
『作詞作曲セミナー』第十六回。 引き続き前回から間を空けずに録音です。 人生は「家」を何軒建てられるかという見方があります。「空手家」「写真家」「空想家」‥ 全て「自称:」で構いません。誰かにそう言いたければ言えばいいし、別に言う必要もありません。ただ内心に矜持(きょうじ)を持っていることが必要です。「私はそうだ」という矜持さへあれば、その人はその道の「大家」までいかなくとも、少なくとも「家」ではあるでしょう。「〇〇収集家」「〇〇研究家」「〇〇本の愛読家」‥ 世の中には無数の家元がひしめきあっています。 また「家」でなくとも「俺は侍だ」「私はお姫様よ」とかも有りだと思います。別に誰かの許可は要りません。内心でそう思うのなら、その人は侍だし、お姫様です。でも誰かの認可や免許が要るもの、例えば弁護士とか警察官だと「自称:」をつけると本当にヤバい人になってしまいます。 だから一つでも内心に家を建てられたら。つまり矜持を持てたら、その人はそれについて何か語れる言葉があるはずです。そんな話から友達や仲間ができるかもしれませんし、人生を懸けて達成したい目標だって見つかるかもしれません。 『第十六回』では、ただ何となくテレビをボーっと見ているのと対極にあるようなテンションについて話しています。
『作詞作曲セミナー』第十五回です。 前回から間髪を入れずに録っています。 「共感する」ことや「肯定する」ことは何となく良いこと、素敵なことという印象が世間一般で有ると思います。でも、オレオレ詐欺のアジトに放り込まれて、共感したり、肯定していたらダメでしょう。そこは「反発」して「否定」していかないと。また「そのままでいいんだよ」みたいな言い回しがありますが、それゴミ屋敷のオジサンに言えますか?と思います。 つまり「否定」も「肯定」も、「共感」も「反発」もケースバイケースでどちらも大事、等価値です。 『第十五回』では時間や潜在意識の話に絡めて、ポジティブで在るとは何ぞやと語っています。
『作詞作曲セミナー』第十四回。 セミナー四日目、真昼間の録音です。 「生きる」ということは「選ぶ」ことでもあります。小さいことから大きいことまで、今この瞬間に差し出されている選択肢に対して、「こっち」と選ぶことです。 何の考えも無しに何となく選ぶ時。 波風を立たせぬよう無難な道を選ぶ時。 誰かの期待に応えたいと選ぶ時。 周囲と軋轢を産みながらも強い意志で選ぶ時。 そのタイミングに応じて、人それぞれ様々な選択があります。そしてその連続でその人の性格、ひいては人格や人生、姿勢、顔つきや体型までが創られていくと言っても過言ではありません。 吉本ばななのエッセイのタイトルで『「違うこと」をしないこと』というのがあります。「嫌なことをしないこと」でも無ければ、「好きなことをやりましょう」でも無く「違うことをしないこと」です。そこに人間の本質に迫るものを感じました。
『作詞作曲セミナー』第十三回です。 全三十回の中で唯一、真夜中に録音しました。 失敗も成功も、良いことも悪いことも、全ては過去になっていきます。こうしている今も、時間はとどまることを知りません。刻一刻と過ぎていく時間。やはり創造は「今この瞬間」にしか起こり得ません。なら、どうやって自らの意識をこの瞬間の「今」にコネクトさせるのでしょうか。 『第十三回』では、その命題に対してドキュメンタルに挑んでいます。
『作詞作曲セミナー』第十二回。 セミナー三日目の夕方、この日2回目の録音です。 このセミナーの五日間は、今思い出しても特別な期間でした。極限まで集中力が高まり「潜在意識」という名の深海へダイブ出来る深度が深まれば深まるほど、進化のスピードも上がり、風景や情景がノスタルジックにスローモーションしていくような不思議な時間でした。 それは多分きっと「〆切のお陰」です。超がつくほどに集中した状態はずっとは続きません。しかし期間限定なら、限界を越えるような無理も利かせられます。 ~少しでもマシになるように~ 緊張感を持って目的へと邁進出来るのは【締め切り】があるからです。
『作詞作曲セミナー』第十一回。 2017年5月17日に始まったこのセミナーも三日目に突入し、5月19日の録音です。 そして今回からは【21日の午後三時で終了】という新たな指針のもとに進んで行きます。つまり五日間に渡るセミナーの始まりから三日目、終わりまであと三日という中間地点で、新しいチャプターに入りました。 実際一周回ったようで、第一回で答えられなかった「インスピレーションの降らせ方」について、『第十一回』では説明しています。 全三十回のセミナー。「ホップ→ステップ→ジャンプ」なら【ステップ】、「守・破・離」なら【破】のチャプターの始まりです。
『作詞作曲セミナー』第十回です。 前回から間髪を入れずに録っています。そしてこれがセミナー二日目、最後の音声となりました。つまり2017年5月18日の録音は『第九回』と『第十回』の二つのみでした。 この回を録り終えると、私は東京都 小平市の別宅から世田谷区の自宅まで一旦戻ります。それから用事を済ませ、その日の夕方にはまた小平に向かい、別宅で就寝しました。 だから『第一回』から『第十回』までの二日間に渡る録音は 【前日、明日までに一曲を創ると立てた志】 そういう世界観、コンセプトの中での出来事でした。 One Two Three の3段階。『ホップ→ステップ→ジャンプ』で全三十回を括るなら、『第十回』はホップの着地点です。
『作詞作曲セミナー』第九回です。 全五日間のセミナーの二日目。起床後、最初の録音となります。 「明日の午前10時までに一曲創る」と言う志を立てて、前日から始まったこの企画ですが、さて私はその志を果たすことが出来たのでしょうか。これから何がどうなっていくか、さっぱりわからぬ中、この動画の中で明確に答えています。
『作詞作曲セミナー』第八回です。 2017年5月17日に始まったこの企画。初日は計八回の音声を録音しました。今回はその最後で、夜の8時過ぎから録ったものです。ここまでは五日間に渡るセミナーの第一日目なので、「全 三十回」と言う括りでは「起承転結」の 【起】 の部分です。しかしその 【起】 の中にも、また同じように「起承転結」があります。 始まり。開闢(かいびゃく)の息吹きである「第一回」から「第三回」は 【起】 それから近所を30分くらい散歩し、降りてきた「第四回」から「第六回」は 【承】 その後私は外の世界へ車で出かけますが、運転などをしていたおよそ3時間は 【転】 帰宅後は入浴し、また録り始めますが、結果これがその日最後の録音となります。だから「第七回」と「第八回」は 【結】 この二回は一塊に出てきたので『第八回』は [結] の後半、レコードで言ったらB面です。と同時に初日の録音なので、八つの [起] の最終回でもあります。 だからでしょうか。この『第八回』が終わるとき、 「〜私はどうなっていくんだろう〜」 と未来の最後、この作詞作曲セミナーの 【結】 に想いを馳せて、この回は終わります。
『作詞作曲セミナー』第七回です。 「第一回」から「第三回」までは一呼吸で録音したので『始まりの三部作』と第三回のコメント欄に書きましたが、30分ほどの小休止を挟んでの「第四回」から「第六回」までの [40分57秒] も一発で録音したので『承けて引き継ぐ三部作』とも言えるものでした。 そして「第六回」を録り終わると、私は車で3時間くらい外出します。 それから帰宅後に「第七回」と「第八回」を録り、初日(2007年5月17日)は就寝します。つまり「第一回」から「第六回」までは昼間、「第七回」と「第八回」は夜間での録音です。 五日間に渡る『作詞作曲セミナー』(全三十回、計5時間46分)の初日。『第七回』はその日の最後に降りてきた [30分59秒] の前半、レコードやカセットテープで言ったらA面となります。
『作詞作曲セミナー』第六回です。 第一回で「ただ音を出すのではなく、一曲にする」と言いましたが、そもそも「曲」とは何なのでしょう。今回は『その曲が「曲」で在るための条件』について話しています。 一つの物語に「起承転結」が有るように、一曲も「起結」をさせなければいけません。 【終わったら始まる / 始まったら終わる】 この法則に支配された宇宙の中で「想い」と言う名のエナジーを音楽へと変換すること。 そして他人様にその曲を聴いて頂くのなら、最低限に必要なエチケットがあります。また人前でライブをする時は、この礼儀が身に付いていれば「素人芸」であっても「エンターテインメント」として成立するでしょう。
『作詞作曲セミナー』第五回です。 本来の『第四回』はトークと歌で合計23分と長かったので、二つに分けて『第四回』と『第五回』にしました。ですから今回は前回の「トーク」から引き継いだ「歌」のみです。 タイトルの『地球は行動の星』〜動かねば何も始まらぬ仕組み〜 は斎藤一人の著書から拝借しました。死にたくなるほど生きることが辛かった時期、斎藤一人を始め様々なグルたちの本や講演音声に私は救われました。現在、即興で言葉が溢れるように歌えているのも、そんな時期に多くの本や音声を浴びるように摂取していたお陰だと思っています。
『作詞作曲セミナー』第四回です。 今回は「ストイックに動いて、創作のスピードを上げること」について話しています。 生活や人生の中で迎える二者択一。そこで先ず湧き起こる怠惰や恐怖。今の現状を維持させる力と対決し、反逆をしながらの録音です。岡本太郎も自著『自分の中に毒を持て』で「迷ったら、危険な道に賭けるんだ」と書いていますが、0から1を産み出す時に必要なマインドセットについてお喋りしています。
『作詞作曲セミナー』第三回です。 今回は「圧力(プレッシャー)をかけて、創造を爆発(ビッグバン)させる」という話をしています。 ちなみに第一回から第三回までの [40分27秒] は一呼吸で一気に録音しました。ここで一旦集中力が切れるので、以上三回は『始まりの三部作』と言えるかもしれません。 今回も私の家の屋上から見えた日の出の映像に合わせてお送りします。
『作詞作曲セミナー』第二回です。 今回は「主観」と「客観」の両輪を回してクリエイションに繋げるって言う話をしています。 時間の最先端をサーフするように、天才(’’関西’’と同じイントネーションで「天から流れ込んでくる才能」)に振り落とされないように、スピードに乗って録音しています。
(0:00~) 暮れていく日 名残惜しいぜ 嗚呼 もう さよならのメロディー 響いて メランコリックが止まらないな 遠のいていく意識 以上 以下 全部 俺は ここの中に 迷い込んで 出られなくなって もう 五里霧中 白い闇 俺 全部 包み込まれて 見えない 闇 続いていく トンネルの中だから もう いつ 明けるかわからない そのエンドレスなゴール 終わるまで 全力疾走 出来る訳も無く 倒れこむ Soul 傷だらけ 倒れ込んだ場所 その飲み水 見つからず Oasis その幻 遠のいていく People 置き去り Abandon Me なんて 引き篭もっていく 内へ 内へと 見渡す限り 全部 荒野 この砂漠の中で 目 潰されていくなら もう いっそ 全部 見えなくさせてくれ この理想が 俺を縛り続ける 自由なんて怖いよ 不自由がまだ 安心出来る時 Yeah 嗚呼 燃えているなら 消されるまで 命 今 続きの続き 狂っている時のみ 正気になる そんな気がする 君の話 いつまでも 揺れる意識上に 今もあるから「大丈夫だ」って 言い張る なんて言えないことを なんて知っている Soul その「Say What」「Say Why」「Say Good」なんて 奪って その境目 Beside On Me 「You can do it for me」なんて 期待したって 全部 無駄になっていく運命(さだめ) その彗星が流れていった その先で 出会える星と星が Meeting the way it’s the place 守り抜いていた
(2:54~) 信じられない IncredibleなThings Nobody Fault Abandon Me 揺れている幻想 そのままでIllusion Delusion その境い目 流れていく その深い川に 流されていった笹舟 向かう先は誰も知らず 滝壺落とされて もう 不沈空母なんて言い張っていた頃が もう 強者共が 夢 幻 それも消える 過程も全部 終わる最中 出会い続けた 別れ続けた その続きの続き 今 通りゆくその気持ち 裏側にある 人と人の温もりに 今すぐに 気づきたい 今すぐに 感じられますように 嗚呼 君が かけがえがない 当たり前なそんな 当たり前のことを 慣れて全部 見なくさせて 空気みたいに なんて言い訳が 上手くなっていく もう 誤魔化していく その裏側に潜んだ 本音 建前 全部 裏返り 同じように 浸した 嘘 蟻地獄の中 引き込まれていく 地中 砂 奥へ 奥へ 奥へ 闇を 向こう 全部 蓋をされる 臭い物に蓋をして 全部 回避していく そのトラップ だがきっと 最終的にデケぇ その トラップかまされる 生死の境 彷徨うくらいな ピンチになり得る その前に 今 まだ 生きている なら もう 既にピンチ それ もう 知って 戦慄に慄いた後に 今 生きているなら 大丈夫 だから 生ける 死ねる その為にならば なんてもの 見つかれば その勇気 一歩 前に 進ませた 背中 逆光 眩しく Shining 生まれたままの その光 宿す星 分離せず 統合されていく 楽になる 楽に生きられて そのまま成れる 行ける
(5:58~) Round And Round Merry-Go-Around 嗚呼 まるで記憶 走馬灯 カラフルなビビッド それもきっと いつかの想い 鬼 溶けていく水玉 それを作る雨に 晴れに その間 時々 降り止まず 嗚呼 その記憶 降り止まず 未だ まだ 降り止まず ずっと水浸し この記憶 内も外も繋がりえる 海馬に その忘れていく 忘れていってしまう その足取り 全部 足跡 消されていく 時々 消える視界 見える世界 その中で逃げ惑い のんびりいたいなんて夢を見た時 幻想 浸されていく 幻聴 聞こえてくる Universe 俺 一人ぼっち ここだ 部屋から アンドロメダ 交信 受信 嗚呼 それ 電波系 なんて当たり前 一人 一人 Indivisualな戦士 嗚呼 交信 受信 送信 そのSOSサイン いつも見逃し メーデー 助けてくれ その向こうから届いた Black Hole その内側で応えた 君が手を差しのばした 銀河 吸い込まれた夢 残滓 その中で 再生されていくこと 願い続け いつまでも その部屋の中で 一人ぼっち 横たわり 斜め上空 見つめる 嗚呼 何も無い虚空 手を伸ばし また 一日が始まり 終わり 始まり 終わり 始まり その繰りかえし Wave System 今 稼働中 実行力 絶大に あなたを支配している 今も 瞬間 繋いでいる People 一人 一人 それ70億 × 一つのドラマ 喜怒哀楽 それ一人 一人 一人 ユニーク 当たり前 それ一人が感じるのみ 分かり合えない 一人と一人 それイマジネーション 想像するのみ 嗚呼 当たり前だ その違い その同じ 同質な魂 いや違い その命の キラメキ トキメキ キラメキ 同じ その思い出みたいな夢 見ている中に 始まり 続き
(9:03~) Tea For Me 飲み干し 上がる湯気に 空中 Atmosphere 雰囲気 フインキって言うな 嗚呼 そのケアレスミス Whisper いつまでも その安全 安心 それ目指し 結局は 危険なリスク 回避し続けたって 最終的には ツケ 全部 払わせられる 人生 Bet 今 瞬間 俺が 俺の名前に 嗚呼 良かれ 悪かれ ここにいるのならば その生まれた時の空 青く抜けるような 雲 今 浸す その涙 全部 続けていく 秋空に吸い込まれていく 高く 高く 高く 馬 肥えていく園 あぁもう 収穫祭も 一歩手前 世界中 もう すっかり 変わった Before / After コロナ パンデミック After Rain 同じような雨でも違う その冷たさ 温かさ 人の近さ 遠さ ソーシャルディスタンス 破り続け マスク警察 怒り続け 民族浄化される その一歩手前にいる 今 綱渡り タイトロープ 国家安全になるの 危険になるの 経済的システム 崩れ出していく音がする 株価大暴落 世界中 大食糧難なんて そんな近未来 AKIRAみてえだな MAD MAXか 近未来 今 一歩手前だ コンビニ営業中 ありがてえな インフラ 整っている ありがてえな Wi-Fiは俺の命だ そう この音と声 W I F I その新しいメディア そう 20年前から 世界は変わった 不可逆的に インターネット All Media 暴き出される その Fake And True もう ずっと 騙し続けられた ロボット化計画 70億人 下手したら バーコードで 一人 一人 管理 Dominated 税金を寄越せ Tax Your Feet お前の身体中に Taxかけて 搾り取ってやる 奴隷化計画 9to5とは言わず 「もっと働け」って 積み込まされた電車の中 夢を見る 「嗚呼 こんなんだったっけかな?」思春期の頃の初恋 Play Back 戻らない青春 未だ その成仏しない亡霊みたいな俺と俺 重ね合わせ 「嗚呼 やっぱ 言ゃ良かった‥」なんて後悔が 一番 後に残る 面倒臭くなる それが そのもの荷物になって 俺のその新しい一歩 出す時に 重荷になる やった後悔 やらなかった後悔 二種類ある そう 全然違う 結果なんて大事じゃ無い 「やったか」「やらなかったか」それだけが問われる 当たり前 シンプル その経験 「やったか」「やらなかったか」 それだけだ ここ 今 これ「聴くか」「聴かねえか」 それだけだ Yes or No シンプルだ そう積み重ねていく 積み減らしていく
(12:45~) Advantage そのデメリット メリット もう 計算ばっか 上手くなって 何を見失う 何を失う そのアウトサイド インサイド いつだって 取り引き Deal 上手くなる または 下手くそになる 一人しかいない この世界中 全部 一人 一人 その世界中 Across The Universe 変異 もう 見えない 模様 全部 失った後に 気づいていく時 夢だって 気づく時 これ現実 その間に 斜め 吸い込まれていく UFO 出現 そしてAbduction 俺は 違う惑星に転生 How Aurola 見えるか その空から 聞こえるか この声 そのUniverse 届いた 衛星 撃ち落とされていく 彗星 流れていく 願い かけ忘れ もう きっと それ 祈りの中 一つ 一つ 溶ける 嗚呼 Islamic Christian Buddhist あらゆる Religion その神 有るっちゃ有るし 無いっちゃ無い その思い込み Beautiful それだけが信じられる Artistic Of Feeling その Peace And Harmony そのWar いつだって 人間の本性 Essential その本質 喜怒哀楽 その怒りも 同じ 人間の本質 哀 それも同じように 度合い 無視したら 気楽にはなれない だから その喜怒哀楽 全部 受ける 覚悟する もう 哀しみさへも 受ける それ故に 喜びの海で 泳ぎきれる そのパワー 全部 今 充電中 休んでんじゃないよ いや 休んでるんだな やっぱり そうだ 俺は 虎視眈々 狙い続けている Next Stage 今 瞬間 登り行き 今 踊り場で Dancing 一人 鬼と天使 その間で 挟まれている 俺が 二人三脚 どちらかを選ぶ 巧妙に 仕掛けられた その罠から 回避 脱出していく 俺が 今 夜中から朝方 東京は 晴れ間 時々 九月 そして セプテンバー My Love そうやって October December 信じられるか 2020年も あと三ヶ月だ なんだ 早かったか 遅かったか 時間の経つスピードが 今年はちょっと違ったな 世界中 自転 早かったか 遅かったか わからねえな 同じ 24 Hours 自意識 貼り付いた 長えな 遅えな 退屈な時間は 遅えな
(15:35~) Time Flys あっという間に過ぎる時間は きっとエゴ 失っていたからだ もう それ産まれた時と同じだ 太陽見て ただ「眩しい」それだけ 闇見て「‥」 それだけ 眠る そののみ 起きる 鳩が鳴いている 聞こえる 季節 風 透明な その空気状の中に 溶けている Oxysion 水素 その本質の中に宿る その妖精みたいな気持ち 全部 俺の内側に 住み続けている 住み慣れている そのKingdom 一人づつ 違うように 同じように あなたの気持ち その裏側にある本質に 喜怒哀楽 正確に映し出す その気持ち 瞬間に分かり得る あなたは 今 生きている あなたが 今から 死んでいく途中にいる Across The Universe 死ぬまで続いていく物語 君の名前 きっと 墓石に彫られる時 または そう 朽ち果てていく その野山の土に還る もう それでも構わない 俺の骨は海に流してくれ または その宇宙に 散開していく Universe 新しく転生していくこと 夢 幻ともなり この世 あの世 その境目にいるくらい 四次元 五次元 二次元 一次元 その核を 創る 原子核 誘導 そして Big Bang 始まる また 新しく 宇宙 生成されていく この瞬間にも増殖していく細胞 今 腐りゆく 今 生み出している そのせめぎ合いの中にいる 生と死のタペストリー 曼荼羅は今から 砂で描いていく その色即是空 それの色をつける 空中に 南無阿弥陀仏 その弘願 浄土まで 続く旅 ガンダーラ ありがたいお経を取りに その夕日が沈む所まで 一直線に行こうぜ 西から 沈んでいく その太陽が 連れてきた その星と星と星 繋げた線 繋げた星座から届いた メッセージ 今日 あなた ラッキーアイテムは その君のBody それだけ それで勝負するのみ 最終的には Body それに 引っ張られる時 そこに真実宿る時 身体いつだって正直 嫌な時 行きたくねえし でも 行くべき時に 行きたくなくなるなんて そんなパラドクス起こすから ややこしい 脳がフリーズする 俺に反逆をする 新しい一歩 進む時に 怖さ 起こらして また 現状維持の中に 戻そうとする 俺と俺が 闘い続ける Enemy 最終的に 俺一人しかいねえ 他人は関係ねえ 俺のレースをしてるんだ 俺が俺を越えれゃ それ いいだろ 100点だ 過去の俺が 恥ずかしく思えたら まぁ それなりに良くなっている その証拠だ だから もう「良い」って言ってやるしかねえんだ 過去の俺が 輝かしかったなんて思ったら それ 今に負けているんだって 当たり前の話 今しかない 今しかない Now And Then And Forever そう今しかない 今しかない Now Then And Forever 今しかない ずっと 続く 死ぬ時まで
(19:49~) 狂っていたから 正常に戻った その異常状態なんて Alertは 聞こえないサイレン Silentなサイレン もう そのAlert System ぶっ壊していこうぜ 前へ 前へ 前へ 進んでいく時のみ 影が 消えいていくなんて 当たり前 風圧感じる 時の風 感じていく 前へ 前へ 前へ 前へ 後ろは見ねえ 見れねえ そのまとわりつく後悔や そのニヤけてしまう そんな俺が かっこいい または「あーダサかった」なんて変な声が出た 部屋の中 病気の熊みたいに ウロウロウロウロ 歩き回った 俺が縛られた 俺が俺に縛られ続けた何十年間だ それ解放させるための 今 戦いだ Fight For Myselfなんて いや もう 仲良くしてえな Be Friend With Myself 鏡見りゃ俺がいる 笑ぇや笑うし 泣きゃ泣く その喜怒哀楽 俺以上 いや もう 整形してる 俺は きっと 美化してる その実像 虚像 きっと俺は 不都合な真実だって 心地良い方を 選んでしまう わがまま 止まらない 不都合な真実 もしや それが本当なこと それ受ける時に 戦慄が走る それを感じられるくらいに 強靭に保つ それ 弱さ 鼻水 涙 流れ出す もう ボロボロに崩れ出す それは 強い心が保つ もう 保てないなんて言う時 それ 全部 波に流されていく 跡形も無くなる 夢の残滓 それ続けた物語 それ降り止まぬ 星屑に乗って Fever 777 ラッキーアイテムは 今 降り注がれた 俺が 俺に そう 過去からのプレゼント あの言葉 守った俺がいたから かっこいいなんて 俺が俺に認められれば それでOk 俺が俺を 好きになる為の戦い 今も し続けている 自分を好きになれりゃ もういい もう「俺が嫌い」に慣れれば世界中 大好きだけど大嫌いなんて パラドクス起こっちまう 俺が俺に 勝負を挑む 邪魔される 好きなものほど 邪険にしてしまうなんて それ狂っている 現代人に増殖中
(22:47~) Modern Age 現代 そして近未来 収まる 収まらない気持ち 「こんなこと夢見ていたっけか」なんて 子供の頃見た 空の色 思い出せる 思い出せない あの影 暑かった夏 帽子の裏に 汗 張り付く 海の音 遠のく プール みんな友達の歓声 遠のく Dreamy Summer Vacation 終わった 花火 見れなかった もう全部 その四季折々の 日本の風情のある夏 無かった もう 全て こうやって秋になる 収穫祭 迎えられる 迎えられないなんて その世界情勢 不安定な 今 風前の灯 Tyght Rope 毎日 もう 舞台裏では てんやわんや きっと もう まともな人達が まともじゃないことに 気づき始めている裏側 今 一人 一人 スタンバイ 新しく きっと 始まる 世界中 変わり出す 俺たちの孫の世代 もう どうなっているか もう 全く 想像を越える世界が アセンションしていく 予感 今 Maximum 俺 一人 一人 Minimam People 一人一人 微弱 だが 何人か集まれれば パワーになれる ディスり合う そんな不毛な争い 増殖しあう憎悪 それが 一番簡単な道になる LoveよりもHateの方が まとまりやすいから 面倒くせえな 認められる世界 認められない世界 俺が決める もう 離脱出来ないから ここにいるしかないから もうどうやったって 抜けられない それ抜けたら きっと罪になるから 罰 下り行く 永遠と その石を 積んでは積んでは 鬼が壊しにくるなんて そんな悪夢 見て 涙を流す 君が 今 異常だって気づく 正常な魂に 戻るための闇 当たり前 受けていく その為の闘い 従事してる 俺は その為のパワー 今 溜めている 一人ぼっち だが この一人の肩 触れる その天使 片翼捥がれて 鮮血を流している それだって 俺に 嗚呼 頼まれている 俺は そう もう 引き受けていくしかないと 腹を括る 覚悟決めた時のみに 広がる この光景に 戦慄が走る
(25:52~) 終わり 始まり 必ず 終わり 始まるから 終わり その途中 カウントダウン 今も 常に 変わらぬ 変わる いや 全部 一部 俺の中 俺の外 繋がり 俺が死んでも世界は廻る でも 俺が死んだら世界は終わる 当たり前 その目を開けりゃ有る世界 俺だけのオリジナル だが 誰にも気付かれず すごく 寂しくもなる 悲しみ 止まらなくなると それ喜び きっと あふれ出すように 今 Creation この中に住む Kingdom 俺の中にある 脳内 今 具現化させる All Soul 音 そのコード メロディー化 全部 まぶされていく ワードセンス その大和言葉 言の葉 風に舞う 秋の風の中に舞う 秋立つ その雪 降るまで 続く 空 高くなる そのいわし雲 流れていく 流れていく 流れていく 空の向こうに 流れていく もう そのまま のんびりと 空を 見つめている 野原に寝転んで その空 見る 羊雲なんて 名をつける 俺の雲 君の雲 乗れない でも 乗ってるなんて そんな気持ちの上じゃ 気持ちの下なんて そんな下は見ねえ せせらぎが聞こえるな その声が聞こえるのなら もう大丈夫だ 今からだって 行けるなら その場所 今 瞬間 辿りついた 気がつきゃ もう 今 いた ここ 今 ここにいた 旗を刺した 現在地 確かなフラッグだ それ 下手くそな似顔絵で 現在地 記したコンパス 回り出す 俺が その羅針盤に従う 俺が決める その船長は 俺一人 その航海は 快調に または 沈む その決める 海路を持つ 舵を切る 俺がその舵を取る ハンドル手放さぬように 誰かに預けて 見失ってしまったら もうゾンビ 自分の意思じゃ 歩けなくなる その常識に 従い続ける ロボット化計画 それ 嗚呼 反逆のメロディーが鳴り響く Alert 優しくもなく 単純にやっぱり厳しく それだって行く もう それ マゾヒスティック ヒーローになる ヒロインになる そんな夢を描く もう その俺は 地域のヒーロー それでいいや 俺が俺の 半径5m っていうか 俺がHappyになれれば それが最終計画だ その余波で 少しでも 周りに 良くなれればいいな それくらいだ 俺に出来る それくらいしか 出来ねえわ 俺は 俺に 責任を持つ すげえ難しいが やり遂げなきゃならねえことだ 俺が 俺の 機嫌をとる 毎日やってんだ 俺様感 俺の為に奉仕している俺がいる それだけだ 機嫌良くするんだ 俺が機嫌を取っているから 俺が俺を 俺が俺を 俺が俺に機嫌を取って そのままHappy 作り笑い いや それ 越えていこうか 嗚呼 もう なんだか 意味なく踊りだしたくなる気分に 嗚呼 もう 服脱いで 海に飛び込みたくなるような そんなくらいに 衝動的な気持ち あと 10秒で終わる いてくれて ありがとう 良かった 歌えた 声が出た 嗚呼 夜 終わる 朝 明けていく Good Bye
当日のデモで個人的に一番の胸熱だったシーンは、司会者の人が「警備に当たってくれた麹町警察の方々にも拍手をお願いします!」と言い、みんなが警察の方へ向き、拍手喝采をした時です。さらに警察の方々もお辞儀で答えてくれた時にはジーンと来ました。拡声器を用いるデモだからこそ、礼儀や節度は必要になってくると思います。言っていることがどんなに正しくても、やり方が下品になったらそれはきっと間違いになります。みんな、日本や世界を良くしたいことには変わりはないのです。今後この運動が拡大するか否かは、こんな所に鍵があるような気がしています。