【沢村賞事件】真相に迫る!西本聖の人生を変えた1球とは!?田淵幸一がプライドを捨てた西本聖の投球!
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- Опубликовано: 8 окт 2024
- 本日は、「沢村賞事件」について話しました。
・沢村賞事件?
成績は江川が上だった?
記者会見に呼ばれたのは江川だった?
西本は多摩川で練習していた?!
・日本シリーズで認めさせるしかない
・2人で沢村賞欲しかった…
あの年は2人で良かったでしょ?
・本心は沢村賞欲しかった
・あの時はカッと来てますね
・優勝決定の西本→江川リレーの裏側
悔しかった 腹立った
・優勝年の開幕投手は必ず○○だった?!
・江川→西本リレーも!
・西本 81年の日本シリーズで29イニング無失点記録
・次の日先発予定が急遽リリーフ登板
・勝ってたら人生変わってた
・江川は肉離れしていた?!○○は知っていた?!
・日本シリーズ最中にブルペンで197球投げた真意
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江川卓のプロフィール
作新学院高校時代にノーヒット・ノーラン12回、イニング連続145回無失点など数々の記録を達成。“怪物”と呼ばれ、甲子園でも活躍。
1978年読売巨人軍に入団。9年間で135勝を挙げ、MVP1回、最多勝2回、最優秀防御率1回。
1987年に現役を引退後は、野球解説者・評論家として多方面で活躍。
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🎥自己紹介動画
→ • 江川卓RUclipsはじめます!あの人からこ...
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楽曲:PLAY BALL
楽曲提供:MAVENS,INC.
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【運営・企画・撮影・編集】
株式会社 BLOCK
→takasare@block.co.jp
#江川卓 #プロ野球 #沢村賞
西本さんの言葉は刺さりますね。冷静な分析と周囲を思いやる気持ち、奥深い方と再認識しました。まさに、心も本格派ですね。江川さんと思いは全く一緒なんですね。当時は別行動でも心は常に繋がっていたんですね。感動しました。
マウンドを明け渡すのではなく、繋ぐ心は大切ですよね。
時を経た西本さんの悔しかったという一言も良い。
西本さんの、沢村賞に値するということを認めさせるために日本シリーズにかけたというお言葉、しびれます。
サラっと言ってるけど、心に響きますよね…。
第2戦は2安打1失点完投、第5戦は13被安打ながらも4併殺で完封。
どちらも素晴らしいですが、第5戦のほうが西本さんらしいピッチングです。
一番聞きたかった沢村賞事件の真相が聞けて嬉しいです😆
83年の第6戦も藤田監督の西本さんを胴上げ投手にという温情が裏目に出てしまいましたが、素晴らしい日本シリーズでした😊
83年の日本シリーズは史上最高のシリーズでした。西武が優勝しましたが、西本さんの「あのシリーズで勝ってたら人生変わっていた。人生を変える1球ってある」の言葉が重いです。
西本聖さんに対する印象が変わりました。これまでは強気で闘争心むき出しな印象でしたが、実際は謙虚で紳士な方なんですね。
1981年当時小3、父の影響で巨人ファンとなり、ちょうどプロ野球を見始めた頃なので日ハムとの後楽園シリーズ、最後江川さんのピッチャーフライを取ったシーンはよく覚えています。
1983年の日本シリーズ第6戦、西本、江川の継投、最後に伏兵金森にサヨナラヒットを打たれた時は大泣きしました。
1983年はサヨナラゲームが3度あった日本シリーズ。
今となって調べてみると、あの伝説のシリーズは7戦中3試合の視聴率が40%超え。
しかも雨で順延した月曜日の第7戦は、平日昼間にも関わらず40.2%とは。
本当に凄い時代でした。
西本聖さんがドラゴンズに移籍された時は本当にショックでした。こうしてお話しを拝見させて頂くと真実がみえてお二人の関係性に感動しました。ライバルが自分を高めてくれるのだなと。
多摩川で聞いたというのがいかにも西本さんらしい。藤田監督もこの件に関しては「ピッチングの内容で決めるべきで好き嫌いで決めてはいけない」とコメントしたそうですね。
阪神ファンですが、西本さんと江川さんのコラボは最高ですね!
お二人とも、最も記憶に残っている素晴らしい投手でした。貫禄もあって、阪神にもこんな投手がいてほしいなぁって、阪神ファンの前では言えませんでしたが、そう思ってました。
最高としか言いようがない対談😊
どう考えてもあの時の沢村賞は江川さん。
ただ西本さんは何も悪くないし、そういう勝手な個人の思い込みで票を動かしたクソッタレの記者どもが全部悪いんだけどな
この動画の質問待ってました
81年西本さんが沢村賞受賞した時は日本シリーズ前だったんですね、それで沢村賞受賞した事で日本シリーズでそれを証明させてやるかのように3完投の内2完封でシリーズMVPは西本さんの心意気を感じます、素晴らしいです👍
一時代をつくったおふたりの会話凄く貴重だなと思って見させていただきました
12年前、テレビでやってた特番と同じような話をより詳しく聞けてとても興味深かったです。
やっぱり2人はお互いを尊敬して認めあっていて、素晴らしい関係なんだなぁと思いました。
江川さんってつくづく周りの大人が悪かった気がする
平成10年 鹿児島の鹿屋体育大学で、西本さん、滝さんが野球教室においでいただき、中学生にご指導いただきました。名球会の野球教室や、球団OBの野球教室にも参加させていただきましたが、西本さんの対応は、素晴らしく、26年経った今でも、記憶に残っています。
1983西武戦は最高の名勝負だったけど、あれほど悔しかったシリーズも無かった。でも「勝てた」というお二人の言葉が聞けて、40年経ってモヤモヤが晴れました。
第6戦の9回裏に西本が登板した時、確かにこれで巨人が勝ったと思いました。
テリーがセンターフライでアウトになった時はさすがに広岡さんも観念したと思いますよ。
まさかその後同点にされるとは、、、
江川が9回裏に投げてても西武が勝ったかもしれないけど、第7戦は巨人が勝って優勝してたかもしれませんね
@@ゲーム東洋 西本さんが言っていましたが、あれはベンチのミスでしょう。
第一次藤田巨人一年目から野球を本格的に見はじめた、自分からするとたまりません😄😄お二人のお話聞いてると当時がよみがえってくるようです。81年は巨人ファンにとって、最高のシーズンでしたし、83年西武に逆転負けした事今だに悔しいです。今も野球大好きですが、あの時代のプロ野球は本当に楽しかったです。😄😄良く江川西本どっちが好きって学校でも話題になってました。今回お二人の動画拝見して、あの時代の野球オンタイムで見れて本当に良かったなって改めて思いました。😊😊
江川さん、西本さんとの話をしているときは楽しそう。他の人とは違う、いつもより饒舌にくだけた感じで、当時の仲の良さと、認め合ったライバルだったことが伺えますね。
沢村賞が記者投票から選考委員に変わったように、G.G賞も記者投票を辞めて新たに選考委員会を作って受賞選手を決めれば良いと思う。
😊😊😅 12:54 12:55 12:55 😊 12:56 12:56 12:56 😊😊😊😊
言い方悪く聞こえるかも知れませんが、江川さんも西本さんも世間からバッシングされ、人してまた大きくなり、お二方の今があると思います。
ライバルでもあり、良き戦友でもあり、共に分かち合える出会うべき出会った本当の友と言える存在だと思います。
ずーっと聞いてられるなあ
まさに友と書いてライバルってこういうものなんだろうなあ
沢村賞とゴールデングラブは、記者投票で記者の個人的な感情が入るので、
ベストナインが本当の賞だと認識している。
人格云々を理由にするのはあまりにもおかしい。
この配信にまずはありがとう言いたいです❗️珠玉の対談とはこの事。西本さんはじめ江川さん等の野球に取り組む姿勢に胸熱ですねー、真の江川卓がようやく表現されるのか笑
沢村賞投手を胴上げ投手にしたい温情だったのか!初めて納得した。
F1のセナプロ同様に痺れさせてくれたお二方ですね
「いいじゃん、一人くらい本命じゃないピッチャーに入れても」って言った選考委員がいた、という馬鹿げた選考だった。(沢村賞)
田淵さん言ってました。掛かり付けの医師から江川の状態が悪いのを聞かされてのホームランです。その医師も?ですね😢
人格がって何?
沢村賞選考した人酷いですね。
あの年は西本さんも凄かったので、結果は何も悪くないのですが、選考基準が酷すぎでしたね。
その他の話も面白すぎて、ずっとお二人のお話を聞いていたい、そんな感じです。
沢村賞の選考委員は長らくセのみ表彰でしたから受賞経験のないパ出身の稲尾・土橋・山田・村田などもやってました。
81年はもちろん82年も江川氏は受賞した北別府とほぼ互角の成績でした。
日シリ29回無失点て凄すぎる
1981年 西本投手は、18勝12敗でした。 私は忘れる事が出来ない藤田元司監督の采配がありました。シリーズの終盤 西本投手が広島戦1回4失点降板KOで負けました。 次の日の先発は、西本投手で巨人が勝ちました。普通の監督なら17勝でした。 もちろん西本投手にはそれだけの信用があったという事です。
キャンプ中のガス爆発により夫人は重傷、自宅は全焼という逆境を乗り越えての開幕投手での勝利。
数ある勝利の中でその1勝が一番感動しました。
江川さん
かなり妬んでるけど
最多勝や防御率のような数字で表されるようなもので賞を獲るならわかりますが
沢村賞はかなりザックリしてる
沢村さんの賞なのに記者の意見感情が目差しになってるのがおかしい
だから,翌年から選考方法が変わったのですね.
以前、槙原さんが言われた様に1983年日本シリーズの登板前に197球をブルペンで投げられたのは隣で西本さんと投げ合われたのだと思っていました。あのシリーズで巨人が日本一になっていれば、後の対西武との対戦結果も変わっていたかもしれませんね。
ひとつ年上の江川さんに「言える」西本さん。
仲が良く、かつライバルなんだねー!😊
しみじみ見ちゃう😢
他の野球系RUclipsも好きだけど、違う雰囲気で面白い。西本さんのプライドの持ち方すごくかっこいい。もっといっぱいお話聞きたい。
あの当時記者の大部分は江川にいい感情持ってなかったからな。書きたい放題の滅茶苦茶な記事ばかり書いてたし。私情を挟んだ結果だろう。
私的には、1983年の巨人対西武の日本シリーズが一番面白かったシリーズです。当時、童顔の高校生で、昼間の日本シリーズだったので、ラジオで聞いてました。あのころの西武は確かに強かったけど、巨人も本当に強かった。サヨナラゲームも何度もあって、手に汗を握るゲームの連続でした。確かに、あのシリーズで巨人が勝っていたら、巨人、西武、そして西本さん、江川さんのその後(の未来)も変わっていただろうなあ。
その通りだと思います
83年の日本シリーズもテレビに釘付けで見てました
今でも日本シリーズ最高の名勝負だったと思います。
やはり第6戦の9回裏は江川が正解だったのかな?
子供の頃は熱烈な巨人ファンでしたが、一番記憶に残っている日本シリーズが、日本一にはなれなかったけど最高に面白かった83年です。
しかし、第6戦のお二人のリリーフの話までは知らなかったので、今回聞けて良かったです。
確か江川さんの主治医(多分内科)が田淵さんの友人で「江川君は脚痛めてるから変化球が多くなるよ。」って具合にバラしたと思いました。
セッティングされてて記者が「人格発言」するなんて、わざと江川に嫌がらせ!?😡
でしょうね💢
江川さん両者受賞でも。といわれますが江川さん単独受賞が至極当然。選んだ連中の人格疑う。甲乙つけがたいどころじゃない江川さん満場一致で異議無し。 沢村賞は投手のみ比較は一目瞭然。 MVP、新人王の選考は投手ー野手の違いで比較が難しい両者受賞でもと思うことも。 83年6戦シリーズの調子を見れば西本聖さんを起用したくなるのは理解できます✨
よく両雄並び立たずと云われますが、我が巨人軍ではON、江川さん西本さんといい全くそのようなことはなくファンして誇りに思います。いい時代に生まれて本当に良かったと思います。素晴らしい感動を与えてくださったお二方に感謝、感謝、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。
その後ですと、斎藤・槙原・桑田の三本柱ってところでしょうね。
令和の巨人軍0・N 砲 左, 右の強い打者を育成して点よ のせんのマシンガン打線造っ もらたい。投手陣はとてもい い。菅野 戸郷,グリフィ ン,高橋,伊織,中川,大勢 で 9回以内で勝てる。
いいですね、このお二方。懐かしい。昔を思い出します。
1981年の巨人は強かったな。V9時代に勝るとも劣らないと思う。特に
MVPの江川さんと沢村賞の西本さん。
83年の日本シリーズの田淵さんのバットを短く持った話は、四番としての意地を見せました。西本さんが3勝したら間違いなく最優秀選手でした。
この頃のジャイアンツは、記憶に残るシーズンです。
あれは芸術的な打ち方でした。
江川から打ったのは田淵らしいホームランでしたけど、西本から打ったのは意地というか技ありでした!
何より、仲良しが、最高です。
2人の話は尽きないですね😊次も楽しみにしてます。江川さんは入団会見とか沢村賞会見とか席を設けるといい思い出ないですね😅
人格に値しないなんて、完全に名誉毀損だろ。
1981年 日本シリーズ 西本投手は、 13安打完封をしました。もう少し話題になっても良いと思います。 13安打打たれても完封です。シュートでゴロでゲッツーです。
日ハム側は普段打席に立たない投手がバント失敗したりして、当時評論家だったノムさんが不公平だと物議に
二人の関係性が良いなあ!
揉めた選考委員が一般紙(新聞)の運動部部長クラスだったんだよな確か
一般紙は江川入団時に紙面をあげて散々批判キャンペーンを張ってたので
どうしてもあげたくなかったのだろう
そして翌年から選考委員がガラッと変わった
素晴らしい❗ ニシさん、『ベンチのミスだよ』
クローザーという概念がなかったとしても酷い采配。2人とも泣き言言わないのが立派。
どんな投手だって先発なのか救援なのか明確にしなきゃ😂
投手交代に次の投手を待つようにしようっていい話ですね。
日本人ピッチャーは理解してくれそうだけど、外国人ピッチャーはどうなんだろうね?文化の違いもあって「それをして何の意味がある?」とか言うピッチャーもいそうな気がする。
そうだったな。西武との日シリでの翌日先発予定の西本のリリーフは子供ながらにおかしな印象を持ってた。勝てるシリーズだったもんな。
11月6日に雨が降って一日延びたから西本には恵みの雨かと思いましたけどね
1983年の日本シリーズ動画を見直したのですが、めちゃくちゃ面白い
授業中にラジオで日本シリーズを聴いていた時を忘れられない。
自分も当時、学校にラジオ持って行って左の袖口からイヤホンを出して聞いたなぁ。特に当時の西本投手のシュートはインコース(右バッター)に沈みながらくいこむ球で球速は違うけど今の大谷選手のシンカーみたいな曲がりかたをしてて打たれるイメージが無かった。
@@西須一巳
全く同じです。左手で頬杖ついて😁
神回です!
一方では無理を強い,一方ではやる気を削ぐ継投のあの日本シリーズはひどい采配でした 巨人ファンもあっけに取られた展開でした
6戦目にリリーフ登板して7戦目に先発、って今じゃ考えられない。短命なのも仕方ないね。
私もいろいろ勘違いしていましたが、江川さんは本当に損されていますね。でもそれが今の人気に繋がっているのは間違いありません。立派なかただと思います。
次回は…江川さんの引退の時の話かな。西本さんが「ふざけるな!」って…「俺は江川さんに勝つ」ことでモチベーションを上げてたのにって聞いたことありますね。日本シリーズの西武戦の6戦は西本さんが調子いいから…6戦で勝って(勝てば7戦はなし=西本さんは投げなくていい)決めてしまおうとベンチは思ったんでしょうね。
卓ちゃん(笑)西本さんの江川さん対する最大のリスペクトですね😂
58年は絶対勝てたんですよね
人格ねえ…
ワンナウツって漫画の「(そういうのを判断する)あんたらにまず人格を判断する資格がないってことじゃねえか」のくだりを思い出しますね
交代時の声掛けのルールはなんか今風で良いですね
1974年の松本幸行投手(あるいは堀内恒夫投手)vs星野仙一投手の前例もありましたからねぇ、沢村賞選考。なんにしろ1981年の両投手は素晴らしい活躍でした。
1983年の日本シリーズGL決戦で西武ライオンズが制した事によって、球界の盟主が変わった歴史的決戦であった。その現場のど真ん中にいた西本江川両氏の証言を得たこの動画は永久保存されるべきである。
「江川と西本」という漫画の中でも描かれていた「沢村賞」。本人達の声で聞けるとは。
83年の日本シリーズは第6戦の中畑の三塁打で巨人が勝ったと思いましたね。
ベンチも勝利を確信したからこそ西本氏を胴上げ投手にさせたかったんじゃないでしょうか。
確かにあの時点では巨人の実力が上だった。
江川氏が体調万全だったら楽勝だったと思います。
ブルペンで角投手が投げてる映像がありました。
片平、鈴木葉の時に角が投げてたらどうだったですかね?
両者に沢村賞だね。
間違いない‼️
83年日本シリーズ六戦目の継投は西本さんに胴上げ投手になってほしいという情から来たのではと思ってます
まさにそう思います。藤田監督の温情が結果として裏目に出ましたね。
今からでも遅くないから、沢村賞を江川さんにも追贈するべき
…とは未だに思ってます。勿論、プレゼンターは西本さんで
◇今の野球ファン、100年後の野球ファンが投票しても
「江川100:0西本」になる数字の開き。あきれるよね。
西本投手の1983年日本シリーズでのお姿は忘れられません。7戦でたまたまテリーに打たれましたが、6戦目に西本さんが投げなければ絶対日本一だったと思います。お二人がいたからこその80年代の巨人軍は素晴らしい時期だったと思ってます。
張本が解説で言ってましたけど、初球のシュートを見送った時、テリーが完全に球筋を確認していたのが分かりましたね。
次に同じ球が来たら絶対打つという気持ちが見てとれます。
2球目に内角の見せ球を投げておいて3球目にシュートを投げる余裕があったら、、、
もしかしたら結果は変わっていたかも
今や死語になってしまった「友情」という言葉がピッタリです。
江川さんと西本さんってテレビや新聞とかでバッチバチのライバル関係って煽ってたけど、実際伊東キャンプとか普段の練習風景見てると大体二人でキャッチボールしてたり談笑してるんだよね。60代前半の巨人ファンならほとんど知ってると思うけど
日本シリーズ勝利していれば西本投手が「江川投手を超えた」となっていたでしょう。人生変わったかもと言うのもうなづけます。
あと2アウトだったのに、江川と西本の歴史は変わらなかったです
1981年の沢村賞は、日本シリーズの最中に発表された。
第二戦と第三戦の間の移動日(巨人も日本ハムも後楽園だったけど)に!
小学生ながら江川がブルペンで投げてるのに何で西本が投げるんだろうと不思議に思った
沢村賞とるのに人格が必要なら最初から基準作れって話しだし、記者の資質もどうなのとは思う
漫画江川と西本に描かれた当時の選考委員が言ったとされる
「記録だけで選ぶなら公式記録員に決めさせたらいい」という発言が本当にあったかどうかは気になりますね。
賞レースなんか雰囲気でどうにでもなると現在に繋がるアレな発言ですよ。😊
選考委員には「あんたらに人格を語る資格があるのか?」と言いたくなる。
西本さん、江川さんのこと『すぐるちゃん』って呼んでくれた!
1983年の日本シリーズ(読売vs西武)…石毛宏典氏、秋山幸二氏など…当時の西武ライオンズの選手達が、現在でも語るほどの激戦だったのでしょうね…西武ライオンズの分岐点になったと語っていますね…
ひとの人格を否定するなんて当時に記者様はとっても素晴らしい面々だったんだね
同感です。断定的に「他人の人格を否定する」人の人格を、疑ってしまいますね
マスコミの思い上がりがこれでもかと言うくらい詰めこまれたエピソードですね
記事丸呑みして巨人ファンを見下す人も多かったしそいつらも同じくたいがい。
そいつらはプロチームのいちファンなだけで野球好きじゃ無い人の言葉だから、汚い表現でまみれてた。
当事者の痛みなんて度外視した思ったまま言葉にするもんだから、表現できてないだけに「みんな頭わりいんだな」と思っていたな。
「マスコミを敵に回すとこうなるんだよ」と言わんばかりの嫌な大人の世界やね。
そもそも、プロ野球もやったことがない素人が最高の栄誉を決めてきたことが可笑しいのよ。
人格で沢村賞を決めるな😡そこは数字がすべてだろ。
ホント、他人様の人格を上から批評する記者って、何様なんでしょうねえ
「人格」というのは方便で,「江川に沢村賞を獲らせるな」という記者たちが一定数いたということです.まして,江川さん自身が「沢村賞」は是が非でも獲りたい,と言っていたことを知っていた上での「嫌がらせ」.いまでもいますよね,GG賞やベストナインの投票で目立つ投票をする人が...
当時の記者の「あんな入り方しやがって…」入団した年ならまだしも何年も経ってからグチグチ言うのもどうかと…
ピッチャー交代する時、前のピッチャーがマウンドで次のピッチャーを待っていたのは良かったのに、なぜやめてしまったのでしょうか?
またやって欲しい。
最多勝や防御率は忖度無しの数字で決まるのに対して、沢村賞は複数の成績全体で捉えるので明確な数値化された基準がないと誰が選考してもあれっ?という結果が出る可能性がありますね。江川さん西本さんの件以降もあれっ?という結果があったように記憶しているが....。
人格に問題があるから賞をあげないって凄いな😂
田淵選手が江川投手の肉離れを知っていた件ですが、当時、江川さんの行きつけの病院に偶然田淵さんも通っていて、その病院の先生から江川さんの故障箇所を聞かされたそうです。
覚えているよ。バリバリのライバル同士。でもお互いの実力を認め合っているのが素晴らしい。色々あったね。あのころ。巨人ファンだったあの時代がなつかしい。今はもう大リーブだけしか見ていない。今だったら両方とも大リーブでもトップスター。
Nishi T リーブ21 和田アキ子のコマーシャル
沢村賞に留まらず、全ての賞に選考委員を設けて、記者投票なんざ廃止ににしてほしい。
好き嫌いで選ぶばかりか、自分が担当している球団の選手しかロクに見てない連中ですよ。
スタッフが素晴らしすぎる!
早稲田江川と明治西本という仮定の対決もあった……
西本さんは開幕戦や日本シリーズなどデーゲームに強い印象、江川さんはオールスターなど夏場やナイターに強い印象。
以前江川さんが「西本は春先調子が良く、後半調子を落とす。自分は春先は調子が悪く、夏場から調子を上げるのでバランスが良い」と語っていました😆
沢村賞の選考方法が変わったということは、間違いだったって認めたことだからね
江川さんも少しは溜飲が下がったことでしょう
83年の巨人対西武の日本シリーズの死闘⚔は,いまも記憶にシッカリ残っています.江川さんが往年の力がなくなって,西本さん頼りだった印象でした.第7戦は雨で延期となり,第6戦にリリーフ登板していた西本さん,巨人には「恵の雨」と思ったのですがね.その後西武は黄金期を迎え,まさに球界の盟主の座をかけた日本シリーズだったかもしれません.この後,巨人が西武を倒すのは,1994年まで待たないといけなかった😭
1983年の日本シリーズは確かに藤田監督のミスだね。江川さんで行けば
4勝2敗で日本一だったね。
結果的には藤田監督の采配ミスですが、このシリーズの主役だった西本さんを胴上げ投手にさせようという温情が裏目に出ましたね。
西本の登板、実は王助監督が進言したという説がありますね。
藤田監督は江川で行くつもりだったとか。
あそこで西本が抑えてたら確かに西本が江川を越えたんですけどね
西本の登板、実は王助監督が進言したという説がありますね。
藤田監督は江川で行くつもりだったとか。
あそこで西本が抑えてたら確かに西本が江川を越えたんですけどね
83年日本シリーズ第6戦の西本さん
登板して負けた前に巨人が王手の段階で広岡さんは
巨人は目先の勝利の為に、無理をしている必ず
絶対にボロが出ると言ってましたからね、あと第6戦の西本さん登板時にあの時首脳陣はまだワンアウトで終わってない時点で緊迫した場面でウインドブレーカーを脱いで胴上げ準備したもんね、
なんでそこで気を抜いたのか?
藤田さんも名監督と言われているがあれは大失敗だったですわ、
だから、負けたのは必然ですわ、
第6戦の9回の攻防は見応えありましたね。
中畑の3塁打の後でクルーズにもヒットが出てたら、9回裏は江川が登板してたら、金森の打席でレフトが定位置に守っていたら、タラレバですけどね
いいね~。 少し心配なのは、大好きな西本さん、体調大丈夫? ご留意下さい。次は、西本、江川、掛布、落合の四人なんて、凄いのどう?江川さん。宜しくお願いです。
西本さんは優しいお人柄ですね。
ちなみに沢村賞選考委員についてですけど「沢村賞受賞者若しくは沢村賞に相当するシーズン成績を収めた投手」からとなっている様で、
後者資格については殆ど1988年以前は沢村賞対象外だったパ・リーグ出身投手ながら、セ・リーグ出身でも
藤田元司さん(投手としての全盛がカネヤン全盛期と重なっていたんで・・・)が座長を務めたりしていた位なんで
当然、江川さんも選考委員に選ばれる資格があると思いますよ!