【震災から11年】一度は誰も住めなくなった大熊町…“復興拠点”に戻る住民と 戻れない“白地地区”

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  • Опубликовано: 22 окт 2024

Комментарии • 13

  • @山口正-t1n
    @山口正-t1n 2 года назад +9

    原発事故により住民が出ていくことを強制させられた商店街は、震災から11年経過して解体工事が進んでいます。
    双葉駅や大野駅の橋上駅舎から見た廃墟は、日々形を失いつつあります。
    そのうちに更地だらけになり、新しい公共施設が建てられる日を待つことになります。
    当時建てられていた建物は、一部はそのまま住むことができるけど、大半は解体されています。

  • @hatunen624
    @hatunen624 2 года назад +11

    福島第一原発で、汚染された地域、全て解錠して、また震災前みたいな賑わいの街に戻って欲しいです。大熊町頑張れ!!福島県頑張れ!東北頑張れ!日本頑張れ!世界頑張れ!!

  • @京子髙野
    @京子髙野 Год назад +3

    大熊町大好きだよ。皆と遊んだ事、忘れていません。マツコウとはとなりマツコウだよ。きょう子だよん。会いたくても会えない。ヨシボウ

  • @rob.jpn35
    @rob.jpn35 Год назад +4

    大熊町ほど原発立地の恩恵を受け、東京電力と二人三脚で歩んでいた町はなく、大熊町長は県知事を凌ぐ影響力を持つと言われていました。
    町民にしても、楢葉、富岡、双葉と原発立地前提の豊かさ競い合っていました。
    各家庭は子供達が東電又は東電子会社に就職できたら大成功、将来安泰と考えていましたね。正に東電様々
    町や県の対原子力・対東電への定期的査察などは儀礼的なものでしかなく、意見や指摘・疑問提示などあり得ないぐらいの崇拝ぶりでした。
    県の原子力センターなど、正に見かけだけのまやかしだったので、事故・被害にどう対処できたのかの検証や、当時の関係者の証言(無能であった謝罪)すらまとも出てきません。
    マスコミのその辺りへの踏み込んだ追求が見られない不思議もあります。

  • @隠密剣士-t2x
    @隠密剣士-t2x Год назад +1

    大熊町田んぼや田んぼの耕地草刈り農業再開が不可帰還出来ない町米作りしたい

  • @桜吹雪-c1v
    @桜吹雪-c1v 2 года назад +1

    ⚛️原子力発電の後遺症は恐ろしいですね

  • @宝石丸
    @宝石丸 2 года назад +5

    アホくさ❕土地建物は東電お買い上げで安全な地域に住めば良い😆🤗
    しがみつく必要は無い🥲

    • @factory3921
      @factory3921 2 года назад +15

      と、災害で物を失った事無い奴が申しております

    • @隠密剣士-t2x
      @隠密剣士-t2x Год назад

      😅😢

    • @user-gr6hw9gm6m
      @user-gr6hw9gm6m Год назад +5

      まあ自分の故郷に帰りたいって理屈じゃないと思うよ。不便でも、何もなくても安心する場所なんだろう。

  • @erfolg0119
    @erfolg0119 2 месяца назад

    外国人に税金投入する前にこういう人達に支援しろ!!