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東條さんの奥さんやお子さんは大変なご苦労をされたようですがとても優しく親切で丁寧だったと当時近所に住んでおり挨拶をする仲だった祖母が言っておりました。東條さんも近所の子供に懐かれており、動物を大切にするごく普通の優しい方だったと。私は史学科出身ですが大東亜戦争が始まった時の首相は東條英機でしたが、そこまでの道のりを作ったのは近衛文麿だと思っています。
東条英機は兵営で食事の時部下達が気を遣って兵隊達よりおかずが3品程多かった時断固として特別扱いを断り兵隊達と同じ食事を取る指揮官として皆と公平にと言う指揮官としての心根があった人らしいですね。
エピソードありがとうございます。↑この話は、中国の古い兵法書に載っている話によく似ています。内容はうる覚えですが確か“将軍は戦争が始まると、1番下の兵士と同じ麦飯を食べていた”と言う内容です。ご参考までに。
兵士には自決を強いたのに…?結局自分の見えている範囲の身内にやさしいだけで、指揮官としては落第だよ
@@山田タロウ-s7b何も知らなくて🌱アンタが平和な日本に住んでられるのも東条さんのおかげなのに🤭カンボジアとか他所行けよ
自分が学校で歴史の授業を受けた時、昭和初期から戦後あたりは時間切れで充分勉強出来なかったんだよな。こういう動画はありがたい。
むしろ本来はそのあたりって一番重点を置いて勉強しなければいけないはずなのに…
どうでもいいと言っちゃダメだろうが、その場所さえ不確実な邪馬台国あたりは一生懸命覚えるのに、伊弉諾から始まる神話についてはからきし知らない。大正時代以降の経済政策や軍部の台頭、戦後の復興に関しても、日本人ならもっと知っておかなければならない。
敢えて近代史に触れないように義務教育の授業は進むようです。私の時も近代史は授業をした記憶がありません。 仮に授業を受けたとしても日教組に洗脳された教員が授業をするので自虐史観を植え付けられておしまいです。 逆にここで真っ新な状態で学べて良かったのではないかと思います。
という事は①指導要領や教科書の記述の改善②日本史の古代・中世編と近代・現代編を科目において分離この2つを実施すれば多少は改善されるという事❓
@@2key646 様 ①は仰る通りです。②に関しては歴史は続きものですから分離しないべきです。大東亜戦争(本来太平洋戦争は大東亜戦争が正しい呼称です。GHQの指示で太平洋戦争に統一されています。なのでこの呼び名自体が嘘です)もそうなったいきさつを遡ればペリー来航まで遡らないとなりません。また学校教科書は中国に忖度しないといけないようで、授業では黄河文明の時代は日本はまだ狩猟をおこなっていたことになっていますが、黄河文明は嘘なのです。漢字が中国から伝わったのも嘘。もともと日本は「神代文字」というカタカナの起源の文字をもっており後に漢字を生み出しているのです。黄河文明があったとされるエリアで発掘されたのは白人の骨だったのです。それ以前に長江文明があったそうですがそこから発掘された骨は倭人(日本人)だったそうです。
東条英機辞世の句 意味 私は逝くけれど、また再びこの土地に帰って来る。この国への恩返しが足りていないから。 とのことです。東条英機は教科書には出てきません。この句を読んで、考えてみてください。
この国への恩返し、か。まさに最期まで『忠義』に生きた人だったんだな。
東条さんは必ず日本の一部となって働くエネルギーとして存在されるでしょうね。多分それはもうはたらいているのかもしれません。日本はなぜか助かってることは数知れない。我々こそ東条さんはじめ彼らに報いる存在にならなければ。日本人の集合意識に加担する存在として一人一人責任があります。意識から軋轢という偽物につき動かされるのではなく、外に出すのではなく、自分の意識内で消滅させないといけません。
七生報国か。
出てきます!
歴代首相の運転手を務めた人物は「今までの首相の中で東条英機が一番礼儀正しかった。」と言ったらしい…
@昌信NHKから国民を守る党 大橋 騙されてるやついてワロタ www
@お前、料理人だろ? そう思うのは仕方ないけど、当時の日本が個人の一存で動くものではなかったことは知っておいた方がいいと思う。
@お前、料理人だろ? 君の短絡的な思想には呆れ以外なにもありませんね。もっと、歴史や勉学、道徳等に勤しむ必要がありますね
@お前、料理人だろ? そこまで言うのならば、あなたが当時の日本を導く指導者の立場だったら戦争を回避できるのですか?戦わなくて済むのならば苦労はしません。もっと広い視野で歴史を勉強し直してください。そうでないと社会で恥をかきますよ。もっとも、多くの犠牲者出して敗戦した以上、責任者は落とし前をつけるべきですけど。散々日本を破壊し貶めてきた現代の政治屋は何の落とし前もつけません。そちらを責めるべきです。
@@田野海 さん、自分もそう思います。その事で少しずつ真実が見えて来ると思います。そして本当の答えが少しずつですが、見えてくると思います。
東條英機氏も関東軍の司令官時代にナチスから逃れてきたユダヤ人を助けた一人です。
特に好戦的な人物でなく、武闘派でなく、どちらかというと学者肌(父親は戦史の権威)のような人物だったらしい。司令官時代も、規律を守らせる事(現地の人に横暴なふるまいをさせない)に力を注いだと聞いた事もある。
東條英機が絞首刑になりました
仰る通りオトポール事件と呼ばれています。直接関わったのは樋口季一郎氏ですが満州鉄道総裁、松岡洋輔氏から東条英機氏へと伝達され人種差別撤廃並びに人道的配慮からドイツの反対を無視、直ちにユダヤ人避難民を受け入れる様に命令が行われました。
@@user-nj5ce9dq3e >東條は、特に好戦的でなくそれは建前上であって、一旦戦争が始まってしまえば東條はどう見ても戦争推進派ですが。
@@user-nj5ce9dq3e フランクフルト学派によってその矛盾が指摘されています。「権威主義的パーソナリティ」というものです。冷静に狂っていくのです。東條の座右の銘は「努力即権威」という最悪をきわめるものでした。
東條英機は東京裁判で死刑を告げられた後に一礼するところがすげー印象に残ってる
「アザーッス」
@@sabaosama1100 コンチャース
ゾス
実は大変な猫好きで、戦時中、家で飼ってた猫の一日の様子を毎日電話で事細かに聞いていたらしい。🐈
悲惨な戦況からの現実逃避
国民が飯も食えないのに、猫飼うなんてコイツが一番非国民。最悪の政治家。
今現在、私は日本で日本人として何不自由なく生活出来ているのは先人のご苦労があったお陰だと思っています、ただただ感謝するのみ。
関係ない
@@釣人だよお前がなwまじで日本の恥だね😂お前な関係ないかwww
こいつのせいで先人はたくさん死んだぞ
GHQのおかげだろ
小学校のころ歴史に興味を持ってこの戦争を学んだ。正直東條さんのことは日本を戦争一色に染めた大罪人だというふうに教わった。情けない。この人はちゃんと、ちゃんと国を守るために動いていたんだよな、結果はそぐわなくとも、国を守るため頑張ってくれた1人の人間として本当に今は尊敬しています。安らかに。
判断を間違えたのは近衛文麿です。有名なエピソードとして、山本五十六長官に、勝てるかと聞いたら、長官は、半年や1年は暴れるが、その後は分からない、という言い方をした。これは1年以内に講和に持ち込みたいという気にさせるし、山本長官の真珠湾攻撃も、一気に戦線拡大してから後の計画が無く、総合的に言って真珠湾攻撃はやるべきではなかったという説が増えてます。また、近衛の側近の尾崎秀実はソ連のスパイで、日ソ中立条約を結んで、対米英戦争に向かいます。もっともルーズベルト側近のハリー・ホワイトも大物スパイ。昭和天皇は、対米英戦争不可避かと心配され、最後の頼みとして東条首相を指名されました。このあたりは、諸説ありますが、226事件前に、陸軍の逸材、永田鉄山が惨殺されたため、陸軍のトップに(永田を慕う)東条がつき、石原莞爾を左遷します。石原莞爾も優秀ですが、生真面目な東条と、天才肌の石原は性格的に仲が悪かった。東条英機処刑は、大元帥昭和天皇に責任が無いとするため、誰かが悪者にならなかったということです。東条英機の遺族は大変ご苦労されます。東条英機は、周囲の者には心遣いをするエピソードが多いですが、日本のリーダーとしては残念ながら足りないと言われます。しかし、現代政治家に比べれば、常在戦場の真剣さは凄いですね。付言すれば、山本長官の上司で海軍のトップ、永野修身なども、不審な死を遂げています。A級戦犯とは平和に対する罪であり、構成要件が極めてあいまいです。
余裕で大罪人だが?総力戦研究所第一期生の入所から3か月余りが経過した1941年7月12日。2代目所長飯村穣(陸軍中将)は研究生に対し、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)計画を発表。同日、研究生たちによる演習用の青国(日本)模擬内閣も組織された。模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。この机上演習の研究結果と講評は8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相近衛文麿や陸相東條英機以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。研究会閉会に当たって東條は、参列者の意見として以下のように述べたという。諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。日露戰争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。(表記は現代式に改め)対米英開戦3ヶ月前のことであった。コイツの前では近衛とかハナクソやろ。
なにしろ、敗戦で焚書坑儒はありましたし、中野学校や頭山満、児玉誉士夫といった、現代日本人には理解できない勢力もありますし、陸軍の統制派あるいは対ソビエト警戒派でしょうか、不勉強で総力戦研究所なるものを知りません。対米英開戦3ヶ月前ということは、通説では対米英戦争不可避とされるフランス領南インドシナ進出の後ということですね。因みに(ハリー・ホワイトが工作した)ハル・ノートは公式には11月26日。日本は原油と鉄スクラップの6割をアメリカからの輸入に依存していましたから、経済封鎖されると、マレーの原油その他を緊急入手せざるを得ず、山下大将は真珠湾攻撃より先に動いています。近衛内閣は、第一次が1937年6月で、盧溝橋事件の一か月前です。日本は日本固有の災害である1923年の関東大震災と金融恐慌で疲弊した後で、アメリカの反動不況である世界恐慌に見舞われていますが、首都壊滅の後、復興と国防を両立させるため、永田鉄山を中心に、戦線を広げず、満州、朝鮮の重工業化の統制経済が策定され、岸信介の構想は不明ながら、満州方面の陸軍に官僚として支援している。盧溝橋事件の前後の処理が出来なくなっているほど、日本の中枢に求心力がないですね。そこがヒトラー政権とは違う。英領インドから、アメリカ、英国が蒋介石支援の動きを強め、また、ヒトラーも西部戦線の資金稼ぎに蔣介石と商売をしており、日本は、対ソビエトの北進論と、対蒋介石の南進論で議論の末、援蔣ラインをバックに蔣介石が日本を南進に引きずり込みます。満州の油田は日本に不運なことに戦後発見されるので、日中戦争の間も、経済封鎖を非常に不安に思ってはいただろうけども、第一次近衛内閣が、盧溝橋事件と、不拡大に尽力した証拠が分からないので対米英戦争を回避できたとすれば、第一次近衛内閣の英米との交渉しだいだったと思います。しかし近衛上奏文を見るかぎり、尾崎秀実とゾルゲに騙されて、ルーズベルトの陰謀を含め、南進論の先を予見できていないように思います。東条内閣は1941年10月で、首相となってしまえば、陸軍も海軍も内閣の命令には素直に従わないので、一か月後の真珠湾攻撃に、東条首相は無力を嘆き、近衛文麿は逮捕前に自殺します。ルーズベルトは特需のため戦争を欲し、チャーチルはアメリカの支援を欲している構図は間違いないと思います。
当時の日本は遅れた帝国軍であることを米国は擁護してました。ヨーロッパに米国が説得を試みていたところに、中国への侵略で、米国のメンツは丸潰れです。帝国軍であることを考慮されていたのに、日本政府はそれが理解できなかったわけですから、日本政府の能力不足です。
@@腋ノ下腋乃わきのん さん林千勝氏の著作、【日米開戦陸軍の勝算「秋丸機関」の最終報告書】によれば、総力戦研究所の机上演習は、若い研究生達の教育・訓練を目的として実施されたものであり、その内容は訓練の域を脱しておらず、当時秘密裏に組織された本格的な研究機関「陸軍省戦争経済研究班(通称:秋丸機関)」の研究報告書に比べ戦略性が欠如していると紹介されています。(当然ながら東条はこの秘密研究機関の存在を知っており、東条が参列者に述べた意見は若い研究生への親心のような𠮟咤激励の言動のようです)ちなみに、陸軍省戦争経済研究班長の秋丸次郎大佐が総力戦研究所の講義を行っていた人物のようです。また林氏の著作に【近衛文麿 野望と挫折】もありますが、近衛がハナクソなどとは到底思えない程の恐ろしい人物です。関心があれば是非お読み頂きたいですね。
東京裁判って、捕虜にゴボウのお味噌汁を出した日本兵が、木の皮を食わせたって言われて死刑だかになったとかあったよね。
木の根っこと聞いたことがあります。
針治療をしたら、体に針を刺されたと言うアメリカ兵もいたらしい・・・
腰が痛くなってお灸をしたら虐待とも
日本:よし、捕虜は長距離だけど歩こうね(てか俺らも歩くんだけど。まぁこれくらい当たり前だし)米軍「捕虜の扱い酷い、犠牲者いっぱい出た!」日本:えぇ…
日本も過去に満州国という日本の傀儡国家を作ってな
勝てば官軍負ければ賊軍とはまさにこの事…
日本 ,a hard working national,destroyed by people like 東倏英機;⋯⋯but rebuilt by many of her citizens!
歴史は勝者が創る。
@@puffdaddy6462 それは嘘や塗り替えも可能です。
@@ポップコーン-q8n 仰る通りですね。
ゆーて、日本の戦争が侵略戦争だったというのを否定できるのか?
東條英機の評価は石原莞爾の評価が一番的を射ていると思う。「東條には思想も意見も無い」ってのが。つまり、誰でも東條英機の立場になれば、凡人は皆そうなったであろうという事。この人、多分、当時の普通の日本人だよ。
凡人とはずいぶん評価が高いですね。
同感
優秀な高級官僚だったのかな
その評価は石原のある意味外道さを考えると理解できるな。石原と言う男は結局”自分が一番”な人物であり、自分と意見が違えば昭和帝すら貶してたろうからなw。戦略家としては超一流なんだろうけど、それも某金髪の小僧の言葉を借りれば『あくまで石器時代のな』としか思えん。結局、近現代の軍隊では使えん異才でしか無かったんだろww。
東條の事は批判的なのかどうかは今でも疑問です。ただ先先帝である昭和天皇への忠義心や国を誰よりも案じていたことや家族達への愛情心などは本物でした。それ故、最近評価を改めて良い方向ヘ行っているのは確かです。
何万という国民が死んでいる。"良い評価"など、そもそも必要ない。
戦陣訓∥生きて捕囚の恥ずかしめを、受けることなかれ。∥これさえなかったら必要以上に自決する人はいなかったに違いない。これが∥たとい捕囚になろうとも日本男児の誇りを失うことなかれ‼️∥となっていたら良かった。東條英機彼は戦陣訓故に多くの若者の命を失わせてしまった。恨まれるとしたらそこかもしれない。
@@将多郎 虜囚ですね。
戦陣訓についてはむしろ東條が被害者。構文の都合上、自決命令と読むには無理がある。しかし陸軍省の支持もあって当時から誤解釈が広まっていた模様。格式にこだわり誤解を招いた東條にも非はあるが、80年後も誤解が解けずに叩かれるのは理不尽な話だと思う
@@ちっちきちー-w3t 何万という国民が死んでいても、評価されている人たちもいる。要は勝てば官軍ってことだと思うな
「東条英機は、個人としては素晴らしい人だ。官僚としても素晴らしい人だ。だが政治家としては、全然ダメだ。」(セバス=チャンドラ=ボース。インド独立運動の志士)
ほぉ、その言葉は初めて知ったが、うまいこと言っているなwこの人と石田三成ってどうもイメージが合うんだよね^^;時流にマジメで歴史上悪者扱いでね。確かにそういう人は政治家には向かないな。
東條英機も戦争の被害者😅予言通り今アメリカにも仏法が広まっています(^^)
僕の東条への印象は立派な軍人 ダメな政治家
@@黒田清隆-y7h さんへ。より詳細に言えば、「東條英機は、立派な平時向きの軍人。政治家・戦時の軍人としてはダメダメ」ですよ。平時向きの軍司令官と戦時向きの軍司令官は、必要とされる資質が違います。前者に必要なのは、上下左右の意向に対する忖度力であり、ダーティーハリーやあぶない刑事を絶対やらない優良公務員的な人物であること。後者に必要なのは、上下左右の意向に忖度せず、「勝てば良かろうなのだァァァァッ!!」とイイ意味でのD.ハリーやあぶない刑事を平気でやる人物であることです。東条英機は明らかに前者のタイプです。
@@花神-h1o そうなんだ。いい情報を有難う。
親類に海軍上層の人間がいたが、東条さんは人間味あり、ユーモア豊かな方だった。家族や近隣の方々にも優しく、子供が坊主頭をペチペチすると、大声で笑ったと。
死刑執行時に失禁した話を聞いたような…それゆえのことだろうが
それはヤクザの親分も同じですよ。
@@キンペー猫 首吊りで自死したりすると身体中の穴から体液やら屎尿などが出てしまうそうです。おそらく絞首刑も同様かと…。
美化は本当にやめるべき。あの人のせいで何万人の尊き命が失われたということは変わらない。東條は天皇を盾として権力に耽溺した犯罪者に過ぎない。広島の悲劇も、GHQの統治も、全て護国の名を冠して、誤った権力を振り回した軍部が招いたもの。二度と同じようなことを繰り返してはならない。二度と日本を戦場となすようなことが起きてはならない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。敗者が戦争の全責任を負わされているだけである。
この人の再分析再評価を行うべきです。
なにをいっとるか、石原莞爾将軍を追い込んで日本を焦土にさせたき○が○ぞ。原子爆弾がおとされたのにまだ日本は神国である。といってたくそたわけだぞ。
この動画は偏見もなく事実を述べているのがとても良いですねありがとうございます。
偏見があると思いますが?大東亜戦争を東條さんがはじめた・・・みたいな動画のはじまりは違和感です。
@@西村公志-l4c 全てではないですがはじめたのは総理大臣の東条ですよ。彼の満州赴任時代、近衛内閣内での陸軍大臣不協和時代から始まっていますよ。元凶の東条を総理大臣にして昭和天皇から諭してもらえば戦争止められると考えましたがもう遅かったということです。
@@derio1467いいえ。たまたま大東亜戦争の開始時期の総理大臣が東条さんであっただけです。東條さんが「戦争します」と決めたわけじゃありません。日本の総理大臣1人の意思では戦争出来ない仕組みになってます。アメリカやドイツとは違います。
@@西村公志-l4c 東条1人の意思で決めたなんて誰も言っていませんよ。戦争に突入する元凶の1人が東条であったということです。
@@西村公志-l4c 様私も同意致します。戦争回避出来なかったことを天皇陛下へお詫びされてます。
勝てば官軍の典型的な歴史的な出来事ですね!歴史は勝った方の都合で創られますね
世界に汚点を残した恥ずべき人こういう大人にはなりたくない
ほう、じゃサリンを使って国家転覆を狙った麻原が政権を担えば官軍になれるかの様な理屈ですな官軍になるにはなれるだけの要素があってナチスの手先になった日本が官軍となって勝てる要素何て最初からないんだよ
負け犬と一緒に遠吠えしてんの草
@@akibanokitune 何を言う。大日本帝国はナチスのような差別と偏見にまみれた穢らわしい欧米の国や、搾取と差別を繰り返す鬼畜米英とは違い、アジアの解放と真の平和の確立を目指した最高の国である。もっと愛国心を持つように。
@@アンユー大日本帝国万歳 愛国心を持つのは良いことだがアジア解放とかいうウリナラファンタジー広めるのはどうかと思う
東條氏は陸軍強硬派を抑えるほどのカリスマ性はなかったし粛清する冷酷さもなかったプーチンや習近平とは違う全く普通の善良な市民でしかなかったのに責任者になってしまったことが不幸なのだろう。
このままの戦況なら元首含めて国民をアメリカ様の奴隷にする状況に追い込むことになるという認識対する冷酷さはあったよね拳銃で頭を狙わないでアリバイ作りの急所狙いとか狡猾さはあるし
戦後も生きてた陸軍の元将校は東条英機を悪者にして、自分たちは何食わぬ顔で生活していた。海軍は南雲忠一で同じ事をして、死人に口なしを地で行った。
戦後の戦犯差別は酷かったよ。将校クラスの元軍人なら尚更。だから死刑にならずとも快適な暮らしなどはできなかっただろう。
米国に魂を売った奴らは快適な生活、反発した奴らは戦犯扱いw
@@SIGMA-M そうですかね金銭的な面では優遇されていた 占領が終わり 軍人に恩給が支給されるようになると 軍歴が長い職業軍人の恩給はそれなりのものであった遺族である奥さんが悠々自適で暮らせるような金額でしたよ
南雲忠一は同情の余地ないだろ。サイパンでこの人が何を言ったか知らないのか?。元々、少しオカシイ人だったと思うよ。それは、当時を知る元将校達の証言から伺いしれる。
最初の東條英機が酒酌み交わしてニコニコはちゃうなー。泣きながら昭和天皇に開戦させて申し訳ありませんと、謝ってましたよ。
最近その手の事いうやつ増えたけど、泣きながら謝ったって言うソース教えて。親族が口で喋ったことは、史実じゃないからね
@@play-rt1su 歴史を勉強しろ
開戦の肉声があるけど、とても喜んでいるようには思えなかったよ。回避したかったが、苦渋の決断で戦争せざるをえない、と言ってた。
この人も時代が違ければ、ただの人だった。
お前も時代が違えば、偉人だった。
官僚とかなら、また評価は違ったと思う。
それを言うなら昭和元年前後に生まれてしまったが為に18歳から22歳ぐらいの若者は特攻隊で死んでいった…この4年間の間から少しでもズレて生まれていたら…いつ生まれるかで運命は決まる😭
1000万年前ならただのおサルさんだった
時代が違えば祖父のクラスメートが全て特攻隊になり帰らぬ人になる事も無かったな(祖父のみ生き残った)。
東南アジアの植民地解放ユダヤ人の救助をしていてるけど、それらは他国から連合国に何にも無かったのだろうか…
何もなかったんだろうね。あったという記録は残っていない。ユダヤ人を助けた樋口季一郎に関しては、ソ連は樋口を戦犯としてソ連に引き渡すよう要求した。しかし、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会が、大恩人の樋口を守るために米国防総省を動かして、米国は樋口の引き渡しを拒絶した。結果、樋口は長生きした。東條は樋口の上司であり、オトポール事件では樋口の盾となって、樋口をかばい、再三にわたってドイツから抗議をされても「人道上の配慮は当然」とはねつけていた。陰でユダヤ人を助けた東條は、戦犯になった。おそらく、ユダヤ人も当時はそのことを知らなのか、東條が余りにも大物だったので助けきれなかったんだろうね。
東南アジアの開放は建前であって本音は資源の確保だからね 比較的親日と言われるインドネシアでも反日感情が強い地域がある
@@びんらでぃんウサマ 建前でもあるけど事実でもあるよ本当に建前だけなら植民地の国民に軍事訓練を行ったりはしないでしょ?インドネシアの半日から強いのは戦後に「再教育」があったからだよ誰が再教育したかって?そんなもん官軍に決まってるよねおまけにインドネシアは昔も今も華僑が牛耳ってるわけだし
@@mochimaki1366 日本がどれだけインドネシアにやったか知ってるのか? ・インドネシアの民族旗や、民族歌 「インドネシア·ラヤ」 禁止・結社や集会、政治に関する言論、行動および民族旗使用の禁止・厳しい規律の日本式の軍政や皇民化が施され、飢鐘を招いた籾の強制供出、 ロームシャと呼ばれる重労働を課せる・国際連合の報告では、日本軍占領中の飢鐘と強制労働によってインドネシアでは約400万人が死亡させる・ジャワ島の森林ではチークなどの樹木が大量に伐採されて森林破壊を招く・石炭を運搬するためのサケティ-バヤ鉄道が建設された。1日に動員される労務者は最大55,000人、最小25,000人で、逃亡者は1日400人から500人にのぼった。工事現場には湿地帯や山岳部ジャングルが含まれていてマラリアや風土病もあり、1万人の犠牲者が出たとされる・生産が増加しない中で軍票や通貨が発行されたためにインフレを招き、3年半で4000%まで上昇した インドネシアの経済は崩壊*米の増産は失敗し、それにも関わらず大量の米を日本軍が徴発したため、インドネシア各地で食料不足が起きた・1944年から1945年にかけて、ジャワでは約240万人が食料不足で死亡させる*インドネシアでは少女が慰安所に連行され、 ジャワ島から船でタイや昭南島(シンガポール)に送られる者もいた
なんで75年前の大日本帝国のプロパガンダに騙されてるんだ太平洋戦争はアジア解放のための戦いであった」という主張は本当に正しい歴史認識なのだろうかアメリカは日本が太平洋方面に領土的野心を持つとことさら警戒し、くず鉄や原油の輸出等に厳重な規制を設けた。当時、鉄や原油のほぼすべてをアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、アメリカの経済制裁は死活問題であった。しかし、「アメリカの経済制裁が気にくわないから」という理由だけでは対米開戦としての大義は弱いので、日本は対米開戦にあたり「アジア解放(大東亜戦争)」をスローガンに掲げた特にアメリカと持久戦になった場合、アメリカやイギリスからの資源輸入が完全に断絶することを念頭に置いた資源地帯の確保であった。南方地帯には、大規模で良質な油田(パレンバン、バリクパパン=蘭印=現インドネシア)があり、さらに航空機や戦車の生産に欠かせないゴムやボーキサイト等の天然資源があった。「アジア解放」の真の目的とは、これら資源地帯の制圧であり、これらの地帯から算出される重要資源を日本にピストン輸送して生産力を増強し、対米持久戦に備える(―実際にはアメリカ軍潜水艦等の通商破壊によって瓦解した)という、実際には日本の利益だけを考えた作戦行動であった。しかし「対米決戦のための資源の確保」では大義名分として弱いから、日本の戦争大義はあくまで「アジア解放のための戦い」をスローガンとした。このスローガンを真に受けたのが、先に述べた「太平洋戦争(―彼らは大東亜戦争と呼称する)はアジア解放のための戦いであった」とする戦後右派の主張では、実際に日本の「アジア解放」の実態はどのようであったのかというと、その作戦行動は大本営の予想をはるかに上回る短期間で大成功を収めた。日本軍は、英領マレーを嚆矢として、蘭印、フィリピン、ビルマ等を次々といとも簡単に制圧した。これらの地域は、例外を除いて実践経験のない現地植民地軍が駐屯しており、1937年の日中戦争から実戦を積んだ日本陸軍の部隊の前に簡単に降伏してしまった。特にイギリスの圧政に苦しんだビルマでは、当初日本軍は植民地支配からの解放軍として迎えられた側面があることは事実。しかし実を言うと、当時アメリカの自治国であったフィリピン(フィリピンコモンウェルス=フィリピン独立準備政府はアメリカ議会からすでに1945年の独立(フィリピンコモンウェルス成立から十年後)を約束されており、日本軍の侵攻による「アジア解放」というスローガンは全く無意味として映ったよって南方作戦で日本軍に占領されたフィリピンでは、そもそも日本の戦争大義が受け入れられず、またアメリカの庇護下のもと自由と民主主義、そして部分的には日本より高い国民所得を謳歌していたフィリピン人は、日本の占領統治に懐疑的で、すぐさまゲリラ的抵抗や抗日活動が起こった。これは華僑の多いシンガポール(日本は同地を占領後、昭南島と改名)でも同様で、日本の戦争スローガンに同意せず、激しい地下抵抗運動が盛り上がった。オランダに数世紀にわたって植民地支配されていた蘭印(インドネシア)でも、その実態は島嶼や地域ごとに強固な部族社会が形成されており、日本軍の占領統治に懐疑的な地域も多く存在したこともまた事実 西洋諸国は資源を買い取ったが日本は買わずにそのまま本国に横流し大東亜会議」が開催され、日本の戦争大義である「アジア解放」がいかに正しいのかが内外に喧伝されることになった。ところが、これはあくまで日本を頂点とした傀儡国家の野合に過ぎず、実際には日本は、資源地帯の要であるインドネシア、マレーについては最後まで独立を許すことはなかった。なぜかといえば、前述したとおりこれらの地域では、石油やゴム、ボーキサイトなどの戦略上重要物資が産出されるためで、勝手に独立されては資源を意のままに採掘することができないため、最後まで日本はこの地域の独立を認めなかったのである。「アジア解放」と謳っておきながら、最も重要な地域は独立させず、最後まで日本の直轄地域とするというのは完全な矛盾であるが、このような矛盾を見ない事にして、日本の戦争大義「アジア解放」は展開されたのであった。これが日本の掲げた戦争大義の偽らざる実相である。大義名分は、実のところ1941年12月8日の真珠湾攻撃をきっかけとする対米開戦以前から大きな矛盾を抱えていた満州国は「五族協和=日本人、満州人、モンゴル人、朝鮮人、漢民族」による理想の独立国とされたが、実態には完全な日本の傀儡国家で、国際社会からは承認されず、よって日本はこれを不服として1933年に国際連盟から脱退した。つづく1937年、盧溝橋事件を端緒として日中戦争が勃発すると、日本軍は中華民国(蒋介石の国民党)の首都である南京を占領した。これにより蒋介石が首都を捨てて奥地の重慶に撤退すると、日本軍は陸上からの重慶攻略の先鞭として、同市に徹底的な戦略爆撃を行った(重慶爆撃)。この爆撃は日本軍の精密爆撃技術が未熟だったこともあり、多数の民間人が巻き添えを食らった。この重慶爆撃と日本の中国侵略に猛烈な反対声明を出したのは、何を隠そう、当時英領インド帝国でガンジーと共に独立運動を展開していたネルー(のちのインド初代首相)で、その要旨は「同じアジア人である日本が、同じアジア人(中国)を侵略し爆撃するのは反対」という、至極まっとうな見解であった。つまり日本は、アメリカとの戦争の際「アジア解放」を掲げていたが、それよりさらに前の段階で、同じアジア人に対し攻撃を加えていたのであった。よって多くのアジア地域では日本の戦争大義「アジア解放」は、美辞麗句で空疎なものと映った。満州事変と日中戦争の延長線上に太平洋戦争があるわけだが、日本は対米開戦の時点で「アジア解放」とは真逆のことを平然と行っていた「アジア解放」を謳いながら、片方で同じアジア人である中国を侵略するのは完全な矛盾アジア解放」という戦争大義は、それ以前から重大な自己矛盾を内包しており、当時のアジアにおける独立運動家からも日本の中国大陸侵略は「アジア解放とは真逆のもの」として批判の対象になっていたのである。この事実を、戦後の右派は全く無視している。これは歴史修正主義と言わなければならない当たり前のことだが、片方で「アジア解放」と謳っておきながら、片方で同じアジア人を侵略しているという事実から目を背けないと、「日本のアジア解放という大義」の理屈は成立しえないからである
あの大戦争の全てを東條英機氏に全部擦り付けるのはどうかと思う。国のために戦うことを決意した日本人です。批判されそうだが私は東條英機氏を批判することは出来ないです。誰かがやらなきゃいけない、決断しなきゃいけない状態だったんだ。当時を知らない私に東條英機氏を批判する権限はない。さぞかし無念だったと思う。
同感。誰かが責任を負わなきゃいけない。近衛文麿は服毒自殺・・・。天皇陛下に責任が問われる前に言い訳をせず、刑に服した東条さん・・・。
@@marietadano3813 そう思う。銃殺ならまだ同じ軍人としての彼に対するリスペクトがあった。最後まで個人の尊厳を奪うような罪人としての絞首刑は許し難い。
東條英機が歴史上の表舞台に出たのは総理になるほんの5年程度の間でそれまでは軍人というより官僚であった人物なんだよなと。
どうしても「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」を思い出してしまいます。特に言ってた本人が「虜囚の辱めを受けて」裁判を受け、処刑されてるんですから。
元々、東條は、特に好戦的でなく、逆に軍を抑える意味もあって総理大臣に就任したらしいが、時代の流れと軍部の力を抑える事はできず、その責任を取った形になった。
>東條は、特に好戦的でなくそれは建前上であって、一旦戦争が始まってしまえば東條はどう見ても戦争推進派でしたから。
@@えっさほいさ田村 根拠を述べる前にこちらが聞きたいが、何処に明らかになんて書いてあります?(笑)
@@えっさほいさ田村 面倒くせぇ奴だな。東條英機が戦争推進派である根拠。●東條は関東軍時代は憲兵司令官、参謀長として板垣征四郎などと企んで満州でケシを大規模栽培し、麻薬の阿片を満州、中国で大量に密売。巨額のカネを儲けて陸軍主戦派の秘密資金にした。 ●関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣と一貫してして中国大陸侵略を促進、太平洋戦争の主因を作った。 ●第三次近衛内閣では、近衛文麿は山本五十六などの影響もあり平和路線を摸索していた。悪化する日米関係を見すえて日本の針路を決めるにあたり、近衛の考えを知っていた海軍大臣は「総理に一任」と。近衛「私に任されたら支那からは撤退。アメリカとは関係調整」と答えた。 東條陸軍大臣は激怒、「中国からは絶対撤退しない。アメリカとは戦争する」と強烈な横槍を入れた。そして会議のあと、東條は近衛のところへ二度も使いを送り、「この件では陸軍はこれ以上話し合うつもりはない」とトドメを刺した。これだけの事実があっても東條が戦争否定派だったとでも?貴方は東條の以下の発言を知らないのですか?「勤皇には広義と狭義の二種がある。 狭義では君命これに従い、和平せよとの勅命があれば直ちに従う。 しかし広義では、国家永遠のことを考え、たとえ勅命があってもまず天皇に忠告し、聞かれなければ陛下を強制しても所信を断行する。 私は後者を取る」実に不勉強ですね。
@@えっさほいさ田村 今必死に東條を擁護する内容を考えているんですね。無知はこれだから困るなあ。本当に笑わせてくれる。
あーあ、削除して逃げちゃったか。一番やっちゃダメやつだな。
この方もユダヤ人を助けた事を忘れてはならない。
そうでしたね。満洲でだったかな。
@@しおん-f8b5e そうです。満洲です
@@さかたろう-f2y 記憶が確かでした
でも、自国民は守れなかった模様
確かにええことも伝えなあかん!
東條英機は二番手なら優秀
すんごいメモ魔で、しかも細かかったらしいね。ちょっとのことも根に持つし。でもそれでも国民の生活には思いを馳せていたようで、各家庭のゴミ箱を開けては十分な食事を取れているかなどを自らチェックし、気持ち悪がられてもいたと。
典型的な霞が関役人
そうなんですよ。石田三成と同じで大将には不向き。部下としては一流なんですよ。
参謀向きの人なんだね
@@西村公志-l4c まんまそんな感じ(笑)
金谷の授業のおかげでこの人好きになったわ
大東亜(東アジア)戦争なのになんで真珠湾?マリアナ諸島?ガダルカナル?と昔から不思議に思ってた。最近ようやく知ることができた。当時の東条英機首相の名誉にかけて言う。真珠湾奇襲を知った日、布団に座して海軍の愚行に泣いた。こういう書き込みをすること自体が供養になると気が付いた。
勝てば官軍 裁判なんか茶番だし いまだに戦勝国が常任理事国として 世界に権力を誇示している
敵が古今無双の英雄だっただけ。って言いたいとこだが、戦勝国が正義。勝てば官軍はまさにその通りのことが起きてるんだよね
@@oeigaoi4798 結局は勝てば何でもありの世界観になるんです🪖
時代が時代だったから悪者になったけど、今の時代に政治家をやってたらさぞかし日本のために仕事をしてくれる志の高い人だったんだろう。あの時代、だれが首相をやっててもおそらく先の大戦コースを逃れるのは相当難しかったことと思う
山本五十六なら可能性はあったかもですねあの人は戦争に負けることを予感してたんで。米国のことを間近で知った上で戦争拒否を最初してましたから
うん、東條じゃなくても同じ結果だったと思う。この時代の人達が今の政治家を見ると血管ブチ切れそうだね
@@RyoMr-r1s 自ら勝てないと言ってる人間に戦争を任せて勝てるわけがない。
@@plexdoghouse それはその時点での対アメリカ戦を想定したもの。この人は戦争とか戦術なら本当に強いただアメリカと日本では国土や生産性の差が激し過ぎてそれを見て来た山本は無理って思ってただからあの時代第二次世界大戦前に山本を首相にしたら何とか戦争コースは回避できたかもしれない天皇の暴走がなければね? あの時代天皇は神だから言うことには従わないといけない。誰であれ
@@RyoMr-r1s予感では無くて、アメリカと日本の国力を良く理解しておられていた為、アメリカに勝てない事が解っていたので、最後までアメリカとの戦争には反対されていたのです。
負けたから一気に東條批判につながったけど、どんな有能な人が首相になっても日本じゃ英米相手に勝てんわ
ヒント 石原莞爾
@@山田太郎-y7f5k 確かにめちゃくちゃ有能だけど、史実より有利な状況が長引くだけで結局同じように負ける気がする有利な状況で講和しようとしても、とてもアメリカ側が応じるとは思えない
@@山田太郎-y7f5k 悔しいけど長引けば物資の差で負ける
何を言う。大日本帝国は最強である。負けることなど、敵国の密偵の行動など、穢らわしい欧米由来の方法で裏から工作されたためであり、正しく礼儀を重んじた方法ならば勝てた。海ゆかばなどを聞いて、愛国心をもっと持つように。
@@アンユー大日本帝国万歳 お薬増やしときますね☺
東條閣下は普通に中将として前線指揮とかしてた方が良かったと思う
あの人は指揮官に向いていない。経理や人事を統括する分野であったら遺憾なくその才を発揮できたであろう。
そもそも軍人ではなくて、帝大を出て文官になったほうが良かったと思うよ。
@@あかしんく 旧陸軍は血気盛んすぎよね
@@natu3791venefit まぁ文官域を脱しないよね。将軍ではない。
石原莞爾がどんな戦略を立てるつもりだったのかが気になる
JKエロエロ大作戦だろ。あいつスケベだから。
石原莞爾は弁が立つから、アメリカ側は厄介と思い戦犯扱いしなかっただけです。石原莞爾自身は、『満洲事変は俺の芸術だ。部下だった武藤章と松井石根に何がわかる。俺を裁け』というような証言を残してます。石原莞爾は絶対防空圏であるサイパンなどを要塞化し、アメリカの兵站を延びさせて何年も持ち堪えるようにする戦略を考えていたようです。確かアメリカの記者にそう答えてます。
動画の内容が正確かどうか、右か左かというのはさておき、日本人が近代の日本史について考えるキッカケになったのはRUclipsの偉業のひとつだな。ほら、こんなにコメント欄で熱い議論が交わされてる!
東條閣下を始め、英霊の皆様に感謝
戦犯を英霊とは草
@@akibanokitune その戦犯が居なかったら日本は植民地になってた訳ですね
@@akibanokitune アトミックソルジャーって知ってるかな?それやってたアメリカの方がよっぽど国際法とか戦争犯罪とかに触れてるぞ。
@@akibanokitune 自国の先人を自虐的に戦犯と呼ぶ日教組教育に洗脳されてしまったかのようなコメントで草東京裁判がどのような裁判だったか純粋な日本人なら、よく調べたほうが良いよ。
@@tn3898 敗戦からサンフランシスコ講和条約が発効するまでの間は、GHQに占領されていた(実質アメリカ合衆国の植民地)ことを忘れないで下さい。植民地から早期に独立を回復できたのは、日本が朝鮮戦争の前線基地に適していた地政学上の幸運によるものです。沖縄だけは地政学の不幸で更に米国の占領が続いたのですが。
現在も夜中に巣鴨プリズン刑場跡の東池袋中央公園に軍服を着た東条英機によく似た軍人を見かけるらしいです。
こんな時代に生きた気の毒な話。戦争犠牲者の1人だね。ご冥福をお祈りいたします。南無阿弥陀仏
空襲、原爆で民間人を何十万と殺しても無罪な時点でこんな裁判茶番だわ
確実な人権、生存権の侵害です
日本が先に無差別爆撃してるから当時相手が先に破ったらこちらも破っていいという暗黙の了解がありました 相手は国際法を破って戦っているのにこちらだけ律儀に国際法を守る道理はないから当たり前です日本の無差別爆撃である重慶爆撃で中国の民間人が多数亡くなったのでアメリカの空襲や原爆の理由の一つになりました後、当時の日本は国民全員「戦闘員」であると法律で決められていたため殺して問題ありません
アメリカは大規模な空襲をするときは事前にいつどこで爆弾を落とすかが載った予告ビラを配っていました それを見ると処罰すると言ったのは大本営であり、そのために被害が甚大になりました
@@ポップコーン-q8n ( ゚Д゚)ハァ?
@@zagumuchi1471 それもアメリカのプロパガンダですよwwww
極東軍事裁判とかいうただの見せしめ裁判でも何でもない
ただの勝者の歴史の作り上げるための裁判ですからね(>_
まあそりゃそうなるんだよな敗戦国だから
じゃあどうやって日本の戦争犯罪を裁けばよかったんだ? そもそも受け入れたのは日本政府
@@zagumuchi1471どうしても戦争犯罪を裁きたいならww2の中立国(スイス、スウェーデン、チベットなど)だけで行うべきであり、連合国枢軸国同様に裁かれるべきだろうなというかそもそも敗戦国に裁判を受け入れないという選択肢なんてないだろw
戦争の責任を負わされたところにはすごく同情するが、対米交渉を踏まえ、近衛が中国からの撤兵要請を行ったが、断固拒否していたと読んだことがある。当時すでに日中戦争で10万人の戦死者を出していたので、相当困難だったことはわかるが、対米戦となったら日本の滅亡になることを考えれば、英断して欲しかった。
英断してたら日本はどうなってたんでしょうね?
そりゃムリだ。アメリカはなんとしても日本と戦争したかったんだから、何がなんでも戦争に持っていったろう。
東條でも撤兵は無理だっただろう。英断すると暗殺されていたかもしれない。そんな時代だった。東條といえども陸軍や右翼を完全に抑えられるとは思えない。しかし東條が首相になったときには、もはや日米開戦は回避できないところまできていた。それを承知で引き受けたと思う。
@@0902133 そうだな。なんなら関東軍が都合よく暴走してくれたのもアメリカにとっては嬉しいだろうな。
ハルノートには、日本軍は大陸から撤兵するのにあたり、期日は明記されていなかったのたがら、撤兵しているように見せかけて、いつまでも大陸から離れないという方法もあった。
私は戦後教育を受け、東條氏について、悪の権現であるかのように習い、本当にひどい教育だったと思います。この動画には、東京裁判の際の東條氏の素晴らしい姿が描かれていていいと思いました。絞首台に向かう際、東條氏は付き添いの米兵に対し、「お世話になった。ありがとう。ありがとう。」と話したそうです。できればその部分も描いてほしかったと思いました。
心の気高さと為政者としてのやらかしは別問題でしょう。感謝できる良い人だとしても、政治家として悪の権化というのはそのとおり
もう抵抗できる状況ではないから、諦めて丸くなってるだけやろ。別に良い人間な訳ちゃうわ。
東條さんのやったこととか人事とか調べてみるといいよ。結構ひどいから。
厨二病は卒業した方がいいよ
殉国七士廟の清掃奉仕と慰霊祭はしっかり行っている!
戦争ってのは殺し合いなんだから負けたら「死」は当たり前つまり戦争はしたら駄目って事
戦争を止める能力がなかったため、絞首刑という辱めを受けた。勝てると思ってなかったでしょう。
ヨーロッパ戦線で活躍した日系人で編成した442連隊の話を作って欲しい‼️
凡将の東條は当時の日本人らしくしか戦えなかった源義経しかり石原莞爾を活かせなかった日本の悪習は古今共に許せない
石原莞爾正しいことを言うな。ホンマすげー人
軍部の力をつけさせ、国際的に反感を買う様な行動を計画し、実行した人物をスゲェで片付けるのは良くないと思うがな。未来を見ていたが、その先にはソ連を連合を利用して叩き、その後に連合と敵対とかいう素晴らしい総力戦を想定した人ですよ。
すげー人には同意だが正しいことを言ったかは別の問題
@@カステラ-d1z 世界最終戦論だね。アメリカ、欧州、ソ連、亜細亜の4つの場所のどこかが世界の覇権を手にするとした考え方だっけ?
今からでも遅くはない。東京裁判は正しい裁判ではなかったと政府は主張すべき。
戦争をして負ければ、負けた国が悪となってしまうのが戦争です。残念ながら正しい裁判は望めません…。
戦後のGHQの教育で東條さんは悪者の様に語られているが、彼は純粋に国を守る為に戦った偉人だったんだよね。日本を意図的に国際連盟から追放し、戦争以外の選択肢を与えない様にした当時の英米の方がよっぽど罪深い。
それな。
追い込ませて窮地に追いやり挙げ句の果てに最後の選択肢を突きつけた側が原因でした!!。
@@ポップコーン-q8n ハル・ノートですね。
歴史は勝者によって記される、ですね
@@yuk9693 勝てば何でもありで盛っていたり膨張している部分が否定できません。邪魔者は排除すればいなくなる訳ですから。証言する者も勿論減りますので
アメリカ人はこれをWinner's Justice、勝者による正義という。つまり、裁判の結果は米軍が勝った時点で決まっていた。
アメリカは人道に対する罪を問うたが、アメリカの人道に対する罪は日本の100倍以上。
@@rasiraka305 20世紀の前半を除いて、日本の長い歴史においては日本人が他国を占領しようとした件はたったの三つです。いつもどこかに喧嘩を挑んでいる米国とは大違いですね。
やはり連合国は穢らわしい。断交して恨みを晴らすべし。
@@アンユー大日本帝国万歳 少なくとも、沖縄辺りで軍施設にされた地方を返して欲しいですね。日本の主権侵害ですから。
広島長崎への原爆投下を人道上の罪と指摘できる政治家を選出できるように有権者は精進しなければなりません。
日本史の授業ではほとんどやらなかった記憶。だからむしろ「漫画 日本の歴史」や祖父母の話(戦地へ行ってた・爆撃を生で受けた 等)で学んだイメージかな。あとはNHKのドキュメンタリー番組
やり直し系の本に、現在ハマっている…。出来れば、この人にも、人生のやり直しが出来ればなぁ…。アホな妄想ですが…
やり直し系の本っていうのがとても気になります。要は、記憶の書き換えみたいな感じでしょうか?もしよろしければ本を紹介していただけませんか?私もとても興味があります(╹◡╹)
@@igooujin9821 さんティアムーン帝国物語、本好きの下剋上です。
@@ロールキャベツ-x1z さん、ありがとうございます😊読んでみます✨✨
東條さん、お疲れ様でした。今まで悪者と決めつけていて申し訳ありませんでした。戦争の時代、よくぞ戦い抜いてくださいました。
遺言も残してます。ぜひ探してみて下さい
何言ってんの?東條は精神論のみで国民を縛り上げた大悪党ですが。
こういうのを今の学生に教えて欲しい。
それが出来ないのが現状なのが悲しいですね
自分を含め少数ではあるが知っている人も増えています
【悲報】ネトウヨ、社会で結果を出せない奴は何の価値も意味もないと分からない
自分も学生なのでそう感じます
義務教育と高校の授業では第2次世界大戦のところ他と比べあまり深く掘り下げられることなく終わって日本国、東條等が極悪党みたいな印象あったけど歳をとってちゃんとそこら辺を勉強すると必ずしも絶対悪では無かったのだと認識した。縄文〜江戸くらいまで勉強する必要はないとは言わないが近代の歴史を最も学ぶべきではないかとこの歳になって思う
東條英機さん 戦争に負けたから悪名をおった人、第2次世界大戦 大日本帝国が勝利していれば英雄ですね
東條氏さえいなければと言う人がいるがもし、いなくても結果は変わらないと思う。開戦に向けて動き出した歯車は一人の意思でどうこうなるものではない。一切の弁解をせずに受け入れたって事はすべてを背負うって意思だと思うので責任の取り方としては立派だと思う。
まぁ原因は軍部にあるから仕方ないのかもしれない。ただ山下将軍などの優秀な人間を使わなかったあたりなどは批判されるべきなのかもしれない。
ねーよ。牟田口廉也並の愚将だろ。短期決戦前提だったのにダラダラ長期化させたんやから愚将も良いところ。守るべき民を犠牲にしてるんだから手段と目的を履き違えとる
勝っていたならば立場は反対に。戦争に負けるとはこんな結果になるのです。樺太千島列島及び台湾、朝鮮半島、満洲国を失うことも。
東條の最期に的を絞った動画なので仕方ないかもしれませんが、戦争末期の詳しい政治状況をほとんど学習しない生徒たちにしてみれば…「1944年(昭和19年) 7月 東條内閣 総辞職…」そしてその直後にすぐ「8月15日に終戦」という話だと、終戦の “年” について誤解を招くかもしれませんね。終戦は1年あとの1945年(昭和20年)のことですから。なので、細かいようですが「8月15日に終戦」の所には あえて「1945年(昭和20年)」とつけるべきだと思います。
東條英機が辞めたあと、小磯国昭と鈴木貫太郎が総理大臣を務めてますね。
ホント無責任な奴だなあと
死刑にしないで その当時の 何かをつづった本や 論文を 書かせて欲しかったな そして それが 太平洋戦争とは何だったのか?悪かった時代も 今後の 戦争を知らない子供たちや道徳や 教育で 今の時代に おいて 無駄にせずに 活かして欲しかったですね
指導者なんだから当然結果責任が問われる一生懸命頑張ったからそれでいいじゃん、じゃダメなんだよ処刑に際しての些末なエピソードなんてどーうでもいい
トップが責任取るのは当たり前。しかし、それが分かっていない奴の何て多いことか。
今日、初めて三ヶ根山山頂にある、殉国七士廟に行って来ました三ヶ根山スカイラインが古びてて草がボーボでさびれました残念です
東條さんの、辞世の句好き
東條英機を最初に知ったのは小4の時に読んだ週刊マンガ日本史だったなぁ。
敗戦後も日本の名誉の為に戦い抜いて下さった事に感謝致します。閣下の名誉と正義は必ず歴史が証明してくださる時が来るでしょう。その為に未来を生きる我々日本人が殉国七士の方々や全ての御英霊に対して恥じぬ生き方と国作りをするよう恩返しできるよう努力し生きてまいります。
永田鉄山が生きていれば東條さんはこんな上までには行ってない。ほんで読んだことがありますが奥さんが佐官まで行けばいいとおっしゃっているのは読んだことがありますね。
近衛内閣の後始末を任されて貧乏くじを引かされながらも最後まで頑張った1人の忠実な軍人
近衛内閣の尻拭いって側面もあるけど、対米戦争の布石は黄禍論とか、日露戦争から熟成され始めた国民世論とか、腐敗した政治体制とか色々あるんだよなぁ。
いやあ、東條同情もクソもないです。
人格が優れているとか、時機が悪かったとか色々な声があるが、戦時下の指導者としては無能であることが最大の罪。
@@あっきーさん-r8tおっしゃる通り。どんだけ人間性がひどくてもちゃんと仕事するチャーチルみたいな奴がトップに立つべきだった
東條さんは首相以外何やらせても優秀なんだよな。
どちらかと言うと官僚向きでしたね。
@@あかさたま-u9i 当時は官僚だらけです犬飼毅が殺されてからはほとんど官僚あがりの政治家だらけでした官僚に高等政治を求めるのは無理がありますね。
@@cozyA 犬養では?
あ、間違えたw
東条を美化するコメントが見られるが、とても恐ろしい。戦争を知らない世代になったとつくづく実感する。
A級戦犯4人が執行前に万歳三唱したのはエモい
人類の歴史とは戦争の勝者が作り続けてきたもの。歴史の教科書に出てくるのは戦争に勝った英雄と、負けて犯罪者の烙印を押された者のどちらか。
現上皇様の誕生日に刑を執行した当時のアメリカって恐ろしい!今はだいぶ変わったけど…。
何が上皇様だよw役立たずの差別の象徴ジジイだろw宅配ボックス買うたらええやん。
自決をした時に日本人の見舞いは少なく、アメリカ高官が見舞いに来て天皇陛下が悪かったように裁判で言うように誘導されたと思うと、虚しかっただろうなぁと勝手に思っちゃった。でも当時の日本陸軍の在り方には軽蔑すら感じる自分がいて複雑。
私は今63歳ですが皆さんのコメントを読んで今の歴史教育は全然なって居ないんだなと思いました。私が小中学生の頃は、大正生まれの亡き両親をはじめ、学校の先生方きんじょのお爺ちゃんお祖母ちゃん、社会人になってからは会社の上司や先輩方に戦争経験者軍隊経験者たちが山ほどいらっしゃて、こういった方々が近現代史の先生といっても過言でないほどでした、近所のお爺さんからはシベリア抑留の体験談や空襲体験の話や、それに東条英機総理大臣の部下だった方からお話をたくさん聞けました。中学校2年生の時の社会科歴史の先生は2.26事件の時埼玉県南西部の今でいう小学校5年生だったそうですが、社会科の授業で当時の事を話してくださいました。さぞみんな緊張していたんだろうなと思って聞いたんですが、なんとラヂオで東京が大変なことになっているといっているのに皆そんなのどこ吹く風で,俺たち子どもは甘酒飲んで朝から校庭で雪合戦、おとなたちは普通に仕事に行ってかえってきてみんなでお酒を飲んでどんちゃン騒ぎだったんだよ。20キロぐらいしか離れていない永田町とか霞が関では戒厳令が敷かれちゃって皇軍あいまみゆといった状態だったのに20キロぐらいしか離れていない先生たちの近所では呑気なもんだったんだよと話してくださいました。今こういう話をできる人は皆無でしょうね。そういう意味じゃ私の世代は恵まれていたんでしょうね。欲しがりません勝つまでは、とか兵隊さんは命がけ私たちはたすき掛けという言葉もたくさん聞きましたもん。特に子供の頃わがまま言って亡き両親におこられたときに。
愚か者め。
何が言いたいのかさっぱりわかない文章ですね。
戦争をやるからには勝たねばならない。最低でも引き分けに持って行く。それが、戦争指導者の責務。そのために、いかなる国民の犠牲も強いる権力を持つ。決して戦争に負けてはならない。
第二次世界大戦の裏側はありがたい
行動はどうあれ良き人物だった。今の日本は戦時中の人々のように愛国心があり助け合いを心がけ他人の肉体、精神を傷つけない良き民族であってほしい。
良き人物だった?それを死んだ軍人や国民の前でも言えるのか?その綺麗な言葉の下に、どれだけの屍があることなのか。
@@ちっちきちー-w3t 確かにそうかもしれない。ただトップであったから良いとは言えない
@@ちっちきちー-w3t そもそも、ルーズベルトは、戦争をしたがっていた。しかし、公約があり、自分からは開戦できなかったので、ハルノートをつきつけて日本に開戦を迫った。ハルノートを見ると分かるが、米国の要求をのんだところで、石油など、日本が望むものは輸出解禁するとは一言も書いてない。すなわち、日本の一方的な譲渡が要求してあった。中国から日本が撤兵して、日本は石油やゴムが輸入できなければ、外国から戦争を仕掛けられれば、一方的に占領されるだけ。現実として、日ソ不可侵条約をソ連は一方的に破って攻めてきた。仮に戦争にならなくても、1000万人を越える失業者が発生して、とても日本人は生活できない。そんな状況で軍部を抑えることなど、誰も出来ない。東條には当時は統帥権がなかったからね。東條は昭和天皇の意向に沿い、米国との会戦を避けようと、譲歩に譲歩を重ねた。しかし、米英蘭は日本の対外資産をすべて差し押さえ、ガソリンや石油の日本への輸出を禁止した。さらにハルノートが米国から突きつけられ、「この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えないようである。」と思い、外交的交渉を打ち切った。戦後、ダグラス・マッカーサーを証人とした米国上院の軍事外交共同委員会においてマッカーサーはこのように証言している。「日本は産品がほとんど何もありません、蚕(絹産業)を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)の必要に迫られてのことでした。」すなわち、東條でなくても開戦せざるを得なかったし、仮に何らかの強権を以て開戦しなくても、日本人は経済的にも軍事的にも追いつめられて生きる術はなかったと言うことだ。
ハルノートの解説をしてあげましょう。ハル·ノートには日本が武力による支配 政策を直ちに中止することを条件に、【最恵国待遇、 及び通商障壁低減の措置に基く日米通商条約の締結、 資金凍結令の廃止、円弟為替の安定、原料物資の無差別待遇原則の支持】等、日本の経済発展に"有利に利用し得べきものが含まれていました。 客観的に見ても"不平等なものでも"最後通告でもありません。 日本がハルノートを最後通告とみなしたのは、日本の軍事的に極東を支配したいという譲れない要求(乙案) を一切否定するものだったからです。そもそも日本が経済的に厳しくなったのは、極東へ侵略したために国連より発動されたABCD包囲網の実施、 石油などの全ての重要資源の禁輪、対日資産凍結などの経済制裁をされた後からです。 日本が国連から経済制裁を発動される前より、日本は極東で武力による侵略政策を実行しています。 つまり日本が極東へ侵略したのは、国連による経済制裁で日本経済が破綻するのを阻止するためものではありません。侵略の責任を連合諸国に押し付けるのは見当違いもいいとこです。 無知も基だしい。しかし、ハルノートは、日本が現状困っている資源や経済的に米国に望むほとんど全部のものを与えることを明確に提議していますし、このプログラムに従えば、日本は 【必要とする原料を自由に入手すること、通商貿易の自由、財政的協力と援助、日本資産凍結令撤回、 米国と新しい通商条約を交渉する機会を与えられる】といった、上記に記述した対日経済制裁の全てを破棄し、平等に経済協力していこうというものです。 日本はこれを受け入れなかったのだから、日本の本当の狙いは“極東へ侵略して軍事的にも、外交的にもフリーハンドを握ろう”という事であり、資源獲得の優先順位はその次であったという考察が成立します。 以上。
その他人には全ての人類が含まれていて欲しい。
東條はなんとも言えない人だよな
良いとも悪いとも言えない。でも結構誤解された人物かもしれない。
@@共和国-n5k 最初は『東洋のヒトラー』と聞いたからどんな人かと思ったら勤勉で生まれた時が悪かった残念な人だなと思う
YS11の開発リーダーであった東條輝雄氏の性格からしてそんなに悪い人物ではなかったと思う。
私も本で読むと、とにかく真面目で几帳面な人だという印象で、ここに登場する石原氏のほうがやや口汚い言葉で言えば「鼻持ちならない天才肌」に対して特別な才能等がなく、努力で自身の立場を築いたという印象ですね。…ただ粘着質なところがあって気に入らない人間わ最前線に送ったり左遷させるなどがあって、自身の得た力(権力)を上手く使えなかった…ひいては身近にサポートしてくる人間がいなかったのが不幸だったのでは?と思っています。
東條英機の戦陣訓(敵に降伏することを許さず)のせいで、死ななくてもよい兵士や民間人が何百万人も死んだ。
同感、靖国に祀られるのに相応しくないのは明らか。
この方の人生ってなんだったんだろう……戦争したくなかったのに仕方なくやるハメになり、挙句敗戦からの絞首刑。これこそ、トップのあり方を考えさせられてしまいますよね(−_−;)
担ぎ上げられたって思った方がいいかもですね。なまじ事務能力が高かった為、抜擢されたと。
@@voclee2791 戦争したくない人を担ぎ上げる当時の方々が何を考えてたのか……って問いになる気がしますね( ̄▽ ̄;)
東條は元々、近衛内閣で陸軍大臣だった時は日米開戦派でした。しかし首相に担ぎ上げられてから、昭和天皇の意思を忠実に実行しようとして、反対派の「立場になった」というのが本当の所でしょう。現に、総力戦研究所で「日本必敗」という結果を握り潰したそうですから。戦争したくなかったのに仕方なくやるハメになった、というのは山本五十六だったと思いますよ (^_^)
@@masahiro5513 僕も当初はそう思ってました。ただ。これを見てもそれは言えますか?ruclips.net/video/EvDlpwWz9Ag/видео.html開戦時の東條英機によるスピーチです。めっちゃため息つきそうでつけない立場が、苦しく感じ取れました。違ってたらこの場を借りて謝りますよ。でも、そう見えて仕方ないので。
東京裁判。起訴が4月29日。巣鴨プリズンでの執行が12月23日、午前0時1分。GHQの凄まじい憎悪を感じる。
ためになる
東京裁判の時に精神病んでますのアピールの為に他の被告に東条殴られたのに穏やかなの可愛いよね。
地元の大先輩が、御無礼いたしました。すみません。😅犬猿の仲の人もほぼほぼ地元です。
東條の1番の問題はリーダーとして無能だったってことでしょ。自分より優秀な人間は重要ポジションに就かせない。合理性に欠け、人情や精神論を重んじる。トップがこんな人間で戦争に勝てるわけがない。
確かに本当のリーダーってのは、1番有能な奴でなく、自分より有能な人間を上手く使う人のことですね。
東條はアメリカと戦争しても死ぬ運命だし戦争を回避しても皇道派に殺される。一夕会に加盟したのが運の尽きだった。
満州から中国侵略に突き進んで行った日本の軍国主義は東条英機の責任ではなかったが、東条英機ばかり責任を押し付けられた感はある。
東條英機様ご冥福をお祈りします
東條英機さんには確かに戦争に関する責任がある。しかしそれは連合国から戦犯として追求される類の責任ではなく、大日本帝国天皇並びに臣民に対して負うべき敗戦の責任である。死刑になるにしても日本人によって裁かれ敗戦の責任を負って刑死すべきだった。
こういう動画にコメントする人詳しすぎて毎回お勉強になるw
小磯国昭と鈴木貫太郎総理大臣のこともあげてほしいです。
東條の父はたしか盛岡出身。昭和はじめに東北飢饉もあった。その十数年前には首都を中心とする大地震。災害や飢饉が度重なり、それが戦争に向かわせたのだろうか。
日本の教科書で戦争、日本軍の歴史は載せる方がいいと思うけど現在の教育委員会がかなり腐ってるからな。あと、教科書の新しいヤツが作られるらしいけどあの池上彰が監修するってよ。
池上彰監修って事はもっと酷い教科書になるのだろうか😢
@@ike4131 池上は学者じゃなく だたのジャーナリストしかも中国より、それをわかってる教育委員会も、あとは分かるな
石原莞爾って天才だけど理想を掲げて現実離れした考えが多い人でしょ満州国だってアメリカの介入する口実を与える結果になったしせめてアメリカに満州の何かしらの利益を分けてあげれば共存出来たものを
満洲の利権を日本が独占しようとするから、アメリカが怒ったんだな。そもそも日露戦争の時アメリカが日本に肩入れしたのも、満洲の利権が欲しかったからだったんに。
理由はどうあれ 世界から植民地が無くなるのを早めた当時の日本国首相。アジアの植民地だったとこには 英雄視されてもいい思う。
日本が負けたお陰 結果論だからなー日本が勝ってたら日本の植民地
極東裁判など事後法による連合国の茶番であるが、東條が絞首刑になって死んだのは64歳だったんだなと初めて知った。2022年からみると若いなあ。
東條さんの奥さんやお子さんは大変なご苦労をされたようですがとても優しく親切で丁寧だったと当時近所に住んでおり挨拶をする仲だった祖母が言っておりました。東條さんも近所の子供に懐かれており、動物を大切にするごく普通の優しい方だったと。私は史学科出身ですが大東亜戦争が始まった時の首相は東條英機でしたが、そこまでの道のりを作ったのは近衛文麿だと思っています。
東条英機は兵営で食事の時部下達が気を遣って兵隊達よりおかずが3品程多かった時断固として特別扱いを断り兵隊達と同じ食事を取る指揮官として皆と公平にと言う指揮官としての心根があった人らしいですね。
エピソードありがとうございます。
↑この話は、中国の古い兵法書に載っている話によく似ています。内容はうる覚えですが確か“将軍は戦争が始まると、1番下の兵士と同じ麦飯を食べていた”と言う内容です。ご参考までに。
兵士には自決を強いたのに…?結局自分の見えている範囲の身内にやさしいだけで、指揮官としては落第だよ
@@山田タロウ-s7b何も知らなくて🌱アンタが平和な日本に住んでられるのも東条さんのおかげなのに🤭カンボジアとか他所行けよ
自分が学校で歴史の授業を受けた時、昭和初期から戦後あたりは時間切れで充分勉強出来なかったんだよな。こういう動画はありがたい。
むしろ本来はそのあたりって一番重点を置いて勉強しなければいけないはずなのに…
どうでもいいと言っちゃダメだろうが、その場所さえ不確実な邪馬台国あたりは一生懸命覚えるのに、伊弉諾から始まる神話についてはからきし知らない。
大正時代以降の経済政策や軍部の台頭、戦後の復興に関しても、日本人ならもっと知っておかなければならない。
敢えて近代史に触れないように義務教育の授業は進むようです。私の時も近代史は授業をした記憶がありません。 仮に授業を受けたとしても日教組に洗脳された教員が授業をするので自虐史観を植え付けられておしまいです。 逆にここで真っ新な状態で学べて良かったのではないかと思います。
という事は
①指導要領や教科書の記述の改善
②日本史の古代・中世編と近代・現代編を科目において分離
この2つを実施すれば多少は改善されるという事❓
@@2key646 様 ①は仰る通りです。②に関しては歴史は続きものですから分離しないべきです。大東亜戦争(本来太平洋戦争は大東亜戦争が正しい呼称です。GHQの指示で太平洋戦争に統一されています。なのでこの呼び名自体が嘘です)
もそうなったいきさつを遡ればペリー来航まで遡らないとなりません。
また学校教科書は中国に忖度しないといけないようで、授業では黄河文明の時代は日本はまだ狩猟をおこなっていたことになっていますが、
黄河文明は嘘なのです。漢字が中国から伝わったのも嘘。もともと日本は「神代文字」というカタカナの起源の文字をもっており後に漢字を生み出しているのです。
黄河文明があったとされるエリアで発掘されたのは白人の骨だったのです。それ以前に長江文明があったそうですがそこから発掘された骨は倭人(日本人)だったそうです。
東条英機辞世の句 意味 私は逝くけれど、また再びこの土地に帰って来る。この国への恩返しが足りていないから。 とのことです。東条英機は教科書には出てきません。この句を読んで、考えてみてください。
この国への恩返し、か。
まさに最期まで『忠義』に生きた人だったんだな。
東条さんは必ず日本の一部となって働くエネルギーとして存在されるでしょうね。多分それはもうはたらいているのかもしれません。日本はなぜか助かってることは数知れない。我々こそ東条さんはじめ彼らに報いる存在にならなければ。日本人の集合意識に加担する存在として一人一人責任があります。意識から軋轢という偽物につき動かされるのではなく、外に出すのではなく、自分の意識内で消滅させないといけません。
七生報国か。
出てきます!
歴代首相の運転手を務めた人物は
「今までの首相の中で東条英機が一番礼儀正しかった。」と言ったらしい…
@昌信NHKから国民を守る党 大橋 騙されてるやついてワロタ www
@お前、料理人だろ? そう思うのは仕方ないけど、当時の日本が個人の一存で動くものではなかったことは知っておいた方がいいと思う。
@お前、料理人だろ? 君の短絡的な思想には呆れ以外なにもありませんね。
もっと、歴史や勉学、道徳等に勤しむ必要がありますね
@お前、料理人だろ?
そこまで言うのならば、
あなたが当時の日本を導く指導者の立場だったら戦争を回避できるのですか?
戦わなくて済むのならば苦労はしません。
もっと広い視野で歴史を勉強し直してください。
そうでないと社会で恥をかきますよ。
もっとも、
多くの犠牲者出して敗戦した以上、責任者は落とし前をつけるべきですけど。
散々日本を破壊し貶めてきた現代の政治屋は何の落とし前もつけません。
そちらを責めるべきです。
@@田野海 さん、自分もそう思います。その事で少しずつ真実が見えて来ると思います。そして本当の答えが少しずつですが、見えてくると思います。
東條英機氏も関東軍の司令官時代にナチスから逃れてきたユダヤ人を助けた一人です。
特に好戦的な人物でなく、武闘派でなく、どちらかというと学者肌(父親は戦史の権威)のような人物だったらしい。
司令官時代も、規律を守らせる事(現地の人に横暴なふるまいをさせない)に力を注いだと聞いた事もある。
東條英機が絞首刑になりました
仰る通りオトポール事件と呼ばれています。直接関わったのは樋口季一郎氏ですが満州鉄道総裁、松岡洋輔氏から東条英機氏へと伝達され人種差別撤廃並びに人道的配慮からドイツの反対を無視、直ちにユダヤ人避難民を受け入れる様に命令が行われました。
@@user-nj5ce9dq3e >東條は、特に好戦的でなく
それは建前上であって、一旦戦争が始まってしまえば東條はどう見ても
戦争推進派ですが。
@@user-nj5ce9dq3e フランクフルト学派によってその矛盾が指摘されています。
「権威主義的パーソナリティ」というものです。冷静に狂っていくのです。
東條の座右の銘は「努力即権威」という最悪をきわめるものでした。
東條英機は東京裁判で死刑を告げられた後に一礼するところがすげー印象に残ってる
「アザーッス」
@@sabaosama1100 コンチャース
ゾス
実は大変な猫好きで、戦時中、家で飼ってた猫の一日の様子を毎日電話で事細かに聞いていたらしい。🐈
悲惨な戦況からの現実逃避
国民が飯も食えないのに、猫飼うなんてコイツが一番非国民。最悪の政治家。
今現在、私は日本で日本人として何不自由なく生活出来ているのは先人のご苦労があったお陰だと思っています、ただただ感謝するのみ。
関係ない
@@釣人だよお前がなwまじで日本の恥だね😂お前な関係ないかwww
こいつのせいで先人はたくさん死んだぞ
GHQのおかげだろ
小学校のころ歴史に興味を持ってこの戦争を学んだ。
正直東條さんのことは日本を戦争一色に染めた大罪人だというふうに教わった。
情けない。
この人はちゃんと、ちゃんと国を守るために動いていたんだよな、結果はそぐわなくとも、国を守るため頑張ってくれた1人の人間として本当に今は尊敬しています。安らかに。
判断を間違えたのは近衛文麿です。有名なエピソードとして、山本五十六長官に、勝てるかと聞いたら、長官は、半年や1年は暴れるが、その後は分からない、という言い方をした。これは1年以内に講和に持ち込みたいという気にさせるし、山本長官の真珠湾攻撃も、一気に戦線拡大してから後の計画が無く、総合的に言って真珠湾攻撃はやるべきではなかったという説が増えてます。また、近衛の側近の尾崎秀実はソ連のスパイで、日ソ中立条約を結んで、対米英戦争に向かいます。
もっともルーズベルト側近のハリー・ホワイトも大物スパイ。
昭和天皇は、対米英戦争不可避かと心配され、最後の頼みとして東条首相を指名されました。
このあたりは、諸説ありますが、226事件前に、陸軍の逸材、永田鉄山が惨殺されたため、
陸軍のトップに(永田を慕う)東条がつき、石原莞爾を左遷します。
石原莞爾も優秀ですが、生真面目な東条と、天才肌の石原は性格的に仲が悪かった。
東条英機処刑は、大元帥昭和天皇に責任が無いとするため、誰かが悪者にならなかったということです。
東条英機の遺族は大変ご苦労されます。
東条英機は、周囲の者には心遣いをするエピソードが多いですが、日本のリーダーとしては
残念ながら足りないと言われます。
しかし、現代政治家に比べれば、常在戦場の真剣さは凄いですね。
付言すれば、山本長官の上司で海軍のトップ、永野修身なども、不審な死を遂げています。
A級戦犯とは平和に対する罪であり、構成要件が極めてあいまいです。
余裕で大罪人だが?
総力戦研究所第一期生の入所から3か月余りが経過した1941年7月12日。2代目所長飯村穣(陸軍中将)は研究生に対し、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)計画を発表。同日、研究生たちによる演習用の青国(日本)模擬内閣も組織された。
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。
この机上演習の研究結果と講評は8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相近衛文麿や陸相東條英機以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。
研究会閉会に当たって東條は、参列者の意見として以下のように述べたという。
諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。日露戰争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。(表記は現代式に改め)
対米英開戦3ヶ月前のことであった。
コイツの前では近衛とかハナクソやろ。
なにしろ、敗戦で焚書坑儒はありましたし、中野学校や頭山満、児玉誉士夫といった、現代日本人には理解できない勢力もありますし、
陸軍の統制派あるいは対ソビエト警戒派でしょうか、不勉強で総力戦研究所なるものを知りません。
対米英開戦3ヶ月前ということは、通説では対米英戦争不可避とされるフランス領南インドシナ進出の後ということですね。
因みに(ハリー・ホワイトが工作した)ハル・ノートは公式には11月26日。
日本は原油と鉄スクラップの6割をアメリカからの輸入に依存していましたから、
経済封鎖されると、マレーの原油その他を緊急入手せざるを得ず、山下大将は真珠湾攻撃より先に動いています。
近衛内閣は、第一次が1937年6月で、盧溝橋事件の一か月前です。
日本は日本固有の災害である1923年の関東大震災と金融恐慌で疲弊した後で、
アメリカの反動不況である世界恐慌に見舞われていますが、
首都壊滅の後、復興と国防を両立させるため、永田鉄山を中心に、戦線を広げず、満州、朝鮮の重工業化の統制経済が策定され、岸信介の構想は不明ながら、満州方面の陸軍に官僚として支援している。
盧溝橋事件の前後の処理が出来なくなっているほど、日本の中枢に求心力がないですね。
そこがヒトラー政権とは違う。
英領インドから、アメリカ、英国が蒋介石支援の動きを強め、また、ヒトラーも西部戦線の資金稼ぎに蔣介石と商売をしており、
日本は、対ソビエトの北進論と、対蒋介石の南進論で議論の末、援蔣ラインをバックに蔣介石が日本を南進に
引きずり込みます。
満州の油田は日本に不運なことに戦後発見されるので、日中戦争の間も、経済封鎖を非常に不安に思ってはいただろうけども、第一次近衛内閣が、盧溝橋事件と、不拡大に尽力した証拠が分からないので
対米英戦争を回避できたとすれば、第一次近衛内閣の英米との交渉しだいだったと思います。
しかし近衛上奏文を見るかぎり、尾崎秀実とゾルゲに騙されて、ルーズベルトの陰謀を含め、
南進論の先を予見できていないように思います。
東条内閣は1941年10月で、首相となってしまえば、陸軍も海軍も内閣の命令には素直に従わないので、
一か月後の真珠湾攻撃に、東条首相は無力を嘆き、近衛文麿は逮捕前に自殺します。
ルーズベルトは特需のため戦争を欲し、チャーチルはアメリカの支援を欲している構図は間違いないと思います。
当時の日本は遅れた帝国軍であることを米国は擁護してました。ヨーロッパに米国が説得を試みていたところに、中国への侵略で、米国のメンツは丸潰れです。
帝国軍であることを考慮されていたのに、日本政府はそれが理解できなかったわけですから、日本政府の能力不足です。
@@腋ノ下腋乃わきのん さん
林千勝氏の著作、【日米開戦陸軍の勝算「秋丸機関」の最終報告書】によれば、
総力戦研究所の机上演習は、若い研究生達の教育・訓練を目的として実施されたものであり、その内容は訓練の域を脱しておらず、
当時秘密裏に組織された本格的な研究機関「陸軍省戦争経済研究班(通称:秋丸機関)」の研究報告書に比べ戦略性が欠如していると紹介されています。
(当然ながら東条はこの秘密研究機関の存在を知っており、東条が参列者に述べた意見は若い研究生への親心のような𠮟咤激励の言動のようです)
ちなみに、陸軍省戦争経済研究班長の秋丸次郎大佐が総力戦研究所の講義を行っていた人物のようです。
また林氏の著作に【近衛文麿 野望と挫折】もありますが、近衛がハナクソなどとは到底思えない程の恐ろしい人物です。
関心があれば是非お読み頂きたいですね。
東京裁判って、捕虜にゴボウのお味噌汁を出した日本兵が、木の皮を食わせたって言われて死刑だかになったとかあったよね。
木の根っこ
と聞いたことがあります。
針治療をしたら、体に針を刺されたと言うアメリカ兵もいたらしい・・・
腰が痛くなってお灸をしたら虐待とも
日本:よし、捕虜は長距離だけど歩こうね(てか俺らも歩くんだけど。まぁこれくらい当たり前だし)
米軍「捕虜の扱い酷い、犠牲者いっぱい出た!」
日本:えぇ…
日本も過去に満州国という日本の傀儡国家を作ってな
勝てば官軍負ければ賊軍とはまさにこの事…
日本 ,a hard working national,destroyed by people like 東倏英機;⋯⋯but rebuilt by many of her citizens!
歴史は勝者が創る。
@@puffdaddy6462 それは嘘や塗り替えも可能です。
@@ポップコーン-q8n 仰る通りですね。
ゆーて、日本の戦争が侵略戦争だったというのを否定できるのか?
東條英機の評価は石原莞爾の評価が一番的を射ていると思う。
「東條には思想も意見も無い」ってのが。
つまり、誰でも東條英機の立場になれば、凡人は皆そうなったであろうという事。
この人、多分、当時の普通の日本人だよ。
凡人とはずいぶん評価が高いですね。
同感
優秀な高級官僚だったのかな
その評価は石原のある意味外道さを考えると理解できるな。
石原と言う男は結局”自分が一番”な人物であり、自分と意見が違えば昭和帝すら貶してたろうからなw。
戦略家としては超一流なんだろうけど、それも某金髪の小僧の言葉を借りれば『あくまで石器時代のな』としか思えん。
結局、近現代の軍隊では使えん異才でしか無かったんだろww。
東條の事は批判的なのかどうかは今でも疑問です。ただ先先帝である昭和天皇への忠義心や国を誰よりも案じていたことや家族達への愛情心などは本物でした。それ故、最近評価を改めて良い方向ヘ行っているのは確かです。
何万という国民が死んでいる。
"良い評価"など、そもそも必要ない。
戦陣訓∥生きて捕囚の恥ずかしめを、受けることなかれ。∥これさえなかったら必要以上に自決する人はいなかったに違いない。これが∥たとい捕囚になろうとも日本男児の誇りを失うことなかれ‼️∥となっていたら良かった。東條英機彼は戦陣訓故に多くの若者の命を失わせてしまった。恨まれるとしたらそこかもしれない。
@@将多郎 虜囚ですね。
戦陣訓についてはむしろ東條が被害者。
構文の都合上、自決命令と読むには無理がある。しかし陸軍省の支持もあって当時から誤解釈が広まっていた模様。
格式にこだわり誤解を招いた東條にも非はあるが、80年後も誤解が解けずに叩かれるのは理不尽な話だと思う
@@ちっちきちー-w3t
何万という国民が死んでいても、評価されている人たちもいる。要は勝てば官軍ってことだと思うな
「東条英機は、個人としては素晴らしい人だ。官僚としても素晴らしい人だ。だが政治家としては、全然ダメだ。」(セバス=チャンドラ=ボース。インド独立運動の志士)
ほぉ、その言葉は初めて知ったが、うまいこと言っているなw
この人と石田三成ってどうもイメージが合うんだよね^^;
時流にマジメで歴史上悪者扱いでね。
確かにそういう人は政治家には向かないな。
東條英機も戦争の被害者😅
予言通り今アメリカにも仏法が広まっています(^^)
僕の東条への印象は立派な軍人 ダメな政治家
@@黒田清隆-y7h さんへ。より詳細に言えば、「東條英機は、立派な平時向きの軍人。政治家・戦時の軍人としてはダメダメ」ですよ。
平時向きの軍司令官と戦時向きの軍司令官は、必要とされる資質が違います。前者に必要なのは、上下左右の意向に対する忖度力であり、ダーティーハリーやあぶない刑事を絶対やらない優良公務員的な人物であること。後者に必要なのは、上下左右の意向に忖度せず、「勝てば良かろうなのだァァァァッ!!」とイイ意味でのD.ハリーやあぶない刑事を平気でやる人物であることです。東条英機は明らかに前者のタイプです。
@@花神-h1o そうなんだ。いい情報を有難う。
親類に海軍上層の人間がいたが、東条さんは人間味あり、ユーモア豊かな方だった。家族や近隣の方々にも優しく、子供が坊主頭をペチペチすると、大声で笑ったと。
死刑執行時に失禁した話を聞いたような…それゆえのことだろうが
それはヤクザの親分も同じですよ。
@@キンペー猫
首吊りで自死したりすると身体中の穴から体液やら屎尿などが出てしまうそうです。
おそらく絞首刑も同様かと…。
美化は本当にやめるべき。
あの人のせいで何万人の尊き命が失われたということは変わらない。東條は天皇を盾として権力に耽溺した犯罪者に過ぎない。
広島の悲劇も、GHQの統治も、全て護国の名を冠して、誤った権力を振り回した軍部が招いたもの。二度と同じようなことを繰り返してはならない。二度と日本を戦場となすようなことが起きてはならない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。敗者が戦争の全責任を負わされているだけである。
この人の再分析再評価を行うべきです。
なにをいっとるか、石原莞爾将軍を追い込んで日本を焦土にさせたき○が○ぞ。原子爆弾がおとされたのにまだ日本は神国である。といってたくそたわけだぞ。
この動画は偏見もなく事実を述べているのがとても良いですね
ありがとうございます。
偏見があると思いますが?
大東亜戦争を東條さんがはじめた・・・みたいな動画のはじまりは違和感です。
@@西村公志-l4c
全てではないですがはじめたのは総理大臣の東条ですよ。彼の満州赴任時代、近衛内閣内での陸軍大臣不協和時代から始まっていますよ。
元凶の東条を総理大臣にして昭和天皇から諭してもらえば戦争止められると考えましたがもう遅かったということです。
@@derio1467いいえ。たまたま大東亜戦争の開始時期の総理大臣が東条さんであっただけです。
東條さんが「戦争します」と決めたわけじゃありません。
日本の総理大臣1人の意思では戦争出来ない仕組みになってます。
アメリカやドイツとは違います。
@@西村公志-l4c 東条1人の意思で決めたなんて誰も言っていませんよ。戦争に突入する元凶の1人が東条であったということです。
@@西村公志-l4c 様
私も同意致します。
戦争回避出来なかったことを天皇陛下へお詫びされてます。
勝てば官軍の典型的な歴史的な出来事ですね!歴史は勝った方の都合で創られますね
世界に汚点を残した恥ずべき人
こういう大人にはなりたくない
ほう、じゃサリンを使って国家転覆を狙った麻原が政権を担えば官軍になれるかの様な理屈ですな
官軍になるにはなれるだけの要素があってナチスの手先になった日本が官軍となって勝てる要素何て最初からないんだよ
負け犬と一緒に遠吠えしてんの草
@@akibanokitune 何を言う。
大日本帝国はナチスのような差別と偏見にまみれた穢らわしい欧米の国や、搾取と差別を繰り返す鬼畜米英とは違い、アジアの解放と真の平和の確立を目指した最高の国である。
もっと愛国心を持つように。
@@アンユー大日本帝国万歳 愛国心を持つのは良いことだがアジア解放とかいうウリナラファンタジー広めるのはどうかと思う
東條氏は陸軍強硬派を抑えるほどのカリスマ性はなかったし粛清する冷酷さもなかったプーチンや習近平とは違う全く普通の善良な市民でしかなかったのに責任者になってしまったことが不幸なのだろう。
このままの戦況なら元首含めて国民をアメリカ様の奴隷にする状況に追い込むことになるという認識対する冷酷さはあったよね拳銃で頭を狙わないでアリバイ作りの急所狙いとか狡猾さはあるし
戦後も生きてた陸軍の元将校は東条英機を悪者にして、自分たちは何食わぬ顔で生活していた。
海軍は南雲忠一で同じ事をして、死人に口なしを地で行った。
戦後の戦犯差別は酷かったよ。将校クラスの元軍人なら尚更。だから死刑にならずとも快適な暮らしなどはできなかっただろう。
米国に魂を売った奴らは快適な生活、反発した奴らは戦犯扱いw
@@SIGMA-M
そうですかね
金銭的な面では優遇されていた 占領が終わり 軍人に恩給が支給されるようになると 軍歴が長い職業軍人の恩給はそれなりのものであった
遺族である奥さんが悠々自適で暮らせるような金額でしたよ
南雲忠一は同情の余地ないだろ。
サイパンでこの人が何を言ったか知らないのか?。
元々、少しオカシイ人だったと思うよ。それは、当時を知る元将校達の証言から伺いしれる。
最初の東條英機が酒酌み交わしてニコニコはちゃうなー。泣きながら昭和天皇に開戦させて申し訳ありませんと、謝ってましたよ。
最近その手の事いうやつ増えたけど、泣きながら謝ったって言うソース教えて。親族が口で喋ったことは、史実じゃないからね
@@play-rt1su 歴史を勉強しろ
開戦の肉声があるけど、とても喜んでいるようには思えなかったよ。
回避したかったが、苦渋の決断で戦争せざるをえない、と言ってた。
この人も時代が違ければ、ただの人だった。
お前も時代が違えば、偉人だった。
官僚とかなら、また評価は違ったと思う。
それを言うなら昭和元年前後に生まれてしまったが為に18歳から22歳ぐらいの若者は特攻隊で死んでいった…この4年間の間から少しでもズレて生まれていたら…いつ生まれるかで運命は決まる😭
1000万年前ならただのおサルさんだった
時代が違えば祖父のクラスメートが全て特攻隊になり帰らぬ人になる事も無かったな(祖父のみ生き残った)。
東南アジアの植民地解放
ユダヤ人の救助をしていてるけど、それらは他国から連合国に何にも無かったのだろうか…
何もなかったんだろうね。あったという記録は残っていない。
ユダヤ人を助けた樋口季一郎に関しては、ソ連は樋口を戦犯としてソ連に引き渡すよう要求した。しかし、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会が、大恩人の樋口を守るために米国防総省を動かして、米国は樋口の引き渡しを拒絶した。結果、樋口は長生きした。東條は樋口の上司であり、オトポール事件では樋口の盾となって、樋口をかばい、再三にわたってドイツから抗議をされても「人道上の配慮は当然」とはねつけていた。陰でユダヤ人を助けた東條は、戦犯になった。おそらく、ユダヤ人も当時はそのことを知らなのか、東條が余りにも大物だったので助けきれなかったんだろうね。
東南アジアの開放は建前であって本音は資源の確保だからね 比較的親日と言われるインドネシアでも反日感情が強い地域がある
@@びんらでぃんウサマ
建前でもあるけど事実でもあるよ
本当に建前だけなら植民地の国民に軍事訓練を行ったりはしないでしょ?
インドネシアの半日から強いのは戦後に「再教育」があったからだよ
誰が再教育したかって?そんなもん官軍に決まってるよね
おまけにインドネシアは昔も今も華僑が牛耳ってるわけだし
@@mochimaki1366
日本がどれだけインドネシアにやったか知ってるのか?
・インドネシアの民族旗や、民族歌 「インドネシア·ラヤ」 禁止
・結社や集会、政治に関する言論、行動および民族旗使用の禁止
・厳しい規律の日本式の軍政や皇民化が施され、飢鐘を招いた籾の強制供出、 ロームシャと呼ばれる重労働を課せる
・国際連合の報告では、日本軍占領中の飢鐘と強制労働によってインドネシアでは約400万人が死亡させる
・ジャワ島の森林ではチークなどの樹木が大量に伐採されて森林破壊を招く
・石炭を運搬するためのサケティ-バヤ鉄道が建設された。1日に動員される労務者は最大55,000人、最小25,000人で、逃亡者は1日400人から500人にのぼった。工事現場には湿地帯や山岳部ジャングルが含まれていてマラリアや風土病もあり、1万人の犠牲者が出たとされる
・生産が増加しない中で軍票や通貨が発行されたためにインフレを招き、3年半で4000%まで上昇した インドネシアの経済は崩壊
*米の増産は失敗し、それにも関わらず大量の米を日本軍が徴発したため、インドネシア各地で食料不足が起きた
・1944年から1945年にかけて、ジャワでは約240万人が食料不足で死亡させる
*インドネシアでは少女が慰安所に連行され、 ジャワ島から船でタイや昭南島(シンガポール)に送られる者もいた
なんで75年前の大日本帝国のプロパガンダに騙されてるんだ
太平洋戦争はアジア解放のための戦いであった」という主張は本当に正しい歴史認識なのだろうか
アメリカは日本が太平洋方面に領土的野心を持つとことさら警戒し、くず鉄や原油の輸出等に厳重な規制を設けた。当時、鉄や原油のほぼすべてをアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、アメリカの経済制裁は死活問題であった。しかし、「アメリカの経済制裁が気にくわないから」という理由だけでは対米開戦としての大義は弱いので、日本は対米開戦にあたり「アジア解放(大東亜戦争)」をスローガンに掲げた
特にアメリカと持久戦になった場合、アメリカやイギリスからの資源輸入が完全に断絶することを念頭に置いた資源地帯の確保であった。南方地帯には、大規模で良質な油田(パレンバン、バリクパパン=蘭印=現インドネシア)があり、さらに航空機や戦車の生産に欠かせないゴムやボーキサイト等の天然資源があった。
「アジア解放」の真の目的とは、これら資源地帯の制圧であり、これらの地帯から算出される重要資源を日本にピストン輸送して生産力を増強し、対米持久戦に備える(―実際にはアメリカ軍潜水艦等の通商破壊によって瓦解した)という、実際には日本の利益だけを考えた作戦行動であった。しかし「対米決戦のための資源の確保」では大義名分として弱いから、日本の戦争大義はあくまで「アジア解放のための戦い」をスローガンとした。このスローガンを真に受けたのが、先に述べた「太平洋戦争(―彼らは大東亜戦争と呼称する)はアジア解放のための戦いであった」とする戦後右派の主張
では、実際に日本の「アジア解放」の実態はどのようであったのかというと、その作戦行動は大本営の予想をはるかに上回る短期間で大成功を収めた。日本軍は、英領マレーを嚆矢として、蘭印、フィリピン、ビルマ等を次々といとも簡単に制圧した。これらの地域は、例外を除いて実践経験のない現地植民地軍が駐屯しており、1937年の日中戦争から実戦を積んだ日本陸軍の部隊の前に簡単に降伏してしまった。特にイギリスの圧政に苦しんだビルマでは、当初日本軍は植民地支配からの解放軍として迎えられた側面があることは事実。
しかし実を言うと、当時アメリカの自治国であったフィリピン(フィリピンコモンウェルス=フィリピン独立
準備政府はアメリカ議会からすでに1945年の独立(フィリピンコモンウェルス成立から十年後)を約束されており、日本軍の侵攻による「アジア解放」というスローガンは全く無意味として映った
よって南方作戦で日本軍に占領されたフィリピンでは、そもそも日本の戦争大義が受け入れられず、またアメリカの庇護下のもと自由と民主主義、そして部分的には日本より高い国民所得を謳歌していたフィリピン人は、日本の占領統治に懐疑的で、すぐさまゲリラ的抵抗や抗日活動が起こった。これは華僑の多いシンガポール(日本は同地を占領後、昭南島と改名)でも同様で、日本の戦争スローガンに同意せず、激しい地下抵抗運動が盛り上がった。オランダに数世紀にわたって植民地支配されていた蘭印(インドネシア)でも、その実態は島嶼や地域ごとに強固な部族社会が形成されており、日本軍の占領統治に懐疑的な地域も多く存在したこともまた事実 西洋諸国は資源を買い取ったが日本は買わずにそのまま本国に横流し
大東亜会議」が開催され、日本の戦争大義である「アジア解放」がいかに正しいのかが内外に喧伝されることになった。ところが、これはあくまで日本を頂点とした傀儡国家の野合に過ぎず、実際には日本は、資源地帯の要であるインドネシア、マレーについては最後まで独立を許すことはなかった。なぜかといえば、前述したとおりこれらの地域では、石油やゴム、ボーキサイトなどの戦略上重要物資が産出されるためで、勝手に独立されては資源を意のままに採掘することができないため、最後まで日本はこの地域の独立を認めなかったのである。
「アジア解放」と謳っておきながら、最も重要な地域は独立させず、最後まで日本の直轄地域とするというのは完全な矛盾であるが、このような矛盾を見ない事にして、日本の戦争大義「アジア解放」は展開されたのであった。これが日本の掲げた戦争大義の偽らざる実相である。
大義名分は、実のところ1941年12月8日の真珠湾攻撃をきっかけとする対米開戦以前から大きな矛盾を抱えていた
満州国は「五族協和=日本人、満州人、モンゴル人、朝鮮人、漢民族」による理想の独立国とされたが、実態には完全な日本の傀儡国家で、国際社会からは承認されず、よって日本はこれを不服として1933年に国際連盟から脱退した。
つづく1937年、盧溝橋事件を端緒として日中戦争が勃発すると、日本軍は中華民国(蒋介石の国民党)の首都である南京を占領した。これにより蒋介石が首都を捨てて奥地の重慶に撤退すると、日本軍は陸上からの重慶攻略の先鞭として、同市に徹底的な戦略爆撃を行った(重慶爆撃)。この爆撃は日本軍の精密爆撃技術が未熟だったこともあり、多数の民間人が巻き添えを食らった。
この重慶爆撃と日本の中国侵略に猛烈な反対声明を出したのは、何を隠そう、当時英領インド帝国でガンジーと共に独立運動を展開していたネルー(のちのインド初代首相)で、その要旨は「同じアジア人である日本が、同じアジア人(中国)を侵略し爆撃するのは反対」という、至極まっとうな見解であった。
つまり日本は、アメリカとの戦争の際「アジア解放」を掲げていたが、それよりさらに前の段階で、同じアジア人に対し攻撃を加えていたのであった。よって多くのアジア地域では日本の戦争大義「アジア解放」は、美辞麗句で空疎なものと映った。満州事変と日中戦争の延長線上に太平洋戦争があるわけだが、日本は対米開戦の時点で「アジア解放」とは真逆のことを平然と行っていた
「アジア解放」を謳いながら、片方で同じアジア人である中国を侵略するのは完全な矛盾
アジア解放」という戦争大義は、それ以前から重大な自己矛盾を内包しており、当時のアジアにおける独立運動家からも日本の中国大陸侵略は「アジア解放とは真逆のもの」として批判の対象になっていたのである。この事実を、戦後の右派は全く無視している。これは歴史修正主義と言わなければならない
当たり前のことだが、片方で「アジア解放」と謳っておきながら、片方で同じアジア人を侵略しているという事実から目を背けないと、「日本のアジア解放という大義」の理屈は成立しえないからである
あの大戦争の全てを東條英機氏に全部擦り付けるのはどうかと思う。
国のために戦うことを決意した日本人です。批判されそうだが私は東條英機氏を批判することは出来ないです。誰かがやらなきゃいけない、決断しなきゃいけない状態だったんだ。
当時を知らない私に東條英機氏を批判する権限はない。さぞかし無念だったと思う。
同感。誰かが責任を負わなきゃいけない。近衛文麿は服毒自殺・・・。
天皇陛下に責任が問われる前に言い訳をせず、刑に服した東条さん・・・。
@@marietadano3813 そう思う。銃殺ならまだ同じ軍人としての彼に対するリスペクトがあった。最後まで個人の尊厳を奪うような罪人としての絞首刑は許し難い。
東條英機が歴史上の表舞台に出たのは総理になるほんの5年程度の間でそれまでは軍人というより官僚であった人物なんだよなと。
どうしても「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」を思い出してしまいます。特に言ってた本人が「虜囚の辱めを受けて」裁判を受け、処刑されてるんですから。
元々、東條は、特に好戦的でなく、逆に軍を抑える意味もあって総理大臣に就任したらしいが、時代の流れと軍部の力を抑える事はできず、その責任を取った形になった。
>東條は、特に好戦的でなく
それは建前上であって、一旦戦争が始まってしまえば東條はどう見ても
戦争推進派でしたから。
@@えっさほいさ田村 根拠を述べる前にこちらが聞きたいが、何処に明らかになんて書いてあります?(笑)
@@えっさほいさ田村 面倒くせぇ奴だな。
東條英機が戦争推進派である根拠。
●東條は関東軍時代は憲兵司令官、参謀長として板垣征四郎などと企んで満州でケシを大規模栽培し、麻薬の阿片を満州、中国で大量に密売。巨額のカネを儲けて陸軍主戦派の秘密資金にした。
●関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣と一貫してして中国大陸侵略を促進、太平洋戦争の主因を作った。
●第三次近衛内閣では、近衛文麿は山本五十六などの影響もあり平和路線を摸索していた。悪化する日米関係を見すえて日本の針路を決めるにあたり、近衛の考えを知っていた海軍大臣は「総理に一任」と。近衛「私に任されたら支那からは撤退。アメリカとは関係調整」と答えた。 東條陸軍大臣は激怒、「中国からは絶対撤退しない。アメリカとは戦争する」と強烈な横槍を入れた。そして会議のあと、東條は近衛のところへ二度も使いを送り、「この件では陸軍はこれ以上話し合うつもりはない」とトドメを刺した。
これだけの事実があっても東條が戦争否定派だったとでも?
貴方は東條の以下の発言を知らないのですか?
「勤皇には広義と狭義の二種がある。 狭義では君命これに従い、和平せよとの勅命があれば直ちに従う。 しかし広義では、国家永遠のことを考え、たとえ勅命があってもまず天皇に忠告し、聞かれなければ陛下を強制しても所信を断行する。 私は後者を取る」
実に不勉強ですね。
@@えっさほいさ田村 今必死に東條を擁護する内容を考えているんですね。
無知はこれだから困るなあ。
本当に笑わせてくれる。
あーあ、削除して逃げちゃったか。
一番やっちゃダメやつだな。
この方もユダヤ人を助けた事を忘れてはならない。
そうでしたね。満洲でだったかな。
@@しおん-f8b5e そうです。満洲です
@@さかたろう-f2y 記憶が確かでした
でも、自国民は守れなかった模様
確かにええことも伝えなあかん!
東條英機は二番手なら優秀
すんごいメモ魔で、しかも細かかったらしいね。
ちょっとのことも根に持つし。
でもそれでも国民の生活には思いを馳せていたようで、各家庭のゴミ箱を開けては十分な食事を取れているかなどを自らチェックし、気持ち悪がられてもいたと。
典型的な霞が関役人
そうなんですよ。石田三成と同じで大将には不向き。
部下としては一流なんですよ。
参謀向きの人なんだね
@@西村公志-l4c まんまそんな感じ(笑)
金谷の授業のおかげでこの人好きになったわ
大東亜(東アジア)戦争なのになんで真珠湾?マリアナ諸島?ガダルカナル?と昔から不思議に思ってた。
最近ようやく知ることができた。
当時の東条英機首相の名誉にかけて言う。真珠湾奇襲を知った日、布団に座して海軍の愚行に泣いた。
こういう書き込みをすること自体が供養になると気が付いた。
勝てば官軍 裁判なんか茶番だし いまだに戦勝国が常任理事国として 世界に権力を誇示している
敵が古今無双の英雄だっただけ。って言いたいとこだが、戦勝国が正義。勝てば官軍はまさにその通りのことが起きてるんだよね
@@oeigaoi4798 結局は勝てば何でもありの世界観になるんです🪖
時代が時代だったから悪者になったけど、今の時代に政治家をやってたらさぞかし日本のために仕事をしてくれる志の高い人だったんだろう。
あの時代、だれが首相をやっててもおそらく先の大戦コースを逃れるのは相当難しかったことと思う
山本五十六なら可能性はあったかもですね
あの人は戦争に負けることを予感してたんで。
米国のことを間近で知った上で戦争拒否を最初してましたから
うん、東條じゃなくても同じ結果だったと思う。
この時代の人達が今の政治家を見ると血管ブチ切れそうだね
@@RyoMr-r1s 自ら勝てないと言ってる人間に戦争を任せて勝てるわけがない。
@@plexdoghouse それはその時点での対アメリカ戦を想定したもの。この人は戦争とか戦術なら本当に強い
ただアメリカと日本では国土や生産性の差が激し過ぎてそれを見て来た山本は無理って思ってた
だからあの時代第二次世界大戦前に山本を首相にしたら何とか戦争コースは回避できたかもしれない
天皇の暴走がなければね? あの時代天皇は神だから言うことには従わないといけない。誰であれ
@@RyoMr-r1s
予感では無くて、アメリカと日本の国力を良く理解しておられていた為、アメリカに勝てない事が解っていたので、最後までアメリカとの戦争には反対されていたのです。
負けたから一気に東條批判につながったけど、どんな有能な人が首相になっても日本じゃ英米相手に勝てんわ
ヒント 石原莞爾
@@山田太郎-y7f5k 確かにめちゃくちゃ有能だけど、史実より有利な状況が長引くだけで結局同じように負ける気がする
有利な状況で講和しようとしても、とてもアメリカ側が応じるとは思えない
@@山田太郎-y7f5k
悔しいけど長引けば物資の差で負ける
何を言う。大日本帝国は最強である。
負けることなど、敵国の密偵の行動など、穢らわしい欧米由来の方法で裏から工作されたためであり、正しく礼儀を重んじた方法ならば勝てた。
海ゆかばなどを聞いて、愛国心をもっと持つように。
@@アンユー大日本帝国万歳 お薬増やしときますね☺
東條閣下は普通に中将として
前線指揮とかしてた方が良かったと
思う
あの人は指揮官に向いていない。
経理や人事を統括する分野であったら遺憾なくその才を発揮できたであろう。
そもそも軍人ではなくて、帝大を出て文官になったほうが良かったと思うよ。
@@あかしんく 旧陸軍は血気盛んすぎよね
@@natu3791venefit
まぁ文官域を脱しないよね。
将軍ではない。
石原莞爾がどんな戦略を立てるつもりだったのかが気になる
JKエロエロ大作戦だろ。あいつスケベだから。
石原莞爾は弁が立つから、アメリカ側は厄介と思い戦犯扱いしなかっただけです。
石原莞爾自身は、『満洲事変は俺の芸術だ。部下だった武藤章と松井石根に何がわかる。俺を裁け』というような証言を残してます。
石原莞爾は絶対防空圏であるサイパンなどを要塞化し、アメリカの兵站を延びさせて何年も持ち堪えるようにする戦略を考えていたようです。確かアメリカの記者にそう答えてます。
動画の内容が正確かどうか、右か左かというのはさておき、日本人が近代の日本史について考えるキッカケになったのはRUclipsの偉業のひとつだな。
ほら、こんなにコメント欄で熱い議論が交わされてる!
東條閣下を始め、英霊の皆様に感謝
戦犯を英霊とは草
@@akibanokitune その戦犯が居なかったら日本は植民地になってた訳ですね
@@akibanokitune
アトミックソルジャーって知ってるかな?それやってたアメリカの方がよっぽど国際法とか戦争犯罪とかに触れてるぞ。
@@akibanokitune
自国の先人を自虐的に戦犯と呼ぶ
日教組教育に洗脳されてしまったかのようなコメントで草
東京裁判がどのような裁判だったか純粋な日本人なら、よく調べたほうが良いよ。
@@tn3898 敗戦からサンフランシスコ講和条約が発効するまでの間は、GHQに占領されていた(実質アメリカ合衆国の植民地)ことを忘れないで下さい。植民地から早期に独立を回復できたのは、日本が朝鮮戦争の前線基地に適していた地政学上の幸運によるものです。沖縄だけは地政学の不幸で更に米国の占領が続いたのですが。
現在も夜中に巣鴨プリズン刑場跡の東池袋中央公園に軍服を着た東条英機によく似た軍人を見かけるらしいです。
こんな時代に生きた気の毒な話。戦争犠牲者の1人だね。ご冥福をお祈りいたします。
南無阿弥陀仏
空襲、原爆で民間人を何十万と殺しても無罪な時点でこんな裁判茶番だわ
確実な人権、生存権の侵害です
日本が先に無差別爆撃してるから
当時相手が先に破ったらこちらも破っていいという暗黙の了解がありました 相手は国際法を破って戦っているのにこちらだけ律儀に国際法を守る道理はないから当たり前です
日本の無差別爆撃である重慶爆撃で中国の民間人が多数亡くなったのでアメリカの空襲や原爆の理由の一つになりました
後、当時の日本は国民全員「戦闘員」であると法律で決められていたため殺して問題ありません
アメリカは大規模な空襲をするときは事前にいつどこで爆弾を落とすかが載った予告ビラを配っていました それを見ると処罰すると言ったのは大本営であり、そのために被害が甚大になりました
@@ポップコーン-q8n ( ゚Д゚)ハァ?
@@zagumuchi1471 それもアメリカのプロパガンダですよwwww
極東軍事裁判とかいうただの見せしめ
裁判でも何でもない
ただの勝者の歴史の作り上げるための裁判ですからね(>_
まあそりゃそうなるんだよな敗戦国だから
じゃあどうやって日本の戦争犯罪を裁けばよかったんだ? そもそも受け入れたのは日本政府
@@zagumuchi1471
どうしても戦争犯罪を裁きたいならww2の中立国(スイス、スウェーデン、チベットなど)だけで行うべきであり、連合国枢軸国同様に裁かれるべきだろうな
というかそもそも敗戦国に裁判を受け入れないという選択肢なんてないだろw
戦争の責任を負わされたところにはすごく同情するが、対米交渉を踏まえ、近衛が中国からの撤兵要請を行ったが、断固拒否していたと読んだことがある。当時すでに日中戦争で10万人の戦死者を出していたので、相当困難だったことはわかるが、対米戦となったら日本の滅亡になることを考えれば、英断して欲しかった。
英断してたら日本はどうなってたんでしょうね?
そりゃムリだ。アメリカはなんとしても日本と戦争したかったんだから、何がなんでも戦争に持っていったろう。
東條でも撤兵は無理だっただろう。英断すると暗殺されていたかもしれない。そんな時代だった。東條といえども陸軍や右翼を完全に抑えられるとは思えない。しかし東條が首相になったときには、もはや日米開戦は回避できないところまできていた。それを承知で引き受けたと思う。
@@0902133 そうだな。なんなら関東軍が都合よく暴走してくれたのもアメリカにとっては嬉しいだろうな。
ハルノートには、日本軍は大陸から撤兵するのにあたり、期日は明記されていなかったのたがら、撤兵しているように見せかけて、いつまでも大陸から離れないという方法もあった。
私は戦後教育を受け、東條氏について、悪の権現であるかのように習い、本当にひどい教育だったと思います。この動画には、東京裁判の際の東條氏の素晴らしい姿が描かれていていいと思いました。絞首台に向かう際、東條氏は付き添いの米兵に対し、「お世話になった。ありがとう。ありがとう。」と話したそうです。できればその部分も描いてほしかったと思いました。
心の気高さと為政者としてのやらかしは別問題でしょう。
感謝できる良い人だとしても、政治家として悪の権化というのはそのとおり
もう抵抗できる状況ではないから、諦めて丸くなってるだけやろ。
別に良い人間な訳ちゃうわ。
東條さんのやったこととか人事とか調べてみるといいよ。結構ひどいから。
厨二病は卒業した方がいいよ
殉国七士廟の清掃奉仕と慰霊祭はしっかり行っている!
戦争ってのは殺し合いなんだから負けたら「死」は当たり前
つまり戦争はしたら駄目って事
戦争を止める能力がなかったため、絞首刑という辱めを受けた。勝てると思ってなかったでしょう。
ヨーロッパ戦線で活躍した日系人で編成した442連隊の話を作って欲しい‼️
凡将の東條は当時の日本人らしくしか戦えなかった
源義経しかり石原莞爾を活かせなかった日本の悪習は古今共に許せない
石原莞爾正しいことを言うな。
ホンマすげー人
軍部の力をつけさせ、国際的に反感を買う様な行動を計画し、実行した人物をスゲェで片付けるのは良くないと思うがな。未来を見ていたが、その先にはソ連を連合を利用して叩き、その後に連合と敵対とかいう素晴らしい総力戦を想定した人ですよ。
すげー人には同意だが正しいことを言ったかは別の問題
@@カステラ-d1z
世界最終戦論だね。アメリカ、欧州、ソ連、亜細亜の4つの場所のどこかが世界の覇権を手にするとした考え方だっけ?
今からでも遅くはない。東京裁判は正しい裁判ではなかったと政府は主張すべき。
戦争をして負ければ、負けた国が悪となってしまうのが戦争です。
残念ながら正しい裁判は望めません…。
戦後のGHQの教育で東條さんは悪者の様に語られているが、彼は純粋に国を守る為に戦った偉人だったんだよね。
日本を意図的に国際連盟から追放し、戦争以外の選択肢を与えない様にした当時の英米の方がよっぽど罪深い。
それな。
追い込ませて窮地に追いやり挙げ句の果てに最後の選択肢を突きつけた側が原因でした!!。
@@ポップコーン-q8n
ハル・ノートですね。
歴史は勝者によって記される、ですね
@@yuk9693 勝てば何でもありで盛っていたり膨張している部分が否定できません。邪魔者は排除すればいなくなる訳ですから。証言する者も勿論減りますので
アメリカ人はこれをWinner's Justice、勝者による正義という。つまり、裁判の結果は米軍が勝った時点で決まっていた。
アメリカは人道に対する罪を問うたが、アメリカの人道に対する罪は日本の100倍以上。
@@rasiraka305 20世紀の前半を除いて、日本の長い歴史においては日本人が他国を占領しようとした件はたったの三つです。いつもどこかに喧嘩を挑んでいる米国とは大違いですね。
やはり連合国は穢らわしい。
断交して恨みを晴らすべし。
@@アンユー大日本帝国万歳 少なくとも、沖縄辺りで軍施設にされた地方を返して欲しいですね。日本の主権侵害ですから。
広島長崎への原爆投下を人道上の罪と指摘できる政治家を選出できるように有権者は精進しなければなりません。
日本史の授業では
ほとんどやらなかった記憶。
だからむしろ「漫画 日本の歴史」や
祖父母の話(戦地へ行ってた・爆撃を生で受けた 等)
で学んだイメージかな。
あとはNHKのドキュメンタリー番組
やり直し系の本に、現在ハマっている…。出来れば、この人にも、人生のやり直しが出来ればなぁ…。アホな妄想ですが…
やり直し系の本っていうのがとても気になります。
要は、記憶の書き換えみたいな感じでしょうか?
もしよろしければ本を紹介していただけませんか?
私もとても興味があります(╹◡╹)
@@igooujin9821 さん
ティアムーン帝国物語、本好きの下剋上です。
@@ロールキャベツ-x1z さん、
ありがとうございます😊
読んでみます✨✨
東條さん、お疲れ様でした。
今まで悪者と決めつけていて申し訳ありませんでした。
戦争の時代、よくぞ戦い抜いてくださいました。
遺言も残してます。ぜひ探してみて下さい
何言ってんの?
東條は精神論のみで国民を縛り上げた大悪党ですが。
こういうのを今の学生に教えて欲しい。
それが出来ないのが現状なのが悲しいですね
自分を含め少数ではあるが知っている人も増えています
【悲報】ネトウヨ、社会で結果を出せない奴は何の価値も意味もないと分からない
自分も学生なのでそう感じます
義務教育と高校の授業では第2次世界大戦のところ他と比べあまり深く掘り下げられることなく終わって日本国、東條等が極悪党みたいな印象あったけど歳をとってちゃんとそこら辺を勉強すると必ずしも絶対悪では無かったのだと認識した。縄文〜江戸くらいまで勉強する必要はないとは言わないが近代の歴史を最も学ぶべきではないかとこの歳になって思う
東條英機さん 戦争に負けたから悪名をおった人、第2次世界大戦 大日本帝国が勝利していれば英雄ですね
東條氏さえいなければと言う人がいるがもし、いなくても結果は変わらないと思う。
開戦に向けて動き出した歯車は一人の意思でどうこうなるものではない。
一切の弁解をせずに受け入れたって事はすべてを背負うって意思だと思うので責任の取り方としては立派だと思う。
まぁ原因は軍部にあるから仕方ないのかもしれない。ただ山下将軍などの優秀な人間を使わなかったあたりなどは批判されるべきなのかもしれない。
ねーよ。牟田口廉也並の愚将だろ。短期決戦前提だったのにダラダラ長期化させたんやから愚将も良いところ。守るべき民を犠牲にしてるんだから手段と目的を履き違えとる
勝っていたならば立場は反対に。戦争に負けるとはこんな結果になるのです。樺太千島列島及び台湾、朝鮮半島、満洲国を失うことも。
東條の最期に的を絞った動画なので仕方ないかもしれませんが、戦争末期の詳しい政治状況をほとんど学習しない生徒たちにしてみれば…
「1944年(昭和19年) 7月 東條内閣 総辞職…」そしてその直後にすぐ「8月15日に終戦」という話だと、終戦の “年” について誤解を招くかもしれませんね。
終戦は1年あとの1945年(昭和20年)のことですから。なので、細かいようですが「8月15日に終戦」の所には あえて「1945年(昭和20年)」とつけるべきだと思います。
東條英機が辞めたあと、小磯国昭と鈴木貫太郎が総理大臣を務めてますね。
ホント無責任な奴だなあと
死刑にしないで その当時の 何かをつづった本や 論文を 書かせて欲しかったな
そして それが 太平洋戦争とは何だったのか?
悪かった時代も 今後の 戦争を知らない子供たちや道徳や 教育で 今の時代に おいて 無駄にせずに 活かして欲しかったですね
指導者なんだから当然結果責任が問われる
一生懸命頑張ったからそれでいいじゃん、じゃダメなんだよ
処刑に際しての些末なエピソードなんてどーうでもいい
トップが責任取るのは当たり前。しかし、それが分かっていない奴の何て多いことか。
今日、初めて三ヶ根山山頂にある、殉国七士廟に行って来ました
三ヶ根山スカイラインが古びてて草がボーボでさびれました残念です
東條さんの、辞世の句好き
東條英機を最初に知ったのは小4の時に読んだ週刊マンガ日本史だったなぁ。
敗戦後も日本の名誉の為に戦い抜いて下さった事に感謝致します。
閣下の名誉と正義は必ず歴史が証明してくださる時が来るでしょう。その為に未来を生きる我々日本人が殉国七士の方々や全ての御英霊に対して恥じぬ生き方と国作りをするよう恩返しできるよう努力し生きてまいります。
永田鉄山が生きていれば東條さんはこんな上までには行ってない。ほんで読んだことがありますが奥さんが佐官まで行けばいいとおっしゃっているのは読んだことがありますね。
近衛内閣の後始末を任されて貧乏くじを引かされながらも最後まで頑張った1人の忠実な軍人
近衛内閣の尻拭いって側面もあるけど、
対米戦争の布石は黄禍論とか、日露戦争から熟成され始めた国民世論とか、腐敗した政治体制とか色々あるんだよなぁ。
いやあ、東條同情もクソもないです。
人格が優れているとか、時機が悪かったとか色々な声があるが、戦時下の指導者としては無能であることが最大の罪。
@@あっきーさん-r8tおっしゃる通り。どんだけ人間性がひどくてもちゃんと仕事するチャーチルみたいな奴がトップに立つべきだった
東條さんは首相以外何やらせても優秀なんだよな。
どちらかと言うと官僚向きでしたね。
@@あかさたま-u9i
当時は官僚だらけです
犬飼毅が殺されてからはほとんど官僚あがりの政治家だらけでした
官僚に高等政治を求めるのは無理がありますね。
@@cozyA 犬養では?
あ、間違えたw
東条を美化するコメントが見られるが、とても恐ろしい。
戦争を知らない世代になったとつくづく実感する。
A級戦犯4人が執行前に万歳三唱したのはエモい
人類の歴史とは戦争の勝者が作り続けてきたもの。歴史の教科書に出てくるのは戦争に勝った英雄と、負けて犯罪者の烙印を押された者のどちらか。
現上皇様の誕生日に刑を執行した当時のアメリカって恐ろしい!今はだいぶ変わったけど…。
何が上皇様だよw
役立たずの差別の象徴ジジイだろw
宅配ボックス買うたらええやん。
自決をした時に日本人の見舞いは少なく、アメリカ高官が見舞いに来て天皇陛下が悪かったように裁判で言うように誘導されたと思うと、虚しかっただろうなぁと勝手に思っちゃった。
でも当時の日本陸軍の在り方には軽蔑すら感じる自分がいて複雑。
私は今63歳ですが皆さんのコメントを読んで今の歴史教育は全然なって居ないんだなと思いました。私が小中学生の頃は、大正生まれの亡き両親をはじめ、学校の先生方きんじょのお爺ちゃんお祖母ちゃん、社会人になってからは会社の上司や先輩方に戦争経験者軍隊経験者たちが山ほどいらっしゃて、こういった方々が近現代史の先生といっても過言でないほどでした、近所のお爺さんからはシベリア抑留の体験談や空襲体験の話や、それに東条英機総理大臣の部下だった方からお話をたくさん聞けました。中学校2年生の時の社会科歴史の先生は2.26事件の時埼玉県南西部の今でいう小学校5年生だったそうですが、社会科の授業で当時の事を話してくださいました。さぞみんな緊張していたんだろうなと思って聞いたんですが、なんとラヂオで東京が大変なことになっているといっているのに皆そんなのどこ吹く風で,俺たち子どもは甘酒飲んで朝から校庭で雪合戦、おとなたちは普通に仕事に行ってかえってきてみんなでお酒を飲んでどんちゃン騒ぎだったんだよ。20キロぐらいしか離れていない永田町とか霞が関では戒厳令が敷かれちゃって皇軍あいまみゆといった状態だったのに20キロぐらいしか離れていない先生たちの近所では呑気なもんだったんだよと話してくださいました。今こういう話をできる人は皆無でしょうね。そういう意味じゃ私の世代は恵まれていたんでしょうね。欲しがりません勝つまでは、とか兵隊さんは命がけ私たちはたすき掛けという言葉もたくさん聞きましたもん。特に子供の頃わがまま言って亡き両親におこられたときに。
愚か者め。
何が言いたいのかさっぱりわかない文章ですね。
戦争をやるからには勝たねばならない。最低でも引き分けに持って行く。それが、戦争指導者の責務。そのために、いかなる国民の犠牲も強いる権力を持つ。
決して戦争に負けてはならない。
第二次世界大戦の裏側はありがたい
行動はどうあれ良き人物だった。
今の日本は戦時中の人々のように
愛国心があり助け合いを心がけ
他人の肉体、精神を傷つけない
良き民族であってほしい。
良き人物だった?
それを死んだ軍人や国民の前でも言えるのか?
その綺麗な言葉の下に、どれだけの屍があることなのか。
@@ちっちきちー-w3t
確かにそうかもしれない。
ただトップであったから良いとは言えない
@@ちっちきちー-w3t そもそも、ルーズベルトは、戦争をしたがっていた。しかし、公約があり、自分からは開戦できなかったので、ハルノートをつきつけて日本に開戦を迫った。ハルノートを見ると分かるが、米国の要求をのんだところで、石油など、日本が望むものは輸出解禁するとは一言も書いてない。すなわち、日本の一方的な譲渡が要求してあった。中国から日本が撤兵して、日本は石油やゴムが輸入できなければ、外国から戦争を仕掛けられれば、一方的に占領されるだけ。現実として、日ソ不可侵条約をソ連は一方的に破って攻めてきた。仮に戦争にならなくても、1000万人を越える失業者が発生して、とても日本人は生活できない。そんな状況で軍部を抑えることなど、誰も出来ない。東條には当時は統帥権がなかったからね。
東條は昭和天皇の意向に沿い、米国との会戦を避けようと、譲歩に譲歩を重ねた。しかし、米英蘭は日本の対外資産をすべて差し押さえ、ガソリンや石油の日本への輸出を禁止した。さらにハルノートが米国から突きつけられ、「この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えないようである。」と思い、外交的交渉を打ち切った。
戦後、ダグラス・マッカーサーを証人とした米国上院の軍事外交共同委員会においてマッカーサーはこのように証言している。
「日本は産品がほとんど何もありません、蚕(絹産業)を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)の必要に迫られてのことでした。」
すなわち、東條でなくても開戦せざるを得なかったし、仮に何らかの強権を以て開戦しなくても、日本人は経済的にも軍事的にも追いつめられて生きる術はなかったと言うことだ。
ハルノートの解説をしてあげましょう。
ハル·ノートには日本が武力による支配 政策を直ちに中止することを条件に、【最恵国待遇、 及び通商障壁低減の措置に基く日米通商条約の締結、 資金凍結令の廃止、円弟為替の安定、原料物資の無差別待遇原則の支持】等、日本の経済発展に"有利に利用し得べきものが含まれていました。 客観的に見ても"不平等なものでも"最後通告でもありません。 日本がハルノートを最後通告とみなしたのは、日本の軍事的に極東を支配したいという譲れない要求(乙案) を一切否定するものだったからです。そもそも日本が経済的に厳しくなったのは、極東へ侵略したために国連より発動されたABCD包囲網の実施、 石油
などの全ての重要資源の禁輪、対日資産凍結などの経済制裁をされた後からです。 日本が国連から経済制裁を発動される前より、日本は極東で武力による侵略政策を実行しています。 つまり日本が極東へ侵略したのは、国連によ
る経済制裁で日本経済が破綻するのを阻止するためものではありません。侵略の責任を連合諸国に押し付けるのは見当違いもいいとこです。 無知も基だしい。しかし、ハルノートは、日本が現状困っている資源や経済的に米国に望むほとんど全部のものを与えることを明確
に提議していますし、このプログラムに従えば、日本は 【必要とする原料を自由に入手すること、通商貿易の自由、財政的協力と援助、日本資産凍結令撤回、 米国と新しい通商条約を交渉する機会を与えられる】といった、
上記に記述した対日経済制裁の全てを破棄し、平等に経済協力していこうというものです。 日本はこれを受け入れなかったのだから、日本の本当の狙いは“極東へ侵略して軍事的にも、外交的にもフリーハンドを握ろう”という事であり、資源獲得の優先順位はその次であったという考察が成立します。 以上。
その他人には全ての人類が含まれていて欲しい。
東條はなんとも言えない人だよな
良いとも悪いとも言えない。
でも結構誤解された人物かもしれない。
@@共和国-n5k 最初は『東洋のヒトラー』と聞いたからどんな人かと思ったら勤勉で生まれた時が悪かった残念な人だなと思う
YS11の開発リーダーであった東條輝雄氏の性格からしてそんなに悪い人物ではなかったと思う。
私も本で読むと、とにかく真面目で几帳面な人だという印象で、ここに登場する石原氏のほうがやや口汚い言葉で言えば「鼻持ちならない天才肌」に対して特別な才能等がなく、努力で自身の立場を築いたという印象ですね。
…ただ粘着質なところがあって気に入らない人間わ最前線に送ったり左遷させるなどがあって、自身の得た力(権力)を上手く使えなかった…ひいては身近にサポートしてくる人間がいなかったのが不幸だったのでは?と思っています。
東條英機の戦陣訓(敵に降伏することを許さず)のせいで、死ななくてもよい兵士や民間人が何百万人も死んだ。
同感、靖国に祀られるのに相応しくないのは明らか。
この方の人生ってなんだったんだろう……
戦争したくなかったのに仕方なくやるハメになり、挙句敗戦からの絞首刑。
これこそ、トップのあり方を考えさせられてしまいますよね(−_−;)
担ぎ上げられたって思った方がいいかもですね。なまじ事務能力が高かった為、抜擢されたと。
@@voclee2791 戦争したくない人を担ぎ上げる当時の方々が何を考えてたのか……って問いになる気がしますね( ̄▽ ̄;)
東條は元々、近衛内閣で陸軍大臣だった時は日米開戦派でした。しかし首相に担ぎ上げられてから、昭和天皇の意思を忠実に実行しようとして、反対派の「立場になった」というのが本当の所でしょう。現に、総力戦研究所で「日本必敗」という結果を握り潰したそうですから。
戦争したくなかったのに仕方なくやるハメになった、というのは山本五十六だったと思いますよ (^_^)
@@masahiro5513
僕も当初はそう思ってました。
ただ。
これを見てもそれは言えますか?
ruclips.net/video/EvDlpwWz9Ag/видео.html
開戦時の東條英機によるスピーチです。
めっちゃため息つきそうでつけない立場が、苦しく感じ取れました。
違ってたらこの場を借りて謝りますよ。
でも、そう見えて仕方ないので。
東京裁判。起訴が4月29日。巣鴨プリズンでの執行が12月23日、午前0時1分。GHQの凄まじい憎悪を感じる。
ためになる
東京裁判の時に精神病んでますのアピールの為に他の被告に東条殴られたのに穏やかなの可愛いよね。
地元の大先輩が、御無礼いたしました。すみません。😅犬猿の仲の人もほぼほぼ地元です。
東條の1番の問題はリーダーとして無能だったってことでしょ。自分より優秀な人間は重要ポジションに就かせない。合理性に欠け、人情や精神論を重んじる。トップがこんな人間で戦争に勝てるわけがない。
確かに本当のリーダーってのは、1番有能な奴でなく、自分より有能な人間を上手く使う人のことですね。
東條はアメリカと戦争しても死ぬ運命だし戦争を回避しても皇道派に殺される。一夕会に加盟したのが運の尽きだった。
満州から中国侵略に突き進んで行った日本の軍国主義は東条英機の責任ではなかったが、東条英機ばかり責任を押し付けられた感はある。
東條英機様ご冥福をお祈りします
東條英機さんには確かに戦争に関する責任がある。しかしそれは連合国から戦犯として追求される類の責任ではなく、大日本帝国天皇並びに臣民に対して負うべき敗戦の責任である。
死刑になるにしても日本人によって裁かれ敗戦の責任を負って刑死すべきだった。
こういう動画にコメントする人詳しすぎて毎回お勉強になるw
小磯国昭と鈴木貫太郎総理大臣のこともあげてほしいです。
東條の父はたしか盛岡出身。昭和はじめに東北飢饉もあった。
その十数年前には首都を中心とする大地震。
災害や飢饉が度重なり、それが戦争に向かわせたのだろうか。
日本の教科書で戦争、日本軍の歴史は載せる方がいいと思うけど現在の教育委員会がかなり腐ってるからな。
あと、教科書の新しいヤツが作られるらしいけどあの池上彰が監修するってよ。
池上彰監修って事はもっと酷い教科書になるのだろうか😢
@@ike4131
池上は学者じゃなく だたのジャーナリスト
しかも中国より、それをわかってる教育委員会も、あとは分かるな
石原莞爾って天才だけど理想を掲げて現実離れした考えが多い人でしょ
満州国だってアメリカの介入する口実を与える結果になったし
せめてアメリカに満州の何かしらの利益を分けてあげれば共存出来たものを
満洲の利権を日本が独占しようとするから、アメリカが怒ったんだな。そもそも日露戦争の時アメリカが日本に肩入れしたのも、満洲の利権が欲しかったからだったんに。
理由はどうあれ 世界から植民地が無くなるのを早めた当時の日本国首相。
アジアの植民地だったとこには 英雄視されてもいい思う。
日本が負けたお陰 結果論だからなー
日本が勝ってたら日本の植民地
極東裁判など事後法による連合国の茶番であるが、東條が絞首刑になって死んだのは64歳だったんだなと初めて知った。2022年からみると若いなあ。