【特集|神経難病との闘い】『脊髄小脳変性症』と闘う家族の絆と希望の光は【新潟】スーパーJにいがた9月19日OA

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  • Опубликовано: 18 сен 2024
  • 『脊髄小脳変性症』という難病をご存じでしょうか。運動や認知機能に影響が出る、神経疾患の総称です。この病気にかかり、遺伝により、我が子も同じ病になったと知ったとき、人はどう向き合い、希望をつなぐのでしょうか。患者と家族、そして治療法の解明に取り組む人たちを取材しました。
    7月下旬、長岡市の細貝優樹さん(66)宅を長岡保健所の職員が訪れました。難病患者を対象としたある検査をするためです。
    ■保健所職員
    「今の瞬間、何があなたの生活で最も重要なのかをお聞きしたいと思っています。」
    ■細貝優樹さん
    「私は今・・・脊髄小脳変性症に61でなったのかな。で、子どもが30ぐらいでなっちゃった。双子だったんだけど、その双子が私と同じように・・・。」
    職員の問いかけに、37歳の娘たちへの思いを打ち明けます。
    ■細貝優樹さん
    「今から効く薬、できるだけ早く子どもに飲ませたい・・・。」
    優樹さんに異変が起きたのは2008年、歩行時にふらつきが出始めました。当時は病名がはっきりとはわからず、次第に病院から足が遠のきました。
    しかし9年後、バランスを崩すことが多くなったため、再び受診。『脊髄小脳変性症』と診断されました。小脳が委縮していました。
    異変は、優樹さんだけではありませんでした。同時期に双子の娘にもふらつきが出始め、重度のけいれんで病院に相次いで搬送されたのです。
    そして3年前、遺伝子検査で判明した姉の病名。
    『DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)』
    『脊髄小脳変性症』は、ふらつきや手の震え・ろれつが回らないなどの症状が出る神経の病気の総称です。『DRPLA』はその一種で、患者は約500人と推定されています。看護師だった妻・悦美さんも初めて聞く病名でした。
    ■妻・細貝悦美さん
    「泣いても泣いても、どうしようもなくて、泣くつもりはなくても、『どうして』って思いましたよね。特に子どもたちを見ていると。」
    体を動かすことが好きだった優樹さん。家族でもよく出かけました。
    娘2人は異変が起きたとき、ともに結婚して間もない時期でした。
    ■細貝優樹さん
    「私の病気が子どもに遺伝してしまった。それは事実です。じゃあ、私は誰の遺伝ですか・・・。」
    やがて、優樹さんの性格に変化が現れます。怒鳴る、テーブルをひっくり返す。以前には考えられないことでした。
    父と娘、3人の症状が進むなかー
    ■妻・細貝悦美さん
    「言葉がはっきりしなくなったりすること、服を着たり脱いだりなどがだんだん難しくなったりとか、いろんな全てですよね。私にとってはすごく孤独でした。」
    情報を求め続けた妻・悦美さんは、ハワイに住む日本人女性の存在にたどり着きました。
    ■塩沢淳子さん
    「DRPLAは、つらい病気なんですよね。できなくなっていくこともそうですし、家族が遺伝性なので・・・。」
    塩沢淳子さんの夫・千秋さんは、50歳のときに『脊髄小脳変性症』と診断され、13歳の一人娘・紅梨(くり)さんが『DRPLA』と診断を受けました。
    千秋さんにも性格の変化が起きました。
    ■塩沢淳子さん
    「主人もすごく娘のことを本当に大事に思っているんだけれども、すごいひどい言葉を言ってしまったりだとか、娘のものを投げてしまったりだとか。遺伝ということもあるので、だんだん家族がクローズしていっちゃうんですよね。」
    千秋さんは7年前、59歳で亡くなりました。晩年、穏やかになった千秋さんが繰り返したのは「紅梨に命をやりたい」という言葉でした。現在、29歳の紅梨さんは、胃ろうで栄養を取り、気管を切開。DRPLAの特徴である、重度のてんかんと闘っています。
    塩沢さんは、現地で治療法を見つけるための団体"CUREDRPLA"の設立メンバーになり、情報交換や患者のデータベースづくりを呼びかけました。その後、日本で患者会を設立。娘の日常をつづったブログを始めました。
    ■妻・細貝悦美さん
    「ネットの中で、家族会で塩沢さんに会ったときに初めてうれしかったですね。やっと出会えたっていうんですかね。」
    1時間近く続いた細貝さんの検査。今は落ち着いた優樹さん。
    悦美さんへの思いも明かしました。
    ■細貝優樹さん
    「奥さん。迷惑をかけないように生きていかなきゃいけないな・・・。」
    8月末、病院での診察。悦美さんは主治医の三木健司さんに治療法の開発につなげるため、アメリカの団体が呼び掛ける患者のデータベースに、優樹さんのデータを提供したいと打ち明けました。
    ■三木健司さん
    「この辺は問題ないですよね。患者さんが良ければ、こういうのをCD-ROMにして渡すのは問題ないですね。」
    三木さんは、夫婦の精神的な支えです。
    ■細貝悦美さん
    「もともとの主人の性格を知っている人たちは、多分聞いても『えっ』と思うようなことが多分あったと思うんですけど、信じられない。先生はそれをそっくり全部受け止めて、聞いてくださったのがすごく救いだった。」
    ■三木健司さん
    「以前、拝見していた患者さんもお子さんが2人いらっしゃる方で、そういう経過も見ていたので。」
    患者たちの思いを背に『DRPLA』の解明に取り組む人たちが県内にいます。
    ■新潟大学脳研究所 小野寺理所長
    「我々のところでも核酸治療薬を使った研究を、国から研究費をいただいていて研究を進めています。」
    新潟大学脳研究所は1994年、DRPLAの原因遺伝子を特定。治療法開発の最前線に立っています。現在、研究を進めているのが『核酸治療薬』を使った治療法。病気の原因となる遺伝子を狙い撃ちするため、大きな期待が寄せられています。
    ■新潟大学脳研究所 小野寺理所長
    「倫理的な問題とか経済性の問題とか、そういうことを含めての詰めの段階だと思っていて、できるだけ早く患者さん方に治療方法をご提案できればという状況。実際アメリカでは、新しい薬の投与が始まったりしています。」
    19日、新たな動きがありました。アメリカの財団による核酸治療薬を使った試験で、塩沢さんの娘・紅梨さんに許可が下りました。10月にも投与が始まる見通しで、実現すれば2例目です。
    ■塩沢淳子さん
    「私は希望を持っていますし、先生方も紅梨は日本人ですからデータは他の患者さんたちにもすごく役に立つと言われているから、頑張ろうと思う・・・。」
    1例目の試験では、一定の効果が確認されたという報告がありました。
    9月、患者会のサイトに共有された動画に、悦美さんは早速アクセスしました。
    ■細貝悦美さん
    「すごい・・・きっとみんなも同じように思っているかもしれない。これを見た人は。こんな日が来るなんて。」
    まだ楽観はできませんが、細貝さんや塩沢さんは「生きている限り希望がある」と話しています。
    2024年9月19日放送時点の情報です。
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