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通過代用進行
Япония
Добавлен 12 дек 2018
■現在のところ、単発動画を上げております。
端子箱(携帯電話機用) 1形
1989年10月 サンコーシャ製造
携帯電話機を電話回線に接続するためのターミナルボックスです。運転と電力が磁石電話回線、交換が自動電話回線です。2年ほど前にウォルボックスを使ってそれっぽいものを自作しましたが、このたび実物を入手したので実際に使えるように結線しました。
自作した端子箱を用いた動画
ruclips.net/video/ZjNdHQXwMg0/видео.html
ruclips.net/video/JHckrlVEvFs/видео.html
沿線電話機について
ruclips.net/video/5zfYU1BfDpc/видео.html
携帯電話機を電話回線に接続するためのターミナルボックスです。運転と電力が磁石電話回線、交換が自動電話回線です。2年ほど前にウォルボックスを使ってそれっぽいものを自作しましたが、このたび実物を入手したので実際に使えるように結線しました。
自作した端子箱を用いた動画
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沿線電話機について
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【12系解説】12系って結局何がスゴいの???(字幕あり)【CeVIO AIトークボイス/花隈千冬】
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1969年に国鉄が生み出した12系客車を、主に足回りを軸に千冬ちゃんに語っていただきました。 参考文献をまとめたnoteはこちら↓ note.com/shiny_otter8/n/n42caf0d7fd44?sub_rt=share_pw
【ロンチキ】北陸本線 高月-木ノ本間 ロングレール取り卸し【DD51 1183+チキ5500】
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2024年6月26日から27日にかけて高月-木ノ本間で行われたロンチキによるロングレール取り卸しの様子です。
【いにしえの鉄道設備】時計式限時解錠器
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電気連動装置の停車場において、進路鎖錠もしくは保留鎖錠が設けられた信号機を復位した時の解錠時素を刻むためのゼンマイ式のタイマーである。本機は30秒に設定されている。始動位置まで移動させるのは手動であるため、概ねてこ近傍の壁に固定されている場合が多い。 現在主流の継電連動においては時素リレーが用いられており、現役の限時解錠器は非常に少ないと思われる。少なくとも2017年時点で扇町駅(第2種電気連動装置)で現役であったことを業界紙で確認している。 時計式限時解錠器 昭和38年4月 大同信号株式会社製造 BGM:フードワゴン -BGMer-
【2024年春改正】米原敦賀間ノンストップ臨時快速【7201M】
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2024年3月16日改正で北陸新幹線が敦賀駅まで延伸され、サンダーバードおよびしらさぎは敦賀発着に変更された。 しらさぎでは従来運転されていたしらさぎ52号(金沢5:10発→米原7:08着)としらさぎ65号(米原22:48発→金沢0:40着)が廃止となり、それに代わる代替列車として米原-敦賀間に快速列車が設定された。これまでの52号/65号とほぼ同時刻の運転であり、敦賀でハピラインふくいの快速列車と乗り継ぐことで米原-福井間を移動できる。 列車案内は「臨時」で統一されており、自動放送でも快速の"か"の字も出て来なかった。この快速列車は9月30日までの運転とされており、利用状況次第で10月以降(ひいては'25年改正)以降も運行されるのかが決まるものと思われる。
SLスチーム号運転終了後の給炭/給水・入庫作業【京都鉄道博物館】
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2024/2/8 京都鉄道博物館で運行されているSLスチーム号は概ね16時前に運行を終了し、16時10分頃から機関車の灰落としと給炭給水のため転車台を使用した入換を行い、作業終了後に入庫していきます。
【2024/1/22】米原駅3番のりばから発車する北陸本線の列車【携帯動画】
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2024年1月22日、北陸本線130M(敦賀7:47発→米原8:40着)が虎姫駅での急病人対応のため約20分遅れて米原駅に到着し、折返しとなる137M(米原8:46発→長浜8:56着)が約15分遅れで米原駅を発車しました。この列車は所定6番のりば扱いですが、6番のりばには神戸方面からの新快速(3408M)が到着していたため、3番のりば扱いに変更されました。3番のりばから敦賀方面に発車する定期列車は設定がなく、そのうえこののりばに521系が入線することもないため、珍しい光景が見られました。 なお、隣りの2番のりばに到着する521系は平日1本だけ設定がありますが(134M)、この列車は入庫となります。また、2番のりばから発車する長浜行きは夜に1本だけ設定されています(153M)。
つめあわせ【ちょっと珍しい601形/電気が止まると電話はどうなる???】
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本編に入れなかったカットを詰め込みました。 ↓本編↓ ruclips.net/video/-G84OTHtTtk/видео.html ・601形「ゆっくりしていってね!」 ・隠しギミック"ベル調" ・停電だ!
【CeVIO AIトークボイス】1台5役の鉄道用電話、沿線電話機【小春六花/夏色花梨】
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またまたヘンな電話を手に入れたようです。 <出演> 語り手:小春六花 聞き手:夏色花梨 (CeVIO AI) ・沿線電話機(12形AD) / 1995年7月 沖電気工業製 <使用BGM> なんでしょう?(DOVA-SYNDROME) フードワゴン(BGMer) <参考文献> 技術の系統化調査報告「電話機技術の系統化調査」 sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/report1.html NTT東日本「電信電話のあゆみ」 www.ntt-east.co.jp/databook/ <おのりかえ> ruclips.net/video/-G84OTHtTtk/видео.htmlsi=1wvlNuotJa1OH-DR ruclips.net/video/WZG7cR4PLXs/видео.htmlsi=c_031F47ZT8UXWR...
近江鉄道・水口新町踏切 ~踏切信号機健在の頃の記録~
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水口新町踏切(滋賀県甲賀市水口) 近江鉄道本線と滋賀県道549号線が交差する踏切。滋賀県下に2箇所しかない踏切信号機が設置されている踏切のうちのひとつだが、2023年12月28日いっぱいで踏切信号機の供用を終了し、一時停止を要する一般的な踏切へ変更された。
【2023/10/26】臨時普通列車 米原発木ノ本行き 長浜駅自動放送【9941M】
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滋賀県高校総体輸送に対応するため、米原753→木ノ本822で臨時の普通列車が運転されました(折り返しは回送)。長浜駅での自動放送の記録です。
【CeVIO AIトークボイス】六花ちゃんが自宅で黒電話を使えるようにしたそうです。【小春六花/夏色花梨】
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【CeVIO AIトークボイス】六花ちゃんが自宅で黒電話を使えるようにしたそうです。【小春六花/夏色花梨】
【磁石電話で遊ぼうプロジェクト第4弾】携帯電話機を回線に接続するための端子箱をそれっぽくでっち上げる
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【磁石電話で遊ぼうプロジェクト第4弾】携帯電話機を回線に接続するための端子箱をそれっぽくでっち上げる
ちなみに私の場合は国鉄型12系客車は乗らなかったけどとりあえず12系客車臨時快速と臨時列車をたくさん撮影をしたかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
たまたま秩父鉄道12系客車が運転があつたので熊谷駅に向かったしばらくしてから秩父鉄道12系客車やってきたので熊谷駅で12系客車を撮影したよその後高崎線で本庄駅向かったしばらくしてから臨時快速奥利根号12系客車がやってきたので本庄駅で機関車と12系客車全編成を撮影をしたかなまるで12系客車のざんまいをした感じかな今はコロナの関係で出来ないかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
2007年頃たまたま本庄駅で臨時快速奥利根号で12系客車編成で停車していたので機関車から12系客車全編成を撮影をしたかな今は懐かしいかな、😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
ジエアール西日本12系客車は全車東武鉄道と秩父鉄道に譲渡したほうがいいよ廃車するはまだ早いかなあとは部品取り用充てるほうがいいかな、ら😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
水防法第27条の「鉄道通信施設」ってこれのことか
うちの電話は ネジ止めでしたよ s50年代で600型だったけど
12系客車新製の背景にはもう一つ理由があって、 当時、国鉄は貨物輸送が急激に需要が少なくなっていた。 そうなると、機関車が余剰気味であったことで、その結果、効率的に客車列車の増発設定をしたかった。。。
12系と言えば、JR九州、筑豊本線の50系に1両だけ連結された12系に約1年だけ通学で、そしてJR西日本の奥出雲おろち号に1度乗ったくらいでしょうか。おろち号はトロッコ車両に人が集まる中、悪天候時用の控車12系はリクライニングシートに改造されたくらいでほぼ元のままの12系に驚いた記憶があります。冷房も効いていて快適でした。おろち号も引退しちゃいましたから残念ですね。
昔の客車を知らないと、12系の良さはわからないよね。
エアコン付き、さらには自動ドアと当時の急行客車のスペックを完全に覆した車両でしたね。 西日本エリアでの乗車例はありませんが、つくば万博の臨時列車や碓氷峠廃止の際の臨時列車ではお世話になりました。
昔は至る所、各地で見られた。この客車は、どのカマが牽いても絵になった。
12系と言えば万博列車。1970年でも北陸線は、急行越前だって廃止になる1982年までずっと旧型車両だった。冷房が効いていて、酷暑の1970年だったから嬉しかったな。車両が余っていたんなら、越前に使って欲しかった。結局、ディーゼル発電機を積んでいるから、保守が難しかったでしょうね。急行能登も489系電車化の前は、14系で快適に福井に帰れた。いずれにしても、583系並みの折り畳みドアだったし、ブルトレみたいな色で当時斬新でしたよ。1973年急行きたぐに?北陸トンネル火災事故の次の年だな。抜擢されたというか、あれだけの大惨事を起こしていたからそうせざる得なかったでしょう。
12系客車には、いろいろ思い出があります。 神奈川県の大学に通っていた時代、1981年から1987年まで、札幌の実家と神奈川県内の下宿やアパートまでの帰省で、最初のうちは、本州内は昼行や寝台の特急を使っていましたが、道南ワイド周遊券を使ったり、長期間尾規制で片道の切符を使うとき、上野発の夜行急行、十和田や八甲田を利用していました。年末や2月の帰省で乗車した上野発青森行きの列車は、12系の列車を使っていて、21時ころ発車だったので、帰宅を急ぐサラリーマンも急行券を購入して乗車していて、まあまあ混んでいました。でも、宇都宮当たりからは、サラリーマンのお客さんはほとんど下車していて、その先の、仙台、盛岡、八戸、青森を目指すお客さんでした。 山陰地方を旅行した際、雑客の普通列車乗車時、コーラの空き缶を座席の下に挟んで傾斜を作って、手すりを枕代わりにすることを覚えてからは、もっぱら、12系の急行列車は、閑散期や車内が空いている場合、コーラの空き缶を使っての枕替わりで片側の席を占領して、楽な汽車旅でした。でも、年末の臨時八甲田だったか十和田に乗車した際、留置線に眠っていた予備車もフル動員したみたいで、上野から仙台までは良かったのですが、盛岡から先は車窓が雪景色になると、なんと暖房が故障していたらしく、室内が寒くてたまらず、終点の青森まで震えていました。 そして、逆に正月3日に青森から上野へと神奈川県に戻る際は、青森発0:02だったので、青函連絡船を下車する前から、席取りで船内で並んでいて、船が青森に着岸してすぐ、急行八甲田が待機しているホームまで、駆け足ダッシュの青森走りになり、急行八甲田の自由席に乗っても、帰省客で車内が混んでいて、八戸、盛岡、仙台と停車するたびに、お客が乗ってきて、車内に立ち客がでて上野までそんな状態でした。ただ、東北新幹線が開業していたので、始発の新幹線で移動する方は、途中下車をしていました。 あと、夏に長野県に行ってから、大阪経由特急白鳥~特急北斗で札幌に帰省する際、松本から大阪まで、夜行の急行ちくまに乗車した際も、12系と20系の混結編成だったのを思い出しました。 当時の国鉄が、東北の夜行急行の体質改善で、14系客車を導入したことは、14系座席車の簡易リクライニングシートにロック装置がないことと、通路側に座って寝ると、頭をもたげる手すりが14系客車にはないため、夜行で長時間乗車する場合、かなり疲れた記憶があります。やっぱり、夜行急行はボックス席に限りますね。 こんな昔の旅の記憶を、思い出しました。
12系のブレーキ装置はもともと10000系貨車向けに開発されたブレーキシステムで、ブレーキ力は貨車ほど強力で無くて良いので10000系貨車から電磁指令弁を抜いた構成をしています。 貨車での三動弁の固渋問題は深刻であり、またその整備も面倒を極めるものだったためメンテナンスの省力化を図る目的で滑り弁の代わりにダイアフラムを用いたのですが、これが結果として応答速度の向上としてメリットを享受できたのが12系客車だったのかも知れません。 牽引機を選ばないブレーキシステムという特徴はコンテナ貨車のコキ50000形にも使われましたが、こちらはブレーキ力の観点からブレーキシリンダーが大型化することから最高速度は95km/hで使用され、さらなる高速化には電磁指令弁が必須となりました。 それにしてもイベント列車の「北びわこ号」が無くなったのは、残念です。
こんばんは〜長い忍び錠は腕等にあたり折れたり 曲がったりする為 車掌さんは短い鍵を好む。
なんだかんだで12系は残ってるけど、14系は消えちゃったね😅
寝台特急列車が無くなりましたからね。 地域分割民営化の弊害とも。
90年代中盤くらいに上野→金沢で臨時夜行急行の加賀で乗りました。てっきり14系座席車が来ると思って12系が来てテンション下がった記憶あります。 普通列車格下げも含め唯一乗った列車なので、もう少し味わって乗れば良かったと後悔です😢
夜行ですと正直14系のために簡易リクライニングシートより快適です。夜中にロックの効かない座席車を倒されてそのまま立つとかなりうるさく目が覚めてしまいました。シートピッチも狭く座席下の暖房カバーが邪魔で足も伸ばせず窮屈でした。空いていればいいですが!14系は夜行には向きませんでした。
12系客車は、スハフ車に、冷暖房用の三相電源用エンジンと、発電機の他に、ベルトで駆動する 車軸発電機も付いています。
「みんな大好き『階段緩メ』」で盛大に吹いたw
涼むために見てます。
大雪になると223系は近から金になります。
当時の急行用一般用の旧型客車は、営業最高速度は95 km/h、ドアは手動、車軸発電機のみの白熱灯等薄暗い車内、空調ナシ、振動のある金属バネ、貨車と同じ衝撃の強い自動連結器、自動空気ブレーキ、狭い座席間隔、等が普通だった。 ここら辺の所が全て一新されたのが12系客車だった。110km/hの最高速度、自動ドア、ディーゼル機関による電源搭載で明るい車内と空調完備、振動の少ない空気バネ、衝撃の緩和された密着自動連結器、新開発の応答性に優れたCL形応荷重機構付自動空気ブレーキ、余裕のある座席間隔等。これで牽引機の制約もなくなり、EF65等の新型電機牽引でも高速運転が可能になった。 12系客車は今となっては陳腐化してしまったが、これらのシステムは多方面に生かされ、当時としては急行形電車と同じような画期的な近代的客車だった。
もう一つ字幕式方向幕も初採用されています。急行型では!特急型では481系が確か最初で581系が続きました。それと客車では12系にユニット窓も採用されています。
特に、オハ12345が廃車になることが残念です。1両だけでもJR東日本か東武か大井川鐵道に行って欲しいです。
JR東日本だって12系客車は老朽化しているのでいつ廃車に至っても不思議ではない。SLばんえつ物語の12系客車も改造車なので客車を新製しないといつまでもつか?心配だ。特に12系以降の客車は軽量化されているので旧型客車に比べて陳腐化がおこりやすい。
12系は万博へ向けて開発・製造した客車だが、線路上どこにでもあるあたりまえな車輌であることを忘れてはいけまい✋☺🚃
万博に行くときに始めて乗りました。当時小学校4年生の夏。長門54号か59号の夜行急行。全く期待をしていなかった。ボロ客車のエアコンなしの寄せ集め客車と完全に思い込んでた。それがホームに出てみると、発電機のゴーとい音が聞こえてきて窓が曇っている。子供心に心が躍る。本当に嬉しかったな。
当時急行ながとではなくて宮島ではないか?あるいは夜行急行音戸が12系座席車でした。なにか勘違いしているのでは?
おー、なんと素敵な言葉使い。
若桜鉄道 DD16+スロフ12オロ12スロフ12運転に期待
何がスゴいかって、そりゃ「牽引車を選ばないところ」だろうな…と、模型鉄な自分が呟いてみる。 実際、SLが牽いても良し、ELが牽いても良し、DLが牽いても良し。 18きっぷで12系の普通列車には何度かお世話になったが、夏に乗ると寒いくらいよく効いた冷房が嬉しかった。何か、電車や気動車とはまた違う効き方だったんよね。 車内の製造者銘板の「新潟鐵工所 昭和44年」とかいうのを見ては、ああこの車両も大阪万博輸送で活躍して、当時も冷房付きで喜ばれてたんだろうな(脳内BGM:世界の国からこんにちは/三波春夫)、と往年をしのぶという楽しみ方も出来た(※動画の12系は大阪万博後世代だが、その代わり今日まで生き残れた)。 無理かもしれないけど、トキ鉄さんか大井川鐵道さんが譲受するとか、無いかしら。
東武も良いと思いました。
@@nakagaminobuhisa さん なるほど!!そのセン、結構、現実的かもしれません。
世代的に12系は東北から四国・九州まで乗ったが、何が素晴らしいかは未だにわからん😵🌀
今と違い機関車があったと言うのも大きそうですね。(当時はあまりにも当たり前で意識されなかったと思いますが) 本か動画か忘れましたが「長期休暇時に余剰になる貨物用機関車を旅客用として利用するため」と言う理由も聞いたことがあります。 (工場等がお休みになり貨物輸送が減るそうです。) それにしてもブレーキの解説、ここまでわかりやすいのは初めて見た気がします。
12系と言えば、昔、急行「きたぐに」が旧型寝台+12系の編成だったころ、新潟以北で乗った経験が有る。 確かあの当時、急行「きたぐに」の寝台車は大坂-新潟間のみの運用で新潟以北は切り離していた為、寝台に乗っていた人間は新潟駅に着くまでに12系客車に移動する必要が有った(上りは当然逆で、新潟駅で寝台車に乗り換える必要が有った)。 私の場合、旧型客車切り離しのシーンが見たかったので新潟駅でそのシーンを見た後、移動していた。 確かに旧型客車に比べると快適だったと記憶している。
その移動めんどくさいですね。 もう乗り換え同然ですね。 サービスで割引とかあってほしいよね。
旧型客車はオロネまたはオロネフ10型を除いてエアサスではなくてコイルばねでした。またきたぐにと同時期に急行音戸下りの2号と上りの1号も座席車が12系客車に変わっています。昭和48年10月ダイヤ改正からです。それときたぐににはコマウサントウダイヤ改正までにグリーン車のスロ62型も外されました。
@@あさま189-t2o割引っつーか、どうせ大半の客は周遊券🎫やな😉
20系は当初、エアサスのダンピングや戸閉め装置もブレーキ用のエアーから供給されてたんやけど 設計陣の予想以上にエアーを食ってしまい試運転の際、ブレーキが効かないトラブルが発生した。 そのため、各車両にベビーコンプレッサーを取り付けて対応するという非常に 面倒臭い事になった。 43-10改正で20系に電磁ブレーキ使用と同時に元空気ダメの引き通しがない機関車は基本的に牽引できひんっちゅう制約ができたけど臨時列車用っちゅう目的から12系に牽引機が限定されたら使いづらかったやろな
20系でドアエンジンを装備するのは後年12系と併結改造されたグループだけと記憶しておりますが?
@@steeldust-x2s 20系のドアは開くのは手動やけど戸閉めだけは 車掌室のスイッチで一斉にできたから
@@dai2asakaze 車掌スイッチで操作できるのは電磁ロックだけで、高崎で動態保存の旧客同様だったはずです。そもそもデッキがあり頻繁にドアを開閉しない特急車に半自動機能の必要性はありません。
旧客無くなってクーラー付きの12系はいいなって思った。まぁ日本に於いてはもう客車が纏まって増備されることは無いですからね。タイにいて中国製の新車寝台車乗って、日本製でこう言う車両は産まれないんだろうとつくづく思った
12系は1970年の大阪万博輸送の国鉄エキスポ号のために制作されたというイメージが強いのですが。。
その後昭和52年にはスハフ12型の100番台が製造されて電源車の出力がアップして6両まで給電可能になっています。外観では屋根上のクーラーセキで判別できます。オハ12型とオハフ13型は続番になっています。
今度また大阪で万博が有るので12系を作ったら良いと思いました。
問題は牽引できる機関車が老朽化していることです。客車はづくっても機関車がないことだ。
JR東海では工事列車で機関車を牽くことも無くなり(レール輸送すら気動車)、機関車を運転できる人員も無くしました。このため東海道本線を牽引する客車列車の運行は不可能になりました。 動力車操縦者免許上は電車や気動車と同じでも運転取扱に大きな違いのある機関車の運転士を養成するには手間が掛かるため、レール輸送等の工事列車の気動車化はJR東日本も実施しました。このため機関車の操縦はイベント向け蒸気機関車の機関士や車両の配給輸送用の限られた運転士だけになりそうです。
バラストを運ぶやつとか、新車廃車を牽引するやつとか、形式は電車とか気動車でも牽引したら良いと思いました。
12系解説というより、鉄道のブレーキ装置解説として、分かり易くよくまとめられている。素晴らしい。
電磁直通ブレーキ打はない反応速度の速いブレーキ。 解りやすく解説頂いてありがとうございました。
難しくてしかも操作の意味が掴みづらい作業で、これは人力ではなく自動化に最適な内容っすね。
風切みたいな部品が有って回転するのかと思いきや、アンクルのウエイト兼空気抵抗で制動を掛ける部品ぽいですね。裏側が見えないので確証は有りませんが。
蓋を開けられるのも時代を感じます。今のリレーは封印してありますもんね。
防爆仕様 そそり刺さります 格好いいです
さよなら
0:17 なんか発車しそう
停車場間に軌道回路のある連動閉塞式ならトークンレスで安全は担保できても、停車場間に軌道回路のない連鎖閉塞式でトークンレスというのは、非自動閉塞にしては不完全な閉塞方式と言わざる負えない方式ですね。
イライラする到着音楽
元加越の時間帯。博多からの帰りにも利用した。北陸新幹線の時代になっても、この列車の筋は必要なんだよ。出来ることなら、接続のハピラインふくいの快速が芦原温泉駅まで延伸してくれないかな?
快速なのか臨時なのかわからんな 思っていたよりも乗る人いるんだな。数人かと思ってた
特急料金不要の速達列車だから種別でいうなら"快速"ですね 元々しらさぎがあった時間帯なんてそれなりには利用されると思う
設置場所が分かり易い用に路線のキロ数を書いて入るのは初めて見ましたね(蓋の内側に表示が有るのかも知れませんが) 博物館で展示している物を見た事が有るので内部は知っていましたが音がなって居るのは初めて見ました
JRさんの名刺やメールに記載された番号はこうゆうことだったのですね。
601型のシロフォン(鉄琴)の音が、なかなか懐かしいです 元祖携帯は、電電公社の電柱登り工事屋さんが、肩から下げてましたね 防爆式の東抗-17って表示が、控え目に言って最高です😁 本当に坑内での使用品だったのでしょう 昨今のトンネル建設現場でも、こういう防爆品が使われているのか、それとも坑内も4GLTEになってるか、知りたいものです
鍵がかかっていても111-1111には発信できますね
20年くらい前は停電作業前の連絡等においては現役バリバリだったなぁ…(遠い目) 雑音が酷く絶対に通話不能なのが分かっていても最初は携帯電話機で連絡しろ!と言われていたことが懐かしいです。