【ルソー①】ピカソが超えられなかった唯一の画家
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- Опубликовано: 27 ноя 2024
- 永井画廊のRUclipsチャンネルがリニューアルしました。
その名も「永井美楽塾」。
美術も音楽のように、気軽に楽しむものにしたいという願いを込めて名付けました。
このチャンネルで美術を見て、学んで、楽しんで頂ければ幸いです。
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山田五郎さんのチャンネルからルソーに興味をもってこちらも拝見しましたが、また違った見解で興味深かったです!
ルソーの絵って 色が綺麗でかわいくて好きです なんだろうグラデーション?みたいなのがすごくきれい
あと オラついてない感じがして自然な感じがしてそこも好きです
人間の絵のアカデミックな教育の世界
それに恐れを抱かず
独学とロマンで独自の感覚で対抗した姿勢と才能に
ピカソは神の閃光を感じたということはあるのではと思います。
教育を受ければ正会員、というのは美術の根本とは違いますものね
好きなように書いて色の感覚もよい
堂々としていることがいいですね
OGISO先生のRUclipsで紹介されてました。
分かり易い説明で内容も興味深くとても有益なお話ありがとうございます!
日本のポーラの美術館にいくとこの人の作品があるんですが、ここにはドガとかピカソの絵もあるが最後にルソーを見ると、ある意味癒しの笑いをくれますね。
違和感だらけなんだけど惹かれるのがルソーなんだよね。
面白いエピソードでした。私が20年ほど前にグランパレで開かれた中世絵画展とモンマルトル美術館で開かれた日本のアウトサイダーアート展を梯子したのですが後者の方が強烈な印象を受けた経験を想い出しました。ルソーの画風は狙ったものではなく真面目に古典的に描きたかったのでしょうね。ピカソが天才だとするとルソーは天然の凄さなんでしょうね。
そういえば、マイルスデイビスも「まだ子供のように吹けない」と言ってた気がする。
そして、チェロの大家がバッハの無伴奏チェロを、若い頃弾いてた曲と晩年の演奏、そして子供が弾いてる無伴奏の3つを聴き比べる動画があって、晩年の頃の演奏と子供の演奏がすごく同じような感じで、聴く方の自分は30代の頃は「晩年の演奏は下手で、若い頃の演奏の方がちゃんとしてていいな」と思ってたのが50代になって聴くと、「ああ、晩年の方がなんとも自然な力みのない感じで、素直に音を楽しんでるようで好きだなぁ」と好みが変わってて、ビックリしたことがあります。
ピカソは”Art is a lie that makes us realize the truth“と言った。真実を見せるための嘘がアート。ルソーの絵たちにはまさしくそれを感じる。だからピカソもルソーに一目置いたはず。その真実を見せるための嘘が本物だからこそピカソもルソーも決して色褪せない。“単なる“写実の限界がそこにあると思う。
なんだか'70年代のワークショップMUや矢吹申彦さんが表紙のイラストを描いていたニューミュージックマガジンを思い出す、アンリルソー^_^
計算された遠近感は違うと思う。ちゃんとした絵が一枚もないのがルソー。
そのとおり。これまでの一般的なルソー論や美大の美術史講義で聞いたことの無い怪評価。
明石家さんまが 出川を越えられない感じかな
ほんと評論家や美術メディアって適当な事言って商売になるんだから良いよな。ピカソが手元に置いていたのは単に拾い物が面白い絵だったからで、それが生涯乗り越えられなかった理由って飛躍もいいとこだろ。遠近感だって単に透視図法の理解が無かった結果、狂った構図になってしまっていると言うのが正しい考察であり、計算されたものと言うには無理がある。ルソー本人は自身の作品をアカデミズムに乗っ取った古典的な技法だと信じていたが、実はまったく独学でデッサンの基本すら知らなかったと言うのが事実。要するに基礎力が無いゆえに評価された独創性と言う結果論が、これまでの世界におけるルソー作品の共通した見立てじゃないのか。同じく山田五郎氏のチャンネルではルソー論が脚色無しで客観的に語られている。
本当に昔から理解できなかったんです。どうしてって気持ちをずっともってた。やっぱりこう考えている人もいたんですね。
でもアンリ・ルソーの作品って欧米の有名な美術館の多くで所蔵されてますよね。
@@user-my2sm7ms7z そうだよ。当時はアカデミックな作品が飽きられてて、ポップでイラスト的なカジュアルアートが流行し、特に裕福層やインテリたちに人気があった。たぶんルソーは自分が名だたるアカデミズムの画家たちと同じレベルだと思っていたのと裏腹に、商業的で斬新なトレンドアートに分類されてしまったのさ。だから彼をピカソが超えられなかった存在だなんて暴論だしナンセンス。ルソーはルソー。
@@猫庵ちゃんでした 評論家とかマスメディアって創造や歪曲で好きな事言い放題だったから、トレンドが人工的に作られ芸術が商業化してきたってのは今も同じだよね。彼らも商売だからね。正しい芸術性の評価とはまた別物。
俺も同意です。
画だけを評価するとこんな歪んだ美術論で評価してモヤモヤにしてしまうのが問題で。
ルソーってどんな生き方をしてどんな性格で作品を描いたか?って作品の奥のその人のパーソナリティーが見えてその絵の作品の価値があるわけで、
こういった評論をする方が贋作をつかんで販売されるんだろうと、滝川事件を自分はこの動画を見て思った
どうしても下手に描けないプロから興味持たれるのはまああるよね。
どの分野でもそう。
ルソーの場合自信過剰で基礎も学ばないから
一生下手でいられた。
性格と技術の両方があってできあがってるけど
何か他人がもってないものを持ってるから、
わかる人には評価されるんだろうね。
画を自信満々に書いているのがルソーの強み。
珍妙で、理解しがたいでも真似られない、不要とは一言で捨てられない、黄金なのか?ゴミなのか?得体の知れない明るい不気味さを醸し出す絵。一つ確かなことは、できればルソー本人とは面倒なのでお近づきにはなりたくない人物。
山田五郎氏と見解が違いすぎるwいや、言い方の違いか?
「超えられなかった 」「唯一の 」これはツリですか?
ピカソが真にこの絵を超えることはできないと言ったのは、ベラスケス『ラス メニーナス』。何枚もの模写やバリエーションを残している。
ピカソはルソーを評価していたかもしれないが、画家として超えられないとは思ってないでしょう。せいぜい、素人画家の面白さはあるし、ピカソのような画力を持った人には、天然ちゃんのある意味強さとかは敵わないなーと思ったぐらいでしょう。
アンリルソー=天才バカボンのパパなのだ!これでいいのだ!^_^
美術史、分かりません。そもそも、美術の成績は2でした!
でも、『フットボールをする人々』という絵、理にかなっているようには見えません…
だって、たかだか幅2mとか3mの木立の間、奥は林で行き止まり、そんな場所でフットボールをする人はいません…全然理にかなっていません。
ルソーって絵が思い切りへたくそな画家。元々素人画家だったとか。遠近もおかしいし。
遠近感ないと思うんだが、人がやたらでかかったり前後関係がぶっ壊れてたり、、、
それが不思議な世界観を作り出してるとは思いますが、どうも好意的に捉えすぎでは?
ピカソはルソーを尊敬していたのではなく、からかって面白がっていたという説もある。