【切ない】22才の別れ・かぐや姫(ピアノver./Covered by saya)
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- みなさま、いつも番組をご覧頂きありがとうございます。
今回は、かぐや姫さんの「22才の別れ」を歌わせていただきました。
是非ともチャンネル登録・高評価をお願い申し上げます。
引き続き、コメント欄からリクエスト曲もお待ちしておりますp(^_^)q
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神田川、なごり雪、22才の別れ....あの頃の神曲!
僕の青春ど真ん中の歌でした 懐かしすぎて 涙が出そうです
なぜか涙します。昔のことが走馬灯のようによみがえります。
こんな❤しっとりとした女性の声で歌って頂いたら😢正やんの書いた歌詞の世界そのもの❤って感じてしまいますね🎵😙😔🎊
「22才の別れ」sayaさんの歌を聴いて、青春時代、学生時代の思い出、情景がよみがえってきました。
青春とは、切ないよなあ。2度と来ない青春の儚さが滲んでいる22才の別れ。SAYAさんが透き通ったような歌唱でかぐや姫を歌い上げました。
今時には珍しいような切なさがこもった歌ですね。
淡々と歌われていて、余計しみじみと伝わってきます。
いい歌ですね。
リアルタイムで聴いていた頃は、せつなくなかった。
フォークソングはカッコ良かった。
今日は、このタイトルを見ただけで、せつなくて聴くのが怖くなった。
心の内をSAYAさんに見透かされているようで、それも怖い。SAYA恐るべし。
「22歳の別れ」は上手に歌う人が(作曲した伊勢正三さんを含めて)見当たらないのですが、sayaさんの歌はとても素晴らしい。感動しました。
学生の頃、よく歌ったな。
涙が出たまらない、私です。
正やんの曲は優しくて切なくて最高ですね。ありがとうございました。sayaさんの海岸通も聴いてみたいです。
澄んだ歌声は、原曲の持つ当時のイメージを遥かに超えました❣懐かしく…涙が…何とか堪えました。
画面に22歳が映ってます。女子高生と言われても信じてしまいます。年齢不詳のSAYAさん。
初めてSAYAさんの歌声を聞きました。
歌と雰囲気に心が休まりました。
明日から少し頑張れそうです。ありがとうございました。
素晴らしい。
良い歌 良い歌唱力だ
こんばんは。ちょっと切ない夜🌃✨に成りそうですね❗では、また。ありがとうございます😆💕✨
サムネイルを見て、かわいらしい声で歌われるのを想像して開いたら、艶のある落ち着いた声でびっくりしました。プロの方なんですね。
ステレオも持ってないのに、初めてLP買ったのは かぐや姫でした。友達の家のステレオ借りてダビングして、伊勢正三に憧れてギター弾いてた時代だ。村下孝蔵の初恋も聞きたいですね、今 思えば ませた中学生だったなぁ。
澄んだ歌声、憂いある歌声、感動🥲🎉
涙が出るくらい懐かしく大好きな歌です💘
リクエストはガロの「ロマンス」お願いします。
正やん(ショウやん)の唄をありがとうございました🎉
sayaさんは歌いあげるの気持ちいい系のシンガーなんで。
伊勢正三作詞作曲の『海岸通』を歌ってほしい。
人は愛によって乗り越えられるものもあるのかもしれない。
最近カラオケでこの歌を歌うのですが、時代の結婚観の意識の違いを感じました。
この頃は、25歳過ぎると行き遅れなんで言われてました。
👏👏👏👏👏
久しぶりにsayaさんの歌声にホッと😌しております。ところで季節が真逆になりますけれど、このチャンネルで竹内まりやさんの『September』は既に歌われておりましたでしょうか。昨年も9月に気が付いたのでございますけれど、もしもまだでございましたら、今年の秋を目処にお願いいたします😅
感想に変えて-1
2015年には司修さん原作の作品、「幽霊さん」を手がけました。大震災の問題で苦しんでいるおばあさんが亡くなったおじいさんの幽霊と出会っていくというような世界です。これもまさしくワタシがやってみたい世界でもありました。つまり、幽霊と出会いたい80歳のおばあさんの深い心理と、幽霊の世界との関係をどうやって一つの空間の中にまとめるのかという、まさに統合性が求めらるテーマです。この音楽、映像、演出を私が担当させていただきました。そうして、今度は自分の眼から自分がつくった空間の調和性、あるいはその統合性を構築していく世界になります。要するに生の、ライブの力が見えてきたと考えられます。
舞台の上では出演者の方々が、ある意味で統合的にやっていらしゃると思うのです。出演者の佐々木愛さんも自分緒演劇を完璧に自分の感情の中に調和して統合していく、舞台空間に溶け込んでいく。食うkんなとリンクして、あるいは音楽を聴きながら、音楽と合うのが自分で計算していくのです。
そこに今度は、私がそれを第三者の客観的な目で見たときにーある意味で客観性も必要ですからーこれを全体性のある作品としてどういうふうな一つの美的な作品に完成するか、という計算をしなければなりません。だとしたらやはり私のフィルターを通っていく中では、自分と絡んでいく中での調整が行われる。だから演出家を変えれば、同じ作品でも違う演劇になるし、すべて違ってくるということがいえるわけです。
そうなると自分の個性と出演者の個性と企画の個性と原作とのバランスにおける力を一つの統合体にもっていく、これは私にとっては一つの厳密的な作業にはなります。この厳密的な作業によって、今まで自分でも見たことのないような世界が生まれてくるかどうかの勝負になるといえるでしょう。
その勝負で、自分で見て自分でなった九した瞬間に、自分としては「これでいいよ」と思った瞬間に、もうこの時点で個性という問題はすでに出ているのです。その時点ではもう明らかに作品が成立しているのです。
「光と風のクリエ」金大偉著、和器出版
3章ー各種表現の世界へー出演者、原作、演出の個性の統合空間ー450ー452頁
🎶🎶🎶🎶🎶🎶
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏🎊👍✌️😊
踊り子お願い🙏しまーす🥰
大人びた「22才の別れ」ですね。曲想はもっと素朴なものなのでは?
感想に変えてー2
歴史ある風景がなぜ壊れていくのか?
文化的な価値に対して無関心になる、というのは忙しい現代人が陥りがちな弱点の一つかもしれません。いまこうしたることがふつうのこと、あたりまえのことに思えてきて、それが壊れていく光景を目の当たりにしても何も感じなくなってしまうのです。
撮影のために現地に入り込む私たちにも、似たような感覚はやってきます。たとえば、中国の原風景の撮影のときも、ある場所に着いてそこで2,3日も過ごすと、だんだんにその土地の中に入り込んでいく感じがしてきます。ところが、言質に長く滞在してそれが「日常」になってしまうと、最初の感覚が薄れてきてしまうのです。
同じように、たとえば何十年も紹興に住んでいる人にとっては、それが当たり前の日常になってしまい、紹興の風景も綺麗はきれいだけれど、感動するほどではなくなる、ということもあるでしょう。それはまだいいほうで、紹興酒に住んでいながら一度も町の原風景に関心を持ったことがない人のほうが、もしかしたら多いという現状もあるかもしれません。それで原風景を簡単に壊してしまう、という選択をしてしまうこともあるのかもしれません。
自分だってマンションに住みたいというのもあるでしょう。言質の人にとってはその風景が日常なのです。日常にいる人間がその場所を守っていくというのは、本当はとても重要なのだけれど、気づかないところもあるのです・日本にもあてはまるところが多いのではないのではないでしょうか。自分たちの文化が、村がどんどん消えていくのだけれど、もう思い出せなくて、第三者から「それは大変だ」といわれてやっと、「そうですか」と気づく。それに近い現況です。
もっと普遍的な考え方でいうと、今の時代というのは、知性や理性といった”知恵”を生むことが大事なのです。知恵がないと人間は生きていけません。知識だけではだめなのです、知性や理性の中に、自分が持っている感性という問題があって、その中にさらに新しい知恵を考えて生み出していく、そういう人達が、これからの時代を築いていくのではないかと思います。
そうしないと、古くなったものはものは自分には関係ないという自己中心的、利己主義的な考え方が生まれます。今の経済は、お金がないと何もできないといった利己的、金銭社会、拝金主義が多く、そういう名かには、良質的といえる知恵が生まれない限りには、原風景のような空間は守られていかないと思います。
自分が住んでいる土地、住んでいる知識に対してある種のあこがれや、自分のアイデンティティみたいなものを感じていく中で、ようやく「守る」というアイディアが出てくるのではないでしょうか。そのためには、社会が「地域の文化を守る」ための方策を制度としてとっていく必要もあるでしょう。個人にはできることは限られていますが、もちろん、現地の中国人たちの中にも一生懸命、そのことを考える人もいます。
紹興にも何十年もずっと原風景を撮り続けているカメラマンがいました。私達が政策した紹興酒のDVDの中にも、私が音楽をつけた彼の作品が入っています。紹興の原風景の写真に関しては、十数年前から取り組み、私よりもはるかにたくさんの原風景を写真に収めていますから、どれもとても重要な作品です。そのゆな意味合いでお互いを理解しあったうえで新しいコラボレーションが生まれ、それによって一つの作品が完成したということは、この大事な風景を映像として次の世代に残していけることになったことも併せて、重要な仕事ができたのではなかなと、私は思っていました。
「光と風のクリエ」ー金大偉著、第2章、映像表現ーP367ー370
和器出版
この楽曲は歌いあげないほうがよいよ♪