【埼玉県 - 東松山市】箭弓稲荷神社 【2024/05/09】
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- Опубликовано: 30 янв 2025
- ・ご創建は712年と伝えられ、大勢の方々の信仰を集めています。
・社記によると、平安時代の中頃、下総の国の城主 平忠常が謀反を起こし、
またたく間に近隣諸国を切り従え、ついにその威を関八州にふるい、
大群をもって武蔵の国 川越まで押し寄せてきました。
朝廷は、武門の誉れ高き武将 源頼信を忠常追討の任に当たらせ、
頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、
明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、
その箭は敵を射るかのように飛んで行きました。
頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると、
ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき、一旦は後退したもののすぐに盛り返し、
三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利しました。
帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、
この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、
野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。