【松坂城跡】現地でわかる「蒲生氏郷」の戦略!商都松阪を開いた城

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  • Опубликовано: 9 фев 2025
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    松坂城を築いたのは戦国の名将蒲生氏郷。氏郷は近江の出身。主家が滅び織田家の人質となりますが、織田信長は氏郷を一目見て「只者ではない」と判断。自分の娘を嫁がせることを約束します。合戦のとき氏郷は、目立つ兜を被りいつも前線に出ていました。ともに戦う兵士たちは大将が先頭にいることに驚くとともに、討ち取らせまいと必死で戦うので蒲生軍は強かったとのこと。ただ氏郷自身撃たれたこともあるので、大将の戦い方としては賛否両論があるということです。また氏郷は千利休の弟子であり、茶の湯を嗜む文化人でもありました。そんな氏郷を重く用いたのは豊臣秀吉も同じ。小牧長久手の戦いの後、氏郷を伊勢12万3千石に封じます。氏郷は新しい城を築くことにします。目を付けたのが平地の真ん中にポッコリ生えたような四五百森(よいほのもり)。標高約35mの丘の東に表門、南に裏門を設け、この二つの入口から城に入るようになっています。城の中心本丸までのルートはいくつかあるのですが、本丸の東側にある「本丸下段」を絶対に通らなければならないようになっています。どうやら松坂城の防御にはこの曲輪をいかにして守り抜くということが大切なよう。その工夫がどのようにされていたのか、見てみましょう。

Комментарии • 5

  • @TAIRA_TAKAMORI
    @TAIRA_TAKAMORI Год назад +1

    UPお疲れ様です!
    松阪城出ましたね!行きたかった城なのでとても嬉しいです。
    「堅固な曲輪の下にわざと敵兵を集めて、そこでせん滅する」という籠城戦術、イイですよね~。私も昔は「敵兵をできるだけ分散/分断させて兵力を削る」というのが籠城戦法だと思っていましたが、武蔵滝山城を知った時に「こういう戦法もあるのか!」と驚いたものです。松阪城も同じ戦術思考で縄張りされていて、とても興味が湧き、同時に詳しく解説してくれたこの動画をありがたく思います。
    次回も期待しています!

    • @kainosuke-rekishi
      @kainosuke-rekishi  Год назад +1

      どこから進んでも同じ場所に出てしまって不思議でした。石垣の上ギリギリから下を眺めることができ、楽しめました!

  • @せいやせいや-t5w
    @せいやせいや-t5w 8 месяцев назад +1

    松坂城も蒲生氏郷も最高ですよね!瓦があちらこちらに落ちていました‼️天守閣跡で、ゴザをひいて野茶会してきました😂

  • @user-さわ
    @user-さわ 9 месяцев назад +1

    かつての松坂城内で生まれました。
    幼少時からお城といえば松坂城。
    お城好きとしては、かなり贅沢な環境からスタートしたと自負しています。
    動画にも映っていた金属製の手すりが設置されたことは微妙ですが、かつて城内にミニ動物園があったり、石垣の外にSLが設置されていたこともあり、松坂城の柔軟な一面として解釈しています。

  • @kazuenokamikato3171
    @kazuenokamikato3171 Месяц назад

    残念ながら紀州藩の領地となったことから本城ではなくなり、城代支配のため建物の管理は藩政時代からぞんざいになっていたものと思われます。
    城下の御城番屋敷に行くと今でも藩士の子孫がおられて、貴重な話が聞けます。
    親藩大名あるあるの「附家老」問題で切実な背景が...。
    ちなみに高石垣にはフェンスがなく、花見の時期には転落注意です。