「三沢以上に三沢なタイガー」はラボさん屈指の名言です。
マスクを脱ごうとする三沢にカブキが「何してる?何してる?」と言ったのは有名ですが、この時の僕はマスクを被っている三沢に「何してる?何してる?」と思ったものでした🤣
「100人いたら110人ぐらいが三沢だと思う」も屈指の名言かと✨
秘密の地下の特訓場が単なる物置で草
三沢さんは長く2代目タイガーマスクをやっていましたよね。特にヘビー級として。初代タイガーのイメージ踏襲で空手を習わされて「劇画のタイガーはキックなんて使わない」と三沢さん不満もあったようですがエルボーは空手特訓で覚えてのちのち役に立ちました。
本当は二代目タイガーと格闘タイガー(中の人は空手家)の「タイガー兄弟」が考えられていたようですね
私は越中&三沢のタッグが大好きでしたので、三沢のこういう売り出し方は正直残念でした。メキシコに行っている期間も短かったので体型も大して変わっておらず、体を見ただけで子どもでも三沢だと分かりました。
越中と三沢があそこで別れたからこその、その後のプロレスですから、ある意味必然だったのでしょうね
週刊プロレスは2代目タイガー表紙になりましたっけ?
蔵前国技館で初お目見えした時の写真が表紙になっています。その表紙が、缶コーヒーWANDAにも印刷されています。
週プロはザ・タイガー派でしたからね
2代目タイガーがヘビー転向して停滞していたころ、対照的にかつてのライバル兼パートナーだった越中が対UWFでの善戦健闘で人気急上昇していて、勢いを比較されてしまったのも皮肉な印象でしたね。ゴングが猛虎7番勝負の対戦希望選手にまだジュニアだった越中の名前を挙げてたり。
つくづくタイガーというか三沢の踏ん張りどころでしたね
本人の能力や努力も大切ですが、周りに評価されるか否かは環境や運も大きく影響することがこの動画でよくわかります。それはプロレス以外の社会でも同じだなと思うようになりました。
ビートたけしですら自分の成功を「宝くじに当たったようなもん」といってますしね
ワタクシが初めて三沢を見た日。って、ク❌ガキでしたけど。全日本プロレス、1983年秋の和歌山大会。初観戦。石川&ウルトラセブンVS越中&三沢。子供心に、越中&三沢のセンスの良さを感じました。ドロップキックが突き刺すように。ウルトラセブン入場時たたきにいった観客のおにいさんがガチでセコンド(川田?)に食らわされたのは、ともかく。あちゃー。ラストそうだった?なんたることか、最近、有田さんのチャンネルでフィーチャーされていて、記憶補正🤔10年後の1993年。WAR&オリプロ解散VS平成維震軍&全日本四天王。わけわからん。十年一昔。人生塞翁が馬ですな。
三沢にしても過ぎてしまえば若手時代からのすべてが線でつながりますが、その時々はわからないことだらけの「一寸先はハプニング」なんですよね。その中でチャンスを逃さないように実力と嗅覚を磨くべきなんでしょうね
1984~85年の時勢といえばグリコ森永事件も忘れられない事件ですね。三沢タイガーとかストロングマシーンはそういう時期に登場したキャラで、子供だった当時は中の人もよく知らなかったから、時期的にも正体不明のミステリアスなキャラがより強く印象付いてたのかもしれない。
あー、確かにその空気はありましたね
三沢がタイガーに変身して、長く低迷する。その期間にたまりにたまった、ファンのフラストレーションが爆発したのでしょうか。三沢タイガーはこれといった好敵手がいなかったのもマイナス要因でしたね。佐山にはキッドや小林、藤波には長州。逆に三沢には虎のマスクだけで、ちびっこファンを集める集客力があったのでしょうか。だとしたら、好敵手がいなくても納得です。
全日にジュニア文化が根付いていなかったことが大きかったでしょうね。そもそも三沢自体がジュニアをやるには少し無理がありますし。
@@natukasilabo2 ですね。三沢も渕も実は背が高いんですよね。逆に新日本でジュニアの花が開いたのは、山本小鉄や星野勘太郎がいたからでしょうか。
山本小鉄が内外の小さい選手に門戸を開いていた事が大きかったと思います。当時の全日ならあり得ないですからね
「ペガサスキッド」と「二代目ブラックタイガー」は微妙でしょうか?(笑)エリマキトカゲは「わくわく動物ランド」で紹介されて一気にブームになりました😊
あの2人はそもそも覆面が借り物のイメージがありましたよね。エリマキトカゲはいつの時代でもブームにはなったと思える強烈なキャラでしたね
エディはそのシリーズ素顔で普通に出ていたから、えっ何でって思った。
新しいチャンネルありがとうございます!フランク・ランカスターの代打なら、まだ同シリーズに参戦していたカート・ヘニングやタイガー・ジェット・シンでも良かったとは思いました。
「7番勝負に相応しい相手は他にも沢山いた」とゴングも批判してましたね。三沢もよく腐らなかったなと
三沢と佐山の違いは、海外でスタイル確立と客ウケを研鑽できたかの違いかと思う。自分のスタイル作れないままタイガーやれってそりゃ無茶振りもひどいと思う。
ほんと今思えば無茶な話なんですよね
この動画でマスコミの切り取りって恐ろしいなぁと改めて思いました。佐山さんの三沢さんに対するインタビュー、続きまで載せないと印象が180度変わる見本の様なコメントでした。
怖いですよね。切り抜き動画とか僕は観ないようにしてますよ。あれはサムネを見るだけで制作者の物凄いバイアスを感じますし
越中さんが新日行かず 小林さんみたく三沢タイガーと抗争してたら?なんて思ったんですけど 所詮佐山さんなぞってるだけですよね〜。越中さんジュニアで大分まくったけど その後トップにはなれなかったですね〜。ヘビー級のタイガーを開拓したのと ゴールデンプロレスを体感 ブロディ等一通りのトップ外人と対戦出来たのは三沢さんにとって財産になったのでは?
そう思うととんでもない「貯めの時期」でしたよね
マシーンのマスクを作ったのが、水道橋の弟子。三沢さんのマスク全部作ったのが、新宿近藤スポーツ店。プロレスラーほぼ全員作ってました。
Gスピリッツの三沢回で確かその方がインタビューされてましたので再読してみます😊
三沢さんのパンツは、3種類ありました。赤、青、緑‼️最初は、練習用に青と緑を注文して、次の日に本名で出るのに、しょうがないから、グリーンのパンツで出た。おじさんが「赤の注文が、入った❗」と言ってた。平成元年ぐらいの週刊プロレスに年1回に、広告を出してました。
22から28までの貴重な時間をタイガーに割いたのをマイナスに見る意見は多いですが初代とは違うムーブも見せてくれましたしマイナスだけではなかったと思います。トップロープノータッチのトペコンや旋回式のプランチャや素顔に戻ってからも使っていたトップロープを掴んで一回転しまたリングに戻るフェイント等は流石三沢と思わせます。
今でいう団体内留学と思うようにしています
動画の2代目タイガーマスクのゴングの表紙は当時、三沢さんを知らない自分には抵抗なく見られました。今回、久しぶりに見て大爆笑しました。日髙のり子さんの連載は良く覚えています。この連載、楽しみにしていたのにすぐ終わった感があって残念に思ったものです。
初期ゴングは色々やろうとしていて面白かったですよね。でもまあ表紙を含めたセンスというものが・・・😅
マイグルメ固め、ファッション・ラリアットというコーナーもありましたね。
三沢タイガーは、スヌーカと英語でコミュニケーションが出来たのだろうか。三沢は英語が堪能とは思えないが。
ある程度はできたと思います
新日本も好きですが全日本&ノア系がもっと好きなのでこれからも時々このような動画をお願いします。
はい。色々やりたいことはあるんですけどねえ・・・人生が足りないし、BANがまた予定を邪魔するという😅
全日本って創設後早くから鶴田を獲得してある意味エリート路線を取っていたのは馬場の立ち位置だったんでしょうね。そのくせ、たまに「猪木の様な・・・がない」っていうぶれた発言もしてましたね。一方で、一世を風靡した下積みから這い上がる下剋上まで求め、鶴田に挑戦する選手を作ろうとしている中で偶然なのか不運な三沢タイガー・・・というところでしょうか。
BIは明らかに後継者作りに積極的ではなかったですね
@@natukasilabo2 Bはブレ、Iは山っ気が強すぎたって感じでしょうか。
馬場の全然決起してないってコメントだけは覚えてますそれでもマスクを脱いだ三沢はラボさんが言うことごとく脱ぎどきを間違えたマシン…まぁ中身が根本違いますが
平田はつくづく1985年の4月の両国でマスクを脱ぐべきでした
当初、2代目が来るとうわさがあった時点で、三沢か越中か海外遠征枠のどちらかだろうな、と思ったがこの写真初めて見て、プロレスファン皆さん、ほぼ釈迦に説法の正体でしたね。日テレだから、曲が伊達直人版のタイガーマスクなのかな?テレ朝はタイガーマスク2世放映だから親日はこちらの曲だったのかな、と思っていた
三沢タイガーは入場曲も酷かったですね😅
「決起軍は全然決起しておらん」との馬場の言葉は記憶にあります。が、「タイガーにおんぶにだっこの決起軍」とのフレーズも記憶に残るところです。週プロだったかな?自分の当時の印象もそんな感じで、恵まれないポジションながら腐らず仕事をこなす健気なタイガーに期待する思いもありました。願わくばマスクを被ったまま三冠を戴冠してほしい!と、当時高校生の自分は思っとりました。
2代目タイガーは不遇すぎるレスラー人生でしたが、だからこそのブレイクだったと。それもまたプロレスですね
袴の三沢はかなりイケメンですね。
ちゃんと様になってますよね
お久しぶりです!七番勝負あのデビアスが三沢に負けたのは衝撃でした。裏には馬場の深謀遠慮があったんですね。
プロモーター馬場はドライだなとつくづく思います
最後の三沢タイガーの写真、カッコいいじゃないですか。
マスクがハマっている時期がたまにありますよね
とりあえず、おかえりなさいませ✌
ありがとうございます😊
う〜ん、全日ファンの自分としては、タイガー時代の三沢がそこまで不遇だとは感じてないんですよね〜。鶴田、天龍、長州でトップを争ってた時代ですから、キャリア考えたら!タイガーは特別扱いされてたと思います。ラボさんどちらかというと新日系のファンだから、そう感じるのかなあと。
そういう部分はありますね。どうしても初代タイガーと比べてしまいますし、それに三沢の世代のそのものがロスジェネと言いますか、それゆえに立場が中途半端になっていたという感じがあります。
三沢タイガーはどうしても佐山タイガーとの差があり過ぎて、比べてみてしまうがために正直見るに耐えなかったですよ
@@ひとし-r2d 差、っていうのは佐山基準やからでしょ。そりゃ佐山のスタイルなら佐山の方が上。だからって、三沢が悪いわけじゃないからなあ。
せめて伝説タイプのマスクにしておけばもう少し三沢の鼻筋とか隠せたのにね。
あれを上回る表紙は未だにないでしよう🤣
人生後ろ向き位がちょうどいい帰って来た懐かしラボ
次なんかあってもまた帰ってきます🤣
あのサソリの返し方、猪木が先に大将戦でやったのと同じじゃね?
サソリ返しは藤原もやっていたような
良かったです。これからも楽しみにしてます!
ありがとうございます😊なるべく長生きのチャンネルになりますように
三沢はタイガーがダメだったからマスク脱いでうまくいったんだと思いますね。試合も失笑だったんですが、批判を声援に変えたレスラーはこの上なく支持を受ける。全日では少ないですが…というか三沢以外思い浮かばないのですが新日となると長州、棚橋、オカダ、内藤…
なかなかほかにない例ですよね。観客の見守る中でまさに脱皮したわけですから
三沢の良さを完全に殺したキャラ
今となっては団体内武者修行だったとしましょう
決起軍の5人中の3人ケミカルウォッシュのデニム率の高さ。
ねるとんだったら確実にごめんなさいですね
「三沢以上に三沢なタイガー」はラボさん屈指の名言です。
マスクを脱ごうとする三沢にカブキが「何してる?何してる?」と言ったのは有名ですが、
この時の僕はマスクを被っている三沢に「何してる?何してる?」と思ったものでした🤣
「100人いたら110人ぐらいが三沢だと思う」も屈指の名言かと✨
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三沢さんは長く2代目タイガーマスクをやっていましたよね。特にヘビー級として。初代タイガーのイメージ踏襲で空手を習わされて「劇画のタイガーはキックなんて使わない」と三沢さん不満もあったようですがエルボーは空手特訓で覚えてのちのち役に立ちました。
本当は二代目タイガーと格闘タイガー(中の人は空手家)の「タイガー兄弟」が考えられていたようですね
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越中と三沢があそこで別れたからこその、その後のプロレスですから、ある意味必然だったのでしょうね
週刊プロレスは2代目タイガー表紙になりましたっけ?
蔵前国技館で初お目見えした時の写真が表紙になっています。
その表紙が、缶コーヒーWANDAにも印刷されています。
週プロはザ・タイガー派でしたからね
2代目タイガーがヘビー転向して停滞していたころ、対照的にかつてのライバル兼パートナーだった越中が対UWFでの善戦健闘で人気急上昇していて、勢いを比較されてしまったのも皮肉な印象でしたね。
ゴングが猛虎7番勝負の対戦希望選手にまだジュニアだった越中の名前を挙げてたり。
つくづくタイガーというか三沢の踏ん張りどころでしたね
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ワタクシが初めて三沢を見た日。って、ク❌ガキでしたけど。
全日本プロレス、1983年秋の和歌山大会。
初観戦。
石川&ウルトラセブンVS越中&三沢。
子供心に、越中&三沢のセンスの良さを感じました。ドロップキックが突き刺すように。ウルトラセブン入場時たたきにいった観客のおにいさんがガチでセコンド(川田?)に食らわされたのは、ともかく。
あちゃー。ラストそうだった?
なんたることか、最近、有田さんのチャンネルでフィーチャーされていて、記憶補正🤔
10年後の1993年。
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十年一昔。
人生塞翁が馬ですな。
三沢にしても過ぎてしまえば若手時代からのすべてが線でつながりますが、その時々はわからないことだらけの「一寸先はハプニング」なんですよね。その中でチャンスを逃さないように実力と嗅覚を磨くべきなんでしょうね
1984~85年の時勢といえばグリコ森永事件も忘れられない事件ですね。三沢タイガーとかストロングマシーンはそういう時期に登場したキャラで、子供だった当時は中の人もよく知らなかったから、時期的にも正体不明のミステリアスなキャラがより強く印象付いてたのかもしれない。
あー、確かにその空気はありましたね
三沢がタイガーに変身して、長く低迷する。その期間にたまりにたまった、ファンのフラストレーションが爆発したのでしょうか。三沢タイガーはこれといった好敵手がいなかったのもマイナス要因でしたね。佐山にはキッドや小林、藤波には長州。逆に三沢には虎のマスクだけで、ちびっこファンを集める集客力があったのでしょうか。だとしたら、好敵手がいなくても納得です。
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山本小鉄が内外の小さい選手に門戸を開いていた事が大きかったと思います。当時の全日ならあり得ないですからね
「ペガサスキッド」と「二代目ブラックタイガー」は微妙でしょうか?(笑)
エリマキトカゲは「わくわく動物ランド」で紹介されて一気にブームになりました😊
あの2人はそもそも覆面が借り物のイメージがありましたよね。
エリマキトカゲはいつの時代でもブームにはなったと思える強烈なキャラでしたね
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フランク・ランカスターの代打なら、まだ同シリーズに参戦していたカート・ヘニングやタイガー・ジェット・シンでも良かったとは思いました。
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三沢と佐山の違いは、海外でスタイル確立と客ウケを研鑽できたかの違いかと思う。
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そう思うととんでもない「貯めの時期」でしたよね
マシーンのマスクを作ったのが、水道橋の弟子。三沢さんのマスク全部作ったのが、新宿近藤スポーツ店。プロレスラーほぼ全員作ってました。
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22から28までの貴重な時間をタイガーに割いたのをマイナスに見る意見は多いですが初代とは違うムーブも見せてくれましたしマイナスだけではなかったと思います。トップロープノータッチのトペコンや旋回式のプランチャや素顔に戻ってからも使っていたトップロープを掴んで一回転しまたリングに戻るフェイント等は流石三沢と思わせます。
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三沢タイガーは、スヌーカと英語でコミュニケーションが出来たのだろうか。三沢は英語が堪能とは思えないが。
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BIは明らかに後継者作りに積極的ではなかったですね
@@natukasilabo2
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馬場の全然決起してないってコメントだけは覚えてます
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平田はつくづく1985年の4月の両国でマスクを脱ぐべきでした
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三沢タイガーは入場曲も酷かったですね😅
「決起軍は全然決起しておらん」との馬場の言葉は記憶にあります。
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週プロだったかな?
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2代目タイガーは不遇すぎるレスラー人生でしたが、だからこそのブレイクだったと。それもまたプロレスですね
袴の三沢はかなりイケメンですね。
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三沢タイガーはどうしても佐山タイガーとの差があり過ぎて、比べてみてしまうがために正直見るに耐えなかったですよ
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三沢はタイガーがダメだったからマスク脱いでうまくいったんだと思いますね。
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