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毎年この季節は必ず思い返すようにしたいと思います。
何度も聞いているのに、飽きないしほかの怪談師とは違うなぁと、中山先生の話を聞くといつも思う😮中山先生の、怪異やオカルトに対してのスタンスもあるのかな💡⠜
私は、120年もの間、行軍を続けている方達のことを思うと、涙が出ます。もう、楽になって、安らかに眠って下さいと祈っています。
もう大丈夫ですよ。と伝える事ができたらいいですね。
ユーチューバーの中には、そーゆー能力持ってる人がたくさんいるのにね。
帰りたくてもかえれないんですよ、身体が凍って、うごかないんです、こえを出そうにも、舌と喉ごこおって、声も出ないんです。でも、軍隊長が言うんです…「タヒぬな!それでも日本軍人かっ!生き残って家にみんなで帰るんだ!……と」
後藤伍長も分かりますが、案内役をしてくださったマタギの方達の事も称賛するに値するものと思いますが。八甲田山の悲劇は元はと言えば、マタギの方達の忠告を無視して強行した結果が招いた悲劇です、軍隊に良いように扱われ、凍傷によって手足を失ってしまったマタギの方達の苦労を労うのが第一ではないかと思います。
賛同します
私も噂に聞きました小学生から霊能力を持って20歳から沖縄やグアムに行って供養に行って来ました八甲田山は今の私に行けるかわかりませんが弟子に繋げて供養したいと思います動画ありがとうございます
何年か前に、八甲田山に泊まりましたね。ガイドさんがあそこで誰々さんが殉職された所ですとか説明していましたね。泊まるのはスキーやるバンガローで、夏なのに雪上車がありました。寝ていて悪夢を見て目が覚めたのを憶えています。私の祖父も日露戦争で、乃木大将の第三軍に従軍して旅順の二〇三高地、遼陽城会戦、奉天会戦と転戦して3月9日に戦死しました。二十三歳です。あと1日生きていれば日本が勝利して帰って来れたのに。3月10日は、陸軍記念日です。手紙には、物凄く寒い場所で、雲のように煙が上がり、ワーワーツと日本軍が突撃する声があちこちから蝉のように聞こえると書いてあります。当時は乱戦で切り合いだったようですね。
お祖父様は203高地にも従軍なされたんですね。うちの先祖も第十一師団で同じく第三軍の所属でした。お祖父様の所属師団ももしかすると、同じかもしれないと思い気になりました。第一、第七、第九もいるので四分の一の確率ですが…
その前にお子さんを残されてたんですね…お祖母様は頑張って女で一つで育て上げられた、生き承認として、後世の日本の子どもたちに歴史を話していって上げてほしいです。わたしの曽祖父も日本海軍、戦艦は「長門」に16歳で乗船していたそうです。戦後は生き残り、93歳まで生きていました。戦争のことは殆ど私達身内にさえ話さない方だったので、あまり知らないのですが、先人たちの日本を守る戦闘や訓練のおかげで、いまの日本があると思うと。涙がでそうになります。
あまりにも傷ましく死を覚悟した時兵士達は何を思われたか胸が痛みます。帰りたかったでしょう。家族に会いたかったでしょう。どうか御霊が安らかに暖かく眠られる事を心から祈ります。🙏
八甲田山の遭難事故を学生時代に新田次郎の本と映画で知りました。今は成人した息子がおります。最近では八甲田山の怪談には恐怖より、家に帰りたかっただろう若い英霊に悲しみを覚えるようになりました。
何度聴いても恐ろしい、でもそれだけで終わらない。どんなに怖かっただろう、帰りたかっただろう、無念だっただろうと思うと、恐ろしさの次に来るのは悲しみと英霊を悼む気持ちです。彼らのことを忘れてはいけないですね
それにしても腑に落ちないのは「幸畑,田茂木野,田代平には少ないながらもそこで暮らす人が居たのに事前に現地調査とかしなかったのか?」という事。真冬の八甲田山麓に降る雪はサラサラしたパウダースノーなのでスキー履いてても膝ぐらいまで埋もれます。かなり傾斜がないと自然滑走しないくらいに動き難くなります。うっかり転ぶと立ち上がるには、周りを転げ回って雪を押し固め足場を作らないと立ち上がる事すらできません。そんな所を歩いたら腰まで雪に埋もれてしまい、水泳プールを歩くのに近い抵抗があるのは想像に難くありません。
英霊に捧げつつ
この遭難事件は新田次郎の小説で読んだことがある。当時は自分自身も冬山を単独でテント泊で歩いていた頃だった。先に結論を言えば、冬山の事を全く知らない陸軍幹部の計画があまりにも杜撰だったことが遭難事故の原因である。せめて地元のマタギに冬山の基礎知識を教授してもらえば良かった。だが当時の陸軍は誰かの教えを乞うような謙虚な人たちではないから教えを受けたとしても自説に拘りやはり遭難したであろう。無知の人たちが無謀にも冬装備もせずに雪山に入って行った。現代でも冬山に登る時の装備では第一番目に専用の登山靴が必要だ。特に雪山に適した登山靴は夏のそれとは全く異なり夏靴で雪山を歩けば足先から凍傷にかかってしまう可能性が高くなってしまう。また現代では防水防寒に適した化学繊維が発明されておりそれらを着れば少々の雪でも身体が濡れることなく寒さも相当我慢できる。またコンロなども高山用のガスボンベやガスコンロも開発されており3千m高所でも調理ができる。携帯食料も開発されて素早く簡単に調理ができて口にできる食料が沢山ある。だがこの軍隊では冬山では持っていくべきではないおにぎりを大量にもっていき、寒さで凍ってしまい口にすることも出来なかった。今ではアルファア米という便利な米がある。お湯を米の袋に入れて数分待てばご飯になるというものだ。雪山でこれも試したことがあるが本当に便利だ。現代の最新科学で作られた装備や食料を持参しても実際の雪山は天候が急変してしまう。私もテントで寝ていて夜半に吹雪いて雪がテントに積もり潰されそうになったので夜中に起きて雪降ろしをしたことがある。その時の周囲は真っ暗闇の中でじぶん一人だけがテントに宿泊しているし山に吹く風と雪が吹き付ける音だけが響いていた。当時はSONYのウオークマンを持っていたが、電池は低温で劣化するので寝袋の中で素肌で温めておいた。かろうじて洋楽が聞けて寂しさと不安を慰めてくれた。だが、音も消えてしまうと夜中に急にテントの周りを歩いている足音が聞こえ始めて目が覚めた。ザックという雪を踏みしめる音がテントの周囲を回っている。靴は脱いでいるのでこのまま飛び起きて外に出るわけにもいかない。静かに起きて暗闇の中で身支度をしてゆっくりとテントのファスナーを少し開けて外を観察したがだれもいない。ピッケルだけしっかり握っていたが、もし熊だったら食料品の臭いで襲われてしまうかもしれない。また寝袋に横たえているとやがてまた足音が聞こえてくる。こんなことを一晩中繰り返して夜が明けた。テントの周りは雪が吹き溜まりになっており半分雪に埋まっていた。早速今日登る山の登山準備をして歩き始めた。ちなみにこの時の戦争(日露戦争)の費用はユダヤ系の富裕層から借りている。日本がこの借金を返済したのは80年代だそうだ。
八甲田山、昔映画を見たよ。まだ子供だったけど、家族と、親戚が来てる時にテレビでやってたんだよね、確か。だけど凄く悲しく可哀想だったよ。
中山先生の八甲田山何度聴いただろう何度聴いても飽きないんですよね
英霊に敬意を持って怪談を語る中山市朗先生は、本当に素敵な方です。
橋本京明先生も以前ご自身の動画でこの地を訪れた際に、今も行軍を続けてると仰っておられました😢日本に対しての忠誠心に感動すら覚えますが、もう寒い思いをせずに温かい天国で安らかに過ごして欲しいと願います😢
「先人のお陰様」という感謝の気持ちは本当に大事だと思います🙏
今までのオカルトエンタメ大学の中で一番時間を忘れて観れた。
先人の命を頂いて現在の日本がある事を有り難く思います。多くの日本人にも知ってもらいたいです。共有させてください。
あまりの凍てつく寒さで遺体はほぼ凍りついてた見たいですね😨 腐乱せず綺麗なまま発見されたのがせめてもの救いだったのかもしれませんね、、、。英霊たちの御冥福をお祈り致します🙏
天気がいいと家から八甲田山が見えますが綺麗だけど悲しい山でもあるなと思い見ています。
体験者の人とだいたい同年代ですけど、子供の頃に映画が大ヒットしたので、事件のことを全く知らない可能性は低いように思います。
三戸出身ですけど、子供の時によく後藤伍長の銅像付近で遠足してご飯食べた事ありますよ、近くの資料館でも。 普段は綺麗な場所ってイメージがあるけど、八甲田の事件を教えてもらった時は本当可哀想だなと思いました。 自分の知識を過信して傲慢になってはいけないってよくお爺ちゃんが言ってました。
これは永久保存版ですね!まとめて見ることができてとてもありがたいです。中山さんたちの取材のスタンスも好きですし、加藤さんのお話もとても貴重です。中山さんの質問や取材で疑問も解けました。非常に興味深く、テーマ自体に元々関心があることもありますが、現代への問題提起・教訓も大きくて、聴きながらわき上がってくる思いもまたいろいろあります。人の感情・情念が深く表現される、また「アタマ」で割り切れないものに触れる、「怪談」というものを通すことによって、戦争・歴史などが、生々しく現代に再生され、想像・追体験されることは、人間の文化の智恵だと思います。
どうして仏様はこんなに辛い思いをして亡くなった方々の魂を救って下さらないのでしょうか?それとも魂は上にいってみえるのに、念とゆうのか思いだけがそこにとどまっているのでしょうか?
こうしたレポートや怪談を持っている事も中山さんが他の怪談師とは何段もレベルが違う証明なんだよなぁ🤔
確かに!今の怪談師さんの中にも怪談を蒐集してそれに対して調べたりしてる方も沢山いるけれど、中山先生って調べるだけじゃなくて深く深く追求しているというか…それを怪談のオチとするわけではない…私は中山先生の、怪異やオカルトに対するスタンスが好きです😊
映画のお話しなかのかわかりませんが、他の隊員の隊長が意地悪して、道を、間違いのを教えて、遭難したと、思いました。
壮大な課外学習でした。私も以前、映画を拝見しましたが…あまりにも辛い現状で…とても再度見る気になれません。中山先生の真摯な姿勢に感動でした。
中山先生は怪談の語り手としても国宝級の人だと思いますが、英霊に敬意を示され、安易に先達を断罪されるような愚を犯さない辺りに人としても一流の人であると感じます。
中山先生の八甲田山はいつ視聴しても飽きないし興味が湧きます👍
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます!
良き課外授業有り難うございました!
オカルトエンタメ大学名誉学長 中山市朗先生で良いと思う。
同感です👍
世界史に残る資料です。
私青森出身なので雪中行軍の怪談は何度も聞いた事があります。中山先生と一緒に行きたかったです。秋の紅葉シーズンに行かれたんですね。
中山先生お疲れ様でした。凄く勉強になりました‼️やはり、中山先生は素晴らしい❗
このガイドの人は人格者だね。
テレビやネットで豪語している霊能者が成仏させてあげられないのでしょうか?全国のお坊さんや有志の方々でみんなで慰霊祭をしてあげたいです。😢💐🙏
藁沓は軍靴の鉄鋲に冷気が伝わり凍傷になるのを防止するのにある程度は役に立ったと思います。スターリングラードで包囲されたドイツ・ルーマニア軍は足の凍傷を避けるため応急でブーツに布などを巻き付けていました。
八甲田山の映画、見ました。凄い映画でした。お話しを聞くと、前人未踏の、全く初めての試みだったのですね。こういう資料館などがあるのですね。行ってみたいです。素晴らしいレポートでした。 皇国の興廃、この一戦にありとの思いで日露戦争を、一丸となって戦ったのですが、無理を押して戦ったのはもう一つ、理由がありました。関税自主権を認めさせるためです。この戦争を戦っている時、日本は、関税自主権が無く、殖産興業を育てるにも非常に不利な状況でした。国力を高めるためには、どうしても関税自主権を回復させることが国是でした。この目的があったこともあり、国力差10倍のロシアに対して、開戦を決断しました。
私も映画みました‼️すごかったー😱
中山先生。校外学習、ありがとうございます。
先ずは寒さの中での食事の取り方から訓練すればよかった。寒さは兵器にも勝る最近詳しく知りましたが、もっともっと知りたくなる一方です
聴けば〜〜〜〜聞くほど😩😩😔‼️やりきれない、話しですなぁ~~~😭😭😭😭😭🎍
子供の頃に、映画の八甲田山をテレビで家族が見ていて、自分も見ていたんですが、だいぶトラウマになってしまいました。長い間避けてましたが、大人になった今、自分の生まれた青森で起こった事故を勉強出来てよかったと思っています。
中山先生だ!嬉しい😄
中山先生お疲れさまでした。映画、原作そして八甲田山遭難事件の真実にせまるドキュメンタリーのDVDにも目を通しました。どれほど無念だったかと思います。英霊の御霊に少しでも想いを寄せ手を合わせる気持ちを私たちは持たなければなりませんね。弘前歩兵第三十一連連隊の兵隊さんのお孫さんである間山元喜さんという方の講演もyoutubeで上がっています。ご参考になればと思います。
待ってました!
中山先生 いつも怪談ありがとうございます。八甲田山の怪談で トイレの幽霊の話をされて1995年頃と話されていましたけれど私は弘前市出身で 当時夜間の看護学校に通っていました。授業の最後に 講師のDrが 昨日こんなことがありました。青森市のカップルが八甲田山にドライブに行ってトイレに行き 男子が先にトイレを終えると雪中行軍の幽霊に 囲まれてしまい 彼女を忘れて家に戻り 次の日に探しに行ったら 髪の毛が真っ白になり 精神がおかしくなり入院したと聞きました。皆さん信じますか?と言ってました。1989年11月だったと思います。
私も母から同じ話を聴いた事があります。八甲田は9月でも夜になると寒くて宿泊先でストーブ焚きました。
八甲田山、嬉しいです!
2回見ました👮中山先生の別動画も見たことがありましたが、今回はより深いまとめでさらに感慨深い1本🙄来週命日なんですね🙄当時の隊員に想いを馳せ...✨🥀
霊魂は、生霊みたいに本体と強く思う念、で分離したりはしないんでしすかね🤔英霊としての本体から分離した、人間の感情としての存在、なら同じ格好でありながら、英霊らしからぬ他者を恨めしく思って何かしてしまう、ということもありそう🤔
人は、とんでも無く~~~~酷い目に会わないと、改革しないからな~~~😔😔😔🎍
NHKのドキュメンタリー以上のクオリティ。オカルトの域を超えて、日本の文化です。
野外授業もいいですね!!!
音声すごいノイズですね。戦争も遭難ももう起きてほしくないですね。
取材いただきありがとうございました。英霊に代わりまして感謝申し上げます。元東北方面隊第9師団青森駐屯地代5普通科連隊。もう一度深夜に英霊地にご供養いただく機会があればお線香やお酒をお供え品として持参いただき深夜零時から二時半に後藤伍長銅像奥の林100m付近にて待機取材されれば体験されこともあるでしょう
27:15からのミニシアターの横になんでハングル文字があるんだろう。
大変素晴らしい動画です、私は前世が明治天皇の妃でした、堀川武子、現在は老人です夏頃に八甲田山に行って供養に行きたいと思っています小学生から霊媒体質なので、今現在も毎日亡くなった方々が視えます
八甲田の晩秋の紅葉がきれいです🍁
八甲田山のこの話は有名ですが ひとつも怖くない八甲田山の日本軍の英霊たちに会って頭下げたいです。
英霊に敬意を😢
中山先生の現場検証、良いですね👍‘山の牧場’も不思議で好きですね…。
なるほどねぇ😭😭😭😭‼️風🍃の~~読み方が~~~解らず、失敗の~~~要因😭😭😭😭🎍
新耳袋と聞くと、他の怪談とは違ういっそうな恐怖感がでるのはなんでだろう
わらの靴履いて腰まで雪に埋まって進んでいたならどうして軍靴の音が聞こえるんだろ?
ん〜、聞いた人はここの話を知って来ているわけで、だから藁の靴で雪をふむような音だとしても、兵隊!そして行進!という先入観もあるから、軍靴の音として聞こえてるのではないかと!みる、聞こえる、気配…波長があっているのはもちろんですけど、受け取り側の問題かなと!それが、怪異の不思議なところですよね!
ruclips.net/video/pvwSBt0qilc/видео.htmlこのお話を聞くたび、黒澤明の『夢』にある、トンネルの向こうから行進してくる英霊たちのエピソードを思い出します。
手塚治虫のどろろみたいな話ですね。
なぜ英霊が罪もない。大学生3人をあの世に連れて行ったのか?🫣
最近、当時の八甲田山の気象状況をアメリカの気象衛星の記録で解明されて、当時の気象状況は差ほど荒れていなくて、遭難の原因は、全員が綿の下着を着ていて、それが原因で全員で凍傷になり、死亡したのでは、と解析されております、山登りする人は、絶対に綿の下着を着てはいけなくて、化繊の下着を切るのが鉄則と言っています、
午前十時の映画祭で八甲田山初めて観たんですが、めちゃくちゃ面白かったです。
2度と戦争はしちゃいけないですね
ロケ😂ありがとうございます♡
冒頭の大学生、セルが回るならライトも点くしクラクションも鳴っただろうに!😂
えらく完成度の高いドキュメントですね。(もしかしたらTV局での放映用素材かもしれませんが…)明治陸軍の軍服を見ると映画「二百三高地」を思い出します。子供の頃は映画「八甲田山」と、僕の父が所有していた書籍に載っていた遭難場所の地図(遭難者発見場所に×印が付いている)は、辛くて見てられませんでした…
我々で取材・撮影したものですよー
@@オカルトエンタメ大学面白かったです!オカルトエンタメ大学さんは民放とかの番組制作もしているのかと思ったくらいです。お金かかってそうなので、企業スポンサーがつくのを願っています!
誰か上に上げてください。霊能者でもできないのかな。凄い人いないのかな。
中山先生、息切れしてますよ…
スキー🎿をしに行った。僕のスキーは下手でしたので苦い思い出。
後藤伍長・・・・・😰😭‼️立ったまま、雪に埋まってた~~😨‼️唯一の~~~生き残り🤔😔🎍
ロケ良いね😂お身体に気を付けてねこれからもロードワークをみせてください!!…若い頃、もっと色々歩き回って勉強しとけばよかったなぁ…😢
春日太一さんと対談をー!
こんばんは
日本国の~~~為に、😌‼️死んでまで、練習に〜〜〜励むとは・・・・😮💨😩‼️頭が、下がる想いです🥲‼️ですが、これ以上は、安らかに😌‼️お休み下さい😔😔😔‼️あなた達の~~~お陰で、今の~~~日本が~~~有るのですから😩😩😩😩🎍
その心霊体験をした元大学生に会えないの?なんとか手を打って。木原さんとかにツテを辿って
確か、1人以外亡くなったという後日談ありませんでしたっけ?新耳袋ではそこまで話は載せられなくて載せてなかったと思いますが…
この〜〜〜〜〜話は、まさに戦争が~~~無きゃ~~~起きなかった、😤😤😤😤‼️悲劇です😤😤😤😤🎍
銅像茶屋廃棄してしまったな
発光田山の快
二度と、戦争は〜〜〜〜するもんじゃ無いですね~~~😤‼️大マジで😓😓😓😓🎍
毎年この季節は必ず思い返すようにしたいと思います。
何度も聞いているのに、飽きないしほかの怪談師とは違うなぁと、中山先生の話を聞くといつも思う😮中山先生の、怪異やオカルトに対してのスタンスもあるのかな💡⠜
私は、120年もの間、行軍を続けている方達のことを思うと、涙が出ます。もう、楽になって、安らかに眠って下さいと祈っています。
もう大丈夫ですよ。と伝える事ができたらいいですね。
ユーチューバーの中には、そーゆー能力持ってる人がたくさんいるのにね。
帰りたくてもかえれないんですよ、身体が凍って、うごかないんです、こえを出そうにも、舌と喉ごこおって、声も出ないんです。でも、軍隊長が言うんです…「タヒぬな!それでも日本軍人かっ!生き残って家にみんなで帰るんだ!……と」
後藤伍長も分かりますが、案内役をしてくださったマタギの方達の事も称賛するに値するものと思いますが。八甲田山の悲劇は元はと言えば、マタギの方達の忠告を無視して強行した結果が招いた悲劇です、軍隊に良いように扱われ、凍傷によって手足を失ってしまったマタギの方達の苦労を労うのが第一ではないかと思います。
賛同します
私も噂に聞きました小学生から霊能力を持って20歳から沖縄やグアムに行って供養に行って来ました八甲田山は今の私に行けるかわかりませんが弟子に繋げて供養したいと思います動画ありがとうございます
何年か前に、八甲田山に泊まりましたね。ガイドさんがあそこで誰々さんが殉職された所ですとか説明していましたね。泊まるのはスキーやるバンガローで、夏なのに雪上車がありました。寝ていて悪夢を見て目が覚めたのを憶えています。私の祖父も日露戦争で、乃木大将の第三軍に従軍して旅順の二〇三高地、遼陽城会戦、奉天会戦と転戦して3月9日に戦死しました。二十三歳です。あと1日生きていれば日本が勝利して帰って来れたのに。3月10日は、陸軍記念日です。手紙には、物凄く寒い場所で、雲のように煙が上がり、ワーワーツと日本軍が突撃する声があちこちから蝉のように聞こえると書いてあります。当時は乱戦で切り合いだったようですね。
お祖父様は203高地にも従軍なされたんですね。うちの先祖も第十一師団で同じく第三軍の所属でした。お祖父様の所属師団ももしかすると、同じかもしれないと思い気になりました。第一、第七、第九もいるので四分の一の確率ですが…
その前にお子さんを残されてたんですね…お祖母様は頑張って女で一つで育て上げられた、生き承認として、後世の日本の子どもたちに歴史を話していって上げてほしいです。わたしの曽祖父も日本海軍、戦艦は「長門」に16歳で乗船していたそうです。戦後は生き残り、93歳まで生きていました。戦争のことは殆ど私達身内にさえ話さない方だったので、あまり知らないのですが、先人たちの日本を守る戦闘や訓練のおかげで、いまの日本があると思うと。涙がでそうになります。
あまりにも傷ましく
死を覚悟した時兵士達は
何を思われたか
胸が痛みます。
帰りたかったでしょう。
家族に会いたかったでしょう。
どうか御霊が安らかに
暖かく眠られる事を
心から祈ります。🙏
八甲田山の遭難事故を学生時代に新田次郎の本と映画で知りました。今は成人した息子がおります。最近では八甲田山の怪談には恐怖より、家に帰りたかっただろう若い英霊に悲しみを覚えるようになりました。
何度聴いても恐ろしい、でもそれだけで終わらない。どんなに怖かっただろう、帰りたかっただろう、無念だっただろうと思うと、恐ろしさの次に来るのは悲しみと英霊を悼む気持ちです。彼らのことを忘れてはいけないですね
それにしても腑に落ちないのは「幸畑,田茂木野,田代平には少ないながらもそこで暮らす人が居たのに事前に現地調査とかしなかったのか?」という事。
真冬の八甲田山麓に降る雪はサラサラしたパウダースノーなのでスキー履いてても膝ぐらいまで埋もれます。かなり傾斜がないと自然滑走しないくらいに動き難くなります。うっかり転ぶと立ち上がるには、周りを転げ回って雪を押し固め足場を作らないと立ち上がる事すらできません。
そんな所を歩いたら腰まで雪に埋もれてしまい、水泳プールを歩くのに近い抵抗があるのは想像に難くありません。
英霊に捧げつつ
この遭難事件は新田次郎の小説で読んだことがある。当時は自分自身も冬山を単独でテント泊で歩いていた頃だった。先に結論を言えば、冬山の事を全く知らない陸軍幹部の計画があまりにも杜撰だったことが遭難事故の原因である。せめて地元のマタギに冬山の基礎知識を教授してもらえば良かった。だが当時の陸軍は誰かの教えを乞うような謙虚な人たちではないから教えを受けたとしても自説に拘りやはり遭難したであろう。無知の人たちが無謀にも冬装備もせずに雪山に入って行った。現代でも冬山に登る時の装備では第一番目に専用の登山靴が必要だ。特に雪山に適した登山靴は夏のそれとは全く異なり夏靴で雪山を歩けば足先から凍傷にかかってしまう可能性が高くなってしまう。また現代では防水防寒に適した化学繊維が発明されておりそれらを着れば少々の雪でも身体が濡れることなく寒さも相当我慢できる。またコンロなども高山用のガスボンベやガスコンロも開発されており3千m高所でも調理ができる。携帯食料も開発されて素早く簡単に調理ができて口にできる食料が沢山ある。だがこの軍隊では冬山では持っていくべきではないおにぎりを大量にもっていき、寒さで凍ってしまい口にすることも出来なかった。今ではアルファア米という便利な米がある。お湯を米の袋に入れて数分待てばご飯になるというものだ。雪山でこれも試したことがあるが本当に便利だ。現代の最新科学で作られた装備や食料を持参しても実際の雪山は天候が急変してしまう。私もテントで寝ていて夜半に吹雪いて雪がテントに積もり潰されそうになったので夜中に起きて雪降ろしをしたことがある。その時の周囲は真っ暗闇の中でじぶん一人だけがテントに宿泊しているし山に吹く風と雪が吹き付ける音だけが響いていた。当時はSONYのウオークマンを持っていたが、電池は低温で劣化するので寝袋の中で素肌で温めておいた。かろうじて洋楽が聞けて寂しさと不安を慰めてくれた。だが、音も消えてしまうと夜中に急にテントの周りを歩いている足音が聞こえ始めて目が覚めた。ザックという雪を踏みしめる音がテントの周囲を回っている。靴は脱いでいるのでこのまま飛び起きて外に出るわけにもいかない。静かに起きて暗闇の中で身支度をしてゆっくりとテントのファスナーを少し開けて外を観察したがだれもいない。ピッケルだけしっかり握っていたが、もし熊だったら食料品の臭いで襲われてしまうかもしれない。また寝袋に横たえているとやがてまた足音が聞こえてくる。こんなことを一晩中繰り返して夜が明けた。テントの周りは雪が吹き溜まりになっており半分雪に埋まっていた。早速今日登る山の登山準備をして歩き始めた。
ちなみにこの時の戦争(日露戦争)の費用はユダヤ系の富裕層から借りている。日本がこの借金を返済したのは80年代だそうだ。
八甲田山、昔映画を見たよ。まだ子供だったけど、家族と、親戚が来てる時にテレビでやってたんだよね、確か。だけど凄く悲しく可哀想だったよ。
中山先生の八甲田山
何度聴いただろう
何度聴いても
飽きないんですよね
英霊に敬意を持って怪談を語る中山市朗先生は、本当に素敵な方です。
橋本京明先生も以前ご自身の動画でこの地を訪れた際に、今も行軍を続けてると仰っておられました😢
日本に対しての忠誠心に感動すら覚えますが、もう寒い思いをせずに温かい天国で安らかに過ごして欲しいと願います😢
「先人のお陰様」という感謝の気持ちは本当に大事だと思います🙏
今までのオカルトエンタメ大学の中で一番時間を忘れて観れた。
先人の命を頂いて現在の日本がある事を有り難く思います。多くの日本人にも知ってもらいたいです。共有させてください。
あまりの凍てつく寒さで遺体はほぼ凍りついてた見たいですね😨 腐乱せず綺麗なまま発見されたのがせめてもの救いだったのかもしれませんね、、、。
英霊たちの御冥福をお祈り致します🙏
天気がいいと家から八甲田山が見えますが綺麗だけど悲しい山でもあるなと思い見ています。
体験者の人とだいたい同年代ですけど、子供の頃に映画が大ヒットしたので、事件のことを全く知らない可能性は低いように思います。
三戸出身ですけど、子供の時によく後藤伍長の銅像付近で遠足してご飯食べた事ありますよ、近くの資料館でも。 普段は綺麗な場所ってイメージがあるけど、八甲田の事件を教えてもらった時は本当可哀想だなと思いました。 自分の知識を過信して傲慢になってはいけないってよくお爺ちゃんが言ってました。
これは永久保存版ですね!まとめて見ることができてとてもありがたいです。中山さんたちの取材のスタンスも好きですし、加藤さんのお話もとても貴重です。中山さんの質問や取材で疑問も解けました。非常に興味深く、テーマ自体に元々関心があることもありますが、現代への問題提起・教訓も大きくて、聴きながらわき上がってくる思いもまたいろいろあります。人の感情・情念が深く表現される、また「アタマ」で割り切れないものに触れる、「怪談」というものを通すことによって、戦争・歴史などが、生々しく現代に再生され、想像・追体験されることは、人間の文化の智恵だと思います。
どうして仏様はこんなに辛い思いをして亡くなった方々の魂を救って下さらないのでしょうか?それとも魂は上にいってみえるのに、念とゆうのか思いだけがそこにとどまっているのでしょうか?
こうしたレポートや怪談を持っている事も中山さんが他の怪談師とは何段もレベルが違う証明なんだよなぁ🤔
確かに!今の怪談師さんの中にも怪談を蒐集してそれに対して調べたりしてる方も沢山いるけれど、中山先生って調べるだけじゃなくて深く深く追求しているというか…それを怪談のオチとするわけではない…私は中山先生の、怪異やオカルトに対するスタンスが好きです😊
映画のお話しなかのかわかりませんが、他の隊員の隊長が意地悪して、道を、間違いのを教えて、遭難したと、思いました。
壮大な課外学習でした。私も以前、映画を拝見しましたが…あまりにも辛い現状で…とても再度見る気になれません。中山先生の真摯な姿勢に感動でした。
中山先生は怪談の語り手としても国宝級の人だと思いますが、英霊に敬意を示され、安易に先達を断罪されるような愚を犯さない辺りに人としても一流の人であると感じます。
中山先生の八甲田山はいつ視聴しても飽きないし興味が湧きます👍
ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます!
良き課外授業有り難うございました!
オカルトエンタメ大学名誉学長 中山市朗先生
で良いと思う。
同感です👍
世界史に残る資料です。
私青森出身なので雪中行軍の怪談は何度も聞いた事があります。
中山先生と一緒に行きたかったです。
秋の紅葉シーズンに行かれたんですね。
中山先生お疲れ様でした。凄く勉強になりました‼️
やはり、中山先生は素晴らしい❗
このガイドの人は人格者だね。
テレビやネットで豪語している霊能者が成仏させてあげられないのでしょうか?全国のお坊さんや有志の方々でみんなで慰霊祭をしてあげたいです。😢💐🙏
藁沓は軍靴の鉄鋲に冷気が伝わり凍傷になるのを防止するのにある程度は役に立ったと思います。
スターリングラードで包囲されたドイツ・ルーマニア軍は足の凍傷を避けるため応急でブーツに布などを巻き付けていました。
八甲田山の映画、見ました。凄い映画でした。お話しを聞くと、前人未踏の、全く初めての試みだったのですね。こういう資料館などがあるのですね。行ってみたいです。素晴らしいレポートでした。
皇国の興廃、この一戦にありとの思いで日露戦争を、一丸となって戦ったのですが、無理を押して戦ったのはもう一つ、理由がありました。関税自主権を認めさせるためです。この戦争を戦っている時、日本は、関税自主権が無く、殖産興業を育てるにも非常に不利な状況でした。国力を高めるためには、どうしても関税自主権を回復させることが国是でした。この目的があったこともあり、国力差10倍のロシアに対して、開戦を決断しました。
私も映画みました‼️すごかったー😱
中山先生。校外学習、ありがとうございます。
先ずは寒さの中での食事の取り方から訓練すればよかった。寒さは兵器にも勝る
最近詳しく知りましたが、もっともっと知りたくなる一方です
聴けば〜〜〜〜聞くほど😩😩😔‼️やりきれない、話しですなぁ~~~😭😭😭😭😭🎍
子供の頃に、映画の八甲田山をテレビで家族が見ていて、自分も見ていたんですが、だいぶトラウマになってしまいました。長い間避けてましたが、大人になった今、自分の生まれた青森で起こった事故を勉強出来てよかったと思っています。
中山先生だ!嬉しい😄
中山先生お疲れさまでした。
映画、原作そして八甲田山遭難事件の真実にせまるドキュメンタリーのDVDにも目を通しました。どれほど無念だったかと思います。英霊の御霊に少しでも想いを寄せ手を合わせる気持ちを私たちは持たなければなりませんね。
弘前歩兵第三十一連連隊の兵隊さんのお孫さんである間山元喜さんという方の講演もyoutubeで上がっています。ご参考になればと思います。
待ってました!
中山先生 いつも怪談ありがとうございます。
八甲田山の怪談で トイレの幽霊の話をされて1995年頃と話されていましたけれど
私は弘前市出身で 当時夜間の看護学校に通っていました。授業の最後に 講師のDrが 昨日こんなことがありました。青森市のカップルが八甲田山にドライブに行ってトイレに行き 男子が先にトイレを終えると雪中行軍の幽霊に 囲まれてしまい 彼女を忘れて家に戻り 次の日に探しに行ったら 髪の毛が真っ白になり 精神がおかしくなり入院したと聞きました。皆さん信じますか?と言ってました。1989年11月だったと思います。
私も母から同じ話を聴いた事があります。八甲田は9月でも夜になると寒くて宿泊先でストーブ焚きました。
八甲田山、嬉しいです!
2回見ました👮中山先生の別動画も見たことがありましたが、今回はより深いまとめでさらに感慨深い1本🙄来週命日なんですね🙄当時の隊員に想いを馳せ...✨🥀
霊魂は、生霊みたいに本体と強く思う念、で分離したりはしないんでしすかね🤔英霊としての本体から分離した、人間の感情としての存在、なら同じ格好でありながら、英霊らしからぬ他者を恨めしく思って何かしてしまう、ということもありそう🤔
人は、とんでも無く~~~~酷い目に会わないと、改革しないからな~~~😔😔😔🎍
NHKのドキュメンタリー以上のクオリティ。
オカルトの域を超えて、日本の文化です。
野外授業もいいですね!!!
音声すごいノイズですね。
戦争も遭難ももう起きてほしくないですね。
取材いただきありがとうございました。英霊に代わりまして感謝申し上げます。元東北方面隊第9師団青森駐屯地代5普通科連隊。もう一度深夜に英霊地にご供養いただく機会があればお線香やお酒をお供え品として持参いただき深夜零時から二時半に後藤伍長銅像奥の林100m付近にて待機取材されれば体験されこともあるでしょう
27:15からのミニシアターの横になんでハングル文字があるんだろう。
大変素晴らしい動画です、私は前世が明治天皇の妃でした、堀川武子、現在は老人です夏頃に八甲田山に行って供養に行きたいと思っています小学生から霊媒体質なので、今現在も毎日亡くなった方々が視えます
八甲田の晩秋の紅葉がきれいです🍁
八甲田山のこの話は有名ですが ひとつも怖くない八甲田山の日本軍の英霊たちに会って頭下げたいです。
英霊に敬意を😢
中山先生の現場検証、良いですね👍‘山の牧場’も不思議で好きですね…。
なるほどねぇ😭😭😭😭‼️風🍃の~~読み方が~~~解らず、失敗の~~~要因😭😭😭😭🎍
新耳袋と聞くと、他の怪談とは違ういっそうな恐怖感がでるのはなんでだろう
わらの靴履いて腰まで雪に埋まって進んでいたならどうして軍靴の音が聞こえるんだろ?
ん〜、聞いた人はここの話を知って来ているわけで、だから藁の靴で雪をふむような音だとしても、兵隊!そして行進!という先入観もあるから、軍靴の音として聞こえてるのではないかと!みる、聞こえる、気配…波長があっているのはもちろんですけど、受け取り側の問題かなと!それが、怪異の不思議なところですよね!
ruclips.net/video/pvwSBt0qilc/видео.html
このお話を聞くたび、黒澤明の『夢』にある、トンネルの向こうから行進してくる英霊たちのエピソードを思い出します。
手塚治虫のどろろみたいな話ですね。
なぜ英霊が罪もない。大学生3人をあの世に連れて行ったのか?🫣
最近、当時の八甲田山の気象状況をアメリカの気象衛星の記録で解明されて、当時の気象状況
は差ほど荒れていなくて、遭難の原因は、全員が綿の下着を着ていて、それが原因で全員で
凍傷になり、死亡したのでは、と解析されております、山登りする人は、絶対に綿の下着を着てはいけなくて、
化繊の下着を切るのが鉄則と言っています、
午前十時の映画祭で八甲田山初めて観たんですが、めちゃくちゃ面白かったです。
2度と戦争はしちゃいけないですね
ロケ😂ありがとうございます♡
冒頭の大学生、セルが回るならライトも点くしクラクションも鳴っただろうに!😂
えらく完成度の高いドキュメントですね。(もしかしたらTV局での放映用素材かもしれませんが…)
明治陸軍の軍服を見ると映画「二百三高地」を思い出します。
子供の頃は映画「八甲田山」と、僕の父が所有していた書籍に載っていた遭難場所の地図(遭難者発見場所に×印が付いている)は、辛くて見てられませんでした…
我々で取材・撮影したものですよー
@@オカルトエンタメ大学面白かったです!
オカルトエンタメ大学さんは民放とかの番組制作もしているのかと思ったくらいです。
お金かかってそうなので、企業スポンサーがつくのを願っています!
誰か上に上げてください。霊能者でもできないのかな。凄い人いないのかな。
中山先生、息切れしてますよ…
スキー🎿をしに行った。僕のスキーは下手でしたので苦い思い出。
後藤伍長・・・・・😰😭‼️立ったまま、雪に埋まってた~~😨‼️唯一の~~~生き残り🤔😔🎍
ロケ良いね😂
お身体に気を付けてね
これからもロードワークを
みせてください!!
…若い頃、もっと色々歩き回って勉強しとけばよかったなぁ…😢
春日太一さんと対談をー!
こんばんは
日本国の~~~為に、😌‼️死んでまで、練習に〜〜〜励むとは・・・・😮💨😩‼️頭が、下がる想いです🥲‼️ですが、これ以上は、安らかに😌‼️お休み下さい😔😔😔‼️あなた達の~~~お陰で、今の~~~日本が~~~有るのですから😩😩😩😩🎍
その心霊体験をした元大学生に会えないの?なんとか手を打って。木原さんとかにツテを辿って
確か、1人以外亡くなったという後日談ありませんでしたっけ?新耳袋ではそこまで話は載せられなくて載せてなかったと思いますが…
この〜〜〜〜〜話は、まさに戦争が~~~無きゃ~~~起きなかった、😤😤😤😤‼️悲劇です😤😤😤😤🎍
銅像茶屋廃棄してしまったな
発光田山の快
二度と、戦争は〜〜〜〜するもんじゃ無いですね~~~😤‼️大マジで😓😓😓😓🎍