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【ダイナミックレールパックで新幹線・特急に安く乗れます】 bit.ly/3P4FOtDJR東日本の新幹線・特急+ホテルをセット購入で超安くなります! (だいたい超安くなりますが、価格変動制のためそうならないこともあります)JR東日本びゅうダイナミックレールパックについては、ruclips.net/video/cXaBKPlvbH4/видео.htmlこちらの動画で詳しく紹介しています。知っておくと非常にお買い得になるため、東日本・北陸・東海・関西方面へお出かけの方はぜひ参考にしてください。
ヒバリのローマ字のIが抜けている!!!
👍
新潟までの鉄道と宿泊探すので利用させていただきます!
えつ😎
新型車両が過去の特急の伝統と歴史を継承するのは良いな。
大宮在住です、仙台行き特急ひばりは懐かしいですね70年代半ば高校生だった僕は伯母と一緒に(荷物持ち)仙台の親戚の家に法事でよく行きました.4時間近くの乗車は長かったですね.ちょうどタイトル画像のボンネット型で当時でも老朽化してましたので.長時間はしんどかった思いがあります.近年では社員旅行も含め数回は仙台に行きましたが新幹線は早くて快適でいい時代になったと思いました
長町駅が新しい駅だみたいなことを言ってしまったようですが、新しいのは長町駅ではなく南仙台と長町の間にある太子堂駅です。すみません
まぁ長町も東側の広大なヤードが無くなった上に高架化して地上駅時代の頃とは別の駅みたいになっちゃいましたからね。
@@various1260 わを
旧長町駅か懐かしいなぁ
東北新幹線工事中は、はくつる、ゆうづる等の夜行列車は長町から貨物線?経由で仙台駅をバイパスしているのを時刻表で見た覚えがあります。もともと通過扱いだったので、乗降には影響しませんけど。
正確には、太子堂駅~南仙台のコンクリート橋に架替えるのと操車場跡地開発を並行させて名取川橋りょうと高架橋をつなげたんじゃなかったかな?(地元民です)
いや、鉄ちゃんじゃないけど解説付きで見ると楽しかったです。なんか鉄道の旅っていいなぁって思いました。老後の楽しみにでもいけそうです。ありがとう。
父親の実家が仙台でしたので、「ひばり」には沢山お世話になりました。仙台七夕の時期に行っていたので指定席は中々取れなかったし、「はつかり」「やまびこ」は乗ったことはありませんでした。立席特急券といったものもありましたよ。当時の最速は、上野、大宮、宇都宮、郡山、福島、仙台だったかな。福島を過ぎるとあと1時間だあと子供心にワクワクのを覚えています。
そして仙台到着の手前左手の丘の上に3本のテレビ塔が見えると「いよいよ仙台に来た!」という感じがしたものです。
白石駅の普段普通列車が止まらないようなホームの端の方まで行くと、ところどころに「ひばり自由席」とホームに薄くですが跡が残っています。ここにかつては特急が止まってたんだなぁと思わせてくれます。
赤羽台トンネルは、学生時代に警備員のバイトで工事の現場へ行きました。青森出身でもあり、いま思うと感慨深いものがあります。
このようなリバイバル特急などの団体列車ツアーをもうちょっと増えてくれると嬉しいですね。その当時の車両ではなくてもその当時に走ったルートを通ってくれるだけでも十分価値があると思いますね
できれば今回の「ひばり」と同じく、E653系K70を使用して来年3月まで(北陸DC~敦賀開業1周年・金沢開業10周年)に能登半島地震復興記念も兼ねて「はくたか」のリバイバル運転を金沢まで走らせてはどうでしょうか?(本当は「能登」のリバイバル運転を行いたかったのですが、三セク区間を深夜に走行するので昼行特急である「はくたか」に変更)問題は線路使用料とE653系の金沢までの運行実績ぐらいでしょうか。
素晴らしい動画をありがとうございます!在来特急全盛期の東北本線は日本一の高速路線でした。とくに速い区間は宇都宮ー黒磯で区間表定速度は100km/hを超えていました。逆に遅い区間は福島ー仙台で87km/hくらい。とにかく上野ー福島を2時間台で走った列車もあるくらいの路線です。キハ181系つばさ、あおば(つばさの間合い運用)、485系ひばり、やまびこ、やまばと、はつかり、あいづ、583系ひばり、はつかり、はくつる、懐かしい思い出です。
峠越えで87km/hはすごいですよね!キハ181の折戸が開く時の派手な音が好きでした!
勾配がきつくカーブも多かったので時間短縮で振り子式車両の導入計画があったそうです(幻の487系)東北新幹線が正式決定されたので開発が中止になりましたけど。
昔新幹線の前に長距離列車に乗る際は、食堂車を利用したものですが、酒や茶菓、軽食の類は車内販売の方のお世話になりました。こうしたサービスを再現してくれるのは、粋な計らいです。東北本線も黒磯辺りから、新幹線とちがい川沿いのうねうね路線となりますが、健気に100km時で走ってくれています。昔の特急の雰囲気を満喫です。ありがとうございます。
冷静に考えて東京〜仙台が1時間半東京〜名古屋が1時間40分ってヤバいことよな
いつも拝見させて頂いています。私はひばりが廃止される確か1年前の1981年3月31日に就職のため仙台駅から上野駅まで今は亡き親が買ってくれたチケットで乗車したことを思い出しました。仙台駅のホームで友人達に見送られて列車内で涙したことも併せて思い出しました。あれからもう41年、年月の経つのは早いものですね!自分の記憶違いだと思うのですが、ひばりが仙台ー上野間を最短3時間50分と解説されていましたが私が乗ったのは4時間15分だったように記憶していました。国鉄時代、山口百恵さんが歌った「いい日旅立ち」でのTVのCMでやっていた記憶があまりにも強く、実は4時間切っていたのですね!あっ!それと動画の中で「昔は仙台駅の次の駅が南仙台駅だったと思う」と言われていましたが、昔から仙台駅の次は長町駅でして、南仙台駅より歴史は古いと思います。
「ひばり」は一時期大宮⇔上野間の線路容量(特急等が多数走っていた!)の関係で4時間台の所要時間になっていました。
@@山田太郎-w4h1q 悪名高き規格ダイヤですね、山陽線も新幹線博多延長前に導入されて宮崎行の日向は電化されたにも関わらず片方(失念)は逆にスピードダウンの憂目に。
特急”ひばり”、とても懐かしいです。その昔、L特急言われており、なにより食堂車で食事をするのが楽しみでした。
貧乏学生の頃、仙台⇔上野は急行「まつしま」にしか乗れませんでした。途中駅で「ひばり」「やまびこ」「はつかり」に追い越されるたびに、早く社会人になって特急に乗れる身分になりたいと思ってました。
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、中村さんでしょうか?
宇都宮駅から蒲須坂駅の間は、ルート変更された区間です。開業当時は、宇都宮駅から真っ直ぐ北上する様なルートだった様です。このルートは、鬼怒川の洪水の影響により運休する事が、多かった為に日本鉄道の時代に、今のルートに変更されました。
この復路に乗車しましたが、このリバイバルひばりで雨降る夜の上野地平ホームに降り立つ自分と初めて40年前に485系ひばりへ乗車した時を重ねてしまいました。
子供時代に父親の転勤で仙台に来ましたが国鉄で一番多く乗った特急列車がこのひばりでした今でも自分の一番好きな電車です。
先月亡くなった父のことを偲びながらこの動画を見ております。ひばり、懐かしすぎです。上野から仙台まで何回も使いました。同席した隣の方からハンバーグステーキを奢っていただいたことがありました。東北新幹線が開通した年の夏、仙台の七夕の時期にどうしても新幹線の切符が取れず最終のひばり号を使いました。父とカレーライスを食べたこと、深夜の黒磯駅のデッドセクションの電気の消える瞬間も味わえました。父にこの動画を見せてあげたかったです。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。食堂車でのハンバーグステーキ・カレーライス・・・日食さんの店舗でも緑の看板思い出しますね。こげ茶色のビーフのようなカレーライスは今でも鮮明です。
お父様との楽しい思い出に涙しました。きっと天から見守っていらっしゃいます。
@@ままだみつひろ 様 「朝食セット」(?)に付いていたドリンクがなぜかトマトジュース限定だったため、トマトジュースが飲めない私は特別にお願いしてオレンジジュースに換えてもらっていました。(涙)
皆様本当にありがとうございます。東京と父の田舎の仙台を結んだひばり号の画像は良かったです。東北新幹線の工事を見ながらひばり号で旅したこと、一家で向い合わせにしてあれこれ話したことも良き思い出です。
ひばり、とき、東日本の代表的な特別急行でした、どちらも最盛期に14,15本で所要時間4時間弱12両編成でときはG車2両連結、181系は食堂車付きひばりは全列車食堂車付きでS53年までは583系が一往復入ってました、何時も混んでた印象がありますね。新幹線が無い頃の浦和駅は特急どころか日中の普通列車はほとんど通過していました。ときの中には大宮、高崎を通過するものもありました。昔の東大宮派出所は昼は長距離夜行列車、夜は昼行特急、急行が沢山留まってた印象がありました。車掌さんは東北訛りのおじさんだった方が感じが出たと思います。利用客の客層を考えると解体途中の車両は手前に車両を置いて隠しておいた方が良かったね。
一度G車2両連結の13両編成の「クロ」に乗ったことがありました。
私は、小学校年の時に父の仕事の関係で神奈川から仙台に引っ越しましたが、その後、年3〜4回親戚に会いに東京へ行く際に乗っていたのが、東北本線と常磐線でした。個人的には、『はつかり』のユニークなデザインが好きで、常磐線で行くことになった時は、とても嬉しかったのを覚えています。各停車駅で、窓ののところまで来てくれる売り子さんから買うお弁当やお茶が楽しみでした。引っ越した当初には、東京まで確か5時間近く(以上?)かかっていたと思いますが、仙台を離れた頃には、3時間50分くらいまで短縮されていたように記憶しています。私は、その後米国へ移住しましたが、今も数年に一度里帰りした機会に山手線から新幹線まで利用しています。その度に、時間通りに着いたら逆にびっくりする米国に慣れてしまったせいか、日本の鉄道の時間の正確さ、効率性、綺麗さから、お弁当の美味しさ、乗客のマナーまで、感心させられています。今回のビデオは、当時を思い出しながら、楽しく拝見させて頂きました。ありがとうございました。
私の母の実家が福島県の会津若松市だったので、昔の特急「あいづ」や急行「ばんだい」などに東北新幹線ができるまではよく乗りました。「ひばり」や急行「まつしま」とは郡山までは一緒でした。懐かしいです。
急行列車は2本の列車を連結しているのが基本で「まつしま」+「ばんだい」とか有りましたよね…
磐越西線経由の新潟行き、【いいで】もありましたな。(*´・∀・)
@@小早川美幸-h1e ありましたね。東北本線経由の急行は併結列車が多かったですね。「まつしま」+「ざおう」など。「ばんだい」+「あづま」という列車もあったと思います。間違っていたらごめんなさい。
@@クモハ165 様 「いいで」(上野〜郡山〜会津若松〜新潟)+「いいで」(上野〜郡山〜会津若松)+「ざおう」(上野〜郡山〜山形) ですね。
@@カメイドイチロー さん大都会の上野を出発して東北本線では性能一杯の高速運転、磐越西線に入って雄大な磐梯山や猪苗代湖の眺め、城下町の会津若松を過ぎれば豊かな阿賀野川の流れと共に走り、やがて広々とした蒲原平野の新潟に到着と、所要時間はかかりますが変化に富んだ行程ですな。(*´・∀・)
東北新幹線の開業時、なぜやまびこ号は特急から引き継いだのに、ひばり号は受け継がなかったのか疑問でしたが、ひばりは新幹線が開通してからも一部残っていたんですね。上野から郡山までノンストップがあったとか乗り間違えたら大変な時代でしたね。
腰超峠の眺めが懐かしく、新幹線のトンネルだらけと違い当時は車窓が楽しみでした。切符を平らにすることは子どもの頃時間潰しに毎回しましたが、平らにしてもマークが出るから不正出来ないです、笑中学の修学旅行はひばり、高校の修学旅行は大宮まで新幹線でした、懐かしい動画ありがとうございます。
ひばりは最盛期に15往復もあった名特急なのに、その後の特急列車に名前が受け継がれなかったのが悲運
かつては上越線の女王と言われた【とき】も当初はなぜか各停タイプの愛称で地元からは不評だったかと。(´Д`|||)ナンデ?
@@クモハ165 それはこだまやあさま、なすのでも踏襲されてますね。既存の在来線特急よりも上位の種別を設けたいというのが狙いでしょうね。
@@クモハ165 あさひ、より、とき、の方が応募総数は多かったようです、東北新幹線も、はつかり、はやて、などが多かったと聞きます、高輪ゲートウェイとか選考基準がよく分かりません。
昭和47年に仙台駅で鉄道100年の記念展示に行ってきました。当時小学1年生の夏休みの思い出です。仙台は祖父母の家が有ったのですが、往復に良く「ひばり」を使用しました。その頃仙台には未だ市電も残っていて、長町駅は市電の終点にも成ってました。な
私は昭和47年東北大学入学組ですが、その当時は仙台駅も古い駅舎で、入学試験の前日?に東北大学の学生寮の学生さんがリヤカー(!)に大太鼓を積んで来てホームで(!)列車が到着する度に太鼓を打ち鳴らして受験生を激励していました。(今ではとても考えられない「古き良き時代」でした・・・。)
九尾寿司の製造元のフタバ食品はあの輪切りレモンが入ったかき氷「サクレ」のメーカーだったりします。
愛おしい。。
決して女性蔑視と言う意味ではありませんが…国鉄時代のリバイバル列車に女性車掌(肉声による女性アナウンス)は残念ながら興醒めです。国鉄をイメージするなら初老のおっさん車掌以外は有り得ないでしょう。当時をリアルに知る世代の戯言でした。
確かに国鉄時代のベテラン乗客専務車掌(「カレチ」)さんのグリーン車からのアナウンスは何とも言えない「味」がありましたよね!(「あっ、またあの乗客専務さんだ!」とか・・・)
確かに国鉄の頃は男性車掌から停車駅や乗り換えの案内、続いて女性の声で車内販売品の紹介ってイメージですね。
子供の頃はひばりを使って仙台まで行っていました。今回の動画を拝見して大きく変わったな・・・と思ったのはやはり大宮駅。当時の大宮周辺には高い建物など皆無で、駅のホームも開放感がありましたね。また、川越線のキハ35系等の姿も見れて、ここまで来ると郊外に来たなって感じがありました。
たいへん懐かしいです。昭和51年から52年にかけて、受験勉強のために毎週ひばり号で仙台上野を日帰り往復していました。所要時間はもともと4時間でしたが、その頃線路の老朽化のため、一時期4時間15分かかっていました。東北新幹線は当初、昭和53年開業を目指して工事していたと記憶しています。工事中の新幹線の高架を見上げながらひばりで移動しました。普通車にはリクライニングがあるものとないものがありました。車内販売のポンジュースをよく買いました。1万円で往復チケットと昼のお弁当を買って少しお釣りがきました。帰路の上野駅ではホームで冷凍みかんを買いました。国鉄の車掌さんの大半は無愛想で、女子高生の私にはちょっと怖かった。今では考えられないことですね。
キヨスクの冷凍ミカン・・・いい思い出ですね。学校の給食にも出てました。当時の国鉄は悪評で無愛想な対応・乗客不在なんて言われてました。当時、東京の学校まで通っていた貴女は才媛でしたね。
ありがとうございます。仙台駅ホームの立ち食いそばや、お弁当売りのおじさん、赤帽さんなど、当時の風景が浮かんできます。ホームには、蛇口がいくつも連なる小学校の水飲み場のような流し台があって、夜行列車で到着した人が洗顔して歯を磨いていました。懐かしい昭和の風景。
東北新幹線ができる前は青森へは『はつかり』、盛岡へは『やまびこ』、仙台へは『ひばり』秋田へは『つばさ』、山形へは『やまばと』そして、福島には…どれかに乗ってけばいけるべー、てことで会津若松への『あいづ』と東北各県に特急が走ってたのは懐かしいですね乗ったことはなかったですが…
先月亡くなった父と私が幼少期のころにによく乗りました。まだ新幹線がないころ、岩手県内から鈍行で仙台へ。仙台から大宮までよく乗りました。車窓からの景色は正直あまり覚えていません。ですが、祖母が拵えた特大栗ご飯おにぎりの味は今でもしっかりと思い出せます。新幹線は便利ではありますが、ひばりを取り上げてもらい、うれしい限りです。
南仙台駅は昭和38年までは陸前中田という駅名でした。江戸時代の奥州街道の宿場町「中田宿」にちなみます。その次の宿場町「長町」(現在の長町駅界隈)を経て仙台ですね。
母親がよく「昔は新幹線がなく特急で(白河から)上野まで移動していた」と言っていましたが、おそらくこのひばり号ですよね。私は200系の記憶しかないですが、柔らかい容器のお茶を車内販売で飲むのが楽しみでした。
学生時代に車内販売のアルバイトをしました。一度目は在来特急でしたが,次からは新幹線が開業して新幹線になりました。
秀逸なガイド付き特急列車の旅気分を味わえる。
内田百閒先生の「阿房列車」シリーズで国見峠越えはSL時代は福島郡山の貨物列車同様重連で越えてたんじゃなかったかな?あと、「ひばり」の歴史の新聞記事によると、最速120km運転ダイヤを組んだことがあったそうです。あいにく僕自身母とひばり、(盛岡行きの在来線特急)やまびこ、はつかりに乗った1972〜3年以降だったとおもうのですが...河北新報での「ひばり」引退直前の特集記事、内田百閒先生の阿房列車での引用です。130km制限で走れるスーパーひたちも岩沼〜長町は120kmで(国内で当時最長ロングレール区間の記憶があります。あと、常磐線の阿武隈川橋りょうでかなりしっかりした制限があって、強風での遅延が(東北本線の白石川橋りょうでも)かなり出ます...ひどいのは仙山線かな?作並あたりの木の葉でのスリップや強風にかなり弱いです(熊ヶ根の高い鉄橋がある影響もあるんでしょうね)
1:09:53 このレストランひばりは、リーズナブルな価格で豪華でボリュームのある定食が頂けるお店です。個人的なオススメは、月替わりの特選定食(1000円)です。亘理名物のはらこ飯がメニューに入る月もあります。その他、刺身、チキンカツ、お吸い物等様々な和食の定食です。本当に美味しくて、コスパがいいので是非訪れてみてくださいね!水曜日は定休日なので、ご注意を!
ひばり号全盛期の頃は郡山に住んでいて、仙台に行くにも東京に行くにも利用していました。懐かしいですね。
若い頃出張で東京へ行くときは、ひばりで行きました。時々つばさ、はつかり等も…懐かしくて😭
18:49シキ610ですね。現存最大の240t積みの大物車です。鉄道唱歌のチャイム+急行まつしまの乗り換え案内ってシブ過ぎる!
70年代に東北大学に学んでいたのでひばり号は懐かしいです。たった4時間なのに立派な食堂車がついていました。黒磯で直流と交流を切り替えるとこが特に懐かしいです。
私も昭和47年から51年まで東北大学で過ごしました。実家は東京だったため、何十回も「ひばり」にお世話になりました。(お金が苦しい時は「まつしま」・・・(涙))上野発車時の「ひたち」との並走、黒磯の交直切り替え、郡山駅でのABB切り替え(ABBの「バシッ」という音が聞きたくて、わざわざホームに降りていました!)、パンタ両⇔片切り替え、「これより東北」の「河北新報」の看板、食堂車で食べたカレーライス(300円くらい?)、「鉄道唱歌」のオルゴール等思い出がたくさんあります!
@@山田太郎-w4h1q 様寝台急行「新星」には乗りましたでしょうか。
@@Kineosporia 様 1回だけ大学2年生?の夏休み帰省の際、友人と「新星」に乗りました。52㎝三段寝台の上段(友人は中段)でかなり窮屈だった記憶があります!「長距離」ではないため、時間稼ぎ?で朝までゆったりと走っていました。
@@山田太郎-w4h1q 新星号、懐かしいです。銀河・天の川と並んで全車寝台急行。上りは仙台駅停泊時からベッドを利用できるシステムでしたね。
@@ままだみつひろ 様 そうですね。上り仙台発23:20で21:30から寝台利用可能だったので、「銀河」並みの就寝時間がとれました。
ひばり号懐かしいです!!田舎が宮城県だったので、子供の頃新幹線が出来るまではひばり号ややまびこ号に乗って行ってましたね。485系で運転だったら最高だったな~
両親の実家が磐越東線沿いなので、帰省の際は東北特急の「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「つばさ」「やまばと」「あいづ」に乗ってました。懐かしい。仙台行き新幹線は「ひばり」にしてほしかったし、新青森行きは「はつかり」にしてほしかった。
佐美和 様佐賀県の県鳥かささぎが特急名になりました。福島県は黄鶲(きびたき)で橙色🟧のきれいな鳥🐦です。ひばりは茶色🟫で地味な🐦で茨城県と熊本県の県鳥です。熊本の民謡「おてもやん」に「♪ぴーちくぱーちく♪ひばりのこ」の歌詞があります。🤩宮城県は雁(かり)だからまぁ頷く。山形県はやまどりで山鳩とは少し違う?合致するのは新潟県の朱鷺、富山県の雷鳥、青森県の白鳥、兵庫県のこうのとり。国鉄~JRの命名方法の決め方がよく分かりませんが人間の命名も分かりません❔🤗鷹と鶴は二文字だから頭にはくやゆうを付けて長くしたりの飾り付けには苦慮したと察します。世界で最も速い鳥は🐦はやぶさですが寝台特急はやぶさはつばめに抜かれる珍現象には苦笑しました。🤣番外編.広島~米子・鳥取への急行ちどりは鳥さん🐦ではなく千鳥城🏯の意味です。正直言うと勘違いしておりました。
「はつかり」号は、東北新幹線が盛岡駅まで開業した後に運転区間を短縮されて、盛岡駅と青森駅とを在来線特急になりました。青函トンネル開通後は、函館駅まで足を伸ばしました。
@@カメイドイチロー 様昨日8月2日にスワローズの村上選手が記念すべき記録を打ち立てました。まさかの大記録を👏スワローズの東京音頭の歌詞にはつばめはもちろん「雁は飛ぶ」の文句が入っております。東北地方の代名詞の雁と雲雀は新幹線に東北地方限定でも良いから復活して貰いたい。JR東はローカルネーム優先だからまだ諦めず働き掛けましょう。九州は地域密着でつばめを付けているではないか。私も客車時代の丸いバックサイン紺色の夜に流れる用に飛ぶ雁は覚えております。そしてお犬様顔の名車キハ81「はつかり」の印象はど迫力があった。怖いくらいに。ただ白鳥が浮いていますが、やはりまた別の機会に討論しましょう。
「リバイバル 特急 ひばり号」ご乗車お疲れ様です。🍀楽しく拝聴させていただきました。東北新幹線開業40周年の節目の年に運転されたのは意味深いですね。😀東北新幹線開業前の雰囲気も十分に堪能させていただきました。ご親族様も鉄道関連に携われたエピソードには驚きました。🤩🤩
同感です。開業40周年ならこの塗装車両で「とき」「いなほ」やってくれるかな?
サムネの485系ボンネットひばり懐かしいですね。私も小学生の時上野駅でボンネットひばり撮ったのを覚えています。この時代にタイムスリップしたくなるような。
リバイバル特急ひばりは昔使われていた485系電車は全廃してしまって当時の車両ではないですが同じ国鉄特急色だったので価値のあるツアーでしたね
新幹線「あさひ」は「あさま」と似ているので、無くなっちゃった、というような話は聞いた事ありますが、高崎までは同じ方向なので、一般の人が見れば紛らわしいのかなぁ。「ひばり」と「ひかり」は、似てると言えば似てますけど、どうなのでしょう。
やはり年内に100万人に到達した方が良いので今夜もご視聴よろしくお願い致します…全日宗も提供でお送り致します。
岩沼 - 槻木間と白石 - 藤田間は強風でよく遅れます。日中の白石での系統分離は遅延対策も理由のひとつとなっています
そう言えば昼行カシオペア仙台行きの時も風で遅れてましたね。しかし、よく遅れるからという理由で系統分離されてしまうと、乗り継ごうと思ってた列車が先に出てしまうという事に・・・。
ひばり号に乗っているような気分を味わう事が出来てとても楽しかったです‼︎
子供の頃、両親の実家がある岩手に帰省する時に、東北新幹線が開業する前の『はつかり』と『やまびこ』で、このルートを長時間移動したことを思い出します。かつてはこの沿線では、縦型の野立て看板の広告や、山には酒造会社の文字のみの広告が有りましたが、現在は無くなったのですね。
下り黒磯を過ぎて栃木県と福島県の県境の鉄橋から右手下に見えた「これより東北」という「河北新報」の看板も懐かしいです。
新幹線で移動時間が短くなり便利になったが、このような在来線の特急で移動も旅の楽しみとなる。時代がひと昔前に、戻った感じになっていいものだ。
ひばりが復活!?昔L特急つばさで本宮に停まるやつがあって郡山で降りなくてもよくて楽にばあちゃん家に帰省できたなあ。須賀川駅で停車してる時にパラパラ雪が降ってきて車内からわあ!雪だあって乗客がみんなほっこりしていたな。ギリギリ昭和だったかもしれない。L特急時代はいろんな出来事があった。
ひばりのヘッドマークストラップ持ってますがどんな特急かわからなかったので知れていい!
乗車証の裏の番号が0485なのですね。当時の 特急ひばり が485系電車で運転されていた事に対しての遊び心でしょうね。
当時のひばり号は号数によって停車駅が変わっていたそうです。ネットに書いていたのですが、上野駅を最初に発車する東北方面の特急はやまびこ1号だったそうです。
いわゆる「千鳥停車」という奴ですね。大宮通過もあれば、黒磯の代わりに西那須野に停まったり。
昔鉄道にまだ目覚めていなかったことをとても後悔してる今😇
面白そうな回は、チャットオフで見ます😃
子供の頃、485系や583系、稀にED75+14系(笑)の昼行東北特急を間近で見てきた人間なので、この動画は見ていて当時を思い出すね。にしても槻木〜岩沼間の運転抑止の場面、並走するR4沿いにあるレストラン『ひばり』のところて止められるってのは笑えた。あのお店、かなり昔から存在しているので、その当時からあるかも?(未確認)
宇都宮の駅名表示が今時ひらがな表記とは…、今はほとんど漢字表記が多いので、かなり貴重だな。
赤羽台トンネルの工事着工前に反対運動があったのを見に行ったことがあります。戦前はあの辺りは近衛師団関連の軍事施設だったので、隠す意味でも山側には作れなかったと聞いたこともありますが真偽は不明です。幼い頃は、赤羽の踏切で東北上越信越特急や急行をよく見てましたね。。懐かしいです。
狭い日本そんなに急いで何処へ行くといっても、200以上ある国のなかでも60番目くらいで言うほど狭くない。仙台止まりのはやぶさをひばりにしたら面白いとは思ったりします。
東北の初夏の光景を思う存分楽しめる「特急ひばり」良いですねw大都会仙台の新緑もまた魅力的👍今となっては懐かしい新幹線「あおば」またいつか乗れる日がくるといいな〜と思いました。
こんな企画があったとは知りませんでした。10歳まで福島におりましたが、40数年前の当時、撮り鉄で、自転車に乗って南福島~金谷川に行って撮影しました。昼なら「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」「やまばと」夜行は「はくつる」「あけぼの」など、当時の東北本線は特急の花形街道でした。
なくなっちゃうた特急に乗れるのはめっちゃ嬉しいですよね僕も乗りました
01:43こういう電車が限定とはいえ走るのは良いことだと思います。ならなおのことロゴマークはJRじゃなくてJNRのマークをあしらっても良かったのでは?そのほうがよりリバイバル感が増すと思うのですが。
沿道で市民が手を振っているのがいいですね~。鉄道ファン以外から見てもレアな機会なのでしょうか?
ちょっと前に郡山に住んでいたが、新幹線無かったから、ひばり号に乗って東京と往き来したなあ。
その昔、上りの「ひばり」の食堂車が故障し、止む無く郡山駅?で食堂車だけ切り離して留置線に「置き去り」にした記憶があります。最後部車両に乗っていたため、どのように作業をしたのかわかりませんでしたが、多分食堂車より前のユニットで牽引、バックしたものと思われます。運転再開時、食堂車のコックさんやウエイトレスさんが手を振って「お別れの挨拶」をしていたのが印象に残っています・・・(涙)。あと、同じく上りの「ひばり」で大宮到着時約2時間の遅れだったので特急料金の払い戻しを期待していたところ、赤羽通過時から猛然とダッシュをかけ、結果的に1時間58分遅れで上野駅に滑り込んで払い戻しを受けられなかった残念な思い出があります。(運転士さんも必死だったでしょうね!)
今じゃ考えられませんね(笑)
その後どのように回復させたのかはわかりませんが、多分EL等で食堂車を牽引回送して元編成に再組み込みしたのでしょうか・・・?@@jyouban531
途中で電車の食堂車を抜いて前後を繋ぎ続きを運行とは、意外に臨機応変な対応が出来たものです。
@@dqpb10440 様 確か作業に1時間以上かかった記憶があります。たまたま郡山駅には広大な留置線群(?)があったので助かったのだと思います。その時食堂車より前の車両に乗っていれば、切り離し、前進、後進の繰り返し、再連結の経験が出来たはずです。運転士さん、車掌さんや他の作業員の方達も大変だったでしょうね!(汗)
サシ481形の両側には入換え用の回送運転台がありました。そこを使った可能性があります。
かつて走ってた特急が型は違えど、リバイバル運転で復活は嬉しい
よく金谷川の福島大学まで試験や検定を受けに行くんですが、強風で安達〜松川間で徐行や見合わせがあるんですよ。1本早く余裕をもって旅程組まないといけないんですが、東北本線の本数少ないので毎回悩みますね。
浦和はそもそも特急どころか朝夕ラッシュ時しか普通列車が止まらなかったんだよなぁ
東京ー仙台間にトンネルが5つしかないのは驚きでした。
ほぼ等距離の東京―名古屋は軽く2桁あるはずなんだが。
5:44 「尾久」の方まで…11:42 車両基地への引き込み線のことを、家の玄関に例える人、初めて見た。16:02 京成臼井から京成佐倉に近づいてきた時もこんなもん。20:01 「あさま」と紛らわしい為に消えた、「あさひ」みたいなもの?21:44 その辺の鉄オタが似たようなことをやったら、「なんだこいつ」と思われるやつ。スーツ氏やがみ氏等の人気交通系RUclipsrにしか許されていない行為。47:41 風が強い日でも田植えをする農家さんには、頭が下がる。58:44 藤田通過。1:03:18 直してくれた方々には感謝です。特殊清掃員と共に、こう言った方々に感謝しなくてはいけません。1:12:34 北陸線の特急「白鷺」?
45:10 不正乗車チャレンジ!(w) さらっとおもろい事をやってくれますなあ。不正乗車撲滅には、いい検証ですね。まあ今はやりたくても、機会がないですが。懐かしい過去の風物詩です。
現代の系統分断されてる新白河と黒磯の通過がおもしろかった
懐かしの名列車こういう企画をしてくれるのは嬉しいですね😆
やっぱり国鉄カラーは優しくて良いね👍
ひばりといえば485系だけど、583系のひばり号も運用していた時ありましたね。乗ってみたかった。あとは485系やまびこ号や583系みちのく号。そうそう583系の臨時特急ふるさと号も乗ってみたかった。下りは上野~青森で、上りは青森~大宮でしたね。
583系「はつかり」は上野⇔青森8時間超!、485系「つばさ」も上野⇔秋田8時間!今ではとても考えられない時代でしたね。
@@山田太郎-w4h1q 福島から山形までが山形新幹線対応化の為に運休してる時に仙台から山形まで仙山線を通るつばさに上野から秋田まで乗り通した事があります。上野を15時台に出て秋田に着くのは23時半くらいだったので元の米沢経由ルートとあまり変わらないと思うと、結構飛ばしてたんだなぁ。と
@@dqpb10440 様 「つばさ」が仙山線を通ったことがあるのですね!私が乗った「つばさ」は上野12時発、秋田20時頃着でした。山形を過ぎたあたりから「忍耐」だった記憶があります。(汗)帰りは「あけぼの」のAネを奮発しました!
@@山田太郎-w4h1q 上野発なんだけど、仙台まで後から出る新幹線に乗って来て乗り継ぐ客が多い様で仙台でガラガラだったのが一気に満席になったのが印象深かったです。指定席なんだけど車掌に1両好きに使ってくれて構わないと言われてまして、まぁ流石に仙台では席を全て前に向けて自分の席に戻りました。山形までの途中停車駅は無く、山形で大勢降りてスイッチバックその後も同乗客は減り続け、直ぐに母と2人だけに。深夜に及びながらも終始楽しかったです。あと、大宮と宇都宮の間も新幹線の無い停車駅が結構あって、駅名は覚えてなかったけど多分 久喜とか停まってたんだろうと。で、そんな 新幹線駅の無い停車駅までの短距離を利用する指定席客も結構居ました。今でも、あかぎみたいな比較的短距離の特急を宇都宮線にも走らせれば使う人も居るんじゃないかと思えたり・・・。
昨年クラツーですが同じ内容のツアーに参加しました。仙台まで新幹線ではなく特急(しかも国鉄色)で行くという体験はかなり新鮮で楽しかったです。このような面白い企画、沢山あると嬉しいですね。
白河出発時に手を振るBoyが元気はつらつでたいへんよろしい
コアな鉄人は、間違いで相当荒ぶるらしいけど、鉄道の事は何一つ知らない自分は毎回面白く、「へ~」とか感心しながら観てる。
岩沼駅の周辺は風による停車の常習です。
動画配信お疲れ様です。いつも、わかりやすい、説明、ありがとうございます。485系ボンネット、ひばり、とき、懐かしいですね‼️復活ありますか?
【とき】は161系→181系ですな。(*´・∀・)
関東地方で育ったのですがひばり号のことは記憶にありませんでした。新幹線が通って特急がなくなるのは仕方のないことですが寂しい気持ちになります。ひばりがひかり似てるから新幹線になれなかったのかも知れないというのには運が悪かったなあと思いました。。
上野発の485系当たり前だった時代は遠くなりました 181や581もひっきりなしだった 1編成くらい残せ
コメント欄の皆様の懐かしさや思い出も合わせて楽しませてもらいました。私も幼い頃、宮城県の祖母の家へ特急列車に乗って行くのが、何か特別な誇らしい気持ちがしました。毎回、酔って寝てましたが😆
485系の各車両車端部は高速走行時「激揺れ」でしたね!(汗)
@@山田太郎-w4h1q やっぱり、揺れが凄かったんですね。確か、トイレへ行くにも、左右の座席に当たりながら進みました😅
郡山~福島間はよく風の影響を受けてしまうんですよね。上り降りやカーブが多いので仕方ないですが。
自分ももういい年なんでひばりはリアル世代です。上野~仙台は確か3時間58分。その後少し伸びて4時間15分になったと記憶してます。583系のひばりも1回だけ乗った事ありますよ。
583系ひばり、確か上野発10時、仙台発15時頃だった記憶があります。
@@山田太郎-w4h1q さん 青ひばりですね。写真、撮りまくったなぁ
@@tokyolovestory 様 4人掛け「お見合い」ボックスシートで4時間、少々気まずかった覚えがあります!(汗!)
@@山田太郎-w4h1q そうでしたか。もう遠い記憶なので覚えてないのですが仙台行きに乗ったので10時発だったんですね。
@@山田太郎-w4h1q 様構造的には、ほぼ同じ作りのA寝台ひるね利用時間帯のさくら・みずほはグリーン券が必要でした。最も利用者は寝台客が降りた後の座席へ行くだろうが。🤗私はつばめ(581時代)の岡山行きに乗りました。夏多客期に!急行型四人ボックス席より広々としてかつ二重ガラス窓はかなりの静粛性。特急感はありました。通路側にも引き出し式のテーブルがあり配慮はなされていた。これからの特急増殖に向けた申し子らしい車両にお疲れ様。(^^)/~~~
21:08ワンマン化されてこのバージョンは使用停止になったから、久しぶりに流れたことになる
貝田→藤田間の眺めはきれいですよね わかりますひばり懐かしい。小さい頃、夕方槻木を走りぬける ひばりの食堂車がとても羨ましくて憧れたものです
35:14この色好き
久しぶりに南仙台駅を見ることができました。前より人の行き来がないように見えてしまいました。震災前は人口が多かったのですが今は子供達の姿があまり見られない街になってしまいました。
新幹線のために在来線が衰退する状況はヤバいと思います。
本当にそれ思う!北海道なんて在来線剥がすとか言ってます。
「ひばり」に乗ったことはないですが、「つばさ」(在来線)が仙台経由・発着だった時期に上野→仙台を乗車したことがあります。485系1000番台使用でした。
なんか景色を見ているとビールが飲まずにいられなくなりました。お疲れ👋😃💦様。乾杯🍺🎶🍺🎶。
素晴らしい。いいなあ、こういう動画。一緒に旅をした気分です。目的地に着くまでの行程も旅行のうちだと改めて思いました。4時間あれば読書したり昼寝したり、或いは車窓を眺めながら物思いに耽ったりと色んな過ごし方ができますね。いつか東京・大阪間のこだま号のリバイバル運転実現しないかな、パーラー車無しでもいいから。
直流交流の切り替え、小学生だった頃はなんだかテンションの上がるイベントくらいに思っていたものですが今になって思うとよくもまあこんなゴリ押しで切り替えを実現させたものだと感心します。その頃はもうひばりは引退済みではありましたが、そんな世代でも国鉄カラーを見るとそぞろな気持ちを抑えられなくなるのは何故なのでしょうね
ひばり、やまびこ等の上野ー仙台間は、当時、狭軌列車で俗に日本一早く走る 列車なはずです。日本一は世界一と言われていました。 現在は、それ以上の列車ありますけど、その事紹介して貰いたかったです。
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ヒバリのローマ字のIが抜けている!!!
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新潟までの鉄道と宿泊探すので利用させていただきます!
えつ😎
新型車両が過去の特急の伝統と歴史を継承するのは良いな。
大宮在住です、仙台行き特急ひばりは懐かしいですね70年代半ば高校生だった僕は伯母と一緒に(荷物持ち)仙台の親戚の家に法事でよく行きました.4時間近くの乗車は長かったですね.ちょうどタイトル画像のボンネット型で当時でも老朽化してましたので.長時間はしんどかった思いがあります.近年では社員旅行も含め数回は仙台に行きましたが新幹線は早くて快適でいい時代になったと思いました
長町駅が新しい駅だみたいなことを言ってしまったようですが、新しいのは長町駅ではなく南仙台と長町の間にある太子堂駅です。すみません
まぁ長町も東側の広大なヤードが無くなった上に高架化して
地上駅時代の頃とは別の駅みたいになっちゃいましたからね。
@@various1260 わを
旧長町駅か懐かしいなぁ
東北新幹線工事中は、はくつる、ゆうづる等の夜行列車は長町から貨物線?経由で仙台駅をバイパスしているのを時刻表で見た覚えがあります。
もともと通過扱いだったので、乗降には影響しませんけど。
正確には、太子堂駅~南仙台のコンクリート橋に架替えるのと操車場跡地開発を並行させて名取川橋りょうと高架橋をつなげたんじゃなかったかな?(地元民です)
いや、鉄ちゃんじゃないけど解説付きで見ると楽しかったです。なんか鉄道の旅っていいなぁって思いました。老後の楽しみにでもいけそうです。ありがとう。
父親の実家が仙台でしたので、「ひばり」には沢山お世話になりました。仙台七夕の時期に行っていたので指定席は中々取れなかったし、「はつかり」「やまびこ」は乗ったことはありませんでした。立席特急券といったものもありましたよ。当時の最速は、上野、大宮、宇都宮、郡山、福島、仙台だったかな。福島を過ぎるとあと1時間だあと子供心にワクワクのを覚えています。
そして仙台到着の手前左手の丘の上に3本のテレビ塔が見えると「いよいよ仙台に来た!」という感じがしたものです。
白石駅の普段普通列車が止まらないようなホームの端の方まで行くと、ところどころに「ひばり自由席」とホームに薄くですが跡が残っています。ここにかつては特急が止まってたんだなぁと思わせてくれます。
赤羽台トンネルは、学生時代に警備員のバイトで工事の現場へ行きました。青森出身でもあり、いま思うと感慨深いものがあります。
このようなリバイバル特急などの団体列車ツアーをもうちょっと増えてくれると嬉しいですね。その当時の車両ではなくてもその当時に走ったルートを通ってくれるだけでも十分価値があると思いますね
できれば今回の「ひばり」と同じく、E653系K70を使用して来年3月まで(北陸DC~敦賀開業1周年・金沢開業10周年)に能登半島地震復興記念も兼ねて「はくたか」のリバイバル運転を金沢まで走らせてはどうでしょうか?(本当は「能登」のリバイバル運転を行いたかったのですが、三セク区間を深夜に走行するので昼行特急である「はくたか」に変更)問題は線路使用料とE653系の金沢までの運行実績ぐらいでしょうか。
素晴らしい動画をありがとうございます!在来特急全盛期の東北本線は日本一の高速路線でした。とくに速い区間は宇都宮ー黒磯で区間表定速度は100km/hを超えていました。逆に遅い区間は福島ー仙台で87km/hくらい。
とにかく上野ー福島を2時間台で走った列車もあるくらいの路線です。
キハ181系つばさ、あおば(つばさの間合い運用)、485系ひばり、やまびこ、やまばと、はつかり、あいづ、583系ひばり、はつかり、はくつる、懐かしい思い出です。
峠越えで87km/hはすごいですよね!
キハ181の折戸が開く時の派手な音が好きでした!
勾配がきつくカーブも多かったので時間短縮で振り子式車両の導入計画があったそうです(幻の487系)
東北新幹線が正式決定されたので開発が中止になりましたけど。
昔新幹線の前に長距離列車に乗る際は、食堂車を利用したものですが、酒や茶菓、軽食の類は車内販売の方のお世話になりました。こうしたサービスを再現してくれるのは、粋な計らいです。東北本線も黒磯辺りから、新幹線とちがい川沿いのうねうね路線となりますが、健気に100km時で走ってくれています。昔の特急の雰囲気を満喫です。ありがとうございます。
冷静に考えて
東京〜仙台が1時間半
東京〜名古屋が1時間40分ってヤバいことよな
いつも拝見させて頂いています。
私はひばりが廃止される確か1年前の1981年3月31日に就職のため仙台駅から上野駅まで今は亡き親が買ってくれたチケットで乗車したことを思い出しました。仙台駅のホームで友人達に見送られて列車内で涙したことも併せて思い出しました。
あれからもう41年、年月の経つのは早いものですね!
自分の記憶違いだと思うのですが、ひばりが仙台ー上野間を最短3時間50分と解説されていましたが私が乗ったのは4時間15分だったように記憶していました。国鉄時代、山口百恵さんが歌った「いい日旅立ち」でのTVのCMでやっていた記憶があまりにも強く、実は4時間切っていたのですね!
あっ!それと動画の中で「昔は仙台駅の次の駅が南仙台駅だったと思う」と言われていましたが、昔から仙台駅の次は長町駅でして、南仙台駅より歴史は古いと思います。
「ひばり」は一時期大宮⇔上野間の線路容量(特急等が多数走っていた!)の関係で4時間台の所要時間になっていました。
@@山田太郎-w4h1q
悪名高き規格ダイヤですね、山陽線も新幹線博多延長前に導入されて宮崎行の日向は電化されたにも関わらず片方(失念)は逆にスピードダウンの憂目に。
特急”ひばり”、とても懐かしいです。
その昔、L特急言われており、なにより食堂車で食事をするのが楽しみでした。
貧乏学生の頃、仙台⇔上野は急行「まつしま」にしか乗れませんでした。
途中駅で「ひばり」「やまびこ」「はつかり」に追い越されるたびに、早く社会人になって
特急に乗れる身分になりたいと思ってました。
あなたのアイコンを見て、とても見覚えがあるのですが、中村さんでしょうか?
宇都宮駅から蒲須坂駅の間は、ルート変更された区間です。
開業当時は、宇都宮駅から真っ直ぐ北上する様なルートだった様です。
このルートは、鬼怒川の洪水の影響により運休する事が、多かった為に日本鉄道の時代に、今のルートに変更されました。
この復路に乗車しましたが、このリバイバルひばりで雨降る夜の上野地平ホームに降り立つ自分と初めて40年前に485系ひばりへ乗車した時を重ねてしまいました。
子供時代に父親の転勤で仙台に来ましたが
国鉄で一番多く乗った特急列車がこのひばりでした
今でも自分の一番好きな電車です。
先月亡くなった父のことを偲びながらこの動画を見ております。
ひばり、懐かしすぎです。上野から仙台まで何回も使いました。同席した隣の方からハンバーグステーキを奢っていただいたことがありました。
東北新幹線が開通した年の夏、仙台の七夕の時期にどうしても新幹線の切符が取れず最終のひばり号を使いました。父とカレーライスを食べたこと、深夜の黒磯駅のデッドセクションの電気の消える瞬間も味わえました。
父にこの動画を見せてあげたかったです。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
食堂車でのハンバーグステーキ・カレーライス・・・日食さんの店舗でも緑の看板思い出しますね。
こげ茶色のビーフのようなカレーライスは今でも鮮明です。
お父様との楽しい思い出に涙しました。きっと天から見守っていらっしゃいます。
@@ままだみつひろ 様 「朝食セット」(?)に付いていたドリンクがなぜかトマトジュース限定だったため、
トマトジュースが飲めない私は特別にお願いしてオレンジジュースに換えてもらっていました。(涙)
皆様本当にありがとうございます。東京と父の田舎の仙台を結んだひばり号の画像は良かったです。
東北新幹線の工事を見ながらひばり号で旅したこと、一家で向い合わせにしてあれこれ話したことも良き思い出です。
ひばり、とき、東日本の代表的な特別急行でした、どちらも最盛期に14,15本で所要時間4時間弱12両編成でときはG車2両連結、181系は食堂車付きひばりは全列車食堂車付きでS53年までは583系が一往復入ってました、何時も混んでた印象がありますね。新幹線が無い頃の浦和駅は特急どころか日中の普通列車はほとんど通過していました。ときの中には大宮、高崎を通過するものもありました。昔の東大宮派出所は昼は長距離夜行列車、夜は昼行特急、急行が沢山留まってた印象がありました。車掌さんは東北訛りのおじさんだった方が感じが出たと思います。利用客の客層を考えると解体途中の車両は手前に車両を置いて隠しておいた方が良かったね。
一度G車2両連結の13両編成の「クロ」に乗ったことがありました。
私は、小学校年の時に父の仕事の関係で神奈川から仙台に引っ越しましたが、その後、年3〜4回親戚に会いに東京へ行く際に乗っていたのが、東北本線と常磐線でした。個人的には、『はつかり』のユニークなデザインが好きで、常磐線で行くことになった時は、とても嬉しかったのを覚えています。各停車駅で、窓ののところまで来てくれる売り子さんから買うお弁当やお茶が楽しみでした。引っ越した当初には、東京まで確か5時間近く(以上?)かかっていたと思いますが、仙台を離れた頃には、3時間50分くらいまで短縮されていたように記憶しています。
私は、その後米国へ移住しましたが、今も数年に一度里帰りした機会に山手線から新幹線まで利用しています。その度に、時間通りに着いたら逆にびっくりする米国に慣れてしまったせいか、日本の鉄道の時間の正確さ、効率性、綺麗さから、お弁当の美味しさ、乗客のマナーまで、感心させられています。
今回のビデオは、当時を思い出しながら、楽しく拝見させて頂きました。ありがとうございました。
私の母の実家が福島県の会津若松市だったので、昔の特急「あいづ」や急行「ばんだい」などに東北新幹線ができるまではよく乗りました。「ひばり」や急行「まつしま」とは郡山までは一緒でした。懐かしいです。
急行列車は2本の列車を連結しているのが基本で「まつしま」+「ばんだい」とか有りましたよね…
磐越西線経由の新潟行き、【いいで】もありましたな。(*´・∀・)
@@小早川美幸-h1e ありましたね。東北本線経由の急行は併結列車が多かったですね。「まつしま」+「ざおう」など。「ばんだい」+「あづま」という列車もあったと思います。間違っていたらごめんなさい。
@@クモハ165 様 「いいで」(上野〜郡山〜会津若松〜新潟)+「いいで」(上野〜郡山〜会津若松)+「ざおう」(上野〜郡山〜山形) ですね。
@@カメイドイチロー さん
大都会の上野を出発して東北本線では性能一杯の高速運転、磐越西線に入って雄大な磐梯山や猪苗代湖の眺め、城下町の会津若松を過ぎれば豊かな阿賀野川の流れと共に走り、やがて広々とした蒲原平野の新潟に到着と、所要時間はかかりますが変化に富んだ行程ですな。(*´・∀・)
東北新幹線の開業時、なぜやまびこ号は特急から引き継いだのに、ひばり号は受け継がなかったのか疑問でしたが、ひばりは新幹線が開通してからも一部残っていたんですね。上野から郡山までノンストップがあったとか乗り間違えたら大変な時代でしたね。
腰超峠の眺めが懐かしく、新幹線のトンネルだらけと違い当時は車窓が楽しみでした。切符を平らにすることは子どもの頃時間潰しに毎回しましたが、平らにしてもマークが出るから不正出来ないです、笑
中学の修学旅行はひばり、高校の修学旅行は大宮まで新幹線でした、懐かしい動画ありがとうございます。
ひばりは最盛期に15往復もあった名特急なのに、その後の特急列車に名前が受け継がれなかったのが悲運
かつては上越線の女王と言われた【とき】も当初はなぜか各停タイプの愛称で地元からは不評だったかと。(´Д`|||)ナンデ?
@@クモハ165
それはこだまやあさま、なすのでも踏襲されてますね。
既存の在来線特急よりも上位の種別を設けたいというのが狙いでしょうね。
@@クモハ165 あさひ、より、とき、の方が応募総数は多かったようです、東北新幹線も、はつかり、はやて、などが多かったと聞きます、高輪ゲートウェイとか選考基準がよく分かりません。
昭和47年に仙台駅で鉄道100年の記念展示に行ってきました。当時小学1年生の夏休みの思い出です。
仙台は祖父母の家が有ったのですが、往復に良く「ひばり」を使用しました。
その頃仙台には未だ市電も残っていて、長町駅は市電の終点にも成ってました。
な
私は昭和47年東北大学入学組ですが、その当時は仙台駅も古い駅舎で、入学試験の前日?に東北大学の学生寮の学生さんが
リヤカー(!)に大太鼓を積んで来てホームで(!)列車が到着する度に太鼓を打ち鳴らして受験生を激励していました。
(今ではとても考えられない「古き良き時代」でした・・・。)
九尾寿司の製造元のフタバ食品はあの輪切りレモンが入ったかき氷「サクレ」のメーカーだったりします。
愛おしい。。
決して女性蔑視と言う意味ではありませんが…
国鉄時代のリバイバル列車に女性車掌(肉声による女性アナウンス)は残念ながら興醒めです。
国鉄をイメージするなら初老のおっさん車掌以外は有り得ないでしょう。
当時をリアルに知る世代の戯言でした。
確かに国鉄時代のベテラン乗客専務車掌(「カレチ」)さんのグリーン車からのアナウンスは
何とも言えない「味」がありましたよね!(「あっ、またあの乗客専務さんだ!」とか・・・)
確かに国鉄の頃は男性車掌から停車駅や乗り換えの案内、続いて女性の声で車内販売品の紹介
ってイメージですね。
子供の頃はひばりを使って仙台まで行っていました。
今回の動画を拝見して大きく変わったな・・・と思ったのはやはり大宮駅。
当時の大宮周辺には高い建物など皆無で、駅のホームも開放感がありましたね。
また、川越線のキハ35系等の姿も見れて、ここまで来ると郊外に来たなって感じがありました。
たいへん懐かしいです。昭和51年から52年にかけて、受験勉強のために毎週ひばり号で仙台上野を日帰り往復していました。所要時間はもともと4時間でしたが、その頃線路の老朽化のため、一時期4時間15分かかっていました。東北新幹線は当初、昭和53年開業を目指して工事していたと記憶しています。工事中の新幹線の高架を見上げながらひばりで移動しました。普通車にはリクライニングがあるものとないものがありました。車内販売のポンジュースをよく買いました。1万円で往復チケットと昼のお弁当を買って少しお釣りがきました。帰路の上野駅ではホームで冷凍みかんを買いました。国鉄の車掌さんの大半は無愛想で、女子高生の私にはちょっと怖かった。今では考えられないことですね。
キヨスクの冷凍ミカン・・・いい思い出ですね。学校の給食にも出てました。
当時の国鉄は悪評で無愛想な対応・乗客不在なんて言われてました。当時、東京の学校まで通っていた貴女は才媛でしたね。
ありがとうございます。仙台駅ホームの立ち食いそばや、お弁当売りのおじさん、赤帽さんなど、当時の風景が浮かんできます。ホームには、蛇口がいくつも連なる小学校の水飲み場のような流し台があって、夜行列車で到着した人が洗顔して歯を磨いていました。懐かしい昭和の風景。
東北新幹線ができる前は青森へは『はつかり』、盛岡へは『やまびこ』、仙台へは『ひばり』
秋田へは『つばさ』、山形へは『やまばと』
そして、福島には…どれかに乗ってけばいけるべー、てことで
会津若松への『あいづ』と東北各県に特急が走ってたのは懐かしいですね
乗ったことはなかったですが…
先月亡くなった父と私が幼少期のころにによく乗りました。
まだ新幹線がないころ、岩手県内から鈍行で仙台へ。
仙台から大宮までよく乗りました。車窓からの景色は正直あまり覚えていません。
ですが、祖母が拵えた特大栗ご飯おにぎりの味は今でもしっかりと思い出せます。
新幹線は便利ではありますが、ひばりを取り上げてもらい、うれしい限りです。
南仙台駅は昭和38年までは陸前中田という駅名でした。江戸時代の奥州街道の宿場町「中田宿」にちなみます。
その次の宿場町「長町」(現在の長町駅界隈)を経て仙台ですね。
母親がよく「昔は新幹線がなく特急で(白河から)上野まで移動していた」と言っていましたが、おそらくこのひばり号ですよね。
私は200系の記憶しかないですが、柔らかい容器のお茶を車内販売で飲むのが楽しみでした。
学生時代に車内販売のアルバイトをしました。一度目は在来特急でしたが,次からは新幹線が開業して新幹線になりました。
秀逸なガイド付き特急列車の旅気分を味わえる。
内田百閒先生の「阿房列車」シリーズで国見峠越えはSL時代は福島郡山の貨物列車同様重連で越えてたんじゃなかったかな?
あと、「ひばり」の歴史の新聞記事によると、最速120km運転ダイヤを組んだことがあったそうです。あいにく僕自身母とひばり、(盛岡行きの在来線特急)やまびこ、はつかりに乗った1972〜3年以降だったとおもうのですが...河北新報での「ひばり」引退直前の特集記事、内田百閒先生の阿房列車での引用です。130km制限で走れるスーパーひたちも岩沼〜長町は120kmで(国内で当時最長ロングレール区間の記憶があります。あと、常磐線の阿武隈川橋りょうでかなりしっかりした制限があって、強風での遅延が(東北本線の白石川橋りょうでも)かなり出ます...ひどいのは仙山線かな?作並あたりの木の葉でのスリップや強風にかなり弱いです(熊ヶ根の高い鉄橋がある影響もあるんでしょうね)
1:09:53 このレストランひばりは、リーズナブルな価格で豪華でボリュームのある定食が頂けるお店です。個人的なオススメは、月替わりの特選定食(1000円)です。亘理名物のはらこ飯がメニューに入る月もあります。その他、刺身、チキンカツ、お吸い物等様々な和食の定食です。本当に美味しくて、コスパがいいので是非訪れてみてくださいね!水曜日は定休日なので、ご注意を!
ひばり号全盛期の頃は郡山に住んでいて、仙台に行くにも東京に行くにも利用していました。懐かしいですね。
若い頃出張で東京へ行くときは、ひばりで行きました。時々つばさ、はつかり等も…
懐かしくて😭
18:49シキ610ですね。現存最大の240t積みの大物車です。
鉄道唱歌のチャイム+急行まつしまの乗り換え案内ってシブ過ぎる!
70年代に東北大学に学んでいたのでひばり号は懐かしいです。
たった4時間なのに立派な食堂車がついていました。
黒磯で直流と交流を切り替えるとこが特に懐かしいです。
私も昭和47年から51年まで東北大学で過ごしました。
実家は東京だったため、何十回も「ひばり」にお世話になりました。(お金が苦しい時は「まつしま」・・・(涙))
上野発車時の「ひたち」との並走、黒磯の交直切り替え、郡山駅でのABB切り替え(ABBの「バシッ」という音が聞きたくて、
わざわざホームに降りていました!)、パンタ両⇔片切り替え、「これより東北」の「河北新報」の看板、食堂車で食べた
カレーライス(300円くらい?)、「鉄道唱歌」のオルゴール等思い出がたくさんあります!
@@山田太郎-w4h1q 様
寝台急行「新星」には乗りましたでしょうか。
@@Kineosporia 様 1回だけ大学2年生?の夏休み帰省の際、友人と「新星」に乗りました。
52㎝三段寝台の上段(友人は中段)でかなり窮屈だった記憶があります!
「長距離」ではないため、時間稼ぎ?で朝までゆったりと走っていました。
@@山田太郎-w4h1q 新星号、懐かしいです。銀河・天の川と並んで全車寝台急行。上りは仙台駅停泊時からベッドを利用できるシステムでしたね。
@@ままだみつひろ 様 そうですね。上り仙台発23:20で21:30から寝台利用可能だったので、「銀河」並みの就寝時間がとれました。
ひばり号懐かしいです!!
田舎が宮城県だったので、子供の頃新幹線が出来るまではひばり号ややまびこ号に乗って行ってましたね。
485系で運転だったら最高だったな~
両親の実家が磐越東線沿いなので、帰省の際は東北特急の「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「つばさ」「やまばと」「あいづ」に乗ってました。懐かしい。
仙台行き新幹線は「ひばり」にしてほしかったし、新青森行きは「はつかり」にしてほしかった。
佐美和 様
佐賀県の県鳥かささぎが特急名になりました。
福島県は黄鶲(きびたき)で橙色🟧のきれいな鳥🐦です。ひばりは茶色🟫で地味な🐦で茨城県と熊本県の県鳥です。熊本の民謡「おてもやん」に「♪ぴーちくぱーちく♪ひばりのこ」の歌詞があります。🤩
宮城県は雁(かり)だからまぁ頷く。山形県はやまどりで山鳩とは少し違う?
合致するのは新潟県の朱鷺、富山県の雷鳥、青森県の白鳥、兵庫県のこうのとり。
国鉄~JRの命名方法の決め方がよく分かりませんが人間の命名も分かりません❔🤗
鷹と鶴は二文字だから頭にはくやゆうを付けて長くしたりの飾り付けには苦慮したと察します。
世界で最も速い鳥は🐦はやぶさですが寝台特急はやぶさはつばめに抜かれる珍現象には苦笑しました。🤣
番外編.広島~米子・鳥取への急行ちどりは鳥さん🐦ではなく千鳥城🏯の意味です。正直言うと勘違いしておりました。
「はつかり」号は、東北新幹線が盛岡駅まで開業した後に運転区間を短縮されて、盛岡駅と青森駅とを在来線特急になりました。青函トンネル開通後は、函館駅まで足を伸ばしました。
@@カメイドイチロー 様
昨日8月2日にスワローズの村上選手が記念すべき記録を打ち立てました。まさかの大記録を👏
スワローズの東京音頭の歌詞にはつばめはもちろん「雁は飛ぶ」の文句が入っております。
東北地方の代名詞の雁と雲雀は新幹線に東北地方限定でも良いから復活して貰いたい。JR東はローカルネーム優先だからまだ諦めず働き掛けましょう。
九州は地域密着でつばめを付けているではないか。
私も客車時代の丸いバックサイン紺色の夜に流れる用に飛ぶ雁は覚えております。そしてお犬様顔の名車キハ81「はつかり」の印象はど迫力があった。怖いくらいに。
ただ白鳥が浮いていますが、やはりまた別の機会に討論しましょう。
「リバイバル 特急 ひばり号」ご乗車お疲れ様です。🍀
楽しく拝聴させていただきました。
東北新幹線開業40周年の節目の年に運転されたのは意味深いですね。😀
東北新幹線開業前の雰囲気も十分に堪能させていただきました。
ご親族様も鉄道関連に携われたエピソードには驚きました。🤩🤩
同感です。
開業40周年ならこの塗装車両で「とき」「いなほ」やってくれるかな?
サムネの485系ボンネットひばり懐かしいですね。私も小学生の時上野駅でボンネットひばり撮ったのを覚えています。この時代にタイムスリップしたくなるような。
リバイバル特急ひばりは昔使われていた485系電車は全廃してしまって当時の車両ではないですが同じ国鉄特急色だったので価値のあるツアーでしたね
新幹線「あさひ」は「あさま」と似ているので、無くなっちゃった、というような話は聞いた事ありますが、
高崎までは同じ方向なので、一般の人が見れば紛らわしいのかなぁ。
「ひばり」と「ひかり」は、似てると言えば似てますけど、どうなのでしょう。
やはり年内に100万人に到達した方が良いので今夜もご視聴よろしくお願い致します…
全日宗も提供でお送り致します。
岩沼 - 槻木間と白石 - 藤田間は強風でよく遅れます。日中の白石での系統分離は遅延対策も理由のひとつとなっています
そう言えば昼行カシオペア仙台行きの時も風で遅れてましたね。
しかし、よく遅れるからという理由で系統分離されてしまうと、
乗り継ごうと思ってた列車が先に出てしまうという事に・・・。
ひばり号に乗っているような気分を味わう事が出来てとても楽しかったです‼︎
子供の頃、両親の実家がある岩手に帰省する時に、東北新幹線が開業する前の『はつかり』と『やまびこ』で、このルートを長時間移動したことを思い出します。
かつてはこの沿線では、縦型の野立て看板の広告や、山には酒造会社の文字のみの広告が有りましたが、現在は無くなったのですね。
下り黒磯を過ぎて栃木県と福島県の県境の鉄橋から右手下に見えた「これより東北」という「河北新報」の看板も懐かしいです。
新幹線で移動時間が短くなり便利になったが、このような在来線の特急で移動も旅の楽しみとなる。
時代がひと昔前に、戻った感じになっていいものだ。
ひばりが復活!?
昔L特急つばさで本宮に停まるやつがあって郡山で降りなくてもよくて楽にばあちゃん家に帰省できたなあ。須賀川駅で停車してる時にパラパラ雪が降ってきて車内からわあ!雪だあって乗客がみんなほっこりしていたな。ギリギリ昭和だったかもしれない。L特急時代はいろんな出来事があった。
ひばりのヘッドマークストラップ持ってますがどんな特急かわからなかったので知れていい!
乗車証の裏の番号が0485なのですね。
当時の 特急ひばり が485系電車で運転されていた事に対しての遊び心でしょうね。
当時のひばり号は号数によって停車駅が変わっていたそうです。
ネットに書いていたのですが、上野駅を最初に発車する東北方面の特急はやまびこ1号だったそうです。
いわゆる「千鳥停車」という奴ですね。
大宮通過もあれば、黒磯の代わりに西那須野に停まったり。
昔鉄道にまだ目覚めていなかったことをとても後悔してる今😇
面白そうな回は、チャットオフで見ます😃
子供の頃、485系や583系、稀にED75+14系(笑)の昼行東北特急を間近で見てきた人間なので、この動画は見ていて当時を思い出すね。
にしても槻木〜岩沼間の運転抑止の場面、並走するR4沿いにあるレストラン『ひばり』のところて止められるってのは笑えた。あのお店、かなり昔から存在しているので、その当時からあるかも?
(未確認)
宇都宮の駅名表示が今時ひらがな表記とは…、今はほとんど漢字表記が多いので、かなり貴重だな。
赤羽台トンネルの工事着工前に反対運動があったのを見に行ったことがあります。
戦前はあの辺りは近衛師団関連の軍事施設だったので、隠す意味でも山側には作れなかったと聞いたこともありますが真偽は不明です。幼い頃は、赤羽の踏切で東北上越信越特急や急行をよく見てましたね。。懐かしいです。
狭い日本そんなに急いで何処へ行くといっても、200以上ある国のなかでも60番目くらいで言うほど狭くない。
仙台止まりのはやぶさをひばりにしたら面白いとは思ったりします。
東北の初夏の光景を思う存分楽しめる「特急ひばり」良いですねw大都会仙台の新緑もまた魅力的👍今となっては懐かしい新幹線「あおば」またいつか乗れる日がくるといいな〜と思いました。
こんな企画があったとは知りませんでした。
10歳まで福島におりましたが、40数年前の当時、撮り鉄で、
自転車に乗って南福島~金谷川に行って撮影しました。
昼なら「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」「やまばと」
夜行は「はくつる」「あけぼの」など、
当時の東北本線は特急の花形街道でした。
なくなっちゃうた特急に乗れるのはめっちゃ嬉しいですよね僕も乗りました
01:43こういう電車が限定とはいえ走るのは良いことだと思います。ならなおのことロゴマークはJRじゃなくてJNRのマークをあしらっても良かったのでは?そのほうがよりリバイバル感が増すと思うのですが。
沿道で市民が手を振っているのがいいですね~。鉄道ファン以外から見てもレアな機会なのでしょうか?
ちょっと前に郡山に住んでいたが、
新幹線無かったから、ひばり号に乗って東京と往き来したなあ。
その昔、上りの「ひばり」の食堂車が故障し、止む無く郡山駅?で食堂車だけ切り離して留置線に「置き去り」にした記憶があります。
最後部車両に乗っていたため、どのように作業をしたのかわかりませんでしたが、多分食堂車より前のユニットで牽引、バックしたものと思われます。
運転再開時、食堂車のコックさんやウエイトレスさんが手を振って「お別れの挨拶」をしていたのが印象に残っています・・・(涙)。
あと、同じく上りの「ひばり」で大宮到着時約2時間の遅れだったので特急料金の払い戻しを期待していたところ、赤羽通過時から猛然とダッシュを
かけ、結果的に1時間58分遅れで上野駅に滑り込んで払い戻しを受けられなかった残念な思い出があります。(運転士さんも必死だったでしょうね!)
今じゃ考えられませんね(笑)
その後どのように回復させたのかはわかりませんが、多分EL等で食堂車を牽引回送して元編成に再組み込みしたのでしょうか・・・?@@jyouban531
途中で電車の食堂車を抜いて前後を繋ぎ続きを運行とは、意外に臨機応変な対応が出来たものです。
@@dqpb10440 様 確か作業に1時間以上かかった記憶があります。
たまたま郡山駅には広大な留置線群(?)があったので助かったのだと思います。
その時食堂車より前の車両に乗っていれば、切り離し、前進、後進の繰り返し、再連結の経験が出来たはずです。
運転士さん、車掌さんや他の作業員の方達も大変だったでしょうね!(汗)
サシ481形の両側には入換え用の回送運転台がありました。そこを使った可能性があります。
かつて走ってた特急が型は違えど、リバイバル運転で復活は嬉しい
よく金谷川の福島大学まで試験や検定を受けに行くんですが、強風で安達〜松川間で徐行や見合わせがあるんですよ。
1本早く余裕をもって旅程組まないといけないんですが、東北本線の本数少ないので毎回悩みますね。
浦和はそもそも特急どころか朝夕ラッシュ時しか普通列車が止まらなかったんだよなぁ
東京ー仙台間にトンネルが5つしかないのは驚きでした。
ほぼ等距離の東京―名古屋は軽く2桁あるはずなんだが。
5:44 「尾久」の方まで…
11:42 車両基地への引き込み線のことを、家の玄関に例える人、初めて見た。
16:02 京成臼井から京成佐倉に近づいてきた時もこんなもん。
20:01 「あさま」と紛らわしい為に消えた、「あさひ」みたいなもの?
21:44 その辺の鉄オタが似たようなことをやったら、「なんだこいつ」と思われるやつ。
スーツ氏やがみ氏等の人気交通系RUclipsrにしか許されていない行為。
47:41 風が強い日でも田植えをする農家さんには、頭が下がる。
58:44 藤田通過。
1:03:18 直してくれた方々には感謝です。
特殊清掃員と共に、こう言った方々に感謝しなくてはいけません。
1:12:34 北陸線の特急「白鷺」?
45:10 不正乗車チャレンジ!(w) さらっとおもろい事をやってくれますなあ。
不正乗車撲滅には、いい検証ですね。
まあ今はやりたくても、機会がないですが。
懐かしい過去の風物詩です。
現代の系統分断されてる新白河と黒磯の通過がおもしろかった
懐かしの名列車
こういう企画をしてくれるのは嬉しいですね😆
やっぱり国鉄カラーは優しくて良いね👍
ひばりといえば485系だけど、583系のひばり号も運用していた時ありましたね。乗ってみたかった。あとは485系やまびこ号や583系みちのく号。そうそう583系の臨時特急ふるさと号も乗ってみたかった。下りは上野~青森で、上りは青森~大宮でしたね。
583系「はつかり」は上野⇔青森8時間超!、485系「つばさ」も上野⇔秋田8時間!
今ではとても考えられない時代でしたね。
@@山田太郎-w4h1q 福島から山形までが山形新幹線対応化の為に運休してる時に
仙台から山形まで仙山線を通るつばさに上野から秋田まで乗り通した事があります。
上野を15時台に出て秋田に着くのは23時半くらいだったので
元の米沢経由ルートとあまり変わらないと思うと、結構飛ばしてたんだなぁ。と
@@dqpb10440 様 「つばさ」が仙山線を通ったことがあるのですね!
私が乗った「つばさ」は上野12時発、秋田20時頃着でした。
山形を過ぎたあたりから「忍耐」だった記憶があります。(汗)
帰りは「あけぼの」のAネを奮発しました!
@@山田太郎-w4h1q
上野発なんだけど、仙台まで後から出る新幹線に乗って来て乗り継ぐ客が多い様で
仙台でガラガラだったのが一気に満席になったのが印象深かったです。
指定席なんだけど車掌に1両好きに使ってくれて構わないと言われてまして、
まぁ流石に仙台では席を全て前に向けて自分の席に戻りました。
山形までの途中停車駅は無く、山形で大勢降りてスイッチバック
その後も同乗客は減り続け、直ぐに母と2人だけに。
深夜に及びながらも終始楽しかったです。
あと、大宮と宇都宮の間も新幹線の無い停車駅が結構あって、駅名は覚えてなかったけど
多分 久喜とか停まってたんだろうと。
で、そんな 新幹線駅の無い停車駅までの短距離を利用する指定席客も結構居ました。
今でも、あかぎみたいな比較的短距離の特急を宇都宮線にも走らせれば
使う人も居るんじゃないかと思えたり・・・。
昨年クラツーですが同じ内容のツアーに参加しました。仙台まで新幹線ではなく特急(しかも国鉄色)で行くという体験はかなり新鮮で楽しかったです。このような面白い企画、沢山あると嬉しいですね。
白河出発時に手を振るBoyが元気はつらつでたいへんよろしい
コアな鉄人は、間違いで相当荒ぶるらしいけど、鉄道の事は何一つ知らない自分は毎回面白く、「へ~」とか感心しながら観てる。
岩沼駅の周辺は風による停車の常習です。
動画配信お疲れ様です。いつも、わかりやすい、説明、ありがとうございます。485系ボンネット、ひばり、とき、懐かしいですね‼️復活ありますか?
【とき】は161系→181系ですな。(*´・∀・)
関東地方で育ったのですがひばり号のことは記憶にありませんでした。新幹線が通って特急がなくなるのは仕方のないことですが寂しい気持ちになります。ひばりがひかり似てるから新幹線になれなかったのかも知れないというのには運が悪かったなあと思いました。。
上野発の485系当たり前だった時代は遠くなりました 181や581もひっきりなしだった 1編成くらい残せ
コメント欄の皆様の懐かしさや思い出も合わせて楽しませてもらいました。私も幼い頃、宮城県の祖母の家へ特急列車に乗って行くのが、何か特別な誇らしい気持ちがしました。毎回、酔って寝てましたが😆
485系の各車両車端部は高速走行時「激揺れ」でしたね!(汗)
@@山田太郎-w4h1q やっぱり、揺れが凄かったんですね。確か、トイレへ行くにも、左右の座席に当たりながら進みました😅
郡山~福島間はよく風の影響を受けてしまうんですよね。上り降りやカーブが多いので仕方ないですが。
自分ももういい年なんでひばりはリアル世代です。
上野~仙台は確か3時間58分。その後少し伸びて4時間15分になったと記憶してます。
583系のひばりも1回だけ乗った事ありますよ。
583系ひばり、確か上野発10時、仙台発15時頃だった記憶があります。
@@山田太郎-w4h1q さん 青ひばりですね。写真、撮りまくったなぁ
@@tokyolovestory 様 4人掛け「お見合い」ボックスシートで4時間、少々気まずかった覚えがあります!(汗!)
@@山田太郎-w4h1q
そうでしたか。もう遠い記憶なので覚えてないのですが仙台行きに乗ったので10時発だったんですね。
@@山田太郎-w4h1q 様
構造的には、ほぼ同じ作りのA寝台ひるね利用時間帯のさくら・みずほはグリーン券が必要でした。
最も利用者は寝台客が降りた後の座席へ行くだろうが。🤗
私はつばめ(581時代)の岡山行きに乗りました。夏多客期に!急行型四人ボックス席より広々としてかつ二重ガラス窓はかなりの静粛性。特急感はありました。通路側にも引き出し式のテーブルがあり配慮はなされていた。
これからの特急増殖に向けた申し子らしい車両にお疲れ様。
(^^)/~~~
21:08
ワンマン化されてこのバージョンは使用停止になったから、久しぶりに流れたことになる
貝田→藤田間の眺めはきれいですよね わかります
ひばり懐かしい。
小さい頃、夕方槻木を走りぬける ひばりの食堂車がとても羨ましくて憧れたものです
35:14この色好き
久しぶりに南仙台駅を見ることができました。
前より人の行き来がないように見えてしまいました。
震災前は人口が多かったのですが今は子供達の姿があまり見られない街になってしまいました。
新幹線のために在来線が衰退する状況はヤバいと思います。
本当にそれ思う!北海道なんて在来線剥がすとか言ってます。
「ひばり」に乗ったことはないですが、「つばさ」(在来線)が仙台経由・発着だった時期に上野→仙台を乗車したことがあります。485系1000番台使用でした。
なんか景色を見ているとビールが飲まずにいられなくなりました。お疲れ👋😃💦様。乾杯🍺🎶🍺🎶。
素晴らしい。いいなあ、こういう動画。一緒に旅をした気分です。目的地に着くまでの行程も旅行のうちだと改めて思いました。4時間あれば読書したり昼寝したり、或いは車窓を眺めながら物思いに耽ったりと色んな過ごし方ができますね。いつか東京・大阪間のこだま号のリバイバル運転実現しないかな、パーラー車無しでもいいから。
直流交流の切り替え、小学生だった頃はなんだかテンションの上がるイベントくらいに思っていたものですが今になって思うとよくもまあこんなゴリ押しで切り替えを実現させたものだと感心します。
その頃はもうひばりは引退済みではありましたが、そんな世代でも国鉄カラーを見るとそぞろな気持ちを抑えられなくなるのは何故なのでしょうね
ひばり、やまびこ等の上野ー仙台間は、
当時、狭軌列車で俗に日本一早く走る
列車なはずです。日本一は世界一と言われていました。
現在は、それ以上の列車ありますけど、
その事紹介して貰いたかったです。