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聖霊の働きについてよく分かりました。弟子達に働かれたこの聖霊がイエス様と同質の方で、この私にも24時間内住してくださっていることにもっと深く思いを持ちたいと思います。
聖霊について知りたかったのでとても良く理解する事が出来ました😊✨ありがとうございます💓
松本牧師先生、今日もありがとうございました。5月23日曜日のライブが楽しみです。お祈りありがとうございます。
覚えていてくださりありがとうございます。
聖霊様のお働きにあって福音が宣べ伝えられ、記され残され、今在る恵みに感謝します。
私たちは気づかないうちに驚くばかりの恵みが与えられていたのですね。
ありがとうございました😊
わたしたちのからだは聖霊の神殿です。って言われる意味に目が開かれました。ありがとうございます。
聖霊なる神様が住んでくださるとは、素晴らしいことですね。
おはようございます。今日も聖霊の導きのもとに過ごせますように。多くの誘惑に負けず、ただ主イエス・キリストだけを見つめ従い落ち着いた生活を送れますように。コロナ禍の中思い煩い苦しみ不安を抱えている私たちを癒し支えて下さい。今朝も聖霊の導きにより聖書講座を聴くことが出来ましたことを感謝します。ありがとうございます。
聖霊が御言葉の理解を助けてくださいますね。
ハレルヤ❢アーメン✞🙏
とても分かりやすい解説に感謝します❤︎いつか先生の教会へ行ってみたいです。今、札幌で行く教会を探しているのですが、どこかおすすめの教会がありましたら教えてください‼︎
札幌聖書フォーラムはいかがでしょうか。
@@matsumotobible どこですか?あ、名前で調べてみます!
@@きのきの-x1b 複数の会場を使っていると思いますので、行かれる前に確認されることをお勧めします。
@@matsumotobible ありがとうございます😊調べてみたところコロナで5月いっぱいはお休みとありました!是非行ってみたいので楽しみにしておきます。
メッセージありがとうございます。主は3日で神殿を建て直すと言わました。イエス様を信じたなら聖霊は私達の中におられます。☺️私達が神殿。旧約聖書の預言者達も一時的な状況のみ聖霊が出入りしてました。内住されるのは引き留める者(聖霊)が引き上げられるまでです。松本先生の仰るとおり自分が罪人だと真摯に神に告白するならイエス様の血潮で浄められ聖霊を受けます。信仰は個人と聖霊と共に歩むこと。種無しパンは御言葉。葡萄酒は日々の悔い改めでイエス様の血の浄め。聖霊は酵素のように三サトンの小麦粉(御国の相続と評価の承認)を膨らまします。感謝です。次回のメッセージ期待しております。
いつもお聞きくださりありがとうございます。
私はクリスチャンではないのですが、キリスト教に、惹かれます。一時期教会に行きましたが、自然と、足が遠退きましたが、やはり気になります。これも聖霊が導いているのですか?聖霊は、クリスチャンではない私も導いているのですか
聖霊はクリスチャンではない方をも導いてくださるゆえに、人はイエスを信じてクリスチャンになります。
松本先生ありがとうございます
細かいことで恐縮です。字幕の「Bad News」が「Bed News」になってます。大切なポイントだと思うので、指摘させて頂きました。スミマセン。
指摘してありましたね。スミマセン
松本先生、ヨガをする事はキリスト教に取りいけない事ですか?
新生は、聖霊によるが聖霊のバプテスマは、主イエスによって成されるものなのだと知りました。それは、特別な方法で、聖霊を与えて下さいます。証印を押されるということです。
エホバの証人とは何でしょうか。日本ではこれの勧誘で宗教のイメージ悪くなってる気がしますが、どう何でしょうか。
キリスト教の名を使った異端です。
@@matsumotobible なるほど。日本で良く言われている宗教勧誘等はエホバの証人と何か関係があるのでしょうか?プロテスタントやカトリックでもそういう宗教勧誘をしますかね?私はキリスト教徒なのですが宗教勧誘は普通に嫌だし、余り良くないと思いますが、プロテスタント、カトリックはそういう家に来て勧誘する事はありますでしょうか??
ほとんどないと思いますが、問題は伝道ではなく間違った教えを伝えることです。
1000年前の日本人の罪人は誰が背負うわけですか?
失礼しますキリスト教の教義の詳細を余り知らず、また個人的な見解で物申す事をお許し頂きたいのですがキリスト教自体はイエスの死後、時のローマ帝国とイエスの信奉者との間で成立したもので、当時の状況を鑑みるにイエスという人物や人物像、発言や影響力を政治的に利用する目的が少なからずあったと認識していますですので、キリスト教は宗教的側面に対して政治的関与の要素が色濃い、特殊な形態の政治活動団体の様なものだと思っていますイエス自体は時のユダヤ教の教義に対して疑問をもち、皆が平等に救われるべきとして活動を実践した偉大な人物である思いますし自らの命を賭して実践を貫く事で人々の心と体を動かし、当時の状況に変化をもたらした稀有な存在で、その行動や言動には、それ相応に学べる事や感服する部分はあると思います個人的に疑問なのはイエスは信奉者の罪を全て背負って磔刑に処され亡くなった、という解釈で史実としては、イエスが主に虐げられている者の処遇改善や、富や権力などの一方的な力によって使役されている者の解放などを謳って活動していた事と、時のユダヤ教の教義に対する反抗によって、政治勢力と宗教勢力に疎まれたからだと認識していますイエスがその活動と実践によって示したかった事は、守るべき事や守るべき者の為に立ち上がる事が必要で、その信念と実践を貫き、訴えるべき事は訴え、その先にある責め苦は甘んじて受け入れるという事で人は他の何かに救われるのではなく、他に救いを与える為の実践と自己犠牲によってこそ、人は真理を得て救われるものだという事を示したかったのだと思いますが現状で語られる解釈は人々に救いを与える為の実践をする人物に対して、そこから救いを与えられる者達の罪を全て背負わせる事によって、人は救われるという様な事になっていると思いますこれはイエスが示したかった事とは全く真逆の事だと思いますそれと、イエスがキリスト教において神とされたのは、それ以後に他の誰もが肩を並べられない存在にする事で、二度と同じ様な人物が現れない様にし、政治的混乱を回避する為の目的があったと推察していますキリスト教で語られる諸々の奇跡などの事が実際にあったかどうかは別として、そうした事もイエスを神とする為に重要な要素になっているともとれます奇跡自体はこれといって明確な再現性や論理性があるものではないので、申し訳ありませんが言及は控えさせていただきますまた、イエスが処遇の改善や解放を目指した人々というのは、力の弱い人で、考える事もままならない、そうした状況を自ら変える事も出来ない為に、そうした状況になっていた人々だと思いますがイエスは、その問題点や改善点を鋭く、的確に追求する事が出来た聡明な人物なのだろうと思いますでなければ大々的に処刑される事もなかったはずですイエスが亡くなった後には、イエスの信奉者と、力の弱い人の集まり、言ってみれば、ローマ帝国被害者の会の様な状態と活動があり、そこにはイエスの様に問題点や改善点を鋭く的確に追求出来る人は特にいなかっただろうと推察できますがそうした集まりの活動が、時のローマ帝国との間で被害者と加害者の関係性として成立し、時のローマ帝国における政治への大きな打撃となった事から、そうした集まりと活動に対して何らかの政治的な取り引きがあっただろうという事は想像に難くありませんその後の歴史をみれば、そうした政治的癒着の様な事が実際にあったのは確実な事だと思います現状におけるイエスの死についての解釈から察しますと、そうしたキリスト教の体質というのは、成立当初から殆ど変わっていないのだろうと思いますあくまで個人的な見解ではありますが、松本牧師はこれらに対してどの様なお考えをお持ちでしょうか?個人的で一方的な見解で申し訳ありませんが、キリスト教を批判、揶揄する意図はありませんし、間違っている部分などがあればご指摘下さい。本質を理解したいと思っておりますので、よろしければお答え下さいます様、お願いします。長々と失礼しました。
イエス・キリストは第二位格の神であられましたが、人類を救うために人間となってこの地上に来られました。私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目に復活されました。人でなければ死ぬことはできませんので、人となられましたが、神でなければ復活することはできません。この福音(嬉しい知らせ)を信じるだけで、罪赦され、永遠の命が与えられる道を開いてくださいました。
@@matsumotobible ご返信ありがとうございます今回は、キリスト教の教義的な前提についてご説明いただいたという形だと思います個人的にお聞きしたかったのは、キリスト教の成立と、政治的関連や史実的関連、政治的役割や歴史的役割、体質についてで、それに対してはお答えいただけなかった様で残念ですが、お答えいただいた事から、疑問に思う事があったので、失礼とは存じますが、述べさせていただきますキリスト教の教義や、教義的前提を余りよく知らず、今回いただいたご説明だけでは、先ず理解が難しいので、個人的な解釈で申し訳ありませんが、要約させていただきます間違いなどあればご指摘いただき、よろしければ疑問にお答えいただきます様お願い申し上げますイエス・キリストという人の精神、又はその精神構造の主体、端的に言えば人格や性格の素となる部分は、元々人ではなく神と呼ばれるものであった神には格、順位があり、イエス・キリストは第二位であったイエス・キリストという第二位格の神が、人の肉体をもって存在したのが、歴史上のイエスという人物であり、その必要性や目的は人類を救う事、人としてのイエスの活動もそれに伴うものであったその様な経緯から、イエスは人、人々、人類の罪と呼ばれるものを背負って自ら死ぬという事を選択し、人々によって墓に葬られたしかし、3日後に復活し、その事で神である証を人々、弟子に示したその復活の後、イエス・キリストは人としてのイエスではなく、第二位格の神として、イエス・キリストと同等の格をもつ聖霊と呼ばれるものを人々、人類のもとに遣わす事、その聖霊が種々の認識の誤りを正し、真理を人々に説いて導く、という内容の事を弟子達に言い残したそれを福音(嬉しい知らせ)と呼び、それを信じるだけで、イエスが人々の罪を背負い、人として死んだ事の効果、恩恵が得られ、同時に永遠の命が与えられる道、又その軌道に乗る事が出来る第二位格の神イエス・キリストが、人類を救う為に行った事は①人、イエスという人物として生を受け、人々を救う必要性と目的に応じての活動②人、イエスという人物が人々の罪を背負い自ら死を選択し、人々の罪を無くす事③復活によって神である事の証を示し、第二位格の神として、人々にイエス・キリストと同格の聖霊を遣わす事を約束したイエス・キリストを信じるのは人と呼ばれるものであり、その人が与えられる救いは①人としてのイエスの死によって罪と呼ばれるものが無くなる事②福音によって永遠の命と呼ばれるものが与えられる事以上が個人的な解釈です個人的な疑問は史実的な範囲では、イエスが亡くなったのはイエスの人類を救う必要性と目的による活動に対して、時の政治勢力と宗教勢力によって行われた一方的な暴力的解決、殺害である事第二格の神であるイエス・キリストは、始めからそれを前提としていたのか人としてのイエスの活動は、始めから政治勢力と宗教勢力による一方的な暴力的解決、殺害によって死ぬ為のものだったのかなぜそうした一方的な暴力的解決、殺害によって死ぬ事が、人々の罪と呼ばれるものを全て背負う事になるのか又それが何によって証され、なぜ解るのかイエスが人々の罪を全て背負って死に、それによって人々の罪を無くす事ができたのだとしても、イエスが亡くなったのは2000年以上前の事で、イエスがその時に背負ったのは、当時のイエスの死に関連する事だけで、それが今なお続いているものなのかその効果がその他の範囲や、それ以外の関連にある人、人々についてもあると言えるのはなぜか又それは何によって証され、なぜ解るのか神と呼ばれるものには格がある事と、イエス・キリストが第二位である事は何によって証され、なぜ解るのか罪とは何か救いとは何か永遠の命とは何か神とは何か人とは何かなどです度々の長い文章と、不躾な質問で申し訳ありませんが、是非とも松本牧師のお考えをお聞かせ下さいよろしくお願い申し上げます
@@kouheinishizawa2489 これらのご質問に対するご返答としてこのRUclips聖書講座を始めました。イエスの死が人類救済のために有効であるための条件は、「過越の祭り」の日に、「木にかけられた方法」で死ぬということでした。そして、そのことは、イエスが誕生する700年も前からイザヤ書53章に預言されています。つまり、神のご計画通りにこの方は私たちの救いのために命を捨てられ、復活されたということです。こちらをご参考になさってください。ruclips.net/video/PRoC3SrFu60/видео.html
@@matsumotobible ご返信ありがとうございます動画を全て拝見させていただいている訳でもなく不躾な質問をしてしまい申し訳ありませんご指定していただ動画を拝見させていただきました全ての根拠は聖書と、そこに書かれた預言にあるという事ですねイエス自身も自らが死ぬ事を前提として活動し、それが聖書に書かれた預言通りの事である、というのは解りましたそこで疑問なのはイエスの死が聖書預言にある人類救済計画に必要な事で、またその条件を満たしている事と、全ての人々の罪を全て背負い、その罪を無くしたという事とが、どこでどう結びついているのかはよく解りませんでした世の罪を取り除く神の子羊という表現からは、世の罪を取り除く為の犠牲となる人という解釈は出来ますが、それだけでは、そこで現される世が、全ての世、全ての人々を指すと言える根拠にはならないのではと思いました個人的な解釈で申し訳ありませんが、世はその時の世、人としてのイエスが健在していた時の事で、イエスが関わった範囲の罪の事ではないでしょうか?それは時のローマ帝国などの状態や体質と、時のユダヤ教の教義の一部、もしくはユダヤ教の体質に対しての事で、理解や共感もなく一方的に人を虐げる事や奴隷制度、ユダヤ教やその教義を信じ、実行する者だけが救済の対象である事、イエスが聖書預言の救世主である事の否定などが、その世の罪の主体ではないでしょうか?動画の内容や、松本牧師のお答えから理解できた事は、キリスト教の社会的な成り立ちや立位置、体質、又その影響、政治的な関連、史実や歴史的関連などは、全て聖書預言による予定調和であるという事で、そうした影響や変化も、その中での人の感情や感覚、思考や論理も特に関係なく、全て神、聖書、預言にさえ従っていれば救われるという事になる様に思えますそもそもですが、なぜ神は人類を救済する必要があるのでしょうか?神の救済計画を信じる者、聖書預言を信じる者だけが、神による救済の対象になるのでしょうか?神、聖書、預言による救済とは具体的にどの様な事を指すのでしょうか?聖書預言の根拠となっている神とは何なのでしょうか?勝手な解釈と不躾な質問を重ねて申し訳ありませんが、是非とも松本牧師のお考えをお聞かせくださいよろしくお願い申し上げます
@@kouheinishizawa2489 ヨハネ3:16に「神はそのひとり子をお与えになるほど世を愛された」とあります。「世」と言うのは、一時代のことだけではなく、全人類のことです。神はすべての世代の人々を愛しておられ、救いたいと願われました。イエスをただの人間としてとらえれば、あの時代の人しか救えなかったということになりますが、前回書きました通り、この方は神であられ、神は時間を超越しておられますので、2千年前に十字架にかかられた時にも今日の私たちのために死ぬこともできました。なぜ神は人類を救済する必要があったのか?それは人が罪を犯し、このままでは永遠の滅びに向かっているからです。その罪の赦しが必要になってきます。そのことについては、以下の3本のシリーズがわかりやすいのではないかと思います。 ruclips.net/video/ozhK8h6pr3o/видео.html ruclips.net/video/JR_SaRXAa0I/видео.html ruclips.net/video/pHJ5QWHzsq0/видео.html
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12:34 Bed News→Bad News
聖霊の働きについてよく分かりました。弟子達に働かれたこの聖霊がイエス様と同質の方で、この私にも24時間内住してくださっていることにもっと深く思いを持ちたいと思います。
聖霊について知りたかったので
とても良く理解する事が出来ました😊✨
ありがとうございます💓
松本牧師先生、今日もありがとうございました。5月23日曜日のライブが楽しみです。お祈りありがとうございます。
覚えていてくださりありがとうございます。
聖霊様のお働きにあって福音が宣べ伝えられ、記され残され、今在る恵みに感謝します。
私たちは気づかないうちに驚くばかりの恵みが与えられていたのですね。
ありがとうございました😊
わたしたちのからだは聖霊の神殿です。って言われる意味に目が開かれました。ありがとうございます。
聖霊なる神様が住んでくださるとは、素晴らしいことですね。
おはようございます。今日も聖霊の導きのもとに過ごせますように。多くの誘惑に負けず、ただ主イエス・キリストだけを見つめ従い落ち着いた生活を送れますように。コロナ禍の中思い煩い苦しみ不安を抱えている私たちを癒し支えて下さい。
今朝も聖霊の導きにより聖書講座を聴くことが出来ましたことを感謝します。ありがとうございます。
聖霊が御言葉の理解を助けてくださいますね。
ハレルヤ❢アーメン✞🙏
とても分かりやすい解説に感謝します❤︎
いつか先生の教会へ行ってみたいです。
今、札幌で行く教会を探しているのですが、どこかおすすめの教会がありましたら教えてください‼︎
札幌聖書フォーラムはいかがでしょうか。
@@matsumotobible
どこですか?あ、名前で調べてみます!
@@きのきの-x1b 複数の会場を使っていると思いますので、行かれる前に確認されることをお勧めします。
@@matsumotobible ありがとうございます😊調べてみたところコロナで5月いっぱいはお休みとありました!是非行ってみたいので楽しみにしておきます。
メッセージありがとうございます。
主は3日で神殿を建て直すと言わました。イエス様を信じたなら聖霊は私達の中におられます。☺️私達が神殿。
旧約聖書の預言者達も一時的な状況のみ聖霊が出入りしてました。
内住されるのは引き留める者(聖霊)が引き上げられるまでです。
松本先生の仰るとおり自分が罪人だと真摯に神に告白するなら
イエス様の血潮で浄められ聖霊を受けます。
信仰は個人と聖霊と共に歩むこと。
種無しパンは御言葉。葡萄酒は日々の悔い改めでイエス様の血の浄め。聖霊は酵素のように三サトンの小麦粉(御国の相続と評価の承認)を膨らまします。
感謝です。
次回のメッセージ期待しております。
いつもお聞きくださりありがとうございます。
私はクリスチャンではないのですが、キリスト教に、惹かれます。
一時期教会に行きましたが、自然と、足が遠退きましたが、やはり
気になります。これも聖霊が導いているのですか?
聖霊は、クリスチャンではない私も導いているのですか
聖霊はクリスチャンではない方をも導いてくださるゆえに、人はイエスを信じてクリスチャンになります。
松本先生ありがとうございます
細かいことで恐縮です。字幕の「Bad News」が「Bed News」になってます。大切なポイントだと思うので、指摘させて頂きました。スミマセン。
指摘してありましたね。スミマセン
松本先生、ヨガをする事はキリスト教に取りいけない事ですか?
新生は、聖霊によるが聖霊のバプテスマは、主イエスによって成されるものなのだと知りました。それは、特別な方法で、聖霊を与えて下さいます。証印を押されるということです。
エホバの証人とは何でしょうか。
日本ではこれの勧誘で宗教のイメージ悪くなってる気がしますが、どう何でしょうか。
キリスト教の名を使った異端です。
@@matsumotobible なるほど。日本で良く言われている宗教勧誘等はエホバの証人と何か関係があるのでしょうか?プロテスタントやカトリックでもそういう宗教勧誘をしますかね?私はキリスト教徒なのですが宗教勧誘は普通に嫌だし、余り良くないと思いますが、
プロテスタント、カトリックはそういう家に来て勧誘する事はありますでしょうか??
ほとんどないと思いますが、問題は伝道ではなく間違った教えを伝えることです。
1000年前の日本人の罪人は誰が背負うわけですか?
失礼します
キリスト教の教義の詳細を余り知らず、また個人的な見解で物申す事をお許し頂きたいのですが
キリスト教自体はイエスの死後、時のローマ帝国とイエスの信奉者との間で成立したもので、当時の状況を鑑みるにイエスという人物や人物像、発言や影響力を政治的に利用する目的が少なからずあったと認識しています
ですので、キリスト教は宗教的側面に対して政治的関与の要素が色濃い、特殊な形態の政治活動団体の様なものだと思っています
イエス自体は時のユダヤ教の教義に対して疑問をもち、皆が平等に救われるべきとして活動を実践した偉大な人物である思いますし
自らの命を賭して実践を貫く事で人々の心と体を動かし、当時の状況に変化をもたらした稀有な存在で、その行動や言動には、それ相応に学べる事や感服する部分はあると思います
個人的に疑問なのは
イエスは信奉者の罪を全て背負って磔刑に処され亡くなった、という解釈で
史実としては、イエスが主に虐げられている者の処遇改善や、富や権力などの一方的な力によって使役されている者の解放などを謳って活動していた事と、時のユダヤ教の教義に対する反抗によって、政治勢力と宗教勢力に疎まれたからだと認識しています
イエスがその活動と実践によって示したかった事は、守るべき事や守るべき者の為に立ち上がる事が必要で、その信念と実践を貫き、訴えるべき事は訴え、その先にある責め苦は甘んじて受け入れるという事で
人は他の何かに救われるのではなく、他に救いを与える為の実践と自己犠牲によってこそ、人は真理を得て救われるものだ
という事を示したかったのだと思いますが
現状で語られる解釈は
人々に救いを与える為の実践をする人物に対して、そこから救いを与えられる者達の罪を全て背負わせる事によって、人は救われるという様な事になっていると思います
これはイエスが示したかった事とは全く真逆の事だと思います
それと、イエスがキリスト教において神とされたのは、それ以後に他の誰もが肩を並べられない存在にする事で、二度と同じ様な人物が現れない様にし、政治的混乱を回避する為の目的があったと推察しています
キリスト教で語られる諸々の奇跡などの事が実際にあったかどうかは別として、そうした事もイエスを神とする為に重要な要素になっているともとれます
奇跡自体はこれといって明確な再現性や論理性があるものではないので、申し訳ありませんが言及は控えさせていただきます
また、イエスが処遇の改善や解放を目指した人々というのは、力の弱い人で、考える事もままならない、そうした状況を自ら変える事も出来ない為に、そうした状況になっていた人々だと思いますが
イエスは、その問題点や改善点を鋭く、的確に追求する事が出来た聡明な人物なのだろうと思います
でなければ大々的に処刑される事もなかったはずです
イエスが亡くなった後には、イエスの信奉者と、力の弱い人の集まり、言ってみれば、ローマ帝国被害者の会の様な状態と活動があり、そこにはイエスの様に問題点や改善点を鋭く的確に追求出来る人は特にいなかっただろうと推察できますが
そうした集まりの活動が、時のローマ帝国との間で被害者と加害者の関係性として成立し、時のローマ帝国における政治への大きな打撃となった事から、そうした集まりと活動に対して何らかの政治的な取り引きがあっただろうという事は想像に難くありません
その後の歴史をみれば、そうした政治的癒着の様な事が実際にあったのは確実な事だと思います
現状におけるイエスの死についての解釈から察しますと、そうしたキリスト教の体質というのは、成立当初から殆ど変わっていないのだろうと思います
あくまで個人的な見解ではありますが、松本牧師はこれらに対してどの様なお考えをお持ちでしょうか?
個人的で一方的な見解で申し訳ありませんが、キリスト教を批判、揶揄する意図はありませんし、間違っている部分などがあればご指摘下さい。
本質を理解したいと思っておりますので、よろしければお答え下さいます様、お願いします。
長々と失礼しました。
イエス・キリストは第二位格の神であられましたが、人類を救うために人間となってこの地上に来られました。私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目に復活されました。人でなければ死ぬことはできませんので、人となられましたが、神でなければ復活することはできません。この福音(嬉しい知らせ)を信じるだけで、罪赦され、永遠の命が与えられる道を開いてくださいました。
@@matsumotobible
ご返信ありがとうございます
今回は、キリスト教の教義的な前提についてご説明いただいたという形だと思います
個人的にお聞きしたかったのは、キリスト教の成立と、政治的関連や史実的関連、政治的役割や歴史的役割、体質についてで、それに対してはお答えいただけなかった様で残念ですが、お答えいただいた事から、疑問に思う事があったので、失礼とは存じますが、述べさせていただきます
キリスト教の教義や、教義的前提を余りよく知らず、今回いただいたご説明だけでは、先ず理解が難しいので、個人的な解釈で申し訳ありませんが、要約させていただきます
間違いなどあればご指摘いただき、よろしければ疑問にお答えいただきます様お願い申し上げます
イエス・キリストという人の精神、又はその精神構造の主体、端的に言えば人格や性格の素となる部分は、元々人ではなく神と呼ばれるものであった
神には格、順位があり、イエス・キリストは第二位であった
イエス・キリストという第二位格の神が、人の肉体をもって存在したのが、歴史上のイエスという人物であり、その必要性や目的は人類を救う事、人としてのイエスの活動もそれに伴うものであった
その様な経緯から、イエスは人、人々、人類の罪と呼ばれるものを背負って自ら死ぬという事を選択し、人々によって墓に葬られた
しかし、3日後に復活し、その事で神である証を人々、弟子に示した
その復活の後、イエス・キリストは人としてのイエスではなく、第二位格の神として、イエス・キリストと同等の格をもつ聖霊と呼ばれるものを人々、人類のもとに遣わす事、その聖霊が種々の認識の誤りを正し、真理を人々に説いて導く、という内容の事を弟子達に言い残した
それを福音(嬉しい知らせ)と呼び、それを信じるだけで、イエスが人々の罪を背負い、人として死んだ事の効果、恩恵が得られ、同時に永遠の命が与えられる道、又その軌道に乗る事が出来る
第二位格の神イエス・キリストが、人類を救う為に行った事は
①人、イエスという人物として生を受け、人々を救う必要性と目的に応じての活動
②人、イエスという人物が人々の罪を背負い自ら死を選択し、人々の罪を無くす事
③復活によって神である事の証を示し、第二位格の神として、人々にイエス・キリストと同格の聖霊を遣わす事を約束した
イエス・キリストを信じるのは人と呼ばれるものであり、その人が与えられる救いは
①人としてのイエスの死によって罪と呼ばれるものが無くなる事
②福音によって永遠の命と呼ばれるものが与えられる事
以上が個人的な解釈です
個人的な疑問は
史実的な範囲では、イエスが亡くなったのはイエスの人類を救う必要性と目的による活動に対して、時の政治勢力と宗教勢力によって行われた一方的な暴力的解決、殺害である事
第二格の神であるイエス・キリストは、始めからそれを前提としていたのか
人としてのイエスの活動は、始めから政治勢力と宗教勢力による一方的な暴力的解決、殺害によって死ぬ為のものだったのか
なぜそうした一方的な暴力的解決、殺害によって死ぬ事が、人々の罪と呼ばれるものを全て背負う事になるのか
又それが何によって証され、なぜ解るのか
イエスが人々の罪を全て背負って死に、それによって人々の罪を無くす事ができたのだとしても、イエスが亡くなったのは2000年以上前の事で、イエスがその時に背負ったのは、当時のイエスの死に関連する事だけで、それが今なお続いているものなのか
その効果がその他の範囲や、それ以外の関連にある人、人々についてもあると言えるのはなぜか
又それは何によって証され、なぜ解るのか
神と呼ばれるものには格がある事と、イエス・キリストが第二位である事は何によって証され、なぜ解るのか
罪とは何か
救いとは何か
永遠の命とは何か
神とは何か
人とは何か
などです
度々の長い文章と、不躾な質問で申し訳ありませんが、是非とも松本牧師のお考えをお聞かせ下さい
よろしくお願い申し上げます
@@kouheinishizawa2489 これらのご質問に対するご返答としてこのRUclips聖書講座を始めました。イエスの死が人類救済のために有効であるための条件は、「過越の祭り」の日に、「木にかけられた方法」で死ぬということでした。そして、そのことは、イエスが誕生する700年も前からイザヤ書53章に預言されています。つまり、神のご計画通りにこの方は私たちの救いのために命を捨てられ、復活されたということです。こちらをご参考になさってください。ruclips.net/video/PRoC3SrFu60/видео.html
@@matsumotobible
ご返信ありがとうございます
動画を全て拝見させていただいている訳でもなく不躾な質問をしてしまい申し訳ありません
ご指定していただ動画を拝見させて
いただきました
全ての根拠は聖書と、そこに書かれた預言にあるという事ですね
イエス自身も自らが死ぬ事を前提として活動し、それが聖書に書かれた預言通りの事である、というのは解りました
そこで疑問なのは
イエスの死が聖書預言にある人類救済計画に必要な事で、またその条件を満たしている事と、全ての人々の罪を全て背負い、その罪を無くしたという事とが、どこでどう結びついているのかはよく解りませんでした
世の罪を取り除く神の子羊という表現からは、世の罪を取り除く為の犠牲となる人という解釈は出来ますが、それだけでは、そこで現される世が、全ての世、全ての人々を指すと言える根拠にはならないのではと思いました
個人的な解釈で申し訳ありませんが、世はその時の世、人としてのイエスが健在していた時の事で、イエスが関わった範囲の罪の事ではないでしょうか?
それは時のローマ帝国などの状態や体質と、時のユダヤ教の教義の一部、もしくはユダヤ教の体質に対しての事で、理解や共感もなく一方的に人を虐げる事や奴隷制度、ユダヤ教やその教義を信じ、実行する者だけが救済の対象である事、イエスが聖書預言の救世主である事の否定などが、その世の罪の主体ではないでしょうか?
動画の内容や、松本牧師のお答えから理解できた事は、キリスト教の社会的な成り立ちや立位置、体質、又その影響、政治的な関連、史実や歴史的関連などは、全て聖書預言による予定調和であるという事で、そうした影響や変化も、その中での人の感情や感覚、思考や論理も特に関係なく、全て神、聖書、預言にさえ従っていれば救われるという事になる様に思えます
そもそもですが、なぜ神は人類を救済する必要があるのでしょうか?
神の救済計画を信じる者、聖書預言を信じる者だけが、神による救済の対象になるのでしょうか?
神、聖書、預言による救済とは具体的にどの様な事を指すのでしょうか?
聖書預言の根拠となっている神とは何なのでしょうか?
勝手な解釈と不躾な質問を重ねて申し訳ありませんが、是非とも松本牧師のお考えをお聞かせください
よろしくお願い申し上げます
@@kouheinishizawa2489 ヨハネ3:16に「神はそのひとり子をお与えになるほど世を愛された」とあります。「世」と言うのは、一時代のことだけではなく、全人類のことです。神はすべての世代の人々を愛しておられ、救いたいと願われました。イエスをただの人間としてとらえれば、あの時代の人しか救えなかったということになりますが、前回書きました通り、この方は神であられ、神は時間を超越しておられますので、2千年前に十字架にかかられた時にも今日の私たちのために死ぬこともできました。なぜ神は人類を救済する必要があったのか?それは人が罪を犯し、このままでは永遠の滅びに向かっているからです。その罪の赦しが必要になってきます。そのことについては、以下の3本のシリーズがわかりやすいのではないかと思います。 ruclips.net/video/ozhK8h6pr3o/видео.html ruclips.net/video/JR_SaRXAa0I/видео.html ruclips.net/video/pHJ5QWHzsq0/видео.html