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スーパーカーと言えば、カウンタックLp400&フェラーリ512BB&ミウラ&930ターボは、自分が小6の頃に憧れたスーパーカーでした。😅
カウンタックと言えばLP500Sも外せませんね。
@@final-bento LP500Rってのもあった
@@final-bento 様、右ハンドル仕様のオーストラリアからの並行輸入中古の500は見たことあります。違和感はあまりなく少しペダル配置が窮屈らしいです。ウィング付き距離不明。すでに販売契約されており、乗り込めませんでしたが、日本で走らせるにはいいかも。
日本で初めて300キロオーバーした改造市販車は光永パンテーラ!彼の生涯は本当にドラマティックでした!
子供の頃、カウンタック好きでしたね🏎️懐かしいですね😄
ヤッパあスボーツかーと言えばカウタクですよね(笑)
オリジナルはたったの一台だけ作られた幻のランボルギーニ イオタにはロマンを感じずにはいられない
私も「イオタ」がイチ押しでした!!当時はね(笑)。でも、今は「小排気量で大排気量をブッチ切る「ロータスヨーロッパ」の方が好きかな(笑)。
シーサイドモータースのシールを後ろに貼ってあった赤のイオタの写真が懐かしい。ダクトの空いたマグネシウムのリアカウルに大き目のSVの三色テールだった。
岩下レーシングから通販でポスターを買って壁に貼っていました。
たった1台だけ作られたイオタはクラッシュして壊れてしまったが、後にランボルギーニ公認のレプリカが何台か作られた。
何年か前に車雑誌で見た、オリジナルのランボルギーニ「J」を模したクローンJって車体の話,たまたま時間のない時にチラッと立ち読みしただけなので思い出したついでに検索してみようと思いました。子供の頃のスーパーカーブームの時に写真を見たのは「SVR」だったと後年になって知りました。
このころのスーパーカーで思い出すのは「サーキットの狼」 スーパーカーたちを大改造した、シルエット・フォーミュラーマシンが大好きでした。
BMWも当時は珍しかった。 「ベンベ」って呼んでた(わかる世代いますよね?)
ベンベのマル2は…有名でしたね!
日本ではこの後、2000シリーズの後継の初代3シリーズでブレイクしました。
@@しらしぐ-r1i BMW2002にはターボ車があって、日本でも売られていました。
ポルシェもランボルギーニもロータスも正しい発音だから、BMWもドイツ語で正しく発音すれば「ベーエムヴェー」となるのか、と知ったのは大学でドイツ語を習った時だった
ベンツはアーマーゲー
マセラティ・ボーラな😢
うん!うん!
マセラティといえば、今は高級車で有名(主力セダンのクワトロポルテはイタリア政府の公用車)。でも、時々思い出すようにスポーツカーも作ってる。
たしかメラクもあったような。
化粧品かよ?ってなった!
@@村瀬祐介-j9z中古車市場に一台出てますね!
個人的にはディーノが好き。車名がつくまでの話、開発者の中に、エンツォフェラーリの息子が絡んだこと、スタイル全てが好み
開発製造はフェラーリだったのに、エンツォが「V12以外にフェラーリの名を使うな」って言って息子の名前のブランドにしたとか。あと、この軽量V6エンジンはフィアットディーノと前述のランチャストラトスにも搭載されてたよね。どちらも名車なんだけどかなりの数がディーノのレストア目的に潰されたといわれているみたい。
誰も知らない童夢-零が地味に好きですw
当時、非常に華々しく発表され話題になったのですがね。一般のTVニュースでも放送されていた程です。
いやいや童夢-ゼロは有名ですよ!
未だにランボルギーニミウラが車の中で一番美しいと思ってます
確かに、超美しいボディライン🎉ライトも素敵🎉
ミウラから日常の装飾を取っ払って、競技用の改造と装備変更した「J」(イオタ)は妖艶な美しさに思えました。オリジナルが焼失したのは本当に惜しい。どこかの車好き富豪が造らせたと聞いたクローン「J」はどうなんだろうか?
@@川手浩 私は造形美としてミウラの方が好きですただフェルッチオ・ランボルギーニのレースには参加しないとのポリシーに、密かにボブ・ウォレスらがホビーとしてコンペティションカーに仕上げたJの神秘性と伝説には私も興味深々ですミウラももうすぐ生産されて60年!クローンJも含めて走れる状態で保存され続けて欲しいですね!
潮来のオックス型イオタがめっちゃ好きです🎉
@@川手浩 フェルッチオ・ランボルギーニがレースをしないと明言ボブ・ウォレスらがホビーとしてコンペティションモデルのJを製作し売却したが事故で…ミウラの造形美の完成度の高さの方が好きですか、Jの神秘性と伝説には興味は尽きません発売してもうすぐ60年派生モデルのクローンJも含めてミウラオーナーは大切にして欲しいと思います
スーパーカーブームの頃、カウンタックと512BBや308やストラトスが花形で、マセラティボーラとメラクはイマイチだった。スタイリングもなんか『ボテっ』としてて、正直パッとしないなぁと思ってた。数年前、ユーザー車検を受けに行った陸運局に、マセラティメラクが停まっていた。鼻血が出るかと思うほど、セクシーでスタイリッシュで、めちゃくちゃカッコ良くてしばらく見惚れてしまった…タイムマシンで過去に戻って、メラクをパッとしないなどと思ってた小学生の自分をブン殴ってやりたくなった。
自分達の頃はランボルギーニカウンタックだなぁ。スーパーカー消しゴムでも集めてたけど、学校で皆でスーパーカー落としで遊んでたら先生に見つかり、説教&カー消しゴム没収。焼却炉行きになった😢
ロータスエスプリは映画007では、潜水艇に変形するタイプや、エスプリターボでは自爆機能が付いたモデルがありましたね。
アマプラに鈴木亜久里さんが当時のスーパーカーに試乗する動画がありますが、その感想が結構意外で・・・カウンタック:「トルクが全然足らない!」512BB:「ワンボックスカーだ!」・・・など、面白かったですね。
潮来のオックス😍イオタは憧れでした〰💕
同感ですね。風吹ゆうやより、関根の方が好きでした🎉
リアウィングを付けたら、フロントが浮いちゃってステアリングが効かなくなる迂闊なカウンタックが愛おしい…
じゃけん前にもウィング付けましょうね〜。
実はフロントスポイラーは、北米仕様には着いてた、日本は、認可されなかったとか!
スーパーカー消しゴムや王冠イラストの定番でしたね。
サーキットの狼、サンスタースーパーカーショー、スーパーカークイズ、スーパーカー消し、カード、メンコそしてプラモ!‥あの頃にもどりて〜もう 50年前ですかね涙涙、今はあの世の親父もお袋も元気だったなー
めっちゃわかります。良い時代でしたよね
@@よるとばり 思いかえすとほんとにイイ時代を過ごせましたよね👍
007のトヨタ2000GTがオープンカー仕様だったのは、ショーン・コネリーが長身すぎてまともに乗れなかったからと言われてる🤣結構、突貫工事でオープン仕様に改造したから、フロントガラスはアクリル製だったりしたらしい。
フェラーリのエンブレムが付けられなかった「ディーノ」が大好きでした。なんとも言えない「曲線」が美しかった!ほかにはランボルギーニのウラッコやシルエットも
懐かしいですねえ。1976年 黄色のランボルギーニミウラで東北自動車道のサービスエリアでたくさんの方に取り囲まれたこと、池沢さとしさんのフェラーリ365BBや切替徹さんの?のお車をお借りしたこと、新車のカウンタックLP400では、サーキットコースで助手席でしたが走行したこと。三宅一生さんにスーパーカーコンパニオンガールのコスチュームデザインをお願いしたことなど、動画を見て思い出しました。良き思い出ですかね。
夢中になってたのは365GTB4デイトナかなぁ、ミッドシップよかロングノーズショートデッキが格好良かったなぁ
デイトナ、カッコいい🎉デイトナか、ディトナか、今でもわかりません😅
30年位前、東北道のSAでデイトナ見ました。二度見してビックリ、写真撮ろうと思ったけど、私の携帯はカメラがついてなかった(泣)
😢⤵️⤵️
昭和のス-パ-カ-は茨城県の神栖にあるサ-キットの狼ミュージアムで今でも見学出来ます。ランボルギーニミウラの車高の低さと車体幅の大きさに圧巻されます。
そこ行きました!また行きたいです。あと、栃木市の魔法陣ミュージアムに行ったらミウラの暖気シーンに遭遇しました。
ミウラ、サイコーですね。🎉ボンネットをカパッと開けてみたい
今でもフェラーリやランボなどスーパーカーはあるけどカウンタックほどオーラのある車種はないよね❤あの時代光り輝いてた数々のスーパーカーの中でも別格だったと思うよ🎉
同感ですね。今のランボルギーニより、昔のカウンタックやミウラ、イオタの方がオーラが有った🎉
幼少の頃、今は亡き親父に連れられて清水三保でのスーパーカーショー行ったなぁ…赤いカウンタックLP500が格好良かったなぁ…あの頃が懐かしいよ
すっごく、わかります。自分も、父を思い出します😢
自分の中では何と言ってもカウンタックLP500キングオブスーパーカースーパーカー消しゴムからラジコンまでありとあらゆる物まで買ったり買って貰ったかなもし今も走ってたり街中で見かけるようなら胸が躍るような興奮するくらいLP500には魅せられた
LP500S(ウルフカウンタック)初号車は 映画『蘇る金狼』の劇中で 松田優作さんがドライビング。その後 織田無道住職の愛車となりましたね。
織田無道さんも令和2年に癌で亡くなられてますね。
世代的に全部ドンピシャでしたが『ロータスヨーロッパスペシャル』のスペック(1600ccDOHC 126PS)にも触れて欲しかった。それでも馬力的には大した事はなかったけど 600㎏台の軽さのお蔭で 200km/hを可能にしていました。
お〜〜 まさにドンピシャ世代実際 大人になり 頑張って ’75ロータスヨーロッパSP ビックバルブ 手に入れて 3年乗りました。懐かし過ぎるでしょ!今でも フェラーリやランボ観ると おっってなる‼️
昭和のスーパーカーなら、市販こそされなかったけど、童夢ー零 も 大事
懐かしいです。ありがとうございます。私はロータスの2台だな。やっぱり
スーパーカーのクラブに入っていたのでほぼすべての車に乗りました。自分はパンテーラでしたがクラブにはほぼすべての車種が有りましたね。パンテーラとボーラはパッケージで見てもよく似ててドライブしても似ている。カウンタックやBBなどはエンジンが大きく重いのでカウンタックなど200を超えるとフロントが浮くので怖かったですね。ストラトスなどは直進はイマイチだけど面白い車ドアが厚くてヘルメットが入る。ミウラもいい車でしたね。光永さんと言う307キロの記録を出した知人は雨の降りだした目黒通りで亡くなりましたが少し前まで原宿の表参道でお会いしてお茶しましょうと言うと「ワイフが待ってる」とニコニコして危険だからと誰も横に乗せない奥さんも乗せない、穏やかで物静かな方。その後、青山のエンドレスでたぶん雨さんや大川さん、あそこはアメリカンカークラブの集まる喫茶でしたからね。顔を出しての帰りの事故。降り出した雨でスリップしたんですね。強く誘えばと後悔しましたね。74のカレラだけは残してありますが思い出深いですね。パンテーラはブレーキは効かない、オーバーヒートはする、それでも乗るのはカウンタックよりは室内が広いので楽、ミッションはGt40と同じで非常に丈夫。トルクがあるので1-3-5と言うギヤで走るのが普通。どれも夏は乗れないですね。
光永さんの話は福野礼一郎さんがお書きになった逸話で知りました。アメリカの有名なチューナーと粘り強く交渉してチューニングエンジンを製作してもらう話や、福野さんが取材した直後に事故で亡くなってしまった話。事故車を見に行って運転席に電柱が食い込んでくの字に折れ曲がった車体を見て、どう見ても運転者は即死だと書いておられました。熱意と手間暇を注ぎ込んでできた車もふとした事故で台無しになって操縦者の命も奪う、儚く悲しい話に感じられました。まぁモータースポーツと同様に事故で命を落とすこともある程度覚悟してやっておられたのでしょうが。
貴重なお話、ありがとうございます😊
@@川手浩 ご返信ありがとうございます。事故を聞いて慌てて翌日目黒警察に出向きましたが運転席側が当たってましたね。福野さんが光永さんの横に乗ったというのはウソですね、何かあったらと絶対に人は乗せない奥さんでも乗せない人でした。うちのクラブはオプション誌の常連で最高速チャレンジ企画があってそこで光永さんの車は307キロを記録したのですがドライバーを務めてくれた故高橋国光氏が車を降りると「素人がこんな車に乗ってはいけない」と仰ってそれが事故の報を聞いた時は頭に浮かびました。よくレースカーの基準で作って無い車に危険を冒して乗ってくれたなとも・・しかし福野さんの話は申し訳ないがウソが多いですね。雨さんや大川さん、武田ポルシェの武田君{彼の保有していた6台のうちの1台が彼から購入したカレラです}などそういう中で福野さんがいたというさんですね記憶が自分を含めてみんな無いですね、むしろ大ちゃん、稲田大二郎さんですね、彼は顔が広くて有名レーサーとも広い付き合いがある。とにかくいい時代でしたね・・
@@j_yukichi ご返信ありがとうございます。
ランボルギーニイオタ、好きでした😊
実車は1台のみ。ランボルギーニ社の社員が事故で廃車となった。だがあとからミウラオーナーの願いから、ミウラをイオタ仕様に改造され、ランボルギーニに承諾を得た車がある。
ロータスエスプリを見たときにスーパーカーがあんなにペッタンコだとは思わなかった!
屋根に吸気ダクト付きデトマソ・パンテーラとポルシェ935とイオタ・512BBが子供の頃お気に入り
たまに風吹裕矢仕様のロータスヨーロッパとすれ違います。ナンバーも下三桁がちゃんと740でした。
懐かしい───ッ!スーパーカーショー 見に行きました
2年生の時行きました。あの感動は今でも忘れない
晴海かな?😂
@@momokoyuni いえ 北海道で
北海道でもやってたんですね。サンスター歯磨き粉で当たるやつかな?
@@momokoyuni 違うと思います
何故だろう。スーパーカーブームの時に見たスーパーカーこそ最もスーパーカーだと感じる。エバンたドールもムルシエラゴもディアブロも超えて、カウンタックのLP400がスーパー過ぎ。
同感ですね。今のランボルギーニには、何故か、パッションを感じません😅😂
小5,6の時、スーパーカーブーム。横浜にシーサイドモーターというスーパーカー屋さんがあって初めて見に行った時のこと。店内にはBBとランボのエスパーダがあって、それなりに満足しました。が、なぜかその日は当りで、数分のうちにその店の近隣で、ディノ、2000GT、930ターボそして、なんとミウラを見た。ただ、ミウラはシーサイドのヤツだった。
マイナーな、エスパーダも魅力的でした🎉
当時、小学2年生でしたね!スーパーカーブームは!うちはランチャストラトスが好きだったなぁ~♪
@@しらしぐ-r1i 100円プラモありましたね。なかったかな?地域によるかな?アルピーヌルノーA310とかランボルギーニシルエットとかメジャーじゃないのもありました。ドア開閉、ゼンマイ走行、マツダサバンナやフェアレディZも。カウンタックが後発だったのが残念だったが、ポルシェが930ではなく、928だったりと車種選択が面白かったです。
ランチア・ストラトスは、フェラーリディノ246GTと同じエンジン。マセラティ・ボーラは、当時輸入車の中で、最高速度のテストデータで最高記録を出してた。
デ・トマソパンテーラが1番思い入れあります🎵
@@相原孝一 パンテーラは、エンジンが当時のマスタング マック1などと同じだったからOHVだった。
昔むかし、テレ東で、『スーパーカークイズ』ってやってた❗️
山田隆夫さんと 後に山田さんの最初の奥さんになられた方が 司会でしたね。
僕の憧れ♬僕の恋人♬スーパーカー✨
ポルシェが速かったですね😊
よく赤のアルファ・ロメオ モントリオールが出てましたね、ライトにシヤッターでセミリトラクタブルが印象にありますね
実に懐かしい😂カウンタックがあまり登場しなかったので、ガッカリしたのを思い出します😅
マセラッティは、ボラやカムシン、ギブリといった寒波、熱風などの局地風を名前にしていますね。ポーラだと北極みたいで可愛いネーミング。蘇る金狼では、松田優作が乗っててかっこよかったです。もちろん最後はカウンタックでした。
スーパーカーブームでカウンタックに憧れてプラモとか沢山買ったけど、大人になったらあまりにアバンギャルドな外観に拒否反応を起こしたが、そろそろ一周回ったのかカウンタックのカタチも良いなー最近また思い始めた🤭ワラ
ランボルギーニはカウンタックに始まり、ディアブロ、ムルシェラゴ、ウラカン、アヴァンタドールまで一貫してスタイルが似ていると思います。ディアブロとウラカンは乗せてもらいました。知人の友達の車。ディアブロはとても平べったい幅のある車でした。ウラカンも大きいですが、V10でコンパクトに感じますが、フロント周りの鋭い目つきは圧巻です。
ミウラはサーキットの狼の主人公の姉の彼氏の愛車だったような
飛鳥ミノルですね🎉
ミウラとフェラーリBBが好きだったな、懐かしいわ✨スーパーカーブームの時に、ランチア・ストラトスも紹介されていたが、これも好きだったわ
フェラーリ365bb ランボルギーニカウンタックLP400 ポルシェ911カレラ 当時の3大スーパーカーだな。👀🎵 個人的にはディーノ246gtが好き。👀✋🎵
スーパーカー漫画といえばブームを作ったサーキットの狼がもちろん偉大だが、すがやみつる先生の「ひみつ指令マシン刑事999」は、雑誌の看板漫画の仮面ライダーより人気が出てしまって打ち切られた逸話を持つ傑作だぜ!!あ、一番好きなスーパーカーはランチア・ストラトスです。格好良いし、特定の分野に超特化してるのがしびれる。
999なのに出てくるポルシェは934というのが腑に落ちなかった・・・
確かカウンタックは、ウマ娘でもマルゼンスキーの愛車“タッくん”として、登場してたかと…特殊固有スキル発動時のカットインで、フルスロットルで走り抜ける姿が見られたかと。
930ターボは当初4速ミッションでした。
で、末期モデルだけは5速に変わってた。
ポルシェは特に934がお気に入り🚙928がキャノンボールでぺしゃんこにされたのは悲しかった・・・ロータスはエスプリが007で潜水艦になったのは面白かった🚘ランチアはクリスマスにラジコンを買ってもらった🏎マセラッティはメラクのほうが好きだった🚗フェラーリは512🚘ランボルギーニはイオタ一押し🚘
ランチャ・ストラトス大好きでした特にイタレリカラーに塗装されたラリー仕様が最高にシビレました!
@@カズボー-e9r (今は無き)アリタリア航空ですぬ。
ガキの頃、スーパーカー消しゴムってのが流行って、BOXYのボールペンで弾いて、レースしてましたァ😁007が好きなので、“エスプリ”好きっす🤩ただ欠点があったらしく、ロジャー・ムーア曰く「アイドリングすると、すぐエンストしたんだ。」との事です。“ランチア・ストラトス”は、ラリーカラーが人気でした。フロントのライト部分なんか特にネェ(まァ個人的にもネ😁)
トヨタ2000GTには、SOHCエンジンを積んだ2300GTもありましたね。
2300GTは試作されただけで、市販されなかった。
デ・トマソ・パンテーラ、出てますパンチーラなんていうネタあったな。
ゲッ!😨トマトパンティだ!
つい最近、札幌の石山通りで真っ赤なアニバーサリーとすれ違い、後からドラレコ映像を見まくりました(笑)昔はカメコ、今やドラレコ…(笑)
懐かしい!!かっこいいスーパーカーがたくさん!!おとなになって中古のヨーロッパスペシャルの値段270万円を見て買いそうになった・・・いやぁ素晴らしい動画!!ですが、スーパーカー見たいから、おまんじゅうさんの大きさと場所を調整してほしかったですTT
ポルシェが圧倒的に強かったのはカンナムなどでターボ技術が確立していたからでしょうね917Kで1000PSとか。今みたいに賢いCPUなんてない時代、さぞかしドライバーは恐ろしかったかと後年になってカーグラフィックがカウンタックと512BBをヤタベでロードテストしてましたが最高速で260㎞ぐらい。メーター読み280㎞とかデザインは美しいけど空力とかまだまだ。当時の記事を読むと230超えた辺りから見えない壁に阻まれて加速しないと書かれてましたソレを知ってもなお憧れのクルマですネ
カウンタックに、日本の軽自動車のエンジンを積んだもので良いから、安く販売してほしい🎉😅
@@よるとばり ケーターハムスーパー7の軽自動車枠はありますね。800万円でしたっけ?
ディスカウント、お願いいたします😂
デトマソパンテーラが大好き❤
スーパーカーブーム当時、ストラトスはラリー最強だと思ってた。プラモデルも良く作った。ライトポッドにムギ球入れて6連ライトを点灯させては悦に入ってた(笑大人になっていろんな雑誌を見たら、ストラトスと一緒に並んでいたライバル車は、丸目2灯のランサーや510ブルやセリカ…1.6~1.8リッター4気筒のFR4ドアセダンだった。一方、ストラトスは2.4リッターのV6エンジンのMRで2シーター。タイヤ径は2インチくらい違うし、タイヤ幅も1.5倍くらいある。これじゃ勝負にならんよな…GTレースに一台だけF-1混じってるようなものだもん。しかも他メーカーが船便で車両を運搬して転戦してるのに、ストラトスはスポンサーのアリタリア航空✈️を使って、バンバン空輸して早々に現地入りしてたからテストも準備も万全でラリーに挑んでた。そもそも他のメーカーは予算の都合上、人気のあるラウンドだけのスポット参戦なのに、ランチアチームだけは年間チャンピオン目指して全てのラウンドに参戦してたのだから、チャンピオンを獲れない方が異常な状況だった。ストラトスは、クルマとして優れていたからチャンピオンになった訳では無かったのだ…でも、ストラトスは今でも1番好きなクルマです。一生手に入れる事はできないけどね…宝くじの1等に何回当たっても無理。500台しか作って無くて、現存する個体は既に世界中のコレクターの車庫に収まってて市場に売り物が出る事はほぼ無いからね…
確かに、ライトを沢山付けられるのも魅力的でしたね。ストラトスも、コーナリングが良いらしいので好きでした。🎉
たしかに航空会社がメインスポンサーというのは、世界中を転戦するのにすごいアドバンテージになりますね。蛇足ですが、新谷かおるのマンガ「ふたり鷹」では耐久バイクレースで日本航空がメインスポンサーになり、世界中を転戦するのにサポートすることを描かれています。
ふたり鷹、エリア88、ファントム無頼、めっちゃ好きでした🎉🎉🎉
@@poo5988 「ふたり鷹」は1984年にアニメ化されましたが、制作した国際映画社が倒産したため打ち切られてしまいました。なお、主題歌を陣内孝則さんが歌ってました。
@@pastelpureakgjze5791 情報ありがとうございます。今も昔もアニメよりもコミック優先で、当時の裏事情には詳しく知りませんでした。アニメ化でコミックに則したアニメが出れば、かなり話題になったのに、と思っていました。
神栖市に住んでます。車で15分位でサーキットの狼ミュージアムがあります。でもロータスエスプリはありませんがランチャストラトスはあります。
ストラトスのエンジンは、ディーノのエンジン。他にフィアットにもあったっけ。
ここに出て来た車の殆どはテレ東(旧東京12チャンネル)で放送していた「対決!!スーパーカークイズ」にも登場してたっけ。番組のラストは鈴鹿サーキット(東回り)でガチレースするコーナーもあり、「サーキットの狼」の作者でもある池澤さとしさんもレーサーとして出てました。
カウンタックはカウンタックでも、 LPI 800-4 は最近の車じゃないか。
当時、ポルシェと言ったら934ターボでした。テレビマガジンにすがやみつる先生が連載していた「マシン刑事999」の主人公の愛車。大破したあとに20mmヴァルカン2門を搭載するトンデモ改造を受けてました。
ピンクレディーの歌うCM、王冠裏のイラスト、懐かしい
カウンタックLP500Sは近所の池上モータースに飾ってありました。あとデイトナが普通に表においてあった思い出。
世界で一番カッコいい車はデ・トマソ・パンテーラだと思う。日本で一番カッコいいのはシャレードデトマソではなくて、R34スカイライン
ペプシコーラの特典で、スーパーカー下敷きを集めてた✌でも飲みきれないから(50円で300ml!)、お店の前の道路でムニャムニャ・・・
フェラーリ512BB(i)は、バブル期のF40と同様にレースで活躍していました。
最初はカウンタックだったけど後に何故かランチア・ストラトスが好きになってた、
70年代の映画の楽しみは街頭の自動車ウォッチングですね。
「対決!スーパーカークイズ」って番組やってたなぁ番組最後にゼロヨン対決とかやってた。
ミウラに憧れて、フェンダーの盛り上がりなど雰囲気が似ていたRX-7(FD3S)を発表直後に現物も見ないまま予約してました。
DE TOMASO PANTERAが好きです。ル・マンでの活躍も懐かしい
どの車の名前も覚えてるwカードに消しゴム集め、サーキットの狼、何もかもが懐かしい^^
日本の童夢ゼロがありましたが無能な運輸省が認可されなくてスーパーカーの仲間に入れなかった悲しい逸話がありました。😂
スーパーカーブームの当時ロータスヨーロッパを霧島のコスモス畑の露天駐車場で見かけたけど最低地上高が低すぎて思いっきりお腹を地面に擦っていた。(スーパーカーじゃないけど今でも田舎で駐車場問題がないため2台3台持ちも可能なためかレプリカを含めスーパー7系がよく走っている)
ロータスは『ヨーロッパ』だけでなく『エスプリ』や『セブン』も 地上高が低かったですね。(日本でそこまで低かったのは『スズキ フロンテクーペ』と 初代『セルボ』位)『エラン』は そうでもなかった印象でした。(私の所にいただいたコメントにも返信したのですが 表示されないので お手数ですが『評価順』から『新しい順』に切り替えて見ていただけましたら幸いです🙇)
ロータスヨーロッパなどサーキットの狼で、スタビ(スタビライザー)が地面に当たったとか言うシーンあります。車の左右の傾きを扣える鉄の棒。
クラスの男子では、カウンタック派とフェラーリ派に分かれてたなあ。ポルシェはあんまり人気なかった。ちなみに自分は黄色のカウンタックLP400が好きだった。ポスターをずーっと部屋に貼ったままだった。母親が亡くなって家を引き払うまで・・・。
自動車博物館に黄色いカウンタックありますぜ。高知で見たけど。
ポルシェ1番人気だったよ。早瀬左近も好きだったなぁ。
カウンタック・BB・930ターボが3巨頭! ボーラとかストラトス、パンテーラも良いけどちょっとマイナーだったな。それにしても解説のきゅうひゃくじゅういちターボってな..。
360ccのスバルサンバーのシャシーをベースに『サンバルギーニ コカウンタック LP360』を製作された方がいらっしゃいます。
スバル360をポルシェ風に改造した所さん
なななんと!アノ所ジョージさんが⁉
『コポルシェ 360』オーバーフェンダーを付けた『3ナンバー』でした。何かの番組でたけしさんが同乗して「おっせぇな〜!」と言ってました。プラモデルにもなりましたね。
動画を見たら他にもマッハ号とか出てきた
@@xkaizer-cr1xe さま製作者の福田さんは情熱的な方で『マッハ号』は『ロードスター(多分NB)』を改造したものです。
0:22ポルシェ911お願いだから『きゅういちいち』 と 言ってくれ
スーパーカーと言えば、ランボルギーニ。ミウラSVとカウンタックLP400とイオタSVRが格好良かったですね。市販車じゃないけどJも格好良いですよ。Jの設計コンセプトはカウンタックLP400に、スタイリング(外観)はイオタSVRに影響を与えてましたね。
幻のスーパーカーMAZDA RX500これが市販されていたらなー♪
フォードGT もカッコよかった。
スーパーカーブームの時クラスの男子はほとんどがカウンタック推し私は少数派の512BBだったなあ
都下の郊外だかランチアストラトスラリー仕様が公道走っていて興奮した白ベースにグリーンでフロントにフォグランプが並んでるやつ
ランチア・ストラトス・ターボ。ラリーカーのカッコ良さを知った。
アリタリアカラーがカッコよかったですね
スーパーカーの言葉が生まれる前は「エキゾチックカー」と呼ばれていた。(カーグラフィック誌で)
デトマソ・パンティ・ハイテーラ
スーパーカーブームが、永遠に続いて欲しかった。ブルートレインはイマイチ響かなかった。
512BB 赤黒ツートン!
トヨタ2000GTは007ではオープンカータイプがとうじょうし、最近ではアニメ「ハイスピードエトワール」でも登場した車種で後の70スープラ以降のモデルやレクサスLFAにも影響を与えたクルマですね。
まだ幼少期に911(934ルック)、デトマソパンテーラGTS,ランボルギーニミウラ&カウンタック、ランチャストラトスHFの横に乗せて貰える機会がありました一番衝撃的だったのは内装が質素で走るために無駄を省いたランチャストラトスHFそれもあって社会人になってからWRCで勝つために作られたスバルインプレッサWRXをすぐさま買いました(デルタHFが手に入らなかったので)イプシロンWR出ないかな?
その昔、ポーラ化粧品というメーカーが存在したのでした
ポーラ化粧品は、今も盛んにやってますが。
カウンタックってあまりいいイメージなかったんだけど、早稲田の住宅街で木々に囲まれたガソリンスタンドにドアとボンネットとトランクを全開にして停められていた白いカウンタックを見た時はあまりの美しさに見惚れてしまった
今思うと、この頃のスポーツカーって、Aピラーがあったのね。日本的には「昭和な感じ」で懐かしい。
やはりgtr32が一番好き
ここでは紹介されてないけど、モンテベルディ・ハイ450GTSというのが「サーキットの狼」単行本の巻末で隠れた伏兵的な感じで紹介されてて、最高出力390PS最高時速290㎞というスペックが記され、ランボやフェラーリ無双だと思ってた自分に意表を突かれた記憶がありますw
私的には、アメリカンV8搭載のミッドシップカーのデ・トマソ・マングスターが興味ありました。
私自身スーパーカーには詳しくないのですが、ただ子供のころ読んだ雑誌に「ランボルギーニ・マザール」と言う車が載っていて、名前だけは何故か今でも覚えています。(あいにく、その車の形は忘れてしまいました)
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB
スーパーカーと言えば、カウンタックLp400&フェラーリ512BB&ミウラ&930ターボは、自分が小6の頃に憧れたスーパーカーでした。😅
カウンタックと言えばLP500Sも外せませんね。
@@final-bento LP500Rってのもあった
@@final-bento 様、右ハンドル仕様のオーストラリアからの並行輸入中古の500は見たことあります。違和感はあまりなく少しペダル配置が窮屈らしいです。ウィング付き距離不明。すでに販売契約されており、乗り込めませんでしたが、日本で走らせるにはいいかも。
日本で初めて300キロオーバーした改造市販車は光永パンテーラ!彼の生涯は本当にドラマティックでした!
子供の頃、カウンタック好きでしたね🏎️懐かしいですね😄
ヤッパあスボーツかーと言えばカウタクですよね(笑)
オリジナルはたったの一台だけ作られた幻のランボルギーニ イオタにはロマンを感じずにはいられない
私も「イオタ」がイチ押しでした!!当時はね(笑)。でも、今は「小排気量で大排気量をブッチ切る「ロータスヨーロッパ」の方が好きかな(笑)。
シーサイドモータースのシールを後ろに貼ってあった赤のイオタの写真が懐かしい。
ダクトの空いたマグネシウムのリアカウルに大き目のSVの三色テールだった。
岩下レーシングから通販でポスターを買って壁に貼っていました。
たった1台だけ作られたイオタはクラッシュして壊れてしまったが、後にランボルギーニ公認のレプリカが何台か作られた。
何年か前に車雑誌で見た、オリジナルのランボルギーニ「J」を模したクローンJって車体の話,たまたま時間のない時にチラッと立ち読みしただけなので思い出したついでに検索してみようと思いました。
子供の頃のスーパーカーブームの時に写真を見たのは「SVR」だったと後年になって知りました。
このころのスーパーカーで思い出すのは「サーキットの狼」 スーパーカーたちを大改造した、シルエット・フォーミュラーマシンが大好きでした。
BMWも当時は珍しかった。 「ベンベ」って呼んでた(わかる世代いますよね?)
ベンベのマル2は…有名でしたね!
日本ではこの後、2000シリーズの後継の初代3シリーズでブレイクしました。
@@しらしぐ-r1i BMW2002にはターボ車があって、日本でも売られていました。
ポルシェもランボルギーニもロータスも正しい発音だから、BMWもドイツ語で正しく発音すれば「ベーエムヴェー」となるのか、と知ったのは大学でドイツ語を習った時だった
ベンツはアーマーゲー
マセラティ・ボーラな😢
うん!うん!
マセラティといえば、今は高級車で有名(主力セダンのクワトロポルテはイタリア政府の公用車)。でも、時々思い出すようにスポーツカーも作ってる。
たしかメラクもあったような。
化粧品かよ?ってなった!
@@村瀬祐介-j9z
中古車市場に一台出てますね!
個人的にはディーノが好き。
車名がつくまでの話、開発者の中に、エンツォフェラーリの息子が絡んだこと、スタイル全てが好み
開発製造はフェラーリだったのに、エンツォが「V12以外にフェラーリの名を使うな」って言って息子の名前のブランドにしたとか。あと、この軽量V6エンジンはフィアットディーノと前述のランチャストラトスにも搭載されてたよね。どちらも名車なんだけどかなりの数がディーノのレストア目的に潰されたといわれているみたい。
誰も知らない童夢-零が地味に好きですw
当時、非常に華々しく発表され話題になったのですがね。
一般のTVニュースでも放送されていた程です。
いやいや童夢-ゼロは有名ですよ!
未だにランボルギーニミウラが車の中で一番美しいと思ってます
確かに、超美しいボディライン🎉ライトも素敵🎉
ミウラから日常の装飾を取っ払って、競技用の改造と装備変更した「J」(イオタ)は妖艶な美しさに思えました。
オリジナルが焼失したのは本当に惜しい。
どこかの車好き富豪が造らせたと聞いたクローン「J」はどうなんだろうか?
@@川手浩
私は造形美としてミウラの方が好きです
ただフェルッチオ・ランボルギーニのレースには参加しないとのポリシーに、密かにボブ・ウォレスらがホビーとしてコンペティションカーに仕上げたJの神秘性と伝説には私も興味深々です
ミウラももうすぐ生産されて60年!
クローンJも含めて走れる状態で保存され続けて欲しいですね!
潮来のオックス型イオタがめっちゃ好きです🎉
@@川手浩
フェルッチオ・ランボルギーニがレースをしないと明言
ボブ・ウォレスらがホビーとしてコンペティションモデルのJを製作し売却したが事故で…
ミウラの造形美の完成度の高さの方が好きですか、Jの神秘性と伝説には興味は尽きません
発売してもうすぐ60年
派生モデルのクローンJも含めてミウラオーナーは大切にして欲しいと思います
スーパーカーブームの頃、カウンタックと512BBや308やストラトスが花形で、マセラティボーラとメラクはイマイチだった。
スタイリングもなんか『ボテっ』としてて、正直パッとしないなぁと思ってた。
数年前、ユーザー車検を受けに行った陸運局に、マセラティメラクが停まっていた。
鼻血が出るかと思うほど、セクシーでスタイリッシュで、めちゃくちゃカッコ良くてしばらく見惚れてしまった…
タイムマシンで過去に戻って、メラクをパッとしないなどと思ってた小学生の自分をブン殴ってやりたくなった。
自分達の頃はランボルギーニカウンタックだなぁ。スーパーカー消しゴムでも集めてたけど、学校で皆でスーパーカー落としで遊んでたら先生に見つかり、説教&カー消しゴム没収。焼却炉行きになった😢
ロータスエスプリは映画007では、潜水艇に変形するタイプや、エスプリターボでは自爆機能が付いたモデルがありましたね。
アマプラに鈴木亜久里さんが当時のスーパーカーに試乗する動画がありますが、その感想が結構意外で・・・
カウンタック:「トルクが全然足らない!」
512BB:「ワンボックスカーだ!」
・・・など、面白かったですね。
潮来のオックス😍イオタは憧れでした〰💕
同感ですね。風吹ゆうやより、関根の方が好きでした🎉
リアウィングを付けたら、フロントが浮いちゃってステアリングが効かなくなる迂闊なカウンタックが愛おしい…
じゃけん前にもウィング付けましょうね〜。
実はフロントスポイラーは、北米仕様には着いてた、日本は、認可されなかったとか!
スーパーカー消しゴムや王冠イラストの定番でしたね。
サーキットの狼、サンスタースーパーカーショー、スーパーカークイズ、スーパーカー消し、カード、メンコそしてプラモ!‥あの頃にもどりて〜もう 50年前ですかね涙涙、今はあの世の親父もお袋も元気だったなー
めっちゃわかります。良い時代でしたよね
@@よるとばり 思いかえすとほんとにイイ時代を過ごせましたよね👍
007のトヨタ2000GTがオープンカー仕様だったのは、ショーン・コネリーが長身すぎてまともに乗れなかったからと言われてる🤣
結構、突貫工事でオープン仕様に改造したから、フロントガラスはアクリル製だったりしたらしい。
フェラーリのエンブレムが付けられなかった「ディーノ」が大好きでした。なんとも言えない「曲線」が美しかった!
ほかにはランボルギーニのウラッコやシルエットも
懐かしいですねえ。1976年 黄色のランボルギーニミウラで東北自動車道のサービスエリアでたくさんの方に取り囲まれたこと、池沢さとしさんのフェラーリ365BBや切替徹さんの?のお車をお借りしたこと、新車のカウンタックLP400では、サーキットコースで助手席でしたが走行したこと。三宅一生さんにスーパーカーコンパニオンガールのコスチュームデザインをお願いしたことなど、動画を見て思い出しました。良き思い出ですかね。
夢中になってたのは365GTB4デイトナかなぁ、ミッドシップよかロングノーズショートデッキが格好良かったなぁ
デイトナ、カッコいい🎉
デイトナか、ディトナか、今でもわかりません😅
30年位前、東北道のSAでデイトナ見ました。
二度見してビックリ、写真撮ろうと思ったけど、私の携帯はカメラがついてなかった(泣)
😢⤵️⤵️
昭和のス-パ-カ-は茨城県の神栖にあるサ-キットの狼ミュージアムで今でも見学出来ます。
ランボルギーニミウラの車高の低さと車体幅の大きさに圧巻されます。
そこ行きました!また行きたいです。
あと、栃木市の魔法陣ミュージアムに行ったらミウラの暖気シーンに遭遇しました。
ミウラ、サイコーですね。🎉ボンネットをカパッと開けてみたい
今でもフェラーリやランボなどスーパーカーはあるけどカウンタックほどオーラのある車種はないよね❤あの時代光り輝いてた数々のスーパーカーの中でも別格だったと思うよ🎉
同感ですね。今のランボルギーニより、昔のカウンタックやミウラ、イオタの方がオーラが有った🎉
幼少の頃、今は亡き親父に連れられて清水三保でのスーパーカーショー行ったなぁ…赤いカウンタックLP500が格好良かったなぁ…あの頃が懐かしいよ
すっごく、わかります。自分も、父を思い出します😢
自分の中では何と言ってもカウンタックLP500キングオブスーパーカー
スーパーカー消しゴムからラジコンまでありとあらゆる物まで買ったり買って貰ったかな
もし今も走ってたり街中で見かけるようなら胸が躍るような興奮するくらいLP500には魅せられた
LP500S(ウルフカウンタック)初号車は 映画『蘇る金狼』の劇中で 松田優作さんがドライビング。
その後 織田無道住職の愛車となりましたね。
織田無道さんも令和2年に癌で亡くなられてますね。
世代的に全部ドンピシャでしたが『ロータスヨーロッパスペシャル』のスペック(1600ccDOHC 126PS)にも触れて欲しかった。
それでも馬力的には大した事はなかったけど 600㎏台の軽さのお蔭で 200km/hを可能にしていました。
お〜〜 まさにドンピシャ世代
実際 大人になり 頑張って ’75ロータスヨーロッパSP ビックバルブ 手に入れて 3年乗りました。
懐かし過ぎるでしょ!
今でも フェラーリやランボ観ると おっってなる‼️
昭和のスーパーカーなら、市販こそされなかったけど、童夢ー零 も 大事
懐かしいです。ありがとうございます。私はロータスの2台だな。やっぱり
スーパーカーのクラブに入っていたのでほぼすべての車に乗りました。
自分はパンテーラでしたがクラブにはほぼすべての車種が有りましたね。
パンテーラとボーラはパッケージで見てもよく似ててドライブしても似ている。
カウンタックやBBなどはエンジンが大きく重いのでカウンタックなど200を超えると
フロントが浮くので怖かったですね。ストラトスなどは直進はイマイチだけど面白い車
ドアが厚くてヘルメットが入る。ミウラもいい車でしたね。光永さんと言う307キロ
の記録を出した知人は雨の降りだした目黒通りで亡くなりましたが少し前まで
原宿の表参道でお会いしてお茶しましょうと言うと「ワイフが待ってる」とニコニコして
危険だからと誰も横に乗せない奥さんも乗せない、穏やかで物静かな方。
その後、青山のエンドレスでたぶん雨さんや大川さん、あそこはアメリカンカークラブの
集まる喫茶でしたからね。顔を出しての帰りの事故。降り出した雨でスリップしたんですね。
強く誘えばと後悔しましたね。74のカレラだけは残してありますが思い出深いですね。
パンテーラはブレーキは効かない、オーバーヒートはする、それでも乗るのはカウンタック
よりは室内が広いので楽、ミッションはGt40と同じで非常に丈夫。トルクがあるので
1-3-5と言うギヤで走るのが普通。どれも夏は乗れないですね。
光永さんの話は福野礼一郎さんがお書きになった逸話で知りました。
アメリカの有名なチューナーと粘り強く交渉してチューニングエンジンを製作してもらう話や、福野さんが取材した直後に事故で亡くなってしまった話。
事故車を見に行って運転席に電柱が食い込んでくの字に折れ曲がった車体を見て、どう見ても運転者は即死だと書いておられました。
熱意と手間暇を注ぎ込んでできた車もふとした事故で台無しになって操縦者の命も奪う、儚く悲しい話に感じられました。まぁモータースポーツと同様に事故で命を落とすこともある程度覚悟してやっておられたのでしょうが。
貴重なお話、ありがとうございます😊
@@川手浩 ご返信ありがとうございます。事故を聞いて慌てて翌日目黒警察に出向きましたが運転席側が
当たってましたね。福野さんが光永さんの横に乗ったというのはウソですね、何かあったらと絶対に人は乗せない
奥さんでも乗せない人でした。うちのクラブはオプション誌の常連で最高速チャレンジ企画があってそこで光永さんの
車は307キロを記録したのですがドライバーを務めてくれた故高橋国光氏が車を降りると「素人がこんな車に
乗ってはいけない」と仰ってそれが事故の報を聞いた時は頭に浮かびました。よくレースカーの基準で作って無い車に
危険を冒して乗ってくれたなとも・・しかし福野さんの話は申し訳ないがウソが多いですね。雨さんや大川さん、武田ポルシェの武田君{彼の保有していた6台のうちの1台が彼から購入したカレラです}などそういう中で福野さんがいたというさんですね記憶が自分を含めてみんな無いですね、むしろ大ちゃん、稲田大二郎さんですね、彼は顔が広くて有名レーサーとも
広い付き合いがある。とにかくいい時代でしたね・・
@@j_yukichi ご返信ありがとうございます。
ランボルギーニイオタ、好きでした😊
実車は1台のみ。ランボルギーニ社の社員が事故で廃車となった。だがあとからミウラオーナーの願いから、ミウラをイオタ仕様に改造され、ランボルギーニに承諾を得た車がある。
ロータスエスプリを見たときにスーパーカーがあんなにペッタンコだとは思わなかった!
屋根に吸気ダクト付きデトマソ・パンテーラとポルシェ935とイオタ・512BBが子供の頃お気に入り
たまに風吹裕矢仕様のロータスヨーロッパとすれ違います。ナンバーも下三桁がちゃんと740でした。
懐かしい───ッ!
スーパーカーショー 見に行きました
2年生の時行きました。あの感動は今でも忘れない
晴海かな?😂
@@momokoyuni いえ 北海道で
北海道でもやってたんですね。
サンスター歯磨き粉で当たるやつかな?
@@momokoyuni 違うと思います
何故だろう。スーパーカーブームの時に見たスーパーカーこそ最もスーパーカーだと感じる。
エバンたドールもムルシエラゴもディアブロも超えて、カウンタックのLP400がスーパー過ぎ。
同感ですね。今のランボルギーニには、何故か、パッションを感じません😅😂
小5,6の時、スーパーカーブーム。横浜にシーサイドモーターというスーパーカー屋さんがあって初めて見に行った時のこと。
店内にはBBとランボのエスパーダがあって、それなりに満足しました。が、なぜかその日は当りで、数分のうちにその店の近隣で、ディノ、2000GT、930ターボそして、なんとミウラを見た。
ただ、ミウラはシーサイドのヤツだった。
マイナーな、エスパーダも魅力的でした🎉
当時、小学2年生でしたね!スーパーカーブームは!うちはランチャストラトスが好きだったなぁ~♪
@@しらしぐ-r1i 100円プラモありましたね。なかったかな?地域によるかな?アルピーヌルノーA310とかランボルギーニシルエットとかメジャーじゃないのもありました。ドア開閉、ゼンマイ走行、マツダサバンナやフェアレディZも。カウンタックが後発だったのが残念だったが、ポルシェが930ではなく、928だったりと車種選択が面白かったです。
ランチア・ストラトスは、フェラーリディノ246GTと同じエンジン。
マセラティ・ボーラは、当時輸入車の中で、最高速度のテストデータで最高記録を出してた。
デ・トマソパンテーラが1番思い入れあります🎵
@@相原孝一 パンテーラは、エンジンが当時のマスタング マック1などと同じだったからOHVだった。
昔むかし、テレ東で、『スーパーカークイズ』ってやってた❗️
山田隆夫さんと 後に山田さんの最初の奥さんになられた方が 司会でしたね。
僕の憧れ♬僕の恋人♬スーパーカー✨
ポルシェが速かったですね😊
よく赤の
アルファ・ロメオ モントリオールが出てましたね、ライトにシヤッターでセミリトラクタブルが印象にありますね
実に懐かしい😂カウンタックがあまり登場しなかったので、ガッカリしたのを思い出します😅
マセラッティは、ボラやカムシン、ギブリといった寒波、熱風などの局地風を名前にしていますね。ポーラだと北極みたいで可愛いネーミング。蘇る金狼では、松田優作が乗っててかっこよかったです。もちろん最後はカウンタックでした。
スーパーカーブームでカウンタックに憧れてプラモとか沢山買ったけど、大人になったらあまりにアバンギャルドな外観に拒否反応を起こしたが、そろそろ一周回ったのかカウンタックのカタチも良いなー最近また思い始めた🤭ワラ
ランボルギーニはカウンタックに始まり、ディアブロ、ムルシェラゴ、ウラカン、アヴァンタドールまで一貫してスタイルが似ていると思います。ディアブロとウラカンは乗せてもらいました。知人の友達の車。ディアブロはとても平べったい幅のある車でした。ウラカンも大きいですが、V10でコンパクトに感じますが、フロント周りの鋭い目つきは圧巻です。
ミウラはサーキットの狼の主人公の姉の彼氏の愛車だったような
飛鳥ミノルですね🎉
ミウラとフェラーリBBが好きだったな、懐かしいわ✨
スーパーカーブームの時に、ランチア・ストラトスも紹介されていたが、これも好きだったわ
フェラーリ365bb ランボルギーニカウンタックLP400 ポルシェ911カレラ 当時の3大スーパーカーだな。👀🎵 個人的にはディーノ246gtが好き。👀✋🎵
スーパーカー漫画といえばブームを作ったサーキットの狼がもちろん偉大だが、すがやみつる先生の「ひみつ指令マシン刑事999」は、雑誌の看板漫画の仮面ライダーより人気が出てしまって打ち切られた逸話を持つ傑作だぜ!!
あ、一番好きなスーパーカーはランチア・ストラトスです。
格好良いし、特定の分野に超特化してるのがしびれる。
999なのに出てくるポルシェは934というのが腑に落ちなかった・・・
確かカウンタックは、ウマ娘でもマルゼンスキーの愛車“タッくん”として、登場してたかと…特殊固有スキル発動時のカットインで、フルスロットルで走り抜ける姿が見られたかと。
930ターボは当初4速ミッションでした。
で、末期モデルだけは5速に変わってた。
ポルシェは特に934がお気に入り🚙928がキャノンボールでぺしゃんこにされたのは悲しかった・・・ロータスはエスプリが007で潜水艦になったのは面白かった🚘ランチアはクリスマスにラジコンを買ってもらった🏎マセラッティはメラクのほうが好きだった🚗フェラーリは512🚘ランボルギーニはイオタ一押し🚘
ランチャ・ストラトス大好きでした
特にイタレリカラーに塗装されたラリー仕様が最高にシビレました!
@@カズボー-e9r (今は無き)アリタリア航空ですぬ。
ガキの頃、スーパーカー消しゴムってのが流行って、BOXYのボールペンで弾いて、レースしてましたァ😁
007が好きなので、“エスプリ”好きっす🤩
ただ欠点があったらしく、
ロジャー・ムーア曰く「アイドリングすると、すぐエンストしたんだ。」との事です。
“ランチア・ストラトス”は、ラリーカラーが人気でした。
フロントのライト部分なんか特にネェ(まァ個人的にもネ😁)
トヨタ2000GTには、SOHCエンジンを積んだ2300GTもありましたね。
2300GTは試作されただけで、市販されなかった。
デ・トマソ・パンテーラ、出てますパンチーラなんていうネタあったな。
ゲッ!😨トマトパンティだ!
つい最近、札幌の石山通りで真っ赤なアニバーサリーとすれ違い、後からドラレコ映像を見まくりました(笑)昔はカメコ、今やドラレコ…(笑)
懐かしい!!かっこいいスーパーカーがたくさん!!
おとなになって中古のヨーロッパスペシャルの値段270万円を見て買いそうになった・・・
いやぁ素晴らしい動画!!
ですが、スーパーカー見たいから、おまんじゅうさんの大きさと場所を調整してほしかったですTT
ポルシェが圧倒的に強かったのはカンナムなどでターボ技術が確立していたからでしょうね
917Kで1000PSとか。今みたいに賢いCPUなんてない時代、
さぞかしドライバーは恐ろしかったかと
後年になってカーグラフィックがカウンタックと512BBをヤタベでロードテストしてましたが最高速で260㎞ぐらい。メーター読み280㎞とか
デザインは美しいけど空力とかまだまだ。
当時の記事を読むと230超えた辺りから見えない壁に阻まれて加速しないと書かれてました
ソレを知ってもなお憧れのクルマですネ
カウンタックに、日本の軽自動車のエンジンを積んだもので良いから、安く販売してほしい🎉😅
@@よるとばり
ケーターハムスーパー7の軽自動車枠はありますね。800万円でしたっけ?
ディスカウント、お願いいたします😂
デトマソパンテーラが大好き❤
スーパーカーブーム当時、ストラトスはラリー最強だと思ってた。
プラモデルも良く作った。ライトポッドにムギ球入れて6連ライトを点灯させては悦に入ってた(笑
大人になっていろんな雑誌を見たら、ストラトスと一緒に並んでいたライバル車は、丸目2灯のランサーや510ブルやセリカ…1.6~1.8リッター4気筒のFR4ドアセダンだった。
一方、ストラトスは2.4リッターのV6エンジンのMRで2シーター。
タイヤ径は2インチくらい違うし、タイヤ幅も1.5倍くらいある。
これじゃ勝負にならんよな…GTレースに一台だけF-1混じってるようなものだもん。
しかも他メーカーが船便で車両を運搬して転戦してるのに、ストラトスはスポンサーのアリタリア航空✈️を使って、バンバン空輸して早々に現地入りしてたからテストも準備も万全でラリーに挑んでた。
そもそも他のメーカーは予算の都合上、人気のあるラウンドだけのスポット参戦なのに、ランチアチームだけは年間チャンピオン目指して全てのラウンドに参戦してたのだから、チャンピオンを獲れない方が異常な状況だった。
ストラトスは、クルマとして優れていたからチャンピオンになった訳では無かったのだ…
でも、ストラトスは今でも1番好きなクルマです。
一生手に入れる事はできないけどね…宝くじの1等に何回当たっても無理。
500台しか作って無くて、現存する個体は既に世界中のコレクターの車庫に収まってて市場に売り物が出る事はほぼ無いからね…
確かに、ライトを沢山付けられるのも魅力的でしたね。ストラトスも、コーナリングが良いらしいので好きでした。🎉
たしかに航空会社がメインスポンサーというのは、世界中を転戦するのにすごいアドバンテージになりますね。蛇足ですが、新谷かおるのマンガ「ふたり鷹」では耐久バイクレースで日本航空がメインスポンサーになり、世界中を転戦するのにサポートすることを描かれています。
ふたり鷹、エリア88、ファントム無頼、めっちゃ好きでした🎉🎉🎉
@@poo5988 「ふたり鷹」は1984年にアニメ化されましたが、制作した国際映画社が倒産したため打ち切られてしまいました。なお、主題歌を陣内孝則さんが歌ってました。
@@pastelpureakgjze5791 情報ありがとうございます。今も昔もアニメよりもコミック優先で、当時の裏事情には詳しく知りませんでした。アニメ化でコミックに則したアニメが出れば、かなり話題になったのに、と思っていました。
神栖市に住んでます。車で15分位でサーキットの狼ミュージアムがあります。でもロータスエスプリはありませんがランチャストラトスはあります。
ストラトスのエンジンは、ディーノのエンジン。他にフィアットにもあったっけ。
ここに出て来た車の殆どは
テレ東(旧東京12チャンネル)
で放送していた「対決!!スー
パーカークイズ」にも登場
してたっけ。番組のラストは
鈴鹿サーキット(東回り)でガチ
レースするコーナーもあり、
「サーキットの狼」の作者
でもある池澤さとしさんも
レーサーとして出てました。
カウンタックはカウンタックでも、 LPI 800-4 は最近の車じゃないか。
当時、ポルシェと言ったら934ターボでした。
テレビマガジンにすがやみつる先生が連載していた「マシン刑事999」の主人公の愛車。
大破したあとに20mmヴァルカン2門を搭載するトンデモ改造を受けてました。
ピンクレディーの歌うCM、王冠裏のイラスト、懐かしい
カウンタックLP500Sは近所の池上モータースに飾ってありました。
あとデイトナが普通に表においてあった思い出。
世界で一番カッコいい車はデ・トマソ・パンテーラだと思う。
日本で一番カッコいいのはシャレードデトマソではなくて、R34スカイライン
ペプシコーラの特典で、スーパーカー下敷きを集めてた✌でも飲みきれないから(50円で300ml!)、お店の前の道路でムニャムニャ・・・
フェラーリ512BB(i)は、バブル期のF40と同様にレースで活躍していました。
最初はカウンタックだったけど後に何故かランチア・ストラトスが好きになってた、
70年代の映画の楽しみは街頭の自動車ウォッチングですね。
「対決!スーパーカークイズ」って番組やってたなぁ
番組最後にゼロヨン対決とかやってた。
ミウラに憧れて、フェンダーの盛り上がりなど雰囲気が似ていたRX-7(FD3S)を発表直後に現物も見ないまま予約してました。
DE TOMASO PANTERA
が好きです。
ル・マンでの活躍も懐かしい
どの車の名前も覚えてるwカードに消しゴム集め、サーキットの狼、何もかもが懐かしい^^
日本の童夢ゼロがありましたが無能な運輸省が認可されなくてスーパーカーの仲間に入れなかった悲しい逸話がありました。😂
スーパーカーブームの当時ロータスヨーロッパを霧島のコスモス畑の露天駐車場で見かけたけど最低地上高が低すぎて思いっきりお腹を地面に擦っていた。(スーパーカーじゃないけど今でも田舎で駐車場問題がないため2台3台持ちも可能なためかレプリカを含めスーパー7系がよく走っている)
ロータスは『ヨーロッパ』だけでなく『エスプリ』や『セブン』も 地上高が低かったですね。(日本でそこまで低かったのは『スズキ フロンテクーペ』と 初代『セルボ』位)
『エラン』は そうでもなかった印象でした。
(私の所にいただいたコメントにも返信したのですが 表示されないので お手数ですが『評価順』から『新しい順』に切り替えて見ていただけましたら幸いです🙇)
ロータスヨーロッパなどサーキットの狼で、スタビ(スタビライザー)が地面に当たったとか言うシーンあります。車の左右の傾きを扣える鉄の棒。
クラスの男子では、カウンタック派とフェラーリ派に分かれてたなあ。ポルシェはあんまり人気なかった。ちなみに自分は黄色のカウンタックLP400が好きだった。ポスターをずーっと部屋に貼ったままだった。母親が亡くなって家を引き払うまで・・・。
自動車博物館に黄色いカウンタックありますぜ。高知で見たけど。
ポルシェ1番人気だったよ。早瀬左近も好きだったなぁ。
カウンタック・BB・930ターボが3巨頭! ボーラとかストラトス、パンテーラも良いけどちょっとマイナーだったな。それにしても解説のきゅうひゃくじゅういちターボってな..。
360ccのスバルサンバーのシャシーをベースに『サンバルギーニ コカウンタック LP360』を製作された方がいらっしゃいます。
スバル360をポルシェ風に改造した所さん
なななんと!アノ所ジョージさんが⁉
『コポルシェ 360』
オーバーフェンダーを付けた『3ナンバー』でした。何かの番組でたけしさんが同乗して「おっせぇな〜!」と言ってました。
プラモデルにもなりましたね。
動画を見たら他にもマッハ号とか出てきた
@@xkaizer-cr1xe さま
製作者の福田さんは情熱的な方で『マッハ号』は『ロードスター(多分NB)』を改造したものです。
0:22
ポルシェ911
お願いだから
『きゅういちいち』 と 言ってくれ
スーパーカーと言えば、ランボルギーニ。ミウラSVとカウンタックLP400とイオタSVRが格好良かったですね。市販車じゃないけどJも格好良いですよ。Jの設計コンセプトはカウンタックLP400に、スタイリング(外観)はイオタSVRに影響を与えてましたね。
幻のスーパーカーMAZDA RX500これが市販されていたらなー♪
フォードGT もカッコよかった。
スーパーカーブームの時クラスの男子はほとんどがカウンタック推し
私は少数派の512BBだったなあ
都下の郊外だかランチアストラトスラリー仕様が公道走っていて興奮した白ベースにグリーンでフロントにフォグランプが並んでるやつ
ランチア・ストラトス・ターボ。
ラリーカーのカッコ良さを知った。
アリタリアカラーがカッコよかったですね
スーパーカーの言葉が生まれる前は「エキゾチックカー」と呼ばれていた。(カーグラフィック誌で)
デトマソ・パンティ・ハイテーラ
スーパーカーブームが、永遠に続いて欲しかった。ブルートレインはイマイチ響かなかった。
512BB 赤黒ツートン!
トヨタ2000GTは007ではオープンカータイプがとうじょうし、最近ではアニメ「ハイスピードエトワール」でも登場した車種で後の70スープラ以降のモデルやレクサスLFAにも影響を与えたクルマですね。
まだ幼少期に911(934ルック)、デトマソパンテーラGTS,ランボルギーニミウラ&カウンタック、ランチャストラトスHFの横に乗せて貰える機会がありました
一番衝撃的だったのは内装が質素で走るために無駄を省いたランチャストラトスHF
それもあって社会人になってからWRCで勝つために作られたスバルインプレッサWRXをすぐさま買いました(デルタHFが手に入らなかったので)
イプシロンWR出ないかな?
その昔、ポーラ化粧品というメーカーが存在したのでした
ポーラ化粧品は、今も盛んにやってますが。
カウンタックってあまりいいイメージなかったんだけど、早稲田の住宅街で木々に囲まれたガソリンスタンドにドアとボンネットとトランクを全開にして停められていた白いカウンタックを見た時はあまりの美しさに見惚れてしまった
今思うと、この頃のスポーツカーって、Aピラーがあったのね。日本的には「昭和な感じ」で懐かしい。
やはりgtr32が一番好き
ここでは紹介されてないけど、モンテベルディ・ハイ450GTSというのが「サーキットの狼」単行本の巻末で隠れた伏兵的な感じで紹介されてて、最高出力390PS最高時速290㎞というスペックが記され、ランボやフェラーリ無双だと思ってた自分に意表を突かれた記憶がありますw
私的には、アメリカンV8搭載のミッドシップカーのデ・トマソ・マングスターが興味ありました。
私自身スーパーカーには詳しくないのですが、ただ子供のころ読んだ雑誌に
「ランボルギーニ・マザール」と言う車が載っていて、名前だけは何故か
今でも覚えています。(あいにく、その車の形は忘れてしまいました)
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB