Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
若新さんの解説、わかりやすかったです。😊「そうは問屋がおろさない」という言葉も゙「結局、全ての決定権は、問屋にあるんやで!!」て話ですよね~。と、気付きました。
普通に考えると「他人に過干渉な社会だけど人を助ける社会」か「他者に無関心な社会で、他人も助けない」のどちらかの方向性だと思うけど、日本の場合は「干渉されるけど、他人も助けない」という状況になっているのが、メリット・デメリット一体じゃなく、悪いところどりのデメリットのみとなってしまってる気がするな。日本人の不寛容って、失敗しないための正確さ慎重さと引き換えの厳格さだと思ってたけど、今やオリンピックとか万博運営とか、コロナの行政の対応とかみても、どうもそっちの能力も失われつつある感あるよね…
@@平藤-i5m そうやって合わないから変えたいと言っている人らを追い出しているうちに、ついにはほとんどの人にとって居心地が悪い社会になってしまった、と...過去事例をみても、日本の場合は、社会を大きく変えようとしてもうまくいかないから、結局は、コミュニティの枠組みを出て、新しい小集団を作ってチャレンジをしていく方がうまくいくのかもしれませんね。だからこそ、今は日本は地方行政の方が面白そうだな、と思っています。
太田胃散のようにスーっと腑に落ちるお話しをしてくれる若新さんと武田さんの言葉力に脱帽です。
生活に余裕ねぇからだと思ってる
そんな気がします。電車の中でPC操作してたら、他の客が、キーの操作音がうるさくて迷惑だと乗務員に言って、乗務員がそれをそのまんま伝えて、PC操作していた客はビックリ、とか、飲食店で前の客の使用済みの紙ナプキンがテーブルの上に置いたままだったり他の客が鼻をかんだりしたら殺意が湧くとか、景気の良かった頃は、聞いたこともないアンビリーバボーな話ですものね。
@@yumikosawada867景気の良かった頃から人の感覚は同じようなもんじゃないの?なんか情報ソースがないとどうも信用出来ないな。今のコレって所詮あなたの感想案件な気がする
@@ドングル さま、そうですよ。景気が良くても悪くても人間の性に変わりはありません。ただ、どの程度むき出しにするか、景気の良し悪しの影響を受けるということです。景気とは人々の気分ですから当然でしょう。そして、やたらソースとかエビデンスとか言うのは、ソースもエビデンスも何も知らない人たちです。
@@yumikosawada867 いや僕的には当然だとは思わないというか、僕の感覚で言うと景気の良し悪しによる差を感じないんですよね。なので違う意見なのでしたらその根拠を知りたかったというだけでして。エビデンスやソースというのは、当人には「当然でしょう」と思う意見を他人に伝えるために存在するのです
@@yumikosawada867 ほら逃げる。論破敗走
庄屋や脱穀の話があるおかげで、納得感凄い
煙草とセクハラが寛容社会をあらわすというのはちょっと違うと思います。成人男性(社会的強者)にとっては確かに寛容でゆるっとして過ごしやすい社会だったのでしょうね。
同意。マジョリティ(成人男性、喫煙者)がマイノリティ(女性、子ども、病人)を抑圧するのが当たり前とされていただけで、それを寛容とは言わない
主語が誰か?を問わず主観100%の暴論を無自覚に吐く事で黒がグレーにされてしまういい例だね。この3人の話が聞くに堪えないのは「てめえ(おっさん)の主観」であるという第三者視点が欠如したまま言葉を発してしまっている点。こいつらの内面は実年齢以上に老けてる。
オタクだけど昔よりオタクには優しくなった気がする昔はオタクはほんとに被差別民だったし
確かに…。20年前にはこんなに一般の人に開かれるとは思いもしなかったです
若新さん、て、話上手いな
✨若新さん✨いつも優しい解説、話題豊富、場を変化させる力が羨まし過ぎて憧れます🎉🎉🎉
双雲氏、以前やってた「氣」の書をブチ破るパフォーマンス、まるで人生を表してますよね。あの通りに生きてる様ですね。
めちゃめちゃ面白かった… こういう対談を雑談形式で身近に実現できる機会が欲しいな…見てるだけでなく参加してもっと理解したい。
できることが増えたから当たり前の基準が高くなっただけです。その当たり前を実現するためにみんな苦しんでます
人間って賢くなり過ぎると不幸を感じるんですかね
人間の幸福と関係する寛容性。寛容性はどこからやってくるのか。それは、幼児期の自己満足から形成される。自分に満足をしてから、他者へ視点が移ることで、寛容性は生まれる。この順番が、先に他者目線を優先させられると、人は他者への寛容性を持てなくなる。自分を抑え、我慢して相手に合わせることがデフォルトになり、それが出来ない他人を見ると『なぜお前だけ!』『俺はこんなに我慢して他者(社会)に合わせているのに!』となる。相手を許せるということは、無条件に自分に満足をしている状態と言えるので、幸福。なので、寛容性の無さは、保育や教育、子育てのあり方にとても関係している。
この動画を見ながらいろいろな考えが自分の頭の中にも浮かびました。鼎談の形にしたことで単なるディベートでなく広がりのある意見交換会としてみることが出来ました。ありがとうございます!
貴重なお話をありがとうございます。自分で自分を認めて、ありのままの自分を丸ごと受け入れられていない人は、他人に対して寛容になれないのではないでしょうか?自分を大切にできなければ、他人を本当に思いやることなんてできない。現代社会はSNSなどの普及で自己肯定感が下がっているというか、劣等感に苛まれている人が多い気がします。劣等感や恐れや不安、不満やネガティブな思いを抱きやすい環境に生きているというのが、不寛容を産んでいる一つの要因になっているのかもしれない…と思う今日この頃です。人間の内面を掘り下げるトーク、素晴らしいです。これからも楽しみにしていますので、よろしくお願いいたします。
非常にユニークな切り口で、深くもある雑談が最高でした。こういうユニークに自分の考えや知識を深めていきたいですね!
双雲さんが言う無邪気さや若新さんが言う若さってどこまで人間が元来持つ純粋性をどこまで保てるかってことでしょうか?エゴだらけの自己と外部の刺激に振り回されず自分を維持するのは持続する幸福につながると思います。不寛容については弥生時代からの監視社会から続いていますが生きずらい世界を変えるためには意識をそろそろ変えたいですね。
昔の「取り決めが厳しい」のと「現代の不寛容」は性質が違うものだと感じてて、昔はわりと狭い付き合いの中で生きていたからこそ寛容というか「融通」が必要だったのでは。取引先の(下請けだけど)金型作りの職人さんを怒らせちゃいけないとか。そんな容易に代替の相手が見つかる訳では無いので今居る環境で横暴にならず溶け込む寛容さが必要だった。 でも現代のほうが「自由になったからこそ」少しでも「オレが気に入らなかったらお前の代わりなんかいくらでもいるわ」とすぐブロックしたり好き嫌いが激しくなって「不寛容」は強く出ていると思う。それは日本に限ったはなしではない。では何故日本の幸福度が低いかは「不寛容」だけでなく他の要素との総合結果だろうけど、思うに日本は「昔の厳しさ(不自由)そのまま」「現代の不寛容」みたいな昔と現代の悪いとこ同士がダブルバインドしてるからだと思う。
与えることに寛容な人は、受けることにも寛容だったりするので、その辺りは個人的に気をつけたい
自分は被害者で守られるべき存在だって思った時は、自分に優しくしてくれないもの全てに不寛容になる気がする。資本主義や能力主義という構造自体が不寛容さを生み出す元凶になってるのでは。時間的余裕も金銭的余裕もなければ私は被害者だって、慰められるべきだって思うのはしょうがない気もする。車内で赤ちゃんの鳴き声にブチギレている人達に対しても、そのような態度を採らざるを得ないほど生活に困窮しているのだなと想像することが出来たら、不寛容のループから抜け出す一筋の光になるのではないか。まずは自分一人ができることからはじめて行きたいと思った。
寛容さは広がっているのを肌で感じます。ただ年々強まってる法令遵守やモラルは一方のみが非難対象になるべきではなく、遵守できない仕組みも、遵守しない人の「双方課題の視点」が大切だけど、一方側のみが攻め立てられる現代は単なる「憂さ晴らし」であり、そこは従来の村八分と変わっていない気がしています。
寛容さが広がっているのではなく、関わらないように距離を取る、無関心/不干渉の考えが広まっているように見える寛容に受け入れたという理想とは程遠い状況と思う
非常に深いお話でした。ありがとうございました。
最近の新R25、フワッとした内容をゆるゆる語る方向になりつつあるの、差別化できてて推せる。
一言で言えば個人の幸福を追求する社会になったからじゃないですかね?
とても面白い内容でした。
画一性は扱いやすいから、管理する側の都合で統一性が評価された。学校の制服やらリクルートスーツ、和服の着方まで型式重視は日本が群抜いてる。そうやって育ってるから上下関係でなくても横の関係の許容範囲の狭さが不寛容という言葉に訳されるという事かと
寛容にも限界があると思う。無制限の寛容はありえないので、自分の興味のない事は以外は、無関心になる社会になると思う。個人単位でいうなら、自身の価値観と、話が合わない人とは関わらない or 無関心になっていく政治の世界の話でいうなら、難民、移民(高度人材以外)、安全保障関係は不寛容になっていく(というか、ならなければ国が滅ぶ)戦略がない寛容は個人、国も破滅する
支配と恐怖は表裏一体というのがすごくハッとした。
米をごちゃ混ぜにする、で思い出しましたが、小学校の調理実習のカレーライス(詳細失念)で使う米を各自1合持参するということで持って行ったものの、同じ班の友達に「お前の家の安い米は混ぜるな」みたいな言い方をされた記憶がトラウマになっています。
三流感をわざと出す高田純次さん加藤茶さんが思い浮かんだんだけど高齢になってもみんなに愛されて仕事にも呼ばれるブランドイメージとしてパリッとした仕事も入ってくるそういう事だとしたら、そしてそれが出来てるって一流なんだなと思ったり…
人が不寛容になっていく仕組み納得。
いいシリーズ
勉強になる!ありがとうございます!
農家の話、そこで他の人と違うことをしてしまう人が「村八分」となったわけですね。
「パワハラ、粉飾決算をやり放題」などの権力者に対する寛容と、「電車でタバコを吸い放題」などの庶民生活に対する寛容を、分けて議論したほうがよさそう。
強かった人たちが弱くなり、弱かった人たちが強くなってる
面白い!わかりやすい!
すごい面白い👍
おもしろかった。
不寛容さに寛容になれた。聴いてて。
自分自身ではなく自分以外の人を使って「自尊心」を保とうとするから権力力は人をコントロールするだよね、きっと。自分のことをどうやって自分自身で幸せにすれば良いか分からんのかもしれない。答えが全て自分以外の外にあるということなのかな。自己満が幸せの基本かもなと思いました。
早雲さんさすが!言語化すっきり!個別を求められるから不満が生まれ、生きづらさという感覚が生まれるのか。。。つまりは全ては己れのなかの幻やんw
弱者男性しかり弱者女性しかり収入が低いとか◯◯ができないとか滅茶苦茶他人を陰でバカにする風潮だよね、もちろんみんな露骨に表だっては言わない
その通りだと思います。更に環境による特徴なのか直接にしても、悪口や指摘が無駄にウェットというか、ネチネチしてるんですよね。サラッと指摘するぐらいなら、その場でどうにか収まりそうなやり取りも禍根が残る無駄な時間が生まれるというか。言語化が難しいですが。
脱穀機説、面白い🤣
他者に対する寛容・不寛容は、シンプルに民衆の景気体感と連動している。ここ100年の日本で、一番、寛容だった時代がバブル。一番、不寛容だった時代が戦時中。人は、自分が儲かってたら、金さえ回ってたら、他人にも寛容になれるんだよ。多少のことは我慢できる。逆に金が回ってこなくなると、何もかも許せなくなる。近代のアメリカが自由の象徴だったのは豊かだったから。北朝鮮が不寛容の象徴だったのは貧しかったから。残念だけど、それだけ。
「不寛容撲滅」自体が「不寛容に対して不寛容」という双雲さんの視点が好き
それはただの言葉遊びだと思う。「盗撮を取り締まるために監視するのも盗撮と同じ」と言ってるのと同じ。ひろゆきがよく使う屁理屈。
田んぼの話おもしろかった!
脱穀機が、各農家になかったのは、日本の貧しさのせいじゃないのかな?皆で力を合わせて回さなければ、できなかったんじゃないかな?今は、豊かに成ったんだなーと思います。
データを取る時点で幸福度から遠ざかる
私はずっと不寛容社会だと感じて生きてきたのでタイトルで既にモヤモヤしてました。途中でお三方も昔から不寛容だったと仰っていてそこは溜飲が下がったのですが、全体的には少し物足りなかったです(まだ初回なので仕方がないとは思いますが)。不寛容がテーマなのに同じ様な属性(3,40代男性)だけで議論しても目新しい視点は出てこないのではないでしょうか。
すごく面白かったです!さらに深堀して言うならば、今はこれまでの2000年の権力者と被支配の構造だったのが、ネットの登場とドルの衰退により多様化の時代になるので稲作が始まる前、縄文の時代に戻ると各所で言われていますよ縄文人は狩猟民だったので、ピラミッド型があまりなくそれぞれの個人が緩く集まる程度の村だったとかおそらく縄文系の自由人が命の危険と引替えに武士になったと思います大多数の安全志向民は百姓になったので
自分を救ってくれないシステムを温存してるコミュニティなんて、攻撃して崩しても罪悪感ないしね。
全体の繋がりを理解してるからだと思う。後は過去の伝統
一人一人が自由に生き方を追及出来るって意味では、昔より今の方がよっぽど寛容(な社会)なんですよね。ただ皆がそれを追及すればするほど社会全体としては衰退して行くので、その結果生活に余裕がなくなり周りに不寛容になったという話だと思います。
お二人のような方ほど本当は権力側に回らないと変わらないんじゃないかなとも…
誰かがまとめないと、共同体が壊れるんだよね。
庄屋→農協
複合的な問題だろうし、単純化したら加害者と同じ意識になってしまうから、寛容を体現するということは純粋さに近いんじゃないかな。
変な人は変な人として個人的に受け入れたり楽しんでくれれば良いのに、拡散したり共有したり公の事にしゃったらそりゃ寛容できない人も出てくるさ。海外の危険な遊びやアトラクションはそれはそれで羨ましい
日雇いより半年契約の方が良いし、正社員の方が良いし、仕事する相手は毎日違う人とするより、阿吽の呼吸でできる様になる方が効率的だしねぇ…。
最後の最後まで崇め立てられる人はいっぱいいると思いますよ。歴史上の人物はほとんどそうでしょうし、ジャニーズの創設者もそうでした。放っておくと人間はそうなります。それが自然なことです。そこの人間の弱さについてもっと話し合うべきです。
面白いですー!けれど、歴史をだいぶ勝手な事言ってますね😂そんなもんなんだな歴史って...って思いました。その時生きてる人の話を聞かなければわからない、しかも視座や視点、立場によって、受け取り方によっても十人十色な話。各お家代々の話継がれるご先祖様の話を聞くことが、やはり大事な事だなあと改めて思いました。
スマホが登場した→各々が好き勝手なことを自由に言える→自分と違う考え方を受け入れない
チェーン展開してると、売上の良いところと悪いところがグラフ化されると悪いところは冷たく見られる。だからちゃんと売れるサービスしなくちゃならなくておんぶにだっこはダメなこと。と思ってた。大事にしてることにたいしての寛容さってなんだろうな。
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』を読んでみては
みんなで、ポケモンゲームしてるような感覚で過ごしてるからなんですよね。みんな、同じレベルのプレイヤーで、固まりたいわけですよ。生死に関わるような周りとの格差があまり見られない分、そのプレイヤーがどう周りから評価され、どのプレイヤーと絡むのか、が重要なんだと認識している。まぁ、村ですよねぇ😅
昔に比べて不寛容って、そりゃ男性から見たらそうだろうねとしか。
おもしろい!
明らかに、戦前/戦後ですっかり変わったのではないですか?ほとんどのズレはそこに行き着きます。
不寛容を寛容せよ。
今の日本の悪い所は、とにかく足の引っ張り合いするとこだよね。
ルールを守る=不寛容だから不寛容が悪いと思わない寛容ってルールの押し付けを許す事ってイメージ
数年前に見た他チャンネル動画で、集積ポイントが牛耳る経済システムを元東大教授の安冨歩氏が「関所システム」と喝破してたのを思い出しました。
家の近くに保育園が出来るだけで苦情が出るほどには不寛容だな。
多様性、チャレンジとか会社入って学びました。教育がないのではないかな〜
支配が支えて配るは統治者が長く続く上では重要です。また統治者がいつまでも続かないのも納得で面白くないからという理由だけで結託したりします。それを考えると英国の方法は適度にガス抜き出来てよいのかもなぁと思いました。
不寛容と無秩序のバランスの問題ではないですかね。歴史の専門家いれた方がよかったっすね。多分きっとが多すぎて、大きく間違っているとは思わないが、番組ではなく世間話止まりでしたね
寛容を求めることが、不寛容ですね
M1ひとつ取っても、主宰者は今1番おもろい漫才師は誰?って思いで作ったんだろうけど、なので審査員は色んな評価軸であることに寛容なはずだけど、不寛容なその他大勢にその意図は潰されるね。
多様性のせいで、多数派が居なくなったから
不寛容だと挑戦できないのか過去のほうがはるかに不寛容だったとおもうが問題のすりかえにみえる
ワカシンさんの偽物感、三流感を出そうとしている作戦、成功していると思う。時々、良いこと言う!って思ってもなんかいつも薄っぺらい印象を持ってしまうんだよね。そっか、わざとそう見せるようにしてたんだ
アメリカしか知らんけど、アメリカはいい意味で適当で、だから、時々金融危機みたいなすごいミスもする。日本が不寛容というか、他人気にし過ぎて変な理論こねくり回して自爆してると思うてる。
うーん、おもしろいですね!
学校で脱穀機の歴史授業すればいいのに
日本が幸福度でこれだけ低いからデータとしてでてるんだよね
昔はもっと不寛容だったと思う。
冒頭の若新さんの話聞いて思ったけど、日本はもともと不寛容だよな昔から村八分とか鎖国とかあったやん
んーモヤる。理不尽。タバコに寛容だった=喘息持ちや嫌煙家にとって不寛容ってことだらね。誰かにとっての寛容=別の誰かにとっての不寛容であっていいのか。
アスファルトじゃない道路、水洗じゃない汲み取り式のトイレ、隙間だらけの窓・・土埃が舞い、立ちションOKであちこちで臭い匂いがするのが当たり前の時代と今じゃ価値観違いますよね💦
多様性と不寛容は表裏一体な気がするけどね
勝ち組負け組言いすぎた
昔の方が良かった説。じゃぁセクハラされてた被害者は幸せだったんですかね。「寛容」「多様性」の認識自体が間違ってる。こんなこと英語で海外に流したら馬鹿にされるよ。
農家だけどそれが普通だし農協だよな…今更
昔と比べて大して変わりないのに変わったと騒いで目立ちたい人が取り上げられやすくなっただけ。
面白い話し!←私達も?私も参加したいわ(笑)双雲さんは確かに?権力持った(笑)しかし~河野太郎さんは何で?ベルマーレの何か役員??ガキっぽくいたい若新さん(笑)心地よさと引き換えに若さを失う?権力ね~?中田さんは~お笑いを問題提起したのに~立ち消えた?こんな話ならば女性達も参加したい!その他のテーマもいっぱい議論したい!
訂正→火事(笑)
島国だからだよ
違った!!豚は死ね!狼は生きろ!!だと生易しい議論はしてられるのじゃ!!🦎🦎🦎
結論:日本人は頭がいいのですぐにテンプレ化し効率化を目指してしまう気質というか呪いを持っていることが不寛容さの根源ということでよいか?
若新さんの解説、わかりやすかったです。😊
「そうは問屋がおろさない」という言葉も゙「結局、全ての決定権は、問屋にあるんやで!!」て話ですよね~。と、気付きました。
普通に考えると「他人に過干渉な社会だけど人を助ける社会」か「他者に無関心な社会で、他人も助けない」のどちらかの方向性だと思うけど、日本の場合は「干渉されるけど、他人も助けない」という状況になっているのが、メリット・デメリット一体じゃなく、悪いところどりのデメリットのみとなってしまってる気がするな。
日本人の不寛容って、失敗しないための正確さ慎重さと引き換えの厳格さだと思ってたけど、今やオリンピックとか万博運営とか、コロナの行政の対応とかみても、どうもそっちの能力も失われつつある感あるよね…
@@平藤-i5m そうやって合わないから変えたいと言っている人らを追い出しているうちに、ついにはほとんどの人にとって居心地が悪い社会になってしまった、と...
過去事例をみても、日本の場合は、社会を大きく変えようとしてもうまくいかないから、結局は、コミュニティの枠組みを出て、新しい小集団を作ってチャレンジをしていく方がうまくいくのかもしれませんね。だからこそ、今は日本は地方行政の方が面白そうだな、と思っています。
太田胃散のようにスーっと腑に落ちるお話しをしてくれる若新さんと武田さんの言葉力に脱帽です。
生活に余裕ねぇからだと思ってる
そんな気がします。電車の中でPC操作してたら、他の客が、キーの操作音がうるさくて迷惑だと乗務員に言って、乗務員がそれをそのまんま伝えて、PC操作していた客はビックリ、とか、飲食店で前の客の使用済みの紙ナプキンがテーブルの上に置いたままだったり他の客が鼻をかんだりしたら殺意が湧くとか、景気の良かった頃は、聞いたこともないアンビリーバボーな話ですものね。
@@yumikosawada867景気の良かった頃から人の感覚は同じようなもんじゃないの?なんか情報ソースがないとどうも信用出来ないな。今のコレって所詮あなたの感想案件な気がする
@@ドングル さま、そうですよ。景気が良くても悪くても人間の性に変わりはありません。ただ、どの程度むき出しにするか、景気の良し悪しの影響を受けるということです。景気とは人々の気分ですから当然でしょう。そして、やたらソースとかエビデンスとか言うのは、ソースもエビデンスも何も知らない人たちです。
@@yumikosawada867
いや僕的には当然だとは思わないというか、僕の感覚で言うと景気の良し悪しによる差を感じないんですよね。なので違う意見なのでしたらその根拠を知りたかったというだけでして。エビデンスやソースというのは、当人には「当然でしょう」と思う意見を他人に伝えるために存在するのです
@@yumikosawada867 ほら逃げる。論破敗走
庄屋や脱穀の話があるおかげで、納得感凄い
煙草とセクハラが寛容社会をあらわすというのはちょっと違うと思います。成人男性(社会的強者)にとっては確かに寛容でゆるっとして過ごしやすい社会だったのでしょうね。
同意。マジョリティ(成人男性、喫煙者)がマイノリティ(女性、子ども、病人)を抑圧するのが当たり前とされていただけで、それを寛容とは言わない
主語が誰か?を問わず主観100%の暴論を無自覚に吐く事で黒がグレーにされてしまういい例だね。
この3人の話が聞くに堪えないのは「てめえ(おっさん)の主観」であるという第三者視点が欠如したまま言葉を発してしまっている点。
こいつらの内面は実年齢以上に老けてる。
オタクだけど昔よりオタクには優しくなった気がする
昔はオタクはほんとに被差別民だったし
確かに…。20年前にはこんなに一般の人に開かれるとは思いもしなかったです
若新さん、て、話上手いな
✨若新さん✨いつも優しい解説、話題豊富、場を変化させる力が羨まし過ぎて憧れます🎉🎉🎉
双雲氏、以前やってた「氣」の書をブチ破るパフォーマンス、まるで人生を表してますよね。あの通りに生きてる様ですね。
めちゃめちゃ面白かった… こういう対談を雑談形式で身近に実現できる機会が欲しいな…見てるだけでなく参加してもっと理解したい。
できることが増えたから当たり前の基準が高くなっただけです。その当たり前を実現するためにみんな苦しんでます
人間って賢くなり過ぎると不幸を感じるんですかね
人間の幸福と関係する寛容性。寛容性はどこからやってくるのか。それは、幼児期の自己満足から形成される。自分に満足をしてから、他者へ視点が移ることで、寛容性は生まれる。この順番が、先に他者目線を優先させられると、人は他者への寛容性を持てなくなる。自分を抑え、我慢して相手に合わせることがデフォルトになり、それが出来ない他人を見ると『なぜお前だけ!』『俺はこんなに我慢して他者(社会)に合わせているのに!』となる。相手を許せるということは、無条件に自分に満足をしている状態と言えるので、幸福。なので、寛容性の無さは、保育や教育、子育てのあり方にとても関係している。
この動画を見ながらいろいろな考えが自分の頭の中にも浮かびました。鼎談の形にしたことで単なるディベートでなく広がりのある意見交換会としてみることが出来ました。ありがとうございます!
貴重なお話をありがとうございます。
自分で自分を認めて、ありのままの自分を丸ごと受け入れられていない人は、他人に対して寛容になれないのではないでしょうか?
自分を大切にできなければ、他人を本当に思いやることなんてできない。
現代社会はSNSなどの普及で自己肯定感が下がっているというか、劣等感に苛まれている人が多い気がします。
劣等感や恐れや不安、不満やネガティブな思いを抱きやすい環境に生きているというのが、不寛容を産んでいる一つの要因になっているのかもしれない…と思う今日この頃です。
人間の内面を掘り下げるトーク、素晴らしいです。
これからも楽しみにしていますので、よろしくお願いいたします。
非常にユニークな切り口で、深くもある雑談が最高でした。こういうユニークに自分の考えや知識を深めていきたいですね!
双雲さんが言う無邪気さや若新さんが言う若さってどこまで人間が元来持つ純粋性をどこまで保てるかってことでしょうか?エゴだらけの自己と外部の刺激に振り回されず自分を維持するのは持続する幸福につながると思います。
不寛容については弥生時代からの監視社会から続いていますが生きずらい世界を変えるためには意識をそろそろ変えたいですね。
昔の「取り決めが厳しい」のと「現代の不寛容」は性質が違うものだと感じてて、昔はわりと狭い付き合いの中で生きていたからこそ寛容というか「融通」が必要だったのでは。取引先の(下請けだけど)金型作りの職人さんを怒らせちゃいけないとか。そんな容易に代替の相手が見つかる訳では無いので今居る環境で横暴にならず溶け込む寛容さが必要だった。 でも現代のほうが「自由になったからこそ」少しでも「オレが気に入らなかったらお前の代わりなんかいくらでもいるわ」とすぐブロックしたり好き嫌いが激しくなって「不寛容」は強く出ていると思う。それは日本に限ったはなしではない。では何故日本の幸福度が低いかは「不寛容」だけでなく他の要素との総合結果だろうけど、思うに日本は「昔の厳しさ(不自由)そのまま」「現代の不寛容」みたいな昔と現代の悪いとこ同士がダブルバインドしてるからだと思う。
与えることに寛容な人は、受けることにも寛容だったりするので、その辺りは個人的に気をつけたい
自分は被害者で守られるべき存在だって思った時は、自分に優しくしてくれないもの全てに不寛容になる気がする。
資本主義や能力主義という構造自体が不寛容さを生み出す元凶になってるのでは。
時間的余裕も金銭的余裕もなければ私は被害者だって、慰められるべきだって思うのはしょうがない気もする。
車内で赤ちゃんの鳴き声にブチギレている人達に対しても、そのような態度を採らざるを得ないほど生活に困窮しているのだなと想像することが出来たら、不寛容のループから抜け出す一筋の光になるのではないか。
まずは自分一人ができることからはじめて行きたいと思った。
寛容さは広がっているのを肌で感じます。
ただ年々強まってる法令遵守やモラルは一方のみが非難対象になるべきではなく、遵守できない仕組みも、遵守しない人の「双方課題の視点」が大切だけど
、一方側のみが攻め立てられる現代は単なる「憂さ晴らし」であり、そこは従来の村八分と変わっていない気がしています。
寛容さが広がっているのではなく、関わらないように距離を取る、無関心/不干渉の考えが広まっているように見える
寛容に受け入れたという理想とは程遠い状況と思う
非常に深いお話でした。
ありがとうございました。
最近の新R25、フワッとした内容をゆるゆる語る方向になりつつあるの、差別化できてて推せる。
一言で言えば個人の幸福を追求する社会になったからじゃないですかね?
とても面白い内容でした。
画一性は扱いやすいから、管理する側の都合で統一性が評価された。学校の制服やらリクルートスーツ、和服の着方まで型式重視は日本が群抜いてる。そうやって育ってるから上下関係でなくても横の関係の
許容範囲の狭さが不寛容という言葉に訳されるという事かと
寛容にも限界があると思う。無制限の寛容はありえないので、自分の興味のない事は以外は、無関心になる社会になると思う。
個人単位でいうなら、自身の価値観と、話が合わない人とは関わらない or 無関心になっていく
政治の世界の話でいうなら、難民、移民(高度人材以外)、安全保障関係は不寛容になっていく(というか、ならなければ国が滅ぶ)
戦略がない寛容は個人、国も破滅する
支配と恐怖は表裏一体というのがすごくハッとした。
米をごちゃ混ぜにする、で思い出しましたが、小学校の調理実習のカレーライス(詳細失念)で使う米を各自1合持参するということで持って行ったものの、同じ班の友達に「お前の家の安い米は混ぜるな」みたいな言い方をされた記憶がトラウマになっています。
三流感をわざと出す
高田純次さん
加藤茶さんが思い浮かんだんだけど
高齢になってもみんなに愛されて仕事にも呼ばれる
ブランドイメージとしてパリッとした仕事も入ってくる
そういう事だとしたら、そしてそれが出来てるって一流なんだなと思ったり…
人が不寛容になっていく仕組み納得。
いいシリーズ
勉強になる!ありがとうございます!
農家の話、そこで他の人と違うことをしてしまう人が「村八分」となったわけですね。
「パワハラ、粉飾決算をやり放題」などの権力者に対する寛容と、「電車でタバコを吸い放題」などの庶民生活に対する寛容を、分けて議論したほうがよさそう。
強かった人たちが弱くなり、弱かった人たちが強くなってる
面白い!わかりやすい!
すごい面白い👍
おもしろかった。
不寛容さに寛容になれた。聴いてて。
自分自身ではなく自分以外の人を使って「自尊心」を保とうとするから権力力は人をコントロールするだよね、きっと。自分のことをどうやって自分自身で幸せにすれば良いか分からんのかもしれない。答えが全て自分以外の外にあるということなのかな。自己満が幸せの基本かもなと思いました。
早雲さんさすが!言語化すっきり!
個別を求められるから不満が生まれ、生きづらさという感覚が生まれるのか。。。
つまりは全ては己れのなかの幻やんw
弱者男性しかり弱者女性しかり収入が低いとか◯◯ができないとか滅茶苦茶他人を陰でバカにする風潮だよね、もちろんみんな露骨に表だっては言わない
その通りだと思います。
更に環境による特徴なのか直接にしても、悪口や指摘が無駄にウェットというか、ネチネチしてるんですよね。サラッと指摘するぐらいなら、その場でどうにか収まりそうなやり取りも禍根が残る無駄な時間が生まれるというか。言語化が難しいですが。
脱穀機説、面白い🤣
他者に対する寛容・不寛容は、シンプルに民衆の景気体感と連動している。ここ100年の日本で、一番、寛容だった時代がバブル。一番、不寛容だった時代が戦時中。人は、自分が儲かってたら、金さえ回ってたら、他人にも寛容になれるんだよ。多少のことは我慢できる。逆に金が回ってこなくなると、何もかも許せなくなる。
近代のアメリカが自由の象徴だったのは豊かだったから。北朝鮮が不寛容の象徴だったのは貧しかったから。残念だけど、それだけ。
「不寛容撲滅」自体が「不寛容に対して不寛容」という双雲さんの視点が好き
それはただの言葉遊びだと思う。「盗撮を取り締まるために監視するのも盗撮と同じ」と言ってるのと同じ。
ひろゆきがよく使う屁理屈。
田んぼの話おもしろかった!
脱穀機が、各農家になかったのは、日本の貧しさのせいじゃないのかな?皆で力を合わせて回さなければ、できなかったんじゃないかな?
今は、豊かに成ったんだなーと思います。
データを取る時点で幸福度から遠ざかる
私はずっと不寛容社会だと感じて生きてきたのでタイトルで既にモヤモヤしてました。途中でお三方も昔から不寛容だったと仰っていてそこは溜飲が下がったのですが、全体的には少し物足りなかったです(まだ初回なので仕方がないとは思いますが)。
不寛容がテーマなのに同じ様な属性(3,40代男性)だけで議論しても目新しい視点は出てこないのではないでしょうか。
すごく面白かったです!
さらに深堀して言うならば、今はこれまでの2000年の権力者と被支配の構造だったのが、ネットの登場と
ドルの衰退により
多様化の時代になるので
稲作が始まる前、縄文の時代に戻ると各所で言われていますよ
縄文人は狩猟民だったので、ピラミッド型があまりなくそれぞれの個人が緩く集まる程度の村だったとか
おそらく縄文系の自由人が
命の危険と引替えに武士になったと思います
大多数の安全志向民は百姓になったので
自分を救ってくれないシステムを温存してるコミュニティなんて、攻撃して崩しても罪悪感ないしね。
全体の繋がりを理解してるからだと思う。後は過去の伝統
一人一人が自由に生き方を追及出来るって意味では、昔より今の方がよっぽど寛容(な社会)なんですよね。ただ皆がそれを追及すればするほど社会全体としては衰退して行くので、その結果生活に余裕がなくなり周りに不寛容になったという話だと思います。
お二人のような方ほど本当は権力側に回らないと変わらないんじゃないかなとも…
誰かがまとめないと、共同体が壊れるんだよね。
庄屋→農協
複合的な問題だろうし、単純化したら加害者と同じ意識になってしまうから、寛容を体現するということは純粋さに近いんじゃないかな。
変な人は変な人として個人的に受け入れたり楽しんでくれれば良いのに、拡散したり共有したり公の事にしゃったらそりゃ寛容できない人も出てくるさ。海外の危険な遊びやアトラクションはそれはそれで羨ましい
日雇いより半年契約の方が良いし、正社員の方が良いし、仕事する相手は毎日違う人とするより、阿吽の呼吸でできる様になる方が効率的だしねぇ…。
最後の最後まで崇め立てられる人はいっぱいいると思いますよ。歴史上の人物はほとんどそうでしょうし、ジャニーズの創設者もそうでした。放っておくと人間はそうなります。それが自然なことです。そこの人間の弱さについてもっと話し合うべきです。
面白いですー!
けれど、歴史をだいぶ勝手な事言ってますね😂
そんなもんなんだな歴史って...って思いました。
その時生きてる人の話を聞かなければわからない、しかも視座や視点、立場によって、受け取り方によっても十人十色な話。
各お家代々の話継がれるご先祖様の話を聞くことが、やはり大事な事だなあと改めて思いました。
スマホが登場した→各々が好き勝手なことを自由に言える→自分と違う考え方を受け入れない
チェーン展開してると、売上の良いところと悪いところがグラフ化されると悪いところは冷たく見られる。だからちゃんと売れるサービスしなくちゃならなくておんぶにだっこはダメなこと。と思ってた。大事にしてることにたいしての寛容さってなんだろうな。
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』を読んでみては
みんなで、ポケモンゲームしてるような感覚で過ごしてるからなんですよね。みんな、同じレベルのプレイヤーで、固まりたいわけですよ。生死に関わるような周りとの格差があまり見られない分、そのプレイヤーがどう周りから評価され、どのプレイヤーと絡むのか、が重要なんだと認識している。まぁ、村ですよねぇ😅
昔に比べて不寛容って、そりゃ男性から見たらそうだろうねとしか。
おもしろい!
明らかに、戦前/戦後ですっかり変わったのではないですか?
ほとんどのズレはそこに行き着きます。
不寛容を寛容せよ。
今の日本の悪い所は、とにかく足の引っ張り合いするとこだよね。
ルールを守る=不寛容だから
不寛容が悪いと思わない
寛容ってルールの押し付けを許す事ってイメージ
数年前に見た他チャンネル動画で、集積ポイントが牛耳る経済システムを元東大教授の安冨歩氏が「関所システム」と喝破してたのを思い出しました。
家の近くに保育園が出来るだけで苦情が出るほどには不寛容だな。
多様性、チャレンジとか会社入って学びました。教育がないのではないかな〜
支配が支えて配るは統治者が長く続く上では重要です。また統治者がいつまでも続かないのも納得で面白くないからという理由だけで結託したりします。それを考えると英国の方法は適度にガス抜き出来てよいのかもなぁと思いました。
不寛容と無秩序のバランスの問題ではないですかね。
歴史の専門家いれた方がよかったっすね。
多分きっとが多すぎて、大きく間違っているとは思わないが、番組ではなく世間話止まりでしたね
寛容を求めることが、不寛容ですね
M1ひとつ取っても、主宰者は今1番おもろい漫才師は誰?って思いで作ったんだろうけど、なので審査員は色んな評価軸であることに寛容なはずだけど、不寛容なその他大勢にその意図は潰されるね。
多様性のせいで、多数派が居なくなったから
不寛容だと挑戦できないのか
過去のほうがはるかに不寛容だったとおもうが
問題のすりかえにみえる
ワカシンさんの偽物感、三流感を出そうとしている作戦、成功していると思う。
時々、良いこと言う!って思ってもなんかいつも薄っぺらい印象を持ってしまうんだよね。
そっか、わざとそう見せるようにしてたんだ
アメリカしか知らんけど、アメリカはいい意味で適当で、だから、時々金融危機みたいなすごいミスもする。
日本が不寛容というか、他人気にし過ぎて変な理論こねくり回して自爆してると思うてる。
うーん、おもしろいですね!
学校で脱穀機の歴史授業すればいいのに
日本が幸福度でこれだけ低いからデータとしてでてるんだよね
昔はもっと不寛容だったと思う。
冒頭の若新さんの話聞いて思ったけど、日本はもともと不寛容だよな
昔から村八分とか鎖国とかあったやん
んーモヤる。理不尽。
タバコに寛容だった=喘息持ちや嫌煙家にとって不寛容ってことだらね。誰かにとっての寛容=別の誰かにとっての不寛容であっていいのか。
アスファルトじゃない道路、水洗じゃない汲み取り式のトイレ、隙間だらけの窓・・土埃が舞い、立ちションOKであちこちで臭い匂いがするのが当たり前の時代と今じゃ価値観違いますよね💦
多様性と不寛容は表裏一体な気がするけどね
勝ち組負け組言いすぎた
昔の方が良かった説。じゃぁセクハラされてた被害者は幸せだったんですかね。「寛容」「多様性」の認識自体が間違ってる。こんなこと英語で海外に流したら馬鹿にされるよ。
農家だけどそれが普通だし農協だよな…今更
昔と比べて大して変わりないのに変わったと騒いで目立ちたい人が取り上げられやすくなっただけ。
面白い話し!←私達も?私も参加したいわ(笑)
双雲さんは確かに?権力持った(笑)
しかし~河野太郎さんは何で?ベルマーレの何か役員??
ガキっぽくいたい若新さん(笑)
心地よさと引き換えに若さを失う?
権力ね~?中田さんは~お笑いを問題提起したのに~立ち消えた?
こんな話ならば女性達も参加したい!
その他のテーマもいっぱい議論したい!
訂正→火事(笑)
島国だからだよ
違った!!豚は死ね!狼は生きろ!!だと生易しい議論はしてられるのじゃ!!🦎🦎🦎
結論:日本人は頭がいいのですぐにテンプレ化し効率化を目指してしまう気質というか呪いを持っていることが不寛容さの根源ということでよいか?