昭和の30年代には田舎はどこでも普通にやってた。30年代後半になって精米業者が機械でこれを行うようになり中小の農家はそこに持って行ってお金を払ってやってもらうようになった。なので当時、白米のことを「銀飯」と呼び、我が家の祖母なども当時「ええ時代になったのう、こうして毎日銀飯が食えるようになった(祖母の時代は盆と正月だけ)…」と噛みしめて食べていた。
祖母が縁側で、やっていました🎵懐かしいてす。手短でもみがらを吹く手伝いもしていました。ありがとうございます🍀
そうなんですね 喜んでいただいて嬉しいです(^こ^)
誰か 作ってくれる人いないかなー 籾すり臼~
昭和の30年代には田舎はどこでも普通にやってた。30年代後半になって精米業者が機械でこれを行うようになり中小の農家はそこに持って行ってお金を払ってやってもらうようになった。なので当時、白米のことを「銀飯」と呼び、我が家の祖母なども当時「ええ時代になったのう、こうして毎日銀飯が食えるようになった(祖母の時代は盆と正月だけ)…」と噛みしめて食べていた。
祖母が縁側で、やっていました🎵懐かしいてす。
手短でもみがらを吹く手伝いもしていました。ありがとうございます🍀
そうなんですね 喜んでいただいて嬉しいです(^こ^)
誰か 作ってくれる人いないかなー 籾すり臼~