No ni saku hana no namae wa shiranai Dakedo mo no ni saku hana ga suki Boushi ni ippai tsumi yukeba Naze ka namida ga namida ga deru no Sensou no hi wo nani mo shiranai Dakedo watashi ni chichi wa inai Chichi wo omoeba a, arano ni Akai yuuhi ga yuuhi ga shizumu Ikusa de shinda kanashii tousan Watashi wa anata no musume desu Ni juunen go no kono furusato de Ashita wo yome ni wo yome ni yuku no Mi te ite kudasai haruka na tousan Iwashigumo tobu sora no shita Ikusa shirazu ni hatachi ni natte Totsui de haha ni haha ni naru no
This song is called "I don't know the days of war" It talks about a girl who lost her father to a war that's getting married the next day. She asks her father to watch over her from heaven while recalling her life that she lived in peace.
先日、香取慎吾さんのミュージカル テラヤマキャバレーを観ました。
この歌が歌い出された瞬間、思わず小さな声ではありましたが口づさんでしまい、隣の席の娘を焦らせたようです。
高校生の頃、部活の帰りに夕陽を眺めながらよく歌ってました。50年以上も前になりますが、今でも好きな歌です。
「私はあなたの娘です」
父親にとってこんなに嬉しい言葉はありません。
歌詞も曲も 素晴らしい😂
はしださんの哀愁漂う歌声がいいですね。
いい歌だな今は日本は平和でいいですね。ありがとう
50年前に聞いたこの曲を今また耳にして、涙するのはなぜでしょう。
「戦争を知らない子供たち」もいいけれど、それより何倍も好きです。
戦争を知らない子供達が大好きですが、10年ほど前にこの歌を知ってめちゃくちゃ好きになりました
@user-1z7q この歌は当時から好きでしたが、「子供達」は今もあまり好きでないです。
何度でもコメントしたくなるんだ。寺山修司さんの詞が心うつんだ。
まさに今流すべき曲
3人の歌を聞くといつも心が安らぎます僕は70歳になりますしたがこれからも頑張って生きて行こと思っています
野に咲く花の 名前は知らない
だけども 野に咲く花が好き・・・あらゆる歌の中で一番好きな歌詞
そして楽曲も素晴らしい
はしだのりひこさん亡くなってとてもしょっくです。ご冥福祈ります、いい歌有り難ういつまでも残ってほしいです。
今でも車の中で勝手に口すさんでます。名曲
この歌みんな聴いて泣いていたのを思い出します
この当時の反戦歌のなかでも一番好きな曲です。よく歌ったなあ。
この歌を聞くと、涙が出る。言葉で表現出来ない。名曲です。この歌が出たのは、俺が高校生の頃だった。
「嫁いで母に母になるの」
ここに深い深い平和の願いを感じる。
この歌をリアルに聞いてた(当時10歳)のは幸せなことだったんだなあ。
フォークルも北山さん1人になってしまいましたね
今こそ皆に聴いてほしい曲
懐かしい歌です。
涙が出てくるのは、私だけでしょうか。
アップロードありがとうございます。
この歌を聴いたのは高校生の頃。。。はるか昔
今その年代の子達がこの歌を聴いて何かを思い感じることがあるのかな。
時代が違うと言われそうだけどふとそんなことを思ってしまった。
私は団塊の世代に生まれギター1本でホークソングを歌っていましたが今思うとこの歌の深い意味、何を訴える事が良く解るようになりました😢
平和を象徴する名曲です。ありがとう😆💕✨ございました。
万年少年より 2021.9.29
この歌を聴くたびに平和の尊さと戦後生まれの私らの幸せは、両親や先人方の尊い努力の上に
成り立っていると思うと感謝の気持ちで いっぱいです。
きにす
気にす❓意味不明ですごめんなさい@@おがわくにこ-n1w
寺山修司さんは早世、はしだのりひこさんも加藤さんも亡くなった。でも、名曲は今も生きている。
五年前でしょうか
カラオケで歌いました
あなたの前で 涙で歌えませんでした
私の心の叫びの歌です
もう 泣かずに歌える力もつけてきました 少しだけ……
もう一度だけ 歌いたい 大好きなあなたの側で
幼い頃、母親に手を引かれ阪堺線の線路を渡った。松林の中を通り過ぎる時、戦車がいっばいとまっていた。堤防の階段を登りきると眼下に広大な海がひろがっていた。東洋一の海水浴場、浜寺海水浴場、私が見た初めての海だった。母の兄は特攻で死んだ。「お兄ちゃんが生きていてくれていたら」が口癖だった。
どうして?争いゴトが無くならないのか😭誰も得をする処か失う事悲しみの大きさを考えてほしい😢😢
この歌の一番の歌詞は何処から生まれたんでしょうね‼️忘れる事が出来ません‼️
帽子に一杯積み行けば何故か涙が涙が出るの
この感性の豊かさは
何処から来るのでしょう
もう涙涙涙今77歳、私の好きな、人は、何故早く逝ってしまうの、?
昔ラジオで聞いて、涙が出るほど感動しました。リズミカルに語り掛ける美しい楽曲だからでしょう。戦争の被害者が訴える最高の反戦歌です。
名曲中の名曲
誰の思惑か欲望か戦争を仕掛け、巻き込まれ、それぞれの国民が辛い思いをする。悲しいが美しい歌がうまれる。感動を共有した反戦にしたい!!
戦争は絶対ダメダメ、日本人は昭和に立ち返って考えて直そう!
この歌も名曲ですね。
はしだのりひこさんの震えるような声に涙が出て、、加藤さんの声、北山さんの声、。よく聴きましたが反戦論なんて、、、私は70才ですが大好きなうたです。
そうですよね。端田さんの声。私も引き込まれます!
プロテストソング、反戦歌なんてジャンルにされていた曲ですね。とても美しい楽曲です。
私は戦後世代で戦争の悲惨さは知りませんがこの歌を聞くと争うことの悲しさが伝わってきます。
今、ウクライナでの戦争のニュースを見る度にこの歌を思い出します。21世紀になっても世界は何も変わっていません。日本の周りには核保有国が3つもあります。いくら日本が戦後に平和国家になってもその思いは周辺諸国には通じない。寂しい限りです😢
この名曲はフォークルが一番好きでしたね🎶🤗🥰
昨年のKBS京都のラジオが、はしだのりひこの生の声を聞く最後でした。北山修、杉田二郎とのハモリ最高やったなぁ〜涙もんでした!加藤和彦は早くあの世へ行ってしまったけど三者三様個性が強く・・でもやっぱり素敵です‼️それぞれの音楽性に乾杯🥂
今の子の時期だからできれば世界中の人に歌ってもらいたいと思う
素敵な反戦歌ですね
平和の有り難さを噛み締め、本日も非常勤高校数学講師のお仕事に励みます。
この歌いつ聞いても泣けます😭
昭和の懐かしさを感じ幼い頃を思い出しますね🎵メロディラインがすごくいいです❗
軽快なサウンドと意味のある歌詞。強い歌です。多くの人に好かれ歌われる、広く深い歌です。
人生を育てる歌があるとするなら、この歌はその一つです。
綺麗なメロデイーラインです。またそれにぴったり合った綺麗な詞です。静かに しかし聞く人々に 戦争という人殺しの罪深さや虚しさ 人間の残酷さを心の中深くに記憶させます、 優れた反戦歌です。もっと歌われてよい曲でと思います。
10代の頃の
うる覚えで、検索してみたら、何と😂
びっくり😂😂
懐かしく、ただ、だだ
いっぱいの、思い出が
よみがえりました😂
ありがとうございました😊
もう、しっかり
おばあちゃんになりました😅
僕は父の影響でこの曲をよく聞いています。今高一で同年代には知ってる人はなかなか居ないのですが昭和の歌というか昔の歌の中で好きな歌です。
私はおじいさんですが、若いあなたたちに歌い続けて欲しいです。この名曲「戦争は知らない」を。
寺山って“かもめ”もそうだけど詩は秀逸ですね。何となくすぐ好きになる歌、少し世代はズレていてもあります。
フォークルとの相性も絶妙、戦争への平和を思う歌なのに爽やかなメロディー(軍歌に対抗するテンポの良い)、哀切、哀愁のある歌詞。
2つ目の歌詞でグッと泣きたくなる気分の日々。戦=人生とも書き換えられる、子供の頃可愛がってくれた父がいる、もう遠い…。
時々泣きたくなる時はあると思います。生は性でもあり、人間は繰り返して続いて行くんです。そんな気もします。音楽としての艶もある名曲かな。
幼い頃、祖母の家でよく聴いていてずっと探していました😊
こんな素敵な歌に再会できてよかった!
いつ頃だったか忘れたけど、坂本スミ子さんがテレビの彼女の番組で毎回唄ってたのを聴いたのが最初でした。詞ののちにフォークルの歌だと知りました。
坂本スミ子さんの歌われた「たそがれの御堂筋」も
加藤ヒロシ氏の作曲であります。
坂本スミ子さんが、最初に歌ったオリジナル歌手です。お聴きになったとは、うらやましいです。寺山修司展で、レコードジャケットを見ましたが、RUclipsにもありません。坂本さんのバックバンドのリンドアンドリンダースの加藤ヒロシさんが作曲したそうです。フォークルと加藤さんが友人だったために、歌うことになったみたいですね。
SAXが良いなあ。音も、メロディも。明るく演奏してるからよけいに心に響く。
今でも覚えています。当時フォークルは、東京のテレビ番組を持っていて「今月の歌」のコーナーで紹介されていました。その曲の予告で作曲の加藤ヒロシさんと加藤和彦さんがカメラの前で顔を見合わせ「加藤です」「加藤です」と呼び合っていたシーンを今も忘れません。
「平和の有り難さを痛感、亡き父と母を思い出す」
小生1956年生まれです。父は1928年生まれ、母は1927年生まれです。私は、戦争の事は直接知りません。
この曲を初めて聴いて、なぜか感動しました。またつくづく平和の有り難さを、改めて痛感させられました。
この音源が収録されたのが、1968年と知りました。最愛の父が、病で急逝したのは、1969年の夏でした。亡き父と母の元気な時の姿と、笑顔が浮かんで来て、涙が溢れて来ました。
お蔭様で、私は年金生活者とならせて頂きました。ありがとうございました。
父と母が残してくれた土地に、家を建て直させて頂きました。感謝しています。心配要りません。元気に暮らしています。
時々空から父と母の声が、微かに聴こえて来ます。
素晴らしい映像と音源の提供に、深謝します。 2020.12.7
心に響くコメントですね。故はしだのりひこ さん達と同世代のじいさんより。
@@岡本昭-s3u様 返信に感謝申し上げます。
何十年も昔の、若かりし頃、よく皆で輪を作ってこの歌を唄いました。今でもたまにカラオケで唄うことがありますが、なぜか涙が出そうになります。本当に大好きな曲です。
改めて聞くと、涙なしで歌えないし聞けない歌ではないかと思います。柳子さんのメッセージ見た瞬間、涙ぐんでしまいました
僕もよく歌います、
ほんまにええ曲じゃね🎵
気が付けばはしだのりひこさん
加藤和彦さんいないんじゃね。
1951年3月7日生まれです。
光市虹ヶ浜海岸で歌い続けます。
67歳で、初めてこの歌を知ら
なかったのが、とても悔しくてなりません、孫たちの為にも日本が戦争の無い平和な日々が続く事を願います🙇
それなら自身で努力しろ
懐かしすぎ、久しぶりに浸ってます‼️楽しんでます‼️
高校時代大好きなグループでした。
難病と共に生きる熟年より😂健康で戦争の無い日これがどれだけ幸せか👪💑日本、世界が争いの無い平和の日が続く事を願っています‼️
しみじみ聞きます。とても大好きです。
このアレンジが本当に素晴らしいです。北山さんのバックコーラスがPaul McCartney みたいにかっこいい!
タイトル:戦争は知らない
歌手:ザ・フォーク・クルセダーズ
作詞:寺山修司
作曲:加藤ヒロシ
編曲:青木望
野に咲く花の 名前は知らない
だけども 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あヽ荒野に
赤い夕日が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの
見ていて下さい 遥かな父さん
いわし雲とぶ 空の下
戦さ知らずに 20才になって
嫁いで母に 母になるの
野に咲く花の 名前は知らない
だけども 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
本当に、僕も、京都の丸山公園で、ギターお、引いた、日が有りましたね、楽しかたですね、
親の世代埜曲ですが 泣いてしまいますね。
今の時代だからこそ この曲を聞いてほしい
懐かしい曲をありがとうございます!
高校生時代みんなで歌っていました。ギターが上手なクラスメートがいて…大好きな曲です。詩が寺山修司さんあの当時は…カリスマみたいな方でした。もちろんフォークルも…いつも平和でありますように願っています。ありがとうございます。
この時代の寺山修司氏は、「書を捨てよ、町に出よう」で有名になっていましたからね。
はじめてギターを習った時の曲何のためにもすごくいいです
京都下鴨に生まれ、10歳まで京都に育ちました。
この歌を聴くと、鴨川が流れる北大路橋が思い浮かびます。
フォークルの3人の人たちは、あのころあのあたりも歩かれたのではないでしょうか?
体育館で昼休み集まって歌っ曲•••懐かしい中学時代
小学校の時にストーブ係で地下室で石炭をバケツに入れていると後ろの柱の影に髪の長い白い着物を着た女の人が立っていた。家に帰って母親に話すと「あそこは昔墓場やった」と言っていた。先日妹にあってその事を話すと「それは違うあそこは空襲で亡くなった人の死体置き場だった」と言っていた。
あ~青春
反戦歌は特定のイデオロギーに利用されやすいが、この曲は純粋に戦争の悲惨さを語り掛けている。
この歌はフォークルで知りましたが、寺山さんは自分の劇団にいたカルメンマキの為に書き下ろした詞だったんですね、でも時代も有って彼女自身がハーフで身につまされて唄うのを避けてたんでしょうかね?
事情は知りませんがラジオじゃフォークルばかりかかってました、それでフォークルの曲だと当時は思い込んでました
父は、志願し16歳で海軍に、お尻を船こぐ木製のオールで殴られたと聞きました😢あれから80年経ちました😂時代は進むのみ。人のハートは、世界のどこか😮で戦が❗どうして同じ人間、何故ころし合うのでしょうか😮地球がなくなっても続くでしょう❗
カラオケで歌いたい
とっても素敵な詩です 素晴らしい😂
曲も優しさに溢れてますね
あの頃学生運動の盛んな時期、学生成りに何とかしようと、動いてましたが現在平穏で、幸せでそんな気起こす必要無いのか、無関心なのか?平和な世の中で良いですね。
No ni saku hana no namae wa shiranai
Dakedo mo no ni saku hana ga suki
Boushi ni ippai tsumi yukeba
Naze ka namida ga namida ga deru no
Sensou no hi wo nani mo shiranai
Dakedo watashi ni chichi wa inai
Chichi wo omoeba a, arano ni
Akai yuuhi ga yuuhi ga shizumu
Ikusa de shinda kanashii tousan
Watashi wa anata no musume desu
Ni juunen go no kono furusato de
Ashita wo yome ni wo yome ni yuku no
Mi te ite kudasai haruka na tousan
Iwashigumo tobu sora no shita
Ikusa shirazu ni hatachi ni natte
Totsui de haha ni haha ni naru no
寺山修司の詩 フォークルが歌う。カルメンマキが歌う。
優秀だった伯父さんが戦死しました。あの若さで恋もしなかったと思う。短い人生悪い時に生まれた伯父さん
寺山を失った今、我らが残せる詩が何があるというのか?
この曲は昭和40年代の曲で、お父さんが戦争で亡くなって、二十歳になったんですから、このお嫁に行く女性が生まれたのは昭和20年ぐらいでしょうか。
どんな人生を歩んだのでしょうね。
突然の連絡です。昭和23年生まれです。父母は健全でした。お亡くなりになられた方はいらっしゃると思います。父の兄は自然豊かな所で アメリカ軍で戦死をしました。団塊の世代は昭和21・22・23・24年生まれだと思います。
現在、70才代だと思います。家内は24年生まれ。それぞれの人生を送ったと思います。企業のない所の女性は 仕事のある所(都会とも言う)での出会いで結婚された方もいらっしゃるようです。
私がコメントさせて頂くのは妥当かどうか?戦争でお父さんが亡くなって?お亡くなりになられた方は勿論いらっしゃいます。父母は大正5年・9年生まれです。満州に就職の為、訪問。終戦で命がけで母の故郷に。原爆投下で父母は九死に一生を得ました。私は昭和23年・家内は昭和24年生まれです。
団塊の世代です。ホークソング=22才の別れ を参照してください。
私見ですが 女性は高卒=18才+4年=22才。23才で結婚。昭和23年生まれの私は女性の23才で結婚。25才で第一子。27才で第二子。女の子誕生では 何とか大学を卒業させよう。女性の年齢は27才+22年≒50才。男性の私が51位。定年が男性は60才。私は 女性の結婚適齢期を基本として 人生を考えました。
勿論 この通りにはなりませんでしたが 羅針盤としました。
@@中村進-o6n 寂しい方なんですね
こんな、当たり前がなくなった
確か詞は寺山修司さんでしたね。
😊この曲をなぜフォークルが歌うことになったのか推測してみました。東京の競馬場で、寺山修司さんと加藤ヒロシさんが出会い意気投合する。その縁で、加藤さんがバックバンド(リンド&リンダース)をしていた坂本スミ子さんの歌のために、寺山さんが作詞し、加藤さんが作曲して「戦争は知らない」が誕生。レコード発売。でもラテン歌手の、坂本さんでは、あまり売れなかったようですね。その後、大阪のジャズ喫茶(ライブハウス)「ナンバ一番」出演バンド(グループ・サウンズ)として仲良くなったフォークルに曲を託すことで、この曲が、日の目をみたということでは。❤️
推測なので、間違ってる所もあるかもしれません。詳しい方がいたら、教えてください。🥺
同じ加藤なので、加藤和彦さんの作曲と思われがちですが、加藤ヒロシさんの作曲ですね。😳
私もよくは知りませんが北山さんとヒロシさんが京都出身というところにも繋がりがあるのではないでしょうか?お歳も近いですし。あと余談ですが71年の中津川フォークジャンボリーに行った時の思い出。P36と言うロックバンドを従えてステージに登場した加藤ヒロシさん。演奏前のひとこと、「フォーク・ジャンボリーなので僕たちは場違いかも知れませんが」と挨拶。が演奏はめっちゃめっちゃ素晴らしかったです。インストゥルメンタルのロック(その当時流行りのニューロック、プレブレシロック、ヘビー・ロック)オリジナル曲でした。レコードになってないのが残念なくらい素晴らしい演奏でした、今もP36の中津川での演奏は心に残ってます。
ひできち さま 中津川フォークジャンボリーに実際に行った方のお話はうれしいです。加藤さんのその後は、興味深いですね。別の動画で、北山さんは、「僕たちの親友」と言ってますね。そのころの京都は、恐ろしいほど多くのミュージシャンが近くに住んでいたのですね。😳
この曲は他にも、本田路津子さんやカルメン・マキさん、元ちとせさんもカバーしていましたね。
@@yassan7106 さま 元ちとせさんも歌っていたのですか。検索したけれど、RUclipsにはないようです。「腰まで泥まみれ」のPVがあってびっくりです。意識の高い方なのですね。「戦争は知らない」は、女性が主人公の歌なので、女性が歌うのは自然ですね。寺山修司さんの展覧会で、この歌のオリジナル歌手の坂本スミ子さんのレコードジャケットが展示されていましたが、曲は聴いたことがありません。会場では、本田路津子さんの歌が流れていました。フォークルは、プロとしての活動は、1年だったので、その後にいろいろ人が歌ったのですね。カルメン マキさんは、寺山修司さんが、自分のために書いてくれたと言ってますね。寺山修司さんの困った「優しい嘘」😔ですね。坂本版、聴いてみたいです🌸
加藤ヒロシさんは、坂本スミ子さんのヒット曲「たそがれの御堂筋」の作曲もしていますね。どうも「戦争を知らない」は、フォークソングとして作られたのではなさそうですね。ラテンなアレンジだったのでしょうか? フォークルが歌ったことで、フォークソングと捉えられるようになった気がします🌸
懐かしい😃
フォークソングの原点ですね💐
でも、反戦歌‼️
悲しいです。
いい!ただ、それだけ
カラオケの15番です
令和6年 2024-6月 [じんせいテラス】 [野に咲く花のように そよ風に吹かれて]
『友達 フレンド』
ザ・フォーク・クルセダーズ 『戦争は知らない』 (LIVE音源) 1968年
ruclips.net/video/sqG00PIDaQQ/видео.html
野に咲く花の 名前は知らない だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい つみゆけば なぜか涙が 涙がでるの
I don't speak Japanese but boy do I love folk crusaders
I think ritsuko honda also realeased a version of this song
This song is called "I don't know the days of war" It talks about a girl who lost her father to a war that's getting married the next day. She asks her father to watch over her from heaven while recalling her life that she lived in peace.
@@hagenabe7314 oh that is sad ..
thankss
@@preehaaa I can try and translate the lyrics if you want me to.
平和主義だけど「お嫁に行くの」とか
女性の地位向上とはほど遠い時代でしたね
01:39モン・サン・ミッシェルに見えた。
LIVE 音源という事だけれど、スタジオがあったのかな?
こ曲歌の着想が素晴らしい。
ただその当時は、多分これが庶民の偽ら無い心情だったのだろうが、時の大衆という名の下劣な少数翼賛者達が、忘却へと 導いているのである
Sounds IPP
日本居然还有这种反战主义的音乐···
你对这首歌一点都不了解
なぜかこの曲をよく口ずさんだりするんですよ。自分は男なんですけど不思議です。こんな今もウクライナとガザでは沢山の人が犠牲になってます。人間は
この地球を滅ぼさないと気がすまないのでしょうか?
この曲を聴くたび、涙が出るのは何故だろう。(平成13年生まれ)
戦争を知らない子供たちの前にあったんだね知らなかった😭