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質問者様のように私も絶望を経験したものです。自分の生き方に絶望し統合失調症を発病し自殺未遂をしました。その傷跡は今でも首元に残ってます。その当時のことは今でも鮮明に頭に残っており生き方が分からないと家族に助けを求めたこともあります。精神科に入院し生活は一変しました。しかし、今ではそれが良かったと思ってます。思い返せばそれまでの人生は霞がかったようなものでした。大愚和尚様が仰ってる通り夢見心地でした。やっと現実に引き戻された感覚です。言葉に出来ない感情でしたが整理がつきました。ありがとうございます。
今 私は病気と闘っています弱気になったりはしょっちゅうです今日の和尚様のおっしゃる事はありがたい言葉でしたありがとうございます
絶望で約2年寝込んでいました。ポジティブな周りの人を羨んでいました。私にはそうなれないと思っていたから。和尚様のお話で気が付かことが出来ました。いつも有難うございます。
私もそうでした。でも変にポジティブになる必要もなく、絶望する程に現実と向かい合えるMariさんは美しいと思います。
病気になると、OSがガラッと変わるような体験をします。今までの快活な自分をよく知っているのに、どうにも戻れそうもない絶望を感じることもある。そうした悲しみを乗り越え、清濁併せ呑めた時、矛盾を一つの塊として内包できた時、それが成長するってことなんですね。
自分の命の危機を感じた時。『人は必ず死ぬ』という当たり前のことに気づきます。私も齢五十年を数えるようになり、身体の衰えをひしひしと感じます。元気なうち、動けるうちにできることはやってしまおうと毎日頑張ってます。
本当の辛さや恐怖を経験した人とそうでない人の、考え方や日常の生き方に差が出てくるのは自然なことだと思いました。同時に、経験しなければ深いところまでは分からないけど、日々こうやって学んでいくことがその時の支えになると感じたので、学び続けていこうと思います😌
中道と言う言葉を初めて知りました。自分の人生の中で中道を知る大切さを学ばせて頂きました。いつか必ず来る死を知りながら毎日を過ごす大切さです。良いお話しをありがとうございました。
よく親にゲームやアニメばかり見るなって言われるが、こんなにのめり込んで、楽しいのにどうしてやめないといけないのかと疑問は誰しもあると思うんだよな。だが、もう腹が空いて腹が空いて飯を食わなきゃいけないときに、ゲームができるのか?と、息も苦しく、今にも死にそうな時にアニメを見ることができるのか?とふと考えた時に、肝心な時には自分の趣味はあまりにも無力なんだと気づいたりしたんだよな。いつものライフサイクルが、非常事態には何一つ意味をなさないなんてこともよくあると思うし、ただ、必要なことばかりしていても退屈さによって苦痛を感じることもあるから、やはり、趣味と生活を一緒くたにせず、分けて半々が人生には必要なんじゃないかと思うわ
❤😮😢
@@武居ばぁちゃん 👍
幼きころ父が他界しました。記憶がありません。長いこと悲しみと向き合いました。悲しみを知っているからわかる喜びは、人よりもはるかに深いと、思います。相談者の方が前を向いていかれることを心から祈ります。必ず、必ず、喜びに出逢います。わたしはそう思います。
みょんさんのご相談とお気持ち痛いほど分かります。私事になりますが自分自身は人生の前半の頃から怪我、病気、精神病を患ってきました。周りからは“腫れ物にさわる、可哀想“などの目で見られ 同じく友人、家族にまで「ポジティブ思考、人生は楽しく生きる。」など慰め、励ましでもらった言葉に深く傷つき、同時に「誰も自分の状況を分かってくれない」と言う強い 孤独感を覚えました。大愚和尚様がおっしゃった通り「彼らが悪いわけではないです。彼らの若さ、幼さです」その通りだと思います。彼らなりの優しさなのです でも彼らも経験をしたことがないのでどうしていいか、何を言って良いのかわからないのでしょう。最初は周囲に対して怒りと悲しさ、寂しさの感情としばらく葛藤、孤立していましたが人は変えられないですし、自分の交えた感情も落ち着き今はでは同じ状況の方がいらっしゃったら耳を傾け話を聞こう、100%分からなくても寄り添いたいです。
「憂いがきっかけで人生の本質に1歩深く踏み込んだということ」今の世の中を生きているとそうやって言ってくださる事が大変力強いです。ありがとうございます。質問者様ほど大変なものでは無いのですが、人生とはや仕事とは?など考える機会があったときにその事を周りに話した時、「重たい、めんどくさい」と言われ疎外感を感じていた時に出会いました。質問者様も、ご質問ありがとうございます。お身体大事になさってください。
自分も「考え過ぎ」と言われた側の人間で一時はそれに悩みましたが、良い事もそうでない事も色々経験して、又知識としてHSPという「個性」がある事を知った事も大きいですが、「考え過ぎるほど考えれる事は財産でしかない」と今は思います。特に病気に罹ったり友の死や心の問題に寄り添ったりした事は考えをさらに深められるきっかけにもなりました。考える事は興味や好奇心に心から没頭できる面もあると思います。ただ、考える事はエネルギーを要する事と、時に堂々巡りになる事があるのでそこには気を付けてます。あと個人的に思うのは、本当の意味での「ポジティブ」と言うのは、ポジティブな事だけを見ている内には決して辿り着けないものだとも感じます。「ネガティブを見ない」事と本当のポジティブは全くの別物だと思ってます。
お
とかく周りは無責任な事を言うものです。残念ながら家族も含めてそうです。ましてや友達となると、言い方悪いかも知れませんが、所詮他人事だと思います。冷たいというより、そういうものなんだと思います。人の意見に耳を傾ける事は必要ですが、自分の納得の行く生き方が大事です。質問者さんの納得の行くように生きて下さい。
今の私の心理状況に、ピッタリの動画でした。素晴らしい動画。本当に見れてよかった。
ありがとうございます🙏
大愚和尚様、いつもありがとうございます。先週親友から頼まれて彼女の友達の相談に一緒に乗りました。親友も彼女の友達もDV被害者で、子供を奪われ、取り戻そうとしています。未婚・子無し・彼氏いない歴イコール年齢の私が彼女らから頼りにされているのは、大愚和尚様のお話を拝聴するなどして自分の内面やこの世の真実などと向き合ってきたからであろうと思います。感謝申し上げます。親友の友達は生まれ育った家庭にも才能にも恵まれ、誰もが知っている大会社の本社の正社員で、まるで出木杉君のような人です。それがDV被害者になり、親権者で子供たちも懐いているのに、留守中に最愛の子供たちを元妻に連れ去られ、子供たちが虐待され、児童相談所も警察も取り合わず、家庭裁判所は無力で、元妻に悪徳弁護士が付いていて、八方塞がりのような状況で、食事も睡眠も十分に取れず瘦せ細っています。にもかかわらず誰をも悪く言わず、自分の無力さに憤りを感じるとのことです。私は彼がこの試練を乗り越えることで大きく成長し、何か大きな使命に邁進するようになることと信じております。先日私が資格を利用して同行した県庁と管轄の保健所の職員たちの対応は不適切極まりないものでしたが、彼は怒っておらず、私も腹が立たず、むしろ職員たちを哀れに思います。職員たちの家族、殊に子供たちも哀れです。DV加害者の元妻に対しても、三人とも全く腹を立てておりません。親友も彼も元妻の心理がわからないようですが、私にはわかる気がいたします。出木杉君のような夫と自分を比較して、劣等感や罪悪感から無性にイライラ・ムカムカし、夫が優しくしてくれればくれるほど、自分でも訳のわからない怒りが湧き、制御不能になり、悪循環に陥ってしまったのだろうと思います。そう言うと、親友もわかると言い、彼は私の考えにいちいちと言って良いほど同意します。これは、今では死語ですが、人の身になって考えることを積み重ねてきた成果であろうと思います。一人で悶々と考え込むだけでなく、大愚和尚様のお話を常日頃拝聴してきた成果でもあると思います。私自身も、もらい落ち込みしなくなっていた自分に驚きました。そして、このような重大問題で頼りにしてくれる人たちがいるのなら、もう誰に何と思われようと、世界中の人たちから馬鹿にされようと、どうでもいいと心から思えました。無力感から、これ以上人様にご迷惑をおかけしないよう、ひっそりと余生を送り、お迎えを待つしかないと思っておりましたけれども、まだなすべきことがあったと思いました。余生を子供たちに捧げます。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
和尚さま、動画を届けてくださる方々に感謝します。様々なお考えを教えてくださる視聴者の皆さまにも、お礼申し上げます。自分自身であることを失わず、それを受容し超越して他者との関係をつくりながら生きていく。言うは易く行うは難しで、本当に至らないことばかりです。「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」本当にこれに尽きるなぁと思います。皆さまの人生が美しくありますように。
いつもありがとうございます😊❤
4年前長年勤めていた会社を辞めました。適応障害という病。お腹空いて食べる。吐く。その繰り返しでした。そして今に至ります。今も病んでると思います。でも自分なりに気合入れて仕事してます。あたりまえに笑顔で接する。わたしのテーマですね。相談者さま。身体ご自愛ください。なんも力になれないと思いますが応援します!
自分の考え方が大きく変わる内容でした。ありがとうございました。
すーっと自分の心の中にあった重たいものが消えたような感覚になりました!ありがとうございましたm(_ _)m
体や心を病むことで人生を問うことになる。その問いこそが人生の醍醐味であったりするのですね〜いつもお説法をありがとうございますm(_ _)m
私の娘の時にもそう言ってくださいました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
僕も心が病気になってから自分の内面を観察し始めました、それは間違いではなかったんですね、いつも良いお話ありがとうございます!
私は、、適度にそこそこ大きい病気を定期的してきた50代です。大きい手術も赤ちゃんの時から4回しました。でも、不幸だと考えたことはありません。毎度毎度、人生とは、命とは、どう生きるか、考える機会を得ました。今、自分自身が再び病になっても、きっとしっかりと受け止める自信があります。
きっかけを得た事は不孝ではない。ありがとうございます。
病気って怖いと思うのは体の不安だけじゃないんだよね。私は高校の時大病を患って入院した時、めちゃくちゃ周りの人をやっかみ、ひがんだなぁ。親や彼氏にも。あの時の自分はもうね、最低だった。病気は人の心まで蝕んでしまうんだなぁって思ったよ。病気で身体が壊れる事より病気で心が壊れる事の方が怖くない?影があるから光の眩しさが分かる。苦しみの存在と向き合う事ってとても大事だし、そこから自分を見つめる事って幸せの見つけ方の一つかもね。能除一切苦真実不虚
修行するためにお金を稼ぐ
とはいえ、ポジティブに見えるご友人も見えないだけで、それぞれ苦悩を持っているものだと思います。
和尚様いいですね。自分は救急車に乗ったことがありません。一度乗りたいです。自分は78歳です。色々な教えをありがたくお聞きしております。心より感謝しています
所詮他人事なんですよね…。実際他人事だし、当事者の気持ちは当事者にしかわからないのに、理解を求めたり、判断を求めるのがそもそもお門違い。自分のことは自分で決めんさったらええやん。
大概の人は夢の中…
仏教ではこの世は諸行無常だと言ってるのではないのでしょうか?そんな世の中でも真理、変わらない理というものがあるというのは矛盾してないでしょうか?
質問者様のように私も絶望を経験したものです。
自分の生き方に絶望し統合失調症を発病し自殺未遂をしました。その傷跡は今でも首元に残ってます。
その当時のことは今でも鮮明に頭に残っており生き方が分からないと家族に助けを求めたこともあります。
精神科に入院し生活は一変しました。
しかし、今ではそれが良かったと思ってます。思い返せばそれまでの人生は霞がかったようなものでした。
大愚和尚様が仰ってる通り夢見心地でした。やっと現実に引き戻された感覚です。言葉に出来ない感情でしたが整理がつきました。ありがとうございます。
今 私は病気と闘っています
弱気になったりはしょっちゅうです
今日の和尚様のおっしゃる事はありがたい言葉でした
ありがとうございます
絶望で約2年寝込んでいました。ポジティブな周りの人を羨んでいました。私にはそうなれないと思っていたから。和尚様のお話で気が付かことが出来ました。いつも有難うございます。
私もそうでした。
でも変にポジティブになる必要もなく、絶望する程に現実と向かい合えるMariさんは美しいと思います。
病気になると、OSがガラッと変わるような体験をします。今までの快活な自分をよく知っているのに、どうにも戻れそうもない絶望を感じることもある。そうした悲しみを乗り越え、清濁併せ呑めた時、矛盾を一つの塊として内包できた時、それが成長するってことなんですね。
自分の命の危機を感じた時。
『人は必ず死ぬ』
という当たり前のことに気づきます。
私も齢五十年を数えるようになり、身体の衰えをひしひしと感じます。
元気なうち、動けるうちにできることはやってしまおうと毎日頑張ってます。
本当の辛さや恐怖を経験した人とそうでない人の、考え方や日常の生き方に差が出てくるのは自然なことだと思いました。同時に、経験しなければ深いところまでは分からないけど、日々こうやって学んでいくことがその時の支えになると感じたので、学び続けていこうと思います😌
中道と言う言葉を初めて知りました。自分の人生の中で中道を知る大切さを学ばせて頂きました。いつか必ず来る死を知りながら毎日を過ごす大切さです。
良いお話しをありがとうございました。
よく親にゲームやアニメばかり見るなって言われるが、こんなにのめり込んで、楽しいのにどうしてやめないといけないのかと疑問は誰しもあると思うんだよな。だが、もう腹が空いて腹が空いて飯を食わなきゃいけないときに、ゲームができるのか?と、息も苦しく、今にも死にそうな時にアニメを見ることができるのか?とふと考えた時に、肝心な時には自分の趣味はあまりにも無力なんだと気づいたりしたんだよな。いつものライフサイクルが、非常事態には何一つ意味をなさないなんてこともよくあると思うし、ただ、必要なことばかりしていても退屈さによって苦痛を感じることもあるから、やはり、趣味と生活を一緒くたにせず、分けて半々が人生には必要なんじゃないかと思うわ
❤😮😢
@@武居ばぁちゃん 👍
幼きころ父が他界しました。記憶がありません。長いこと悲しみと向き合いました。
悲しみを知っているからわかる喜びは、人よりもはるかに深いと、思います。
相談者の方が前を向いていかれることを心から祈ります。
必ず、必ず、喜びに出逢います。
わたしはそう思います。
みょんさんのご相談とお気持ち痛いほど分かります。私事になりますが自分自身は人生の前半の頃から怪我、病気、精神病を患ってきました。周りからは“腫れ物にさわる、可哀想“などの目で見られ 同じく友人、家族にまで「ポジティブ思考、人生は楽しく生きる。」など慰め、励ましでもらった言葉に深く傷つき、同時に「誰も自分の状況を分かってくれない」と言う強い 孤独感を覚えました。
大愚和尚様がおっしゃった通り「彼らが悪いわけではないです。彼らの若さ、幼さです」その通りだと思います。彼らなりの優しさなのです でも彼らも経験をしたことがないのでどうしていいか、何を言って良いのかわからないのでしょう。
最初は周囲に対して怒りと悲しさ、寂しさの感情としばらく葛藤、孤立していましたが人は変えられないですし、自分の交えた感情も落ち着き今はでは同じ状況の方がいらっしゃったら耳を傾け話を聞こう、100%分からなくても寄り添いたいです。
「憂いがきっかけで人生の本質に1歩深く踏み込んだということ」今の世の中を生きているとそうやって言ってくださる事が大変力強いです。ありがとうございます。質問者様ほど大変なものでは無いのですが、人生とはや仕事とは?など考える機会があったときにその事を周りに話した時、「重たい、めんどくさい」と言われ疎外感を感じていた時に出会いました。質問者様も、ご質問ありがとうございます。お身体大事になさってください。
自分も「考え過ぎ」と言われた側の人間で一時はそれに悩みましたが、良い事もそうでない事も色々経験して、又知識としてHSPという「個性」がある事を知った事も大きいですが、
「考え過ぎるほど考えれる事は財産でしかない」と今は思います。
特に病気に罹ったり友の死や心の問題に寄り添ったりした事は考えをさらに深められるきっかけにもなりました。
考える事は興味や好奇心に心から没頭できる面もあると思います。
ただ、考える事はエネルギーを要する事と、時に堂々巡りになる事があるのでそこには気を付けてます。
あと個人的に思うのは、本当の意味での「ポジティブ」と言うのは、ポジティブな事だけを見ている内には決して辿り着けないものだとも感じます。
「ネガティブを見ない」事と本当のポジティブは全くの別物だと思ってます。
お
とかく周りは無責任な事を言うものです。残念ながら家族も含めてそうです。ましてや友達となると、言い方悪いかも知れませんが、所詮他人事だと思います。冷たいというより、そういうものなんだと思います。
人の意見に耳を傾ける事は必要ですが、自分の納得の行く生き方が大事です。質問者さんの納得の行くように生きて下さい。
今の私の心理状況に、ピッタリの動画でした。素晴らしい動画。本当に見れてよかった。
ありがとうございます🙏
大愚和尚様、いつもありがとうございます。
先週親友から頼まれて彼女の友達の相談に一緒に乗りました。
親友も彼女の友達もDV被害者で、子供を奪われ、取り戻そうとしています。
未婚・子無し・彼氏いない歴イコール年齢の私が彼女らから頼りにされて
いるのは、大愚和尚様のお話を拝聴するなどして自分の内面やこの世の
真実などと向き合ってきたからであろうと思います。感謝申し上げます。
親友の友達は生まれ育った家庭にも才能にも恵まれ、誰もが知っている
大会社の本社の正社員で、まるで出木杉君のような人です。
それがDV被害者になり、親権者で子供たちも懐いているのに、留守中に
最愛の子供たちを元妻に連れ去られ、子供たちが虐待され、児童相談所も
警察も取り合わず、家庭裁判所は無力で、元妻に悪徳弁護士が付いていて、
八方塞がりのような状況で、食事も睡眠も十分に取れず瘦せ細っています。
にもかかわらず誰をも悪く言わず、自分の無力さに憤りを感じるとのことです。
私は彼がこの試練を乗り越えることで大きく成長し、何か大きな使命に
邁進するようになることと信じております。
先日私が資格を利用して同行した県庁と管轄の保健所の職員たちの対応は
不適切極まりないものでしたが、彼は怒っておらず、私も腹が立たず、
むしろ職員たちを哀れに思います。
職員たちの家族、殊に子供たちも哀れです。
DV加害者の元妻に対しても、三人とも全く腹を立てておりません。
親友も彼も元妻の心理がわからないようですが、私にはわかる気がいたします。
出木杉君のような夫と自分を比較して、劣等感や罪悪感から無性にイライラ・
ムカムカし、夫が優しくしてくれればくれるほど、自分でも訳のわからない
怒りが湧き、制御不能になり、悪循環に陥ってしまったのだろうと思います。
そう言うと、親友もわかると言い、彼は私の考えにいちいちと言って良いほど
同意します。
これは、今では死語ですが、人の身になって考えることを積み重ねてきた
成果であろうと思います。一人で悶々と考え込むだけでなく、大愚和尚様の
お話を常日頃拝聴してきた成果でもあると思います。
私自身も、もらい落ち込みしなくなっていた自分に驚きました。
そして、このような重大問題で頼りにしてくれる人たちがいるのなら、もう
誰に何と思われようと、世界中の人たちから馬鹿にされようと、どうでもいいと
心から思えました。
無力感から、これ以上人様にご迷惑をおかけしないよう、ひっそりと余生を送り、
お迎えを待つしかないと思っておりましたけれども、まだなすべきことが
あったと思いました。
余生を子供たちに捧げます。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
和尚さま、動画を届けてくださる方々に感謝します。
様々なお考えを教えてくださる視聴者の皆さまにも、お礼申し上げます。
自分自身であることを失わず、それを受容し超越して他者との関係をつくりながら生きていく。言うは易く行うは難しで、本当に至らないことばかりです。
「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
本当にこれに尽きるなぁと思います。
皆さまの人生が美しくありますように。
いつもありがとうございます😊❤
4年前長年勤めていた会社を辞めました。適応障害という病。
お腹空いて食べる。吐く。その繰り返しでした。
そして今に至ります。今も病んでると思います。でも自分なりに気合入れて仕事してます。
あたりまえに笑顔で接する。わたしのテーマですね。
相談者さま。身体ご自愛ください。なんも力になれないと思いますが応援します!
自分の考え方が大きく変わる内容でした。
ありがとうございました。
すーっと自分の心の中にあった重たいものが消えたような感覚になりました!
ありがとうございましたm(_ _)m
体や心を病むことで人生を問うことになる。その問いこそが人生の醍醐味であったりするのですね〜
いつもお説法をありがとうございますm(_ _)m
私の娘の時にもそう言ってくださいました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
僕も心が病気になってから自分の内面を観察し始めました、それは間違いではなかったんですね、いつも良いお話ありがとうございます!
私は、、
適度にそこそこ大きい病気を定期的してきた50代です。大きい手術も赤ちゃんの時から4回しました。でも、不幸だと考えたことはありません。
毎度毎度、人生とは、命とは、どう生きるか、考える機会を得ました。今、自分自身が再び病になっても、きっとしっかりと受け止める自信があります。
きっかけを得た事は不孝ではない。ありがとうございます。
病気って怖いと思うのは体の不安だけじゃないんだよね。
私は高校の時大病を患って入院した時、めちゃくちゃ周りの人をやっかみ、ひがんだなぁ。親や彼氏にも。
あの時の自分はもうね、最低だった。
病気は人の心まで蝕んでしまうんだなぁって思ったよ。
病気で身体が壊れる事より病気で心が壊れる事の方が怖くない?
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苦しみの存在と向き合う事ってとても大事だし、そこから自分を見つめる事って幸せの見つけ方の一つかもね。
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修行するためにお金を稼ぐ
とはいえ、ポジティブに見えるご友人も見えないだけで、それぞれ苦悩を持っているものだと思います。
和尚様いいですね。自分は救急車に乗ったことがありません。一度乗りたいです。自分は78歳です。色々な教えをありがたくお聞きしております。心より感謝しています
所詮他人事なんですよね…。
実際他人事だし、当事者の気持ちは当事者にしかわからないのに、理解を求めたり、判断を求めるのがそもそもお門違い。自分のことは自分で決めんさったらええやん。
大概の人は夢の中…
仏教ではこの世は諸行無常だと言ってるのではないのでしょうか?そんな世の中でも真理、変わらない理というものがあるというのは矛盾してないでしょうか?