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自由意志は拒否権だけがある的な話を聞いたけど、詳細に興味あり!
「9割が知らない雑学」さんのチャンネルを見た時には「なるほど、そういう考え方もあるか」とそれこそ一雑学として捉えていたので、みーさんの解説で腑に落ちた気がします。それを踏まえてこの説を再考してみると、面白い考えではあるけど一つの事象を無理くり全体化したようなこじつけに感じるんですよね〜。例えば自動車はエンジンで動きますよね。このエンジンは「ガソリンを燃焼させてその爆発力でシリンダーを回す」装置ですが、その動作自体には意味がありません。このただの「動作」に対し「動作をタイヤに伝えて回転させ地面を走らせる」という意思を与えた時に初めて「自動車」という概念が成立するのです。そう考えると「動作が先で意思が後なんだから行動を決定しているのは動作であって意思ではない」というのはこじつけに思えるんですよね。確かに「考えるより先に身体が動く」ということはありますが、むしろそっちの方がレアケースなんじゃないでしょうか。
なるほど、おもしろい考え方ですね。車で言えば「ガソリンに火をつけると燃える」「温度が高くなると空気が膨張する」「膨張する空気の逃げ道を作ると強力な力が発生する」「ベアリング?をかませたシリンダーを空気の通り道に設置すると回転」といった様々な事情の組み合わせで「車が走る」という現象が発生します(車の構造わかんないので違ったらすみません)しかしながらこれらは「移動手段として」という1つの意図というか、意識のもとで組み合わせ、構築されるからそうなる、という話になるのかな?ふむ、しかしそうなると様々なモジュール、体の部位等で構築される人間の意図とは何になるのでしょうか。神の意志?それとも種の保存?遺伝子の乗り物?それとも幸福になること?その上で1つの事象に内蔵される決定と意識をどう捉えるか。車でも動作には順序があります。1つ1つに意味はないかもしれませんが、順序や役割を間違えては車は動きません。まあ私たちは人間を作るわけではないので順序や役割を知る意味はないのかもしれませんが、どの辺りがこじつけに感じるのかでまた考える必要が出てきそう・・・すみません、まとまらなかったので書きなぐった感じになりましたが、人間の意思をむまさんがどう捉えているかが気になっている、という結論になりそうです。
他の人の動画を前提に動画を作るとは珍しい…面白い。
まあ次の動画にも繋がりそうというか、この辺もしかすると使うかもなーって思ったので、解説しておきたかったというのもあります。
スタニスラス・ドゥアンヌさんの「意識と脳」という本で、過去の記憶を参照するなどの高度な思考には意識が必要ってなことが書いてあったので、9割が知らない雑学さんの動画内で紹介されていたような単純な思考においては自由意志が存在しないとは思いますが、だからといってすべての思考に自由意志が存在しないと考えるのは間違いだと個人的には思います。
決定にはかかわれなくとも決定した後の処理にはかかわっているかもしれないということか……
その過去の記憶というのが実は意識モジュールが作った物語だ、というのが脳科学的な説明にはなるようですね。災害や戦争、テロに遭った等の強烈かつ鮮明に感じる記憶ですら、当時言っていた内容と乖離していたりズレがあったりするようなので、そういう意味で「記憶は脳が作り出した物語である」と言えるみたいな話を(この本ではないですが)聞きました。
この動画好きです、本を読まなくなってしばらく経った上に、そもそも小説くらいしか読んでこなかったのですが伊藤計劃という方が居たのですが知ってます?彼はSF作家だったんですが意識についての見解を絡めた内容を作品に取り入れたたりして意識について、人の意志について面白い内容ばかりなんですよねそして、web上で見れる「人という物語」で語られている彼なりの意識への見解の言葉が凄く腑に落ちて、美しかったんですよねそれと似た匂いを感じました興味深いテーマの動画お待ちしてますので頑張ってください!
面白かった.ありがとう
よく聞く第6感、直感って決定モジュールによるものかもでもその直感に従うかどうかは選択できると
確かにそういう見方もできますね。選択できるといいなあ・・・
それらに加え、少な過ぎれば動きに不具合が出(パーキンソン病など)、多過ぎれば過剰な信号で脳全体の連係が崩れる(統合失調症など)ドーパミンという繊細な要もある。
脳が決定を下し、意識プロセスがそれに理由をつける。でもさらにもう1段階あると思う。決定と理由をさらに決定プロセスへ送り返して、2段階目の決定をさせる工程。この送り返しを行うのが意識ならば、そこに自由意志はあるんじゃないかって。(そう信じたいだけだけど)
理由はあとから考えている、というのはブルーバックスの認知バイアスの本でも見ました。そこでは実際は親が子供を殺してしまったような悲惨な事件の動機も、本人だけの問題じゃなくて、もしかしたらもっとたくさんの要因が積み重なって起こっているけど、説明できる理由がうるさかったからとか、そうまとめるしかできなかった。ということがありえると。原因は常に多数から集まっていることを忘れてはならないのだとニュースを見るたびに思うようになりました。
3:29 帽子なし魔理沙さん可愛いです❣️
社会的な文脈や主観的に自由意志と呼ぶものはあるとしたほうが都合がいいけれど構造上というか因果の関係上普通に自由意志があるってほうが意味がわからない。脳が物理法則に従って動く物質である以上、全ての挙動は神経発火に原因があり、その因果を辿って行った先は最終的に記憶情報や外部刺激であって、自由意志なんてものの出どころが見当たらない気がしてしまう。
私たちは脳の決定を司る部分には逆らえないという点で、私たちに自由意志はないと言えるわけですね
そんな感じになるのかなと思います。
最近はやりのAIである機械学習の問題点としてなぜその結論に至ったのかが分からないというのがあるけど人間の脳も同じで意識が勝手に説明つけてるだけで実際にはどうしてその結論に至ったのかが分かってないだろうな
思い込んでるだけで、自分でも違和感感じてるケースとかもけっこうありますもんね・・・。
Fateコラボでやっとセイバー難民脱出できました、意識の話だと分離脳の実験とかも興味深いですよね
聞いて!私は桜が4体出たの!元々持ってたの!セイバー出なかったの!
脳科学って、本当はよく分かってないものを自分に分かるよう無理やり矮小化する傾向があるよね
こういうのってどの分野で学べるんだろ
うぽつです帽子無し魔理沙かわいい
正直「意識や自由意志が存在して当然」て感覚の方がわからないんだよなあ。あるのが当然と思えるほどはっきり感じとれない。ただ主語を使わないと伝わらないから「私」と言うだけ。皆ははっきり「私」を感じるのかなあ。
編集・投稿お疲れ様です。まぁ、決定モジュールが滅茶苦茶な決定を下して意識モジュール(報道官)がその滅茶苦茶な決定に論理的な理由を考える……っていう解釈でいいですかね?思春期男子の目の前に決定モジュールがドキドキするであろう要素とその思春期男子が多少想いを寄せている女子を用意したら意識モジュールは「見えてる物は多少想いを寄せている女子でイカれた決定モジュール野郎からの情報はドキドキしてる……“あれ、もしかして多少想いを寄せているだけだった女子見てドキドキしてるんじゃね?(タブン)”」ってなると考える……この後の行動で何人の思春期男子達が心に傷を負った事か(わっちもその1人でありんす)。
パブロフの犬を実験したハーバード大学教授によると、人間もパブロフの犬同様に刺激に反応しているだけで、単にその複雑さの度合いが違うだけだと。
意識を「起きている状態にあること」や「感じること」と定義すれば 意識が存在するという命題は真になると思いますが、「意識が幻想である」と考えている方々はおそらく 意識を(完全な主体性を持つもの、または、それに近しいもの) として捉え、意識が物理的な要素に還元できることから 意識の幻想性を主張しているのではないかと思います。
電気信号であっても意識は意識、というような感覚で見れるといいのかもしれないですね。
”自由”=”偶然”=”因果律の外にあるもの”と見たなら、人間の”自由意思”とは全て過去の事象のアセンブリーだと思います!
そもそも過去の記憶すら意識モジュールが作った物語兼妄想なので・・・という話なので、過去を過去として見ていいのか、というのも考えてみるといい感じにごちゃごちゃしそうですね
書籍 2:10
どんなに思考を凝らしても、強い恐怖や怒り、性的興奮には勝てなかったりする。 そうゆう意味で、自由意思が無いっていうのはあるかも知れないと思った。全く無いと言うより、厳密に言えばそうゆう時がある時点で完全な自由意思とは言えない。みたいな
常にあるのか、時々にあるのか、時々ないのか、常にないのか。この動画だと常にないって話になりそうですが、自分はどう思うかって聞いてみるのもおもしろいかもしれないですね。
ええ、そうなんですよ。この動画だと、常に脳が指令→意識が反応って流れだと思うんですけど、自分は急な思い出し笑いみたいな 意識(思考)→脳が反応→体が動く みたいな事もあるんじゃないかと思いまして。実際はその思考すら脳の指令なのかも知れないんですけどね。
@@壺漬け この説で言えばその思考も脳の指令、って話だと思います。思い出し笑いで言うと、まず外部刺激が基本的にはあるはずなんですよね。似たものを見たり、においをかいだりなど、なんらかのキッカケがあって、それが笑いにつながると。なので無理やりこの説に押し込めるとすると、その人は特定の外部刺激で既に笑っていて、その笑っている理由を同じ刺激から記憶に結び付けて「このエピソードを思い出したから笑ったんだ」と後付けしてる可能性も一応、あるには、ある・・・かな・・・?(自信消滅)
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる なるほど、そもそもその思い出した記憶自体脳が作り出したものである。その記憶と受けた外部刺激を脳がリンクさせて笑いを起こす→意識が理由後付けって感じですか。丁寧な返信、ありがとうございます。いつも面白い動画ありがとうございます。応援してます。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 夜にみる「夢」は、基本的には外部刺激はないかもしれませんね。記憶を整理するために、記憶モジュール?と意識モジュールがやりとりしているのかもしれませんね。
つまり「太陽がまぶしかったから、」と言ったのも、報道官的には不条理でも何でも無いと・・・、
そういうことになると思います。傍から見てそれが納得できるものかそうじゃないかだけの問題なのかなと。
本能や原始的な反応だけで、人間の高度な思考や行動も処理できてるってのが不思議
むしろ全ての挙動を意識的にやるってのに無理があるんじゃないですかね。😊
明日までの宿題だから今夜やらなきゃ!みたいな先に予定を決めてからの行動は意識モジュールが決定に関与出来てそうだけど、やらなきゃいけないのは分かってるけどサボっちゃうみたいなのは関与できてないんだろうなそれとは別に自由意志については、決定モジュールが自由に決定できてるならば、それは自由意志があると言えるみたいな論も成立しそうな気はする。「私の自由意志」の私が報道官視点では不自由かもしれないけど、本当の自分はどれなのか?という問いを投げかければより権限の強い決定モジュールこそが本当の自分と言えるのではないか。つまり決定モジュールに自由があれば報道官に自由は不要みたいな報道官こそが最重要モジュールだとする考え方が間違い説
感情という反射に対して、反応する選択は出来るんじゃなかろうか?イライラする(反射)→物に当たるorとりあえず落ち着く(反応)、みたいな。まぁ 落ち着くっていう知識や行動パターンを知らなければ、イライラしたら即キレるってことになっちゃうんだろうけど。
この本で言えば反応の選択は恐らくできないって話になりそうかなとは思いました。まあ微妙な部分ではあって、決定がどこまで決めてるかは正直わかんないんですよね。例えば愚痴を言うって部分は決定モジュールでいいと思うんですが、どんな愚痴を言うかは意識の物語創造能力がないとできませんから・・・。「感情:イライラ」⇒「意識:原因はこう」⇒「決定:その原因を愚痴ろう」⇒「実際の行動(意識は関与せず)」⇒「意識:私が愚痴ったのは相手が共感してくれそうだったから」みたいな流れはありえそうですが、どうなんでしょう。
世には少数ながら自殺してしまう人達が、古今東西、存在する。自殺が自由意志でないとしたら、生命の本質に反する「決定」がなされることをどう説明できるのだろうか? この動画の最後で語られている、ごく例外としての「自由意思」が自殺をなさしめる意義とはなんなのだろうか?
意識の統合情報理論により意識とそれに連なる私を想定しつつ、宇宙法則の法則処理方法が最小単位がそれぞれ自律性を持っていると考えれば無矛盾になると理解しています。
意識の統合情報理論・・・?し、調べてみます。
意識モジュールって1人に必ずちょうど1つあるの?1つも無かったり複数ある人も相当数居そう
あー、確かにどちらもありそうですね。多重人格とかこれで考えるとおもしろそう。
「疑う」時は脳の決定に逆らえるんじゃないかな
疑うかどうかは脳が決めているのか否か
疑っているときって、間違ってると決めつけてるパターンと、信じようとしてるパターンありません?そして何か外部的な情報や刺激が入らない限り、意見がひっくり返るケースって結構少ないような・・・。例えばなんですけど、脳から来てる決定情報(例えば信じるっていう決定)と、他から来てる情報がかみ合ってない時(相手の表情や口調が変とか、昔同じことを言った人に騙された経験とか)に、疑ったような意識状態になる(ただし決定は出てて信じることは確定)、みたいな考え方はどうでしょう。
まあ定義次第やんね
もしかしたら散々ここで指摘されてる話かもしれないんですけども、人間の自我とか意志というのは、脳だけじゃなくて身体全体と一蓮托生の関係にあるんじゃないかな〜と思ってます。なんか、人間を国に見立てて四肢五臓六腑という異なる本能を持った者たちを脳が政府としてまとめ上げてるって発想、よく自分はやるんですけども…例えば、我々って空腹を止める時に「止まれ」って直接身体に命令できないですよね。もしかしたらみー先生はできるかもしれないですけど…実際はご飯を食べたり、他事をして一時的に空腹を忘れる、といった様に、問題の起きた部位以外の所を動かして問題を解決していると思うんです。ある種間接的なアプローチですね。そんで、大半の人って「直接身体に止めろって念じてみる」って発想そのものに至る事すら無いと思うんです。お腹空いてたらご飯食べる、ってのが生まれた時から身体に染み付いてますし、文化的にもそれが自然ですからね。こういうの、人間の脳を別の生物の頭に移植するみたいな無茶苦茶な実験でないと検証できないと思うので戯言程度に聞き流してもらって構わないんですが、なんか…こういうネタ扱ってる創作物ないかなぁ…なかったら自分で作ろうかなぁ…
ご指摘ありがとうございます。今回の話は脳に絞って話していますが、脳は神経系に属するので、広義には脊髄や運動神経、感覚神経などもモジュールの一種としてみなすことができるのかなと個人的には解釈しています。意識が命じること、つまり決定ができるものではない以上、体に直接命令することはできない、というのはその通りだと思います。体が空腹状態であること、意識が空腹を自覚していることはまったく別の事柄なので、意識が空腹を忘れることは可能ですが、空腹を解消する行動はとれない、というのはジレンマですね・・・。
俺、バカだからよくわかんねぇけどよ、この説好きだわ(唐突)
そもそも電子や原子の動き方なんて全部相対性をもって動いているんだから、誰が何を考えるなんて予め決まってるんじゃないの?だから自由意思なんて存在しないと考える方がスッキリすると思うけど
ラプラスの悪魔が現在では量子力学の登場により否定されているから、誰が何を考えているかが予め決まっているとは思えない。
物理的な話をすればたぶんそうなると思うんですけど、私たちが「ある」と感じているものを私たちにも納得できる形で説明しようとするとこういう不毛っぽい議論になるんだと思います。これはフェミ系の議論でも差別や弱者系の議論でも同じだと個人的には思っていますが、でもまたそれも必要なんだろうなって感覚です。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる よくわかりません。この動画だって、一応科学的なアプローチで自我というものを説明しようとしてるでしょう?それが必要な理由がフェミだのなんだのと結び付く理由はなんですか?私は、公金を投入しているような事業の非合理非生産は全て滅ぼすべきと思ってます。文系になんぞに公金の一切を投入すべきではないと思ってます。
@@headank3179 飛躍がありましたね。申し訳ありません。head ankさんがおっしゃる通り、今回の話は一応科学的なアプローチを取ろうとしています。しかし「一応」と書いていただいた通り、厳密には科学ではなく、心理学的なアプローチ(心理学は科学ではないという前提です)に近いものになっています。つまるところ、「ある」と感じるけど科学では計測、証明のしようもない事柄を、科学的っぽい手法で説明しようとしているものだということです(こんなことを言うと怒られるかもしれませんが・・・)。科学で言えば、人間の心や意識なんてものは証明不可能かつ計測できるものではありません。計測できるものは電気信号やたんぱく質等のやりとりだけで、計測できるものがそれしかない以上、現時点ではそれがすべてです。ですからhead ankさんのおっしゃる通り、それ以上の内容に科学は踏み込まない。そこを説明しようなんて非合理でしかない、という話になります。「意味」の議論なんてもってのほかです。ただ、そこに納得できない人が多い。だからこそそういう内容を説明しようとする心理学や、哲学、宗教などが人の心をつかむんだと私は思っています。意味や目的、万人に受け入れられる納得感等、科学的には取り上げるべきではない非合理なものですが、人々の疑問には答えてくれる。そういうものだからです。今回の意識を説明しようとする試みはまさにそれで、意識は「ある」という前提のもとに、電気信号のやりとりを無理やり解釈し、わかりやすいように名前を付けようとしたものです。だからこそ科学的でも客観的でもない。納得できる人だけが受け入れるもの、そういったある種の宗教に近いものになっていると私は感じています。ここでフェミの話につながります。今回フェミ系の議論を取り上げたのは、その人が「こうあるべき」「こうだと思う」という内容ありきで、それを全力で擁護しようとするからです。生物学的に言えば女性は子どもを産む機械です。そして同じように男性は精子をまき散らす機械です。もちろん他の説もありますが、極論こうなってしまう部分はあるように思います。でも、それでは納得できないからこそ、女性らしさや生きがい、自由などを考え、「これが正しい」と主張します。本人たちが「ある」と感じているものをなんとか説明しようと科学的な事象をかき集め、納得できると感じる説を作り上げ、それを他者に発信します。そして今回の話も、私たちが「ある」と感じていて、かつ既存の科学的説明では納得してもらえない「意識」を説明するために、科学の知見を取り入れて意識モジュールという考え方を作り上げました。で、そう考えれば納得できませんか、と主張しているわけです。そういう意味で、今回の話はやってることはフェミ等がやっていることに近い、と私は解釈しました。最後にそういった取り組みが必要な理由なんですが、2つあります。1つは宗教が必要な理由と同じ、つまりその人の拠り所になる、という理由。もう1つがそういう議論によって社会が良い意味でも悪い意味でも変化する可能性があり、長期的に見れば良いものは比較的残り、悪いものは比較的淘汰される傾向にある。要は長い目で見れば良い方向に傾くはず、という理由から思っています。短期的(私たちが生きている期間くらい)に見れば微妙ですが・・・。人文系の必要性に関しては賛否ありますが、私は今の人文系大学に価値は感じていませんが、人文系の学問自体には価値はあるかなと思っています。まあうまく機能してないのでムダ金と言えばそれまでなんですが、可能性はあるので頑張ってほしい、というくらいの感覚で私は見ています。いろいろ端折ってしまってすみません。一応こんな感じです。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる しつこくて申し訳ないんですけど、余計にわからないことがあります。「物理現象を考えれば自我の存在が無い可能性があるよ」という認識を感情論で全否定する人を何故に心理学やら宗教論のようなもので無理やり納得させる必要が?ぶっちゃけそういう人はもう認知能力が無いから・・・なんというかどうでもいいというか、何言っても本質的に無駄という気がするんですけど。他のろくでもないカルトへ流れるのを防ぐことができるというなら納得ですけどね。そういう連中って、結局プロパガンダにめっぽう弱いわけですし
ちょっとズレてるかもですけど、「朧げながら浮かんできた、46という数字が」真っ先にこれが浮かびましたw。
あれってひょっとしてそういうことだったのか……だとするとちょっと素直に言いすぎたのかもしれないですね
でもそういうことだと思います苦笑
考える、という行為は、自分の無意識からの情報や、持っている知識を「報道官モジュール」が再編集している作業、とも言えますし、その再編集する技術を知恵とも言えます。そうした編集の結果が言動として現れるので、この編集作業がうまくないと、責任能力がない・軽いことにはなるものの、それは、外部の情報に振り回されている、何者かに言いくるめられてしまっている(洗脳された)、自由のない状態とも言えます。だから、勉強、というよりも学習が大事なのですね。
「決定モジュール」が決定を行う → 「報道官モジュール」が考える(再編集) → 再編集された情報を元に「決定モジュール」が決定を行うというサイクルがあるのであれば、決定を下すのは自由意志ではないけれど私たちが考えたり悩んだりするのには意味がちゃんとあるという事になりますね。
Bmhm02さんがおっしゃったことは割とあるのかなと思います。仮にそのサイクルがなかったとしても報道官モジュールが考えた内容は外部にも発信されるので、それが巡り巡って自分に外部刺激として返ってくる可能性もありますし、その編集作業がうまい人は人間関係を良好に築くことができる、という話にもつながります。友好的に接しよう、仲良くしないようにしよう、などの決定を意識モジュールは行えませんが、発言に関しては意識の編集能力に依存する可能性もありますから、勉強や学習は大事という話は揺るがないのかもしれませんね。
自己暗示とかが意味あったりするのは自由意志が無いことに由来するのですかね逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ
決定モジュールになんとか影響を及ぼそうとしてる、って考えるともしかすると意味があるかもしれないですね。でも逃げる()
意識が決定を支配したら良いかと思ったが瞬発力が無くなりそう😂
うぽつです。
魔理沙帽子忘れた 😊かわいい💞
「何を自由意志とするかの定義」をいじってるだけに見える。いわゆる霊魂みたいな単一の存在ではないだけで、統合された総体を自由意志と呼んでいるなら問題なく存在すると言える。パソコンを部品ごとにバラして調べて「パソコンと呼ばれるパーツはない。CPUはパソコンではない。つまりパソコンは存在しなかった」と言っても意味はないようなもの
なるほど、確かにそういう部分はあるかもしれないですね。この辺りは近代というか科学思考の弊害とも言える部分なので、心体全体としての個人として考えてみたり、社会集団の中の個人としてみたり、自然の中の個体としてみたり等、範囲を変えて考えてみると自由意志の見方が変わってくる、というのは大いにありそうです。
謎の仏陀みすこ
自由意志を考えるとき「何(主体)」が自由なのかということと、「何から」自由なのかということを考える必要があると思います。この動画では、「意識モジュール」が主体で、「他のモジュール」から自由かどうかを論じていると認識しました。そういう意味では、自由意志はないか、あってもごく小さい部分であるというのも分らなくはないなと思いました。ただ、どっちかというと「自分」が主体で、「他者や外部環境」から自由かどうかの方に興味ありませんか?「脳のいろいろなモジュール」といっても自分の一部ですし。「親からバンドなんてやってないで勉強しろと言われたけど、反対を押し切ってメジャーデビューした」とか「体重落としたいから、甘いもの我慢した」とか私の感覚でいえばやはり自由意志です。だって別にどっちも選べたじゃないですか?※本は読んでないのですが、動画では決定モジュールから意識モジュールへの一方通行になってますが、 フィードバックしあって考えをまとめてる(思考する?)ってことはないんですかね? 決「今日は仕事さぼろう!」 意「え、でも上司に怒られるしクビになるかもしれないから会社行った方がよくないっすか?」 決「それもそうだな・・・」 みたいな、こういう思考のプロセスを自由意志と呼べる気がするのですが。
実はツイッターで「ボツにしまくってた」って言ってたテーマがまさにそれで、今回は様々な自由の中の「自由意志」ってところに絞って紹介してみようってなった結果、前回と今回みたいな内容になっています。なのでその辺もうまいことまとまり次第動画にできればいいなと思っています。意識からの情報は決定には向かうと思いますが、それは恐らく「次の行動決定に影響を及ぼす大量の情報の中の1つ(ただし本能系から来る情報じゃないので影響力は小さめ)」って感じになるのかなと思います。
自由意思は無いけど意思はあると思ってる
なぜ自由意志の存在を良い事だと思う人が多いのか理解できない。普段の生活で自由意志を意識するのは他人を非難する場合がほとんどだと思う。幸せな気分の時は誰も自由意志なんて気にしない。自由意志を気にするのは他人を非難したり、自分自身を卑下する時、もしくは「俺は努力したから成功したんだ!」などと傲慢な思考になる時だけだと思う。自由意志という思想は、苦しんでいる人をより苦しめて、傲慢な人をより傲慢にするだけの思想にしか思えない。自由意志の不在を厳密に証明する事はできないだろうけど、自由意志がないと考える方が優しい世界になると思う。自由意志という思想は、根本的に「攻撃的」で有ると思う、その相手が他人であれ、自分自身であれ、とにかく何かを攻撃するための道具で有るような気がする。
自由意志を意識するのはネガティブな時などの特定の時だけ、おもしろい発想であると同時に確かにと思う部分もありますね。困ったときの神頼みではないですが、都合のいい時だけ利用できる概念みたいな感じでしょうか。
脳が嘘を教えるってのは是非「姑獲鳥の夏」を読んで欲しい。意識モジュールは報道官ってより「記者会見」じゃないかな?自己認識、質問、報道官まとめて意識モジュールだと思う。質問と回答セットで意識モジュールだと思う。感情モジュールイライラしてる自己認識兼記者「何でイライラしてんですか?」報道官「お腹が減ってるからです。知らんけど。」
そうですね。確かにそちらの方がわかりやすいかもしれないです。
そもそも私は、脳だけが行動を制御している、という考え方に懐疑的だったりします。たとえば、脊髄反射。脳を介することなく身体が動きます。知覚すら後付けです。身体そのものが身体を制御することの一例ともいえます。まぁ、それはさておき。今回は、「意識」についての定義が明確です。そこで一つの問いが生じます。意識というものが後付けの報道官であるのなら、仮に意識がなくても身体の制御そのものはできることになります。辻褄合わせをしなくても、行動を決定して身体を動かせる。ということになります。意識がないと動けませんよね?普通。例外はあるにしても。ただそれだけで今回の意識の定義を否定することができます。根本的な何かを間違えていると思えてなりません。残念ながら。そもそも定義を明確にすることは不可能なのかも知れません。意識も。意思も。客観的に観測できないからです。思考実験のみで帰結することもあり得なくはありませんけれど。ないでしょうね。おそらく。魂と同義だと思えます。ない、と定義することも、ある、と定義することもできてしまいます。証明できないからです。もしも、心臓、あるいは眼、に意識や意思、心が宿ると仮定したとして、否定できる材料はありません。どのようにでも想定できてしまいます。証明できないからです。そもそも定義そのものが明確でない以上、考えるだけ無駄ともいえます。個人的には、意思は眼に、心は心臓に宿る気がしています。そして、意識は魂と同義です。ちなみに科学的根拠は、まったくありません。ただの勘です。解明できる日が、いつか来るのでしょうか、ね。ないような気がします。生命の神秘を解き明かすようなものだからです。それは、全人類が悟りを開くのと同義だと思えます。そうなってしまえば、生命の営みはもはや不要になります。きっと。などと、なかなか興味深い考察をさせていただきました。おもしろいと思いました。とても。
ふと根本的な疑問がよぎりました。脳科学の観点は、いわば唯物論ですよね。脳こそが個体を統合制御する唯一の器官である、と。それなら、脳の中に決定を司る部位が見つかったのならば、それこそが意思の正体である、と結論付けても良さそうなものです。けれども、脳が勝手に決定しているのだから意思はない、と帰結しているように思えます。もしも意思というものを脳を起動するための何かだと考えているのなら、脳を観測したところで意思の在処は証明し得ません。脳の処理は既に結果だからです。更に言うのなら、それはもはや唯物論ではありません。ごちゃ混ぜですね。一体、何がしたいのでしょうか。この人たちは。そもそも提唱者によって定義が異なる時点で、科学の定義から外れると思えます。
脊髄反射、これもおもしろいですよね。1つの見方としては、脳を神経系と捉えるのであれば、実は脊髄も脳のモジュールの1つということになるのかなと思います。そしてモジュールは情報をやり取りする場合もあればしない場合もある。そしてそう考えると脊髄反射は脳に情報を送らず、感覚神経と脊髄、運動神経のモジュールのみで情報をやりとりし、行動を決定している、という見方もできるかもしれません。決定モジュールは1つだけではない、ということですね。また意識がなくても人間は動きます。それこそ脊髄反射であったり、呼吸であったり、寝返りをうったりもします。起きている時ですら、そして意識的な活動をしていると感じている時ですら、私たちが意識的に行っている行動の方が実は少ない。今コメントを読んでいただいていると思いますが、そのときに体を支える意識はありませんし、目も勝手に動きます。私も今意識を向けずにキーボードをたたいています。自転車やスキーなども1つの例だと思います。まあ自転車に乗るに伴うあらゆる身体制御を「自転車に乗ろう」という意識下に含めるのであればまた話は変わってきそうですが、個人的には人間は「覚醒していることと意識があることはイコールではない」という前提の上では「意識的でなくても動く」と考えています。しかしながら意識や自由意志を明確に定義することは難しいというのは同意で、結局のところ「自分が納得できる定義や説明を受け入れるしかない」という感じになるのだと思います。1や2といった数字ですら幾何学の定義を採用しているだけで、確かなものではない。そう考えたとき、やはりあらゆるものは宗教的であり、しかしそれでもおもしろい、というものになるのかなあと思います。
なぜ人間には意識モジュールがあるのですかね。ChatGPTには意識モジュールは無い気がします。やはり進化の過程で必要だったのですかね。他個体や子孫とコミュニケーションを取るために必要なのですかね。意識モジュール(と記憶モジュール?)がコミュニケーションには必要な気がします。そして、コミュニケーション能力は、個の生存および種の生存に有利なのかなと。。
ふむふむ。。
この説明で言うと決定モジュールは何を元に決定してるんだろ?流石にランダムって訳じゃないだろうし
いろいろあるとは思いますが、影響が1番デカいのは本能系じゃないかなと思います。快不快とか、Fight or Flightとかその辺じゃないかな・・・。
DQ10でA,B,C三人でプレイする。AでプレイするときはB,Cは兄弟くらいに感じる。BでプレイするときAはやはり他人と感じてしまう。ごめん、現実の話に仮想の話を持ち込んでしまった。
基本プレイはAがやってて、BはなんでAがそういう行動をしたのか考察してる視聴者みたいな感じですかね?
こんな時間に投稿ですか、やりますね
き、気のせいですよ・・・
それがそうなら良いのです。
本を読んでないので的はずれな話かもしれませんが、「意識は内外からの質問に答える報道官である」という定義の「外」と言うのは「他人」ということでしょうか。仮にそうだとして、9割が知らない雑学さんの動画の内容をそのまま当てはめて、身体の行動を意識より先に脳が決定しているとした場合、外(他人)への発信と言う行動は先に脳が決定しているであろうと考えられるので、意識モジュールは外への発信は担当できないのではないでしょうか。そう考えた場合、意識モジュールは各モジュールから出た情報を「内(自分)」向けに「要約」を担当しているのではと考えてみました。あるいは「記憶」として記録するためにまとめた物と考えることもできるかもしれません。そう考えてみると自分たちが普段感じている意識というのは、進化の過程でたまたま獲得した副産物かも知れないなんて言う突飛な考え方もできそうです。ちなみに自由意志と言うのは個人的にはあると考えています。上で書いたこととはまた違った考え方ですが、9割が知らない雑学さんの動画を見ていた時、意思と意識は別物で、意思は脳の決定でありそれが無意識下で行われ、それが体中に伝達される際に意識となる部分に出力された結果、我々が意識としてその決定を認識することが出来ているのではと考えたからです。なので、意識とは脳の演算結果の出力先(例えるならモニター)でしかありませんが、その決定は脳によって行動の取捨選択が行われているので自由意志は存在すると言う考え方です。専門的な知識はゼロなのでおそらく的はずれな考えでしょうが、こういうことを考えてみるのは楽しいですね。
他人の場合もあれば外部刺激の場合もあるかなと思います(他人も外部刺激の1つですが)。個人的な理解としては、例えば愚痴を言うとかであれば「感情から不快という情報が届き」、「意識がその理由を考え」、「決定が愚痴を言うことを決める」みたいな流れになるのかなと思っています。内容を考えるのが報道官で、それを言うかの決定はやはり決定モジュールが行う、という感じですね。ただおっしゃる通り、内向けに要約というか作り出しているのも間違いないと思います(「作り出す」という言葉に拘るのは、人間は記憶すら捏造することが頻繁にあるからです)。最後の意志と意思の話ですが、おもしろいですね。意思を意識が認識できないだけで、意思は無意識化で自由に決定をしている。意識が認識できないものを自由と言っていいのか等いろいろ議論はできそうですが、こういうのをうだうだ考えているのが私も結構好きです。
自由意志がないんなら犯罪とかどうなるんだろう🤔
要するに悟性の詳しい説明をしてる感じの動画ってわけか
カント難しすぎて読めてないんですよね・・・。そんな感じでしたか?
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 自分もそんなに頭いいわけじゃないので間違ってる可能性は全然ありますが、悟性は「雑多に並べられただけの情報に意味付けを行って、ものを概念として認識する能力」だとカントは説明していました。聴覚や視覚、決定等の情報を意識モジュールが受け取って、後から理由付けを行う構図がカント哲学における悟性と似ているなと感じています。
@@ずっとマヨばっかでいいのに ほほー、だとするとかなり近い概念になりそうですね。カントは認識論が中心なので外部認識に寄ってる印象はありますが、役割はほぼ同じですね。勉強になります・・・!
ふーむ…そもそも何を以て「自由意志」と定義するのかが定まっていない時点で回答不能なわけですが、面白いテーマではありますね。自分の仮説でも書こうかなと思ったけど、アホみたいに長くなるのでやめておきます。どう考えても自分で動画かブログでも作れってレベルになる。
個人的には聞きたいところではある・・・!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる さん短く纏めるの難しいんですよねぇ…。生物としての視点から見ないといけないから、前提が滅茶苦茶長くなるので。まあ誤解される前提レベルで分かりやすくざくっと言うなら「昆虫に自意識があるかどうか、どうやって証明するの?」です。
@@muramasa9582さん短くまとめるの難しいのわかる(わかる)自意識の定義というか、証明方法ですよね・・・昆虫どころか人間の自意識の証明も割と地獄みたいな作業になりそうですしおすし。
石が飛んできた、パット避ける、
え?すべてはビックバンから始まった化学反応の連鎖の過程でしょ
ま、まあそれじゃあ少し寂しいじゃないですか、と個人的には思うわけです。
決定論 と 今回の動画の内容 は、矛盾しないんじゃないですかね。
意志が行動の脳波が出た後に作られるなら10日後にあれをしようって思い10日後行動するのはなぜ?
「10日後にあれをしよう」と思うのは、意識モジュール。記憶モジュール?に、それが記憶される。決定モジュールは、記憶モジュール?ともやりとりし、10日後に決定モジュールが行動を決定する。という感じですかね。。。
@@kokoko67それって結局は自分の意思が反映されて行動が確定したということでしょ?,じゃあ自由意志はないとは言い切れないのでは?
: 自由(な)意思はないけど自由(的)行動はある、のかな(・_・?) ②「(偶然の)ひらめき」はそういった情報と記憶記録の短縮圧縮伝達間違いによる刺激の産物?
偶然のひらめきも厳密に言えば偶然じゃないんだと思います。意識モジュールが説明できないから「ひらめき」って表現してるだけで、脳が完全に無から何かを決定できるわけじゃないと思うので・・・
寝てた(´Д⊂ヽ帽子ない魔理沙カワイイw
おっはよー!!
fateコラボですかそろそろストックが無くなってきたんじゃないですか?
もうだいぶないです苦笑
このコメントを読んだ人は呼吸が自由意志によるマニュアル操作に切り替わります。
呼吸って意識では説明できないものの1つですよね・・・。自転車とかもそうですけど。
うぽつ
人間の記憶をデジタル化して保存し、別の人間の脳に上書きする「精神転送」について考察してください
個人的にそれが可能だとしても意味がないと私は思っていますね。デジタル化して保存することは「コピー人間を作る」ことと同じだと思っていて、つまり以下のように ⇒ 自分(オリジナル兼アナログ)自分(アナログ) ⇒ 自分2(デジタル)もう1人の自分ができるだけだと考えるからです。つまり自分の意識や感覚はオリジナル側に残っていて、要は「自分と全く同じ別人ができるだけ」だからです。オリジナル側から見れば、デジタル側の自分は永遠に生き続けますが、それは「自分みたいなものが永遠に生き続ける」だけで、オリジナルはそれを客観的に見るだけになってしまう。それ以降の記憶や意識を共有できるわけでもないし、一心同体になるわけでもない。意識自体を移すことが可能であればもしかしたら意味があるのかもしれませんが、コピーを経由するような精神転送はオリジナルである私たちにとって意味がないものになるのかなあと思います。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる そうですね。オリジナルの自分のコピーをただ作るだけならオリジナルにとっては意味のないことですね。どうして考察したいと思ったのかというと、Cyberpunk2077のゲームをやっており今回の動画のテーマに刺さったからです。ストーリーをかいつまんで解説すると、とある巨大企業が「精神の死」を回避する極秘研究を行っており、実験体としてとあるテロリストの精神を肉体から切り離しAIとしてチップ化することに成功。肉体を失ってもチップそれ自体が思考を有していて生前のオリジナルの思考法で考え、話し、行動する「不死の精神」を実現することに成功した。主人公は偶発的な事故でそのチップを頭に取り入れてしまい、結果テロリストの人格が脳に流れ込んでしまい、一つの脳内に二つの人格が同居するようになり、やがて主人公の人格を徐々に上書きし体を乗っ取ってしまう。チップを無理に引き剥がそうとすると主人公の精神までもが道連れにされ死に至るため、体が完全に乗っ取られる前に解決策を見つけだし主人公が奔走するというのが大まかなストーリーです。2つの人格が同居する主人公を一個の存在といえるのだろうか。主人公と脳内で会話するテロリストには本当に心があるのか?ただのインプットされた人格アルゴリズムが要素を計算して人間の受け答えを真似しているだけではないのだろうか?高度なAIに魂はあるのか、そのアイデンティティは?というのが本作のテーマでした。
@@Unityan なるほど、1つの脳内に同居する前提があったのですね。今回の同居した2つの人格という意味では、科学的には1個の存在ですが、客観的(これは科学的という意味ではなく外部から見て、という意味です)と主観的には1個の存在ではないという話になりそうだなと個人的には思いました。結局自分がどう思うか、相手(人々)がどう思うかが社会においてはすべてで普遍的な指標なんて存在しないので、本人とその周囲がどう思うかで全部決まるのかなと思っています。(ちなみにこれ前回の問いの私の答えなのでネタバレすまぬ)
視覚モジュールとか聴覚モジュールとか本能モジュールとか言うのはフロイトとかユングの言う無意識(イド及びエス、それと超自我)であり、意識モジュールが自我だという事だと思います。無意識の領域の方が広大で自我の領域は氷山の一角だとよく言われます。無意識が情報を伝えようが伝えまいが、無意識も含めて自分なのであり、自分が情報を伝えたり伝えたりしないことにより、意見が決定されているのなら、それは自由意思に含まれると思います。それと脳の話を持ち出してきたんで、人間の意志など単なる電気信号に過ぎないと言ってくるのかと思っていたんですが、ちょっと科学的ではないかもしれませんが、天の意志と言うのが昔から言われています。例えば木を育てようとするとします。木が木であるように天が作ったものであり、木を育てようとする私も天が作ったもので、私が木を育てようと思ったのも天の意志です。(自分の意志と天の意志がかみ合って天意が実現されていくのですがここでは関係がありませんので省きます。)この様に天の意志が実現されるのなら、人間の脳の中の電気信号もランダムのように見えて、ある種の必然性を導き出す方向に向かって電気信号が流れます。これが自由意思だと思います。始めに書きましたが科学的ではないかもしれませんが、自分はこう思います。
無意識も含めて自由意志となると、あらゆる行動が自由意志の元に成されているという結論になりそうですが、その辺りはいかがでしょう?天の意志というのもおもしろいですよね。人間は脳が受け取った情報に対して反応するようにできていると考えたとき、科学的な方法では知覚できない何かを受け取って反応している可能性もあり、その辺りが量子力学でいうランダム性として評価されている可能性も出てきます。まあ天の情報に左右されているときそれは自由意志と言っていいのか、という話は置いといて、受け取っている情報が五感だけじゃない、というのは個人的にもあってもおかしくはないのかなあと思います。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる やはりあらゆる行動が自由意思の元になされているのだと思われます。たとえば、意識で知覚できないが「なにか気持ち悪い」と感じる事があります。これは無意識で何か拒絶するものを知覚していて、それが意識に上がってきてその様に意識で感じて判断に補助になっているのだと思います。あと、運動の選手とか、特に卓球とかテニスとかの選手は、ボールを見て考えて行動しているというより体で反応しているのだそうです。考えて行動していない、意識では考えていなくとも、本能レベルで考えている、無意識で考えているという事になり、これは卓球やテニスの状況に適応していますし、選手は適応しようとしていますのでやはり自由意思で考えているのだと思います。あと、犯罪行動とかも自由意思なんでしょうが、人によっては自我(意識)とか超自我(無意識の良心)の強さが違いますので、個人差がありますが(超自我に関しては父親の厳格な像が反映されるとされますので家庭教育の是非が問われると思います)やはり、犯罪に関しては自由意思の結果として責任が追及されるべきだと思います。
人間は贅肉の奴隷、悟りを開いたはずのお釈迦様も贅肉をたくさん、蓄えながら最期を迎えた
何故この時刻?
あの日から出張でしばらくいなかったからです苦笑
本を紹介するチャンネルは廃れる。そうならないためには、本の著作者以上の思考を提示すること。「それだけのことです」( ̄▽ ̄;)
セリフだけだと軽く言ってる感じに見えるが後に続くAAが困難さを物語っている……
すたれないように頑張るとしましょう・・・!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる応援しています。います。
お料理チャンネルから逃げるな
うぐぅ
自由意志は拒否権だけがある的な話を聞いたけど、詳細に興味あり!
「9割が知らない雑学」さんのチャンネルを見た時には「なるほど、そういう考え方もあるか」とそれこそ一雑学として捉えていたので、みーさんの解説で腑に落ちた気がします。
それを踏まえてこの説を再考してみると、面白い考えではあるけど一つの事象を無理くり全体化したようなこじつけに感じるんですよね〜。
例えば自動車はエンジンで動きますよね。このエンジンは「ガソリンを燃焼させてその爆発力でシリンダーを回す」装置ですが、その動作自体には意味がありません。このただの「動作」に対し「動作をタイヤに伝えて回転させ地面を走らせる」という意思を与えた時に初めて「自動車」という概念が成立するのです。
そう考えると「動作が先で意思が後なんだから行動を決定しているのは動作であって意思ではない」というのはこじつけに思えるんですよね。確かに「考えるより先に身体が動く」ということはありますが、むしろそっちの方がレアケースなんじゃないでしょうか。
なるほど、おもしろい考え方ですね。
車で言えば「ガソリンに火をつけると燃える」「温度が高くなると空気が膨張する」「膨張する空気の逃げ道を作ると強力な力が発生する」「ベアリング?をかませたシリンダーを空気の通り道に設置すると回転」といった様々な事情の組み合わせで「車が走る」という現象が発生します(車の構造わかんないので違ったらすみません)
しかしながらこれらは「移動手段として」という1つの意図というか、意識のもとで組み合わせ、構築されるからそうなる、という話になるのかな?
ふむ、しかしそうなると様々なモジュール、体の部位等で構築される人間の意図とは何になるのでしょうか。神の意志?それとも種の保存?遺伝子の乗り物?それとも幸福になること?
その上で1つの事象に内蔵される決定と意識をどう捉えるか。車でも動作には順序があります。1つ1つに意味はないかもしれませんが、順序や役割を間違えては車は動きません。まあ私たちは人間を作るわけではないので順序や役割を知る意味はないのかもしれませんが、どの辺りがこじつけに感じるのかでまた考える必要が出てきそう・・・
すみません、まとまらなかったので書きなぐった感じになりましたが、人間の意思をむまさんがどう捉えているかが気になっている、という結論になりそうです。
他の人の動画を前提に動画を作るとは珍しい…面白い。
まあ次の動画にも繋がりそうというか、この辺もしかすると使うかもなーって思ったので、解説しておきたかったというのもあります。
スタニスラス・ドゥアンヌさんの「意識と脳」という本で、過去の記憶を参照するなどの高度な思考には意識が必要ってなことが書いてあったので、9割が知らない雑学さんの動画内で紹介されていたような単純な思考においては自由意志が存在しないとは思いますが、だからといってすべての思考に自由意志が存在しないと考えるのは間違いだと個人的には思います。
決定にはかかわれなくとも決定した後の処理にはかかわっているかもしれないということか……
その過去の記憶というのが実は意識モジュールが作った物語だ、というのが脳科学的な説明にはなるようですね。
災害や戦争、テロに遭った等の強烈かつ鮮明に感じる記憶ですら、当時言っていた内容と乖離していたりズレがあったりするようなので、そういう意味で「記憶は脳が作り出した物語である」と言えるみたいな話を(この本ではないですが)聞きました。
この動画好きです、
本を読まなくなってしばらく経った上に、そもそも小説くらいしか読んでこなかったのですが伊藤計劃という方が居たのですが知ってます?
彼はSF作家だったんですが意識についての見解を絡めた内容を作品に取り入れたたりして
意識について、人の意志について面白い内容ばかりなんですよね
そして、web上で見れる「人という物語」で語られている彼なりの意識への見解の言葉が凄く腑に落ちて、美しかったんですよね
それと似た匂いを感じました
興味深いテーマの動画お待ちしてますので頑張ってください!
面白かった.ありがとう
よく聞く第6感、直感って決定モジュールによるものかも
でもその直感に従うかどうかは選択できると
確かにそういう見方もできますね。選択できるといいなあ・・・
それらに加え、少な過ぎれば動きに不具合が出(パーキンソン病など)、多過ぎれば過剰な信号で脳全体の連係が崩れる(統合失調症など)ドーパミンという繊細な要もある。
脳が決定を下し、意識プロセスがそれに理由をつける。
でもさらにもう1段階あると思う。
決定と理由をさらに決定プロセスへ送り返して、2段階目の決定をさせる工程。
この送り返しを行うのが意識ならば、そこに自由意志はあるんじゃないかって。(そう信じたいだけだけど)
理由はあとから考えている、というのはブルーバックスの認知バイアスの本でも見ました。そこでは実際は親が子供を殺してしまったような悲惨な事件の動機も、本人だけの問題じゃなくて、もしかしたらもっとたくさんの要因が積み重なって起こっているけど、説明できる理由がうるさかったからとか、そうまとめるしかできなかった。ということがありえると。
原因は常に多数から集まっていることを忘れてはならないのだとニュースを見るたびに思うようになりました。
3:29 帽子なし魔理沙さん可愛いです❣️
社会的な文脈や主観的に自由意志と呼ぶものはあるとしたほうが都合がいいけれど
構造上というか因果の関係上普通に自由意志があるってほうが意味がわからない。
脳が物理法則に従って動く物質である以上、全ての挙動は神経発火に原因があり、その因果を辿って行った先は最終的に記憶情報や外部刺激であって、自由意志なんてものの出どころが見当たらない気がしてしまう。
私たちは脳の決定を司る部分には逆らえないという点で、私たちに自由意志はないと言えるわけですね
そんな感じになるのかなと思います。
最近はやりのAIである機械学習の問題点としてなぜその結論に至ったのかが分からないというのがあるけど
人間の脳も同じで意識が勝手に説明つけてるだけで実際にはどうしてその結論に至ったのかが分かってないだろうな
思い込んでるだけで、自分でも違和感感じてるケースとかもけっこうありますもんね・・・。
Fateコラボでやっとセイバー難民脱出できました、意識の話だと分離脳の実験とかも興味深いですよね
聞いて!私は桜が4体出たの!元々持ってたの!セイバー出なかったの!
脳科学って、本当はよく分かってないものを自分に分かるよう無理やり矮小化する傾向があるよね
こういうのってどの分野で学べるんだろ
うぽつです
帽子無し魔理沙かわいい
正直「意識や自由意志が存在して当然」て感覚の方がわからないんだよなあ。あるのが当然と思えるほどはっきり感じとれない。
ただ主語を使わないと伝わらないから「私」と言うだけ。皆ははっきり「私」を感じるのかなあ。
編集・投稿お疲れ様です。
まぁ、決定モジュールが滅茶苦茶な決定を下して意識モジュール(報道官)がその滅茶苦茶な決定に論理的な理由を考える……っていう解釈でいいですかね?
思春期男子の目の前に決定モジュールがドキドキするであろう要素とその思春期男子が多少想いを寄せている女子を用意したら意識モジュールは「見えてる物は多少想いを寄せている女子でイカれた決定モジュール野郎からの情報はドキドキしてる……“あれ、もしかして多少想いを寄せているだけだった女子見てドキドキしてるんじゃね?(タブン)”」ってなると考える……この後の行動で何人の思春期男子達が心に傷を負った事か(わっちもその1人でありんす)。
パブロフの犬を実験したハーバード大学教授によると、人間もパブロフの犬同様に刺激に反応しているだけで、単にその複雑さの度合いが違うだけだと。
意識を「起きている状態にあること」や「感じること」と定義すれば 意識が存在するという命題は真になると思いますが、
「意識が幻想である」と考えている方々はおそらく 意識を(完全な主体性を持つもの、または、それに近しいもの) として捉え、意識が物理的な要素に還元できることから 意識の幻想性を主張しているのではないかと思います。
電気信号であっても意識は意識、というような感覚で見れるといいのかもしれないですね。
”自由”=”偶然”=”因果律の外にあるもの”と見たなら、人間の”自由意思”とは全て過去の事象のアセンブリーだと思います!
そもそも過去の記憶すら意識モジュールが作った物語兼妄想なので・・・という話なので、過去を過去として見ていいのか、というのも考えてみるといい感じにごちゃごちゃしそうですね
書籍 2:10
どんなに思考を凝らしても、強い恐怖や怒り、性的興奮には勝てなかったりする。
そうゆう意味で、自由意思が無いっていうのはあるかも知れないと思った。
全く無いと言うより、厳密に言えばそうゆう時がある時点で完全な自由意思とは言えない。みたいな
常にあるのか、時々にあるのか、時々ないのか、常にないのか。この動画だと常にないって話になりそうですが、自分はどう思うかって聞いてみるのもおもしろいかもしれないですね。
ええ、そうなんですよ。
この動画だと、常に脳が指令→意識が反応って流れだと思うんですけど、
自分は急な思い出し笑いみたいな
意識(思考)→脳が反応→体が動く みたいな事もあるんじゃないかと思いまして。
実際はその思考すら脳の指令なのかも知れないんですけどね。
@@壺漬け
この説で言えばその思考も脳の指令、って話だと思います。
思い出し笑いで言うと、まず外部刺激が基本的にはあるはずなんですよね。似たものを見たり、においをかいだりなど、なんらかのキッカケがあって、それが笑いにつながると。
なので無理やりこの説に押し込めるとすると、その人は特定の外部刺激で既に笑っていて、その笑っている理由を同じ刺激から記憶に結び付けて「このエピソードを思い出したから笑ったんだ」と後付けしてる可能性も一応、あるには、ある・・・かな・・・?(自信消滅)
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
なるほど、そもそもその思い出した記憶自体脳が作り出したものである。
その記憶と受けた外部刺激を脳がリンクさせて笑いを起こす→意識が理由後付けって感じですか。
丁寧な返信、ありがとうございます。
いつも面白い動画ありがとうございます。応援してます。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 夜にみる「夢」は、基本的には外部刺激はないかもしれませんね。
記憶を整理するために、記憶モジュール?と意識モジュールがやりとりしているのかもしれませんね。
つまり「太陽がまぶしかったから、」と言ったのも、報道官的には不条理でも何でも無いと・・・、
そういうことになると思います。傍から見てそれが納得できるものかそうじゃないかだけの問題なのかなと。
本能や原始的な反応だけで、人間の高度な思考や行動も処理できてるってのが不思議
むしろ全ての挙動を意識的にやるってのに無理があるんじゃないですかね。😊
明日までの宿題だから今夜やらなきゃ!みたいな先に予定を決めてからの行動は意識モジュールが決定に関与出来てそうだけど、
やらなきゃいけないのは分かってるけどサボっちゃうみたいなのは関与できてないんだろうな
それとは別に自由意志については、
決定モジュールが自由に決定できてるならば、それは自由意志があると言える
みたいな論も成立しそうな気はする。
「私の自由意志」の私が報道官視点では不自由かもしれないけど、本当の自分はどれなのか?という問いを投げかければより権限の強い決定モジュールこそが本当の自分と言えるのではないか。
つまり決定モジュールに自由があれば報道官に自由は不要
みたいな
報道官こそが最重要モジュールだとする考え方が間違い説
感情という反射に対して、反応する選択は出来るんじゃなかろうか?
イライラする(反射)→物に当たるorとりあえず落ち着く(反応)、みたいな。
まぁ 落ち着くっていう知識や行動パターンを知らなければ、イライラしたら即キレるってことになっちゃうんだろうけど。
この本で言えば反応の選択は恐らくできないって話になりそうかなとは思いました。
まあ微妙な部分ではあって、決定がどこまで決めてるかは正直わかんないんですよね。例えば愚痴を言うって部分は決定モジュールでいいと思うんですが、どんな愚痴を言うかは意識の物語創造能力がないとできませんから・・・。
「感情:イライラ」⇒「意識:原因はこう」⇒「決定:その原因を愚痴ろう」⇒「実際の行動(意識は関与せず)」⇒「意識:私が愚痴ったのは相手が共感してくれそうだったから」みたいな流れはありえそうですが、どうなんでしょう。
世には少数ながら自殺してしまう人達が、古今東西、存在する。自殺が自由意志でないとしたら、生命の本質に反する「決定」がなされることをどう説明できるのだろうか? この動画の最後で語られている、ごく例外としての「自由意思」が自殺をなさしめる意義とはなんなのだろうか?
意識の統合情報理論により意識とそれに連なる私を想定しつつ、宇宙法則の法則処理方法が最小単位がそれぞれ自律性を持っていると考えれば無矛盾になると理解しています。
意識の統合情報理論・・・?し、調べてみます。
意識モジュールって1人に必ずちょうど1つあるの?1つも無かったり複数ある人も相当数居そう
あー、確かにどちらもありそうですね。多重人格とかこれで考えるとおもしろそう。
「疑う」時は脳の決定に逆らえるんじゃないかな
疑うかどうかは脳が決めているのか否か
疑っているときって、間違ってると決めつけてるパターンと、信じようとしてるパターンありません?そして何か外部的な情報や刺激が入らない限り、意見がひっくり返るケースって結構少ないような・・・。
例えばなんですけど、脳から来てる決定情報(例えば信じるっていう決定)と、他から来てる情報がかみ合ってない時(相手の表情や口調が変とか、昔同じことを言った人に騙された経験とか)に、疑ったような意識状態になる(ただし決定は出てて信じることは確定)、みたいな考え方はどうでしょう。
まあ定義次第やんね
もしかしたら散々ここで指摘されてる話かもしれないんですけども、人間の自我とか意志というのは、脳だけじゃなくて身体全体と一蓮托生の関係にあるんじゃないかな〜と思ってます。なんか、人間を国に見立てて四肢五臓六腑という異なる本能を持った者たちを脳が政府としてまとめ上げてるって発想、よく自分はやるんですけども…
例えば、我々って空腹を止める時に「止まれ」って直接身体に命令できないですよね。もしかしたらみー先生はできるかもしれないですけど…
実際はご飯を食べたり、他事をして一時的に空腹を忘れる、といった様に、問題の起きた部位以外の所を動かして問題を解決していると思うんです。ある種間接的なアプローチですね。
そんで、大半の人って「直接身体に止めろって念じてみる」って発想そのものに至る事すら無いと思うんです。お腹空いてたらご飯食べる、ってのが生まれた時から身体に染み付いてますし、文化的にもそれが自然ですからね。
こういうの、人間の脳を別の生物の頭に移植するみたいな無茶苦茶な実験でないと検証できないと思うので戯言程度に聞き流してもらって構わないんですが、なんか…こういうネタ扱ってる創作物ないかなぁ…なかったら自分で作ろうかなぁ…
ご指摘ありがとうございます。
今回の話は脳に絞って話していますが、脳は神経系に属するので、広義には脊髄や運動神経、感覚神経などもモジュールの一種としてみなすことができるのかなと個人的には解釈しています。
意識が命じること、つまり決定ができるものではない以上、体に直接命令することはできない、というのはその通りだと思います。体が空腹状態であること、意識が空腹を自覚していることはまったく別の事柄なので、意識が空腹を忘れることは可能ですが、空腹を解消する行動はとれない、というのはジレンマですね・・・。
俺、バカだからよくわかんねぇけどよ、この説好きだわ(唐突)
そもそも電子や原子の動き方なんて全部相対性をもって動いているんだから、誰が何を考えるなんて予め決まってるんじゃないの?だから自由意思なんて存在しないと考える方がスッキリすると思うけど
ラプラスの悪魔が現在では量子力学の登場により否定されているから、誰が何を考えているかが予め決まっているとは思えない。
物理的な話をすればたぶんそうなると思うんですけど、私たちが「ある」と感じているものを私たちにも納得できる形で説明しようとするとこういう不毛っぽい議論になるんだと思います。
これはフェミ系の議論でも差別や弱者系の議論でも同じだと個人的には思っていますが、でもまたそれも必要なんだろうなって感覚です。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
よくわかりません。この動画だって、一応科学的なアプローチで自我というものを説明しようとしてるでしょう?それが必要な理由がフェミだのなんだのと結び付く理由はなんですか?
私は、公金を投入しているような事業の非合理非生産は全て滅ぼすべきと思ってます。文系になんぞに公金の一切を投入すべきではないと思ってます。
@@headank3179
飛躍がありましたね。申し訳ありません。
head ankさんがおっしゃる通り、今回の話は一応科学的なアプローチを取ろうとしています。しかし「一応」と書いていただいた通り、厳密には科学ではなく、心理学的なアプローチ(心理学は科学ではないという前提です)に近いものになっています。
つまるところ、「ある」と感じるけど科学では計測、証明のしようもない事柄を、科学的っぽい手法で説明しようとしているものだということです(こんなことを言うと怒られるかもしれませんが・・・)。
科学で言えば、人間の心や意識なんてものは証明不可能かつ計測できるものではありません。計測できるものは電気信号やたんぱく質等のやりとりだけで、計測できるものがそれしかない以上、現時点ではそれがすべてです。ですからhead ankさんのおっしゃる通り、それ以上の内容に科学は踏み込まない。そこを説明しようなんて非合理でしかない、という話になります。「意味」の議論なんてもってのほかです。
ただ、そこに納得できない人が多い。
だからこそそういう内容を説明しようとする心理学や、哲学、宗教などが人の心をつかむんだと私は思っています。意味や目的、万人に受け入れられる納得感等、科学的には取り上げるべきではない非合理なものですが、人々の疑問には答えてくれる。そういうものだからです。
今回の意識を説明しようとする試みはまさにそれで、意識は「ある」という前提のもとに、電気信号のやりとりを無理やり解釈し、わかりやすいように名前を付けようとしたものです。だからこそ科学的でも客観的でもない。納得できる人だけが受け入れるもの、そういったある種の宗教に近いものになっていると私は感じています。
ここでフェミの話につながります。今回フェミ系の議論を取り上げたのは、その人が「こうあるべき」「こうだと思う」という内容ありきで、それを全力で擁護しようとするからです。生物学的に言えば女性は子どもを産む機械です。そして同じように男性は精子をまき散らす機械です。もちろん他の説もありますが、極論こうなってしまう部分はあるように思います。
でも、それでは納得できないからこそ、女性らしさや生きがい、自由などを考え、「これが正しい」と主張します。本人たちが「ある」と感じているものをなんとか説明しようと科学的な事象をかき集め、納得できると感じる説を作り上げ、それを他者に発信します。
そして今回の話も、私たちが「ある」と感じていて、かつ既存の科学的説明では納得してもらえない「意識」を説明するために、科学の知見を取り入れて意識モジュールという考え方を作り上げました。で、そう考えれば納得できませんか、と主張しているわけです。
そういう意味で、今回の話はやってることはフェミ等がやっていることに近い、と私は解釈しました。
最後にそういった取り組みが必要な理由なんですが、2つあります。
1つは宗教が必要な理由と同じ、つまりその人の拠り所になる、という理由。もう1つがそういう議論によって社会が良い意味でも悪い意味でも変化する可能性があり、長期的に見れば良いものは比較的残り、悪いものは比較的淘汰される傾向にある。要は長い目で見れば良い方向に傾くはず、という理由から思っています。短期的(私たちが生きている期間くらい)に見れば微妙ですが・・・。
人文系の必要性に関しては賛否ありますが、私は今の人文系大学に価値は感じていませんが、人文系の学問自体には価値はあるかなと思っています。まあうまく機能してないのでムダ金と言えばそれまでなんですが、可能性はあるので頑張ってほしい、というくらいの感覚で私は見ています。
いろいろ端折ってしまってすみません。一応こんな感じです。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
しつこくて申し訳ないんですけど、余計にわからないことがあります。「物理現象を考えれば自我の存在が無い可能性があるよ」という認識を感情論で全否定する人を何故に心理学やら宗教論のようなもので無理やり納得させる必要が?ぶっちゃけそういう人はもう認知能力が無いから・・・なんというかどうでもいいというか、何言っても本質的に無駄という気がするんですけど。他のろくでもないカルトへ流れるのを防ぐことができるというなら納得ですけどね。そういう連中って、結局プロパガンダにめっぽう弱いわけですし
ちょっとズレてるかもですけど、
「朧げながら浮かんできた、46という数字が」
真っ先にこれが浮かびましたw。
あれってひょっとしてそういうことだったのか……
だとするとちょっと素直に言いすぎたのかもしれないですね
でもそういうことだと思います苦笑
考える、という行為は、自分の無意識からの情報や、持っている知識を「報道官モジュール」が再編集している作業、とも言えますし、その再編集する技術を知恵とも言えます。
そうした編集の結果が言動として現れるので、この編集作業がうまくないと、責任能力がない・軽いことにはなるものの、それは、外部の情報に振り回されている、何者かに言いくるめられてしまっている(洗脳された)、自由のない状態とも言えます。
だから、勉強、というよりも学習が大事なのですね。
「決定モジュール」が決定を行う → 「報道官モジュール」が考える(再編集) → 再編集された情報を元に「決定モジュール」が決定を行う
というサイクルがあるのであれば、決定を下すのは自由意志ではないけれど私たちが考えたり悩んだりするのには意味がちゃんとあるという事になりますね。
Bmhm02さんがおっしゃったことは割とあるのかなと思います。
仮にそのサイクルがなかったとしても報道官モジュールが考えた内容は外部にも発信されるので、それが巡り巡って自分に外部刺激として返ってくる可能性もありますし、その編集作業がうまい人は人間関係を良好に築くことができる、という話にもつながります。
友好的に接しよう、仲良くしないようにしよう、などの決定を意識モジュールは行えませんが、発言に関しては意識の編集能力に依存する可能性もありますから、勉強や学習は大事という話は揺るがないのかもしれませんね。
自己暗示とかが意味あったりするのは自由意志が無いことに由来するのですかね
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ
決定モジュールになんとか影響を及ぼそうとしてる、って考えるともしかすると意味があるかもしれないですね。でも逃げる()
意識が決定を支配したら良いかと思ったが瞬発力が無くなりそう😂
うぽつです。
魔理沙帽子忘れた 😊かわいい💞
「何を自由意志とするかの定義」をいじってるだけに見える。
いわゆる霊魂みたいな単一の存在ではないだけで、統合された総体を自由意志と呼んでいるなら問題なく存在すると言える。
パソコンを部品ごとにバラして調べて「パソコンと呼ばれるパーツはない。CPUはパソコンではない。つまりパソコンは存在しなかった」と言っても意味はないようなもの
なるほど、確かにそういう部分はあるかもしれないですね。
この辺りは近代というか科学思考の弊害とも言える部分なので、心体全体としての個人として考えてみたり、社会集団の中の個人としてみたり、自然の中の個体としてみたり等、範囲を変えて考えてみると自由意志の見方が変わってくる、というのは大いにありそうです。
謎の仏陀みすこ
自由意志を考えるとき「何(主体)」が自由なのかということと、「何から」自由なのかということを考える必要があると思います。
この動画では、「意識モジュール」が主体で、「他のモジュール」から自由かどうかを論じていると認識しました。
そういう意味では、自由意志はないか、あってもごく小さい部分であるというのも分らなくはないなと思いました。
ただ、どっちかというと「自分」が主体で、「他者や外部環境」から自由かどうかの方に興味ありませんか?
「脳のいろいろなモジュール」といっても自分の一部ですし。
「親からバンドなんてやってないで勉強しろと言われたけど、反対を押し切ってメジャーデビューした」とか
「体重落としたいから、甘いもの我慢した」とか私の感覚でいえばやはり自由意志です。
だって別にどっちも選べたじゃないですか?
※本は読んでないのですが、動画では決定モジュールから意識モジュールへの一方通行になってますが、
フィードバックしあって考えをまとめてる(思考する?)ってことはないんですかね?
決「今日は仕事さぼろう!」
意「え、でも上司に怒られるしクビになるかもしれないから会社行った方がよくないっすか?」
決「それもそうだな・・・」
みたいな、こういう思考のプロセスを自由意志と呼べる気がするのですが。
実はツイッターで「ボツにしまくってた」って言ってたテーマがまさにそれで、今回は様々な自由の中の「自由意志」ってところに絞って紹介してみようってなった結果、前回と今回みたいな内容になっています。
なのでその辺もうまいことまとまり次第動画にできればいいなと思っています。
意識からの情報は決定には向かうと思いますが、それは恐らく「次の行動決定に影響を及ぼす大量の情報の中の1つ(ただし本能系から来る情報じゃないので影響力は小さめ)」って感じになるのかなと思います。
自由意思は無いけど意思はあると思ってる
なぜ自由意志の存在を良い事だと思う人が多いのか理解できない。
普段の生活で自由意志を意識するのは他人を非難する場合がほとんどだと思う。
幸せな気分の時は誰も自由意志なんて気にしない。
自由意志を気にするのは他人を非難したり、自分自身を卑下する時、もしくは「俺は努力したから成功したんだ!」などと傲慢な思考になる時だけだと思う。
自由意志という思想は、苦しんでいる人をより苦しめて、傲慢な人をより傲慢にするだけの思想にしか思えない。
自由意志の不在を厳密に証明する事はできないだろうけど、自由意志がないと考える方が優しい世界になると思う。
自由意志という思想は、根本的に「攻撃的」で有ると思う、その相手が他人であれ、自分自身であれ、とにかく何かを攻撃するための道具で有るような気がする。
自由意志を意識するのはネガティブな時などの特定の時だけ、おもしろい発想であると同時に確かにと思う部分もありますね。困ったときの神頼みではないですが、都合のいい時だけ利用できる概念みたいな感じでしょうか。
脳が嘘を教えるってのは是非「姑獲鳥の夏」を読んで欲しい。
意識モジュールは報道官ってより「記者会見」じゃないかな?
自己認識、質問、報道官まとめて意識モジュールだと思う。
質問と回答セットで意識モジュールだと思う。
感情モジュール
イライラしてる
自己認識兼記者
「何でイライラしてんですか?」
報道官「お腹が減ってるからです。知らんけど。」
そうですね。確かにそちらの方がわかりやすいかもしれないです。
そもそも私は、脳だけが行動を制御している、という考え方に懐疑的だったりします。
たとえば、脊髄反射。脳を介することなく身体が動きます。知覚すら後付けです。身体そのものが身体を制御することの一例ともいえます。
まぁ、それはさておき。
今回は、「意識」についての定義が明確です。そこで一つの問いが生じます。意識というものが後付けの報道官であるのなら、仮に意識がなくても身体の制御そのものはできることになります。辻褄合わせをしなくても、行動を決定して身体を動かせる。ということになります。
意識がないと動けませんよね?普通。例外はあるにしても。
ただそれだけで今回の意識の定義を否定することができます。根本的な何かを間違えていると思えてなりません。残念ながら。
そもそも定義を明確にすることは不可能なのかも知れません。意識も。意思も。客観的に観測できないからです。思考実験のみで帰結することもあり得なくはありませんけれど。ないでしょうね。おそらく。魂と同義だと思えます。ない、と定義することも、ある、と定義することもできてしまいます。証明できないからです。
もしも、心臓、あるいは眼、に意識や意思、心が宿ると仮定したとして、否定できる材料はありません。どのようにでも想定できてしまいます。証明できないからです。そもそも定義そのものが明確でない以上、考えるだけ無駄ともいえます。
個人的には、意思は眼に、心は心臓に宿る気がしています。そして、意識は魂と同義です。ちなみに科学的根拠は、まったくありません。ただの勘です。
解明できる日が、いつか来るのでしょうか、ね。ないような気がします。生命の神秘を解き明かすようなものだからです。それは、全人類が悟りを開くのと同義だと思えます。そうなってしまえば、生命の営みはもはや不要になります。きっと。
などと、なかなか興味深い考察をさせていただきました。おもしろいと思いました。とても。
ふと根本的な疑問がよぎりました。
脳科学の観点は、いわば唯物論ですよね。脳こそが個体を統合制御する唯一の器官である、と。
それなら、脳の中に決定を司る部位が見つかったのならば、それこそが意思の正体である、と結論付けても良さそうなものです。
けれども、脳が勝手に決定しているのだから意思はない、と帰結しているように思えます。
もしも意思というものを脳を起動するための何かだと考えているのなら、脳を観測したところで意思の在処は証明し得ません。脳の処理は既に結果だからです。更に言うのなら、それはもはや唯物論ではありません。
ごちゃ混ぜですね。一体、何がしたいのでしょうか。この人たちは。そもそも提唱者によって定義が異なる時点で、科学の定義から外れると思えます。
脊髄反射、これもおもしろいですよね。
1つの見方としては、脳を神経系と捉えるのであれば、実は脊髄も脳のモジュールの1つということになるのかなと思います。そしてモジュールは情報をやり取りする場合もあればしない場合もある。
そしてそう考えると脊髄反射は脳に情報を送らず、感覚神経と脊髄、運動神経のモジュールのみで情報をやりとりし、行動を決定している、という見方もできるかもしれません。決定モジュールは1つだけではない、ということですね。
また意識がなくても人間は動きます。それこそ脊髄反射であったり、呼吸であったり、寝返りをうったりもします。起きている時ですら、そして意識的な活動をしていると感じている時ですら、私たちが意識的に行っている行動の方が実は少ない。今コメントを読んでいただいていると思いますが、そのときに体を支える意識はありませんし、目も勝手に動きます。私も今意識を向けずにキーボードをたたいています。自転車やスキーなども1つの例だと思います。まあ自転車に乗るに伴うあらゆる身体制御を「自転車に乗ろう」という意識下に含めるのであればまた話は変わってきそうですが、個人的には人間は「覚醒していることと意識があることはイコールではない」という前提の上では「意識的でなくても動く」と考えています。
しかしながら意識や自由意志を明確に定義することは難しいというのは同意で、結局のところ「自分が納得できる定義や説明を受け入れるしかない」という感じになるのだと思います。1や2といった数字ですら幾何学の定義を採用しているだけで、確かなものではない。そう考えたとき、やはりあらゆるものは宗教的であり、しかしそれでもおもしろい、というものになるのかなあと思います。
なぜ人間には意識モジュールがあるのですかね。
ChatGPTには意識モジュールは無い気がします。
やはり進化の過程で必要だったのですかね。
他個体や子孫とコミュニケーションを取るために必要なのですかね。
意識モジュール(と記憶モジュール?)がコミュニケーションには必要な気がします。
そして、コミュニケーション能力は、個の生存および種の生存に有利なのかなと。。
ふむふむ。。
この説明で言うと決定モジュールは何を元に決定してるんだろ?
流石にランダムって訳じゃないだろうし
いろいろあるとは思いますが、影響が1番デカいのは本能系じゃないかなと思います。快不快とか、Fight or Flightとかその辺じゃないかな・・・。
DQ10でA,B,C三人でプレイする。AでプレイするときはB,Cは兄弟くらいに感じる。BでプレイするときAはやはり他人と感じてしまう。ごめん、現実の話に仮想の話を持ち込んでしまった。
基本プレイはAがやってて、BはなんでAがそういう行動をしたのか考察してる視聴者みたいな感じですかね?
こんな時間に投稿ですか、やりますね
き、気のせいですよ・・・
それがそうなら良いのです。
本を読んでないので的はずれな話かもしれませんが、「意識は内外からの質問に答える報道官である」という定義の「外」と言うのは「他人」ということでしょうか。
仮にそうだとして、9割が知らない雑学さんの動画の内容をそのまま当てはめて、身体の行動を意識より先に脳が決定しているとした場合、外(他人)への発信と言う行動は先に脳が決定しているであろうと考えられるので、意識モジュールは外への発信は担当できないのではないでしょうか。
そう考えた場合、意識モジュールは各モジュールから出た情報を「内(自分)」向けに「要約」を担当しているのではと考えてみました。
あるいは「記憶」として記録するためにまとめた物と考えることもできるかもしれません。
そう考えてみると自分たちが普段感じている意識というのは、進化の過程でたまたま獲得した副産物かも知れないなんて言う突飛な考え方もできそうです。
ちなみに自由意志と言うのは個人的にはあると考えています。
上で書いたこととはまた違った考え方ですが、9割が知らない雑学さんの動画を見ていた時、意思と意識は別物で、意思は脳の決定でありそれが無意識下で行われ、それが体中に伝達される際に意識となる部分に出力された結果、我々が意識としてその決定を認識することが出来ているのではと考えたからです。
なので、意識とは脳の演算結果の出力先(例えるならモニター)でしかありませんが、その決定は脳によって行動の取捨選択が行われているので自由意志は存在すると言う考え方です。
専門的な知識はゼロなのでおそらく的はずれな考えでしょうが、こういうことを考えてみるのは楽しいですね。
他人の場合もあれば外部刺激の場合もあるかなと思います(他人も外部刺激の1つですが)。
個人的な理解としては、例えば愚痴を言うとかであれば「感情から不快という情報が届き」、「意識がその理由を考え」、「決定が愚痴を言うことを決める」みたいな流れになるのかなと思っています。内容を考えるのが報道官で、それを言うかの決定はやはり決定モジュールが行う、という感じですね。
ただおっしゃる通り、内向けに要約というか作り出しているのも間違いないと思います(「作り出す」という言葉に拘るのは、人間は記憶すら捏造することが頻繁にあるからです)。
最後の意志と意思の話ですが、おもしろいですね。意思を意識が認識できないだけで、意思は無意識化で自由に決定をしている。意識が認識できないものを自由と言っていいのか等いろいろ議論はできそうですが、こういうのをうだうだ考えているのが私も結構好きです。
自由意志がないんなら犯罪とかどうなるんだろう🤔
要するに悟性の詳しい説明をしてる感じの動画ってわけか
カント難しすぎて読めてないんですよね・・・。そんな感じでしたか?
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 自分もそんなに頭いいわけじゃないので間違ってる可能性は全然ありますが、悟性は「雑多に並べられただけの情報に意味付けを行って、ものを概念として認識する能力」だとカントは説明していました。
聴覚や視覚、決定等の情報を意識モジュールが受け取って、後から理由付けを行う構図がカント哲学における悟性と似ているなと感じています。
@@ずっとマヨばっかでいいのに
ほほー、だとするとかなり近い概念になりそうですね。カントは認識論が中心なので外部認識に寄ってる印象はありますが、役割はほぼ同じですね。勉強になります・・・!
ふーむ…そもそも何を以て「自由意志」と定義するのかが定まっていない時点で回答不能なわけですが、面白いテーマではありますね。
自分の仮説でも書こうかなと思ったけど、アホみたいに長くなるのでやめておきます。どう考えても自分で動画かブログでも作れってレベルになる。
個人的には聞きたいところではある・・・!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる さん
短く纏めるの難しいんですよねぇ…。
生物としての視点から見ないといけないから、前提が滅茶苦茶長くなるので。
まあ誤解される前提レベルで分かりやすくざくっと言うなら「昆虫に自意識があるかどうか、どうやって証明するの?」です。
@@muramasa9582さん
短くまとめるの難しいのわかる(わかる)
自意識の定義というか、証明方法ですよね・・・昆虫どころか人間の自意識の証明も割と地獄みたいな作業になりそうですしおすし。
石が飛んできた、パット避ける、
え?すべてはビックバンから始まった化学反応の連鎖の過程でしょ
ま、まあそれじゃあ少し寂しいじゃないですか、と個人的には思うわけです。
決定論 と 今回の動画の内容 は、矛盾しないんじゃないですかね。
意志が行動の脳波が出た後に作られるなら10日後にあれをしようって思い10日後行動するのはなぜ?
「10日後にあれをしよう」と思うのは、意識モジュール。
記憶モジュール?に、それが記憶される。
決定モジュールは、記憶モジュール?ともやりとりし、10日後に決定モジュールが行動を決定する。
という感じですかね。。。
@@kokoko67それって結局は自分の意思が反映されて行動が確定したということでしょ?,じゃあ自由意志はないとは言い切れないのでは?
: 自由(な)意思はないけど自由(的)行動はある、のかな(・_・?) ②「(偶然の)ひらめき」はそういった情報と記憶記録の短縮圧縮伝達間違いによる刺激の産物?
偶然のひらめきも厳密に言えば偶然じゃないんだと思います。
意識モジュールが説明できないから「ひらめき」って表現してるだけで、脳が完全に無から何かを決定できるわけじゃないと思うので・・・
寝てた(´Д⊂ヽ
帽子ない魔理沙カワイイw
おっはよー!!
fateコラボですか
そろそろストックが無くなってきたんじゃないですか?
もうだいぶないです苦笑
このコメントを読んだ人は呼吸が自由意志によるマニュアル操作に切り替わります。
呼吸って意識では説明できないものの1つですよね・・・。自転車とかもそうですけど。
うぽつ
人間の記憶をデジタル化して保存し、別の人間の脳に上書きする「精神転送」について考察してください
個人的にそれが可能だとしても意味がないと私は思っていますね。
デジタル化して保存することは「コピー人間を作る」ことと同じだと思っていて、つまり以下のように
⇒ 自分(オリジナル兼アナログ)
自分(アナログ)
⇒ 自分2(デジタル)
もう1人の自分ができるだけだと考えるからです。つまり自分の意識や感覚はオリジナル側に残っていて、要は「自分と全く同じ別人ができるだけ」だからです。
オリジナル側から見れば、デジタル側の自分は永遠に生き続けますが、それは「自分みたいなものが永遠に生き続ける」だけで、オリジナルはそれを客観的に見るだけになってしまう。それ以降の記憶や意識を共有できるわけでもないし、一心同体になるわけでもない。
意識自体を移すことが可能であればもしかしたら意味があるのかもしれませんが、コピーを経由するような精神転送はオリジナルである私たちにとって意味がないものになるのかなあと思います。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる そうですね。オリジナルの自分のコピーをただ作るだけならオリジナルにとっては意味のないことですね。
どうして考察したいと思ったのかというと、Cyberpunk2077のゲームをやっており今回の動画のテーマに刺さったからです。
ストーリーをかいつまんで解説すると、とある巨大企業が「精神の死」を回避する極秘研究を行っており、実験体としてとあるテロリストの精神を肉体から切り離しAIとしてチップ化することに成功。肉体を失ってもチップそれ自体が思考を有していて生前のオリジナルの思考法で考え、話し、行動する「不死の精神」を実現することに成功した。
主人公は偶発的な事故でそのチップを頭に取り入れてしまい、結果テロリストの人格が脳に流れ込んでしまい、一つの脳内に二つの人格が同居するようになり、やがて主人公の人格を徐々に上書きし体を乗っ取ってしまう。チップを無理に引き剥がそうとすると主人公の精神までもが道連れにされ死に至るため、体が完全に乗っ取られる前に解決策を見つけだし主人公が奔走するというのが大まかなストーリーです。
2つの人格が同居する主人公を一個の存在といえるのだろうか。主人公と脳内で会話するテロリストには本当に心があるのか?
ただのインプットされた人格アルゴリズムが要素を計算して人間の受け答えを真似しているだけではないのだろうか?
高度なAIに魂はあるのか、そのアイデンティティは?というのが本作のテーマでした。
@@Unityan なるほど、1つの脳内に同居する前提があったのですね。
今回の同居した2つの人格という意味では、科学的には1個の存在ですが、客観的(これは科学的という意味ではなく外部から見て、という意味です)と主観的には1個の存在ではないという話になりそうだなと個人的には思いました。
結局自分がどう思うか、相手(人々)がどう思うかが社会においてはすべてで普遍的な指標なんて存在しないので、本人とその周囲がどう思うかで全部決まるのかなと思っています。
(ちなみにこれ前回の問いの私の答えなのでネタバレすまぬ)
視覚モジュールとか聴覚モジュールとか本能モジュールとか言うのはフロイトとかユングの言う無意識(イド及びエス、それと超自我)であり、意識モジュールが自我だという事だと思います。
無意識の領域の方が広大で自我の領域は氷山の一角だとよく言われます。
無意識が情報を伝えようが伝えまいが、無意識も含めて自分なのであり、自分が情報を伝えたり伝えたりしないことにより、意見が決定されているのなら、それは自由意思に含まれると思います。
それと脳の話を持ち出してきたんで、人間の意志など単なる電気信号に過ぎないと言ってくるのかと思っていたんですが、ちょっと科学的ではないかもしれませんが、天の意志と言うのが昔から言われています。
例えば木を育てようとするとします。
木が木であるように天が作ったものであり、木を育てようとする私も天が作ったもので、私が木を育てようと思ったのも天の意志です。(自分の意志と天の意志がかみ合って天意が実現されていくのですがここでは関係がありませんので省きます。)
この様に天の意志が実現されるのなら、人間の脳の中の電気信号もランダムのように見えて、ある種の必然性を導き出す方向に向かって電気信号が流れます。
これが自由意思だと思います。
始めに書きましたが科学的ではないかもしれませんが、自分はこう思います。
無意識も含めて自由意志となると、あらゆる行動が自由意志の元に成されているという結論になりそうですが、その辺りはいかがでしょう?
天の意志というのもおもしろいですよね。人間は脳が受け取った情報に対して反応するようにできていると考えたとき、科学的な方法では知覚できない何かを受け取って反応している可能性もあり、その辺りが量子力学でいうランダム性として評価されている可能性も出てきます。まあ天の情報に左右されているときそれは自由意志と言っていいのか、という話は置いといて、受け取っている情報が五感だけじゃない、というのは個人的にもあってもおかしくはないのかなあと思います。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる やはりあらゆる行動が自由意思の元になされているのだと思われます。
たとえば、意識で知覚できないが「なにか気持ち悪い」と感じる事があります。
これは無意識で何か拒絶するものを知覚していて、それが意識に上がってきてその様に意識で感じて判断に補助になっているのだと思います。
あと、運動の選手とか、特に卓球とかテニスとかの選手は、ボールを見て考えて行動しているというより体で反応しているのだそうです。
考えて行動していない、意識では考えていなくとも、本能レベルで考えている、無意識で考えているという事になり、これは卓球やテニスの状況に適応していますし、選手は適応しようとしていますのでやはり自由意思で考えているのだと思います。
あと、犯罪行動とかも自由意思なんでしょうが、人によっては自我(意識)とか超自我(無意識の良心)の強さが違いますので、個人差がありますが(超自我に関しては父親の厳格な像が反映されるとされますので家庭教育の是非が問われると思います)やはり、犯罪に関しては自由意思の結果として責任が追及されるべきだと思います。
人間は贅肉の奴隷、悟りを開いたはずのお釈迦様も贅肉をたくさん、蓄えながら最期を迎えた
何故この時刻?
あの日から出張でしばらくいなかったからです苦笑
本を紹介するチャンネルは廃れる。
そうならないためには、
本の著作者以上の思考を提示すること。
「それだけのことです」( ̄▽ ̄;)
セリフだけだと軽く言ってる感じに見えるが後に続くAAが困難さを物語っている……
すたれないように頑張るとしましょう・・・!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる応援しています。います。
お料理チャンネルから逃げるな
うぐぅ
うぽつです。