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山中崇さんは、良い人から悪人まで色んなキャラクターを演じられるので素晴らしい俳優さんですね!
歴史の流れが、良く分かりました。朝雅、24歳ですか⁉︎役者さんの演技と共に、これからが楽しみです。後鳥羽の配流も、どう描かれるのか、今からワクワクします♡
端的で 分かりやすい解説 いつも楽しみにしています。 良く似た氏名の 登場人物、複雑な歴史解説を 癖の無い 話し方で 淡々と進められる 武士道さんの 実力を感じます。大河ドラマ出演 ✨ 応援しています!
見た目は"宮沢りえ"さんより年上に見える。頼家と同じ歳だったとは驚きです。
キモ雅(笑)ほんとにキモ雅と思ってしまう嫌味な感じがお上手でしたよね。この人物はあまり知らなかったので勉強になりました。
朝ドラとは全くチガウキャラだったので、全然わかりませんでした。演じる時代設定が違うとはいえ、別人を演じられる俳優さんはすごいと思います。
あの顔で23歳か…
何となくよく分からない人物だったので説明してくれてありがたいです。
いつも分かりやすくて楽しい動画を楽しみにしています。Mr武士道に質問なのですが、新田義貞と仁田忠常は繋がりが有るのですか?苗字は音が同じで感じが違うのですが、もし縁続だったら因縁を感じると思いました。解説が有れば是非見てみたいです。
ドラマの表現ではマザコンというよりこの家で誰が実権(?)を握ってるのかちゃんとわかってて嫁よりお義母さんの方に褒めたり花をもっていったりすると思います。キモイのは変わらないけど笑
タイムリーな解説、有難うございます^ 頼家と同い年なんですか!?ドラマで受ける印象とは随分違うのですねぇ。。^^
仕事できる人だったんですね頼家と同世代なのが驚き
でも坂東武者をモロに見下していそうで好きではない。
仕事の能力は並位だろう。ただ家格が凄く良く、義理親が北条時政だからな。鎌倉時代の長島一茂という感じか。
りくは京都に最後は戻り優雅な生活。なんだかなあと思ってしまう。
ここまでして時政が平賀朝雅に肩入れした理由がすごくわかる解説動画でした。北条氏は都の上皇や公家から見れば「出自がよく分からない伊豆の田舎侍」だったのでしょう。時政もそれを充分理解して、平賀朝雅という上皇や公家にも一目置かれる貴種の名門武士に娘を嫁がせたのでしょう。さらに時政は頼朝と同じ源義家の血を引く足利義兼にも娘を嫁がせているところを見ると、自分の家がよく分からない出自だから、家格を上げるべくなりふり構わず様々な策を巡らしていたのが手に取るように分かります。その結末が「牧氏事件」となるわけです。
ドラマで朝雅が嫁そっちのけで母親に媚びてたの、別にマザコンって訳じゃなくて、牧の方の身分が高いからだろうね。牧の方と結婚して生まれた政範も身分が高いし、どこの馬の骨とも知れぬ北条家の安泰のためには欠かせない存在だった。なのに急逝してしまって、計画は全て狂ってしまった。この「北条の身分の低さ」は時政だけでなく、義時にも泰時にもついて回った足枷。
平賀朝雅が源氏の血筋ひいて鎌倉殿になれるのなら、北条時政の孫にあたり、北条泰時の娘婿にあたる足利義氏の方が、将軍に最適。 しかも足利氏は義家流ですからね。
でも足利氏は、坂東に地盤があるれっきとした坂東武者。足利氏を将軍にすると足利氏一族に権力が行き、北条氏が権力を握るには最適とは言えないかもしれません。北条氏(義時)にとって将軍は実朝のように自前の力を持たないほうが望ましい。平賀朝雅が討たれるのもそういう由もあるのかもしれないと思ったりします
@@pondtube1 「自前の力を持たない」鎌倉将軍は、実朝の後も摂家将軍・宮将軍として存在したところを見ると、足利が将軍になると北条にとっては何かと都合が悪かったのがよくわかります。ここで、足利氏と同じく源義家の血を引いている新田氏が元弘の変直前まで鎌倉幕府内ではほぼ「無」の存在だったのが、歴史の面白いところです。大河「太平記」で、鎌倉に攻め込む新田の軍勢が数万に膨れ上がっているのを他から聞いた長崎円喜が「数万?あの貧乏御家人の新田が?皆、頭がどうかしておるのではないか!」と評しているのが、当時の新田氏の幕府内での評価が相当低かったことを物語っています。
名前は似ていますが、幕末の京都守護職と、京都守護では、自分の軍勢を率いているかそうでないかで大きく違いますね
今回も大変参考になりました。しかし、自分の孫で初代鎌倉殿の息子実朝を最悪殺してでも権力の野望に走る時政パパ、ダークサイドに落ちてますね、息子に負けず。愛妻(悪妻?)りくの影響も強いんでしょうが。逆に政子が普通にみえてきます🥵平賀朝雅は舅姑の駒となってしまい不運な最期。
着物かっこいいすね
待ってました😆リクの娘婿ということしか知らない方なんで有難いです。
比奈(姫の前)が頼朝時代に権威無双過ぎたのか、平賀朝雅が世渡り上手なのか源氏の血の為せる技なのか、はたまた二人のタイミングの違いなのか、男女の差はあれど家で見た立場は思いっきり似てるんですけどね。ドラマだと平賀朝雅にブチキレる義時が見られるかもですね。
三日平氏の乱って源平合戦にあった佐々木秀義が討死した戦いじゃなかった?と思ったら平家物語の記載誤りで、20年後のこっちが本当に三日で終わった戦いだったんですね!一回目を鎮圧したのは兄さんの大内惟義で、山内首藤経俊は両方に関係してるので、状況も似てますね(^^;;
それだけ伊賀・伊勢の国は治めるのが大変だったんでしょうね~。名誉ある仕事か、貧乏くじか…
キモ雅…失礼平賀朝雅の解説とても参考になりました。この先の展開が楽しみです。
つくづく源氏みたいに天皇家につながる貴種であるかどうかが重要だったんだなと思う。
源氏(河内源氏)な源信頼(坂東平氏乱)、頼義(前九年)、義家(後三年)と三代続いて武士団を束ねたから最有力になった対抗してのが源氏支配の強い坂東から伊勢に移動した伊勢平氏の忠盛、清盛清盛は白川上皇御落因とさ れ異例の出世清盛以降は平家北条氏は血統で伊勢平氏系に近いため小勢力でも存在感が有ったのでは?
鎌倉殿では胡散臭いけど、どこか憎めないって感じの人物ですねただ次回か次々回が心配です
でも時政に讒言しまくって畠山重忠親子を破滅させた卑怯者。
ちむどんどんの田良島さんが凄くいい人だから。鎌倉殿~の平賀朝雅が人間性最悪の奴でも何故か憎めないのだと思う。両極端の人間をほぼ同時期に演じる山中崇さんは神経が大変だろうな。
承久の乱の後は、六波羅探題は、幕府の朝廷の見張り番の機関ですネ~🧐🤨
お疲れ様です。義家や義光の父は頼義ですね。ちょっと気になったので、すみません。
山内首藤もこの頃には歴戦を重ねてるので、決して甘いだけの武士ではなかったはず。彼が不覚を取った三日平氏の乱を、朝雅はあっさり平定。頼朝や時政に見込まれて猶子となり婿となり、後鳥羽からも「第二の義経」として期待される程度には、見どころのある人物だったのでしょうね。享年24は若いなぁ。
大河「炎立つ」の前九年、後三年の役の討伐軍、源頼義、義家、義光親子に坂東平氏武士団(鎌倉権五郎など)が付き従った義光曾孫の平賀氏は有力なんだね
なんだかりくを狙ってる?気持ち悪い娘婿と思って申し訳ないです。わかりやすい説明ありがとうございます!ところでもうすぐ畠山殿の退場も近いので、今一度「坂東武者」や「秩父平氏」などの違い?を教えてほしいです。坂東武者という大きな括りの中の秩父平氏ということなんでしょうか?では北条はどういった括りなんでしょう?上総介殿も坂東武者ですよね?よろしければ教えください
平賀朝雅の家は武蔵守の家柄だったかな?京都守護や伊勢守でポストが空いたのでは🤔間違えていたら、ごめんなさい🙏
武士道さんお疲れ様です。首謀者の時政と牧の方は伊豆に追放で何も知らないであろう平賀朝雅が討たれたんですね、可哀想な人ですね😢
私は母方の曾祖母の実家が平賀家出身です。この件では朝雅が時政や牧の方に畠山重忠&重保の悪口を吹き込みまくったせいで、御家人の中で人望の高い畠山重忠親子が死ぬ羽目になったのだから殺されても仕方ないて思う。
細かい事だけど、頼信ー頼義ー義家ですよ「源頼義」が抜けてます
いつも楽しく拝見していますが、1点だけ。義家・義光兄弟の父親は、 源頼信 ⇒(正)頼義ちなみに当家の元の苗字は平賀。御先祖様をキモいと言われているみたいで・・・。
始末はトウさんが任されそう
ちむどんどんの田良島と同じ役者とは気がつきませんでした。さすがに20代にしては老けてます。武蔵守兼京都守護とはよほど上皇の信頼厚かったんですね。
賀来賢人ガ演じたホうがいいような
@@sivaprod6040 賀来賢人が拒否するだろうな。あまりに胡散臭く、卑怯者過ぎて。
👍👍👍
ちなみに義光の家系には武田、佐竹、三好、南部、蠣崎がいる
かの重忠公を陥れた卑怯者だし、「疫病神」行家や「ジロさん」能員みたいな「ザマァ」な最期を期待してます!
誇り高き田舎者と京の風を吹かせる貴種。本来ならば交わらぬのに、同じ娘婿と言う事で接点ができたのが良くなかった。官位がかなり下の者に口答えされたと言う意識から、畠山に対して過剰反応してしまったのだろうけど、まさか畠山叩きが滅びの芽になろうとはね。まさに奢れるものは久しからず。
娘婿にしては老けてんな〜😂って思っていたが山中さんだしそらそうか😱雅(みやび)なキモさを醸し出す演技🤣さすがどすえ〜🤣
雅でキモいw甲斐源氏やないかい!
数奇な運命の、おじゃる丸朝雅!興味深いです。久々に山内首藤の名前を聞いて又、ムカつきました。
この時代の「めのと」とは…乳を与える人の夫ということですか?例えば、全成夫妻→実朝のめのと= 実朝と同じ年の子供がみいにいて、みいが乳をあたえた?比企よしかず夫妻→頼家のめのと= 頼家と同じ年の子供が道にいて、道が乳を与えた?同時にキモ雅のお母さんも乳をあたえた?比企尼→頼朝のめのと=比企尼に頼朝と同じ年の子供がいて、頼朝に乳をあたえた?三浦義村→だれかのめのと?=三浦義村にも同じ年の子供がいて、彼の奥さんが乳をあたえたということでしょうか?
鎌倉時代の「めのと」は、・乳母(女性)・傅役(男性)の2つの意味がありました。なので、夫婦で揃って「めのと」に就任したケースが通例でした。ただ女性の「乳母」は、できれば母乳を与えられれば良いのですが、任命された時点で乳飲み子がいないあるいは独身女性の場合は当然ながら母乳は出ませんので、その場合は「養母」のような役目だったのでしょう。ちなみに、独身女性で「めのと」になった例は、伊達政宗の「めのと」の「喜多」(片倉小十郎の異父姉)があります。
@@toyo-rex4899 解説ありがとうございます
朝雅とんだトバッチリ
御家人の中でも人望のある畠山重忠親子を讒言して破滅させたのだから自業自得。
実は頼家と同い年。実は伊東祐清の子の可能性がある。養子と猶子の差は継承権の強弱。坊門姫出てこないよね。
ネタバレやめてほしい
ネタバレなのか?これ。史実・通説を語ってるだけで、大河ドラマ(フィクション)の脚本には触れてないぞ。
歴史解説の動画で歴史を説明するなってどんな要求
では “自ら試聴“ しなければ大丈夫です👍
山中崇さんは、良い人から悪人まで色んなキャラクターを演じられるので素晴らしい俳優さんですね!
歴史の流れが、良く分かりました。
朝雅、24歳ですか⁉︎
役者さんの演技と共に、これからが楽しみです。
後鳥羽の配流も、どう描かれるのか、今からワクワクします♡
端的で 分かりやすい解説 いつも楽しみにしています。 良く似た氏名の 登場人物、複雑な歴史解説を 癖の無い 話し方で 淡々と進められる 武士道さんの 実力を感じます。
大河ドラマ出演 ✨ 応援しています!
見た目は"宮沢りえ"さんより年上に見える。頼家と同じ歳だったとは驚きです。
キモ雅(笑)ほんとにキモ雅と思ってしまう嫌味な感じがお上手でしたよね。
この人物はあまり知らなかったので勉強になりました。
朝ドラとは全くチガウキャラだったので、全然わかりませんでした。演じる時代設定が違うとはいえ、別人を演じられる俳優さんはすごいと思います。
あの顔で23歳か…
何となくよく分からない人物だったので説明してくれてありがたいです。
いつも分かりやすくて楽しい動画を楽しみにしています。Mr武士道に質問なのですが、新田義貞と仁田忠常は繋がりが有るのですか?苗字は音が同じで感じが違うのですが、もし縁続だったら因縁を感じると思いました。解説が有れば是非見てみたいです。
ドラマの表現ではマザコンというよりこの家で誰が実権(?)を握ってるのかちゃんとわかってて嫁よりお義母さんの方に褒めたり花をもっていったりすると思います。キモイのは変わらないけど笑
タイムリーな解説、有難うございます^ 頼家と同い年なんですか!?ドラマで受ける印象とは随分違うのですねぇ。。^^
仕事できる人だったんですね
頼家と同世代なのが驚き
でも坂東武者をモロに見下していそうで好きではない。
仕事の能力は並位だろう。ただ家格が凄く良く、義理親が北条時政だからな。鎌倉時代の長島一茂という感じか。
りくは京都に最後は戻り優雅な生活。なんだかなあと思ってしまう。
ここまでして時政が平賀朝雅に肩入れした理由がすごくわかる解説動画でした。
北条氏は都の上皇や公家から見れば「出自がよく分からない伊豆の田舎侍」だったのでしょう。時政もそれを充分理解して、平賀朝雅という上皇や公家にも一目置かれる貴種の名門武士に娘を嫁がせたのでしょう。さらに時政は頼朝と同じ源義家の血を引く足利義兼にも娘を嫁がせているところを見ると、自分の家がよく分からない出自だから、家格を上げるべくなりふり構わず様々な策を巡らしていたのが手に取るように分かります。その結末が「牧氏事件」となるわけです。
ドラマで朝雅が嫁そっちのけで母親に媚びてたの、別にマザコンって訳じゃなくて、牧の方の身分が高いからだろうね。
牧の方と結婚して生まれた政範も身分が高いし、どこの馬の骨とも知れぬ北条家の安泰のためには欠かせない存在だった。なのに急逝してしまって、計画は全て狂ってしまった。
この「北条の身分の低さ」は時政だけでなく、義時にも泰時にもついて回った足枷。
平賀朝雅が源氏の血筋ひいて鎌倉殿になれるのなら、北条時政の孫にあたり、北条泰時の娘婿にあたる足利義氏の方が、将軍に最適。 しかも足利氏は義家流ですからね。
でも足利氏は、坂東に地盤があるれっきとした坂東武者。足利氏を将軍にすると足利氏一族に権力が行き、北条氏が権力を握るには最適とは言えないかもしれません。
北条氏(義時)にとって将軍は実朝のように自前の力を持たないほうが望ましい。平賀朝雅が討たれるのもそういう由もあるのかもしれないと思ったりします
@@pondtube1 「自前の力を持たない」鎌倉将軍は、実朝の後も摂家将軍・宮将軍として存在したところを見ると、足利が将軍になると北条にとっては何かと都合が悪かったのがよくわかります。
ここで、足利氏と同じく源義家の血を引いている新田氏が元弘の変直前まで鎌倉幕府内ではほぼ「無」の存在だったのが、歴史の面白いところです。大河「太平記」で、鎌倉に攻め込む新田の軍勢が数万に膨れ上がっているのを他から聞いた長崎円喜が「数万?あの貧乏御家人の新田が?皆、頭がどうかしておるのではないか!」と評しているのが、当時の新田氏の幕府内での評価が相当低かったことを物語っています。
名前は似ていますが、幕末の京都守護職と、京都守護では、自分の軍勢を率いているかそうでないかで大きく違いますね
今回も大変参考になりました。しかし、自分の孫で初代鎌倉殿の息子実朝を最悪殺してでも権力の野望に走る時政パパ、ダークサイドに落ちてますね、息子に負けず。愛妻(悪妻?)りくの影響も強いんでしょうが。逆に政子が普通にみえてきます🥵
平賀朝雅は舅姑の駒となってしまい不運な最期。
着物かっこいいすね
待ってました😆
リクの娘婿ということしか知らない方なんで有難いです。
比奈(姫の前)が頼朝時代に
権威無双過ぎたのか、
平賀朝雅が世渡り上手なのか
源氏の血の為せる技なのか、
はたまた二人のタイミングの
違いなのか、男女の差はあれど
家で見た立場は思いっきり
似てるんですけどね。
ドラマだと平賀朝雅にブチキレる
義時が見られるかもですね。
三日平氏の乱って源平合戦にあった佐々木秀義が討死した戦いじゃなかった?と思ったら平家物語の記載誤りで、20年後のこっちが本当に三日で終わった戦いだったんですね!
一回目を鎮圧したのは兄さんの大内惟義で、山内首藤経俊は両方に関係してるので、状況も似てますね(^^;;
それだけ伊賀・伊勢の国は治めるのが大変だったんでしょうね~。名誉ある仕事か、貧乏くじか…
キモ雅…失礼
平賀朝雅の解説とても参考になりました。
この先の展開が楽しみです。
つくづく源氏みたいに天皇家につながる貴種であるかどうかが重要だったんだなと思う。
源氏(河内源氏)な源信頼(坂東平氏乱)、頼義(前九年)、義家(後三年)と三代続いて武士団を束ねたから最有力になった
対抗してのが源氏支配の強い坂東から伊勢に移動した伊勢平氏の忠盛、清盛
清盛は白川上皇御落因とさ れ異例の出世
清盛以降は平家
北条氏は血統で伊勢平氏系に近いため小勢力でも存在感が有ったのでは?
鎌倉殿では胡散臭いけど、どこか憎めないって感じの人物ですね
ただ次回か次々回が心配です
でも時政に讒言しまくって畠山重忠親子を破滅させた卑怯者。
ちむどんどんの田良島さんが凄くいい人だから。鎌倉殿~の平賀朝雅が人間性最悪の奴でも何故か憎めないのだと思う。両極端の人間をほぼ同時期に演じる山中崇さんは神経が大変だろうな。
承久の乱の後は、六波羅探題は、幕府の朝廷の見張り番の機関ですネ~🧐🤨
お疲れ様です。義家や義光の父は頼義ですね。ちょっと気になったので、すみません。
山内首藤もこの頃には歴戦を重ねてるので、決して甘いだけの武士ではなかったはず。彼が不覚を取った三日平氏の乱を、朝雅はあっさり平定。
頼朝や時政に見込まれて猶子となり婿となり、後鳥羽からも「第二の義経」として期待される程度には、見どころのある人物だったのでしょうね。享年24は若いなぁ。
大河「炎立つ」の前九年、後三年の役の討伐軍、源頼義、義家、義光親子に坂東平氏武士団(鎌倉権五郎など)が付き従った
義光曾孫の平賀氏は有力なんだね
なんだかりくを狙ってる?気持ち悪い娘婿と思って申し訳ないです。わかりやすい説明ありがとうございます!
ところでもうすぐ畠山殿の退場も近いので、今一度「坂東武者」や「秩父平氏」などの違い?を教えてほしいです。坂東武者という大きな括りの中の秩父平氏ということなんでしょうか?
では北条はどういった括りなんでしょう?
上総介殿も坂東武者ですよね?
よろしければ教えください
平賀朝雅の家は武蔵守の家柄だったかな?京都守護や伊勢守でポストが空いたのでは🤔間違えていたら、ごめんなさい🙏
武士道さんお疲れ様です。
首謀者の時政と牧の方は伊豆に追放で何も知らないであろう平賀朝雅が討たれたんですね、可哀想な人ですね😢
私は母方の曾祖母の実家が平賀家出身です。この件では朝雅が時政や牧の方に畠山重忠&重保の悪口を吹き込みまくったせいで、御家人の中で人望の高い畠山重忠親子が死ぬ羽目になったのだから殺されても仕方ないて思う。
細かい事だけど、頼信ー頼義ー義家ですよ
「源頼義」が抜けてます
いつも楽しく拝見していますが、1点だけ。
義家・義光兄弟の父親は、
源頼信 ⇒(正)頼義
ちなみに当家の元の苗字は平賀。御先祖様をキモいと言われているみたいで・・・。
始末はトウさんが任されそう
ちむどんどんの田良島と同じ役者とは気がつきませんでした。さすがに20代にしては老けてます。
武蔵守兼京都守護とはよほど上皇の信頼厚かったんですね。
賀来賢人ガ演じたホうがいいような
@@sivaprod6040 賀来賢人が拒否するだろうな。あまりに胡散臭く、卑怯者過ぎて。
👍👍👍
ちなみに義光の家系には武田、佐竹、三好、南部、蠣崎がいる
かの重忠公を陥れた卑怯者だし、「疫病神」行家や「ジロさん」能員みたいな「ザマァ」な最期を期待してます!
誇り高き田舎者と京の風を吹かせる貴種。本来ならば交わらぬのに、同じ娘婿と言う事で接点ができたのが良くなかった。官位がかなり下の者に口答えされたと言う意識から、畠山に対して過剰反応してしまったのだろうけど、まさか畠山叩きが滅びの芽になろうとはね。まさに奢れるものは久しからず。
娘婿にしては老けてんな〜😂って思っていたが山中さんだしそらそうか😱
雅(みやび)なキモさを醸し出す演技🤣さすがどすえ〜🤣
雅でキモいw
甲斐源氏やないかい!
数奇な運命の、おじゃる丸朝雅!
興味深いです。久々に山内首藤の名前を聞いて又、ムカつきました。
この時代の「めのと」とは…乳を与える人の夫ということですか?
例えば、
全成夫妻→実朝のめのと= 実朝と同じ年の子供がみいにいて、みいが乳をあたえた?
比企よしかず夫妻→頼家のめのと= 頼家と同じ年の子供が道にいて、道が乳を与えた?同時にキモ雅のお母さんも乳をあたえた?
比企尼→頼朝のめのと=比企尼に頼朝と同じ年の子供がいて、頼朝に乳をあたえた?
三浦義村→だれかのめのと?=三浦義村にも同じ年の子供がいて、彼の奥さんが乳をあたえたということでしょうか?
鎌倉時代の「めのと」は、
・乳母(女性)
・傅役(男性)
の2つの意味がありました。なので、夫婦で揃って「めのと」に就任したケースが通例でした。
ただ女性の「乳母」は、できれば母乳を与えられれば良いのですが、任命された時点で乳飲み子がいないあるいは独身女性の場合は当然ながら母乳は出ませんので、その場合は「養母」のような役目だったのでしょう。
ちなみに、独身女性で「めのと」になった例は、伊達政宗の「めのと」の「喜多」(片倉小十郎の異父姉)があります。
@@toyo-rex4899 解説ありがとうございます
朝雅とんだトバッチリ
御家人の中でも人望のある畠山重忠親子を讒言して破滅させたのだから自業自得。
実は頼家と同い年。
実は伊東祐清の子の可能性がある。
養子と猶子の差は継承権の強弱。
坊門姫出てこないよね。
ネタバレやめてほしい
ネタバレなのか?これ。
史実・通説を語ってるだけで、大河ドラマ(フィクション)の脚本には触れてないぞ。
歴史解説の動画で歴史を説明するなってどんな要求
では “自ら試聴“ しなければ大丈夫です👍