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ハ行発音の件、興味深く拝聴しました。そういう音韻変化は京の都で発生したものが地方に伝播していったという、柳田国男の『蝸牛考』のような有力説もありますので、平知康には「ふさ」と読めた(ないし、発音できた)ものが、板東武者たちにはまだ読めなかった(ないし、発音できなかった)という、社会言語学というか歴史言語学というか、今で言う接触言語学的な小ネタなのかもしれませんね。ハ行は安土桃山後期の宣教師文献でも「ファ行」表記されていますし、鎌倉初期の東国ではまだまだ「パ行」で発音されていたかもしれず、東国では「トキフサ」と聞いても当時最先端?の「フ」は発音できず、「トキューサ」しか言えなかったのか、逆に時政あたりから、「それを言うなら「トキプサ」だろう」というツッコミが入ったり、あるいは、京にしばらくいた時政やそもそも京出身の牧の方はスムーズに言えても、和田殿あたりから「トキプサ?」という天然ボケが入るとか、いろいろなスピンオフ的ネタを想像しても楽しめます。ここのところ、猿のようにwあらゆるクリップを拝見し、多くのことを教えられています。本当にありがとうございます(ちなみに「平氏」「平家」を「低高高」で発音される先生は、どちらのご出身ですか?)。今後とも楽しみにしています。よろしくお願いいたします。長々失礼いたしました。
トキューサは、瀬戸康史さんが5月に時政役の板東さんの誕生日に色紙にトキューサって書いたからくる内輪ネタってサイトにありましたよ
「トキューサ」の話、面白いです!本作と「草燃える」は現代語をたくさん用いていて、それが時には批判の対象になっていたりします。でも私達が分かる時代劇言葉は、実は江戸時代のお芝居の言葉(当時の現代語訳)で、時代考証的にはこれを使うのもおかしいという反論もあるようです。そんな中で、当事者である脚本家が、「そんなに言うんなら本気で時代考証的台詞回しにしてもいいけど、そしたら誰も分かんないでしょ」って感じで、ちょっと皮肉めいたお笑いで可愛い反論をした。そんな感じかなと、個人的には思います😉
トキューサにまでここまで深く解説するとはすごいです!勉強になりました!
レキショックさんだ
発音の違いに気づいたスタッフさんすごっ!
大学のころの先生が「あなた方は古文を勉強すれば古文を理解できる。と思っていたら大間違いです。古文の他にも歴史、神道、自然科学、数学、哲学などなどの他の分野のことにも勉強しないと、本当の意味で古文を理解できません」と言われtのを思い出しました・・・トキューサは奥が深い・・・
そうだと思います。古典を代表する随筆集の一つである「徒然草」は、鎌倉時代の歴史資料としても活用されていますからね。鎌倉将軍や、北条氏をはじめとする御家人も多く登場し、例示すれば「北条時頼(泰時の孫)」「北条宣時(時房の孫)」「安達義景(景盛の子)」「安達泰盛(義景の子、景盛の孫)」「松下禅尼(安達景盛の娘、北条時頼の母)」「足利義氏(足利氏3代目当主、北条時政の外孫)」「宗尊親王(鎌倉幕府6代将軍、後嵯峨天皇の子)」が登場しますから、北条一族が滅亡して文書等が滅失した現在では、北条氏ゆかりの人物の「人となり」を知る貴重な資料となっています。
藤原定家の「明月記」に記載されているSN1065の超新星爆発(かに星雲)の記述を読んでみたい…
「古文は他分野のことにも勉強しないと本当の意味を理解できない」という典型例を挙げると、徒然草の第52段にある逸話「仁和寺にある法師」が有名。石清水八幡宮の本殿が男山山頂に鎮座していること、摂社・高良神社や神宮寺の極楽寺も当時は山頂の本殿同様に立派な造りだった、という歴史や地理の知識を事前に理解していないと、「この話、何のこっちゃ?」としか感じないでしょうね。
大学時代の先生の言葉。素晴らしい教えですね👏💯私の心の琴線に触れました💡沢山散らばっている点と点が結びついた時に線となる。線で理解する事の大切さを教えて頂きました(≧▽≦)
武士道さんは承久の乱後の鎌倉幕府と北条氏も好きになりそうだから、宮騒動や宝治合戦、少し飛んで、二月騒動や元寇まで調べても楽しめると思います。はっきり言って北条氏の内輪揉め感はありますが、北条氏は面白い人物が多いので調べてて楽しいです。元寇後、時宗が亡くなってからは嘉暦の政変や霜月騒動まで来ると下り坂感が出てきて悲しくなっちゃいます。
トキューサと聞いて最初に連想したのが、「黒田官兵衛」の名前の発音です。確か司馬遼太郎の『播磨灘物語』で見掛けた記述ですが、当時は「かんべえ」ではなく「かんぴょうえ」と発音され皆から呼ばれていたようです。
秋田書店・ボニータコミックス 湯口聖子著「夢語り」シリーズ前半の主役として印象に残っています。北条政子をはじめとする女性達に較べ、義時・泰時はかなり影の薄い存在だったと思います。今回のドラマ同様、ある程度の齢を重ねていても若造りの美形として描かれていたのは、少女漫画の主人公故でしょうか・・・権勢欲に憑りつかれた北条の面々の中では比較的良心的な人物として描かれていたと思いますが、今回のチャンネルでの解説では漫画の印象とは幾分か違った人物像が垣間見れて面白かったです。
新しいスタッフさんが入ると、知識の入口も増えるから楽しみですね!と思いました!
いつも楽しく拝聴させて頂いています。[9:40] 古いなぞなぞに「母には二度あうけれど、父には一度もあわないもの」なあに?その答えは「唇(くちびる)」というのがあります。母は「haha」ではなく、古くは「fafa」と発音されていたようですね。2022/8/12 23:06:42
三谷さんの博識ボケを気付かせてくれて有難うございます。皆様のコメントも大変勉強になりました🙏。時房の今後の出番が楽しみです。童顔の瀬戸トキューサがGOTOBA松也とどう渡り合うか楽しみです。
おおおお!トキューサ!そしてトキューサこれからがますます楽しみになりました。
ゆる言語学ラジオとのコラボで日本語の歴史回、待ってます!
後に得宗家から時房系の直系は冷遇されて、傍系が厚遇されるなど、時房系の権力基盤を削ごうと苦心してますね
ゆる言語学ラジオがここで出てくるとは!
時政パパのバースデーをお祝いする鎌倉の皆さん…現場の雰囲気が垣間見えますね一言メッセージが書かれた色紙の寄せ書きが😀私は、本番で誰かが時房ってセリフをトキューサって言ってしまいカーット!で、トキューサってあだ名がついちゃったのかと思ってましたそれで色紙にトキューサって書いたと…もっと真面目な深い理由が考えられるんですねなるほど、三谷さんに聞いてみたいですね
頼家の叔父なのに近習ってよく耐えたよな、トキューサ
解説ありがとうございます、時房の嫡流である大仏流が冷遇されたのも将軍にも信頼された彼の力を得宗家が恐れたのかもしれません、後に嘉元の乱で衝突するのはずっと後の話ですが泰時との関係がどのように描かれるかは気になります。
冷遇されたのは大仏流というよりは佐介流の方では?でも泰時など得宗家が本来時房の嫡流のはずの佐介流ではなく大仏流を優遇したのは、時房の権力基盤を子孫に丸々相続されるのを恐れたからだと思う
時房の力を削ぐために二つに家を割ったらしいですね、待遇は赤橋流や金沢流に比べると大仏流は下という印象です。
@@平時国 極楽寺流というか赤橋流の待遇が良すぎるんですよ笑やはり重時、長時がよく得宗家を支えた事が結果として子孫の繁栄に繋がった気がしますね
まさかここでも「ゆる言語学ラジオ」が繋がるとは思ってもいませんでした。
私も本編見たときはトキューサって何?この時代の日本にカタカナ?って思いましたけど今回の解説で納得しました。
中世、ことばの2文字め以降の「はひふへほ」は「わいうえお」に変わるので「トキフサ」から「トキウサ」、キウはキュウに変わる(キウシウはキュウシュウに)トキウサがトキュウサになるのは普通の音韻変化では?
古文の教科書に良く出る「平宣時朝臣、老の後、昔語りに」(徒然草第215段)の「平宣時朝臣」は、大仏宣時のことであり、ここで紹介される北条時房の孫に当たります。宣時も祖父と同様に連署に就任しています(当時の執権は北条貞時)。1323年に86歳という高齢で亡くなりますので、徒然草のくだりは、死の間際に「時頼さまが生きていた60年ほど前の鎌倉は、質素で良かったなあ」と郷愁に浸っていたのだと思います。
おうばんって、大盤振る舞いのおうばんですね。トキューサの件といい、この番組勉強になります。そろそろ歴史探偵に呼ばれるかも😎
草燃えるの時は金八先生の数学教師役だった森田順平さんが演じていましたが、8月に頼朝の死が描かれた後は松平健さんの義時を補佐する役目を担っていましたが、この時は五郎と呼ばれていました。
草燃えるでは森田順平さんが演じていました。金八先生に出てた乾先生役の人です。
今のところ本作のトキューサは餅を丸めるのが下手だけど蹴鞠は上手い人物って印象なのですが、これからの成長で黒くなるのが楽しみです。
あとは「顔立ちが幼い」「最も年下の近習と、頼家に誤解される」ところが、現在の時房の印象ですね。
北条一族は、全員、曲者ぞろい。
その中で、比較的まともなのが泰時ですね。泰時が中心となって制定された「御成敗式目」がその代表例です。
時房に存在感が出て来て興味を持ちこの動画を拝見しました。発音の件が興味深いですね、は行の発音が無いとすると北条もオウジョウなのですかね?オウジョウトキューサなんか〜砂漠夢奇譚〜とかサブタイトルが付きそうな人になったw
以前から、泰時の時代に執権を泰時、時房の2人体制にした意味が気になってます。泰時の力量が足りなかったわけではないですし、むしろ後の得宗専制の時代を考えると執権がこの時2人いたからこそとも考えます。2本の太い柱だったわけですね。二人の力も分散、対立することはなかった。
はひふへほ の発音とても面白く、歴史がさらに深く感じました。
北条時房をリクエストしようと思ってました!\(*ˊᗜˋ*)/時房もすごい興味深い人物ですよね!武士道さんの解説はわかりやすいし楽しいです。毎回楽しく勉強させてもらってます!これからも期待しております。
ハ行の音がなかったら藤原秀衡とか「ウジワラノイデイラ」みたいな感じの発音だったんですかね?案外この時代ってハ行の音が入ってる人名が少なくない気もします
発音に限らず、今あるけど昔無かったもの、昔あったけど今無いものって沢山ありますよね。つい現代人の感覚で考えてしまうけど、そもそも常識が違うのだから完全に理解するのは難しい。だからこそ面白い。
武士道さんもサンプル1の用例やったんか!
なるほどでした!Mr.武士道さまもゆる言語ラジオを見てらっしゃるのですね。好きなものが繋がってちょっとうれしい☺
諱は普段使いしないだろうけど、平六や平三もすごい発音してたのかもしれませんね
ハ行を発音してないというのは、以前チコちゃんでやってましたね。「私は」の「は」は何故「わ」と読むのかということで。結論は、昔は「私ぱ」と読んでいたが、話しにくいから「私わ」に変わったらしいです。なお、「母」も読み方も出てきていて、「はは」は「ぱぱ」と読んでいて、母なのにパパ?とオチをつけてました。話は脱線しますが、「私は」を「私わ」と読み出したのは、江戸時代からみたいです。
当主が20代や30代で死ぬ短命の得宗家でなく時房が嫡流になっていたら北条の内輪揉めや元寇で鎌倉幕府が弱体化することもなかったと思う
得宗家当主は、泰時の子・時氏以降は貞時(享年40歳)以外は20代・30代で亡くなっています。(最後の高時は自害。他は病死。)一方で傍流は長生きが多くて、時房は66歳、義時の三男で六波羅探題・連署を務めた重時は64歳、義時の五男で第7代執権の政村は69歳、時房の孫で連署を務めた宣時は86歳まで生きます。やはり、「得宗」「執権」という目には見えないとてつもない重圧があったり、得宗家が同族婚を繰り返して当主が虚弱体質になった要素があったのだと思います。
古文ではau➡︎o iu➡︎yu eu➡︎yo となるので、toki(f)usa➡︎tokyusa と普通に呼ばれてて、文章では時房と書かれたので、後世の私たちは「ときふさ」と発音しているのでは。
おそらくは鎌倉の豊臣秀長様
当時のハ行の発音、調べてみたいですね!ホウジョウやハタケヤマはどんな言い方だったのか…?
言語学の話が面白かったです。フランス語もハヒフヘホが存在せず ホンダ→オンダ と勝手に名前まで変えられるそうなので日本語の古語はフランス語と言語学的に近かったかもしれませんね
まったく関係ありません。
まったく違います。
そろそろ鎌倉殿のキャラクター人気投票して欲しい。濃いキャラが多すぎて……………。
こんにちは。なるほど。発音のこと、おもしろい。下総しもふさ→しもーさ時房ときふさ→ときゅーさ一種の音便のようなものなのですね。
私は時房の「房」の文字に、藤原良房を思い出しました。藤原良房は、皇族以外に初めて摂政に就いた人物です。北条時房ほどの人物であれば良房を知らないはずはないので、ひそかに野心を持っていたとしても違和感はありませんでした。
トキューサ、途中から出てきたエリート
三谷幸喜さんの博識、雑学をドラマにかなり挿入してるなぁ😮😅
難しいって―三谷さん 笑古畑任三郎の赤い洗面器の男並みにトキューサ意味ぷやった
頼家の「近習5人衆」は、現代で言うところの「かすかべ防衛隊」みたいなもんなんやろか?
三位...ドラゴンボールでいえば、ナッパがベジータの親父に俺を王にしてくれ❗と言ったみたいな感じ..な訳はないか( ´-`)
トキューサは内輪ネタらしいですよ。
北条家の執権になった人々は結構エピソードを知ってたりします(時頼の「鉢の木」とか)が時房のエピソードは知らなかっただけに凄く良かったです。それと「トキューサ」に関しては、可能性として承久の乱直前に義時や政子が「トキューサの乱」と聞き間違えて「弟まで粛清されるの?」と視聴者を釣のるかと思っておりました。(しかし「キユー」しか合って無いw)
時房→ときうさ→トキューサってことか…
ミスター武士道様初めてコメントさせて頂きます(^_^)いつもチャンネルで予習してから大河を見ています。は行がなかった。。。なるほど。。。フランス人みたいですね~(^_-)私は少しフランス語を話しますが、フランス人は本当には行が発音できない!何度教えても「おあようございます」とか「あにゅうゆずる(羽生結弦)」って言うんですよね~。でも当時の日本もそうだったんですね~勉強になります(*^_^*)本日15時に私のマユミージュチャンネルで鎌倉殿の13人のテーマ音楽のピアノとヴァイオリンの演奏動画を投稿しました♬これから予習を重ねてますます後半の大河に集中していきます(^o^)これからもますます充実の投稿を楽しみにしています(^_^)/現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
頼家と時房は7歳違いなので、兄弟感覚で接していたのではないかと思います。頼家から見れば時房は伯父さんになるわけだから。
鼓つづみ の判官は、ヨイショ上手な太鼓持ち🪘
「けふ」で「きょう」って読むのとおんなじかしかし言語学ね~ どんな分野であれ勉強はしとくもんやな
メデューサと時房のフュージョン?
ハヒフヘホの発音がなかったこの時代にバイキンマンが生まれていたら、彼は何と叫んでいたのだろう⁉️😆😤🤯😭
蹴鞠の腕前を褒めた後鳥羽上皇も『トキューサ、トキューサ』言い続けそう。
「はひふへほ」が全部別の音だったとすれば、「ときゅーさ」のまえに「ふぉーじょー」のギャグがくるんじゃねーか?「はひふへほ」が「なかった」ではなくて、「発音が一つではなかった」ってことで、文頭にくる「はひふへほ」は、基本、今の発音と同じだろ。
メデゥーサ(北条政子)の弟だからトキューサ?って勝手に想像してました、知らんけどww
時房さんの子孫が知りたい
北条はなんて呼んでたんですか🤔?
メドゥーサの親戚なのかと
めどふさ。顔を見ると石になる南蛮の妖怪。
北条政子も当時の発音だとポウジョウマンコ
なるほど。確かに「政所」を「マンドコロ」と読みますから、コメ主様の御指摘に納得しました、
ただ、「政子」自体は彼女の死後、他人が便宜的に勝手に付けた名前。この時代、女性の多くが本名不明。
後で冷静に考えましたが、ひょっとして上記のコメは「マジにネタレス」なんですかね?だとしたら、こんなコメに真面目に返信して損した気分です。こんなコメは、このChではやらない方が良いと思います。
@@toyo-rex4899 一応マジです。下記ソースと言うか、参考動画。ruclips.net/video/gOrhf-5jPPU/видео.htmlゆる言語学ラジオ好きならオススメ
こんなところにも用例が。
時房の件はウィキによると、平安時代には行転音が起きてワ行になったと言うことです。つまり恋はこひ(こふぃ)と読んでいたのが平安時代にコイと呼ぶようになったとあります。つまり時房はトキウサと呼ばれるはずだった。しかし又戻ったりしたそうです。は行がパ行になるのはもっと古い時代ではないかと思います。私も昔平安時代はファ行だったと聞いたように思います。は行がパ行になるのは韓国語のように感じるのでもしかしたら統一教会に影響を受けた番組などがあるかも知れません。てふてふをチョウチョウと読みますがテプテプと読む記録は無いと思います。ただ関東武士は朝鮮半島系が多いのでパ行になったかもしれないですね。
ちなみに当時の読み方の話をすると政は政所(まんどころ)のように「まん」と読んでいたので、北条政子は…w
発音の説明が長いわ、サクッと進めて欲しいぞ。
成る程!昔言葉か。だとすると現代言葉で脚本書くことに否定的な人たちに三谷さんからの一撃かもと、思っちゃいますね。トキューサレベルで会話をやってついて来れるのか!お前ら!みたいな。
ふぐり
そうだよ現世では時政の子が時房 時房の弟が頼家
難しいって―三谷さん 笑古畑任三郎の赤い洗面器の男並みにトキューサ意味ぷやったしかしトキューサは伏線としてまた博識ボケで回収しそう
ハ行発音の件、興味深く拝聴しました。そういう音韻変化は京の都で発生したものが地方に伝播していったという、柳田国男の『蝸牛考』のような有力説もありますので、平知康には「ふさ」と読めた(ないし、発音できた)ものが、板東武者たちにはまだ読めなかった(ないし、発音できなかった)という、社会言語学というか歴史言語学というか、今で言う接触言語学的な小ネタなのかもしれませんね。
ハ行は安土桃山後期の宣教師文献でも「ファ行」表記されていますし、鎌倉初期の東国ではまだまだ「パ行」で発音されていたかもしれず、東国では「トキフサ」と聞いても当時最先端?の「フ」は発音できず、「トキューサ」しか言えなかったのか、逆に時政あたりから、「それを言うなら「トキプサ」だろう」というツッコミが入ったり、あるいは、京にしばらくいた時政やそもそも京出身の牧の方はスムーズに言えても、和田殿あたりから「トキプサ?」という天然ボケが入るとか、いろいろなスピンオフ的ネタを想像しても楽しめます。
ここのところ、猿のようにwあらゆるクリップを拝見し、多くのことを教えられています。本当にありがとうございます(ちなみに「平氏」「平家」を「低高高」で発音される先生は、どちらのご出身ですか?)。今後とも楽しみにしています。よろしくお願いいたします。長々失礼いたしました。
トキューサは、瀬戸康史さんが5月に時政役の板東さんの誕生日に色紙にトキューサって書いたからくる内輪ネタってサイトにありましたよ
「トキューサ」の話、面白いです!
本作と「草燃える」は現代語をたくさん用いていて、それが時には批判の対象になっていたりします。
でも私達が分かる時代劇言葉は、実は江戸時代のお芝居の言葉(当時の現代語訳)で、時代考証的にはこれを使うのもおかしいという反論もあるようです。
そんな中で、当事者である脚本家が、「そんなに言うんなら本気で時代考証的台詞回しにしてもいいけど、そしたら誰も分かんないでしょ」って感じで、ちょっと皮肉めいたお笑いで可愛い反論をした。そんな感じかなと、個人的には思います😉
トキューサにまでここまで深く解説するとはすごいです!勉強になりました!
レキショックさんだ
発音の違いに気づいたスタッフさんすごっ!
大学のころの先生が「あなた方は古文を勉強すれば古文を理解できる。と思っていたら大間違いです。古文の他にも歴史、神道、自然科学、数学、哲学などなどの他の分野のことにも勉強しないと、本当の意味で古文を理解できません」と言われtのを思い出しました・・・
トキューサは奥が深い・・・
そうだと思います。
古典を代表する随筆集の一つである「徒然草」は、鎌倉時代の歴史資料としても活用されていますからね。
鎌倉将軍や、北条氏をはじめとする御家人も多く登場し、例示すれば「北条時頼(泰時の孫)」「北条宣時(時房の孫)」「安達義景(景盛の子)」「安達泰盛(義景の子、景盛の孫)」「松下禅尼(安達景盛の娘、北条時頼の母)」「足利義氏(足利氏3代目当主、北条時政の外孫)」「宗尊親王(鎌倉幕府6代将軍、後嵯峨天皇の子)」が登場しますから、北条一族が滅亡して文書等が滅失した現在では、北条氏ゆかりの人物の「人となり」を知る貴重な資料となっています。
藤原定家の「明月記」に記載されているSN1065の超新星爆発(かに星雲)の記述を読んでみたい…
「古文は他分野のことにも勉強しないと本当の意味を理解できない」という典型例を挙げると、徒然草の第52段にある逸話「仁和寺にある法師」が有名。
石清水八幡宮の本殿が男山山頂に鎮座していること、摂社・高良神社や神宮寺の極楽寺も当時は山頂の本殿同様に立派な造りだった、という歴史や地理の知識を事前に理解していないと、「この話、何のこっちゃ?」としか感じないでしょうね。
大学時代の先生の言葉。素晴らしい教えですね👏💯私の心の琴線に触れました💡沢山散らばっている点と点が結びついた時に線となる。線で理解する事の大切さを教えて頂きました(≧▽≦)
武士道さんは承久の乱後の鎌倉幕府と北条氏も好きになりそうだから、宮騒動や宝治合戦、少し飛んで、二月騒動や元寇まで調べても楽しめると思います。
はっきり言って北条氏の内輪揉め感はありますが、北条氏は面白い人物が多いので調べてて楽しいです。
元寇後、時宗が亡くなってからは嘉暦の政変や霜月騒動まで来ると下り坂感が出てきて悲しくなっちゃいます。
トキューサと聞いて最初に連想したのが、「黒田官兵衛」の名前の発音です。確か司馬遼太郎の『播磨灘物語』で見掛けた記述ですが、当時は「かんべえ」ではなく「かんぴょうえ」と発音され皆から呼ばれていたようです。
秋田書店・ボニータコミックス 湯口聖子著「夢語り」シリーズ前半の主役として印象に残っています。
北条政子をはじめとする女性達に較べ、義時・泰時はかなり影の薄い存在だったと思います。
今回のドラマ同様、ある程度の齢を重ねていても若造りの美形として描かれていたのは、少女漫画の主人公故でしょうか・・・
権勢欲に憑りつかれた北条の面々の中では比較的良心的な人物として描かれていたと思いますが、今回のチャンネルでの解説では
漫画の印象とは幾分か違った人物像が垣間見れて面白かったです。
新しいスタッフさんが入ると、知識の入口も増えるから楽しみですね!と思いました!
いつも楽しく拝聴させて頂いています。
[9:40] 古いなぞなぞに
「母には二度あうけれど、父には一度もあわないもの」なあに?
その答えは「唇(くちびる)」というのがあります。
母は「haha」ではなく、古くは「fafa」と発音されていたようですね。
2022/8/12 23:06:42
三谷さんの博識ボケを気付かせてくれて有難うございます。皆様のコメントも大変勉強になりました🙏。時房の今後の出番が楽しみです。童顔の瀬戸トキューサがGOTOBA松也とどう渡り合うか楽しみです。
おおおお!トキューサ!
そしてトキューサこれからがますます楽しみになりました。
ゆる言語学ラジオとのコラボで日本語の歴史回、待ってます!
後に得宗家から時房系の直系は冷遇されて、傍系が厚遇されるなど、時房系の権力基盤を削ごうと苦心してますね
ゆる言語学ラジオがここで出てくるとは!
時政パパのバースデーをお祝いする鎌倉の皆さん…現場の雰囲気が垣間見えますね
一言メッセージが書かれた色紙の寄せ書きが😀
私は、本番で誰かが時房ってセリフをトキューサって言ってしまいカーット!
で、トキューサってあだ名がついちゃったのかと思ってました
それで色紙にトキューサって書いたと…
もっと真面目な深い理由が考えられるんですね
なるほど、三谷さんに聞いてみたいですね
頼家の叔父なのに近習ってよく耐えたよな、トキューサ
解説ありがとうございます、時房の嫡流である大仏流が冷遇されたのも将軍にも信頼された
彼の力を得宗家が恐れたのかもしれません、後に嘉元の乱で衝突するのはずっと後の話ですが泰時との関係がどのように描かれるかは気になります。
冷遇されたのは大仏流というよりは佐介流の方では?
でも泰時など得宗家が本来時房の嫡流のはずの佐介流ではなく大仏流を優遇したのは、時房の権力基盤を子孫に丸々相続されるのを恐れたからだと思う
時房の力を削ぐために二つに家を割ったらしいですね、待遇は赤橋流や金沢流に比べると大仏流は下という印象です。
@@平時国 極楽寺流というか赤橋流の待遇が良すぎるんですよ笑
やはり重時、長時がよく得宗家を支えた事が結果として子孫の繁栄に繋がった気がしますね
まさかここでも「ゆる言語学ラジオ」が繋がるとは思ってもいませんでした。
私も本編見たときはトキューサって何?
この時代の日本にカタカナ?って思いましたけど今回の解説で納得しました。
中世、ことばの2文字め以降の「はひふへほ」は「わいうえお」に変わるので「トキフサ」から「トキウサ」、キウはキュウに変わる(キウシウはキュウシュウに)トキウサがトキュウサになるのは普通の音韻変化では?
古文の教科書に良く出る「平宣時朝臣、老の後、昔語りに」(徒然草第215段)の「平宣時朝臣」は、大仏宣時のことであり、ここで紹介される北条時房の孫に当たります。宣時も祖父と同様に連署に就任しています(当時の執権は北条貞時)。
1323年に86歳という高齢で亡くなりますので、徒然草のくだりは、死の間際に「時頼さまが生きていた60年ほど前の鎌倉は、質素で良かったなあ」と郷愁に浸っていたのだと思います。
おうばんって、大盤振る舞いのおうばんですね。トキューサの件といい、この番組勉強になります。
そろそろ歴史探偵に呼ばれるかも😎
草燃えるの時は金八先生の数学教師役だった森田順平さんが演じていましたが、8月に頼朝の死が描かれた後は松平健さんの義時を補佐する役目を担っていましたが、この時は五郎と呼ばれていました。
草燃えるでは森田順平さんが演じていました。金八先生に出てた乾先生役の人です。
今のところ本作のトキューサは餅を丸めるのが下手だけど蹴鞠は上手い人物って印象なのですが、これからの成長で黒くなるのが楽しみです。
あとは「顔立ちが幼い」「最も年下の近習と、頼家に誤解される」ところが、現在の時房の印象ですね。
北条一族は、全員、曲者ぞろい。
その中で、比較的まともなのが泰時ですね。泰時が中心となって制定された「御成敗式目」がその代表例です。
時房に存在感が出て来て興味を持ちこの動画を拝見しました。
発音の件が興味深いですね、は行の発音が無いとすると北条もオウジョウなのですかね?
オウジョウトキューサ
なんか〜砂漠夢奇譚〜とかサブタイトルが付きそうな人になったw
以前から、泰時の時代に執権を泰時、時房の2人体制にした意味が気になってます。泰時の力量が足りなかったわけではないですし、むしろ後の得宗専制の時代を考えると執権がこの時2人いたからこそとも考えます。2本の太い柱だったわけですね。二人の力も分散、対立することはなかった。
はひふへほ の発音とても面白く、歴史がさらに深く感じました。
北条時房をリクエストしようと思ってました!\(*ˊᗜˋ*)/
時房もすごい興味深い人物ですよね!
武士道さんの解説はわかりやすいし楽しいです。
毎回楽しく勉強させてもらってます!
これからも期待しております。
ハ行の音がなかったら藤原秀衡とか「ウジワラノイデイラ」みたいな感じの発音だったんですかね?案外この時代ってハ行の音が入ってる人名が少なくない気もします
発音に限らず、今あるけど昔無かったもの、昔あったけど今無いものって沢山ありますよね。
つい現代人の感覚で考えてしまうけど、そもそも常識が違うのだから完全に理解するのは難しい。だからこそ面白い。
武士道さんもサンプル1の用例やったんか!
なるほどでした!Mr.武士道さまもゆる言語ラジオを見てらっしゃるのですね。好きなものが繋がってちょっとうれしい☺
諱は普段使いしないだろうけど、平六や平三もすごい発音してたのかもしれませんね
ハ行を発音してないというのは、以前チコちゃんでやってましたね。「私は」の「は」は何故「わ」と読むのかということで。
結論は、昔は「私ぱ」と読んでいたが、話しにくいから「私わ」に変わったらしいです。
なお、「母」も読み方も出てきていて、「はは」は「ぱぱ」と読んでいて、母なのにパパ?とオチをつけてました。
話は脱線しますが、「私は」を「私わ」と読み出したのは、江戸時代からみたいです。
当主が20代や30代で死ぬ短命の得宗家でなく時房が嫡流になっていたら北条の内輪揉めや元寇で鎌倉幕府が弱体化することもなかったと思う
得宗家当主は、泰時の子・時氏以降は貞時(享年40歳)以外は20代・30代で亡くなっています。(最後の高時は自害。他は病死。)
一方で傍流は長生きが多くて、時房は66歳、義時の三男で六波羅探題・連署を務めた重時は64歳、義時の五男で第7代執権の政村は69歳、時房の孫で連署を務めた宣時は86歳まで生きます。
やはり、「得宗」「執権」という目には見えないとてつもない重圧があったり、得宗家が同族婚を繰り返して当主が虚弱体質になった要素があったのだと思います。
古文ではau➡︎o iu➡︎yu eu➡︎yo となるので、toki(f)usa➡︎tokyusa と普通に呼ばれてて、文章では時房と書かれたので、後世の私たちは「ときふさ」と発音しているのでは。
おそらくは鎌倉の豊臣秀長様
当時のハ行の発音、調べてみたいですね!ホウジョウやハタケヤマはどんな言い方だったのか…?
言語学の話が面白かったです。フランス語もハヒフヘホが存在せず ホンダ→オンダ と勝手に名前まで変えられるそうなので日本語の古語はフランス語と言語学的に近かったかもしれませんね
まったく関係ありません。
まったく違います。
そろそろ鎌倉殿のキャラクター人気投票して欲しい。濃いキャラが多すぎて……………。
こんにちは。
なるほど。
発音のこと、おもしろい。
下総しもふさ→しもーさ
時房ときふさ→ときゅーさ
一種の音便のようなものなのですね。
私は時房の「房」の文字に、藤原良房を思い出しました。藤原良房は、皇族以外に初めて摂政に就いた人物です。北条時房ほどの人物であれば良房を知らないはずはないので、ひそかに野心を持っていたとしても違和感はありませんでした。
トキューサ、途中から出てきたエリート
三谷幸喜さんの博識、雑学をドラマにかなり挿入してるなぁ😮😅
難しいって―三谷さん 笑
古畑任三郎の赤い洗面器の男並みにトキューサ意味ぷやった
頼家の「近習5人衆」は、現代で言うところの「かすかべ防衛隊」みたいなもんなんやろか?
三位...ドラゴンボールでいえば、ナッパがベジータの親父に俺を王にしてくれ❗と言ったみたいな感じ..な訳はないか( ´-`)
トキューサは内輪ネタらしいですよ。
北条家の執権になった人々は結構エピソードを知ってたりします(時頼の「鉢の木」とか)が時房のエピソードは知らなかっただけに凄く良かったです。
それと「トキューサ」に関しては、可能性として承久の乱直前に義時や政子が「トキューサの乱」と聞き間違えて「弟まで粛清されるの?」と視聴者を釣のるかと思っておりました。
(しかし「キユー」しか合って無いw)
時房→ときうさ→トキューサってことか…
ミスター武士道様
初めてコメントさせて頂きます(^_^)
いつもチャンネルで予習してから大河を見ています。
は行がなかった。。。なるほど。。。フランス人みたいですね~(^_-)
私は少しフランス語を話しますが、フランス人は本当には行が発音できない!
何度教えても「おあようございます」とか「あにゅうゆずる(羽生結弦)」って言うんですよね~。
でも当時の日本もそうだったんですね~勉強になります(*^_^*)
本日15時に私のマユミージュチャンネルで鎌倉殿の13人のテーマ音楽のピアノとヴァイオリンの演奏動画を投稿しました♬
これから予習を重ねてますます後半の大河に集中していきます(^o^)
これからもますます充実の投稿を楽しみにしています(^_^)/
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
頼家と時房は7歳違いなので、兄弟感覚で接していたのではないかと思います。
頼家から見れば時房は伯父さんになるわけだから。
鼓つづみ の判官は、
ヨイショ上手な
太鼓持ち🪘
「けふ」で「きょう」って読むのとおんなじか
しかし言語学ね~ どんな分野であれ勉強はしとくもんやな
メデューサと時房のフュージョン?
ハヒフヘホの発音がなかったこの時代にバイキンマンが生まれていたら、彼は何と叫んでいたのだろう⁉️😆😤🤯😭
蹴鞠の腕前を褒めた後鳥羽上皇も『トキューサ、トキューサ』言い続けそう。
「はひふへほ」が全部別の音だったとすれば、「ときゅーさ」のまえに「ふぉーじょー」のギャグがくるんじゃねーか?
「はひふへほ」が「なかった」ではなくて、「発音が一つではなかった」ってことで、文頭にくる「はひふへほ」は、基本、今の発音と同じだろ。
メデゥーサ(北条政子)の弟だからトキューサ?って勝手に想像してました、知らんけどww
時房さんの子孫が知りたい
北条はなんて呼んでたんですか🤔?
メドゥーサの親戚なのかと
めどふさ。顔を見ると石になる南蛮の妖怪。
北条政子も当時の発音だとポウジョウマンコ
なるほど。
確かに「政所」を「マンドコロ」と読みますから、コメ主様の御指摘に納得しました、
ただ、「政子」自体は彼女の死後、他人が便宜的に勝手に付けた名前。この時代、女性の多くが本名不明。
後で冷静に考えましたが、ひょっとして上記のコメは「マジにネタレス」なんですかね?
だとしたら、こんなコメに真面目に返信して損した気分です。こんなコメは、このChではやらない方が良いと思います。
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一応マジです。下記ソースと言うか、参考動画。
ruclips.net/video/gOrhf-5jPPU/видео.html
ゆる言語学ラジオ好きならオススメ
こんなところにも用例が。
時房の件はウィキによると、平安時代には行転音が起きてワ行になったと言うことです。つまり恋はこひ(こふぃ)と読んでいたのが平安時代にコイと呼ぶようになったとあります。つまり時房はトキウサと呼ばれるはずだった。しかし又戻ったりしたそうです。は行がパ行になるのはもっと古い時代ではないかと思います。私も昔平安時代はファ行だったと聞いたように思います。は行がパ行になるのは韓国語のように感じるのでもしかしたら統一教会に影響を受けた番組などがあるかも知れません。てふてふをチョウチョウと読みますがテプテプと読む記録は無いと思います。ただ関東武士は朝鮮半島系が多いのでパ行になったかもしれないですね。
ちなみに当時の読み方の話をすると
政は政所(まんどころ)のように「まん」と読んでいたので、北条政子は…w
発音の説明が長いわ、サクッと進めて欲しいぞ。
成る程!昔言葉か。だとすると
現代言葉で脚本書くことに否定的な人たちに
三谷さんからの一撃かもと、思っちゃいますね。
トキューサレベルで会話をやってついて来れるのか!お前ら!
みたいな。
ふぐり
そうだよ現世では時政の子が時房 時房の弟が頼家
難しいって―三谷さん 笑
古畑任三郎の赤い洗面器の男並みにトキューサ意味ぷやった
しかしトキューサは伏線としてまた博識ボケで回収しそう