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50代前半の者ですが、子供の頃に伊東に住んでいた頃に棟上げ式でお菓子やお餅を屋根からばら撒いていました。その時は近所の大人も子供も入り混じって、まさにお祭り状態でしたよ。画像見て思い出しました、懐かしいです。
九州ですがいまでも棟上げで餅まきしてますよ。実家でもやったし、私もご近所さんのところで参加しました。たぶんこれ全国区の習慣で、一軒家をあまり建てなかったり地域のつながりが薄い都会だと見かけないだけですよね。私の地元の神社は年越しの瞬間も餅まきするので、深夜に大人も子どもも一緒になって大騒ぎしてます笑
四国でも やってますよ。子供の頃は 一大イベントでしたね笑
佐賀県でも昔はやっていましたよ。お餅が欲しくてよく行っていました。
栃木県でも今でもたまにやってます。小さい頃は(40年前です)ほぼ必ず行われていました。お菓子がもらえて一大イベントで嬉し楽しい思い出です。
沖縄のお話は、シーミーと呼ばれる行事だと思います。旅行で見かけた事が。広いお墓スペースで、あちこちで人が集まりご馳走を広げ楽しそうでした。
妊娠中にどうしても葬儀に出るなら腹巻の中に鏡を外に向けて入れて葬儀にいかなきゃいけないと言われました。
小学生の頃は北海道の旭川に住んでいたのでローソク出せには毎年参加してました。今は富良野に住んでますがその風習は無いそうなので、同じ北海道でも地域が限られているのかもしれませんね。
お悔やみ広告は昭和の時は地方ではあったよね。棟上げ式での餅まきも、昔は東京を含め全国でやっていたと思います。地域によっては小銭を撒いたりお菓子を撒いたりしてました。
丸い餅に5円玉が入ってる餅まきもある。屋根からお菓子まきは棟上式だけでなく昔名古屋付近は嫁入り儀式の一つでした。
九州では赤い布を着けた5円玉と餅を棟上げの時に蒔いていましたよ。
私は天然パーマだったからよくいじめられて、小学生の時本当どうやって死んだらいいかと思ってました。時々はやせさんがいじめられてたエピソード話される時胸が痛いです。家の餅撒きはうちの地域でもあります。人が集まると家を建ててる家系が繁栄するとか聞きます。
お家🏠建てる時にお餅投げるのは建前(上棟式)ですね😆静岡でもやりますよ。ウチは父が大工の棟梁なので餅まきになると、棟梁の娘の所には沢山撒かれるだろう、と思うらしく私の周りにおばちゃんがひしめき合って、いざ餅が撒かれるとまるで地獄絵図…怪我したりして怖いです😔私の地域では何かイベントの度に餅まきします(笑)。餅まきは子供にも容赦なく弱肉強食の世界です💦
宮崎でもやってました。今は見ないですけどね…。小学生のころ、学校の前の家が新築で、わざわざ小学生が帰る時間に合わせて始めてくれたので、何人かの小学生と参加して餅を持って帰りました。大人は容赦なく餅を奪っていって餅自体は少なかったけど、楽しかった思い出です。確かに油断してると怪我するので、いま考えると結構怖いですよね
旭川では建前はやる家とやらない家がありました。餅と5円玉セットで撒きます。戦争ですでも、一個も持ってない人がいたら分けてます
墓の前でピクニック?清明祭(シーミー)の事だよね?たしかに、本土の墓を見たときにこんな小さくてどこで飯を食うんだろうって思いましたね……
亀甲墓は福建省、シーミーは中国全土でもやってる風習です。中国人にシーミーて言ったら通用しました。昔たくさんの華僑が渡ったてきたんですね。
ローソクに関して、祖母から昔は七夕に本当にローソクを貰って回ったと聞いた事があります。北海道は広いので、まだ電気が足りなかった時代に生まれた風習かも知れませんね。開拓時代を考えると、夜道は真っ暗だったり、台所や居間に裸電球やランプ程度の家も多かったと思います。ローソクは提灯や勉強時の照明として、子どもに喜ばれたのでは?なので、電気が網羅されて、いつの間にか渡す物がローソクからお菓子になったと思っています。
北海道です😊ローソク出せは今も毎年子供達が提灯をもって近所を周ってます。町内の家庭はお菓子を買って子供達が来るのを待ってます☺️今年はコロナの為かやってなかった気がしますが…提灯を持って周るので灯りを消さないようにとローソクなんだと思います。ちなみにそんなに怖い感じじゃなく可愛らしい歌ですよ笑
旭川在住の48歳。小学生の頃を思い出します。歌詞です。「ローソク出ーせ 出ーせよー 出ーさないとかっちゃくぞー おーまーけーに食いつくぞ」『かっちゃく』とは『引っ掻く』の方言です。昔は、ミカンの缶詰など、大きい缶詰の蓋を切り取って横にして、針金を通し持ち手を作って、中に短いロウソクを立て、提灯にして近所を歩き、燃え尽きたら、もらったロウソクに取り替える。ちなみに、昔はお菓子はメインではありませんでしたよ
ああ、歌って聞かせたい
餅まき懐かしい!最近は、見かけませんが。子供の頃はありました。しかも、餅と一緒の袋にお金も入ってましたよ。50円とか100円とか入っているのも何個か撒かれるので大人も子供もすごい勢いで餅を目指して走ったりジャンプしたりしてました。勢いに負けて拾えずに帰った記憶があります。
沖縄の「お墓の前でピクニック」というのは、清明(シーミー)という沖縄のお墓参りのような行事です。時期は毎年4月4日から(多少変動有り)はじまり、各家庭のお墓の前でブルーシートを敷いてお供え物をし、先祖と一緒に食事をするというもの。この時期は親族が一同に集まり「久しぶり~元気だった?」みたいな同窓会みたいな感じのノリな行事です。また沖縄のお墓は東京や大都市と比べて独特な造りで結構デカイので、親族が数十名集まっても結構大丈夫な広さです。
お悔み広告出す地方では、悪い人に「この時間、ここの家主は留守だ」と知られて、泥棒に入られる事件が起きて、最近は広告を出さなくなっているって話も聞きます。
ガレッジセールのゴリさんが撮った映画で、沖縄の離島で本当にある風習『洗骨』が凄いなと思いました。確か土葬した10年後に遺族がお墓から骨を出して、海で洗ってきれいに骨だけにする儀式です。髪の毛は残ってるし、すごい風習だなと思いました。
お疲れさまです🙇♀️私の地元の山形でも亡くなった方の欄がありました。お通夜、告別式の日時、斎場、喪主、それぞれ載ってました。
静岡県ですが、亡くなった方の告別式を新聞に載せていました。昔、20年程前、職場を退職された方のお父様が亡くなられた時、出ていて職場の先輩が、「○さんのお父様だ!」と告別式へ行ってました。会社で役職のあった方だからと思います。でも、有名人では無いです💦単にお知らせですよね。
コメント取り上げられた!嬉しい、ありがとうございます!!現代の話なので、通常の流れでやることの方が多いと思いますが、、、
沖縄の風習について、おそらく「亡くなった方と同じ干支の者が納骨に携わってはいけない」だと思います。納骨はお坊さんやユタの立ち会いのもと、身内の者が行いますが、沖縄のお墓は大きくお墓の蓋もセメントで出来た、幅60センチ、高さ70センチ、厚さ10センチ程の頑丈な蓋で、男性2〜3人でないと開けられない代物ですが、例え自分の親の納骨でも同じ干支だった場合はその作業に携わってはいけません。理由は定かではありませんが、確か〝死〟が連鎖する…。〝気が振れる〟と言うような事だったような…。また、新しくお墓を作る場合はそのお墓に入るであろう者の干支と被らない年に作らなければならない。は、沖縄だけですかねぇ?あとは、お盆は旧暦で行いますが、先祖をお見送りする時には〝ウチカビ〟と言う、あちらの世界のお金を燃やしてお見送りします。ps.沖縄にも小原さんと言う、沖縄の怪談本を何冊も書かれている方がいらっしゃいます。次回沖縄にいらした際には、是非お話しを聞かれてはいかがでしょうか?既にお知り合いでしたら、申し訳ありません。
たてまえと言って、故郷の新潟でも、家の上から餅やお菓子まいてましたね。
秋田県も一緒です。寂しいことですが「たてまえ」なんてやる家見なくなりました。
北海道でも昔はやってました。餅だけではなく紐のついた5円玉なども一緒に投げてました。最近は見なくなりましたが(^^)
山形でも一緒です。
はんかくさい(恥ずかしい)こわい(だるい)じょっぴんかる(鍵を掛ける)とか色々有ります😳かっちゃく、久しぶりに聴きました🤣🤣🤣
こちょばす もちょこい ちょす
ばくりっこ、うそんこ
新聞のお悔やみ欄は青森県でも当たり前にありますよ😃多分、青森県でも使うのでかっちゃくは引っ掻くの方言だと思います😅
えっ!かっちゃくって方言だったの!?😱
あ、北海道もかっちゃくって言うので、似たような方言なんですね
秋田もかっちゃきます🤗新聞にもお悔やみ載せるし、建前にお餅やお菓子撒きます。最近は簡略化されているようですが。
富山県も一般の人の通夜、告別式のお知らせを新聞に載せます。(お悔やみ欄)けっこう大きなスペースで毎朝チェックする人多いです。 結婚式みたいに招待状ってないですから、義理を欠かさないようにするには必要みたいですよ。コミュニティのしがらみめちゃ大きいです。
僕は36歳ですが、地元石狩市では子供の頃にロウソク出せは歌いながら回ってました。親付き添いの元、子供達が集まって家を回っていきます。ロウソクだーせーだーせーよー♪とちゃんとメロディがあり、ドアの前で歌って家の方が出てくるのを待ちます。その時期になるとみんなお菓子を用意して待ってるので、頂いたお菓子をみんなで分け合います。お菓子を用意してない方はロウソクをくれたり小銭をくれたりした家もありましたよ。
私も石狩ですがその風習がない村でした。出さないとかっちゃくぞって、考えてみたら恐喝ですよねw
お悔やみ欄、当たり前だと思ってました。北陸です小学校の時、朝礼中に持ち回りで、新聞の記事を自分で選んで読み上げる時間があったのですが、クラスの男子がお悔やみを読んで先生に激怒されていたのを思い出しました。笑
同じくです。沖縄のはお悔やみ欄と違うんですかね?
北海道も新聞にお悔やみ欄が有ります。新聞社から載せても良いか連絡が来ます(^^)
新築の骨組みのお話は「上棟式」ですね。大工さんと施行主さんがお祝いを兼ねて地域の方に餅やお菓子、半紙に包んだ小銭をまいて福を分ける行事です。
私の地元は山口ですが、家の柱や梁が組みあがった時に、近所の人を集めて、上から餅をまく神事をしていました。私のところでは「餅まき」と言って、子供たちの楽しみの一つでした。ただ私のところでは、お菓子は無く、お餅も紅白ではなく白だけでしたが、なぜか硬貨を一緒にまいていましたね。子供にとってはいいお小遣いだったので、ガチ勢がいっぱいいました
僕は北海道ですがお悔やみ欄や餅巻きは当たり前だと思ってましたが逆に北海道の七夕の風習は初めて聞きました
建前って小さい時によく行きました。たまにお金も巻いてくれるのでそういう時はテンション上がりました!
沖縄のお墓は大きいので春ごろにやる清明祭(期間1週間か2週間くらいかも)で親族集まりパーリーします。
すごい大きいですよね^_^初めて沖縄行ったときはびっくりしました😁
中国から来た風習です。中国人の同僚に聞いたらシーミーと言う発音も時期も方法も一緒でした。
茨城ですが、自分たちの地域では「たてまい」と言ってたような気がします。お金などもばらまかれることもあり、拾いに行きましたが、なぜか夏みかんがばらまかれ、顔に当たって鼻血を出したことがありました
いつも楽しく拝見させて頂いてます。前にテレビか何かで拝見したのですが、沖縄のお墓の形が随分と違ったのを見てビックリしました。お墓と言うよりも屋根のある小さなお家のような形などがあり驚いたのを覚えています。
長崎も沖縄のピクニックと似ているのですが、お盆はお墓で花火をします。故人と楽しむため…でしょうか。それから、精霊流しも有名ですね。大きな船を作り個人の写真を飾り、港に向けて爆竹を鳴らしながら練り歩きます。8/15の夕方頃からはもう車で外に出られません。「はよ帰らんば!」と急いで帰宅しないと、爆竹が危ないです。一度車の下に投げられて父がブチ切れていました。それから、母の実家は長崎でも更に田舎で色濃く風習が残っているのですが、初盆(長崎は「はつぼん」と言います)の時はお墓に提灯を立ててロウソクが2本燃え切るまでお墓に居続けました。その待ち時間に、花火(笑)長崎は山が多いので母の実家のお墓は山の中に坂を作り段々に並べられていて、正面にはオーシャンビューが広がっていました。すごくいい景色なので、そこで眠っているご先祖様が羨ましく思います。上京してきて一番びっくりしたのが、お墓が区画整備され平らな土地に並べられていることです。長崎は坂に段々に並んでいるのが普通なので、本当にびっくりでした。
私の地元は北海道の道南ですが、家を建てる時木材だけの時に建前と言って餅をまきます。たまにその持ちの袋の中に5円玉が入っていて、それが縁起が良いとされてお財布などに入れて置いたりします
その風習は全国であるね
@@ハリーブッチ うん、餅まきだよね
私も岡山出身20代後半なのですが棟上げありました!お菓子や餅あとは木の札を投げてそれを拾ったら一升瓶のお酒と交換できるなどありました!まさにお祭り状態です!
かっちゃく。は岩手の沿岸部では引っ掻くの意味で使用しています。
ハガキもLINEも昔からあるわい!笑むしろお盆には「ウチカビ」っていう、あの世のお金燃やすんだけどたぶん世界で最古の仮想通貨だわ!
仮想通貨!👍三途の川の渡し賃六文銭、紙に印刷してあるアレもそうかな。
三重県伊勢市松阪市近郊の話ですしめ縄・注連縄は太い方が左側にくるように左右逆に付けます、またしめ縄・注連縄は1年間付け続けます。若い方はあまり知らないと思いますが、お盆になると盆汁という具が7種類入った味噌汁を飲みます、各家庭によって具が少し変化もします。アラレ茶と言ってアラレに砂糖や塩を入れてお茶をかけてお茶漬け風にして食べます、砂糖派や塩派がいます。
北海道では大みそかの夜におせちを、さらに年越しそばもしっかり食べます。
亡くなった人と同じ干支というのは初耳です。家やお墓を新築中の方も初耳です。妊娠中がダメというのは以前に聞いたことあります。
40代の鹿児島県人ですが、棟上げの時にお餅と一緒に白い紙に包んだ小銭もなげてます。子供がたくさん集まるので、10円硬貨50円硬貨がほとんどです。100円硬貨はあたり的な感じでした。最近はほとんど見なくなったけど、田舎の方ではまだ投げてるところもあるみたいですよ。
おはよう御座います。建前の風習が、高校?ぐらいまで田舎に残ってました。小学校の時に隣の家でやってた記憶が有ります。丸いお餅と、ビニール袋に入ったお菓子を投げてました。最後に大きいお餅を投げてましたね。田舎の方は、家の骨組みと天井が出来た頃に餅投げしてたと思います。
風習とは違うかもしれないですが、毎年谷中墓地の中で花見してる人達けっこう居ますよね。自分は昔、会社の帰りに上野から谷中経由で日暮里駅歩いて帰っていた時があって夜、墓地の中にゴザを敷いてお酒を飲んでいる人達がいる光景は初めて見た時には結構ビビりました。沖縄のお墓ピクニックのお話で思い出しました。
はやせさんが話していた建前(たてまい)は投げる側になったことも拾う側になったこともありますね。地元では餅の中にお金をランダムに混ぜていて、一万円とか拾ったらラッキー的な感じになるので、大勢の人が集まっていました。
うちの両親はお悔やみ欄で旧知の方の訃報に気付けるように、今は住んでいないけれど自分達の地元の新聞を購読していると言ってました。建前の餅まきも近所であると嬉しかった思い出です。@宮城県
私の地域も沖縄に近いので、最初の沖縄お葬式あるあるは一緒です、こちらでは干支が同じ方、妊婦さん、小さな子どもは納骨(私が子どもの頃はまだ土葬だった)や火葬場には行けず家(家がお通夜やお葬式会場になる)に留守番組になります。亡くなった方に引っ張られるからという事を言われています。実際私の祖母も自分の母親と干支が同じだったため、留守番組で泣きくれていました。新聞広告も無くなった理由とか喪主や一族名、会場案内とかも結構詳しく掲載され、年末や1周忌などの時もお礼も掲載されます。後は、父方の方は土葬の時代は13回忌の時に親族で掘り起こし、遺骨や遺品を決められた海で洗い清め骨壷に収めるという事をしていました。亡くなった方を埋葬する時は、その方の遺品を海に流すという事も昔はしていましたが、私が小さい時には環境問題的な事でビニール袋に入れて海に流し、ある程度流されたら回収してました💦遺品を海に流す事でその方の魂が海の向こうにあるといわれるネリヤカナヤ(沖縄でいうニライカナイ)に行ける。という意味合いだそうです。
沖縄はそもそもお墓の形体が違って、墓石の前が広くなっています。そこで宴会みたいなことをするそうです。たしかシーミーといって日にちは決まっていたと思います。
棟上げ式はだいぶ少なくなりましたね。餅やお菓子の他に小銭をまいたりしてました。
海の学習懐かしいです。早瀬さんには嫌な思い出ですが、共通の体験があることが嬉しいです。あの場所は、二段ベットから転落して亡くなった子の幽霊が出るとか、グランドに幽霊がいるとか色々な噂がありました。実際、体育館で夜にローソクの集いが行われた時、移動中にグランドに幽霊を見たという子がいてザワザワとした雰囲気になりました。ローソクの集い自体も燭台からローソクが落ち、ブルーシートを焦がすなど、バタバタしたものになってしまって厳かからは程遠い思い出です。
うちの地元も太鼓の音とともに鬼が各家を廻って来ていました。鬼におでことおでこをくっつけて貰うと一年健康でいられるというものでした。鬼と一緒にその年の厄年の男性が白装束を着て鬼と一緒に練り歩く事でその方達の厄払いにもなる儀式でした。
茨城出身ですが地元の新聞にはお悔やみ欄が今でもありますね。そして私は以前銀行で働いていたのですが、毎朝出勤したらお悔やみ欄を見て、お葬式があるお家に電話をする仕事をしてました…笑 (相続の手続きなどがあるので)
お悔やみ欄は結構いろんな地域であるみたいですね
追記角餅は縁起が良いので、持って帰ると親が喜びます。ちなみに角餅は私の後頭部直撃で、目眩しながら拾いました😨でもお餅は絶対に焼いては駄目です!その家が火事になるからと言われています。
妹の旦那さんが沖縄の方で風習の違いに関西人の私達はびっくりする事が多いけど、勉強になる事もたくさんありました
昔は新築だと建前、棟上げ、竣工で餅まきが有りましたね。今時は精々棟上げや竣工でちょっとした振る舞い酒が有るくらいですが。
餅撒きは宮崎でもありますね。こちらでは「せんごまき」「せんぐまき」と言い、中にはまれに硬貨をいれて撒くといった感じ
お墓で弁当をひろけて、皆で食べる風習は、青森にもありますよ✨
七夕のローソクだーせって、北海道だけだったんですか!?全国でやってると思ってました。もっとメロディーに乗せて歌う感じですよ(笑)北海道の七夕が8月7日っていうのは、気候的ものだと思っていました。
北海道の村民でしたが札幌から近いわりにこの風習がありませんでした。札幌で子育てしてる時は、打ち合わせしたお宅だけ廻らせましたが、困った風習です
こんにちは!いつも楽しく見てます。もちまき、福岡でもやってました。棟上げ(むねあげ)と言ってました。赤、黄、紫、緑、青1色ずつ5色ののぼりがたつので、友人が屋上から場所を特定、放課後餅まきに行ってました。友人は、棟上げをするのに良い日をしっていて、暦を見ては屋上に行ってました。
親戚の家建ててる途中の木の骨組みくらいの時、その上からみんなに餅とか投げてました。新潟です。
旧正月とか清明の時期に、お墓掃除とピクニックしますね(笑)
長崎も新築の戸建ての家を棟上げする前にお餅や5円玉をまく、餅まきという風習があります。朝から屋根の上に五色の吹き流しが立ってるのが餅まきの合図で、朝から楽しみにして学校が終わったら行ってました。今ではあんまり戸建ての新築っていうのがないので、見なくなりました。長崎はやっぱりお盆の風習がいちばん変わってるのかもしれないですね。お墓で花火上げたりバクチク鳴らしたり、他県の人には驚かれます。長崎ではお盆ってにぎやかなものなので、他県のお盆って静かで寂しいな、と思います。
早瀬さん、、生きててくれて良かったショック療法の代償でかすぎるな、、北海道も餅まきありました!小銭やお菓子が餅と一緒に入ってて、いぇーーいって近所の人達が拾ってた
ただの知ったかぶりですが、8月の七夕が本来です。旧暦ですからね(こどもの日などもそうです)。太陽暦の7月7日は梅雨ど真ん中なので大抵、おりひめとひこぼしは出会えません。
地元の七夕神社は太陽暦でお祭りをして太陰暦で本祭りを行います。
棟上げですね!新築中の家に、五色ののぼりが上がったら夕方からお菓子やお餅や小銭が撒かれました!お餅は焼かずに食べる様に言われてました。
以前勤めていた会社の同僚が旦那さんが沖縄出身の方でお墓参りの話してましたね。いつ行くとかではなくてお墓参りと言う物が動画で言っていたピクニックの形式を言うみたいですね。その同僚もびっくりしていました。普通に(沖縄の踊りで)踊りだしたりするそうですよ。なので沖縄のお墓は敷地がとても広いみたいですね。逆に旦那さんはお墓にお水かける本土の風習に驚いていたとも言っていました。
北海道の七夕の件ですが道南地方は7月7日でお菓子を貰いに子供たちが近所の家を回るのは同じなんですが歌が違って竹に短冊七夕祭り おおいに祝お ローソク1本ちょうだいな🎵って歌です😊ちなみに「かっちゃく」は「引っ掻く」だと思ってもらえれば…(笑)
東京では新築の家を建ててる途中に屋根から紅白餅とお金(小銭)を蒔きましたよ☺️今は怪我や事故になるので見かけないけど😔
北海道出身ですが、お悔やみ広告は北海道もありましたよ~
墓の前でピクニックは、シーミーですね笑笑かめこうはかかめこう墓と言って、田舎になると家が建てられぐらいの敷地に大きめの墓があります。戦時中は中には避難する防空壕としてつかっていたようです。親戚一同集まり、内地のお花見感覚であつまります
大阪の吹田市は、小6の臨海学習で遠泳をするので水泳がとても厳しいです。吹田の小学校に通ってた人は泳げない人が少ないので、泳げる人の割合が多いことでギネスに申請しようとしましたが、人の流入など激しく正確な割合が把握できないので断念したそうです。うちの近所は特に凄くて、小学生か中学生の全国水泳大会でトップレベルの選手が何人もいたり、中学トライアスロンで優勝した奴がいたり、レベルが高すぎる地区でした。ちなみに転校して行った友人は、他の県の水泳の授業は楽勝だと言っていました。
全然動画とは関係ないのですが、家の話で思い出しました。以前心霊番組で、怪奇現象が起こるお宅に某霊媒師?(池○先生)とタレントさんが向かうという特番の1コーナーを見ていました。そのお家かなり古いタイプで「扉が勝手に開く、ラップ音がする」などありがちな心霊現象の証言が続く中(扉は証拠映像撮ってました)、屋根裏部屋らしき場所を調べた際に長めの小さな箱を見つけた一行がその箱を開けると、中から人毛と思しき一房の毛束が出てきて一同驚愕!といった感じの内容でした。某先生も「これは怨念のようなものを感じます、危険ですね…」などと神妙な表情で語っていたのですが、TVで一部始終を見ていた大工の父が大爆笑。一体どうしたのか聞くと、古い家では新築で家を建てる際に女性の頭髪を厄除けの様な意味合いで屋根裏に供える事があったそうです。(刀なんかはよく聞きますよね)扉の開閉も建付けで証明が出来るそうで、それ以来その某先生が胡散臭くなり、その先生が出る心霊番組は半笑いで見るようになりました。ちなみにその後某先生が出ていた心霊番組を見かけた時は、自害した姫?の霊が出ることで有名な湖にロケを行い、しょこ○んにそれが憑依してましたw某先生はノリノリで〇〇(姫の霊)が憑きましたね…って言ってましたね、コントかしら。
仮にも姫君ともあろう尊い方が都合よく一介のタレント風情(しょ〇たんごめん)に憑依してくれるわけねーよ!w
@@三毛猫だいすき ホント同意ですw悪魔祓いで一般人にサタンやルシファーが取り付いてる(割とある)くらいあり得ない状況ですよねw
私は両親共々東京生まれですが両親が千葉に家を建てた時やはり組んでる家から餅やお菓子を投げましたね。全国的なものだと思ってました。
その風習は全国区だよ
北海道は季節の行事が大体内地より1ヶ月遅れで行われます。オレが東京に来てから「蝋燭出せ出せよ〜」と言ってガキ共が近所の家を回る様に成ってて「ハロウィン⁉️😳」とか思い不思議でした。とにかくハロウィンを意識したここ最近のお楽しみの様です。母はその日のためにお菓子を買ってましたね🤔後、かっちゃくと言うのはひっかく、掻きむしる、の意味の北海道弁🤣他に面白いので「はんかくさい
棟上げ「むにゃあげ」!行った! おやつになるよね
東北ですが、こちらもお悔やみ欄あります。むしろ葉書を受け取った事も出した事もなく、職場に忌引きの手続きのために葉書を持ってこい!と言われて困りました💦
沖縄は、墓掃除を血縁者で行った後に、全員でお墓でお食事をしますね。(*- -)(*_ _)ペコリ
そうするとご先祖様が喜ぶからだと思います
子供の頃住んでいた横浜市で、家の建前式、柱と屋根だけの、時に、お金(5円とか、小銭、お菓子、おもち。を屋根の上から、撒くのがありました。新興住宅地で、一年に何回か近所で、建前式が有ると聞くとみな、集まりました。
連続失礼します。うちの町でも七夕の習慣はありましたが、8月ではなく普通に7月7日の夕方から行われてました。歌も「竹に短冊七夕祭り ロウソク一本ちょうだいな」というもので、あとは同じでお菓子を貰って歩いてました。
地元の奇祭の話なんですが、毎年2月の末の日曜日に女装した男性達が朝早くから昼過ぎまで町内の家を駆け巡る"大般若"という奇祭があります。無病息災を願い町内の家にお守りを配ったり、子ども達にお菓子を配ったりします。場所は東京都江戸川区です。来年はコロナの影響でやらないかもしれないのですが。
はやせさんの話してた餅投げって、棟(むね)あげですね。家の四隅から落とす隅餅には現金(硬貨)がなかに入ってます
棟上げの餅まきありましたね小学生の頃はよく貰いに行きましたが、最近は見た事がないですね山口県です西日本の風習なんですかね?
千葉県の田舎者(30代)ですが、子どもの時は餅投げあったなぁ〜。大イベントでした。懐かしい。最近はめっきりなくなりましたね。風習が無くなっていくのはさみしいですね。かっちゃく→殺して引き裂くの解釈には怖すぎて笑ってしまいました。正解はなんでしょうね。
首都圏でも30年程前は「たてまえ」ありました。当時はネットの情報が無かったので偶然通りかかって参加したものです。そのお宅の関係者でなくても参加できる緩い時代でした。
東京からそう遠くない千葉県ですが、餅投げやってました。 今日あの家で餅投げがあるよと友達から教えてもらってビニール袋持ってよく行ってました。小銭も投げていました。もう30年ぐらい前の話ですが、今はもうやらないのかな?今住んでるところはカナダですが、新聞に亡くなった人お知らせページがあり、亡くなった方の写真がずらっと並んでいます。沖縄は米軍基地もあるので、アメリカの文化が入ってきてそうなったのかな?
かっちゃく=岩手でも言います、懐かしい方言です。七夕のハロウィンみたいな習わしは、ジブリ作品の思い出のマーニーでアニメ化されてました。作中に唄われていた歌詞もほぼそのままでしたね。
夫の実家(離島)では1月2日に「ミカン投げ」という風習があります。 厄年を迎える人がいる家が 朝 だいたい8時くらいから みかんやお菓子や餅、ティッシュなど軽めの日用品などを 沢山窓から投げるのです。老若男女、家の前に集まって拾っていくので、正月早々たいへん賑やかです。でも、夫が実家と険悪な状態になってからは 帰っていません。
北海道ですが、道南では七夕は普通に7月7日です。歌も、♪ 竹に短冊、七夕祭り、多いは嫌よ、蝋燭一本ちょうだいな♪です。この「おおいはいやよ」の意味が、だんだんずれて、たぶん今は「大いに祝おう」に変わってしまっています。昔は本当に蝋燭でしたが、最近はお菓子です。
長文失礼します。私は山梨の田舎出身なのですが、新築時の餅まき・訃報の広告?ありました。餅まきは20年程前に実家が建て替えられた際に、実施側として参加しました。また、同じ頃に別のお宅で行われた餅まきにも参加した経験があります。小袋に入ったお菓子やお餅、白い紙に巾着のように包んだお金(小銭とか千円札程度)を撒きます。「これからこの地域でよろしくお願いします」の意味合いと聞いた覚えがあります。最近は聞かないし、知らないうちに新しい家が建っているので、やっていないのではと思います。訃報の広告とは違うかもしれませんが、県内新聞に訃報欄がまだ存在しています。故人名、喪主名、没日時、通夜告別式の日時と場所等が記載されます。実際にそれを見て急いで通夜参列したりします。ただし、葬儀屋さんから「新聞に載せますか?」と確認がありますので、必ず載るわけではありません。どちらも普通のことと思っていましたのでびっくりですw
『ろくそく出せ』の歌詞は、ろうそく出せ 出せよ出さないと かっちゃくぞおまけに食いつくぞだった気がします。かっちゃく=ひっかくなので、私が覚えている歌詞とちょっと違うかな?
懐かしいです。私もこあべさんと同じ歌詞でした。かっちゃく=ひっかくですよね。
ローソク出せ懐かしいなぁ〜昔ケンタ行ってケンタ貰ったっけな。笑
新聞にお悔やみのるよ。関西だけど。新築の家建てる時餅&金投げますよ。葬式には妊婦、新婚、未成年女、生理の人は参加したらあかんって言われてた。結婚式も妊婦、生理の人は参加しちゃダメって言われた。私は滋賀生まれ、フローティングスクールあった。うちの学校は人数多くて他校とは一緒にはならなかったけどね。
私は発祥の地、札幌市○○区生まれです。小さい頃から8月7日にローソクを立てた提灯を持ち、暗くなったら子達で近所の家を訪問します。♪ローソクだーせだーせよー、だーさないと引っ掻くぞ!おまけにかっちゃくぞー!と歌うとお菓子をくれます。 ローソクだ〜せ〜と歌ってるのに本当にローソクだけ渡してくる家には子供ながら「お菓子じゃないんかい⁉️」と内心思いました😆別の子供達から誰それさんち行ったらお菓子用意してないからお金くれたー!と聞くとそこに向かっていきました💦昔はおうち🏠と決まっていたのですが今ではラーメン屋、お店などに子供達は訪問します。整骨院をしている弟も毎年お菓子を準備しています。昼間からまわり、今では客がいようと店の中に入っていくようです。 夏の楽しみの一つでした。顔も知らない家のベルをならし家人からお菓子を貰い、2、3日はオヤツ食べつづけました。今思うと平和だったなぁーなどと思います。
秋田生まれの東京在住です秋田では「かっちゃく」は「両手で爪を立ててバリバリとひっかく」感じで使ってました ひっかくと一緒に使うことはなかったので気にしたことはなかったんですが ひっかくの進化バージョン?だったのかなあ…棟上げ式で屋根の上から紅白のお餅をまくのは見たことあります~めったに新築する家がないので何十年に一回ぐらいですが、やっていました 全国でもやってるものだと思ってたんですけど違ってたんですね💦
福岡県の田舎ですが家の新築で同じように餅投げをします。棟上げ(むねあげ)と言ってましたが、上棟式(じょうとうしき)が正式名称だと思います。大安のようないい日を選んで、木の枠組みの上(屋根に当たる部分?)に家の主や大工さん、息子などの男性のみが上に上がります。餅投げをする日は午前中から赤色?だったか?の旗を上げて餅投げを近所に知らせます。紅白の餅、5円玉や50円玉の穴に紐を通したもの、お餅の袋の中にも小銭を入れたり、駄菓子を投げたりもします。家の四隅には、隅餅と言って、でっかい餅を投げたりします。隅餅は大の大人、特に男性達の奪い合いになるので女性や子供は危なくて近寄れません💦全ての餅投げが終わった後はその枠組みの床になる部分で今度は女性も参加して、その家の家族、親戚、友人、勿論大工さん、達と宴会をします。お酒を飲んだりご馳走を食べたりします。子供の頃から旗が上がってる建てかけの家を見ると午後に袋を持って集まってました。最近では自宅の斜め前の新築の家が昨年?くらいに餅投げをしてましたよー👍沢山拾いましたw全国でやってるものだと思ってました……^-^;
家の餅まきのお話ですが、私の地元では、もち、おかし+おひねりも投げてました!
紅白餅をまくタイプは 知りませんでしたが 地元青森の とある地区限定で屋根の上から小銭をばらまく 「ジェンコマギ」という風習が あります何らかの条件で 選ばれた家の敷地で 年一度 行われ 内容的には棟上げと同様 縁起事として まかれた小銭を みんなで拾います親戚の家が 選ばれたかなんかして 小さいころ 参加した覚えがあります
私の田舎の一部の地域では棺桶が不思議な形をしてました。樽状の棺桶にご遺体を運動座りの状態にして、最後のお別れで蓋をする際にそのご遺体に石を投げるという風習がありました。人に石を投げるという行為が幼いながら亡くなった方に失礼な気がして嫌だった記憶があります。今から40年ほど前の話なので今はどうか分かりません。
長崎でも、墓の前でブルーシートひいてご飯食べたりしますよー
50代前半の者ですが、子供の頃に伊東に住んでいた頃に棟上げ式でお菓子やお餅を屋根からばら撒いていました。
その時は近所の大人も子供も入り混じって、まさにお祭り状態でしたよ。
画像見て思い出しました、懐かしいです。
九州ですがいまでも棟上げで餅まきしてますよ。
実家でもやったし、私もご近所さんのところで参加しました。
たぶんこれ全国区の習慣で、一軒家をあまり建てなかったり地域のつながりが薄い都会だと見かけないだけですよね。
私の地元の神社は年越しの瞬間も餅まきするので、深夜に大人も子どもも一緒になって大騒ぎしてます笑
四国でも やってますよ。子供の頃は 一大イベントでしたね笑
佐賀県でも昔はやっていましたよ。お餅が欲しくてよく行っていました。
栃木県でも今でもたまにやってます。小さい頃は(40年前です)ほぼ必ず行われていました。お菓子がもらえて一大イベントで嬉し楽しい思い出です。
沖縄のお話は、シーミーと呼ばれる行事だと思います。旅行で見かけた事が。
広いお墓スペースで、あちこちで人が集まりご馳走を広げ楽しそうでした。
妊娠中にどうしても葬儀に出るなら
腹巻の中に鏡を外に向けて入れて
葬儀にいかなきゃいけないと言われました。
小学生の頃は北海道の旭川に住んでいたのでローソク出せには毎年参加してました。
今は富良野に住んでますがその風習は無いそうなので、同じ北海道でも地域が限られているのかもしれませんね。
お悔やみ広告は昭和の時は地方ではあったよね。
棟上げ式での餅まきも、昔は東京を含め全国でやっていたと思います。
地域によっては小銭を撒いたりお菓子を撒いたりしてました。
丸い餅に5円玉が入ってる餅まきもある。
屋根からお菓子まきは棟上式だけでなく
昔名古屋付近は嫁入り儀式の一つでした。
九州では赤い布を着けた5円玉と餅を棟上げの時に蒔いていましたよ。
私は天然パーマだったからよくいじめられて、小学生の時本当どうやって死んだらいいかと思ってました。時々はやせさんがいじめられてたエピソード話される時胸が痛いです。
家の餅撒きはうちの地域でもあります。人が集まると家を建ててる家系が繁栄するとか聞きます。
お家🏠建てる時にお餅投げるのは建前(上棟式)ですね😆
静岡でもやりますよ。ウチは父が大工の棟梁なので餅まきになると、棟梁の娘の所には沢山撒かれるだろう、と思うらしく私の周りにおばちゃんがひしめき合って、いざ餅が撒かれるとまるで地獄絵図…怪我したりして怖いです😔
私の地域では何かイベントの度に餅まきします(笑)。餅まきは子供にも容赦なく弱肉強食の世界です💦
宮崎でもやってました。今は見ないですけどね…。
小学生のころ、学校の前の家が新築で、わざわざ小学生が帰る時間に合わせて始めてくれたので、何人かの小学生と参加して餅を持って帰りました。大人は容赦なく餅を奪っていって餅自体は少なかったけど、楽しかった思い出です。
確かに油断してると怪我するので、いま考えると結構怖いですよね
旭川では建前はやる家とやらない家がありました。
餅と5円玉セットで撒きます。戦争です
でも、一個も持ってない人がいたら分けてます
墓の前でピクニック?清明祭(シーミー)の事だよね?たしかに、本土の墓を見たときにこんな小さくてどこで飯を食うんだろうって思いましたね……
亀甲墓は福建省、シーミーは中国全土でもやってる風習です。中国人にシーミーて言ったら通用しました。昔たくさんの華僑が渡ったてきたんですね。
ローソクに関して、祖母から昔は七夕に本当にローソクを貰って回ったと聞いた事があります。
北海道は広いので、まだ電気が足りなかった時代に生まれた風習かも知れませんね。
開拓時代を考えると、夜道は真っ暗だったり、台所や居間に裸電球やランプ程度の家も多かったと思います。ローソクは提灯や勉強時の照明として、子どもに喜ばれたのでは?
なので、電気が網羅されて、いつの間にか渡す物がローソクからお菓子になったと思っています。
北海道です😊ローソク出せは今も毎年子供達が提灯をもって近所を周ってます。町内の家庭はお菓子を買って子供達が来るのを待ってます☺️今年はコロナの為かやってなかった気がしますが…提灯を持って周るので灯りを消さないようにとローソクなんだと思います。ちなみにそんなに怖い感じじゃなく可愛らしい歌ですよ笑
旭川在住の48歳。小学生の頃を思い出します。
歌詞です。
「ローソク出ーせ 出ーせよー 出ーさないと
かっちゃくぞー おーまーけーに食いつくぞ」
『かっちゃく』とは『引っ掻く』の方言です。
昔は、ミカンの缶詰など、大きい缶詰の蓋を切り取って
横にして、針金を通し持ち手を作って、中に短いロウソクを立て、提灯にして近所を歩き、燃え尽きたら、もらったロウソクに取り替える。ちなみに、昔はお菓子はメインではありませんでしたよ
ああ、歌って聞かせたい
餅まき懐かしい!最近は、見かけませんが。
子供の頃はありました。しかも、餅と一緒の袋にお金も入ってましたよ。
50円とか100円とか入っているのも何個か撒かれるので大人も子供も
すごい勢いで餅を目指して走ったり
ジャンプしたりしてました。
勢いに負けて拾えずに帰った記憶があります。
沖縄の「お墓の前でピクニック」というのは、清明(シーミー)という沖縄のお墓参りのような行事です。
時期は毎年4月4日から(多少変動有り)はじまり、
各家庭のお墓の前でブルーシートを敷いてお供え物をし、先祖と一緒に食事をするというもの。
この時期は親族が一同に集まり「久しぶり~元気だった?」みたいな同窓会みたいな感じのノリな行事です。
また沖縄のお墓は東京や大都市と比べて独特な造りで結構デカイので、親族が数十名集まっても結構大丈夫な広さです。
お悔み広告出す地方では、悪い人に「この時間、ここの家主は留守だ」と知られて、泥棒に入られる事件が起きて、最近は広告を出さなくなっているって話も聞きます。
ガレッジセールのゴリさんが撮った映画で、沖縄の離島で本当にある風習『洗骨』が凄いなと思いました。確か土葬した10年後に遺族がお墓から骨を出して、海で洗ってきれいに骨だけにする儀式です。髪の毛は残ってるし、すごい風習だなと思いました。
お疲れさまです🙇♀️
私の地元の山形でも亡くなった方の欄がありました。
お通夜、告別式の日時、斎場、喪主、それぞれ載ってました。
静岡県ですが、亡くなった方の告別式を新聞に載せていました。昔、20年程前、職場を退職された方のお父様が亡くなられた時、出ていて職場の先輩が、「○さんのお父様だ!」と告別式へ行ってました。会社で役職のあった方だからと思います。
でも、有名人では無いです💦単にお知らせですよね。
コメント取り上げられた!
嬉しい、ありがとうございます!!
現代の話なので、通常の流れでやることの方が多いと思いますが、、、
沖縄の風習について、おそらく「亡くなった方と同じ干支の者が納骨に携わってはいけない」だと思います。
納骨はお坊さんやユタの立ち会いのもと、身内の者が行いますが、沖縄のお墓は大きくお墓の蓋もセメントで出来た、幅60センチ、高さ70センチ、厚さ10センチ程の頑丈な蓋で、男性2〜3人でないと開けられない代物ですが、例え自分の親の納骨でも同じ干支だった場合はその作業に携わってはいけません。理由は定かではありませんが、確か〝死〟が連鎖する…。〝気が振れる〟と言うような事だったような…。
また、新しくお墓を作る場合はそのお墓に入るであろう者の干支と被らない年に作らなければならない。は、沖縄だけですかねぇ?
あとは、お盆は旧暦で行いますが、先祖をお見送りする時には〝ウチカビ〟と言う、あちらの世界のお金を燃やしてお見送りします。
ps.沖縄にも小原さんと言う、沖縄の怪談本を何冊も書かれている方がいらっしゃいます。
次回沖縄にいらした際には、是非お話しを聞かれてはいかがでしょうか?
既にお知り合いでしたら、申し訳ありません。
たてまえと言って、故郷の新潟でも、家の上から餅やお菓子まいてましたね。
秋田県も一緒です。
寂しいことですが「たてまえ」なんてやる家見なくなりました。
北海道でも昔はやってました。餅だけではなく紐のついた5円玉なども一緒に投げてました。最近は見なくなりましたが(^^)
山形でも一緒です。
はんかくさい(恥ずかしい)こわい(だるい)じょっぴんかる(鍵を掛ける)とか色々有ります😳かっちゃく、久しぶりに聴きました🤣🤣🤣
こちょばす もちょこい ちょす
ばくりっこ、うそんこ
新聞のお悔やみ欄は青森県でも当たり前にありますよ😃
多分、青森県でも使うのでかっちゃくは引っ掻くの方言だと思います😅
えっ!かっちゃくって方言だったの!?😱
あ、北海道もかっちゃくって言うので、似たような方言なんですね
秋田もかっちゃきます🤗
新聞にもお悔やみ載せるし、建前にお餅やお菓子撒きます。最近は簡略化されているようですが。
富山県も一般の人の通夜、告別式のお知らせを新聞に載せます。(お悔やみ欄)
けっこう大きなスペースで
毎朝チェックする人多いです。 結婚式みたいに招待状ってないですから、義理を欠かさないようにするには必要みたいですよ。
コミュニティのしがらみめちゃ大きいです。
僕は36歳ですが、地元石狩市では子供の頃にロウソク出せは歌いながら回ってました。
親付き添いの元、子供達が集まって家を回っていきます。
ロウソクだーせーだーせーよー♪
とちゃんとメロディがあり、ドアの前で歌って家の方が出てくるのを待ちます。
その時期になるとみんなお菓子を用意して待ってるので、頂いたお菓子をみんなで分け合います。
お菓子を用意してない方はロウソクをくれたり小銭をくれたりした家もありましたよ。
私も石狩ですがその風習がない村でした。
出さないとかっちゃくぞって、考えてみたら恐喝ですよねw
お悔やみ欄、当たり前だと思ってました。北陸です
小学校の時、朝礼中に持ち回りで、新聞の記事を自分で選んで読み上げる時間があったのですが、クラスの男子がお悔やみを読んで先生に激怒されていたのを思い出しました。笑
同じくです。沖縄のはお悔やみ欄と違うんですかね?
北海道も新聞にお悔やみ欄が有ります。
新聞社から載せても良いか連絡が来ます(^^)
新築の骨組みのお話は「上棟式」ですね。
大工さんと施行主さんがお祝いを兼ねて地域の方に餅やお菓子、半紙に包んだ小銭をまいて福を分ける行事です。
私の地元は山口ですが、家の柱や梁が組みあがった時に、近所の人を集めて、上から餅をまく神事をしていました。
私のところでは「餅まき」と言って、子供たちの楽しみの一つでした。
ただ私のところでは、お菓子は無く、お餅も紅白ではなく白だけでしたが、なぜか硬貨を一緒にまいていましたね。
子供にとってはいいお小遣いだったので、ガチ勢がいっぱいいました
僕は北海道ですがお悔やみ欄や餅巻きは当たり前だと思ってましたが逆に北海道の七夕の風習は初めて聞きました
建前って小さい時によく行きました。たまにお金も巻いてくれるのでそういう時はテンション上がりました!
沖縄のお墓は大きいので春ごろにやる清明祭(期間1週間か2週間くらいかも)で親族集まりパーリーします。
すごい大きいですよね^_^
初めて沖縄行ったときはびっくりしました😁
中国から来た風習です。中国人の同僚に聞いたらシーミーと言う発音も時期も方法も一緒でした。
茨城ですが、自分たちの地域では「たてまい」と言ってたような気がします。お金などもばらまかれることもあり、拾いに行きましたが、なぜか夏みかんがばらまかれ、顔に当たって鼻血を出したことがありました
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
前にテレビか何かで拝見したのですが、沖縄のお墓の形が随分と違ったのを見てビックリしました。
お墓と言うよりも屋根のある小さなお家のような形などがあり驚いたのを覚えています。
長崎も沖縄のピクニックと似ているのですが、お盆はお墓で花火をします。
故人と楽しむため…でしょうか。
それから、精霊流しも有名ですね。
大きな船を作り個人の写真を飾り、港に向けて爆竹を鳴らしながら練り歩きます。
8/15の夕方頃からはもう車で外に出られません。「はよ帰らんば!」と急いで帰宅しないと、爆竹が危ないです。一度車の下に投げられて父がブチ切れていました。
それから、母の実家は長崎でも更に田舎で色濃く風習が残っているのですが、初盆(長崎は「はつぼん」と言います)の時はお墓に提灯を立ててロウソクが2本燃え切るまでお墓に居続けました。
その待ち時間に、花火(笑)
長崎は山が多いので母の実家のお墓は山の中に坂を作り段々に並べられていて、正面にはオーシャンビューが広がっていました。
すごくいい景色なので、そこで眠っているご先祖様が羨ましく思います。
上京してきて一番びっくりしたのが、お墓が区画整備され平らな土地に並べられていることです。
長崎は坂に段々に並んでいるのが普通なので、本当にびっくりでした。
私の地元は北海道の道南ですが、家を建てる時木材だけの時に建前と言って餅をまきます。たまにその持ちの袋の中に5円玉が入っていて、それが縁起が良いとされてお財布などに入れて置いたりします
その風習は全国であるね
@@ハリーブッチ
うん、餅まきだよね
私も岡山出身20代後半なのですが棟上げありました!お菓子や餅あとは木の札を投げてそれを拾ったら一升瓶のお酒と交換できるなどありました!まさにお祭り状態です!
かっちゃく。は岩手の沿岸部では
引っ掻くの意味で使用しています。
ハガキもLINEも昔からあるわい!笑
むしろお盆には「ウチカビ」っていう、あの世のお金燃やすんだけど
たぶん世界で最古の仮想通貨だわ!
仮想通貨!👍
三途の川の渡し賃六文銭、紙に印刷してあるアレもそうかな。
三重県伊勢市松阪市近郊の話です
しめ縄・注連縄は太い方が左側にくるように左右逆に付けます、またしめ縄・注連縄は1年間付け続けます。
若い方はあまり知らないと思いますが、お盆になると盆汁という具が7種類入った味噌汁を飲みます、各家庭によって具が少し変化もします。
アラレ茶と言ってアラレに砂糖や塩を入れてお茶をかけてお茶漬け風にして食べます、砂糖派や塩派がいます。
北海道では大みそかの夜におせちを、さらに年越しそばもしっかり食べます。
亡くなった人と同じ干支というのは初耳です。家やお墓を新築中の方も初耳です。
妊娠中がダメというのは以前に聞いたことあります。
40代の鹿児島県人ですが、棟上げの時にお餅と一緒に白い紙に包んだ小銭もなげてます。
子供がたくさん集まるので、10円硬貨50円硬貨がほとんどです。100円硬貨はあたり的な感じでした。
最近はほとんど見なくなったけど、田舎の方ではまだ投げてるところもあるみたいですよ。
おはよう御座います。建前の風習が、高校?ぐらいまで田舎に残ってました。小学校の時に隣の家でやってた記憶が有ります。丸いお餅と、ビニール袋に入ったお菓子を投げてました。最後に大きいお餅を投げてましたね。田舎の方は、家の骨組みと天井が出来た頃に餅投げしてたと思います。
風習とは違うかもしれないですが、毎年谷中墓地の中で花見してる人達けっこう居ますよね。
自分は昔、会社の帰りに上野から谷中経由で日暮里駅歩いて帰っていた時があって
夜、墓地の中にゴザを敷いてお酒を飲んでいる人達がいる光景は
初めて見た時には結構ビビりました。
沖縄のお墓ピクニックのお話で思い出しました。
はやせさんが話していた建前(たてまい)は投げる側になったことも拾う側になったこともありますね。
地元では餅の中にお金をランダムに混ぜていて、一万円とか拾ったらラッキー的な感じになるので、大勢の人が集まっていました。
うちの両親はお悔やみ欄で旧知の方の訃報に気付けるように、今は住んでいないけれど自分達の地元の新聞を購読していると言ってました。
建前の餅まきも近所であると嬉しかった思い出です。
@宮城県
私の地域も沖縄に近いので、最初の沖縄お葬式あるあるは一緒です、こちらでは干支が同じ方、妊婦さん、小さな子どもは納骨(私が子どもの頃はまだ土葬だった)や火葬場には行けず家(家がお通夜やお葬式会場になる)に留守番組になります。亡くなった方に引っ張られるからという事を言われています。実際私の祖母も自分の母親と干支が同じだったため、留守番組で泣きくれていました。
新聞広告も無くなった理由とか喪主や一族名、会場案内とかも結構詳しく掲載され、年末や1周忌などの時もお礼も掲載されます。
後は、父方の方は土葬の時代は13回忌の時に親族で掘り起こし、遺骨や遺品を決められた海で洗い清め骨壷に収めるという事をしていました。亡くなった方を埋葬する時は、その方の遺品を海に流すという事も昔はしていましたが、私が小さい時には環境問題的な事でビニール袋に入れて海に流し、ある程度流されたら回収してました💦
遺品を海に流す事でその方の魂が海の向こうにあるといわれるネリヤカナヤ(沖縄でいうニライカナイ)に行ける。という意味合いだそうです。
沖縄はそもそもお墓の形体が違って、墓石の前が広くなっています。そこで宴会みたいなことをするそうです。たしかシーミーといって日にちは決まっていたと思います。
棟上げ式はだいぶ少なくなりましたね。
餅やお菓子の他に小銭をまいたりしてました。
海の学習懐かしいです。
早瀬さんには嫌な思い出ですが、共通の体験があることが嬉しいです。
あの場所は、二段ベットから転落して亡くなった子の幽霊が出るとか、グランドに幽霊がいるとか色々な噂がありました。
実際、体育館で夜にローソクの集いが行われた時、移動中にグランドに幽霊を見たという子がいてザワザワとした雰囲気になりました。
ローソクの集い自体も燭台からローソクが落ち、ブルーシートを焦がすなど、バタバタしたものになってしまって厳かからは程遠い思い出です。
うちの地元も太鼓の音とともに鬼が各家を廻って来ていました。鬼におでことおでこをくっつけて貰うと一年健康でいられるというものでした。鬼と一緒にその年の厄年の男性が白装束を着て鬼と一緒に練り歩く事でその方達の厄払いにもなる儀式でした。
茨城出身ですが地元の新聞にはお悔やみ欄が今でもありますね。
そして私は以前銀行で働いていたのですが、毎朝出勤したらお悔やみ欄を見て、お葬式があるお家に電話をする仕事をしてました…笑
(相続の手続きなどがあるので)
お悔やみ欄は結構いろんな地域であるみたいですね
追記
角餅は縁起が良いので、持って帰ると親が喜びます。
ちなみに角餅は私の後頭部直撃で、目眩しながら拾いました😨
でもお餅は絶対に焼いては駄目です!その家が火事になるからと言われています。
妹の旦那さんが沖縄の方で風習の違いに関西人の私達はびっくりする事が多いけど、勉強になる事もたくさんありました
昔は新築だと建前、棟上げ、竣工で餅まきが有りましたね。
今時は精々棟上げや竣工でちょっとした振る舞い酒が有るくらいですが。
餅撒きは宮崎でもありますね。こちらでは「せんごまき」「せんぐまき」と言い、中にはまれに硬貨をいれて撒くといった感じ
お墓で弁当をひろけて、皆で食べる風習は、青森にもありますよ✨
七夕のローソクだーせって、北海道だけだったんですか!?
全国でやってると思ってました。
もっとメロディーに乗せて歌う感じですよ(笑)
北海道の七夕が8月7日っていうのは、気候的ものだと思っていました。
北海道の村民でしたが札幌から近いわりにこの風習がありませんでした。
札幌で子育てしてる時は、打ち合わせしたお宅だけ廻らせましたが、困った風習です
こんにちは!いつも楽しく見てます。
もちまき、福岡でもやってました。棟上げ(むねあげ)と言ってました。赤、黄、紫、緑、青1色ずつ5色ののぼりがたつので、友人が屋上から場所を特定、放課後餅まきに行ってました。友人は、棟上げをするのに良い日をしっていて、暦を見ては屋上に行ってました。
親戚の家建ててる途中の木の骨組みくらいの時、その上からみんなに餅とか投げてました。新潟です。
旧正月とか清明の時期に、お墓掃除とピクニックしますね(笑)
長崎も新築の戸建ての家を棟上げする前にお餅や5円玉をまく、餅まきという風習があります。朝から屋根の上に五色の吹き流しが立ってるのが餅まきの合図で、朝から楽しみにして学校が終わったら行ってました。
今ではあんまり戸建ての新築っていうのがないので、見なくなりました。
長崎はやっぱりお盆の風習がいちばん変わってるのかもしれないですね。
お墓で花火上げたりバクチク鳴らしたり、他県の人には驚かれます。
長崎ではお盆ってにぎやかなものなので、他県のお盆って静かで寂しいな、と思います。
早瀬さん、、生きててくれて良かった
ショック療法の代償でかすぎるな、、
北海道も餅まきありました!小銭やお菓子が餅と一緒に入ってて、いぇーーいって近所の人達が拾ってた
ただの知ったかぶりですが、8月の七夕が本来です。
旧暦ですからね(こどもの日などもそうです)。
太陽暦の7月7日は梅雨ど真ん中なので大抵、おりひめとひこぼしは出会えません。
地元の七夕神社は太陽暦でお祭りをして太陰暦で本祭りを行います。
棟上げですね!新築中の家に、五色ののぼりが上がったら夕方からお菓子やお餅や小銭が撒かれました!
お餅は焼かずに食べる様に言われてました。
以前勤めていた会社の同僚が旦那さんが沖縄出身の方でお墓参りの話してましたね。
いつ行くとかではなくてお墓参りと言う物が
動画で言っていたピクニックの形式を言うみたいですね。
その同僚もびっくりしていました。
普通に(沖縄の踊りで)踊りだしたりするそうですよ。
なので沖縄のお墓は敷地がとても広いみたいですね。
逆に旦那さんはお墓にお水かける本土の風習に驚いていたとも言っていました。
北海道の七夕の件ですが道南地方は7月7日でお菓子を貰いに子供たちが近所の家を回るのは同じなんですが歌が違って
竹に短冊七夕祭り おおいに祝お ローソク1本ちょうだいな🎵って歌です😊
ちなみに「かっちゃく」は「引っ掻く」だと思ってもらえれば…(笑)
東京では新築の家を建ててる途中に屋根から紅白餅とお金(小銭)を蒔きましたよ☺️
今は怪我や事故になるので見かけないけど😔
北海道出身ですが、お悔やみ広告は北海道もありましたよ~
墓の前でピクニックは、シーミーですね笑笑かめこうはかかめこう墓と言って、田舎になると家が建てられぐらいの敷地に大きめの墓があります。戦時中は中には避難する防空壕としてつかっていたようです。親戚一同集まり、内地のお花見感覚であつまります
大阪の吹田市は、小6の臨海学習で遠泳をするので水泳がとても厳しいです。
吹田の小学校に通ってた人は泳げない人が少ないので、泳げる人の割合が多いことでギネスに申請しようとしましたが、人の流入など激しく正確な割合が把握できないので断念したそうです。
うちの近所は特に凄くて、小学生か中学生の全国水泳大会でトップレベルの選手が何人もいたり、中学トライアスロンで優勝した奴がいたり、レベルが高すぎる地区でした。
ちなみに転校して行った友人は、他の県の水泳の授業は楽勝だと言っていました。
全然動画とは関係ないのですが、家の話で思い出しました。
以前心霊番組で、怪奇現象が起こるお宅に某霊媒師?(池○先生)とタレントさんが向かうという特番の1コーナーを見ていました。
そのお家かなり古いタイプで「扉が勝手に開く、ラップ音がする」などありがちな心霊現象の証言が続く中(扉は証拠映像撮ってました)、屋根裏部屋らしき場所を調べた際に長めの小さな箱を見つけた一行がその箱を開けると、中から人毛と思しき一房の毛束が出てきて一同驚愕!といった感じの内容でした。
某先生も「これは怨念のようなものを感じます、危険ですね…」などと神妙な表情で語っていたのですが、TVで一部始終を見ていた大工の父が大爆笑。
一体どうしたのか聞くと、古い家では新築で家を建てる際に女性の頭髪を厄除けの様な意味合いで屋根裏に供える事があったそうです。(刀なんかはよく聞きますよね)
扉の開閉も建付けで証明が出来るそうで、それ以来その某先生が胡散臭くなり、その先生が出る心霊番組は半笑いで見るようになりました。
ちなみにその後某先生が出ていた心霊番組を見かけた時は、自害した姫?の霊が出ることで有名な湖にロケを行い、しょこ○んにそれが憑依してましたw
某先生はノリノリで〇〇(姫の霊)が憑きましたね…って言ってましたね、コントかしら。
仮にも姫君ともあろう尊い方が都合よく一介のタレント風情(しょ〇たんごめん)に憑依してくれるわけねーよ!w
@@三毛猫だいすき
ホント同意ですw
悪魔祓いで一般人にサタンやルシファーが取り付いてる(割とある)くらいあり得ない状況ですよねw
私は両親共々東京生まれですが両親が千葉に家を建てた時やはり組んでる家から餅やお菓子を投げましたね。全国的なものだと思ってました。
その風習は全国区だよ
北海道は季節の行事が大体内地より1ヶ月遅れで行われます。オレが東京に来てから「蝋燭出せ出せよ〜」と言ってガキ共が近所の家を回る様に成ってて「ハロウィン⁉️😳」とか思い不思議でした。とにかくハロウィンを意識したここ最近のお楽しみの様です。母はその日のためにお菓子を買ってましたね🤔後、かっちゃくと言うのはひっかく、掻きむしる、の意味の北海道弁🤣他に面白いので「はんかくさい
棟上げ「むにゃあげ」!
行った! おやつになるよね
東北ですが、こちらもお悔やみ欄あります。
むしろ葉書を受け取った事も出した事もなく、職場に忌引きの手続きのために葉書を持ってこい!と言われて困りました💦
沖縄は、墓掃除を血縁者で行った後に、
全員でお墓でお食事をしますね。
(*- -)(*_ _)ペコリ
そうするとご先祖様が喜ぶからだと思います
子供の頃住んでいた横浜市で、家の建前式、柱と屋根だけの、時に、お金(5円とか、小銭、お菓子、おもち。を屋根の上から、撒くのがありました。新興住宅地で、一年に何回か近所で、建前式が有ると聞くとみな、集まりました。
連続失礼します。
うちの町でも七夕の習慣はありましたが、8月ではなく普通に7月7日の夕方から行われてました。歌も「竹に短冊七夕祭り ロウソク一本ちょうだいな」というもので、あとは同じでお菓子を貰って歩いてました。
地元の奇祭の話なんですが、毎年2月の末の日曜日に女装した男性達が朝早くから昼過ぎまで町内の家を駆け巡る"大般若"という奇祭があります。
無病息災を願い町内の家にお守りを配ったり、子ども達にお菓子を配ったりします。
場所は東京都江戸川区です。来年はコロナの影響でやらないかもしれないのですが。
はやせさんの話してた餅投げって、棟(むね)あげですね。家の四隅から落とす隅餅には現金(硬貨)がなかに入ってます
棟上げの餅まきありましたね
小学生の頃はよく貰いに行きましたが、最近は見た事がないですね
山口県です
西日本の風習なんですかね?
千葉県の田舎者(30代)ですが、子どもの時は餅投げあったなぁ〜。大イベントでした。懐かしい。
最近はめっきりなくなりましたね。風習が無くなっていくのはさみしいですね。
かっちゃく→殺して引き裂くの解釈には怖すぎて笑ってしまいました。正解はなんでしょうね。
首都圏でも30年程前は「たてまえ」ありました。当時はネットの情報が無かったので偶然通りかかって参加したものです。そのお宅の関係者でなくても参加できる緩い時代でした。
東京からそう遠くない千葉県ですが、餅投げやってました。 今日あの家で餅投げがあるよと友達から教えてもらってビニール袋持ってよく行ってました。小銭も投げていました。もう30年ぐらい前の話ですが、今はもうやらないのかな?
今住んでるところはカナダですが、新聞に亡くなった人お知らせページがあり、亡くなった方の写真がずらっと並んでいます。
沖縄は米軍基地もあるので、アメリカの文化が入ってきてそうなったのかな?
かっちゃく=岩手でも言います、懐かしい方言です。
七夕のハロウィンみたいな習わしは、ジブリ作品の思い出のマーニーでアニメ化されてました。作中に唄われていた歌詞もほぼそのままでしたね。
夫の実家(離島)では1月2日に「ミカン投げ」という風習があります。 厄年を迎える人がいる家が 朝 だいたい8時くらいから みかんやお菓子や餅、ティッシュなど軽めの日用品などを 沢山窓から投げるのです。老若男女、家の前に集まって拾っていくので、正月早々たいへん賑やかです。
でも、夫が実家と険悪な状態になってからは 帰っていません。
北海道ですが、道南では七夕は普通に7月7日です。歌も、♪ 竹に短冊、七夕祭り、多いは嫌よ、蝋燭一本ちょうだいな♪です。この「おおいはいやよ」の意味が、だんだんずれて、たぶん今は「大いに祝おう」に変わってしまっています。昔は本当に蝋燭でしたが、最近はお菓子です。
長文失礼します。
私は山梨の田舎出身なのですが、新築時の餅まき・訃報の広告?ありました。
餅まきは20年程前に実家が建て替えられた際に、実施側として参加しました。また、同じ頃に別のお宅で行われた餅まきにも参加した経験があります。小袋に入ったお菓子やお餅、白い紙に巾着のように包んだお金(小銭とか千円札程度)を撒きます。「これからこの地域でよろしくお願いします」の意味合いと聞いた覚えがあります。最近は聞かないし、知らないうちに新しい家が建っているので、やっていないのではと思います。
訃報の広告とは違うかもしれませんが、県内新聞に訃報欄がまだ存在しています。故人名、喪主名、没日時、通夜告別式の日時と場所等が記載されます。実際にそれを見て急いで通夜参列したりします。ただし、葬儀屋さんから「新聞に載せますか?」と確認がありますので、必ず載るわけではありません。
どちらも普通のことと思っていましたのでびっくりですw
『ろくそく出せ』の歌詞は、
ろうそく出せ 出せよ
出さないと かっちゃくぞ
おまけに食いつくぞ
だった気がします。かっちゃく=ひっかくなので、私が覚えている歌詞とちょっと違うかな?
懐かしいです。
私もこあべさんと同じ歌詞でした。
かっちゃく=ひっかくですよね。
ローソク出せ懐かしいなぁ〜昔ケンタ行ってケンタ貰ったっけな。笑
新聞にお悔やみのるよ。関西だけど。
新築の家建てる時餅&金投げますよ。
葬式には妊婦、新婚、未成年女、生理の人は参加したらあかんって言われてた。
結婚式も妊婦、生理の人は参加しちゃダメって言われた。
私は滋賀生まれ、フローティングスクールあった。うちの学校は人数多くて他校とは一緒にはならなかったけどね。
私は発祥の地、札幌市○○区生まれです。小さい頃から8月7日にローソクを立てた提灯を持ち、暗くなったら子達で近所の家を訪問します。♪ローソクだーせだーせよー、だーさないと引っ掻くぞ!おまけにかっちゃくぞー!と歌うとお菓子をくれます。 ローソクだ〜せ〜と歌ってるのに本当にローソクだけ渡してくる家には子供ながら「お菓子じゃないんかい⁉️」と内心思いました😆別の子供達から誰それさんち行ったらお菓子用意してないからお金くれたー!と聞くとそこに向かっていきました💦昔はおうち🏠と決まっていたのですが今ではラーメン屋、お店などに子供達は訪問します。整骨院をしている弟も毎年お菓子を準備しています。昼間からまわり、今では客がいようと店の中に入っていくようです。 夏の楽しみの一つでした。顔も知らない家のベルをならし家人からお菓子を貰い、2、3日はオヤツ食べつづけました。今思うと平和だったなぁーなどと思います。
秋田生まれの東京在住です秋田では「かっちゃく」は「両手で爪を立ててバリバリとひっかく」感じで使ってました ひっかくと一緒に使うことはなかったので気にしたことはなかったんですが ひっかくの進化バージョン?だったのかなあ…棟上げ式で屋根の上から紅白のお餅をまくのは見たことあります~めったに新築する家がないので何十年に一回ぐらいですが、やっていました 全国でもやってるものだと思ってたんですけど違ってたんですね💦
福岡県の田舎ですが
家の新築で同じように餅投げをします。
棟上げ(むねあげ)と言ってましたが、上棟式(じょうとうしき)が正式名称だと思います。
大安のようないい日を選んで、木の枠組みの上(屋根に当たる部分?)に家の主や大工さん、息子などの男性のみが上に上がります。
餅投げをする日は午前中から赤色?だったか?の旗を上げて餅投げを近所に知らせます。紅白の餅、5円玉や50円玉の穴に紐を通したもの、お餅の袋の中にも小銭を入れたり、駄菓子を投げたりもします。
家の四隅には、隅餅と言って、でっかい餅を投げたりします。
隅餅は大の大人、特に男性達の奪い合いになるので女性や子供は危なくて近寄れません💦
全ての餅投げが終わった後は
その枠組みの床になる部分で今度は女性も参加して、その家の家族、親戚、友人、勿論大工さん、達と宴会をします。お酒を飲んだりご馳走を食べたりします。
子供の頃から旗が上がってる建てかけの家を見ると午後に袋を持って集まってました。
最近では自宅の斜め前の新築の家が昨年?くらいに餅投げをしてましたよー👍
沢山拾いましたw
全国でやってるものだと
思ってました……^-^;
家の餅まきのお話ですが、私の地元では、もち、おかし+おひねりも投げてました!
紅白餅をまくタイプは 知りませんでしたが 地元青森の とある地区限定で
屋根の上から小銭をばらまく 「ジェンコマギ」という風習が あります
何らかの条件で 選ばれた家の敷地で 年一度 行われ 内容的には
棟上げと同様 縁起事として まかれた小銭を みんなで拾います
親戚の家が 選ばれたかなんかして 小さいころ 参加した覚えがあります
私の田舎の一部の地域では棺桶が不思議な形をしてました。
樽状の棺桶にご遺体を運動座りの状態にして、最後のお別れで蓋をする際にそのご遺体に石を投げるという風習がありました。
人に石を投げるという行為が幼いながら亡くなった方に失礼な気がして嫌だった記憶があります。
今から40年ほど前の話なので今はどうか分かりません。
長崎でも、墓の前でブルーシートひいてご飯食べたりしますよー