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生きる意味を後付けすることは、文明人にとって親しみやすい手だと思いました。対照に堕落や快楽が挙げられましたが、代わりに悟りのような、東洋哲学的なものを置いて考えるのも、おもしろいかもしれないと思います。また、あえて文明から離れて原始的に生きるというのも、一つの手でありえそうだと思いました。
極端な「個人主義」は、ニヒリズムに至る。一方、極端な「目的主義」は自らの無力感から、これまたニヒリズムに至る。他者との関わりに喜びを感じるからこそ、私はここでコメントを書いています。😊
「人生に意味はない」とは良く言われますが、敷衍してあらゆるものに意味がないとすれば意味という概念そのものが消失し意味を問うこと自体がナンセンスであるという結論に達するのではないでしょうか? まして「意味のない人生」が虚しいと考えることは「意味のある虚しくない人生」を仮定することでしか成立しえず、すべてに意味がない以上、その認識自体がナンセンスであるとしか思えないのです。人間存在に所与のものとしての意味はないけれど、であればこそ人は自身の存在にどのような意味でも主体的に付与できるのではないか?だから、人生が無意味であると思うことと意味があると思うことは矛盾しないのではないか?そこまで達することこそが本来のニヒリズムではないか?そのように考えています
「何者かにならないといけない」という焦慮が生まれてしまう現代だからこそ彼女の考えは響くものがあるかもしれませんね。大変おもしろかったです。
現代はSNSの普及によって他者と比較して劣等感を感じ、自己嫌悪を感じたり、生きる意味を考える若者は多いと思います。私自身も10代〜20代前半は「私が存在することに何も意味は無い」と絶望する事がありましたが、サルトルや仏教を知って、それでも何か目的を持って(目的を探しながら)生きていこうと考えていけるようになりました。
さぁ、よりよく生きる計画を立てようではありませんか!❤ヴォーヴォワール大好き❤わかりやすくまとめてくださってありがとうございます。
彼らの思考は あくまで 3次元的ですね
ヒップホップphilosopherと勝手に思ってるMACHOのリワインドの中に旅するために旅に出るという歌詞がありなんとなく今回の動画に近い世界観かなと思いました
カミュの帰結と似てる気がしますが、あくまでも存在に意味を見出すことに意味があると言うのですね
ピュロス王の例え話って、もしかして「メキシコの漁師とMBAコンサルタント」の元ネタ?
ハサミを例に出すなら、原材料である鉄は希求されて生じていいるか、この分類において人間はどちらかと解釈する感じかな。
人間を「目的なきもの」とするならば、人間が意図的に作った何か以外のものは人間と同じように「目的なきもの」となるんだと思います。ですから、鉱石や元素としての鉄には目的がなく、製鉄には目的があると。
諸法無我の教えですねそして中庸に至ります
ルドルフ・シュタイナーの「自由の哲学」。哲学チャンネルで取り上げて頂きたいです。
少女革命ウテナ 第9話 永遠があるという城
やっぱり実存主義ってニーチェに遠く及ばないね。ニーチェはルサンチマンと超人(高貴な精神/ディオニソス)という質的な線を見出した。そっちのほうが根本的ですよね。
人生に意味はないという陥穽を見続けられるほど人は強くない。ので心に空いた穴ぼこに意味を詰め込むという虚しい作業。それをニヒリズムと言う。
まあ意味があると言ってもないと言っても誰かが結局怒るからむずかしいです
哲学というよりは、宗教に近い議論になってしまいますね。検証不可能な事を議論するのですからしょうがないのかもしれません。
私は自然主義なので、その視点から見ると生命誕生時には「実存は本質に先立つ」状態だったと思いますが、進化の過程で自己の情報(遺伝情報など)の維持が本質となってきたのではないかと考えています。この時、情報の維持とゆー本質があって 実存としての生命が現在は繁殖し続けていると仮定できます。すると、ヒトも現在は「本質は実存に先立つ」と言えるのでは。情報の維持が本質である場合、生きる事が意味であり、この人生に意味はない とも言えそう。しかし生きて、子孫を残し情報をバトンタッチできたら それは情報の維持になるし…利他を行い、志半ばで果てたとしても、誰かがそのヒトの情報を持っていてその情報が維持される成功確率が上昇すれば それは情報の維持になる…↑こーゆー本能的に良い事をしていれば、それが人生の意味として採用されそう。また、私が生きてて子孫の情報維持の妨げになるよーなら、情報をより長く維持する為にテキトーなトコロで果てる方がより良いとも言えるのかな? とすれば、ただ生きてただ果てる存在ではなく、ワケあって生きて果てている可能性もあるのかなーとか考えて面白かったです。矛盾を矛盾のまま理解しようとする姿勢は私も好きなので、共感するトコロでもありました。
ドーキンスっぽい視点ですね
ラカンみたいだな
意味がない人生をどう生きるか。質問があります。官僚の仕事は国会答弁の資料づくりもあると聞きましたが、これを議員自信が作ることはできないのでしょうか。官僚の再就職先として議員の国会答弁の資料作成役をしてもらって、その元官僚が良くない仕事をすればすぐに国民に実態が知らされ、首を切ることもできる。そんな制度は作れないものでしょうか。
生きる意味を後付けすることは、文明人にとって親しみやすい手だと思いました。対照に堕落や快楽が挙げられましたが、代わりに悟りのような、東洋哲学的なものを置いて考えるのも、おもしろいかもしれないと思います。また、あえて文明から離れて原始的に生きるというのも、一つの手でありえそうだと思いました。
極端な「個人主義」は、ニヒリズムに至る。一方、極端な「目的主義」は自らの無力感から、これまたニヒリズムに至る。
他者との関わりに喜びを感じるからこそ、私はここでコメントを書いています。😊
「人生に意味はない」とは良く言われますが、敷衍してあらゆるものに意味がないとすれば
意味という概念そのものが消失し意味を問うこと自体がナンセンスであるという結論に
達するのではないでしょうか? まして「意味のない人生」が虚しいと考えることは
「意味のある虚しくない人生」を仮定することでしか成立しえず、すべてに意味がない以上、
その認識自体がナンセンスであるとしか思えないのです。
人間存在に所与のものとしての意味はないけれど、であればこそ
人は自身の存在にどのような意味でも主体的に付与できるのではないか?
だから、人生が無意味であると思うことと意味があると思うことは矛盾しないのではないか?
そこまで達することこそが本来のニヒリズムではないか?そのように考えています
「何者かにならないといけない」という焦慮が生まれてしまう現代だからこそ彼女の考えは響くものがあるかもしれませんね。大変おもしろかったです。
現代はSNSの普及によって他者と比較して劣等感を感じ、自己嫌悪を感じたり、生きる意味を考える若者は多いと思います。
私自身も10代〜20代前半は「私が存在することに何も意味は無い」と絶望する事がありましたが、サルトルや仏教を知って、それでも何か目的を持って(目的を探しながら)生きていこうと考えていけるようになりました。
さぁ、よりよく生きる計画を立てようではありませんか!❤ヴォーヴォワール大好き❤わかりやすくまとめてくださってありがとうございます。
彼らの思考は あくまで 3次元的ですね
ヒップホップphilosopherと勝手に思ってるMACHOのリワインドの中に旅するために旅に出るという歌詞がありなんとなく今回の動画に近い世界観かなと思いました
カミュの帰結と似てる気がしますが、あくまでも存在に意味を見出すことに意味があると言うのですね
ピュロス王の例え話って、もしかして「メキシコの漁師とMBAコンサルタント」の元ネタ?
ハサミを例に出すなら、原材料である鉄は希求されて生じていいるか、この分類において人間はどちらかと解釈する感じかな。
人間を「目的なきもの」とするならば、人間が意図的に作った何か以外のものは人間と同じように「目的なきもの」となるんだと思います。ですから、鉱石や元素としての鉄には目的がなく、製鉄には目的があると。
諸法無我の教えですね
そして中庸に至ります
ルドルフ・シュタイナーの「自由の哲学」。哲学チャンネルで取り上げて頂きたいです。
少女革命ウテナ 第9話 永遠があるという城
やっぱり実存主義ってニーチェに遠く及ばないね。ニーチェはルサンチマンと超人(高貴な精神/ディオニソス)という質的な線を見出した。そっちのほうが根本的ですよね。
人生に意味はないという陥穽を見続けられるほど人は強くない。ので心に空いた穴ぼこに意味を詰め込むという虚しい作業。それをニヒリズムと言う。
まあ意味があると言ってもないと言っても誰かが結局怒るからむずかしいです
哲学というよりは、宗教に近い議論になってしまいますね。
検証不可能な事を議論するのですからしょうがないのかもしれません。
私は自然主義なので、その視点から見ると
生命誕生時には「実存は本質に先立つ」状態だったと思いますが、進化の過程で自己の情報(遺伝情報など)の維持が本質となってきたのではないかと考えています。この時、情報の維持とゆー本質があって 実存としての生命が現在は繁殖し続けていると仮定できます。すると、ヒトも現在は「本質は実存に先立つ」と言えるのでは。
情報の維持が本質である場合、生きる事が意味であり、この人生に意味はない とも言えそう。
しかし生きて、子孫を残し情報をバトンタッチできたら それは情報の維持になるし…
利他を行い、志半ばで果てたとしても、誰かがそのヒトの情報を持っていてその情報が維持される成功確率が上昇すれば それは情報の維持になる…
↑こーゆー本能的に良い事をしていれば、それが人生の意味として採用されそう。
また、私が生きてて子孫の情報維持の妨げになるよーなら、情報をより長く維持する為にテキトーなトコロで果てる方がより良いとも言えるのかな? とすれば、ただ生きてただ果てる存在ではなく、ワケあって生きて果てている可能性もあるのかなー
とか考えて面白かったです。
矛盾を矛盾のまま理解しようとする姿勢は私も好きなので、共感するトコロでもありました。
ドーキンスっぽい視点ですね
ラカンみたいだな
意味がない人生をどう生きるか。
質問があります。官僚の仕事は国会答弁の資料づくりもあると聞きましたが、これを議員自信が作ることはできないのでしょうか。官僚の再就職先として議員の国会答弁の資料作成役をしてもらって、その元官僚が良くない仕事をすればすぐに国民に実態が知らされ、首を切ることもできる。そんな制度は作れないものでしょうか。