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同じお名前で、医療に携わるお仕事、ヨガが好きという共通点がある先生のお話を家事をしながらやホッと一息つけるつかの間に聞かせて頂いています。今回は、先生の心情、状況、状態が頭で理解するだけでなく、先生の寂しさを想像しては私の心がぎゅーとなり、声をあげて泣きました。先生も同じ1人の人間で、感情も感覚も共感できて、先生の存在を勝手ながら、とても近くに感じています。先生が時折言われる、現状をどう受け止めたり、理解するかの視点も、寂しさの真っ只中では多数の方は なかなか持てないと思いますが、時間がたち、日常に戻りながらでも、大切だった存在に対して寂しさだけじゃない温かい感情を持てるといいなと思っています。先生のお辛い経験ですが、きっとこのお話を耳にされた方は、いろいろな気付きがあったのではと思います。何気ない毎日は、当たり前ではなくて、何が大切なのか?自分も限りある時間をどう過ごすかにも意識を向けられる余裕を持てるよう、工夫したいと思いました。先生にもお伝えしたいです、「大丈夫ですよ、先生もたくさんの人に愛されています❤」
銀ちゃんは先生と過ごせて幸せだったと思います😢
先生の悲しさが胸にしみます。ぎんちゃんのことを知ったのはだいぶ後でした。それからずっと心配でした。私も大切なワンをなくしてからやっと今年の10月に納骨出来ました。3回忌といわれるまできがつきませんでした。そんなにたっていたとは。今でも思い出したら切りがありません。でも辛いし悲しいけど私には宝物の子だったし、時間でした。楽しかった。本当にありがとうです。空を見ては話しかけてます。先生、何も言えませんが、元気を出してくださいね。心からそう思ってます。
お辛かったことと思いますが、お気持ちをシェアして下さりありがとうございました。銀ちゃん、先生に心から可愛がられて、今生のテーマだった「愛されること」をしっかりと胸に刻んで旅立ったのだと思います。私にも、2年間の介護の末に亡くした猫がいました。腎不全のため、毎日欠かすことなく自宅で点滴をしていたのですが、だんだんと皮膚が固くなり針が刺さりづらくなって何度も刺し直し、ごめんねとわんわん泣いて謝りながら続けていました。徐々に弱っていく姿を見るのがあまりにも辛く、今すぐ腕の中で眠るように亡くなってくれたらどんなに良いだろうと考えたりもしました。亡くなった直後は、これでもうこの子の苦しみも辛い介護も終わったのだというある種の解放感と共に、もう二度と、この子の温かさを感じることも、声を聞くことも、匂いを嗅ぐこともできないのだという絶望感で風景がモノクロにしか見えなくなりました。あれから3年、そんな悲しみの傷には少しずつかさぶたができて、多少のことでは傷口が開かなくはなりましたが、今回のリアルボイスで先生の声を聴きながら久々に傷口は全開となり、昨晩は遅くまで涙が止まりませんでした。でも時々思うのですが、初めからあの子を飼わなければこんな辛い思いはしなかっただろうけれど、やっぱりあの子がうちに来てくれて過ごした日々は何物にも代えがたいものだったと。人生の彩りとは、楽しいことや嬉しいことだけじゃなくて、悲しみや辛さをも含む、深みのあるものなのだと。私は年齢的に、もうあの子が最初で最後。人生一猫です。懐かしい思い出や悲しみを宝物のように胸に抱いて、これからも生きていこうと思っています。ただ、悲しみと喪失のストレスは思った以上に体にダメージを与えますので、先生、どうかご体調崩されたりしませんようお気をつけてお過ごし下さいね。遠く北海道から、気持ちだけ先生のそばにずっと寄り添っています。それでは。
うちの子🐱にたくさん話しかけて、たくさん名前呼んで、いっぱい触れてあげようと思いました。大切な事に気づかせてくれてありがとうございました。
こんばんは。高尾美穂さん配信ありがとうございます。月並みですが、銀ちゃんは美穂さんを見守っているとおもいます。仕事から帰宅して、すぐに聞きました。銀スペシャルです。
2回目のコメントです。わたしは、若いころ「先生」と呼ばれる仕事についていました。その経験からか「先生」という呼ばれ方はちょっとあまりすきではないのです。だから高尾先生のことを「高尾美穂さん」と1回目のコメントはそう呼ばさせていただきました。高尾先生はそうじゃなかったかもしれないです。ごめんなさい。でも医師として語られた気持ちよりもこの配信についてはひとりの母としての気持ちがあふれているよにおもえました。だから「先生」と役割でお呼びするのは失礼かな・・・とおもいました。わたしも実家に猫がいました。8年前におわかれしました。ちょうど娘の高校受験の年のオープンキャンパスの日と重なり猫の最後に駆けつけることができず、いまでも悔やまれます。私が落ち込んでいると、夫の友人が励ましとしてくれた言葉に「悲しいけれど動物なんだよね・・・。猫は。」心無い線引きだととも当時はおもいましたがそれも「必要だから人間が作ったルールだよな」とおもったこともおぼえています。
先生ウチにもワンコ3匹と猫ちゃん1匹がいます。今まで沢山のお別れもしてきました。先生辛いけど愛し、愛されて良かったね。一緒に泣きました。
悲しいです
同じお名前で、医療に携わるお仕事、ヨガが好きという共通点がある先生のお話を家事をしながらやホッと一息つけるつかの間に聞かせて頂いています。
今回は、先生の心情、状況、状態が頭で理解するだけでなく、先生の寂しさを想像しては私の心がぎゅーとなり、声をあげて泣きました。
先生も同じ1人の人間で、感情も感覚も共感できて、先生の存在を勝手ながら、とても近くに感じています。
先生が時折言われる、現状をどう受け止めたり、理解するかの視点も、寂しさの真っ只中では多数の方は なかなか持てないと思いますが、時間がたち、日常に戻りながらでも、大切だった存在に対して寂しさだけじゃない温かい感情を持てるといいなと思っています。
先生のお辛い経験ですが、きっとこのお話を耳にされた方は、いろいろな気付きがあったのではと思います。
何気ない毎日は、当たり前ではなくて、何が大切なのか?自分も限りある時間をどう過ごすかにも意識を向けられる余裕を持てるよう、工夫したいと思いました。
先生にもお伝えしたいです、「大丈夫ですよ、先生もたくさんの人に愛されています❤」
銀ちゃんは先生と過ごせて幸せだったと思います😢
先生の悲しさが胸にしみます。ぎんちゃんのことを知ったのはだいぶ後でした。それからずっと心配でした。私も大切なワンをなくしてからやっと今年の10月に納骨出来ました。3回忌といわれるまできがつきませんでした。そんなにたっていたとは。今でも思い出したら切りがありません。でも辛いし悲しいけど私には宝物の子だったし、時間でした。楽しかった。本当にありがとうです。空を見ては話しかけてます。
先生、何も言えませんが、元気を出してくださいね。
心からそう思ってます。
お辛かったことと思いますが、お気持ちをシェアして下さりありがとうございました。
銀ちゃん、先生に心から可愛がられて、今生のテーマだった「愛されること」をしっかりと胸に刻んで旅立ったのだと思います。
私にも、2年間の介護の末に亡くした猫がいました。腎不全のため、毎日欠かすことなく自宅で点滴をしていたのですが、だんだんと皮膚が固くなり針が刺さりづらくなって何度も刺し直し、ごめんねとわんわん泣いて謝りながら続けていました。
徐々に弱っていく姿を見るのがあまりにも辛く、今すぐ腕の中で眠るように亡くなってくれたらどんなに良いだろうと考えたりもしました。亡くなった直後は、これでもうこの子の苦しみも辛い介護も終わったのだというある種の解放感と共に、もう二度と、この子の温かさを感じることも、声を聞くことも、匂いを嗅ぐこともできないのだという絶望感で風景がモノクロにしか見えなくなりました。
あれから3年、そんな悲しみの傷には少しずつかさぶたができて、多少のことでは傷口が開かなくはなりましたが、今回のリアルボイスで先生の声を聴きながら久々に傷口は全開となり、昨晩は遅くまで涙が止まりませんでした。
でも時々思うのですが、初めからあの子を飼わなければこんな辛い思いはしなかっただろうけれど、やっぱりあの子がうちに来てくれて過ごした日々は何物にも代えがたいものだったと。
人生の彩りとは、楽しいことや嬉しいことだけじゃなくて、悲しみや辛さをも含む、深みのあるものなのだと。私は年齢的に、もうあの子が最初で最後。人生一猫です。懐かしい思い出や悲しみを宝物のように胸に抱いて、これからも生きていこうと思っています。
ただ、悲しみと喪失のストレスは思った以上に体にダメージを与えますので、先生、どうかご体調崩されたりしませんようお気をつけてお過ごし下さいね。遠く北海道から、気持ちだけ先生のそばにずっと寄り添っています。それでは。
うちの子🐱にたくさん話しかけて、たくさん名前呼んで、いっぱい触れてあげようと思いました。大切な事に気づかせてくれてありがとうございました。
こんばんは。高尾美穂さん配信ありがとうございます。
月並みですが、銀ちゃんは美穂さんを見守っているとおもいます。
仕事から帰宅して、すぐに聞きました。
銀スペシャルです。
2回目のコメントです。わたしは、若いころ「先生」と呼ばれる仕事についていました。その経験からか「先生」という呼ばれ方はちょっとあまりすきではないのです。だから高尾先生のことを「高尾美穂さん」と1回目のコメントはそう呼ばさせていただきました。高尾先生はそうじゃなかったかもしれないです。ごめんなさい。でも医師として語られた気持ちよりもこの配信についてはひとりの母としての気持ちがあふれているよにおもえました。だから「先生」と役割でお呼びするのは失礼かな・・・とおもいました。わたしも実家に猫がいました。8年前におわかれしました。ちょうど娘の高校受験の年のオープンキャンパスの日と重なり猫の最後に駆けつけることができず、いまでも悔やまれます。私が落ち込んでいると、夫の友人が励ましとしてくれた言葉に「悲しいけれど動物なんだよね・・・。猫は。」心無い線引きだととも当時はおもいましたがそれも「必要だから人間が作ったルールだよな」とおもったこともおぼえています。
先生ウチにもワンコ3匹と猫ちゃん1匹がいます。今まで沢山のお別れもしてきました。
先生辛いけど愛し、愛されて良かったね。一緒に泣きました。
悲しいです