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第65回 全国高校野球選手権記念大会
どっちもユニフォームがめちゃくちゃかっこいいわ
懐かしいな。丁度定年退職して、朝から夕方までテレビに釘付けでした。
2023年時点で100歳の方ですか⁉︎
@@AZIANOKAKUMEIなんたるネットリテラシー😅
家族で夢中で応援していた時代、懐かしの時代。
ありがとうございました。
広島商のユニフォーム。カッコいい!
四国でも、東海大相模をメッタ打ちの動画が放送されるけど、広島商業との決勝戦はほとんど放送される事は無いね。
82年決勝のカードが、翌83年も実現♪
当時の天気予報もそのまま入っているのが良いですね!mbとか懐かしい笑池田のユニフォームカッコいいなぁ。また甲子園で活躍してくれることを期待してます!
前年夏の決勝戦の2校が翌年夏に対戦するのは、意外にも史上初。(その後もあったのかな?)
池田の校歌はしかし素晴らしい。甲子園史上最高の名曲じゃないかと思う。間もなく終わろうとする池田の時代。そこまできているKK時代の幕開けをまだ誰も知らない
水野投手は、広島カープを3ー0完封した時が、最高ピッチングでした。
54;11 水野のデットボール・・これがじわじわのちに響いたんですよね、PL戦にも。たらればですが悔しい死球。
いつもの水野じゃないのは明白ですな。
池田高校は、昔から畠山、水野の時代前から連打がありました。なつかしいです。
当時小4だった私は池田が夏春夏三連覇するもんだと思っていたけどね。5回、水野の頭部デッドボールが無かったら、水野はもちろん、色んな人のその後の野球人生がちょっと変わっていたかもね。
sa010as 甲子園の歴史が変わっていたと思います。
本当に広島商は余計なことをしてくれた
どの道PLの桑田には池田打線は苦戦していたと思う、準決勝は少ない得点で接戦になってたかもな
このときから水野はボールを怖がるようになり巨人に入ってからもノックのゴロを避けていた。だから野手コンバートできなかったのだと思う。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
この試合の水野の死球で、池田の三連覇に赤信号が点灯するも、次戦の中京 野中投手に打ち勝ち、全国の高校野球ファンに、池田の大偉業を確信させたのだが・・・・。
準決勝でPLに惨敗した池田高校は優勝候補の広島商業に中京大中京と連戦し、投手の水野が力尽きたんだと思う!ドカベンの優勝候補の土佐丸に明訓に勝利した弁慶高校見たいに!
@@盆暗倉子 鬼畜は大袈裟ですよw誰でも好き嫌いはあって当然だと思う(^_^;)
54:11
振り返れば,広島商業に代表される「精神野球」が打ち砕かれた高校野球分岐点の試合になりました
😊
中京戦で水野投手は力尽きた。
池田高校のやまびこ打線豪快な野球対広島商業の堅い守りの緻密な野球。
水野投手の打てるものなら打ってみろ、向かって行く投げ方が好きでした、プロでもそうでしたけど。
広商の10番ストライク入らん、セットすぐ外すし牽制ばっかりでイライラしながら見てたの思い出したな。
この大会は追われる立場。
阿波の金太郎&やまびこ打線👊なつかしいですね‼
選手の健康管理よりも大会運営が最優先されてた時代。連投・連戦お構いなし、頭部死球でも臨時代走を送らない。今では考えられない事です。余談、甲子園の旧スコアボード最後の大会。翌年から電光式になり、位置も現在のところになりました。
T OK スコアボードの位置、違います?
翌年には審判が見間違えてエンタイトルツーベースを満塁本塁打と判定されても、当時の高校生にとっては大人には逆らっては絶対にいけない時代だったからなのか、目の前でワンバウンドしたのに外野手はアピールもしなかったですね。当時はそれがいわば当然とされた時代でした。大人はものすごく偉くて恐くて逆らうなんてあってはならないことと信じ込まされていた時代でした。
その結果、選抜優勝校の看板を取り外すことになりましたね。池田高校の看板がラストでした。
@@user-52-mickey だいぶ返事が遅れましたが、当時の位置より後方に下がり大きさも2~3まわり程大きくなっていますね。
今の野球中継は1つの画面に情報量を詰め込み過ぎなんだよ。昔のシンプルなほうが好き。
甲子園の近くに台風が接近していたんですね。31分の台風情報がまさにアナログでいいなと感じました。
3回戦のこの頭へのデッドボールさえ無ければ、池田は前人未踏の三連覇を成し遂げていたと、俺は今でも思っている。本当に痛々しい。翌々日の中京商との準々決勝、水野は本来のデキじゃなかった。PL戦もあきらかに本来のピッチングではなかったが、それでも清原を4三振にしたわけだし。桑田には打たれたかもしれないが、それ以外の打者(しかも下位打線)に7点も取られるような水野じゃない。俺はいまだに広島商を好きになれない。
@井上尚弥直也 いろんなとこに同じコメント書き込んでるけど死球のせいだったら都合悪いの?O元の身内か?
@井上尚弥直也 さん蔦文也のIKEDA行進曲という本に少し書いてるけど、水野は1回戦、2回線とこなして体がほぐれて3回戦から調子を上げていくはずだったと書いてある。その矢先の頭部死球だからね、医師の診断では3日後(PL戦の日)右半身に影響が出ると。大会後に精密検査したら実は頭蓋骨にひびが入っていたらしい、これは当時の高校野球雑誌(報知高校野球?)がソース。試合後宿舎に戻ってからも吐き気で食事もとれず、横になっても激しいめまいと頭痛で眠ることもままならなかったとか。またそれまで12打数10安打と猛威を振るっていた打棒も死球以後投球に対して踏み込めなくなり打の方でも精彩を欠くことに。加えてムードメーカーでもあった水野がベンチで一言もしゃべらなくなり……
返信急かすから急いで投稿したのに2年も待たしたあげくコメント消すなんてひどいよ昭和師匠さん……
当時の5番打者から聞いた話し、水野投手はデッドボールの後は試合の記憶がないそうです。また、その晩から高熱続きで、翌試合からも先発完投したのは異常だったそう。PL戦は全く握力がなく投げれる状態でなかったとのこと。😭
この大会の池田は選抜よりはいまいちだったかのような意見聞くけど、やはり主将の江上選手が不調気味だったというのもあったのかな?
郡部の高校で優勝はすごい
@外川真一 集めてないよ。この頃は。
@外川真一 阿南だろ。大して遠くないぜ。池田出身でくぎるか?
畠山が池田に進学したから、甲子園にいく確率が高いので、池田を選んだって言うてました。
吉本投手、策略での投球なら凄い。じらしの作戦。
蔦監督は水野への死球は狙って投げたと疑っていて、怒り心頭でしたね。水野が大したことないとコメントしても、そんなわけあるか!頭やぞ!って返したりして
丹下段平いや、狙っとらん❗️確かに、広商の沖元はアンパイアの西大立目氏からアンダーシャツで注意され、精神的に切れての与死球。そうせざるをえん位、池田の猛攻にたじろいだ🎵実際、他校の高校野球の監督就任の沖元氏は最近、不慮の事故で頭部挫傷です🎵
小野勝則 私もそう思います。あくまで蔦監督が疑っていたということですから、そんなことするわけがない。
池田を応援していた者にとって、2回戦での広島商VS興南の試合を見て、興南出てくるな!と思いながら試合を見ていたことを思い出します。広島商はあまり強さを感じなかったので出てきたら勝てると思いました。それよりもマイク仲田の興南が池田とだったら嫌な試合になっていたように思います。
池田のパワー野球がいまの野球の先駆ですが、平成の池田は沈黙❗️逆に広商は、得意の小技プラス人間力野球で復活の兆しです🎵
元阪神ファンとして、仲田が出てきても池田の得点力あまり変わらなかったような気も😅
夏の大会で決勝カードが次年も実現したってこの試合だけですか⁉️【昭和初期の参加校数すくない時代を除いて】
お互い春に横浜商と対戦
前年(1982年)夏の🥇優勝、🥈準優勝チームと当たるのはめったにないですね☺️。
問題のシーンは53:36から
今の時代の、赤や青、黄色のユニホーム、甲子園には似合わない。
プロ野球で言えば、巨人、ソフトバンクが先攻逃げ切り型。広島、西武が逆転追い込み型が主と見ている。他の8チームは、はっきりとわからない。
82年です
54:09 この映像探していました。頭部死球というのは、ボールが大きく跳ねれば安全ですが、近くに転がり落ちると危険だと言われます。後者に近いですね。衝撃をアタマで受けてしまっています。本人は影響なかったと言いますが、影響があったはずです。直後に2死から連打を浴び、2失点するなど、明らかに彼本来のピッチングではありません。中京戦の映像も見てからここに来ましたが、中京戦でも荒れ球に中京が手こずったという印象で、選抜の水野投手のデキからはほど遠いです。時折見せるサイドスローからの力が入っていない投げ方が気になっていました。この死球は判官贔屓のメディアではほとんど取り上げられることもなく、後のPL戦での池田伝説の終戦を迎えます。この試合の監督インタビューで蔦さんが「ピッチャーが力入れて放れんようになったので・・・」と言っていますが、それに被るように(打ち消すように)、質問攻めしてたのを覚えています。
あの死球はポイントでしたね。PL戦で清原は水野に4三振だったのですが、その時にややサイド気味に投げていたのが印象に残っていました。清原にとっては勝手が違っていたのかもしれませんね。球威なくコントロール重視に方向転換しないと四球で試合が壊れます。でも狙い撃ちにもされる。結果後者の試合がPL戦になってしまったということでしょう。
それにしても池高校歌のとき、勝ち慣れした選手たちの表情が憎らしい。まだこの時点でPLのKKは無名。三日後この常勝チームに悲劇が訪れようとは誰も想像しなかったでしょう。
訂正。準々決勝の中京・野中との死闘を挟むため、四日後?かな(汗)
「勝ち慣れ」も良くなかったんではないでしょうかね。前年畠山投手の代、蔦監督は畠山がいれば最低3回は甲子園に行けると計算していたが、結局は畠山の高校最後の夏だけに。しかしそれが故に甲子園出場を有り難く思ってるかの様に初々しく戦っています。水野も恐らくそんな気持ちで挑んでいたのではないでしょうか。
水野はセンバツ大会後の招待試合などがもたらす過密スケジュールでコンディションを崩し、脇腹を痛め、それが癒えぬまま夏の甲子園を向かえたらしいです。当時は、1回戦から横手の変な投げ方を度々見せる事に何かイヤな予感を覚えたのですが、解説者がこの試合の感想で「死球を受けてなかったとしても、立ち上がりから不安を感じさせる投球」と言う形で露呈してしまったようですね。あの江川投手も選抜後に過密的に招待試合に駆り出された事で、夏はクタクタに近い状態で挑む事になってしまったそうです。それは高校野球関連特集とかで観る夏の甲子園の江川投手の「膝が崩れる様な投球フォーム」を観ても明らかな事です。選抜優勝又は目立った活躍をした選手が過密的に招待試合に駆り出されコンディションを崩し、夏は本来の力を出せずに破れてしまう一方で、世間の注目を浴びないが故にコンディションを崩す様な過密スケジュールに追われる事なく、ベストのコンディションで夏の大会を向かえ、挙げ句優勝まで成し得たら、こんなふざけた話はないですよね。高野連は、センバツ優勝校や活躍の目立った学校程、疲れをしっかり癒して夏に向け万全の状態で挑める様、十分配慮すべきではないでしょうか。スター扱いして多方面に駆り出す事の何処が教育の一環なのでしょうか?
中山和也さんへ江川投手はチ―ムメイトとの葛藤とも戦ってたらしいですね。センバツで江川の活躍ばかりが目立ち、他の選手の嫉妬を買い、自分たちもヒ―ロー扱いされたくて、チ―ムバッティングを無視した個人プレーに走り出して、元々貧打線がよけいに得点力が落ちて、結局江川投手が相手に打たせずに投げないと勝てなくなる。その結果が、3年生の夏の予選で、3試合連続無安打無得点を含む無失点のまま、最後の夏の甲子園行きを決めて、本大会でも、予選の延長のような内容で、得点に恵まれず、孤軍奮闘の江川は、連続延長戦試合の末力尽き、とうとう2回戦で敗れ去ります!
池田と言えば先頭打者坂本。
確か、センバツも夏も初戦第一打席はセンター前ヒット。
水野 頭部に死球受けたのになんで臨時代走を適用しないんだろうね
当時はそういうとこは意識低いんだろうな
この試合の翌日のスポーツ新聞は、全国紙の殆んどが、打席で頭を押さえて倒れている水野選手の写真が一面トップで、池田高校の緊急事態が、真っ先に全国各地に報じられる程の大事件となりました!
@@石元正志-m9g 当時、次の日のスポーツ紙の一面はプロ野球より、水野のデッドボール大丈夫か?でしょうと、この試合の夜のナイター聴いていたら自虐的にアナが言ってましたね。
この時はほとんど臨時代走というのは見なかったな。80年代後半くらいから、少しずつ臨時代走というのが増えて、今ではヘルメットにかすっただけで直ぐに臨時代走だもんな。
池田高校がジヤンケンで勝つて先攻を取った。広島商業がたとえ、ジャンケンで勝つても後攻を取ったらしい。僕は広島商業を応援していたから、後攻でよかったが、池田高校のやまびこ打線にやられてしまった。残念だった。だが、池田高校に優勝させてよかった人もいたらしい。全国的な強豪校の仲間入りと高校野球の新しいページが開いたと言って、よかろう。
池田=先攻‼️箕島、PL 学園=後攻‼️の印象がありますね☺️
僕らの世代は、早く攻撃をしたい、先取点がほしいから、先攻を取りたがっていた。だが、僕は先攻より後攻の方が何となく、好きだった。先攻も良いが、後攻の方を選びたくなる。それと先取点もほしいが、逆点もしたがる。大差で勝つのは倍嬉しい。逆点勝ちも良い。反対に大差負け、逆点負けは非常に答える。まだ、僅差、先取点を許しながらで負けは仕方がない。
この時の広商は珍しく弱い
珍しくもなんともないだろ
広島商もそこまで弱いとは,思いませんでした 3年連続で甲子園出ているし ただこの大会が池田高中心でズバ抜けた高校でした金属バットのお手本みたいなチームでした ただPLに負けた時は,唖然としたし PLの選手は,池田とやりたいと思っていたみたいでした池田の選手も負けた後 やることは,やったみたいな感じで 蔦監督もやりつくした みたいな感じに見えました 昭和の時代の池田高PL学園 広島商 好きな高校でした
@@ドタマジン太 70年代から80年代にかけて広島商は名門中の名門だったのに
中京との試合は事実上の決勝戦と言われたが、この広島商との試合も三回戦で当たるには勿体ないくらい前年の夏の決勝カードなだけに
広島商は前年の夏が出来すぎだったんだよ。あそこまで勝ち上がるなんて誰も予想できなかった。73年全国制覇後の広島商は低迷しており。以後優勝候補に挙げられたことは74年春、83年春の2回しかない。その2回も凄まじい程の評判倒れの弱さで初戦敗退で撃沈。70年代、80年代の広島商は優勝争いとはほとんど関係ない、ただの常連校に成り下がっていた時期。名門ではあっても伝統だけが取り柄のチームでしかなかった。
広商は自滅だよこりゃ。二度にわたる理解に苦しむ4回と6回の盗塁死に,ボールカウント間違いでの走塁死。
水野別に夏と投球フォーム変わらん感じだが
三塁側に倒れる様な感じでサイドスローから放るフォームはセンバツでは先ず見られなかったです。それにセンバツに比べるとドーンと来るボールが驚嘆に少ないです。
サード側に踏み出してからの外角へのスライダーだったかな。軽く投げてる感じで手抜きみたいな印象もあった。夏は「体力温存の為でもあったのかも」という気もしてる。1回戦や2回戦は大差がついていたから、別に水野が完投しなくても良かったと思うけど、当時は完投が当たり前というのもあったんだろうなぁ。
第65回 全国高校野球選手権記念大会
どっちもユニフォームがめちゃくちゃかっこいいわ
懐かしいな。丁度定年退職して、朝から夕方までテレビに釘付けでした。
2023年時点で100歳の方ですか⁉︎
@@AZIANOKAKUMEIなんたるネットリテラシー😅
家族で夢中で応援していた時代、懐かしの時代。
ありがとうございました。
広島商のユニフォーム。カッコいい!
四国でも、東海大相模をメッタ打ちの動画が放送されるけど、広島商業との決勝戦はほとんど放送される事は無いね。
82年決勝のカードが、翌83年も実現♪
当時の天気予報もそのまま入っているのが良いですね!
mbとか懐かしい笑
池田のユニフォームカッコいいなぁ。また甲子園で
活躍してくれることを期待してます!
前年夏の決勝戦の2校が翌年夏に対戦するのは、意外にも史上初。(その後もあったのかな?)
池田の校歌はしかし素晴らしい。甲子園史上最高の名曲じゃないかと思う。
間もなく終わろうとする池田の時代。そこまできているKK時代の幕開けをまだ誰も知らない
水野投手は、広島カープを3ー0完封した時が、最高ピッチングでした。
54;11 水野のデットボール・・これがじわじわのちに響いたんですよね、PL戦にも。たらればですが悔しい死球。
いつもの水野じゃないのは
明白ですな。
池田高校は、昔から畠山、水野の時代前から連打がありました。なつかしいです。
当時小4だった私は池田が夏春夏三連覇するもんだと思っていたけどね。5回、水野の頭部デッドボールが無かったら、水野はもちろん、色んな人のその後の野球人生がちょっと変わっていたかもね。
sa010as 甲子園の歴史が変わっていたと思います。
本当に広島商は余計なことをしてくれた
どの道PLの桑田には池田打線は苦戦していたと思う、準決勝は少ない得点で接戦になってたかもな
このときから水野はボールを怖がるようになり巨人に入ってからもノックのゴロを避けていた。だから野手コンバートできなかったのだと思う。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
この試合の水野の死球で、池田の三連覇に赤信号が点灯するも、次戦の中京 野中投手に打ち勝ち、全国の高校野球ファンに、池田の大偉業を確信させたのだが・・・・。
準決勝でPLに惨敗した池田高校は優勝候補の広島商業に中京大中京と連戦し、投手の水野が力尽きたんだと思う!ドカベンの優勝候補の土佐丸に明訓に勝利した弁慶高校見たいに!
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
@@盆暗倉子
鬼畜は大袈裟ですよw誰でも好き嫌いはあって当然だと思う(^_^;)
54:11
振り返れば,広島商業に代表される「精神野球」が打ち砕かれた高校野球分岐点の試合になりました
😊
中京戦で水野投手は力尽きた。
池田高校のやまびこ打線豪快な野球対広島商業の堅い守りの緻密な野球。
水野投手の打てるものなら打ってみろ、向かって行く投げ方が好きでした、プロでもそうでしたけど。
広商の10番ストライク入らん、セットすぐ外すし牽制ばっかりでイライラしながら見てたの思い出したな。
この大会は追われる立場。
阿波の金太郎&やまびこ打線👊
なつかしいですね‼
選手の健康管理よりも大会運営が最優先されてた時代。連投・連戦お構いなし、頭部死球でも臨時代走を送らない。今では考えられない事です。
余談、甲子園の旧スコアボード最後の大会。翌年から電光式になり、位置も現在のところになりました。
T OK
スコアボードの位置、違います?
翌年には審判が見間違えてエンタイトルツーベースを満塁本塁打と判定されても、当時の高校生にとっては大人には逆らっては絶対にいけない時代だったからなのか、目の前でワンバウンドしたのに外野手はアピールもしなかったですね。当時はそれがいわば当然とされた時代でした。大人はものすごく偉くて恐くて逆らうなんてあってはならないことと信じ込まされていた時代でした。
その結果、選抜優勝校の看板を取り外すことになりましたね。池田高校の看板がラストでした。
@@user-52-mickey だいぶ返事が遅れましたが、当時の位置より後方に下がり大きさも2~3まわり程大きくなっていますね。
今の野球中継は1つの画面に情報量を詰め込み過ぎなんだよ。昔のシンプルなほうが好き。
甲子園の近くに台風が接近していたんですね。31分の台風情報がまさにアナログでいいなと感じました。
3回戦のこの頭へのデッドボールさえ無ければ、池田は前人未踏の三連覇を成し遂げていたと、俺は今でも思っている。本当に痛々しい。翌々日の中京商との準々決勝、水野は本来のデキじゃなかった。PL戦もあきらかに本来のピッチングではなかったが、それでも清原を4三振にしたわけだし。桑田には打たれたかもしれないが、それ以外の打者(しかも下位打線)に7点も取られるような水野じゃない。俺はいまだに広島商を好きになれない。
@井上尚弥直也
いろんなとこに同じコメント書き込んでるけど死球のせいだったら都合悪いの?O元の身内か?
@井上尚弥直也 さん
蔦文也のIKEDA行進曲という本に少し書いてるけど、水野は1回戦、2回線とこなして体がほぐれて3回戦から調子を上げていくはずだったと書いてある。
その矢先の頭部死球だからね、医師の診断では3日後(PL戦の日)右半身に影響が出ると。
大会後に精密検査したら実は頭蓋骨にひびが入っていたらしい、これは当時の高校野球雑誌(報知高校野球?)がソース。
試合後宿舎に戻ってからも吐き気で食事もとれず、横になっても激しいめまいと頭痛で眠ることもままならなかったとか。
またそれまで12打数10安打と猛威を振るっていた打棒も死球以後投球に対して踏み込めなくなり打の方でも精彩を欠くことに。
加えてムードメーカーでもあった水野がベンチで一言もしゃべらなくなり……
返信急かすから急いで投稿したのに2年も待たしたあげくコメント消すなんてひどいよ昭和師匠さん……
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
当時の5番打者から聞いた話し、水野投手はデッドボールの後は試合の記憶がないそうです。
また、その晩から高熱続きで、翌試合からも先発完投したのは異常だったそう。
PL戦は全く握力がなく投げれる状態でなかったとのこと。😭
この大会の池田は選抜よりはいまいちだったかのような意見聞くけど、やはり主将の江上選手が不調気味だったというのもあったのかな?
郡部の高校で優勝はすごい
@外川真一 集めてないよ。この頃は。
@外川真一 阿南だろ。大して遠くないぜ。池田出身でくぎるか?
畠山が池田に進学したから、甲子園にいく確率が高いので、池田を選んだって言うてました。
吉本投手、策略での投球なら凄い。じらしの作戦。
蔦監督は水野への死球は狙って投げたと疑っていて、怒り心頭でしたね。
水野が大したことないとコメントしても、そんなわけあるか!頭やぞ!って返したりして
丹下段平
いや、狙っとらん❗️
確かに、広商の沖元はアンパイアの西大立目氏からアンダーシャツで注意され、精神的に切れての与死球。
そうせざるをえん位、池田の猛攻にたじろいだ🎵
実際、他校の高校野球の監督就任の沖元氏は最近、不慮の事故で頭部挫傷です🎵
小野勝則 私もそう思います。あくまで蔦監督が疑っていたということですから、そんなことするわけがない。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
池田を応援していた者にとって、2回戦での広島商VS興南の試合を見て、興南出てくるな!と思いながら試合を見ていたことを思い出します。広島商はあまり強さを感じなかったので出てきたら勝てると思いました。それよりもマイク仲田の興南が池田とだったら嫌な試合になっていたように思います。
池田のパワー野球がいまの野球の先駆ですが、平成の池田は沈黙❗️
逆に広商は、得意の小技プラス人間力野球で復活の兆しです🎵
元阪神ファンとして、仲田が出てきても池田の得点力あまり変わらなかったような気も😅
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
夏の大会で決勝カードが次年も実現したってこの試合だけですか⁉️【昭和初期の参加校数すくない時代を除いて】
お互い春に横浜商と対戦
前年(1982年)夏の🥇優勝、🥈準優勝チームと当たるのはめったにないですね☺️。
問題のシーンは53:36から
今の時代の、赤や青、黄色のユニホーム、甲子園には似合わない。
プロ野球で言えば、巨人、ソフトバンクが先攻逃げ切り型。広島、西武が逆転追い込み型が主と見ている。他の8チームは、はっきりとわからない。
82年です
54:09 この映像探していました。頭部死球というのは、ボールが大きく跳ねれば安全ですが、近くに転がり落ちると危険だと言われます。後者に近いですね。衝撃をアタマで受けてしまっています。本人は影響なかったと言いますが、影響があったはずです。直後に2死から連打を浴び、2失点するなど、明らかに彼本来のピッチングではありません。中京戦の映像も見てからここに来ましたが、中京戦でも荒れ球に中京が手こずったという印象で、選抜の水野投手のデキからはほど遠いです。時折見せるサイドスローからの力が入っていない投げ方が気になっていました。この死球は判官贔屓のメディアではほとんど取り上げられることもなく、後のPL戦での池田伝説の終戦を迎えます。この試合の監督インタビューで蔦さんが「ピッチャーが力入れて放れんようになったので・・・」と言っていますが、それに被るように(打ち消すように)、質問攻めしてたのを覚えています。
あの死球はポイントでしたね。PL戦で清原は水野に4三振だったのですが、その時にややサイド気味に投げていたのが印象に残っていました。清原にとっては勝手が違っていたのかもしれませんね。球威なくコントロール重視に方向転換しないと四球で試合が壊れます。でも狙い撃ちにもされる。結果後者の試合がPL戦になってしまったということでしょう。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
それにしても池高校歌のとき、勝ち慣れした選手たちの表情が憎らしい。まだこの時点でPLのKKは無名。三日後この常勝チームに悲劇が訪れようとは誰も想像しなかったでしょう。
訂正。準々決勝の中京・野中との死闘を挟むため、四日後?かな(汗)
「勝ち慣れ」も良くなかったんではないでしょうかね。前年畠山投手の代、蔦監督は畠山がいれば最低3回は甲子園に行けると計算していたが、結局は畠山の高校最後の夏だけに。しかしそれが故に甲子園出場を有り難く思ってるかの様に初々しく戦っています。水野も恐らくそんな気持ちで挑んでいたのではないでしょうか。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
水野はセンバツ大会後の招待試合などがもたらす過密スケジュールでコンディションを崩し、脇腹を痛め、それが癒えぬまま夏の甲子園を向かえたらしいです。当時は、1回戦から横手の変な投げ方を度々見せる事に何かイヤな予感を覚えたのですが、解説者がこの試合の感想で「死球を受けてなかったとしても、立ち上がりから不安を感じさせる投球」と言う形で露呈してしまったようですね。あの江川投手も選抜後に過密的に招待試合に駆り出された事で、夏はクタクタに近い状態で挑む事になってしまったそうです。それは高校野球関連特集とかで観る夏の甲子園の江川投手の「膝が崩れる様な投球フォーム」を観ても明らかな事です。選抜優勝又は目立った活躍をした選手が過密的に招待試合に駆り出されコンディションを崩し、夏は本来の力を出せずに破れてしまう一方で、世間の注目を浴びないが故にコンディションを崩す様な過密スケジュールに追われる事なく、ベストのコンディションで夏の大会を向かえ、挙げ句優勝まで成し得たら、こんなふざけた話はないですよね。高野連は、センバツ優勝校や活躍の目立った学校程、疲れをしっかり癒して夏に向け万全の状態で挑める様、十分配慮すべきではないでしょうか。スター扱いして多方面に駆り出す事の何処が教育の一環なのでしょうか?
中山和也さんへ
江川投手はチ―ムメイトとの葛藤とも戦ってたらしいですね。センバツで江川の活躍ばかりが目立ち、他の選手の嫉妬を買い、自分たちもヒ―ロー扱いされたくて、チ―ムバッティングを無視した個人プレーに走り出して、元々貧打線がよけいに得点力が落ちて、結局江川投手が相手に打たせずに投げないと勝てなくなる。その結果が、3年生の夏の予選で、3試合連続無安打無得点を含む無失点のまま、最後の夏の甲子園行きを決めて、本大会でも、予選の延長のような内容で、得点に恵まれず、孤軍奮闘の江川は、連続延長戦試合の末力尽き、とうとう2回戦で敗れ去ります!
池田と言えば先頭打者坂本。
確か、センバツも夏も初戦第一打席はセンター前ヒット。
水野 頭部に死球受けたのになんで臨時代走を適用しないんだろうね
当時はそういうとこは意識低いんだろうな
この試合の翌日のスポーツ新聞は、全国紙の殆んどが、打席で頭を押さえて倒れている水野選手の写真が一面トップで、池田高校の緊急事態が、真っ先に全国各地に報じられる程の大事件となりました!
@@石元正志-m9g 当時、次の日のスポーツ紙の一面はプロ野球より、水野のデッドボール大丈夫か?でしょうと、この試合の夜のナイター聴いていたら自虐的にアナが言ってましたね。
この時はほとんど臨時代走というのは見なかったな。80年代後半くらいから、少しずつ臨時代走というのが増えて、今ではヘルメットにかすっただけで直ぐに臨時代走だもんな。
蔦監督が嫌いだったので頭部死球の時は嬉しかった(鬼畜)
池田高校がジヤンケンで勝つて先攻を取った。広島商業がたとえ、ジャンケンで勝つても後攻を取ったらしい。僕は広島商業を応援していたから、後攻でよかったが、池田高校のやまびこ打線にやられてしまった。残念だった。だが、池田高校に優勝させてよかった人もいたらしい。全国的な強豪校の仲間入りと高校野球の新しいページが開いたと言って、よかろう。
池田=先攻‼️箕島、PL 学園=後攻‼️の印象がありますね☺️
僕らの世代は、早く攻撃をしたい、先取点がほしいから、先攻を取りたがっていた。だが、僕は先攻より後攻の方が何となく、好きだった。先攻も良いが、後攻の方を選びたくなる。それと先取点もほしいが、逆点もしたがる。大差で勝つのは倍嬉しい。逆点勝ちも良い。反対に大差負け、逆点負けは非常に答える。まだ、僅差、先取点を許しながらで負けは仕方がない。
この時の広商は珍しく弱い
珍しくもなんともないだろ
広島商もそこまで弱いとは,思いませんでした 3年連続で甲子園出ているし ただこの大会が池田高中心でズバ抜けた高校でした金属バットのお手本みたいなチームでした ただPLに負けた時は,唖然としたし PLの選手は,池田とやりたいと思っていたみたいでした池田の選手も負けた後 やることは,やったみたいな感じで 蔦監督もやりつくした みたいな感じに見えました 昭和の時代の池田高PL学園 広島商 好きな高校でした
@@ドタマジン太 70年代から80年代にかけて広島商は名門中の名門だったのに
中京との試合は事実上の決勝戦と言われたが、この広島商との試合も三回戦で当たるには勿体ないくらい
前年の夏の決勝カードなだけに
広島商は前年の夏が出来すぎだったんだよ。あそこまで勝ち上がるなんて誰も予想できなかった。
73年全国制覇後の広島商は低迷しており。以後優勝候補に挙げられたことは74年春、83年春の2回しかない。その2回も凄まじい程の評判倒れの弱さで初戦敗退で撃沈。70年代、80年代の広島商は優勝争いとはほとんど関係ない、ただの常連校に成り下がっていた時期。名門ではあっても伝統だけが取り柄のチームでしかなかった。
広商は自滅だよこりゃ。二度にわたる理解に苦しむ4回と6回の盗塁死に,ボールカウント間違いでの走塁死。
水野別に夏と投球フォーム変わらん感じだが
三塁側に倒れる様な感じでサイドスローから放るフォームはセンバツでは先ず見られなかったです。それにセンバツに比べるとドーンと来るボールが驚嘆に少ないです。
サード側に踏み出してからの外角へのスライダーだったかな。軽く投げてる感じで手抜きみたいな印象もあった。夏は「体力温存の為でもあったのかも」という気もしてる。1回戦や2回戦は大差がついていたから、別に水野が完投しなくても良かったと思うけど、当時は完投が当たり前というのもあったんだろうなぁ。