細野晴臣 『daisyworld』 ゲスト : 大滝詠一 2 1999ラジオ

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 2週に亘る放送の後編。

Комментарии • 9

  • @MsKiki34
    @MsKiki34 10 лет назад +11

    貴重なお話を聴かせて頂き、ありがとうございます!
    細野さんは最初から「ボク」、大滝さんは最初は「ワタシ」そして途中から「オレ」・・・。
    細野さん、、、「手伝うから、アルバムを作ろうよ。」って粘っていらっしゃいますね。
    笑い泣き。。。です。

  • @motohideimotohidekobayashi140
    @motohideimotohidekobayashi140 10 лет назад +8

    いや〜 おもしろいですね。
    何度も何度も聴いてます。
    聴けて感謝しています♪

  • @690918sakai
    @690918sakai 7 лет назад +4

    大滝さん本人が飽き性なので続かないんです。同じ路線は飽きちゃう。

  • @okokreiji6410
    @okokreiji6410 10 лет назад +3

    瑞穂町スタジオと狭山ホソノハウスの中間に生まれて今も住んでる私です。
    GoGoナイアガラでの対談と殆ど変わらない雰囲気がたまりませんね。
    あらためて、合掌です。

  • @sinogonoiwazuni
    @sinogonoiwazuni 2 года назад +1

    細野さんの映画をさっき観てきてのアレで。
    …この対談の動画を映画で観てみたい。

  • @zazenboys316
    @zazenboys316 2 года назад +2

    25:03
    細野さんがさりげなく誘って、大滝さんが照れてはぐらかすところが
    二人の関係性が見えた気がして本当になんとも言えない感情になります、、、

  • @MrThe13825
    @MrThe13825 10 лет назад +14

    結局、大滝さんはロング・バケーション路線を長く続けるつもりはなかったんだなあ。ナイアガラ・ムーンに代表されるようなメロディーよりリズム重視のノベルティー音楽で大成したかったんだけど、結局、まったく売れず、ロング・バケーションのような情緒に訴えるようなメロディー重視の音楽にあんまり興味が無かったんだ。レコード会社から次もロング・バケーションのようなものばかり要望されて、へそ曲げちゃって、セミ引退を決め込んだんだ。日本の音楽ビジネスに絶望したんだと思う。

    • @tamotsukojima
      @tamotsukojima 3 года назад +4

      Hide Northenfieldさんへ
       何故、大滝さんが曲を作らなくなったのかという理由がHide Northenfieldさんのコメントで分かりました。
      私は大滝さんの音頭に衝撃を受けました。ナイアガラ・ムーンは一部で熱狂的に受け入れられましたが、一般には受けいれませんでした。
      >メロディー重視の音楽にあんまり興味が無かったんだ
       同感です。岩手県生まれの大滝さんにとって、都会的な詩を歌う「ロング・バケーション」は本意ではなかったのではないでしょうか?でも当時の日本のミュージックシーンの需要はおしゃれな詩とメロディー重視の音楽。
       「日本の音楽ビジネスに絶望」というか大滝さんは「自分の本当にやりたい音楽は一般的には受け入れられない」と思っていたのではないでしょうか。
      しかし今、海外の人にはユーチューブなどで大滝さんの「ナイアガラ・ムーン」は理解されるのではないでしょうか。

  • @kazenoyopi
    @kazenoyopi 7 лет назад +1

    夏カシイ