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素晴らしい音源です。DD51の起動時のエンジン音が好きなので、存分に味わうことが出来ました。時折聞こえる汽笛や乗客の声、短尺レールの軽快なジョイント音、全てが新鮮に聞こえます。自分は時代的に客車列車の旅を味わうことが出来ませんでしたが、車窓や車内の雰囲気が良く伝わって来ます。
良く乗りましたね。磐越西線、食糧持参で乗らないと、かなりの空腹になる。DD51と50系は今となっては、とても懐かしい。
警笛が旅情感じさせる!
懐かしいです(*^^*)よく乗ってました(*^^*)
九州地区でも度々乗る機会がありましたが、窓が大きくて車内が明るく、ジョイント音も軽快で、「新軽量客車」という感じがする好きな車両でした。。。活躍した期間が短かったのが残念です。
+a6903239 私は40半ばですが、この世代は50系客車に愛着を持つ数少ない世代ではないかと感じてます。
旧客を淘汰したものの、客車そのものが淘汰されるとは、、、悲運の車両でした。
50系客車ですが、動力集中方式から動力分散方式への移行の最後の繋ぎでしたね。あっという間に旧客を駆逐して赤列車だらけになったと思っていたらスッといなくなりましたからね。そして現在JRでは特別な列車以外は全て動力分散方式。
小学生の時、この各停に乗ったことがあります。
小学生の頃の印象はどんな感じでしたでしょうか?
デデゴイチの唸りも、よく入ってますねえ。わたしも客レを追いかけていたあの頃、思い出します。
+inarish コメントいただきありがとうございます。機関車の隣の車両で録りました。ボックス席で収録しましたので嫌味無く?録れているかと(^^;
いやぁ懐かしいです。ちょうどこの頃乗ってます。もっと昔は229レ→234レの折り返しにぞっこんでした。親戚の最寄り駅が越後石山だったため、229→1時間折り返し→234で石山へ帰るといった1区間で1時間半の「旅行」をしていました。私としては50系はそんなに乗り心地が悪い車両だとは思いませんでした。他には新津→酒田、酒田→秋田、秋田→青森、山形→秋田、盛岡-一ノ関、郡山→会津若松・・・旧客に間に合わなかった世代には50系はほんとお世話になりました(残像を求めていた?
全く右に同じです。
懐かしいなー、でも自分はまだ古くオハ61の時代でしたね
ご視聴いただきありがとうございました。旧型客車はギリギリセーフで乗れましたがキチンとした音源は残れませんでした。残念です。
沿線に住んでてまさにこれに乗ってた。大人になり廃止直前にカシオペアの重連に乗り、去年は京都鉄博でdd51を見たけど、自分のルーツはこれなんだよなぁ。もう乗れないのが残念。
東南アジアへ中古で12,14,24系客車が行っていますが、50系こそ適合していたのに行かないうちに解体となり、非常にもったいなく感じています。
50系は在来型一般車と同じで車軸発電と蓄電池による電源供給です。2000番台車は、これも一般車と同じで暖房用に機関車から給電されてます。2000番台でも非電化区間では蒸気暖房でした。海峡線の50系では機関車給電で、冷房もそれを使用していました。軽量化されたTR50系列の台車だったので、御世辞にも乗り心地は良いとは言えなかったです。個人的にはスハ43のTR47の方が良かったです。
JR東日本・磐越西線 会津若松行普通列車 236レ・普通列車(DD51形1000番台 後期・耐寒形+50系2000番台 通勤形客車(レッドトレイン)の、走行音ですね、上手に録音されておりますよ、鉄道走行音ライブリーさん、素晴らしいですね、お見事です。新津~郡山間の磐越西線も、森と水とロマンの鉄道という愛称が与えられている路線で、現在運転されている客車列車は「SLばんえつ物語」(C57形180号機+12系)の1往復(新潟・新津~会津若松間)のみとなっており、他は、気動車(キハ40系(キハ40形・キハ47形・キハ48形)500番台(新津~会津若松間)・キハ110系(キハ110形・キハ111形・キハ112形)200番台(快速「あがの」新潟~会津若松間・キハE120系(新津~津川・喜多方・会津若松間)など。)で、運転されている路線になっていますが、数年前までは、同線でも、客車列車がJR貨物・東新潟機関区のDD51形1000番台 後期・耐寒形の牽引により、JR東日本・上沼垂運転区の50系2000番台 通勤形客車(通称・レッドトレイン)にて、運転されていました。(同様の運転は、JR西日本・山陰本線 京都口(愛称 嵯峨野線)・福知山以西(愛称・山陰海岸ジオパーク線)でも見られ、京都~園部・福知山間や、豊岡~米子間などでも見られました。236レ・普通列車の牽引機 DD51形1182号機は、1184号機と共に、国鉄末期に福知山運転所(現・JR西日本 福知山電車区)から、東新潟機関区(現・JR貨物 東新潟機関区)に転属された機関車で、いずれも1976年(昭和51年)3月・三菱重工 三原製作所製で福知山機関区(現・JR西日本 福知山電車区)に新製配置された車両で、当初は後期・暖地形でしたが、国鉄末期に東新潟機関区(現・JR貨物 東新潟機関区)に転属となり、その際・窓を旋回窓に改造されて、後期・耐寒形となりました。(同期は、1176・1177・1183・1190・1191・1192号機(1977年(昭和52年)製)などの号機で、1176・1177・1190号機の3両は既に廃車され、現在は、1183号機・1191号機・1192号機・1193号機の4両(内・3両が1977年製で、後・1両が1976年製となっている)が、網干総合車両所・宮原支所に在籍しており、いずれも福知山機関区(現・JR西日本 福知山電車区)に新製配置された、北近畿・山陰地方にゆかりの深い車両となっております。)磐越西線の定期客車列車の気動車化による運転終了で、DD51形1182号機は2007年に廃車、北海道の鷲別に転じて活躍してきた、1184号機もDF200形・電気式ディーゼル機関車の置換により廃車となっています。DML61Z形エンジンの音も素晴らしいですし、お見事です。
ご視聴並びに詳細な解説をいただき、誠にありがとうございます。カマの行方がわかり、しみじみいたしました。DD51牽引の50系客車の列車には結構お世話になり愛着がございます。この音源で往時をしのんでいただけるのなら幸いです。
”タイミング”であり”非冷房”ではないと小生は断言します。12系の半分ぐらいー特にJR日本で普通列車用に改造されたタイプは冷房を使用せず、普通列車として使用されています。無改造の一部をさらに冷房強化し、シートもデラックスに交換するなどのことを考えますと50系と無改造12を入れれば手間かからなかったと思います。また朝の通勤時間帯考えますとドア幅から50のほうが通勤列車には軍配が上がります。さらに7~10年ぐらいの製造年の差がありますし。さらに冷房改造したくなれば、それぐらいの改造は現地で可能です。
素晴らしい音源です。
DD51の起動時のエンジン音が好きなので、存分に味わうことが出来ました。
時折聞こえる汽笛や乗客の声、短尺レールの軽快なジョイント音、全てが新鮮に聞こえます。
自分は時代的に客車列車の旅を味わうことが出来ませんでしたが、車窓や車内の雰囲気が良く伝わって来ます。
良く乗りましたね。磐越西線、食糧持参で乗らないと、かなりの空腹になる。DD51と50系は今となっては、とても懐かしい。
警笛が旅情感じさせる!
懐かしいです(*^^*)
よく乗ってました(*^^*)
九州地区でも度々乗る機会がありましたが、窓が大きくて車内が明るく、ジョイント音も軽快で、「新軽量客車」という感じがする好きな車両でした。。。活躍した期間が短かったのが残念です。
+a6903239 私は40半ばですが、この世代は50系客車に愛着を持つ数少ない世代ではないかと感じてます。
旧客を淘汰したものの、客車そのものが淘汰されるとは、、、悲運の車両でした。
50系客車ですが、動力集中方式から動力分散方式への移行の最後の繋ぎでしたね。
あっという間に旧客を駆逐して赤列車だらけになったと思っていたらスッといなくなりましたからね。そして現在JRでは特別な列車以外は全て動力分散方式。
小学生の時、この各停に乗ったことがあります。
小学生の頃の印象はどんな感じでしたでしょうか?
デデゴイチの唸りも、よく入ってますねえ。
わたしも客レを追いかけていたあの頃、思い出します。
+inarish コメントいただきありがとうございます。機関車の隣の車両で録りました。ボックス席で収録しましたので嫌味無く?録れているかと(^^;
いやぁ懐かしいです。ちょうどこの頃乗ってます。
もっと昔は229レ→234レの折り返しにぞっこんでした。
親戚の最寄り駅が越後石山だったため、229→1時間折り返し→234で石山へ帰るといった1区間で1時間半の「旅行」をしていました。
私としては50系はそんなに乗り心地が悪い車両だとは思いませんでした。
他には新津→酒田、酒田→秋田、秋田→青森、山形→秋田、
盛岡-一ノ関、郡山→会津若松・・・旧客に間に合わなかった世代には50系はほんと
お世話になりました(残像を求めていた?
全く右に同じです。
懐かしいなー、でも自分はまだ古くオハ61の時代でしたね
ご視聴いただきありがとうございました。旧型客車はギリギリセーフで乗れましたがキチンとした音源は残れませんでした。残念です。
沿線に住んでてまさにこれに乗ってた。
大人になり廃止直前にカシオペアの重連に乗り、去年は京都鉄博でdd51を見たけど、自分のルーツはこれなんだよなぁ。もう乗れないのが残念。
東南アジアへ中古で12,14,24系客車が行っていますが、50系こそ適合していたのに
行かないうちに解体となり、非常にもったいなく感じています。
50系は在来型一般車と同じで車軸発電と蓄電池による電源供給です。
2000番台車は、これも一般車と同じで暖房用に機関車から給電されてます。
2000番台でも非電化区間では蒸気暖房でした。海峡線の50系では機関車給電で、
冷房もそれを使用していました。軽量化されたTR50系列の台車だったので、
御世辞にも乗り心地は良いとは言えなかったです。個人的にはスハ43の
TR47の方が良かったです。
JR東日本・磐越西線 会津若松行普通列車 236レ・普通列車(DD51形1000番台 後期・耐寒形+50系2000番台 通勤形客車(レッドトレイン)の、走行音ですね、上手に録音されておりますよ、鉄道走行音ライブリーさん、素晴らしいですね、お見事です。
新津~郡山間の磐越西線も、森と水とロマンの鉄道という愛称が与えられている路線で、現在運転されている客車列車は「SLばんえつ物語」(C57形180号機+12系)の1往復(新潟・新津~会津若松間)のみとなっており、他は、気動車(キハ40系(キハ40形・キハ47形・キハ48形)500番台(新津~会津若松間)・キハ110系(キハ110形・キハ111形・キハ112形)200番台(快速「あがの」新潟~会津若松間・キハE120系(新津~津川・喜多方・会津若松間)など。)で、運転されている路線になっていますが、数年前までは、同線でも、客車列車がJR貨物・東新潟機関区のDD51形1000番台 後期・耐寒形の牽引により、JR東日本・上沼垂運転区の50系2000番台 通勤形客車(通称・レッドトレイン)にて、運転されていました。
(同様の運転は、JR西日本・山陰本線 京都口(愛称 嵯峨野線)・福知山以西(愛称・山陰海岸ジオパーク線)でも見られ、京都~園部・福知山間や、豊岡~米子間などでも見られました。
236レ・普通列車の牽引機 DD51形1182号機は、1184号機と共に、国鉄末期に福知山運転所(現・JR西日本 福知山電車区)から、東新潟機関区(現・JR貨物 東新潟機関区)に転属された機関車で、いずれも1976年(昭和51年)3月・三菱重工 三原製作所製で福知山機関区(現・JR西日本 福知山電車区)に新製配置された車両で、当初は後期・暖地形でしたが、国鉄末期に東新潟機関区(現・JR貨物 東新潟機関区)に転属となり、その際・窓を旋回窓に改造されて、後期・耐寒形となりました。
(同期は、1176・1177・1183・1190・1191・1192号機(1977年(昭和52年)製)などの号機で、1176・1177・1190号機の3両は既に廃車され、現在は、1183号機・1191号機・1192号機・1193号機の4両(内・3両が1977年製で、後・1両が1976年製となっている)が、網干総合車両所・宮原支所に在籍しており、いずれも福知山機関区(現・JR西日本 福知山電車区)に新製配置された、北近畿・山陰地方にゆかりの深い車両となっております。)
磐越西線の定期客車列車の気動車化による運転終了で、DD51形1182号機は2007年に廃車、北海道の鷲別に転じて活躍してきた、1184号機もDF200形・電気式ディーゼル機関車の置換により廃車となっています。
DML61Z形エンジンの音も素晴らしいですし、お見事です。
ご視聴並びに詳細な解説をいただき、誠にありがとうございます。
カマの行方がわかり、しみじみいたしました。
DD51牽引の50系客車の列車には結構お世話になり愛着がございます。
この音源で往時をしのんでいただけるのなら幸いです。
”タイミング”であり”非冷房”ではないと小生は断言します。
12系の半分ぐらいー特にJR日本で普通列車用に改造されたタイプは
冷房を使用せず、普通列車として使用されています。
無改造の一部をさらに冷房強化し、シートもデラックスに交換するなどの
ことを考えますと50系と無改造12を入れれば手間かからなかったと思います。
また朝の通勤時間帯考えますとドア幅から50のほうが通勤列車には軍配が上がります。
さらに7~10年ぐらいの製造年の差がありますし。
さらに冷房改造したくなれば、それぐらいの改造は現地で可能です。