I don't understand Japanese, but I can figure out your meanings. I cannot agree with you more, especially the 2nd and the 4th reason. Japanese students might not be the most winners in Olympic math, but Japan still have many excellent mathematicians.
廃止は一切しなくていいと思うけど、数学「オリンピック」っていう名称が,あたかも数学という学問全体を含めた大きなコンクールとして勘違いされるのでは,とは感じるかな。
やっぱ競技数学が適正ですね!
すうがくぱずる大会とかは?
昔、オリンピックはアマチュアのものであって。プロは参加出来なかった。
その意味をくんで当時「オリンピック」という語を選んだのなら、優秀だった気がする。
過去形で言われるべきことだが。
@@ふらんすぱん-b5e そこまでレベルの低い大会ではない笑。高校数学の範囲までにおける最高峰の良難問を集めた良いコンクールだと思いますよ。
@@fermat811 世界高校生数学コンクール?
???「所詮、手際よく解けるように作られた入試問題という箱庭の中でしかぁー、いっ、生きていけない解答に過ぎないんだ。」
某数学ヤクザすこ
すこすこ
脳内再生余裕
「いっ」をちゃんと入れたところを評価します。
荻野先生お元気ですか?
数学オリンピックは高校生対象なので、数学が好きで将来数学者になりたい!と思っていた子が本戦に行けなくてがっかりして数学者になるのをあきらめてしまう、という若い芽をつぶしてしまう可能性はありますよね。
数学オリンピックは数学オリンピックであって、数学者になれるか適性判断には必ずしもなりえませんし、大学からは各論に分かれてより狭く(狭くはないかも)深くなるのでそこで素晴らしい才能を発揮する学生もいるかもしれないのに、数学オリンピックの結果だけで「僕は(私は)数学者に向いていないんだ」と思わせてはいけないですよね
受験数学得意で数学科で大学入学して挫折してしまった同級生を見てるから投稿者の気持ちが死ぬ程分かる
それとはちがう。
@R. Thom
いいえ、上のコメントの言うようなことに関して動画投稿者さんは言っています。
このチャンネルの視聴者層の質が高いからなのか、コメ欄でアンチじゃなくて批評がなされてるのすごいな
わかる、一人一人が意見を持ってて尊重し合ってるって感じがしてて、コメ欄みてても気持ちがいいな
@@ON_L お前のことじゃん
数オリができないからと言って数学を志すことができないというわけではないという主張はとても同感です。
一方で、数オリのコミュニティがあなたの言う"本当の数学"に触れる機会を中高生に提供しているという事実があるというのは言っておきたいです。実際数オリの夏季セミナーでは数学書の輪読をしたり数学者を招いての講演があります(このような機会は開成や灘のような進学校を除いた全国の一般的な高校にはほぼありません)。他にも自分の周りだと数オリ経由で繋がった遠くに住む友達同士でSkype輪読をする例などがありました。
私個人の感想ですが、こういった側面も踏まえると数オリ自体の存在に反対という主張はやや強すぎるように感じられました。
ただし、数学が拓かれた世界であって欲しいと望むのは私と貴方で共通していると感じますのでご容赦を。
数オリで活躍できる一部の人間しか、大人が用意した大学数学を齧れる環境にいない。と言うのも、批判にあるのでは?
コメ主の言うことは十分理解できる上で、投稿者が言いたいのはその輪読とかに参加できるほどの実力がない人が、数学オリンピックで結果が出ない=自分は数学に向いてないって思い込むのを避けたい、ってことだと思う。それでも主張が強いのは自分も同じく感じた
数オリと研究レベルの数学が違うのは完全に同意だけど
廃止までしなくてもいいと思う。
数学を勘違いする人も出てくるけど、理解者も増やしてると思うけどなあ
世間が興味を持たなきゃ、勘違いも生まれないからね
高校までのカリキュラムに飲まれたロボットマンでもなければ、そんなに数学を勘違いするってこともないと思うなー
大学が数学科の者です。確かに本当の数学に比べると異なる部分は多いと思いますが、数学を楽しみ上ではいいと思います。私自身数オリは面白いと思います。大学生になった今でも中学や高校のように解く数学は好きです。
数学オリンピックを、世間は数学を楽しむためのパズルだなんて思っていないのですよ。
そこが問題なのだとこの動画でおっしゃっているのだと思います。世間が数学はパズルみたいな問題を解く学問だと勘違いする、と。
@@六無斎-x4k これですね
数学オリンピック自体を否定してるのではなくて、数学オリンピックで出されるような問題を数学として誤認されているぐらいなら廃止した方が良いというのがこの動画の意見なのだと思います
@@六無斎-x4k まあ、「世間」の数学のイメージなんて ”めちゃむずかしいことしてる” ぐらいでしかないですもんね。高校数学で脱落するような人が大学以上の数学なんて想像できる訳が無い。つまり、数学オリンピックの問題など想像できずイメージを持ちようが無い。
競技数学を楽しむ場&同志との交流の場として数学オリンピックは最高の場であるので無くなってほしくはないなあ
数学オリンピックをやると、すぐれた数学者になるべき人がつぶされてしまうというのなら問題だけど、そういう証拠らしきものもないのに目くじら立てるのはどうかな。中学生高校生の数学好きの子に「お前らのやってる数学パズルなんて所詮ほんとの数学じゃないよワラ」と高みに立って言うことが、数学の発展につながるとも思えないし。
妙に納得できる指摘ですね
東大王で活躍した鶴崎さんは、高校時代3度数オリに挑戦したけど、3度とも予選落ちだったという。
ワラ、の要素は無かったと思うが?
マウントではなく、杞憂みたいな感じ。
@@ああ-v9f5q それは正直どっちでも内容としては変わらん
全く同じこと思った
数学と数オリの関係は将棋と詰将棋の関係に近いんですかね
詰将棋を解くチャンピオンが将棋界の最高峰のように誤解されたら棋士は面白くないかもしれないが、詰将棋のナンバー1を決める大会があってもいいとは思います
現在ではその存在が一致しましたね。もちろん、あなたが言いたいことは理解しています。数学という集合の数オリという要素。必ずしも因果関係があるとは言えない。
コンテストとサイエンスは違う。
武道とその競技会は違う。
数学オリンピックというのは名の通り
競技だと思うのでそれを通して楽しめたらいいんじゃないかな
受験数学と競技数学、研究数学はそれぞれ別物ってことですね。
それを知ったうえで数学オリンピックを楽しむのは良いことだと思います
大学院で数論幾何の研究をしている者です。今でもよく数オリの問題を解いて楽しんでいます。最先端の現代数学とはもちろん全く異なりますが、へぇ〜こんなこと成り立つんだ!みたいな面白い問題も沢山あって魅力的ですよ。どっちが「本物の数学」とか言うのは狭量だなぁと思いました
@@proj3891 ※大学以降の数学と高校数学や競技数学は区別すべきなのは分かりますが、どっちも本物の数学です。
@proj3891
高校数学もやらないと「数学」なんて理解できん。
因数分解や二次関数なんていう基礎の基礎もなんと高校からだからな
数論幾何…羨ましいです
狭量なのはそうやって他人の意見を否定しているあなたでは?
たかが無名の研究者風情で(院生ですら研究者を名乗れるw)何を言ってるの?パズル、なぞなぞとして楽しむのは勝手だがあれが数学と言い出すのは本当に有害でしかないからやめてほしい
最近御逝去された志村五郎大先生とほぼ同じ意見という訳ですかね。僕もかつて数オリ勢だった頃は志村先生の意見に割と反抗的でしたが大学の数学科で現代数学というものを初めて知ってからは意見が180°変わりました。たかがパズル数学が得意で無いだけの才能ある人材が現代数学に貢献はおろか出会うことすらせずに数学を諦めてしまったら非常に、非常に憂うべき事態だなと思います。
ということで仰りたいことはほぼわかるのですがただ「本当の数学」というワード選択はちょっと適切でなかったのではないかというのは思いました(コメ欄を見てみての感想になりますが)。現代数学、で良かった気がします。
受験数学と数オリの問題は結構種類が違う、受験数学は時間が足りなかったりするけど、数オリは時間はめちゃくちゃ与えられて、解き方を思いつくかどうかっていうもの、範囲も全然違うし(数オリ⊂受験数学ではない)
その点数オリが数学パズルっていうのは的を得ていると思う
以下、長文ご容赦。
本記事に同意いたします。
クイズの王様が数学オリンピックだと思います。ロシアの数学教授が言っていたことなのですが、ロシアでは数学オリンピックに優勝するような人は教授になれないとの発言がありました。重要なのは、例えば数学の一分野を構成できるような、数理構想能力がある人が指導者に選ばれるとありました。
数学オリンピックの問題や大学入試問題が得意な人と時々論争します。重要なのは器用に解くことではなく、例えば2次方程式の判別式で最大最小を解くのではなく、微分変化に拘束条件を加えつつ、微分という考え方を用いて、一般性を持たせて最適化一般理論を構築することが、数学やさんの本業であると考えています。
大学入学の問題は、私は頭の体操で、クイズでしかないと考えています。たまに数式処理を暗算でやるときに、昔の能力が維持されているかを見てるだけです。実際に現実の問題解決に使えるケースはほとんどありませんでした。
例えばですが、デルタ関数とは数学的にどのように説明されるべきかなどです。これと解析複素関数の積分確定がどのように結びつくか、などを説明してくれないと、大学で数学を学ぶ意味がなくなります。
65年生きてきましたが、仮に大学入試の問題が器用に解けても、実際の、社会にある現実の問題を解決できることはありませんでした。一般性が必要なのです。そして数学者は判別式の使い方を器用に教えるのではなく、もっとやること、一般性のある解決法や理論構築を説く必要があるはずです。
私の専門は連続体力学です、一応工博ですが、数学オリンピックは暇つぶしとしてしか楽しめませんでした。数学オリの知見は、私の経験においては現実の解決能力は全くなく、連続体の問題解決には無力でした。
大学受験の数学や数学オリンピックが研究における数学の場面で役に立たないことはよく理解できました。ただ、これを解決するには教育と試験の方法を変える必要があると思います。文字も扱えない中学生が他教科を含めて6年間で習える現実的な範囲(あるいは小学生からでも)で、どのような教育をし、どのような試験をすべきだと思いますか?
数オリは結局既にある定理のいくつかの組み合わせで解ける面はありますね…
ただ、問題の解き方の技巧性による評価とか、そのような出題をするような工夫はできそうですね。
確かにそうですね。受験数学により、勘違い数学者志望が大量に量産され、高等数学で撃沈されるのが典型的なパターンですね。
本当の意味で、数学の能力を測るのは非常に難しそうなので、結局どれだけ好きかが重要になるのかな。好きであれば没頭できるし。
たしかに、数学オリンピックの地区予選レベルで駄目だった人物の中から将来的に素晴らしい
数学者や物理学者が出る
率はとても高いと思います。
彼らが、そこで挫折しない
ためにという数学者さんの
意見は一理ニ理あると
思います。
大学受験の数学や数オリの問題を解いてる人たちはこれが本物の数学だなんて考えてないけれども、それを取り上げる人たちが問題ってことかな
有名なペレルマンさんとかも数学オリンピックで活躍してましたよね
数オリ微妙だったけど一流の数学者になった方は初めて知りました
ぼくは細々と「本当の数学」を楽しみたいです
数学界の裏を見て数学の世界を去ってしまいましたよね。
個人的には一つの才能を潰したのは許せないですね
完全に同意です。数学オリンピックは数学者を志す若者を(根拠なく)ふるい落とす危険性があります。数学オリンピックで結果がでなかったからといって、数学者を目指すことを止めるようなことがあってはなりません。
例えるなら、数学=歌手、数オリ=カラオケかな?カラオケ好きで歌手になって更に売れっ子なったのってごく僅かだし、トップ歌手がカラオケ歌ってもいい点出なかったり。だからといって、トップ歌手が『カラオケは歌じゃないから廃止』というのは違うのでは?一般人が歌手目的でなくただ歌好きでカラオケしてるように、数学好きが数オリを楽しんでることが数学にマイナスかな?
歌でいうなら、クラシックの歌手を目指す目的で、カラオケの高得点でトレーニングするのはむしろ害悪でしょう。発声法が全く違うわけなので、むしろカラオケで喉を痛めてしまうってわけです。
日本の高校以下の数学教育の方向性が数オリに象徴されるように的外れの方向を向いていませんか?っていう主張に見えます。
良い例え。分りやすいですね。
「本当の数学」を広く世間に理解してもらおうとするのであれば、必要なのは数学オリンピックの廃止なんかではなく、研究者が積極的に「本当の数学」の魅力をプレゼンテーションしていくことだと思いますよ。
ところが日本のアホバカメディアとアホバカ出版界は一般向けの啓蒙書や講演で数式を使う事を極端に毛嫌いするのです。
あの愚劣な悪習を断たない限り、数学の魅力の啓蒙なんてできませんよ。
土星論すぎる
書こうと思ったらすでに書かれてたw
お説はよく分かりますが、これは数学だけの話ではないですよ。甲子園で活躍できるかと、プロ野球選手として活躍できるか別物です。両者の関係を勘違いする人は非常に多いですが、それでも甲子園をやめるべきだという人は、(この点が問題だからという理由では)いないでしょう。
廃止まで主張されるのであれば「弊害があります」ではなくて「他のものとは大きく異なった弊害があります」あるいは「放置した場合、取り返しのつかないことになります」くらいのことは説明されるべきだと思います。
数学オリンピックは、数学の楽しみを知れる一つの手段ですけどね
ネットで見た意見ですが、数オリと研究は違うものだから数オリは有益ではないと言うのは、世界一の卓球選手に対して「でもそれはテニスではない」と言ってるようなものです。
言いたいことはめっちゃ分かる。ただ数学オリンピックはあくまで趣味でトライするスポーツみたいなものなので廃止することはないと思う。罪深いのは全員参加の受験数学の方だ。特に中学受験、高校受験。「こんなの解けるようになってどうするんだよ」みたいな悪門が多すぎる。そう言う問題を解けるようになるために訓練する時間で、もっと先の数学を学んだ方がよっぽど有意義だ。日本中の子供たちの脳細胞の無駄遣いでしかないと思う。
高校数学の試験で数学の得点が高い人が、必ずしも数学者としての素質を持っているとは限らないことと似た構造をしていると思いました
中国は数学オリンピックで良い成績を出しているのに、数学の世界で活躍できてないようですね。
両方で成果を出している国は数学教育の一貫で数学オリンピックに出場しているのに対して、
中国では数学オリンピックが目的になってしまっているのではないかと思います。
数学オリンピックの是非というより取り組み方の問題という印象を受けました。
青少年に数学で活躍する場を与えるという意味で数学オリンピックはあっても良いと思います。
数学オリンピックって、世界各国に 数学や数学教育に注目してもらうための取り組み だから、、単に無くすだけだと数学に興味を持って 数学に取り組んでくれる学生が減るだけなんじゃなかろうか。
本質でなかろうと、数学に興味を持ってくれる門戸は多い方が良い気はします。
数学オリンピックのない時代のオイラー・ガウス・リーマン・高木貞治・岡潔・
山辺英彦・岩沢健吉・志村五郎・小平邦彦・広中平祐・森重文・望月新一
フィールズ賞受賞者は数学オリンピックのメダリストから出るのか興味深いですね。河合塾で育成してたけど・・・・・
ペレルマンも数学オリンピックの出身ですからね。
数学好きを増やしているのではなくて数学嫌いが増やしているのが、いまの教育だと思います。
なんで?
そう思う理由は?
数学を競技みたいに捉えられると、それが得意な人しか好きになれませんからね。
競技性以外の面白さもちゃんと学校で教えてくれるようになると良いですね。
自分は高校時代までテストの点が悪く、数学がニガテ意識を持っていました。大学に入ってから、数学は物事に新しい視点をもたらすものだと気づき、得意にはなってないですが、数学自体が好きになりました。今は趣味で数学だけではなく他のSTEMにも手を出して、登山感覚で勉強しています。
偏差値や点数で競わせた結果、コンプレックスを抱える人間が発生する現代の教育には疑問を感じるところがあります。
@@なまえきめてぇー数学教育にIQテストやパズルのような側面を持たせすぎなんだろ。そんなこともわかんねーの?w
数学オリンピックの競技的性格そのものが数学という学問と相容れないと思うので、主張は別に間違っていないと思う。名前も高校数学パズルでよい。
数学オリンピックの不幸はまだ競技プログラミングという概念が生まれる前にあったことですね、
既知の問題に対して限定された計算量が与えられ適切なアプローチを用いて回答するという競技はプログラミングによって明確な実体を持ったわけですが・・・(注: 多くの競プロでは実行環境が指定されたサーバー上でコンパイル&実行され、正しいアルゴリズムでも規定より計算量{実行時間}が多いとエラーになる)
競技プログラミング以前にも同種の競技があったものの適切な単語を持たず、致し方なく「数学」と呼んでいただけではないかと思います
まあ数学者がやってる数学はいわゆる研究で受験とかの数学は言ってしまえばスポーツみたいな競技みたいなもので短距離走と長距離走みたいにそもそも目指してる目標も違えば
楽しさも違うわけで全く別のものとして考えた方がいいと思う。
そもそも高校とかでやる定理とかははるか昔の天才たちが長い年月をかけて導いたものなんだから求めようと思っても知らなかったらそう簡単に求められるわけがないんだから下手にどっちがいいとか言わずにお互いの土俵で楽しくやってればいいと思う俺の意見
数オリが得意な人はそれを武器に数学の未解決問題を解決する人も現れるだろうけど(ペレリマンのように)、そのような人達だけでは数学の発展につながらないし、数学の暗黒時代になって見過ごされる世界があるということ。今後、何年も解かれない予想を立てる人や、新しい山を発見する人が現れることを祈る。
数学者として成功してる人が数オリでいい結果を残してるかって聞かれたら偽だとは思うけど数オリで成功した人のほとんどが数学者として成功するポテンシャルはあると思う
東大数学もただのパズル、あれやりすぎる理三合格者からノーベル賞がでてないのは成程という感じ。さらっと通過して無駄な時間を取らない理一からノーベル賞が出ているのはうなづけるかも。
小柴さん医学部じゃなかった?
理学部物理学科でしょ。
@@wakanekomaru 誰かいなかったか?南部さん?
@@kawamorii こんな公開で聞かなくてもネットで簡単に調べられるけど(笑)。
数学科にいる人に算数を期待する人間を増安要因の一つであるとは思う
ご主張は理解しました、ごもっとも。でも必要ないとは思いません、問題を解くのは面白いので。それでは、数学パズルオリンピックに名称変更すれば解決ですね。
本物の数学ってのが主観はいりまくりで草
ポアンカレ予想もペレリマンの回答方法を覚えて諳んじられたら、それはパズルが解けたのと同じ
って事ですよね
過去に誰も正解に辿り着いた事のない問題以外は数学ではないと
数オリは別に悪いことではないとおもう。
一般人には、なんならフィールズ賞よりも知名度が高く、数学者を目指す高校生(以下?)にとっては励みのひとつになってるとおもう。
フィールズ賞だって、受賞後にそれに見合う仕事・成果が出せなくて悩んだ人もいる。
日本人では、広中平介さんが悩んでいたと学生時代に森毅さんの授業で聞いた記憶がある。
数オリで好成績を出した人が、その後に数学のどの分野で活躍してるのか特的の傾向があったらおもしろいとおもう。
TOEICが実践的でないと批判されるのと同じようなのだろうか。最近では変わってきているようだけど
数オリや高校数学は筋トレ
筋トレでめちゃくちゃパワーある人の方がホームラン王を取れやすいが、そこまで筋力なくてもホームラン王取れる人もいるから、筋力無いからホームラン王は無理、と思って諦める人が出るのは問題
という理屈は分からないでもない
大学でやる数学を数学という学問というのだとしても数学をやらない人からしたらどっちも同じようなもんなんだよなぁ……
やる人は勘違いのしようはないし
有名な話ですけど
小平邦彦さんが開成中学入試の算数の問題解いたら時間内に全問解けなかったという話が自身のエッセイの中で語られてますね。
数学オリンピックで大学の推薦狙ってる奴もいて、数学だけで大学行きたい人にとってはいいのでは?
マジレス乙(すまん)
論文書いてると、この感覚になるんじゃないかな、、、
博士号と数学検定1級だったら数学検定1級のほうが価値がありそうと思う人がたくさんいるんだよね、、w
@@y8e-k2n それがいる、、w
博士号という言葉さえ知らない人に限定されるけどね
@@寝るの大好き そんなやつに何思われてもええやん
大学以降の数学は全く知らんけど、受験数学において「解法を思いつく」ことより「解法が正しいか判定できる」方が数学の理解度の指標になるのかなあ、とは昔思ってた気がする。その話に近いのかな。
一万キロくらい論点がズレてますw
@@六無斎-x4k はあ、すんまへんなあw
極端な言い方で主張して視聴者を惹きつけるのはRUclipsrの才能あると思う
これを極論だと思っている時点で理解力ゼロ。
いやマイナスですわ。
将棋で言えば、詰め将棋と実戦の将棋みたいな関係性なのかな?
つまりは、実際の数学に近いものを競技にした方が意味がある?
その場合は、どんな競技になるのでしょう?
一生をかけた競技になりそう
詰将棋と実戦って凄い納得の例えやな。こりゃすごい。
競技というのがそもそも本質的な数学とは違うので意味ないですよ。
研究者ならわかりますが、問題を解くのと、問題を生み出すのは全く違う次元ですよ。
なんでも競技にしたり数値化できるという思想のなんと浅はかなことか。
むしろ将棋棋士と、ボードゲーム開発者くらいの関係性。
数学パズルは閉じられた世界、閉鎖系
本当の数学は開かれた世界、解放系
マリアム=ミルザハニやペレルマンは数オリ金やったけどなあ。相関0.5くらいありそう
タオもショルツェもな
数学オリンピックの問題を時間内に解ける能力は必要ない。
でも数学オリンピックの問題を何時間掛かってもいいから、解けることは重要
数学ってどちらかというと好きな科目だったけど、大学で少し怖くなった思い出
私は入試問題が少し解けるだけで数学の何も理解してなかった。
それでも解いていて純粋に楽しいから残してほしい
数オリで活躍する=数学者として大成する
が成り立たないことなんて数オリでメダル取るような人たちなら分かってるし、数オリメダリストがその能力を数学者になるためだけに使うわけではないよね。
数学者からの視点では不要なものというのは理解しました。
数学のパズルが本当の数学だと思われるのが嫌というなら数オリを廃止する方向に論じるのでは違うかと。
「数学オリンピック」という名を改名すればいいんでしょ。
「ナゾナゾオリンピック」にすればいいんじゃないの。知らんけど。
私は「廃止すべし」とまでは言いませんが「別に無くても良いんじゃね?」とは思ってます。ただ権威主義者にとっては大切なんだと思います。そういう人に「分かって!」は無理ですが。
フィールズ賞のwikiから受賞者が
過去に数学五輪でどうだったか見れますね
結論が廃止でなければ、一応ご主張には一理「は」あるかとは思います。個人的にはオイラーの公式のいくつか(lol!?)は自然界の織り成す壮大な(自然界及び後世にとってはまあ答えありの)パズルでありかつ美でありかつ新分野への礎でありかつ(当時以前は)まあ答えなしの問題と思ってますので、時代背景は違えど将来の数学のマルチな超天才の為に分かりやすいパズル的賞の道も空けといて欲しいと思います。才能指標の何らかの偏りの是正は新指標を増やす方向でされてはどうか。私は数オリ賛成でむしろある程度までは広めて欲しいと思ってます。「本読んでんのネクラー」「数学って何のためにあんの」「(教師への第一声が)彼女いますかー」が当たり前の低レベル地方公立高校しか近くにない将来有望な生徒、というのも今の災いの下の日本では増加傾向にありそうです。そうした生徒を救う一縷の可能性の為にも数オリ廃止は個人的に反対です。というよりそうした高校にも存在を知られる程度には広まって欲しいです。
「数オリの数学」にも「本当の数学(?)」にも一切関わりのない人たちにはここで言ってるような勘違いがなされてるかもしれないけど、数オリに挑むような子達は皆わかってるんじゃないかな?
「自分は数オリの問題が解けないから数学の素質が無い」と思い込む子がいるのであれば深刻な問題だけど、それは数オリを廃止するのではなくて、「数オリの問題が解けない≠数学の才能が無い」であることを広く知らせればいいだけだと私は思います。
高校数学までと数学科は別物とよく言われますし、
数学の本質は計算ではなく理論だと思うのも納得です。
けれども競技数学は理論とは別物の競技として楽しめるので、有っても構わないと思います。
私の意見としては、競技数学者も、数学者も別物としてそれぞれ適切に評価されてほしいです
数学じゃなくても、クイズを競うのと、研究をするのとでは違うと認識しているが。
長距離走の選手が短距離走の選手に対して「短距離はホンモノの陸上じゃない」って言ってる感じ
時間制限がある中、計算ミスもダメ、遅すぎるのもダメ、公式を知らないも時間が足りないからダメ、単元別になってる、点数や偏差値がつけられる、何のためにそれが存在するのか、何を意味しているのかが教えられない
というのが日本の数学受験教育でしょう
これで数学、数学だけではなく勉強が苦手、嫌いとに自分で感じてまう人がたくさんいるでしょう
そんな理想的な教育を受けてくれる理想的な子供がどれだけいるかは分からないけどね。
何事も偏っちゃうとうまく行かないから、そうだなぁと思った。なりたい人みんな数学者になれると良いんだけどね。
数学オリンピックや数学の試験問題は、受験者の評価をして序列を決める手段であって、数学を研究する目標や目的ではありません。だから、数学オリンピックや数学の試験問題の成績が悪くても、数学の研究には全く影響しないし関係もありません。しかし、数学オリンピックや数学の試験問題は、他人との競争を煽っているので、そこが大きなマイナス面だと思います。そして、それが数学が嫌いになる側面でもあります。本来、数学は楽しい面白いものであるのに、試験問題で良い成績が得られるように学校教育を行うと、学生は数学が嫌いになって行きます。
「私は数学オリンピックを受けない」→わかる
「数学オリンピックは廃止すべき」→わからない
"Not for me"の精神を大切にしたいですね
「ウイイレは本物のサッカーと違うので廃止すべき」と言ってるようなものですから、冷静になって考えてほしいものです。
問題は、”数学なぞなぞ”によって数学の本質を見失う恐れがあるということですね。
数オリがどうこうは実際のところ、事の表層でしかない。
高校までの数学も”数学なぞなぞ”になる傾向がありますね。それで数学嫌いになってしまう人もいるし、「おれ数学得意だ」と勘違いして大学の数学科に行って証明の連続にやられてしまう人もいる。
謎の数学者さんは確か論理学やってたと記憶してる。であれば、公理をおいてそこから組み立てていく構成的な数学こそ大事だという気持ちもわかる。
これは本当にその通り。数オリは数学を用いた「クイズ」にしか過ぎない。確かに数オリだけでなく受験数学も、問題によっては(純粋)数学への架け橋になるが、所詮解くことのできるパズルでしかない。こういった倒錯は数学だけでなく色々な分野でも起きえて、例えばプログラミングは、本来いかに効率よく・わかりやすく設計・実装するかを考えるものなのに、競技プログラミングというアルゴリズムのみに着目した分野が流行したせいで、競技プロができることがプログラミングができることの必要十分条件かのように捉えられている。問題なのは、数学をよく知らないへのミーム汚染であって、矢張りコンペは持て囃しやすいからといって、有名・人気になりすぎるのは良くないのだなと思います。
I don't understand Japanese, but I can figure out your meanings. I cannot agree with you more, especially the 2nd and the 4th reason. Japanese students might not be the most winners in Olympic math, but Japan still have many excellent mathematicians.
So you and this channel's opinion is same.
Your English is simple and I can easily😀
日本に数オリ実力者が居ないのは単にそういう訓練を受けた人が少ないから。中国はそういう施設あるじゃん
合宿期間の制約などの過剰なコミットを避ける工夫をすれば、オリンピックはあっていいと考えます。
なぜなら、将来、物理学、化学、医学、経済学などの研究者の数学的なポテンシャルをもった人材の開発と確保に役に立つと思われるからです。
数学そのものより、数学を必要とする分野の人材の育成に益があると思います。
たとえば、数学オリンピック入賞者には、経済学部心理学部の入学を優遇するとか。
偏微分方程式は数オリの難しい不等式を隅々まで理解しスラスラできるような人の方が圧倒的に有利と感じるし、分野によるのではないか
@@proj3891 有利てのは面白い研究結果を出しやすいという意味ですね
僕は数オリの不等式の証明をスラスラ解けるというわけではないので、その程度の能力故に、出来ないと思ったところで実は解決できるとかあるんじゃないかなて思う感じですね
基本的な不等式を知ってるだけじゃできる事なんてたかが知れててうまく使わないと駄目なのは当たり前で、その意味で数オリの不等式をすらすら証明できるような人は運用の仕方の引き出しが多いんじゃないですかね
少なくともPDEの教科書をきっちり読んでもそのへんの能力は関係ないので身につかないですよ
漸近挙動とかは代数的な不等式操作をゴリゴリやるんで操作の本質は古典的な不等式操作と同じなんてよくある話です
@@proj3891 う〜んなんか話が通じてないですね。
あなたは「数学の美しさを体験するという」目標があってそれに向かって一直線に進むのがベストだからそうする「べき」と言ってますけど、私は「〜するべき」ということを言ってるんじゃなくて、「やってもいいんじゃないの?」と言ってるだけです。
あとあなたは私の主張の主語すら勘違いしてます。
「研究者が数オリで練習すべき」なんてことは言ってなくて、
「数オリの問題をもし一秒でできないのなら、やってもいいんじゃない?とくに子供は。もちろんやらなくてもいい、どっちでもいい、ただやってはいけないは断固拒否する」
これだけですよ
毎秒毎秒たくさんの選択肢があってその中からちょっと自明じゃない不等式で遊んでみようという選択をしたって別にいいじゃないくらいのノリですよ?
本業もやるし、おもちゃでも遊ぶ。好きにすればいいんじゃないですかね?
私は対戦ゲームも好きですが、そういうものを遊びと否定する人とは理解し合えないです。
物事は遊びか遊びでないかではなく、できるかできないかで分類すべきと考えます。
ある不等式の証明がすぐにはできないのなら、できないままよりできるようになったほうがいい。
そしたら少なくとも偏微分方程式やる時には、その経験が知らない内に自分を助けてくれるときもあるかもね。(もちろんやってない世界線の自分がその助けなしに同じ壁を乗り越える可能性は否定しない)
それくらいのノリですよ?
あなたの「〜するべき」の主張を見てると、人間個人に無限大の力を仮定してるように見えます。
壁になる不等式があったならそれを探す。まぁそれでもいいし、それでなくてもいい、どっちがベストとは何も言えないでしょう?
それがベストとおっしゃるなら「既に人類が見つけて自分が読める所に『明示的に』書かれてる」かつ「それを一秒で検索することができる」前提ではないですか?
まさに人間個人に無限大の能力を仮定してるように見えますの。
でも実際問題そんなわけ無いでしょう。
不等式だって自分で解決しないといけないものは自分で解決しないといけないですよ。
それに検索して出てくるならそれでもいいが、検索に丸一日かかったり、載ってたけど結局証明は明示的に書いてなくて他の論文を参照しろと書いてて、参照したら明示されてなくて論文を完全習得して初めてその世界が見えた結果わかるとかもあるでしょう?
検索してる間は世界が広がるだけで、自分の手に届く範囲はちっとも広がらないからちっともつまらない。
丸一日検索するなんて苦痛な時間ですよ。私にはそれにずっと耐える無限大の精神力はありません。
それなら自分で考えたほうが楽しいですし、「自分で解決したほうがはやい」という自分になれてるのなら自分で解決すればいいじゃないですか?ついでに嬉しいですし。
私は逆です。無限大の力がないから無限大の力に憧れてますよ。
数オリを否定しないのも、子供が無限大の力を得る一助にはなるんじゃない?というだけの話ですから。
私自身が数オリの問題で遊んだことは数年前に一回やっただけです。そのときまぁまぁ大変だったので、「ああ私はまだこういうレベルなんだ」と思った。
それ以降は忙しいのでやってませんしまぁやらなくてもいいかなとは思います。
私は必ず必要とは言ってませんので矛盾しません。
私自身はできないなら別のことをすればいいと思って行動するので。でも無限大の力には憧れますよ。
そして数オリの不等式をおもちゃとは言いますが、私が一秒で証明の流れが頭に浮かばない物を私はおもちゃとは呼べませんね。
それは私にとって不思議な物に見えます。
見たら、「マジかよ~、こんなん成り立つとかやべぇ〜」て思いながら感心して大笑いしますけど、この感情は感動の1種と呼べませんか?
私にとって証明が一秒でわからない、つまり自明でないものはとうていおもちゃたり得ません。
私はまだまだ童心を忘れてないので興味深いという感情よりも「世界やべぇ〜」と感心する時に笑顔になれて幸せを感じることが多いですね
やはり美しさというのは個々人の数学レベルに依存するものですし、各レベル帯ごとに心を動かす美しさがあるんじゃないですか?
そして昔美しいと思っていたが、時が経つとそう思わなくなったなんてことも普通にあるでしょう、もし美しさは永遠に変わらないものだと言うなら私には理解できません。
美しさなんて主観でしかありません。私が変われば美しさも変わってしまいます。
だから私にとってはその場その場で一期一会に感動するで必要十分です。
@@proj3891 なぜ一秒で頭に浮かばないの流れを競争と捉えてるのがなぞです
見えないという意味です
美しさは主観は絶対なのですり合わせに意味がないは絶対です議論の余地はありまません
建設的ではないではなく、何も建設することはできない
得られる利益は「見える世界が広がるです」
もちろん対象は見えてない人です。
見える世界が広がるなら手段は何でもいいです。
なにか不明瞭ですか?
@@proj3891 何に怒ってるのかよくわからないです
見えないより見えるほうがいいというのを有利と表現しただけですが?
見えないほうがいいですか?そんなこと無いでしょう?
@@proj3891 できないよりできたほうがいいは正しいとあなたも認めてるのだから詭弁ではないでしょう
まぁ自明と言われればそうですけど
自明なことをコメ欄に書いたことに怒ってるのですか?
そんなの知らないです
高校数学 入試数学は沼ですね できるに越したことはないんでしょうけど
国際数学オリンピックは、国際音楽コンクールのジュニア部門と考えてもらって結構です。ジュニアで勝てたってレギュラーで勝てる保証は全くありません。今年、ハエン国際で元天才少年が落っことされてしまいました。数学もひょっとすると、こんな感じなのかも?正解は「勝ってもいいし、勝てなくてもよい」のです。
国際数学オリンピックがなぜ批判されるかというと、開催国によって難易度が異なるばかりか、部分点の審査基準すら変更されるからです。去年のロシア大会の第6問も、ヒントを出してるので問題としてなにも機能していませんでした。
2020ロシア大会問6に関しては、あれはあまりに難易度が高すぎるので、平均点を調整するために少しヒントを出して、部分点を取りやすくするのが狙いだったんじゃないでしょうか。
ま、あくまで推測ですが。。。
2014の時も謎のヒントあった
数学オリンピックはスポーツ色が濃いですよねぇ
年齢制限要らんくらいの内容にしてもっと広くやれば良いのに
大半の人は大学以降の数学の突っ込んだところは必要ないから勘違いされたってぶっちゃけ問題ないと思うんだが……。そもそも勘違いどころか知らない人だっているんだから、数学オリンピックって言うツールを使って知れるようにするのはむしろ今後の発展に貢献できるのでは?
進次郎構文、本当の数学でない理由は本当の数学ではないからです、になってます。
100%賛成する。東大まで天才。入学後は、数学科や理学部の数理系の講義についていけず落ちこぼれ。こういうのが、異常に多い。
このコメントが真なのか、ある程度の説得力を得るためには
①コメント主が東大生で、かつ講義についていけずに落ちこぼれた人と知り合い(人から聞いた噂ではダメ)
②そして異常に多いという結論に達しているので、その知り合いがとても多い。
③落ちこぼれた人だけでなく、東大生のその後を追って研究に携わっている人の数も把握している。
これらをクリアしないとこのコメントは印象で語っているに過ぎない。
かなりのハードルというかそんなこと調査できるはずもないのでこのコメントは説得力がない。
そんな曖昧なことを東大生が言うはずもなく、部外者の人が想像やネットの知識で分かったような感じで語っているという結論に至りました。
間違っていたらごめんなさい。
@@y8e-k2n
特色はすごい
知人に特色いるけど、入学後はone of themにしかならない。
優秀ではあるけど、過大評価されがち。
優秀な数学解答者が必ずしも優秀な数学者にはならないという事ですね
プロスポーツの世界でも名選手が名監督や名コーチになるとは限らないということはよくあります
数学オリンピックは数学検定とかに近いものだと思います。高校数学程度までの範囲でどこまで出来るか競うという意味で。
数学者として数学の研究に携わらない場合、なかなか数学の能力を試される場というものがない気がします。
実用的な数学の試験としては、アクチュアリー試験の数学が一番難しいでしょうか。特に資格ではなく仕事に使う場合は金融工学とかを使う職業ですかね。
どちらも統計学と微分方程式論がメインでそれ以外の分野の知識はあまり問われませんが。
仮に相関があるとしても、交絡因子も考えないとですね。例えば、数学における自己肯定感が強化され、モチベが上がるとか。
数学オリンピックも予選を通過していくと、問題の形式は「証明問題」のみになると聞いたんですが、それは先生のおっしゃる「大学の数学」にはつながらないんですか?
繋がると思います。数学的思考力の強化にもなりますし、表現力なんかもつくと思いますが、ただ結局大学、大学院以降で数学をやりたいならそれは学問として研究としての数学です。
例えば、大学入試勉強で積分で面積が出ることを教わりました。計算の仕方を教わったので、機械のように計算だけはできます。ですが、理論の方はどうでしょう?例えば、不連続な点がある関数は積分できますか?どんな関数が積分できるのでしょうか?有界ではない区間で定積分できますか?まず、このような議論をしなければなりませんし、このような理論を作ったり、定義したりしなければなりません。つまりこのような事を知りたいとなると文献などを参考にしながら、数学的に正しく論証しなければなりません。研究といえば、未解決問題を取り扱うので誰も正解を知りません。そこで必要なのは受験や数オリで得点取るために必要なテクニックとかよりも数学的に真に理解する事の方が大切であると言うことなのではないでしょうか。
@@寺田心-q9p ちょっと違うかもしれませんが、、、「真理の探究」と「詰め込み」は、逆行する部分も多いということですね!とくに子供時代に「詰め込み」の学び方に慣れすぎてしまうと、「自分の頭で本質を探ろうとする」感性が育ちづらいかもしれませんね。
数学だけじゃなくてスポーツのオリンピックも廃止したほうがいいと思います
数オリはサッカーのリフティング技術大会。
大学の数学はワールドカップ。
無関係ではないとこがやっかい
今でもある風潮だけど特に昔あった、文系ならデカンショ理系なら純粋数学にこだわっている人と近いものを感じる。
今どきデカンショ節なんて誰も知らないし、ましてやデカンショが何を指しているのか知っている人なんて棺桶に片足…www
だいたいデカルト、カント、ショーペンハウエルなんて傾向がバラバラですがなw
確かフィールズとった人の中では数オリ地区予選到達できなかった人がいるらしいですね。
オリンピックって名称が国際的なスポーツの祭典のオマージュなのがね。数学オリンピック金賞って聞くと競技者としての最高峰と同じ位の称号って勘違いしまうもんな。
話をきいてプログラミングと競技プログラミングの違いと似てるかな?って思った
競技化した、という部分が周知されたら数学オリンピックもいい気はしますね
[数学]のオリンピックっていっちゃうからダメで、[競技化した数学]のオリンピックというとしっくりくる
大学以降の数学を勉強した子たちに対して何かしら形としてあればいいのかなあ
現状、数オリか模試の点数、大学名くらいしか(広く認知されてるものは)ないもんね
数オリが本当の数学じゃないから数オリを廃止すべきっていうのは論理が飛躍してますね。論理的思考力を鍛える為にも数オリは必要なんじゃないですか?
その「勘違い」が嫌なら数オリ廃止だけでなく現在の中高の(所謂受験)数学の指導要領も大幅に変えないといけないと思いますが・・・偏屈すぎませんか?
これはないかな。
数オリで実績出している人は学問の成功で成功してる人も多いし、
数オリがないと数学に興味を持つ人が減りそう。