ある意味でいわくつきとも言える廃道ルクシ峠に行ってみた
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- Опубликовано: 19 май 2023
- 今回は国道333号の新佐呂間トンネルの旧道ルクシ峠に行きます。
過去に人命を奪った二つの災害とかかわりのある廃道で、ある意味いわくつきなのかもしれません
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赤い橋からの風景はいつまでも心に残っています。でも冬は本当に怖かった!ここを通るたびにいつも気になっていました。今の様子を見られて本当に嬉しい。お疲れ様でした。
二十数年前の真冬、所用で北見から紋別に向かう途中、望郷橋付近の下り坂で患者搬送中の救急車がスリップ事故のためにひっくり返っているのを見て、焦ってしまった事がありました。
やっぱり冬の峠はなあ・・どうしても
ルクシ峠の麓に実家があり現在北見市民です。懐かしい映像をありがとうございます。週末に北見に遊びに行くのに毎週の様に通っていました。崩落時は留辺蘂経由だったので大変でした。
ルクシ峠は初めて知りましたが、
廃トンネルの再利用は雪を用いたりと北海道らしい面白い計画ですね😊
舗装面とはいえ往復6kmは大変だったと思います。
佐呂間町の竜巻災害は犠牲者が多く良く覚えています。
旧旧道の探索も楽しみにしております✨
北見に住んでます父が佐呂間出身なので僕が小さかった時は旧旧道を通って佐呂間に海水浴に行ってました。懐かしく思えるところもあるので旧旧道の探索楽しみにしてます。確か旧佐呂間トンネルの上あたりの旧旧道では湧き水が湧いていたような思い出が有ります
私の親父も若い頃よく佐呂間方面行っていたそうなので、この峠の旧旧道を走ったのかも
ゾヌさんの動画はいつも勉強になります。かつては使用されていた道の歴史はもちろん、使われなくなった理由や歴史的背景、新旧問わず先人達の苦労や犠牲なられた方々への畏敬の念等、感心と尊敬の念を抱かずにいられません。これからも無理せず頑張って下さい。
ありがとうございます。
これからもよろしくです!
いつも興味深く拝見しています。道民でありながら知らない場所・歴史・背景をたくさん勉強させて頂き、臨場感ある映像をいつも楽しみにしています。とにかく、熊さん🐻には気を付けて探索頑張ってください!
ヒグマは今ホットですね。とは言えいつでも危険はあるので、過剰に恐れず、対策をしっかり取りながらやりたいと思います。
2009年2月7日、閉鎖目前のルクシ峠を通過しました。
いまでもこの残ってるんですね。
ありがとうございます。
地元民です。高所恐怖症なので数回しか通らなかったけど、あの橋は久しぶりに懐かしかった。
ゾヌさんお疲れ様!!ルクシ峠は旧道になってしまいました。
土砂崩れの影響もありました。
土砂崩れの危険個所もいっぱいありますね。
気を付けて!!
ゾヌさんの廃道に対する思いと知識には感服です。これからも楽しみに視聴させていただきます!
ありがとうございます。
色々調べた甲斐があります。
懐かしい‼️みなさんのコメントのように、冬はヤバかったですね。
佐呂間に住んでたので、若い頃北見に遊びに行くのによく通ってました。
懐かしい。帰省してないので、旧道も見れて嬉しいです。ありがとうございます😊
こんばんは。北見市民です。旧旧道は道幅の狭い砂利道で霧がかかったりと、あまり通りたく無い道路でした。だから北見から若佐を通って紋別方面に行く際は、留辺蘂に迂回して若佐にぬけていました。距離は長くなりましたが時間はそんなに変わらなかったです。それにしても懐かしい風景が見られた動画でした。ありがとうございました。
懐かしい。旧旧道で岩塊がホイールに当たってタイヤがパンク。通り掛かった車のドライバーから工具を借りてタイヤ交換した思い出があります。
うわあ、当時の道路状況が垣間見えるお話ですね
こんばんわ🌷
ルクシ峠、景観は素晴らしいです!廃道とは思えませんね!廃トンネルの有効利用以前ニュースで見ました!条件が合えばいい利用法ですよね。往復6Kmの探索お疲れ様でした😊 旧旧道も気にはなりましたが・・いつかトライ・期待してます😅 ありがとうございました。サムネ(爆笑)✌️
こんばんは。
これからは廃止インフラの有効利用がトレンドになるのかなあ?
学校などもカフェや研修施設として利用は実際ありますね。
考え抜いた末にインパクト重視でこのサムネにしました。
昔は此処しか通るとこが無かったから通ってました🙈🙈🙈
今は長いトンネルが出来ましたね😃✌️
もっと道が荒れてるのかと思ったが綺麗なままだった!
北見側から来ると望郷橋が下りになりスピードがついて怖かった記憶があります。
懐かしさを覚えました。ありがとうございます。
旭川〜北見間は戦後の道路建設では動画で仰られている通り多くの犠牲者を出してしまいましたが、鉄道建設では囚人労働やタコ部屋労働で多大な犠牲を払ってますね。オホーツク海側への道は呪われてる?
熊も出そうな場所でもありますし、充分お気をつけください。いつもありがとうございます。
待ってました!
道東遠征お疲れ様でした
現佐呂間トンネル、仁頃トンネルは今もちょくちょく事故があるので何かいわく付きなのかもしれません😨
尊敬するゾヌさんと同じ風景を共有出来てファンとしてこの上ない喜びです😭本当にありがとうございました🤗
はらへった様、度々ありがとうございます!
ただ、どうかご無理の無い範囲で。
道東ははらへった様のフィールドでしょうか。この日は他にも行ったので追々動画でお見せしますね!道東も行きたい場所が沢山あります。
何にも考えず先月、とうりました。長いトンネルでした。そして、すぐ仁頃トンネルありました。
R333ルクシ峠旧道は2000年に通行しました。とても今を知りたかった峠道です。佐呂間町若佐の交差点から入って、徐々に高度を上げてトンネルに入る前の平地を見渡せる場所で停まって眺めたと思います。そうたぶんこの2:55の景色でバイクを止めたんだと思います。交通量もなくていい道だなぁ、早く気づいて来てればよかったと感じました。3:39 旧サロマトンネル開通は88年だったんですね。以前の旧旧道も通ってみたかったです。旧旧道もグーグルマップ航空写真で僅かに確認できますね。2001年の斜面崩落事故は記憶は薄いのですが、1年後だったのでガクブルしたのかもしれません。その後新トンネル建設が始まって、新トンネル工事中の竜巻災害があったのもニュースで知りました。安全優先で新道化は当然にしても、旧道はたまに来る走行目的の旅人には魅力的に感じた道路でした。と、現在の状態を見たかった場所です。ありがとうございました。
思い出のある道なんですね。私も良い眺望だなあと感じました。
お見せ出来てよかったです。
お疲れ様です、ルクシ峠は90年後半にタイヤメーカーのスタッドレスタイヤ開発の手伝いで冬期間に使用していました(テストコース完成まで)。
地元の運送会社さんが撒水車でアイスバーンを作ってくれたりして、とてもお世話になりました。
廃トンネルの有効利用案なんかあるんですね。
食糧危機を乗り切れる位貯蔵できると良いですね。
その様な使われ方もあったんですね。
廃トンネルが市街地から気軽にアクセスできればいいのですが、橋梁等もあるしその維持を考えると難しいのかもしれませんね
毎年通っていますが、その度に竜巻と土砂崩れで犠牲者が出たことを思い出します。
トンネルを抜ける時はいつも妙に厳かな気持ちになりますね…。
私の場合、豊浜トンネルを通過する際にはいつも厳かというか緊張します
ルクシ峠懐かしい。旧旧道の砂利道から仕事で良く通ってました。竜巻の時は、通った後に起こったので、後から来た人に聞いたら凄いコトになってたって聞いてゾッとした思い出があります。
なつかし~風景です~ 行ってくださってありがとうございます~
ゾヌ様
初めてコメントいたします。
いつも楽しく拝見しております。
2000年~2006年、転勤で札幌と北見を行き来しておりまして、
最初に北見に居たころ、崩落事故前に遠軽へ向かうために何度も通っており懐かしく感じました。
また、同僚が崩落事故が起きる1時間ほど前に通っていたのも記憶にあります。
次の転勤で再び北見へ行った時、鹿島JVで仮設宿舎建てて24時間体制で工事をしていた所を横目で見ながら通った記憶もあります。
札幌戻った後に竜巻事故のニュースを見て、いろいろゾクゾクしていました。
うろ覚えですが、
新佐呂間トンネルは事故での緊急工事でしたが、元々“遠軽北見道路”の一部として計画されていませんでしたっけ。。。
何れにしましても、現在の様子が見られ、遠い記憶が蘇らせることができました。ありがとうございます。
同僚の方、危なかったですね・・
遠軽北見道路の件は知りませんでしたが、現道の雰囲気がそんな感じですね。
ルクシ峠、20年以上前に北見に出張に行った時に通りました。崩落事故はあまり覚えてませんがその後の通行時間帯規制があったのは覚えてます。確か18:00まで通行できてました。日中の仕事が長引き、湧別から北見に向かうのにルクシ峠が通れなくて別の道路に迂回して時間が遅くなった苦い思い出があります。北見と言えば遠軽北見道路の建設,北見から網走までのバイパス,十勝オホーツク自動車道など、自動車専用道路が充実している様です。
ようやく思い出した!ここの峠景色がすごくよくて子供の頃すごく好きでした!
なつかしい‥
北見に帰省するときたまに通ってました
景色がきれいでとてもいい道でしたね
もう通れないのかぁ‥
佐呂間町に言えば通してもらえるかも
使わなくなる旧道が北海道には多い印象です。山間部だと実は多いかもしれないですが。
栃木地区というところがあるんですね。今は栃木県民なので北海道なのに親近感が湧きますね。
栃木県民が集団で移り住んだ場所です。北海道にはそのような場所が多いですよ。
いつもありがとうございます
お疲れ様です
ありがとうございます。
ゾヌさん、お疲れ様です。
89年辺りにサロマ湖に友人5人とキャンプに行った事がありますが、ルクシ峠は知らなかったです。
旧旧道も気になりますね。
「るくしとうげ」昔北見の人と話していてよく出てきた名前、言葉の響きが今も印象に残っている
北見に住んでた頃に丸瀬布に釣りに行く時よくこの峠通ってた。
たまたまあの崩落事故のすぐ後に通って道がすごいことになってて驚愕しました。
あのお二人、結婚報告のためにあそこ通りがかって被災されたという話聞いて胸が苦しくなったの覚えてます。
気の毒な話ですね…
トンネル崩壊で亡くなった方の親御さんと、仕事でお付き合いがありました。 葬儀に参列しましたが、若くして亡くなられたのでいたたまれなかったのが思い出されます。
そんな犠牲を踏まえて道の改良が進んでいくんですね
写真だけ見ても何がどうなっているか分からないほどすさまじい崩落だった事が分かりました。
結構前にコメントで行って欲しいって言ってたんですが、行ってくれてたんですね!
ルが道で、クシが通るですね。釧路のクシもそうですし幾春別のクシュもこのクスのようです、気をつけてみるとよく出てくるのですが、まあ気が付かないのです。新佐呂間トンネルって4km以上あるんですね、ここにそんな長いトンネルあるとは思わないかも。
当時道内一の長さだったと
ルクシ峠編お待ちしてました。
懐かしい〜!家路を急ぐのによく走り屋になったのが懐かしい。おそらく森林管理署が使ってるのでしょうね。
確かに林道が繋がっていますね
北見在住なのでここはよく通りましたね。党機関は怖かったです。廃道になると橋梁が撤去されるとは知りませんでした。
ここは行ってみたかったけど遠くてまだ行けていない箇所の一つでした 今回探索区間は距離が長い割に「廃」感が薄いようなので、自分が探索の機会に恵まれたら北見側とかニコロトンネルをターゲットにしようと思いました 大変参考になりました。
今にして思うと仁頃トンネルの旧道、ゲートから覗くくらいはしておけばよかったなと後悔・・
待ちに待ったルクシ峠🎉
1994年に北見側から通りましたが、赤い橋が印象的で、今でも脳裏に焼き付いています。
新サロマトンネルになって以降、何度となく通りましたが、その都度ルクシ峠が気になってたので、今回の動画ですっきりしました。
ありがとうございました(^o^)
ご期待に応える事ができてよかったです
ゾヌさん、また遠い所へ😅
今は使われていない道、橋そして塞がれて別の用途に使われたトンネル。
♪橋の欄干手を腰に〜
という歌を思い出しました。
道東、魅力的です。毎年1回くらいは訪れたいですが、ほかにも宿題が山ほどあるんだよな~
2008年迄は遠軽・紋別方面に向かう際によく使用していましたね。流石に今は50キロ規制や追禁の標識が取っ払われているみたいですが。
佐呂間トンネルの入口は現在あんな感じで塞がれていたんですね。😮
いつも楽しい動画をありがとうございます😊最近熊の出没が頻繁に発生していますのでお気をつけ下さいね。ご安全に❗️
ヒグマは本当に怖いですね。廃道探索の一番の難敵かも。
ここの新しいトンネルは完成間近に竜巻被害で工事関係者が亡くなられていましたね。
当社にも、トンネル見学を予定していた者がおりまして、当日だったらこの世にいなかったかも、と言うような状況だったようです。
岩盤崩落事故についても、私もよく美幌方面を行く際に利用していたので、明日は我が身な状況だったかなと。
電気室モドキは、交通量と車両重量調査をやるのに使う施設のはずです。国道39号の西三輪に、これよりボロイ作りのソックリな建物があり、高校何年の時だかは忘れましたのですが計測してました。
佐呂間町栃木って、足尾鉱毒事件で渡良瀬遊水地にされた谷中村落の住民の移住地と言うか追いやった地です…東西と南側の三方を山に囲われているので営農環境がすこぶる悪くて…
言われて納得しました。確か浮島峠などにもあったっけな。
なんでこんな所に小屋があるんだろうって子供の頃から気になっていました。
栃木地区の由来は足尾銅山絡みだったんですね。佐呂間町史をもっとよく読めばよかった。
ルクシ峠は懐かしいですね。斜面崩壊の事故で若い男女(カップルではないらしい)が車ごと巻き込まれて亡くなりました。
この事故をうけて開発局では急遽ルクシトンネルの別線ルートの検討が行われて改良されました。
この年12月25日にコンサルに呼ばれて1月5日までにルート検討するように言われて正月返上で徹夜で3ルートの図面を書き概算工事費を出しました。
私の会社の社員だけでは間に合わないので知り合いの設計会社の社員に内緒でバイトで来てもらいましたね。
そのうちの1ルートが現在の道路です。
元々は遠軽ー北見道路として地域高規格道路が計画されていましたが、この事故で早急に対処が必要となり普通の一般国道のままの改良となりました。
工事中にも竜巻に工事事務所が巻き込まれて会議中だったJVの職員等9名が亡くなりましたね。
この工事にも関わっておられたのですね。
なかなか知ることのない設計サイドの話、ありがたいです。
旧道の橋が残ってるのは非常に珍しいですね!
恐らく用途が無くなると他と同様に撤去されるんでしょうね...
旧道沿いにある林道へのアクセスがあるのかなあ。
最低限の維持はされている様にも見えました。
現役と言われても疑う余地がないほど綺麗だな。
それだけ、岩盤とか地質に問題があったのか。
新旧どちらも利用した事があります。当時旧道自体は特別走りづらいとは感じなかった(夏場でしたので)のですが、出来立ての新道を走ると差は歴然だった事を思い出します。
旧道の橋が残っているのを見ると、国道231号の塩見橋の撤去は本当に早い処置だと思います。
あそこまで廃道化すること無いのにって思います
こんばんは、比較的新しい橋やトンネルが放棄されるのは勿体ない気もしますが、しかし死者出た大規模崩壊はそのままに仕手は置かないでしょうから新トンネルを建設したんですね、新トンネルの建設事務所と休憩室のプレハブが竜巻で飛ばされて9名の方が亡くなった事件がありましたね、当時マスコミも全国放送してました、昔から道路、トンネル、橋などは色んな人達の努力と犠牲の上で成り立って居るのを忘れてなりませんね。
5:56 「陽光橋」と聞いて急激に記憶がよみがえってきました。
全体的な記憶は残っていませんが確かにこの道を通ったことがあるなぁ、と…
旧旧道はクマさん闊歩してそうですね😰
廃トンネルの利用、ワインやウィスキーの貯蔵庫としても使えるかもしれないですね。
今は、道内でも各地にワイナリーやウィスキーの生産が行われているので、どこかが利用してくれると良いですねぇ。
廃トンネルの二次利用研究は初めて聞きました!
農作物の貯蔵には有効かもしれませんね。
道内JAには大型の冷蔵貯蔵施設がありますが、大型の冷却機械を稼働させる為に莫大な電力が掛かるので(特に夏場)、こちらの様なトンネルで同様の効果があるならば、電気代の節減に一役買いそうな気がしますが…。
相当涼しい風が吹いていたので、うまく利用できれば良いんですけどね。
2006年の竜巻発生の2時間ぐらい前に佐呂間の街の国道沿いの自販機でコーヒー買ってたらものすごい風だったの覚えてます
その後旭川に到着したとたん佐呂間で竜巻発生の一報が・・・
次の日から佐呂間町の市内に入らないように街はずれ側の迂回になりましたが
街はがれきが散乱してて衝撃を受けたことを今でも覚えています
旧旧道まで以降としたらオフロードバイクかキャンプ用品の準備が必要になりそう
まあ行っても峠までかなあ
中学の頃、部活の遠征でお世話になった道です。当時赤い橋からの眺めは良かったですが、バス酔いでそれどころじゃなかったし、トンネルの記憶は寝ていたのでわかりませんが、農作物の貯蔵庫実験はこの動画で初めて知りました。
私が子供の頃も走ったんだろうなあ多分
懐かしい…。
ルクシ峠は小さい頃からずーっと何度も通っていて、赤い橋が印象的でした。現在の姿をしっかりと見れて嬉しかったです。閉鎖されてるサロマトンネルは少し怖いですね:( •ᾥ•):
ルクシ峠懐かしいです。
いつも通っていた道なので崩落事故はショックでした。
竜巻で死者も出たこともあって当時はあの道路は呪われてるって噂が出てましたね…
ルクシ峠は法面崩落事故の数時間前にトラックで通過していたこともあり、よく覚えています。何度か地滑りを起こしていてその度に対策工事が行われていましたが、効果も無くあの事故が発生してしまいました。
間一髪でしたね・・・
@@user-di9tv2kf8t 当時の対策工事は、最終的に路肩から10m位バックさせて法面掘削、その上に法枠コンクリート打設プラス植生土嚢というものでしたが、それごと押し流したようです。
7:24辺りで「交通安全の家?」と言っていた施設ですが、もしかしたら「交通量観測所」ではないかと。
道路上に四角い溝から建物に伸びる溝を埋めた跡(ループコイル式車両感知器)があるか、道路両脇に門型標識柱の土台の跡(超音波式車両感知器)があればまさしくそれです。
そう言う施設なんですね。どこだかにあった同様の施設に交通安全の家って書いてあった記憶が残っていました。気のせいかな
ルクシの崩落事故が起きた当時は地元の大学に通っていた大学生でした。地元から割と近い場所での全国ニュースとなる大きい事故。衝撃でした💥
免許取って初めて行ったドライブ🚗³₃もルクシ峠だったなぁ😌
全く関係ない話しになりますが、真夜中に新佐呂間トンネルの開通式前日に工事に携わっていた男友達に工事関係者のみ入ることの出来る裏道を通って車を停めて中に入ったなァ…その男友達何を思ったか大きな屁を連発カマして「響くなぁ!やっぱり」ってアホ面してゲラゲラ笑っていたっけ😂
大変懐かしい道路を見させて頂きまして感謝いたします😊もし今度は旧旧道の訪問をお願いします…旧旧道なんて知らなかった😳
なかなか豪快なお友達ですね😂
いつもと違って歩きやすい道ですが、歩きで(距離)がありますね。旧旧道ともなればさらに距離が延びまるので大変でしょう。
素人目では崩れるとは思えない斜面です。わからないものですわ。
佐呂間側は大丈夫そうなんですが、北見側に危険箇所がある様です。
しかし橋が無いので簡単には行けない様です。
ルクシ峠行ったんですね
旧旧道かなりの距離ですよ止めて正解です
ほぼ砂利道の様です
さすがに全線は行く気無いのですが、峠までは歩けたらいいなと。
いかにもヒグマいそうですけどね
取材・編集お疲れさまです。今回の廃道は、峠までに絶景ポイントが楽しめるが、いいですね。でも、歩きでの探索は、疲れるのと動物の遭遇に注意してください。
景色は本当に良かったです。でも広い舗装路だからか距離が長く感じました。自転車で旧旧道まで行ければ体力温存できるんですが
@@user-di9tv2kf8t 車に自転車を積んでおけば、長い距離の探索にはいいでしょうね。
往復6キロ、毎日歩けばおなかに付いた肉も自然に取れる距離ですね。
北海道にいても栃木(気温およそ-273度にさせる何か)
多分入植時に栃木から移ってきた方が多かった地域なんでしょうね。
横から失礼。足尾銅山鉱毒事件で渡良瀬遊水池の造成に伴い半ば強制移住させられた谷中村の人々が入植したのが佐呂間町栃木になります。
戦前までに谷中村から来た大半の人々は去ってしまいましたが、僅かに残った末裔や後に入植した人々の末裔が佐呂間町を動かして遊水池のある栃木市,小山市,佐野市との交流を続けております。
@@maxaniki 栃木とゆかりがあったのですね。勉強になります。
今年は熊が活発なそうで…十分に気を付けて下さい。
石北峠旧道探索お願いします
旧道ありましたっけ
1986年の夏にバイクで通った事があります。ダートの山道を、これが国道か⁉️と毒づきながら走りました。写真を撮らなかったのを悔やんでおります…
旧旧道、トンネル坑口脇から斜面を登れば結構ショートカットできる(笑
それじゃ意味が無いですけどね。
崩落事故の直後から、仁頃トンネルの完成までの期間中、工事関係の警備員として、ずっと仕事で行ってました。
ご苦労様です
最後のトンネルの向こう側は橋が撤去されてるから誰も行けない場所なのか・・・
多分改良前の斜面沿いの道が残ってはいると思うんですよね。
或いは佐呂間側から旧旧道を越えるとか
@@user-di9tv2kf8t 山の中をかき分けて進む必要がありそう
ドローンで検証してほしい
竜巻は地鎮の足りなさと山神を舐めた北海道への怒りが現された罰と当時はよく言われてましたね。
奇しくも工事詰所をピンポイントで襲った災害でしたしね。
岩盤崩落した場所はその時は見たことの無いような光景で普段は絶対に有り得ないのに滝が出現してました。
落石もチラチラと路肩に積もりそこに注ぐ滝…
何が起きてるか理解が出来ず逃げるように峠を下った記憶があります。
いやいや恐ろしい光景ですね。と言うか崩落当時に通過したのでしょうか。
某有名オブローダーじゃなくても自転車があった方がよさそうですね。
家の横を竜巻が通ったことがあったな
ゾヌさんの車の総走行距離何キロなのか気になる笑
やばやばよ
車両通行止めの所は電動キックボードで行くと楽です
ちょっと調べたら欲しくなってきた
廃道には勿体無い、冬季閉鎖ならまだしも、
この様な道が多く残っているのは、手をかければ車などが走れると思います。もったいないですね、観光の一部として手をかけても良いと思いますが・・・・。
維持費がやっぱりダメなんでしょうね
25年ほど前、ゴールデンウィーク中の出張で北見方面から若狭地域へ訪れようとした際、途中から猛吹雪に。車は夏タイヤ( ・᷄ὢ・᷅ )
自殺行為とも思われかねない(笑)状態で何とか現地に到着した苦い経験が(笑)
帰りはもちろん常呂回りで帰りました。
そんな事を思い出しました。
よ、よく無事でしたね・・・
@@user-di9tv2kf8t スリリング&エキサイティングでしたw
いつも楽しみにしてます、折り畳み自転車とか使用したらいいと思います
ところが折り畳み自転車だと貧弱過ぎて逆に疲れるんですよ。
なぜならこの手前の旭峠でひどい目にあったからです(笑
そうですか、北海道の歴史を沢山掘り起こしてください❗
気を付けて頑張って下さい❗
北海道で栃木の名を聞けるとは思わなかった
1:35 ここは元チェーン脱着所かな
5:33 使われないのもったないないな過ぎる
今回ゾヌさんが歩いた旧道は、現役時代に何度か走りました。下ってゆく途中の大パノラマがとても美しかったのを覚えていますが、いつの間にかトンネルが貫通していたので、仁頃トンネルと併せて、北見~遠軽間の石北本線沿いR39,R242のバイパスとしての役割を強化するために、時間短縮と車線改良を目的として造られたトンネルかと思っていました。事故対策だったんですね。
旧旧道は堀淳一先生は踏破されたのでしょうかね。手元の蔵書の中からは記事が見つかりませんでした。
私の持っている著書にも載っていないので行ってないのかもしれません。でも先生なら現役時代をバスか何かで経験したかも