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※訂正※14:07の字幕に 「こーりんの下山するという決断は」とありますが誤りで、正しくは「たかはしの下山するという決断は」です。(画像はたかはしになっていますね)失礼いたしました。ご指摘いただいた方、ありがとうございました!
行方不明者6名は未だに富士山で眠っておられるんだろうかだとすれば悲しすぎる。😭
下山を一日待ったグループは全員助かっているのですよね。悪天候下での「決断」がいかに重いか分かる話です。
「明日は仕事だから下山しないと」はあちこちの遭難話で出てくる死亡フラグだな。結果論ではなしに仕事を判断材料に入れたこと自体が過ちだ。
日本人らしいよね
予備日を設けないことからして大問題だね。時間ないなら登山するな。飲んだら乗るなみたいに広めたい
死亡フラグは回収されるのが定めだからなぁ。立ててはいけない、ダメ絶対。
1971年の出来事なのに、その常套句は色褪せないな…
きもちは解るが無知すぎる。
私はこの人達ほど登山家ではありません。しかし登山の工程は万が一のことがあるので必ず予備日を設けます。「何としても今日帰りたい」この気持ちが判断を狂わせます。
小学生の頃、家族で須走から登りました。来年も行こうねって話になり予定を立てたんですが前日に母親が歯痛により断念。家でテレビを観ていたら落石のニュース。家族で震え上がったのを思い出しました。
お母さんの歯が痛いに感謝ですね
お母さんは山の神様に好かれてたんじゃない?もはやお告げの域でしょう。
テリーマンの靴紐かな?
四十ニ、三年前に落石で十数人が死亡した登山史に残る落石事故です。 富士山は高山病、落石、滑落、凍死、落雷他、ありとあらゆる事故によって全国一の最多死亡者数の危険な山なのが知られてないですね。 これからも山頂には死神がオイデオイデをしている人懐こい山ですよ。
日航ジャンボ機墜落事故並みのラック、ですね。神に感謝。
正解は、『リスクを取りたくなければ冬山には逝かない』
これに尽きる
身も蓋もないけど、まさにその通り
大正解‼️
登山の事故は冬が多いですが、夏山だろうが、天候悪化や富士山のような高山だと気温も段違い。極論、山に登るなと
家から出ないのも正解じゃない?
それなりの山に登る時、特に冬山なんていう時は後ろに予備日を設けておくこと、あと職場の人に登山に行くのを伝えておくことが大事だなと思った。
あるあるだけど、命>仕事の判断が出来なくなるんだね。仕事なんてその人いなくても回るんだけどそれが理解できないんだよね。ある意味日本人独特の死亡理由な気がする
@@taro77793 というか命の危機だという実感が無さすぎる正常化バイアスが働いて無意識に日常としての仕事に比重を置いてしまうのではないかと思う平和ボケとも言えるかもしれないが
そもそも冬山で吹雪かれた時点で一般人感覚で言えば緊急事態なわけだからねぇ…
↑吾妻山でも明日仕事だから、と悪天候なのに下山を強行→遭難、登山届けをせず家族にも詳しく知らせなかった為、救助も遅れて7人中2人しか戻れなかった話がありましたね…😢
イキってるやつほど遭難する登山やり続けてても初心者と思ってる奴の方が撤退しやすいから、ヤバい時の生還率が高い気がする
仮に、待機を選んだ結果「じっと待つ」ことしかできない状態で周囲がどんどん死んでいった場合の恐怖を想像すると、待機を選ぶ判断は自分にはできないんじゃないかなと思う動画でした…下山を選べば「もう行くしかないんだ」という感じで強制的に覚悟できてしまえそうだから、そちらを選んでしまいそうです。
逆に下山を選択したら助かって留まった人たちは亡くなった事例もあるだろうし、山の天気が読めないこともあって結局「結果論」にしかならないんだろうな…と思う
下山強行の根拠が「仕事」だから、それを「結果論」と言ってしまうのはあまりにも短絡的
@@akuwaEST 1日待てば必ず天気が回復するとわかっていて強行したわけでもないんだから、仕事「だけ」が根拠だと決めつけるほうが短絡的。下手すると何日も吹雪が続いて食糧がなくなるという事態も考えられるんだから、結局結果論。
ただまあ、確率的にはやはり悪天候のなか移動を強行すると大概悲惨なことになってる事例が多い基本は雪洞掘れたら掘って無理ならテントとかで停滞、保温が助かる道かと食料については予備を持っとくに限るけど、ぶっちゃけ水さえあれば全く食い物なくても1週間くらいは持つ
結果論とは言え外に出て即ホワイトアウトの状況なら明らかに無理だって分かる状況ではあるよなぁ天候が良くならない可能性があるとは言えやはり待つべきだったように思う
父が大学で山岳部だったんだけど、リーダーの判断で生死を分ける場面があって生還出来たのはやっぱり命最優先でリーダーが判断したグループだったって言ってたちなみにその話、有名なクマ事件の話だった
この手の動画の遭難事件って、大体は準備不足とか、知識・経験不足が原因の起こるべくして起こる事故だけど、これは違うね。準備万端の経験豊富な人たちでもこんなことになってしまう。山を舐めてなくてもこうなるんだから、登山ってほんとに命がけなんだってことを再認識させられた。
別のコメントに何かあったけど、通常は予備日を設けるみたいだね。判断を狂わせないために
部下の言うことに耳を傾けて、気持ちに寄り添う優しい上司。これは登山のリーダーには当てはまらず、嫌われても安全第一でブレないほうが大事でしたね。
静岡山岳会の場合は留まってもテントが浸水しているんだから下山の判断はおかしくないと思う。ただ山小屋にいたのに清水山岳会はどうかと。ただ山小屋なのに雪が吹き込んでくるってポンコツだな。ちゃんと風雨を凌げたら下山を待つという決断ができたかもしれない。
3月ですからねー。冬の厳しい気候で落石、雪崩、暴風などで壊れてしまっていたのかも知れませんね。この時代の富士山だと山小屋の修理はいつやる事になっていたのかは知りませんが、真冬の間は手を付けなかっただろうと思います。。
大学のワンゲル部がクマに襲われまくった事件も怖いけどこれも…50年前から日本人は出勤のために命を賭けてたんだな…
今より天気の情報を入手しにくい時代。待って天候が回復するのか、判断が出来ないと下山を強硬してしまうのかも。何日も吹雪が続くかも…と考えると待機するのも勇気が要りますね。
不安との闘いでもあるかと人間何もしていない場合、本当に助かるのかと苛まれるし何か(下山)していると、ネガティブな事を考えず助かる事をしている・努力は報われる・1歩づつ助かっている気になってしまうのではないかと
命を捨ててでも明日仕事に行くために下山する… 休んででもいいから下山して欲しかった…
このころは社畜であることが常識だった
@@akinasukizakura 昔と今で、 働き方のギャップがすごいよね。 でも、今でも残業という社畜がいることを忘れないで、、
そして文字通り命を捨てて奉仕しても、会社は何も報いてくれないのであった、、
身近によく登山する方がいますが、冬山には絶対に行かないと行ってました。どこかの大学の山岳部も冬の登山は禁止されてるそうです。
冬山はまじで魔界ですね
厳冬期の山は濡れる事が少なく、こういうみぞれの降る春の山の方が1番恐ろしい。水は液体の状態が1番温度を奪うからね。
夏山においても、「明日、仕事があるから今日中に帰らなければ・・」と無理をして滑落死する人は多いですね。
8月に富士急ハイランドに行った時、天気が崩れて真夏から真冬へと急変したことがあるそれが富士山だったらと思うと夏でも登りたくない恐ろしいところだね あの日食べた温かい紅茶とワッフルセットを忘れない8月なのに凍死するかと思った🥶
天気が悪い時は山小屋での「待機」が基本原則なんだよな。
正直、翌日の仕事の有無はそれほど関係無い話だと思う。天候がいつ回復するかも分からない、体力も徐々に削られる状況なら、たとえ悪天候でも体力のある内に下山するというのはその場の選択として必ずしも間違いではない。もし、悪天候が続いてたら山小屋に残っていた人たちが生還できなかったかもしれないし、救助要請されない状況で極寒の山小屋に残るというのも精神的にどれだけ保つことができるのか。というわけで、この話のそもそもの原因は防水が甘かったということだけだと思う。
確か生還されたグループは1日ぐらい休んだって良い、強行して何かあったら1日で済まないぞの精神で待機してたんですよね
富士山は遠くから眺めるのが一番だなあ。と思う九州の民です。標高2000m以下の山がない九州から初めて山梨へ旅行して、富士山を見た時の衝撃と感動と同時に感じた畏怖感が忘れられないです。
当時と今の違い。週休二日なんて言葉もなく、祝日があっても三連休じゃなかったはず。よほどの理由がなければ有給休暇も使えなかった。ネットも携帯もなく、情報量が今より遥かに少ない。一般的にはドーム天はなく、幌性の重くて風に弱い家型テントが主流だった。ヒマラヤ行くような人がどんなのを使っていたかは良くわからないが。コンロもラジウスが主流で燃料は重い石油なので、あまり多くもっていかなかったかも。寝袋な衣類も今ほど軽量で速乾性は期待できないのでは?他にもいろいろあると思います。そんなことから現代ではここまでの大惨事にはならないと思うが、念には念を入れて慎重な登山を心掛けたいものです
実際のところ、ただの台風でも2時間も外で耐久して無事でいられるか疑問だしね・・・それが雪山での悪天候じゃ自分では判断ができません。
正直、下山するかとどまるかは難しい判断だと思う
つくづく冬山登山は時間と金に余裕の無い我々庶民がする遊びじゃ無いな、明日仕事があるからとか費用が勿体ないからとかで強行しないといけなくなる階層の人間がする趣味じゃ無い、金ならいくらでもつぎ込めるぞ、時間ならいくらでもあるから良いタイミングを待つぞ、と思えるような人種の物だよ
テントや防寒具が高性能だったら…。天気予報の精度がもっと高ければ…。1972年では、技術面も未熟。誰かが下山しなければ救助を呼べない時代。いろいろ考えさせられました。
私のホーム、六甲山のバリルート黒岩谷には、ケルン風の慰霊碑に「六甲を愛した○○君 1972.3.20富士山に眠る」とのプレートがあります。この事故で亡くなったんですね…半世紀も前の話ですが身近に感じられます。
誰ですかそれ。有名な人だったんですかね。
山小屋を出たらホワイトアウトの時点で下山はムリ
過去の数々の悲劇が貴重なデータとなって現在の登山の安全性が高まっているから、尊い犠牲に敬意を表したい。
😊
そもそも富士山という日本最高峰の山なんだから道がいくら整備されてようがリスク高いと思う事故が起きるのも止む無し
5:56 訓練続行か下山かの2択だったと提示しておいて、その2択なら下山を選択したのは間違ってないと思うんだけど、なんで下山を責めるようなセリフが入るのか? よくわからん。
仕事が翌日あるような人間は山登るな少なくとも下山予定後2日位は余裕持って登山しろ時間マネージメントもできない人間は登山するな
『明日外せない仕事があるから』↑回収出来ないフラグ
この頃のテントはすぐ浸水して使い物にならないですなテントさえ浸水しなければ寝袋も濡れない。さぞ寒かったろう
スケジュールがキチキチだと行動の判断に余裕が無くなるんだよな
ずーっと富士山に登りたいと思っていたけど、10キロあって、人と小屋が少ない時点で御殿場はないと思えた。体力には人より自信あるけど、安易に選ばないようにしよう。このチャンネルは意義がある!
40年前に突然、社長が富士山に登ります。ひと声で登る事になり登りました。福岡から新幹線で行きましたが二度と登る気はありません初日の出を見れた事には社長には感謝してますが下りの辛さは忘れません
社長が富士山登山の危険性を全く知らない人で驚きです。複数の社員を引率して事故が起きるのを想定してないですねと 私だったら当日 仮病を使って欠席します。 別の理由だけど高校の修学旅行を欠席しました。生命の責任者は「自分」ですから。登山で一人が負傷したら救助に最低 六人が必要ですよ。
昭和50年代では、さぞかし断りづらかったでしょうね('A`)しかも地元でなく福岡から…ご無事で何よりでした😢
山が、生きては返すものか!とありとあらゆる手段を使って命を奪おうとする恐ろしい感じがしました。次から次へと困難を仕掛けてくる。あと少し4合目まで来た時にさえ、「生きて返すものか!」と最後のトドメ雪崩には驚きました。
「登山時ゴミ袋持って行った方がいいぞ!」って言う登山経験者。万が一遭難した場合寒さを凌ぐ事も出来るし、沢の水を汲むのにも使えると言ってたな。豪快に生大飲みながら私の肩バンバン叩きながら…
50年前のお話ですから、低体温症の認知度は低いかほぼ無かったと推測できます。ただ、八甲田山のお話なら知っているでしょうから、風雨・風雪時は無理しないのがベターかと。
戦後復興したあと、昭和30年くらいから空前の大衆登山ブームですから、低体温症の認知はそんなに低くないんじゃないかな。いろんな大学がこぞっと山岳部を立ちあげ、いろんな山岳会が誕生し、老若男女問わず大勢の人たちが山を登って、遭難も多かったらしい。戦前も小中学校の遠足とか大衆が登山を楽しむ歴史はあったしね。当時は天気予報も外れが多かっただろうし、ギアや登山ウェアのレベルも低かったと思うし。素人考えで春の富士山を侮っていたんでしょうね。
「低体温症」そんな文言はなかった。むかしは「疲労困憊による衰弱死・凍死」と一般にいいました。名前がついて適切に表現できることの良い例です。凍死する前の錯乱、意識障害などは認知されていましたが別個に表現される事象であり、一般的に知られているような知識では無かったです。冬山での八甲田、夏山での木曽駒遭難事例はそこそこには知られていました。ですが1971年以降の新田次郎氏の小説で大きく知られるようになりました。それまではS38の薬師岳が有名でしたね。報道加熱の走りでもありました。
今年は富士山での遭難事故がかなり多いとのこと。Tシャツ短パン片手に500のペットボトル一本持ってみたいな軽装で気軽に高尾山に行くみたいな感じの人が多いとか。頭悪すぎる…
「♪ここぞ御殿場、夏なれば我も登山を、試みん」と、鉄道唱歌の昔から歌われていますものね。ただし、冬山じゃない。
この手の動画にたまに出てくる信じられないくらいタフな人好き
「日本人にとって身近な富士山」と言うが、取り分け静岡清水の人たちにとっては「晴れていれば毎日見える山」。遠くから来る人とは違った、油断に近い意識があるような気がする。
山登る人ってすごいと思う疲れるだろうし虫とか嫌いだし綺麗なトイレもなさそうだしわざわざ寒かったり暑かったりするところに行こうって発想にならない自然楽しみたいなら整備されてる公園行けばいいしスリル欲しかったら遊園地行けばいいし、なんなら家でゴロゴロしながらRUclips見てる方がいいゾンビとか出たら1番に死にそうな雑魚には野生で生きるのは無理
昭和登山はレジャー感覚が強いせいか予定をぎっちぎちに入れる無茶な登山を含めた旅行計画がまかり通っていた為、この手の無茶な登山も横行してたみたいですね。(次の日休めないから何が何でも下山する等)休み時間や寝る時間は移動に組み込んでいたりね。 ソースは私の両親w 結局必要なのは登山歴より運じゃないかとすら思います。
こんなことになっても、無事に下山した人達ってまた登山する人が多いんだよ。懲りないっていうか業が深いなあって思う。
仕事の予定が入っているので、下山しないといけない?勤勉な日本人らしい遭難事故だけど、なんだか悲しい。イタリアなら天候回復まで待てばいいじゃん、無理することなんてないよってなるのかな?世界から称賛されている分刻みの正確な鉄道オペレーション技術なんかも素晴らしいんだけど、その裏には遅れや予定変更を許さないがゆえの犠牲も隠れているのでしょね。
現代の装備であれば、全く結果は違っていたと思われます。1970年代は、毛糸と羽毛しかなく、ダクロンやクロロファイバー、ゴアテックスといった化繊類(これも 1990年代の用語ですが)がなかった時代に、食料切れと燃料切れは死を意味しました。
当時の装備でも防水性雨具など持っていれば助かったのでは?とも思いますね。ここまで寒いとレインウェアの内部が汗で濡れるリスクは低くゴアテックスなんて無くてもある程度雨に耐えられた思います
相応の覚悟と万端の準備……。富士山に限らず山を舐めてはいけないですね。
遅刻や欠勤をしても死なないけど、間に合わせようと焦って慌てて無理をすると死ぬ可能性出てくるし、誰かを死なせる可能性も出てくる。
待機が厳しい状況であれば下山を選んでしまいそう快適に待機できるための装備が必須なのかも
2:01「あえて御殿場ルートを使う理由はあるのか」←御殿場ルートは一年を通して風下に当たる。そして夏場は須走こと砂走の特性を生かして下山のルートとなる。登りに使うと足元の砂で労力がかなり余分に必要なのである。冬で凍結するとがぜん上りやすい道となるので冬場は上りのルートとしても主体となります。冬場に風の強い北側吉田口から登るのは飛ばされそうにキツイのです。
教訓は、必ず雨衣は携行することと、個人的な事情(仕事とか)を理由に無理を言う奴には付き合わないことだな。
「明日は大事な仕事があるから」というのは判断ミスに違いないですが、昭和47年という高度経済成長期の中では、現在よりも「仕事」にかける義務感と言うか優先度が重い時代だった…というのもあるかと思います…。😢
未知の状況での楽観視の危険性ですね山に限らず、普段の生活でも未経験の場面では最悪の状況を踏まえて慎重に行動すべきなのでしょう
もし、自分がリーダーだったら「下山する。」と判断するでしょうね。その場に留まっていて事態が好転するのはいつになるやら。もっと悪くなるかもしれない。と考えて。この事例では逆でテントや山小屋で待機が正解ですが。正確な判断は難しい。
夏でも富士山は天候が急変するとかなり過酷な状態になります。御殿場ルートは営業している小屋が限られていますので色々な条件が重なると大きな事故が起きる可能性がそれなりにあります。開放的な景観がここの良さであるとともに風雨を遮るものが少ないということであるので危ないという意識はどこかで持っていた方が良いと思います。
体感マイナス40℃とか業務用冷凍チャンバーと同じくらいだし、そりゃあ死ねる。
冬山なのに、春一番で5合目でもみぞれだったことが運命を分けましたね。雪山のつもりで防水装備が不足していたために、体を濡らし、結果的に低体温症につながってしまったように思えます。逆に登頂を目指したグループは高度が高かったから天候は雪となりテントが浸水することが避けられたのでしょうね。
このころはまだゴアテックスのギアなんて無いしね
テントも、冬山用なら軟骨格のかまぼこ型がありますけど、冬山用ゆえに防水性は乏しいでしょうしね。耐風性の高いドーム型テントが出たのは1970年ですが。シュラフも冬山用なら防水性皆無の羽毛。濡れても保温性を失わないモンベルのダクロンシュラフが出たのは1976年。それもスリーシーズン用。現代の装備とは雲泥の差がありますよね。
仮眠してる所に雪崩ってのはひどすぎる・・・
夏場に御殿場ルート下山で濃霧になって、全然道が見えない中下った事あるけど、延々と続く道の長さに心が折れかけた。吹雪でホワイトアウト状態でなんてまぁ、死にますわな。
なんで次の日仕事あるのに山登ってんだ…
まあその辺が昭和とかバブル期のノリよ今で言うパリピみたいなもん
連休がめったにないしあっても日数が少ないから。今も連休の少ない人は翌日仕事でも登ってるよ。みんなに長期休暇のある国なら遭難してないかもね。
「明日は仕事だから下山しないと」の仕事>命なところが何とも日本人らしいなぁ…
まあ死ぬと思ってなかったんだろうけど、こと山とか海に関しては、仕事なんてどうでもいいよな。一寸先は闇、死の世界なのだから
こういう状況に陥った時は、先の事ー例えば、今回の様に翌日は仕事だからとか、その場所に居る理由ー例えば、その山を登頂する栄誉だとか、といった余計な事を考えず、今この瞬間の、最良の選択肢を考える事が一番生存確率が高い気がします。結局、余計な事を条件に入れて考えてしまった人たちが、間違ったと言うか死に至る決断をしてしまっている様に思うので。
5月の連休過ぎても標高2000m以上の山はまだ冬と思わなくてはいけない。富士山は回りに山がないからエベレストより怖いと思わなくてはいけない。
私が初めて富士登山をしたのはこの御殿場ルート。よく下調べもしないで駐車場があるから利用した感じ。登山の途中で上の富士宮ルートからやたら人が出てきて、あんなルートがあるのかズルイと思い損した気分になっていたのを思い出した。
昭和四十七年だと まだ携帯の使い捨てカイロも無い時代だし装備の素材が良くなかった時代ですねマイナス20℃が風が吹くと更にマイナス10℃なのだし吹雪くと見えないのが問題だよワシントン山とか冬は雪がガンガンに降り 突風が荒れ狂うのでほぼ誰も行かないらしいが 2000m足らずの山が豹変するのがエグいらしい人が風で吹き飛んで行くのは見たくないよ
1970年、当時高校の山岳部でした。当時でもラジオで気象通報聞いて天気図作成して予報するのは高校の部活レベルでも実施していました。合宿でも夜は定時の気象通報聞くのは普通でしたけど。高体連の登山の県大会ではペーパーテストで天気図の作成とかあるので練習させられました。 低気圧の位置である程度冬型の天候は予測できますが、冬に春一番で雨の予報は出来なかったのでしょうね。 冬山で吹雪きだけだったら数日はテント停滞でしのげますが(冬は食料や燃料は予備は多めに持参します)当時の冬用天幕だと冬に雨だと濡れるでしょうね。最近の装備は良くなってるので冬に雨でも濡れにくいし、視界がわるくてもGPSがあるので体力があり、正常な判断力さえあれば遭難は発生しにくいですけど。
ギリギリの日程で冬山登山とかナメてんのかよ
現在登山者が使っている様なテントだったら浸水とかしないのかな?50年前とは雲泥の差で性能良くなってるよね?
今の製品のレベルでも防水はすれども保温発熱はしないですから あくまでも新聞紙レベルと思ってたのが良いですよ。
ほんとわかりやすいです…。冒頭の上空(?)の山の地図や、なぜ御殿場ルートが高難易度なのかの説明も含めて…!
私も麓晴れ 頂上で台風の様な風雨に見舞われた事があります。下山するなら体力と相談だよな!その時 頂上付近に山小屋が有った為 避難して無事でした。風雨は怖い体が濡れた時点で4へのカウントダウン。経験者とか初心者関係ない あるのは「待機行動か・下山行動か?の判断力のみ」
1972年となると、そもそも天気予報だってそれほど正確なものではなかったろうな。安全や健康よりも仕事を優先したがる物好きってのは、今も昔もいるもんなんだなぁ。
標高の高いところに残った人の方が雪が乾いていたため、体温を奪われずに助かった。春山はミゾレや雨の方が怖い。
確か我妻山の遭難事故の時も「翌日に仕事があるから」という理由が判断に影響したような記憶がある。仕事どころか命を落としてしまっては元も子もない…
不思議なのはなんで山入るのに雨対策してないの??よく登山遠足させられたけど、必ずカッパやビニールなど雨対策持たされたけどなあ山でいきなり雨降るのは常識と思ってた
待機できる装備がないから下山したのに待機していればよかったとは・・・?
吹雪の中下山するよりも、装備はないけど山小屋で待機していた方が生存率が高かったのかも?1日くらいなら耐えれるだろうし
@@てい-w5o 何日閉じ込められるか分からないので結果論すねぇ。こればっかりはラジオ持っていたかどうか、受信出来たかどうかもあると思います。
登山した後は疲れているから一日体を休めるためにも予備日くらい設けるべきだたとえ仕事を休むことになっていても命には代えられないし永久に仕事ができなくなる
雨対策も怠っていなかったら…「天候の回復を待つ」を選択していたと思う。「着衣等が濡れてしまう事」も、山では命取りだね…
最大要因です。第一次世界大戦の時にドイツ軍が塹壕戦を戦っていました。当時の兵装は現在の革靴と同じでした。 塹壕にヨーロッパの冷雨が溜まりドイツ軍の脚甲の負傷者が大量発生しました。 それ故にドイツ軍は敗戦しました。 ヒトラーは それに気付いてたのでドイツ軍人 全てをブーツ仕様にしたのです。
このゆっくり劇場の雰囲気、10年前のニコニコみ感じてすこ
テントも寝袋も浸水してるのに待ってても死ぬでしょ?
あんな状況に陥ってもまだ仕事のこと考えてるのは頭おかしい
~5:29当時のテントは、防水では無かったのですか?防水と防寒具と懐中電灯と登山届は、必須ですね。🔦そもそも天候変わりやすいから、余裕ない3日という日程は、絶対に駄目ですね。😰
出社するためには危険でも行くのみさすが日本の社畜だ
国労「ストで電車止めるわ、ワイらの覚悟、労働者ならわかるやろ?」サラリーマン「ふざけんなボゲぇぇぇ!仕事に行けんやろ!(激怒」「駅破壊しろ!スト起こした運転手吊し上げろ!」国労「ひぃぃぃ!逃げるんご!ストはもうやめるんご!!」サラリーマン「絶対許さん!国鉄は解体!国労は全員首じゃぁぁぁぁ!」ストに厳しい日本のジャパニーズビジネスマン
@@さいざんす-s4t スト権ストに対する一般市民の感情はシビアな民間から『生ぬるい親方日の丸』への反感もあったのでしょうね。
@@さいざんす-s4t でもそのストのおかげで、日本社会全体の感覚が労働者有利になっていたのも事実。バブルを経てそれが薄れて行った今は、地獄の経営者絶対状態。ブラック企業がはびこりまくりっ!。
オフシーズンに御殿場口が選好されるのは、アプローチの問題ですよ。他の登山口は、車道冬季閉鎖で、五合目のずっと下までしか、クルマで入れない。
てんきとくらすで当日A判定の日しか登らないようにしていますが、グループで予定を組むとそう言う訳にもいかないのでしょうね。経験豊富な方でも遭難する事がある事を忘れないようにしたいと思います。ありがとうございました。
やっぱり余裕の無い登山なんてするもんさじゃ無いな。
他人事だから明日が仕事だからって死んだら何にもならないだろうに、と思ってしまうけど実際同じ立場だったら正しい判断ができるのかと言われると自信ないな
私も。しかも2時間の距離と言われたら下山できそうと思ってしまいそう
登山しないから分からんが、今ではこういう時のために山小屋には十分な電化製品や寝具なんかが常に完備されてたり、電気がバッチリ通ってたり、風雨に強い衣服やテント、寝具なんかが開発されたりしてるのだろうか?寒い中死んで行くって辛いだろうなあ・・
それ迄に同じ小屋で数十人が死んでいたから少しでも装備を揃えていったのです。八十年代、現 今上天皇の浩宮君が登山を楽しんでいました。 その直後に登山道にトイレ整備や山小屋整備が始まりました。 当時は日本 共産党は税金の無駄遣いとか物凄く批難しましたね。 後にサラリーマンとかが休暇に手軽、低経費で登山を楽しめると推薦していたのは共産党なんですがね。まぁ登山は自分でしっかり自己判断してください。
下山か待機か……私ならこれ以上悪化することを恐れて、下山してしまいそう。難しい判断だね…
天候による危険よりも仕事を優先するのやっぱおかしいよな
正常性バイアスだね遭難する人って基本的に物事を楽観的に考えすぎ
そりゃ安全なとこでRUclips見てるだけの奴ならなんとでも言えるわな
50年前だから、今の最新ギヤなら命が守られたかも。もちろん過信は絶対ダメですが。😮😮
外に出た瞬間にホワイトアウト山の神様が今でちゃダメだ!と御告げしてると思わなかったのか?
私は、冬山には行かない事をお勧めします。そうすれb有冬山で遭難することは有りませんからね。
夏に雷の中を富士山登った事があるんだけど、本当に怖かった。運との戦いというか、近くに雷がいた....。しばらくしたら晴れてきたり、天候は急変するよね。夏に昇っても頂上は冬の寒さだし😢
雨具がないのに下山は自殺行為だよなぁ
それ、「山の天気は変わりやすい」なんて常識なのに雨具無しなんて考えられない。
なんかこーりん見るたびに「あっ遭難するな」って思ってしまう
※訂正※
14:07の字幕に 「こーりんの下山するという決断は」とありますが誤りで、正しくは
「たかはしの下山するという決断は」です。(画像はたかはしになっていますね)失礼いたしました。
ご指摘いただいた方、ありがとうございました!
行方不明者6名は未だに富士山で眠っておられるんだろうかだとすれば悲しすぎる。😭
下山を一日待ったグループは全員助かっているのですよね。
悪天候下での「決断」がいかに重いか分かる話です。
「明日は仕事だから下山しないと」はあちこちの遭難話で出てくる死亡フラグだな。結果論ではなしに仕事を判断材料に入れたこと自体が過ちだ。
日本人らしいよね
予備日を設けないことからして大問題だね。
時間ないなら登山するな。
飲んだら乗るなみたいに広めたい
死亡フラグは回収されるのが定めだからなぁ。立ててはいけない、ダメ絶対。
1971年の出来事なのに、その常套句は色褪せないな…
きもちは解るが無知すぎる。
私はこの人達ほど登山家ではありません。
しかし登山の工程は万が一の
ことがあるので必ず予備日を
設けます。
「何としても今日帰りたい」
この気持ちが判断を狂わせます。
小学生の頃、家族で須走から登りました。
来年も行こうねって話になり予定を立てたんですが前日に母親が歯痛により断念。
家でテレビを観ていたら落石のニュース。
家族で震え上がったのを思い出しました。
お母さんの歯が痛いに感謝ですね
お母さんは山の神様に好かれてたんじゃない?もはやお告げの域でしょう。
テリーマンの靴紐かな?
四十ニ、三年前に落石で十数人が死亡した登山史に残る落石事故です。 富士山は高山病、落石、滑落、凍死、落雷他、ありとあらゆる事故によって全国一の最多死亡者数の危険な山なのが知られてないですね。 これからも山頂には死神がオイデオイデをしている人懐こい山ですよ。
日航ジャンボ機墜落事故並みのラック、ですね。神に感謝。
正解は、『リスクを取りたくなければ冬山には逝かない』
これに尽きる
身も蓋もないけど、まさにその通り
大正解‼️
登山の事故は冬が多いですが、夏山だろうが、天候悪化や富士山のような高山だと気温も段違い。極論、山に登るなと
家から出ないのも正解じゃない?
それなりの山に登る時、特に冬山なんていう時は後ろに予備日を設けておくこと、あと職場の人に登山に行くのを伝えておくことが大事だなと思った。
あるあるだけど、命>仕事の判断が出来なくなるんだね。仕事なんてその人いなくても回るんだけどそれが理解できないんだよね。ある意味日本人独特の死亡理由な気がする
@@taro77793
というか命の危機だという実感が無さすぎる
正常化バイアスが働いて無意識に日常としての仕事に比重を置いてしまうのではないかと思う
平和ボケとも言えるかもしれないが
そもそも冬山で吹雪かれた時点で一般人感覚で言えば緊急事態なわけだからねぇ…
↑吾妻山でも明日仕事だから、と悪天候なのに下山を強行→遭難、登山届けをせず家族にも詳しく知らせなかった為、救助も遅れて7人中2人しか戻れなかった話がありましたね…😢
イキってるやつほど遭難する
登山やり続けてても初心者と思ってる奴の方が撤退しやすいから、ヤバい時の生還率が高い気がする
仮に、待機を選んだ結果「じっと待つ」ことしかできない状態で周囲がどんどん死んでいった場合の恐怖を想像すると、待機を選ぶ判断は自分にはできないんじゃないかなと思う動画でした…下山を選べば「もう行くしかないんだ」という感じで強制的に覚悟できてしまえそうだから、そちらを選んでしまいそうです。
逆に下山を選択したら助かって留まった人たちは亡くなった事例もあるだろうし、山の天気が読めないこともあって結局「結果論」にしかならないんだろうな…と思う
下山強行の根拠が「仕事」だから、それを「結果論」と言ってしまうのはあまりにも短絡的
@@akuwaEST
1日待てば必ず天気が回復するとわかっていて強行したわけでもないんだから、仕事「だけ」が根拠だと決めつけるほうが短絡的。下手すると何日も吹雪が続いて食糧がなくなるという事態も考えられるんだから、結局結果論。
ただまあ、確率的にはやはり悪天候のなか移動を強行すると大概悲惨なことになってる事例が多い
基本は雪洞掘れたら掘って無理ならテントとかで停滞、保温が助かる道かと
食料については予備を持っとくに限るけど、ぶっちゃけ水さえあれば全く食い物なくても1週間くらいは持つ
結果論とは言え外に出て即ホワイトアウトの状況なら明らかに無理だって分かる状況ではあるよなぁ
天候が良くならない可能性があるとは言えやはり待つべきだったように思う
父が大学で山岳部だったんだけど、リーダーの判断で生死を分ける場面があって生還出来たのはやっぱり命最優先でリーダーが判断したグループだったって言ってた
ちなみにその話、有名なクマ事件の話だった
この手の動画の遭難事件って、大体は準備不足とか、知識・経験不足が原因の起こるべくして起こる事故だけど、これは違うね。準備万端の経験豊富な人たちでもこんなことになってしまう。山を舐めてなくてもこうなるんだから、登山ってほんとに命がけなんだってことを再認識させられた。
別のコメントに何かあったけど、通常は予備日を設けるみたいだね。判断を狂わせないために
部下の言うことに耳を傾けて、気持ちに寄り添う優しい上司。これは登山のリーダーには当てはまらず、嫌われても安全第一でブレないほうが大事でしたね。
静岡山岳会の場合は留まってもテントが浸水しているんだから下山の判断はおかしくないと思う。ただ山小屋にいたのに清水山岳会はどうかと。ただ山小屋なのに雪が吹き込んでくるってポンコツだな。ちゃんと風雨を凌げたら下山を待つという決断ができたかもしれない。
3月ですからねー。
冬の厳しい気候で落石、雪崩、暴風などで壊れてしまっていたのかも知れませんね。
この時代の富士山だと山小屋の修理はいつやる事になっていたのかは知りませんが、真冬の間は手を付けなかっただろうと思います。。
大学のワンゲル部がクマに襲われまくった事件も怖いけどこれも…
50年前から日本人は出勤のために命を賭けてたんだな…
今より天気の情報を入手しにくい時代。
待って天候が回復するのか、判断が出来ないと下山を強硬してしまうのかも。
何日も吹雪が続くかも…
と考えると待機するのも勇気が要りますね。
不安との闘いでもあるかと
人間何もしていない場合、本当に助かるのかと苛まれるし
何か(下山)していると、ネガティブな事を考えず
助かる事をしている・努力は報われる・1歩づつ助かっている気になってしまうのではないかと
命を捨ててでも明日仕事に行くために下山する… 休んででもいいから下山して欲しかった…
このころは社畜であることが常識だった
@@akinasukizakura 昔と今で、 働き方のギャップがすごいよね。
でも、今でも残業という社畜がいることを忘れないで、、
そして文字通り命を捨てて奉仕しても、会社は何も報いてくれないのであった、、
身近によく登山する方がいますが、冬山には絶対に行かないと行ってました。どこかの大学の山岳部も冬の登山は禁止されてるそうです。
冬山はまじで魔界ですね
厳冬期の山は濡れる事が少なく、こういうみぞれの降る春の山の方が1番恐ろしい。水は液体の状態が1番温度を奪うからね。
夏山においても、「明日、仕事があるから今日中に帰らなければ・・」と無理をして滑落死する人は多いですね。
8月に富士急ハイランドに行った時、天気が崩れて真夏から真冬へと急変したことがある
それが富士山だったらと思うと夏でも登りたくない恐ろしいところだね あの日食べた温かい紅茶とワッフルセットを忘れない
8月なのに凍死するかと思った🥶
天気が悪い時は山小屋での「待機」が基本原則なんだよな。
正直、翌日の仕事の有無はそれほど関係無い話だと思う。
天候がいつ回復するかも分からない、体力も徐々に削られる状況なら、たとえ悪天候でも体力のある内に下山するというのはその場の選択として必ずしも間違いではない。
もし、悪天候が続いてたら山小屋に残っていた人たちが生還できなかったかもしれないし、救助要請されない状況で極寒の山小屋に残るというのも精神的にどれだけ保つことができるのか。
というわけで、この話のそもそもの原因は防水が甘かったということだけだと思う。
確か生還されたグループは1日ぐらい休んだって良い、強行して何かあったら1日で済まないぞの精神で待機してたんですよね
富士山は遠くから眺めるのが一番だなあ。と思う九州の民です。標高2000m以下の山がない九州から初めて山梨へ旅行して、富士山を見た時の衝撃と感動と同時に感じた畏怖感が忘れられないです。
当時と今の違い。
週休二日なんて言葉もなく、祝日があっても三連休じゃなかったはず。よほどの理由がなければ有給休暇も使えなかった。
ネットも携帯もなく、情報量が今より遥かに少ない。
一般的にはドーム天はなく、幌性の重くて風に弱い家型テントが主流だった。ヒマラヤ行くような人がどんなのを使っていたかは良くわからないが。
コンロもラジウスが主流で燃料は重い石油なので、あまり多くもっていかなかったかも。
寝袋な衣類も今ほど軽量で速乾性は期待できないのでは?
他にもいろいろあると思います。
そんなことから現代ではここまでの大惨事にはならないと思うが、念には念を入れて慎重な登山を心掛けたいものです
実際のところ、ただの台風でも2時間も外で耐久して無事でいられるか疑問だしね・・・
それが雪山での悪天候じゃ自分では判断ができません。
正直、下山するかとどまるかは難しい判断だと思う
つくづく冬山登山は時間と金に余裕の無い我々庶民がする遊びじゃ無いな、明日仕事があるからとか費用が勿体ないからとかで強行しないといけなくなる階層の人間がする趣味じゃ無い、金ならいくらでもつぎ込めるぞ、時間ならいくらでもあるから良いタイミングを待つぞ、と思えるような人種の物だよ
テントや防寒具が高性能だったら…。天気予報の精度がもっと高ければ…。1972年では、技術面も未熟。誰かが下山しなければ救助を呼べない時代。いろいろ考えさせられました。
私のホーム、六甲山のバリルート黒岩谷には、ケルン風の慰霊碑に「六甲を愛した○○君 1972.3.20富士山に眠る」とのプレートがあります。この事故で亡くなったんですね…
半世紀も前の話ですが身近に感じられます。
誰ですかそれ。有名な人だったんですかね。
山小屋を出たらホワイトアウトの時点で下山はムリ
過去の数々の悲劇が貴重なデータとなって現在の登山の安全性が高まっているから、尊い犠牲に敬意を表したい。
😊
そもそも富士山という日本最高峰の山なんだから道がいくら整備されてようがリスク高いと思う
事故が起きるのも止む無し
5:56 訓練続行か下山かの2択だったと提示しておいて、その2択なら下山を選択したのは間違ってないと思うんだけど、なんで下山を責めるようなセリフが入るのか? よくわからん。
仕事が翌日あるような人間は山登るな
少なくとも下山予定後2日位は余裕持って登山しろ
時間マネージメントもできない人間は登山するな
『明日外せない仕事があるから』
↑
回収出来ないフラグ
この頃のテントはすぐ浸水して使い物にならないですな
テントさえ浸水しなければ寝袋も濡れない。
さぞ寒かったろう
スケジュールがキチキチだと行動の判断に余裕が無くなるんだよな
ずーっと富士山に登りたいと思っていたけど、10キロあって、人と小屋が少ない時点で御殿場はないと思えた。体力には人より自信あるけど、安易に選ばないようにしよう。このチャンネルは意義がある!
40年前に突然、社長が富士山に登ります。
ひと声で登る事になり登りました。
福岡から新幹線で行きましたが
二度と登る気はありません
初日の出を見れた事には社長には感謝してますが下りの辛さは忘れません
社長が富士山登山の危険性を全く知らない人で驚きです。複数の社員を引率して事故が起きるのを想定してないですねと 私だったら当日 仮病を使って欠席します。 別の理由だけど高校の修学旅行を欠席しました。生命の責任者は「自分」ですから。登山で一人が負傷したら救助に最低 六人が必要ですよ。
昭和50年代では、さぞかし断りづらかったでしょうね('A`)
しかも地元でなく福岡から…
ご無事で何よりでした😢
山が、生きては返すものか!とありとあらゆる手段を使って命を奪おうとする恐ろしい感じがしました。次から次へと困難を仕掛けてくる。あと少し4合目まで来た時にさえ、「生きて返すものか!」と最後のトドメ雪崩には驚きました。
「登山時ゴミ袋持って行った方がいいぞ!」
って言う登山経験者。
万が一遭難した場合寒さを凌ぐ事も出来るし、沢の水を汲むのにも使えると言ってたな。
豪快に生大飲みながら私の肩バンバン叩きながら…
50年前のお話ですから、低体温症の認知度は低いかほぼ無かったと推測できます。
ただ、八甲田山のお話なら知っているでしょうから、風雨・風雪時は無理しないのがベターかと。
戦後復興したあと、昭和30年くらいから空前の大衆登山ブームですから、低体温症の認知はそんなに低くないんじゃないかな。いろんな大学がこぞっと山岳部を立ちあげ、いろんな山岳会が誕生し、老若男女問わず大勢の人たちが山を登って、遭難も多かったらしい。戦前も小中学校の遠足とか大衆が登山を楽しむ歴史はあったしね。
当時は天気予報も外れが多かっただろうし、ギアや登山ウェアのレベルも低かったと思うし。素人考えで春の富士山を侮っていたんでしょうね。
「低体温症」そんな文言はなかった。むかしは「疲労困憊による衰弱死・凍死」と一般にいいました。名前がついて適切に表現できることの良い例です。凍死する前の錯乱、意識障害などは認知されていましたが別個に表現される事象であり、一般的に知られているような知識では無かったです。
冬山での八甲田、夏山での木曽駒遭難事例はそこそこには知られていました。ですが1971年以降の新田次郎氏の小説で大きく知られるようになりました。それまではS38の薬師岳が有名でしたね。報道加熱の走りでもありました。
今年は富士山での遭難事故がかなり多いとのこと。
Tシャツ短パン片手に500のペットボトル一本持ってみたいな軽装で気軽に高尾山に行くみたいな感じの人が多いとか。
頭悪すぎる…
「♪ここぞ御殿場、夏なれば
我も登山を、試みん」
と、鉄道唱歌の昔から歌われていますものね。
ただし、冬山じゃない。
この手の動画にたまに出てくる信じられないくらいタフな人好き
「日本人にとって身近な富士山」と言うが、取り分け静岡清水の人たちにとっては「晴れていれば毎日見える山」。
遠くから来る人とは違った、油断に近い意識があるような気がする。
山登る人ってすごいと思う
疲れるだろうし虫とか嫌いだし綺麗なトイレもなさそうだしわざわざ寒かったり暑かったりするところに行こうって発想にならない
自然楽しみたいなら整備されてる公園行けばいいしスリル欲しかったら遊園地行けばいいし、なんなら家でゴロゴロしながらRUclips見てる方がいい
ゾンビとか出たら1番に死にそうな雑魚には野生で生きるのは無理
昭和登山はレジャー感覚が強いせいか予定をぎっちぎちに入れる無茶な登山を含めた旅行計画がまかり通っていた為、この手の無茶な登山も横行してたみたいですね。
(次の日休めないから何が何でも下山する等)休み時間や寝る時間は移動に組み込んでいたりね。 ソースは私の両親w 結局必要なのは登山歴より運じゃないかとすら思います。
こんなことになっても、無事に下山した人達ってまた登山する人が多いんだよ。懲りないっていうか業が深いなあって思う。
仕事の予定が入っているので、下山しないといけない?
勤勉な日本人らしい遭難事故だけど、なんだか悲しい。イタリアなら天候回復まで待てばいいじゃん、無理することなんてないよってなるのかな?
世界から称賛されている分刻みの正確な鉄道オペレーション技術なんかも素晴らしいんだけど、その裏には遅れや予定変更を許さないがゆえの犠牲も隠れているのでしょね。
現代の装備であれば、全く結果は違っていたと思われます。
1970年代は、毛糸と羽毛しかなく、ダクロンやクロロファイバー、ゴアテックスといった化繊類(これも 1990年代の用語ですが)がなかった時代に、食料切れと燃料切れは死を意味しました。
当時の装備でも防水性雨具など持っていれば助かったのでは?とも思いますね。ここまで寒いとレインウェアの内部が汗で濡れるリスクは低くゴアテックスなんて無くてもある程度雨に耐えられた思います
相応の覚悟と万端の準備……。
富士山に限らず山を舐めてはいけないですね。
遅刻や欠勤をしても死なないけど、間に合わせようと焦って慌てて無理をすると死ぬ可能性出てくるし、誰かを死なせる可能性も出てくる。
待機が厳しい状況であれば下山を選んでしまいそう
快適に待機できるための装備が必須なのかも
2:01「あえて御殿場ルートを使う理由はあるのか」←御殿場ルートは一年を通して風下に当たる。そして夏場は須走こと砂走の特性を生かして下山のルートとなる。登りに使うと足元の砂で労力がかなり余分に必要なのである。冬で凍結するとがぜん上りやすい道となるので冬場は上りのルートとしても主体となります。冬場に風の強い北側吉田口から登るのは飛ばされそうにキツイのです。
教訓は、必ず雨衣は携行することと、個人的な事情(仕事とか)を理由に無理を言う奴には付き合わないことだな。
「明日は大事な仕事があるから」というのは判断ミスに違いないですが、昭和47年という高度経済成長期の中では、現在よりも「仕事」にかける義務感と言うか優先度が重い時代だった…というのもあるかと思います…。😢
未知の状況での楽観視の危険性ですね
山に限らず、普段の生活でも
未経験の場面では最悪の状況を踏まえて
慎重に行動すべきなのでしょう
もし、自分がリーダーだったら
「下山する。」
と判断するでしょうね。
その場に留まっていて事態が好転するのはいつになるやら。
もっと悪くなるかもしれない。
と考えて。
この事例では逆でテントや山小屋で待機が正解ですが。
正確な判断は難しい。
夏でも富士山は天候が急変するとかなり過酷な状態になります。御殿場ルートは営業している小屋が限られていますので色々な条件が重なると大きな事故が起きる可能性がそれなりにあります。開放的な景観がここの良さであるとともに風雨を遮るものが少ないということであるので危ないという意識はどこかで持っていた方が良いと思います。
体感マイナス40℃とか業務用冷凍チャンバーと同じくらいだし、そりゃあ死ねる。
冬山なのに、春一番で5合目でもみぞれだったことが運命を分けましたね。雪山のつもりで防水装備が不足していたために、体を濡らし、結果的に低体温症につながってしまったように思えます。逆に登頂を目指したグループは高度が高かったから天候は雪となりテントが浸水することが避けられたのでしょうね。
このころはまだゴアテックスのギアなんて無いしね
テントも、冬山用なら軟骨格のかまぼこ型がありますけど、冬山用ゆえに防水性は乏しいでしょうしね。耐風性の高いドーム型テントが出たのは1970年ですが。
シュラフも冬山用なら防水性皆無の羽毛。
濡れても保温性を失わないモンベルのダクロンシュラフが出たのは1976年。それもスリーシーズン用。
現代の装備とは雲泥の差がありますよね。
仮眠してる所に雪崩ってのはひどすぎる・・・
夏場に御殿場ルート下山で濃霧になって、全然道が見えない中下った事あるけど、延々と続く道の長さに心が折れかけた。
吹雪でホワイトアウト状態でなんてまぁ、死にますわな。
なんで次の日仕事あるのに山登ってんだ…
まあその辺が昭和とかバブル期のノリよ
今で言うパリピみたいなもん
連休がめったにないしあっても日数が少ないから。今も連休の少ない人は翌日仕事でも登ってるよ。みんなに長期休暇のある国なら遭難してないかもね。
「明日は仕事だから下山しないと」の仕事>命なところが何とも日本人らしいなぁ…
まあ死ぬと思ってなかったんだろうけど、こと山とか海に関しては、仕事なんてどうでもいいよな。
一寸先は闇、死の世界なのだから
こういう状況に陥った時は、先の事ー例えば、今回の様に翌日は仕事だからとか、その場所に居る理由ー例えば、その山を登頂する栄誉だとか、といった余計な事を考えず、今この瞬間の、最良の選択肢を考える事が一番生存確率が高い気がします。
結局、余計な事を条件に入れて考えてしまった人たちが、間違ったと言うか死に至る決断をしてしまっている様に思うので。
5月の連休過ぎても
標高2000m以上の
山はまだ冬と
思わなくてはいけない。
富士山は回りに山が
ないからエベレストより
怖いと思わなくては
いけない。
私が初めて富士登山をしたのはこの御殿場ルート。よく下調べもしないで駐車場があるから利用した感じ。登山の途中で上の富士宮ルートからやたら人が出てきて、あんなルートがあるのかズルイと思い損した気分になっていたのを思い出した。
昭和四十七年だと まだ携帯の使い捨てカイロも無い時代だし
装備の素材が良くなかった時代ですね
マイナス20℃が風が吹くと更にマイナス10℃なのだし
吹雪くと見えないのが問題だよ
ワシントン山とか冬は雪がガンガンに降り 突風が荒れ狂うので
ほぼ誰も行かないらしいが 2000m足らずの山が豹変するのがエグいらしい
人が風で吹き飛んで行くのは見たくないよ
1970年、当時高校の山岳部でした。当時でもラジオで気象通報聞いて天気図作成して予報するのは高校の部活レベルでも実施していました。合宿でも夜は定時の気象通報聞くのは普通でしたけど。高体連の登山の県大会ではペーパーテストで天気図の作成とかあるので練習させられました。
低気圧の位置である程度冬型の天候は予測できますが、冬に春一番で雨の予報は出来なかったのでしょうね。
冬山で吹雪きだけだったら数日はテント停滞でしのげますが(冬は食料や燃料は予備は多めに持参します)当時の冬用天幕だと冬に雨だと濡れるでしょうね。最近の装備は良くなってるので冬に雨でも濡れにくいし、視界がわるくてもGPSがあるので体力があり、正常な判断力さえあれば遭難は発生しにくいですけど。
ギリギリの日程で冬山登山とかナメてんのかよ
現在登山者が使っている様なテントだったら浸水とかしないのかな?
50年前とは雲泥の差で性能良くなってるよね?
今の製品のレベルでも防水はすれども保温発熱はしないですから あくまでも新聞紙レベルと思ってたのが良いですよ。
ほんとわかりやすいです…。
冒頭の上空(?)の山の地図や、なぜ御殿場ルートが高難易度なのかの説明も含めて…!
私も麓晴れ 頂上で台風の様な風雨に見舞われた事があります。下山するなら体力と相談だよな!その時 頂上付近に山小屋が有った為 避難して無事でした。風雨は怖い体が濡れた時点で4へのカウントダウン。経験者とか初心者関係ない あるのは「待機行動か・下山行動か?の判断力のみ」
1972年となると、そもそも天気予報だってそれほど正確なものではなかったろうな。
安全や健康よりも仕事を優先したがる物好きってのは、今も昔もいるもんなんだなぁ。
標高の高いところに残った人の方が雪が乾いていたため、体温を奪われずに助かった。春山はミゾレや雨の方が怖い。
確か我妻山の遭難事故の時も「翌日に仕事があるから」という理由が判断に影響したような記憶がある。仕事どころか命を落としてしまっては元も子もない…
不思議なのはなんで山入るのに雨対策してないの??
よく登山遠足させられたけど、必ずカッパやビニールなど雨対策持たされたけどなあ
山でいきなり雨降るのは常識と思ってた
待機できる装備がないから下山したのに待機していればよかったとは・・・?
吹雪の中下山するよりも、装備はないけど山小屋で待機していた方が生存率が高かったのかも?
1日くらいなら耐えれるだろうし
@@てい-w5o
何日閉じ込められるか分からないので結果論すねぇ。こればっかりはラジオ持っていたかどうか、受信出来たかどうかもあると思います。
登山した後は疲れているから一日体を休めるためにも予備日くらい設けるべきだ
たとえ仕事を休むことになっていても命には代えられないし永久に仕事ができなくなる
雨対策も怠っていなかったら…「天候の回復を待つ」を選択していたと思う。「着衣等が濡れてしまう事」も、山では命取りだね…
最大要因です。第一次世界大戦の時にドイツ軍が塹壕戦を戦っていました。当時の兵装は現在の革靴と同じでした。 塹壕にヨーロッパの冷雨が溜まりドイツ軍の脚甲の負傷者が大量発生しました。 それ故にドイツ軍は敗戦しました。 ヒトラーは それに気付いてたのでドイツ軍人 全てをブーツ仕様にしたのです。
このゆっくり劇場の雰囲気、10年前のニコニコみ感じてすこ
テントも寝袋も浸水してるのに待ってても死ぬでしょ?
あんな状況に陥ってもまだ仕事のこと考えてるのは頭おかしい
~5:29当時のテントは、防水では無かったのですか?
防水と防寒具と懐中電灯と登山届は、必須ですね。🔦そもそも天候変わりやすいから、余裕ない3日という日程は、絶対に駄目ですね。😰
出社するためには危険でも行くのみ
さすが日本の社畜だ
国労「ストで電車止めるわ、ワイらの覚悟、労働者ならわかるやろ?」
サラリーマン「ふざけんなボゲぇぇぇ!仕事に行けんやろ!(激怒」「駅破壊しろ!スト起こした運転手吊し上げろ!」
国労「ひぃぃぃ!逃げるんご!ストはもうやめるんご!!」
サラリーマン「絶対許さん!国鉄は解体!国労は全員首じゃぁぁぁぁ!」
ストに厳しい日本のジャパニーズビジネスマン
@@さいざんす-s4t
スト権ストに対する一般市民の感情はシビアな民間から『生ぬるい親方日の丸』への反感もあったのでしょうね。
@@さいざんす-s4t
でもそのストのおかげで、日本社会全体の感覚が労働者有利になっていたのも事実。
バブルを経てそれが薄れて行った今は、地獄の経営者絶対状態。ブラック企業がはびこりまくりっ!。
オフシーズンに御殿場口が選好されるのは、アプローチの問題ですよ。他の登山口は、車道冬季閉鎖で、五合目のずっと下までしか、クルマで入れない。
てんきとくらすで当日A判定の日しか登らないようにしていますが、グループで予定を組むとそう言う訳にもいかないのでしょうね。
経験豊富な方でも遭難する事がある事を忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございました。
やっぱり余裕の無い登山なんてするもんさじゃ無いな。
他人事だから明日が仕事だからって死んだら何にもならないだろうに、と思ってしまうけど実際同じ立場だったら正しい判断ができるのかと言われると自信ないな
私も。しかも2時間の距離と言われたら下山できそうと思ってしまいそう
登山しないから分からんが、今ではこういう時のために山小屋には十分な電化製品や寝具なんかが常に完備されてたり、電気がバッチリ通ってたり、風雨に強い衣服やテント、寝具なんかが開発されたりしてるのだろうか?寒い中死んで行くって辛いだろうなあ・・
それ迄に同じ小屋で数十人が死んでいたから少しでも装備を揃えていったのです。八十年代、現 今上天皇の浩宮君が登山を楽しんでいました。 その直後に登山道にトイレ整備や山小屋整備が始まりました。 当時は日本 共産党は税金の無駄遣いとか物凄く批難しましたね。 後にサラリーマンとかが休暇に手軽、低経費で登山を楽しめると推薦していたのは共産党なんですがね。まぁ登山は自分でしっかり自己判断してください。
下山か待機か……私ならこれ以上悪化することを恐れて、下山してしまいそう。難しい判断だね…
天候による危険よりも仕事を優先するのやっぱおかしいよな
正常性バイアスだね
遭難する人って基本的に物事を楽観的に考えすぎ
そりゃ安全なとこでRUclips見てるだけの奴ならなんとでも言えるわな
50年前だから、今の最新ギヤなら命が守られたかも。もちろん過信は絶対ダメですが。😮😮
外に出た瞬間にホワイトアウト
山の神様が今でちゃダメだ!と御告げしてると思わなかったのか?
私は、冬山には行かない事をお勧めします。そうすれb有冬山で遭難することは有りませんからね。
夏に雷の中を富士山登った事があるんだけど、本当に怖かった。運との戦いというか、近くに雷がいた....。しばらくしたら晴れてきたり、天候は急変するよね。夏に昇っても頂上は冬の寒さだし😢
雨具がないのに下山は自殺行為だよなぁ
それ、「山の天気は変わりやすい」なんて常識なのに雨具無しなんて考えられない。
なんかこーりん見るたびに「あっ遭難するな」って思ってしまう