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城アトベンチャー
Япония
Добавлен 27 июн 2022
城アトベンチャーは、城跡とアドベンチャーをテーマにしたチャンネルです。
実際に城跡へ行って探求するのはもちろんですが、アカデミックな探求も意味しています。
お城は歴史や考古学をはじめとして、軍事施設であり政治施設でもありました。また、建築、土木、地理等も介在する総合学問です。近年では文化財としての価値が注目され、観光やまちづくりの中心にもなっています。
城跡見学は、特に山城等はハイキングにもなり、アカデミックな探求とともに健康促進にもなります。平城でも広い城跡は、かなりのウォーキングになることがあります。
そうした様々な観点から、城跡の楽しみ方をご紹介する事をテーマにしております。
アップ主が岐阜市在住のため、東海、北陸、関西のお城を中心に紹介しています。
〇アップ主のK.INABAの紹介
・岐阜県岐阜市在住
・45才・男性
・稲葉一鉄系傍流子孫
・推し城は岐阜城
・「岐阜お城研究会」の役員
・日本城郭検定2級
・学芸員資格有
・本業はプロのカメラマン
お問合せ
shiroato.venture@gmail.com
実際に城跡へ行って探求するのはもちろんですが、アカデミックな探求も意味しています。
お城は歴史や考古学をはじめとして、軍事施設であり政治施設でもありました。また、建築、土木、地理等も介在する総合学問です。近年では文化財としての価値が注目され、観光やまちづくりの中心にもなっています。
城跡見学は、特に山城等はハイキングにもなり、アカデミックな探求とともに健康促進にもなります。平城でも広い城跡は、かなりのウォーキングになることがあります。
そうした様々な観点から、城跡の楽しみ方をご紹介する事をテーマにしております。
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長野県松山市の、城は福山城跡ではなく松本城跡ではないでしょうか?
香嵐渓の時期をさけないと凄い渋滞で大変。 足助城は素朴だけど魅力があり当時を想像できうる所、麓近くのお店での鹿肉の串焼きは美味しかった。
世代のせいか、平幹二朗さんの道三を思い出します。
昭和のころは天守裏側に遊園地があり、本丸には動物園がありました。 二ノ丸には小学校があり、生徒たちは現在も残る「学橋」で堀を渡って登校していました。 昭和の高度成長期に三の丸であった場所に高い建物(市民会館)が建てられた為、それまで大手筋(現国道一号線)からほぼ正面に見えていたはずの天守閣が見えなくなりました。1:16ごろに「小田原市は歴史的情景を~」とあるとおり、最近市民会館が閉館になったので再開発に期待です。
藤堂高虎が墓を建てたんでしたよね泣
40年以上前、初めてプラモデルを買った城です。 また買って組み立ててみたいけど、視力と気力が枯渇してきてますw
氏家卜全の孫が関ヶ原で無血開城したんですよねーーー。でも大坂の陣では西軍についてあの時は一戦すべきだったわと口癖のように言ってたそうで。
「明治天皇が京都から東京に遷られる道中、彦根城を遠望されて「キラキラしてきれいなお城だね」と述べられたので後の取り壊しを免れた」という話を聞いたことがある。
築城された当時は城の北側は広い湖沼になっていました。北方に向いている城門が無いのはそのためです。 「堀底から立ち上がっている天守台石垣」としては日本一の高さを誇っています。 「金の鯱と銅の屋根」という、非常に通電性の高い構造物ですが、落雷による火災は有りませんでした。天守西側最上階から天守台石垣中段まで銅製の雨どいが伸びており、これがアース線のような役割をしたのではないかと思います。偶然にも「天守全体が避雷針」になっていたのではないでしょうか。 木造再建も構わないとは思いますが、築城時そのままに「完全復元」すると天守内部は本丸御殿とは違って装飾もなく殺風景で、上下水配管もできないのでトイレも設置できないでしょう。窓ガラスもないので空調がむずかしくなり、鳥や虫も侵入するでしょう。窓が多いので台風などの風雨の強い時は大勢で窓を閉めることになるでしょう。 市長さん、どうか慎重に。
以前ここ訪れたけど。首洗い池から真夏やったのに汗かかないし肌寒いし、柵周辺は歩いてると足取りが地面から引っ張られてる感じがして重かった。 そして徳川家康の本陣跡の小学校過ぎたくらいから汗かき始め道路渡ったコンビニ立ち寄ったら店員のお姉さんに顔が真っ青ですよって言われた
霊感がある人には、色々と感じる場所かもしれません、、
若い頃、滋賀に7年間住まわせて貰ったけど当時は、日本の歴史や文化財に全く興味なかったな〜〜。京都も近くにあったのにアホやな~。沢山観れたのに(笑泣)当時の仲間たち近所のおじさんおじさん達、どうしてるかな。他界される人もいるだろな。音楽を聴きながら現地の道を頭の中で歩いてます。いい音楽だね。
滋賀県は良い城跡や寺社が多くあるので、行く機会が多いです
竹生島は能楽の有名な曲のタイトルでもありますね
そうなんですね!!ストーリーが深そうです。
飛騨高山城、美しかったんですね🎉😂✨✨✨❤
今は遺構が乏しいのが惜しまれます
尼子の居城一度は、元就含む大内勢を跳ね返した中国地方屈指の堅城🏯一度おとずれてみたいですね😊
実際に行ってみると、高低差のある急峻な地形に驚きます!!
はじめまして。 私は、今は三重県外に暮らしていますが、桑名市は故郷です。 子どもの頃、よく遊んだ九華公園、こんなに歴史ある場所とは、思いもしませんでした。 先週、泊まりがけで桑名市散策をしに訪ねたのですが、先にこの動画を視ればよかったです。 素晴らしい動画投稿、ありがとうございます。
公園は街中に溶け込んでいるので、城跡らしさは残ってないですよね。しかし、少し意識すると曲輪の構成が楽しめます。
最高な映像です。 何度も見てます。
岐阜城天守閣は、昭和31年に名古屋工業大学名誉教授の城戸久さんに設計を依頼して復元に着手、城戸さんは、加納城に移転したと伝えられる御三階櫓の図面を参考に当時の姿に近付けようと努力された。・・・ところが出来上がった姿は城戸さん設計のものから省略、省略され似ても似つかない歴史的価値の全く無い単なる展望台にしてしまった。同じ岐阜市民として当時の関係者たちに憤りを覚える。
三河国→みかわノくに 尾張国→おわりノくに 切込接→きりこみハギ 上野介→こうずケノすけ ですよ😅 内容が良いのに惜しいです。
兄、信雄とは、腹違いの、双子🎉
復元建築がたった35年でこれだけ古びてしまうのですから、16世紀の城郭建築の木造部がなかなか残っていないのも納得です とくに山城となると「でっかい砦」「一時的な居城」「最後に立て篭る詰城」みたいなものが多く、築城者たちも永続的な建築を意識していないかも
私も生まれは岐阜市で、梅林地区だったから金華山は良く登っていました。日本人なら誰もが知ってる織田信長の居城だったと言う事で、とても誇らしく思い、お城が好きになったと言うより岐阜城が好きなんでしょうね。柴橋市長がお城オタクなので、岐阜城の整備もしっかり準備してから発掘調査や整備をされていくと言う事なので、とても安心しております。特に木々の伐採もズバッと一気にやってしまえば良いと思うのに、山肌を慣らしていく為に徐々に切っていくとか、全体をチャンと見据えてるとか、現行施設も予算や現状、法律を照らして、結果現行施設を利用していくとか、好感が持てます。本来なら今流行りの本物志向で木造にして欲しいですが、なんせ国史跡ですから、史実通りでないと建てられない。壊したらそれっきりになる危険な行為なんですよね。ただ建築物も、どこまでの制約があるか分からないですが、石垣の復元も何処まで出来るか不透明ですから心配もありますね。今後の整備を見守る楽しみが出来ましたね。
関ヶ原で後方の街道が大渋滞していて伊勢路を退却して行った
西軍は戦のプロで武人島津義弘を軽視し冷遇しているようだったが、これが大きく影響している。重用すれば違うと思う
5:12上野介「こうずケのすけ」ちゃう?
それならついでに、天守閣を当時加納城に移したといわれていてる天守閣だった、御三階櫓の設計図通り建て直しも希望します、是非❗
国史跡になった事もあって、壊したら史実の通りでないと建てられないんですよねぇ。だから、今の天守を大事にしないといけないんですよ…(´・ω・`)
子供の頃、兄や、父親と、この場所に来た、鶴が駅前から、他、海がみえる山の様なところを歩いた記憶があり何処だっけと、考えていたら、こちらの動画に、たどり着きました.ありがとうございます😭スッキリしました…🎉
素晴らしい、 岐阜城はロケーションが最高なんですよ😆
CGみたい
👍
母が桑名の出で 親戚も桑名に多いので 興味深く拝見いたしました ありがとうございます
見晴らし抜群になる岐阜城に期待します🏯
桑名城主で、氏家行広(監物)が司馬遼太郎に好意的に扱われていますね。 「海の関守」と自称していたらしく、小大名にも関わらず東海道の要衝でもあり、東西両陣営から強く誘われたけど、当初は中立を唱えていた。宇喜多秀家等の伊勢方面軍の圧力で西軍に荷担したが、活発な活動はしていませんでした。 戦い後、改易され、流浪しましたが、大坂の役では徳川家の理不尽さを責め、荻野道喜と改名して大坂城に入城して、豊臣家と運命を共にしました。 豊臣期にも、現状の城跡に相応しい海城(水城)があったと想像したい。
BGMも素敵ですね。つわものの賦
南光坊天海説を信じる
色んな説があるのは、面白いですよね🤣
三成側が負けるとわかっていても「親友」として三成側についた吉継は憧れ!しかも、ハンセン病で目もみえぬ自力で立てぬ状態で輿に乗って指揮していたと考えるとスゴすぎる大谷刑部吉継
負けたのに、人気あるのも凄いです
皆さん岐阜には白川郷と下呂温泉しか見所がないと思ってませんか? 自分はそう思ってました。(岐阜県民さんゴメンナサイ)
歴史ある美濃地方も魅力あります😀
高虎さんの娘さんは朝鮮半島朝鮮国孤児五十一人テロ犯罪集団拉致監禁強姦罪で殺されたも同じです。180年前から拉致監禁暴行殺人罪こんな歴史ばかりで武家達が怒ったんです❗️藤原良子。
意味不明です?
「すごい石積技術」の一言に尽きますね。
丸石は積みにくいはずですよね
昔訪れたとき、城の隣にある高校の野球部員が城下から本丸までを走って昇り降りしていました。 隣り町には甲子園常連校があるので、部員たちに「隣の常葉菊川高に負けるなよ!」と声援を送ったのを覚えています。 城下の旧東海道筋には葛湯の美味しい和菓子屋さんがありますね。
街に溶け込んでる城跡です
@@shiroato.venture さん 長閑な街と城ですが、戦国大名としての今川氏の終焉の城であり、山内一豊が家康に差し出した城。意外に歴史に名を残してますw そういえば一豊は高知城天守を掛川城天守に似せて作らせたとか。何か思い入れが有ったんでしょうかね。
驚きました。 永年「岐阜城の山上の郭には井戸が無い」と言われていて、私は「井戸は無くても(苗木城のような)天水が溜まる水場みたいのがあるんじゃないか」と思ってました。 今回こんな立派な滝があるのを見て「実は金華山にもどこかに水脈があって、井戸の遺構も見つかってないだけかもしれない」と思えてきました。考えてみれば井戸は重要な施設だから、山中の簡単に発見できない所に隠されているのかもしれませんね。 ありがとうございました。
この滝は山麓部にあります。山上部は井戸跡はありますが、実質的には雨水溜めです。岩山なので雨が降ると流水量は多いです。雨の日は谷川や滝が増えます。
@@shiroato.venture さん ありがとうございます。 山麓にこんな滝があるのなら、山腹のどこかにこの滝の水源があるのでしょうね。雨の日でなくてもこれだけの水量があるなら水源は1か所じゃないかもしれない、と思いました。
大多喜城は忠勝が十万石で入りましたが、桑名に移った以降は大多喜藩は石高が下がるばかりだったため、城が維持されませんでした。明治時代には本丸付近が削平されてしまったこともあり、当時の遺構はあまりありません。 ただし、城地としては山を背負い、蛇行する川と渓谷を掘に見立てた、なかなかの場所です。だいぶ小ぶりながら地形は仙台城に似ています。 大多喜には最中が美味しい和菓子屋さんがありました。行かれた時は是非。
バカ息子(信雄)が🔥燃やしたんよね😩
諸説ありますが、可能性は高いですね
家康の家臣じゃないんですかね 燃やしたのは。
結局、破城の可能性になってきましたね
行きたいところだが、江戸川区からはちょと無理だ。 柴田勝家の陣城かあ〜 秀吉コノヤローなんて言っていたのかなあー
勝家であれば言っていたかもしれません(^^
初めて見た。 ありがとうございます。
秀吉に「吉継に大兵を預けてみたかった」と言われたほどの将。敵となってしまった藤堂家に立派な墓を建ててもらったことをみても、周囲から尊重され親しまれていたことがわかりますね。
東軍勝利の立役者になった小早川秀秋よりも、大谷吉継の方が慕われている事を考えると、忠義で名誉を残したといえます。
佐和山城は東山道と北陸道を押さえる要所として申し分ない立地だと思います。城そのものも「三成に過ぎたるもの」といわれるほどの、なかなかの堅城だったのでしょう。わざわざ彦根に新城を築いた理由がよくわかりません。 当時、三成は世間からそこまで嫌われていたのでしょうか。 わからないといえば、井伊直政が四天王にかぞえられている理由もわかりません。 当時最強の武田遺臣たちを家康からあずけられ、「赤備え」を許されるほどですが、家康から過度に優遇されているようにしか思えません。徳川家への貢献度からすれば、本多重次、大久保忠世、鳥居元忠、服部半蔵など他に候補が山ほど居ると思いますが。
実際に佐和山城に行ってみると分かりますが、けっこうな山ですので、その後の平穏な時代では不便です。もちろん三成のイメージも消したかったかも。 四天王は後世が勝手に付けたものですので、色々な意味で印象が強かったかもしれません。
@@shiroato.venture さん 三成は(近江の城に多くあるように)湖から城の直下まで大掛かりな運河を掘ったそうで、城下町もにぎわい始めていたようです。当代一の文官である三成ですから平安な時代も見越していたのでしょうね。
島津軍の退き口の時、初めに遭遇したのは福島正則。経験豊かな正則は追い詰められた者の危険さを熟知しており、島津軍をスルーします。 これに対して追撃したのは若い忠吉(家康の四男)と直政。本田忠勝はサポートとして従軍したようです。 この追撃は家康の下知とは思えません。もし下知なら家康は戦が上手くないことになります。独断で追撃した二人は家康の采配を学ばなかった凡将だったのかもしれません。 逆に福島正則は戦上手の秀吉からそれを学んでいたことが伺われます。 松平忠吉は兄の徳川秀忠の戦下手さに似たのかもしれませんが、直政は四天王といわれた人。 私が井伊直政を買っていない理由の一つです。
忠吉の若気の至りだったかもしれませんね。直政も好戦的ですので、直政が煽った事も考えられます。
@@shiroato.venture さん 直政は小田原征伐の時も小田原城に突入し、一時的に郭の一部を占領しています。 一見華々しい武功ですが、長期包囲戦を選択していた秀吉から見れば何の価値もない行動です。秀吉はこういう自らの戦術/戦略に合わない行動を嫌っており、同じ小田原戦役で浅野長政が下総方面の諸城を落とした時も「鉢形城攻めに加われ」という秀吉の命を無視した形になったため、全く褒賞されませんでした。 小田原城に突入した件も、直政が秀吉の直臣だったら「命令違反である」と叱責されていたかもしれません。 関ケ原では猪武者ぶりが災いしましたね。
義弘は軍勢を率いてきたのではなく、たまたま大阪滞在中に戦に巻き込まれたそうです。ほとんど手勢が無いまま参戦することになりそうだと聞いた国元の薩摩隼人たちは主君(義久)の命のないまま農作業を放り出して大阪に向かいます。(もちろん義久は黙認です) 戦場での活躍は動画の通り。ちなみにこの時島津軍を追撃したのは井伊直政と本田忠勝ですが、直政は島津軍の反撃を受けて重傷を負い、翌年亡くなります。 四天王の一人を失った徳川家ですが、先述のとおり「当主義久は出陣の命を下していない」ことにより島津家に対して厳しい責任追及ができませんでした。関ケ原に直接参加しなかったのに改易寸前になった毛利家とは大違いです。
詳細な補足解説をありがとうございます❗️👍
スマホで知った、国友町。又三郎さんへ。