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こちらこそ、感謝です! ー> 子どもが多い福岡でフリースクールをしています。参加されるお子さんもですが親御さんは基本的にとても真面目で素直だと感じます。ほどほどの効用をシェアします。言葉にしてくださってありがとうございます!
ですよね! ー> 適当にゆるめることは、きっと、ときに大事なのでしょうね。少なくとも、張りつめ続けて切れてしまうよりいいと思います。
子どもが多い福岡でフリースクールをしています。参加されるお子さんもですが親御さんは基本的にとても真面目で素直だと感じます。ほどほどの効用をシェアします。言葉にしてくださってありがとうございます!
小学校から東大まで無遅刻無欠席はドクター中松さんですね。天才も人それぞれなんですね。前から思っていましたが、ドクター中松さんとの対談が見てみたいです!
私は全日制高校を出たが教室は全員同年齢だった、しかし高校を出て以降に自分の周囲に出来た人の空間で全員が同年齢だった事は一度もない。数十人が全員同年齢って空間は自然発生的にはまず成立する事は有り得ないと思う。そうすると学校、特に小中と全日制高校だけがほぼ全て教室が同年齢で揃っている事は実は極めて特異であり高校では定時制や通信制の教室の年齢がバラバラの空間の方がより実社会に近い自然体なのではないだろうか?そうであるならば人為的に作られた空間は全員同年齢が徹底されてる全日制課程の方でありこの空間に適応出来ないからダメなんだって烙印を押されてしまう現状もそれなりにおかしな事と私は考えてしまう。所詮は人が作った制度、自分にとって向き不向きがあるのは至極当然
凄い親近感持って聞いてました。 自分はコミットして学校に従ってました。親に迷惑かけるので。でも、卓球部を10年間やってきましたので、好きなことができたのが良かったかも知れません。以前に書いたかも知れませんが、大学2年生から4年で一年留年して5年まで、週に2教科ぐらいしか出てませんでした。試験だけで何とかパスしていたようです。さすが最後は英語で単位が足らなくて留年しました。両親には申し訳ないと思っていました。
僕は学校も嫌いだったけど、家が一番嫌いだったので登校してましたね。今、不登校が増えたのは、家の居心地が良い+ネットのコンテンツが豊富で消費に忙しい、の組み合わせだと思ってます。
ご著書、何故取り上げられないのか😮早速読ませていただきます。学校に行けた理由、大いに共感しました。
参考になります🌟茂木先生はグループワークが苦手というのは意外でした。話し合いながらチームワークをするには良い学習方法です。
学校のお話 親御さんの関係もありますが、お話しに出てきませんでしたね。親に言われるからイヤイヤ行くのです。茂木さんは言われませんでしたか?行く理由。友達が出来ないと行けなくなりますよね。自分から輪の中に入れないから。一人でいるといじられるし。私も集団行動嫌いです。人といられるのも2時間くらいまで。それ以上は退屈で話題も出てこないです。他の事考えてると言ってもそういう人って直ぐわかります。茂木さん気をつけてください。私の場合は触覚があって過度に気が付いてしまいます。だから傷付く事も多いです。説明の上手い人の話しは楽しい下手な人は退屈
茂木先生、お仕事とはいえ、いろんな場所に行っていらっしゃるのは羨ましい限りです。そしてお食事も..いつも美味しそうですね!!グループワークよりフィールドワークの方が自分は子供達にオススメしたいです。
時間は存在しませんね。過去にも未来にも行けますね。ネガティブな過去に「感謝ありがとう」をふりかけると過去はポジティブに変換しますね。
素晴らしい先生に私本来は話せません。逆に私にいた人がすごい人なんだなと思います。話しかけることはありません。尊敬する方ですので。
過去を振り帰るとこれは同じようなことありますね。その時僕はどうしていたかなあと思い出してみます。
適当にゆるめることは、きっと、ときに大事なのでしょうね。少なくとも、張りつめ続けて切れてしまうよりいいと思います。学校が2,3割というのは、そうさせる学校の仕組みが、人間社会にとって損失的だと思いました。自発的にほぼ10割熱中せずにはいられないようなものだったらいいのにと思います。それは一律教育ではありえないのかもしれませんが。
身に覚えのある話でした。未だに目上の人的なものに対して頑張り過ぎてると思います。目上の人の負担にならない事が仕事…みたいな。それはさておき、Collective Intelligenceを研究している先生が、グループワーク嫌いって面白過ぎますね。CIの概念が広がった様な気がします。
相手の懐ではなく、相手が叶える約束は必ず成功するものだから、その成功を変えたは触らずに空気で書いていた。前にたけでんさんにエアでもじっが書けるものを作りたいと伝えたことがありました。あったので購入し停止にしてエア書きしただけです。何の根拠もないですし、聞いていないかもしれません。では、失礼いたします。合言葉は小説です。
派閥好きみたいな人いますね。派閥に入らないと不安だったり。これ、苦手だな、、
それ日本人の9割
どちらも私ですので、姉弟です
高校の倫理社会の授業の時に、多く人が集まる所では、窮屈に感じたり時には、隙間風が通り過ぎる様な感じは何なのでしょ?と質問した時に先生が、あ~、それ分かりますね~。俺も感じる時あるしィ…。大人に成ってからもあるよ~。例えばね、倫理社会の授業やっていても、先生の個人的な思想的な、そこまでは要りませんからねッ~なんて言われるしね。君達もいろんな先生の考え方とか、癖なんかも触れたら良いよ。けっこう愉しく成るからネと話されていていっそ、誰も知らない群れの中だと伸び伸び出来る気がしたりしてさぁ…~🧔とも話されてました。くだらない授業の方を思い出すもんだよ😁ニィと。
自分の話を聞いているかのようでした。ただそのことについて非典型的である自覚がなかったので参考になりました。今でも「ではここからはグループに分かれて」と言われた瞬間にゾッとしますね ^_^
欽ドンのマネをよくやっていましたね。
小学校から高等教育までを単位制みたいにしたらと。 そして、理解度に合わせて組分けしていくようにしたらと。 その場合、教師の資質による分類と各校への振り分けという課題がありますが、それを乗り越えないと学び問うという学問の基礎が育めないのではないかと。
単位制の方が自主制の中々ない日本人を変えることができますよね。与えられたものをやってるやり方は社会ではこれからは役に立たないと思いますからね。自分で企画して自分でやってみるというのは単位制の方が近い気がします。
私も留年しましたが卒業できました。
体育の2人組とか最悪でしたね。その日の出席者が偶数か奇数かをすごい気にしてました。
私は学校が退屈でつまらなかったので、プチ旅行や図書館に行ってました。茂木先生とは又違うタイプです。無視するタイプ64↔都市伝説46分
メタ認知に階層を転移するのでしょうか・・。高校生の教え子とのこんな遣り取りを憶えています。「先生が言っていることを実践すると、友達ができなくなりませんか?」「当たり前だ。幼い頃は学区という距離的条件で友人が作られる。高校あたりもある程度、同様だが、一般学習成績で集団が形成される。しかし、大学以降では、専門性で、それに意識の向かう者が集まってくる。大学院、学会、社会専門集団で、それが先鋭化されて、社会の相互エージェントとして貢献できるようになる。共通の問題意識を持って友人になれるのは、ほぼ大学以降だろう。寧ろ、高校生でも先取りして、研究者にメールでもして、質問して、関係を繋ぐとよい。」 実際、学会のメンバーあたりで話をすると、同じ経験を、少なからず持っている気がします。
こちらこそ、感謝です! ー> 子どもが多い福岡でフリースクールをしています。参加されるお子さんもですが親御さんは基本的にとても真面目で素直だと感じます。ほどほどの効用をシェアします。言葉にしてくださってありがとうございます!
ですよね! ー> 適当にゆるめることは、きっと、ときに大事なのでしょうね。少なくとも、張りつめ続けて切れてしまうよりいいと思います。
子どもが多い福岡でフリースクールをしています。参加されるお子さんもですが親御さんは基本的にとても真面目で素直だと感じます。ほどほどの効用をシェアします。言葉にしてくださってありがとうございます!
こちらこそ、感謝です! ー> 子どもが多い福岡でフリースクールをしています。参加されるお子さんもですが親御さんは基本的にとても真面目で素直だと感じます。ほどほどの効用をシェアします。言葉にしてくださってありがとうございます!
小学校から東大まで無遅刻無欠席はドクター中松さんですね。天才も人それぞれなんですね。
前から思っていましたが、ドクター中松さんとの対談が見てみたいです!
私は全日制高校を出たが教室は全員同年齢だった、しかし高校を出て以降に自分の周囲に出来た人の空間で全員が同年齢だった事は一度もない。
数十人が全員同年齢って空間は自然発生的にはまず成立する事は有り得ないと思う。
そうすると学校、特に小中と全日制高校だけがほぼ全て教室が同年齢で揃っている事は実は極めて特異であり高校では定時制や通信制の教室の年齢がバラバラの空間の方がより実社会に近い自然体なのではないだろうか?そうであるならば人為的に作られた空間は全員同年齢が徹底されてる全日制課程の方でありこの空間に適応出来ないからダメなんだって烙印を押されてしまう現状もそれなりにおかしな事と私は考えてしまう。所詮は人が作った制度、自分にとって向き不向きがあるのは至極当然
凄い親近感持って聞いてました。
自分はコミットして学校に従ってました。親に迷惑かけるので。でも、卓球部を10年間やってきましたので、好きなことができたのが良かったかも知れません。以前に書いたかも知れませんが、大学2年生から4年で一年留年して5年まで、週に2教科ぐらいしか出てませんでした。試験だけで何とかパスしていたようです。さすが最後は英語で単位が足らなくて留年しました。両親には申し訳ないと思っていました。
僕は学校も嫌いだったけど、家が一番嫌いだったので登校してましたね。今、不登校が増えたのは、家の居心地が良い+ネットのコンテンツが豊富で消費に忙しい、の組み合わせだと思ってます。
ご著書、何故取り上げられないのか😮
早速読ませていただきます。
学校に行けた理由、大いに共感しました。
参考になります🌟
茂木先生はグループワークが苦手というのは意外でした。
話し合いながらチームワークをするには良い学習方法です。
学校のお話 親御さんの関係もありますが、お話しに出てきませんでしたね。親に言われるからイヤイヤ行くのです。茂木さんは言われませんでしたか?行く理由。
友達が出来ないと行けなくなりますよね。自分から輪の中に入れないから。
一人でいるといじられるし。
私も集団行動嫌いです。人といられるのも2時間くらいまで。
それ以上は退屈で話題も出てこないです。他の事考えてると言ってもそういう人って直ぐわかります。茂木さん気をつけてください。私の場合は触覚があって過度に気が付いてしまいます。
だから傷付く事も多いです。
説明の上手い人の話しは楽しい
下手な人は退屈
茂木先生、お仕事とはいえ、いろんな場所に行っていらっしゃるのは
羨ましい限りです。そしてお食事も..
いつも美味しそうですね!!
グループワークよりフィールドワークの方が自分は子供達にオススメしたいです。
時間は存在しませんね。過去にも未来にも行けますね。
ネガティブな過去に「感謝ありがとう」をふりかけると過去はポジティブに変換しますね。
素晴らしい先生に私本来は話せません。逆に私にいた人がすごい人なんだなと思います。話しかけることはありません。尊敬する方ですので。
過去を振り帰るとこれは同じようなことありますね。その時僕はどうしていたかなあと思い出してみます。
適当にゆるめることは、きっと、ときに大事なのでしょうね。少なくとも、張りつめ続けて切れてしまうよりいいと思います。
学校が2,3割というのは、そうさせる学校の仕組みが、人間社会にとって損失的だと思いました。自発的にほぼ10割熱中せずにはいられないようなものだったらいいのにと思います。それは一律教育ではありえないのかもしれませんが。
ですよね! ー> 適当にゆるめることは、きっと、ときに大事なのでしょうね。少なくとも、張りつめ続けて切れてしまうよりいいと思います。
身に覚えのある話でした。
未だに目上の人的なものに対して頑張り過ぎてると思います。目上の人の負担にならない事が仕事…みたいな。
それはさておき、Collective Intelligenceを研究している先生が、グループワーク嫌いって面白過ぎますね。CIの概念が広がった様な気がします。
相手の懐ではなく、相手が叶える約束は必ず成功するものだから、その成功を変えたは触らずに空気で書いていた。前にたけでんさんにエアでもじっが書けるものを作りたいと伝えたことがありました。あったので購入し停止にしてエア書きしただけです。何の根拠もないですし、聞いていないかもしれません。では、失礼いたします。合言葉は小説です。
派閥好きみたいな人いますね。派閥に入らないと不安だったり。これ、苦手だな、、
それ日本人の9割
どちらも私ですので、姉弟です
高校の倫理社会の授業の時に、
多く人が集まる所では、窮屈に感じたり時には、隙間風が通り過ぎる様な感じは何なのでしょ?と質問した時に先生が、あ~、それ分かりますね~。俺も感じる時あるしィ…。
大人に成ってからもあるよ~。
例えばね、倫理社会の授業やっていても、先生の個人的な思想的な、そこまでは要りませんからねッ~
なんて言われるしね。君達もいろんな先生の考え方とか、癖なんかも触れたら良いよ。けっこう愉しく成るからネと話されていて
いっそ、誰も知らない群れの中だと伸び伸び出来る気がしたりしてさぁ…~🧔とも話されてました。くだらない授業の方を思い出すもんだよ😁ニィと。
自分の話を聞いているかのようでした。
ただそのことについて非典型的である自覚がなかったので参考になりました。
今でも「ではここからはグループに分かれて」と言われた瞬間にゾッとしますね ^_^
欽ドンのマネをよくやっていましたね。
小学校から高等教育までを単位制みたいにしたらと。
そして、理解度に合わせて組分けしていくようにしたらと。
その場合、教師の資質による分類と各校への振り分けという課題がありますが、それを乗り越えないと学び問うという学問の基礎が育めないのではないかと。
単位制の方が自主制の中々ない日本人を変えることができますよね。与えられたものをやってるやり方は社会ではこれからは役に立たないと思いますからね。自分で企画して自分でやってみるというのは単位制の方が近い気がします。
私も留年しましたが卒業できました。
体育の2人組とか最悪でしたね。その日の出席者が偶数か奇数かをすごい気にしてました。
私は学校が退屈でつまらなかったので、プチ旅行や図書館に行ってました。
茂木先生とは又違うタイプです。
無視するタイプ
64↔都市伝説46分
メタ認知に階層を転移するのでしょうか・・。
高校生の教え子とのこんな遣り取りを憶えています。
「先生が言っていることを実践すると、友達ができなくなりませんか?」
「当たり前だ。幼い頃は学区という距離的条件で友人が作られる。高校あたりもある程度、同様だが、一般学習成績で集団が形成される。しかし、大学以降では、専門性で、それに意識の向かう者が集まってくる。大学院、学会、社会専門集団で、それが先鋭化されて、社会の相互エージェントとして貢献できるようになる。共通の問題意識を持って友人になれるのは、ほぼ大学以降だろう。寧ろ、高校生でも先取りして、研究者にメールでもして、質問して、関係を繋ぐとよい。」
実際、学会のメンバーあたりで話をすると、同じ経験を、少なからず持っている気がします。