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*足立光宏* 投手は個人的にはベテランの域になってから見たのでその芸術品足立と言われた投球術は見事だった。またここという時に強い印象が。1976年の *日本シリーズ* 、1977年のプレーオフがとても記憶に残っているピッチャだ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
50代後半の福岡在住の者です。おかむら村長さん、あの頃の阪急ブレーブスをたくさん取り上げてもらって、本当にありがとうございます。「1976年阪急投手陣10人のみ」の動画も最高で、(涙しつつ)心躍らせながら拝見しました。あゝ、阪急ブレーブス
足立投手はカムバック賞を3度獲得してもおかしくない投手だもんなぁ。それと、76年の第7戦の「騒げ!もっと騒げ!」と思いながらの完投勝利は凄い。俺が生まれた年に引退したからリアルではしらないけど、本当に凄いと思う。特に逆境での粘り強い戦いは。パワプロなら間違いなくピンチ○、逆境○は付く投手。
当時、小学生の私は、周りに巨人・阪神ファンしかいない(広島ファンは1人いた)中で、唯1人の阪急ファンでした。6戦が終わった時は、ショックと絶望感で泣きました。それでも一縷の望みを胸に、次の日は遠足だったのですが、姉の携帯ラジオを(勝手に)持って行って、足立を必死で応援しました。そして、急いで帰ってきて、最後、完投勝利の瞬間は見れました。後から知った「騒げ、騒げ・・・」のことも含めて、カッコよすぎます。あの試合は、いまだ、生涯最高の試合です。(シリーズは昼間がよい、まったく同感です)
懐かしいです。小学生でしたが夢中になって見ました。足立さんカッコ良かったなぁ。ジャイアンツファンだったのですが、ブレーブスの3本柱がカッコ良すぎて。
3塁に偽投して1塁ランナーを指したのは痺れた 17三振の記録はなかなか破られませんでしたね
1976年の日本シリーズ第7戦の足立は、本当にカッコ良かった。長嶋巨人初の日本シリーズで、場所は後楽園。文字通り日本中を敵にして全く動じず、自軍の攻撃中に、一本の煙草を吸って、また、淡々とマウンドに戻る。大人の男のカッコ良さを教えられました。前日に、怯えたり、虚勢を張る選手達と離れ、1人静かに銀座のバーでウイスキーグラスを傾けていた話しを後日に知り、ますますシビレました。
大好きな投手。大舞台にめっぽう強かった。日本シリーズやパ・リーグのプレーの大事な試合はエース山田より足立投手が先発。裏のエース、切り札的な存在
スピードはないのに、コントロールと駆け引きで強力打線でも手玉にとってしまうあの老練な投球術はスゴい、と思いました
あと米田、梶本、石井、当然勝率667
かつては速球で押す本格派1試合17奪三振は95年野田浩司投手に更新されるまで長い間プロ野球記録でした
足立粘り強く芸術投球山田山口も凄い投手だが私の中ではいちばん記憶に残っている
足立は、日本シリーズで巨人相手に通算7勝4敗。冷静で度胸満点の大試合に強い投手でした。
1976年日シリ第6戦に7点差をひっくり返されたショックから、山田さん、山口さんはもう投げたくないと落ち込んだ、それを救ったのが足立さん、二人とも足立さんは神様です、と言っていた。また、日本一になったあと、阪急ナインは、銀座に繰り出したが、そこで巨人小林繁投手とばったり会い、4連敗しなくてよかったね、、おめでとう、と祝福されたという
足立さん・山田さん・山口さんは、それぞれキャラが立っており、インパクトが半端なかったです。長らく主戦級ピッチャーだった足立さんは、ピッチャー陣の精神的支柱だったと思います。
昭和52年53年の選手としての晩年はペナントレースではあまり活躍出来なかったですが日本シリーズでは存在感ありまくりでしたね。日本シリーズでは巨人、ヤクルトを応援していたので、スピードないのに何で打てないんだよ....って子供心で物凄くジレンマがありました。。これぞ足立の術中なんですよね。
アンダースローの本格派 足立投手でしたし、シリーズに本当に強かったですね!そして後楽園でベテラン森本潔選手の逆転ツーランで、阪急の選手がベンチを飛び出て皆で、森本選手を迎えるシーンは、今では中々観られないですね。やはりシリーズは昼間が良いですね!
この時、森本のトレードが決まってたらしいんだよなぁ・・・上田監督も複雑な気持ちで出迎えたと言ってた。
足立さんの現役後半は自分の中学時代でした。シリーズの大舞台のマウンドでの雰囲気が、ほんとうに独特で強く印象に残っています。野球選手と言うより、何か、こう…足立さんだけが昔の侍のように見えて、映画やドラマに出てくる凄腕の剣の達人を見ているようでした。
完全に流れが巨人でこのピッチングは凄かったです。巨人が勝ってたら柴田さんがMVPでしたね。僕の中では1番のシリーズです。
巨人ファン小学生でしたが、山田、足立のエース格二人がアンダースローというのは衝撃的で、その後しばらくアンダースローの練習ばっかりしました^ ^その後に出てくるのが山口高志なので阪急恐るべし!と感じました。
同世代ですね。ほんと、一緒です。
昭和53年の日本シリーズ、後楽園球場のライトスタンドから観てました。山田投手と同様に、アンダースローから地を這うような速球が今でも目に焼き付いています。まさに昭和の名投手でした。
200勝を達成してないのが予想外でした。昔の起用法は想像を絶する凄さですね。
山田 山口の起用が凄い。山田はよく壊れなかったな。
大舞台に強かった足立大一番に弱かった山田
@@ohkh6841でも日シリMVPになってる。負けた試合でも、山田の調子より、打線の援護が無かったケースが多い。昭和46年の王のホームランも、阪急が序盤にもっと点を入れてれば、さしもの読売も戦意喪失して、大逆転出来なかっただろうし、昭和59年もハイクオリティスタートして、試合を作ってる。
「いぶし銀」て、この人のためにある言葉
同じ会社で働いていました😮
ドカベンの里中のモデルになったおかたですね
ヤクルトファンの自分としては第7戦のあの抗議による長い中断の後、交代してくれてこれで勝てると思った記憶があります。すぐ再開したら、どうやっても打てそうな気配がなかったので上田監督に感謝です。
小学生のころ親父に連れられて後楽園で見た日本シリーズ。その時の動画が再び見れて感謝!堀内投手(マルカーノに打たれたんだよなぁ…)ファンでしたが、阪急山口高志投手のスピードボールは未だに鮮明に覚えております。速い…豪速球とは彼の為にある言葉です。ホリは快速球ってイメージだったかな。同僚の山田投手も今までで一番速い右投手は高志、左なら江夏って語ってますしね。山田投手が速球一本からシンカー覚えるキッカケにもなった程の投手でした。因みに足立投手のとこに行ってシンカー教わろうとしたけど、無下に断られたとか…(苦笑)。
石井茂雄も見たくなりました
肝心のシーンがなかったですね。加藤のエラーで逆転されワンアウト満塁のピンチに代打淡口。ここで足立投手はすべてボール球で勝負!わかっていない中継アナウンサーは足立がビビってると表現、アホか!淡口は足立投手の術中にはまり、1-2-3のダブルプレー!そして逆転ホームランがでました!!
今風にいえば超のつくクラッチプレイヤーですね。ここ一番で何度も阪急を窮地から救った救世主でした。
日本シリーズのエース日本シリーズ敢闘賞4回日本シリーズ第1戦先発3回ミスターポストシーズン
短期決戦の活躍って生涯成績には残らないですが、ファンは絶対忘れないですね
昭和40年代半ばまで、二人合わせて600勝以上という超ド級エース(米田、梶本)の陰に隠れていた感のある足立投手でしたが、日本シリーズ他大事な試合で一番頼りになるのはこの方でしたね。昭和40年代後半以降、やはりエースの座は山田投手という印象でしたが、大きく浮き上がってから落ちてくるカーブを武器に度々相手チームをぎゅうじっていたなあ。個人記録である200勝にこだわることなく引退されましたが、チームのために献身的に働いた感は誰よりも強かった。
日本シリーズは良く覚えている。足立が打てない歯がゆさと憎々しさとテレビ画面を見つめ阪急負けろと叫んでいた。あとから足立の戦績をみて凄い奴だと感銘を受けたのを覚えている😂
今は関学でコーチをされているらしいですねー。山口高志が関大のコーチなので、関関戦の時は二人で話しでもしているのかな?
改めて山田久志投手の凄さが、分かりました😅
この時の足立投手は、正に大ベテランの風格がありました。実年齢がこの時の足立投手よりも年上の工藤投手、山本昌投手の方が若く見えたのは何故なのでしょうか。
このシリーズと1958年の神様仏様稲尾様のシリーズと1959年の杉浦4連投4連勝のシリーズが3大名シリーズだと思う。
昭和58年の取った取られたの攻防戦。昭和61年の史上最多試合の崖っぷち逆転劇。平成4・5年の策士同士の探り合い。平成25年の苦節星野、神がかりマー君劇場。は如何かと。昨年(令和5年)も見応えあったよね。オリに勝って欲しかったけど。まあ、日シリの名勝負って、最終戦までもつれるのが大前提だよね。
@@nmpu6324 自分で勝手に三大にしたけど、確かにそれらも名シリーズだと思う。ノムさんと森さんの平成4,5年は2年で完成する大作のようなシリーズだと思う。まるでX JAPANのART OF LIFE (1曲の中で曲調が目まぐるしく変わりながら展開する30分弱の曲)のような。
@@nmpu6324 2003年のダイエーと阪神も捨てがたいな。結果的に全試合ホームチームが勝ったけど、見応えあった。それから、あなたも挙げてくれてるオリックスとヤクルトも熱かったな。2021,2022年の。最後までどっちが勝つか分からなかった。こうやって改めて振り返ったり資料を見直すと、素晴らしいシリーズってたくさんあるなぁ。江夏の21球で締めた1979年も凄かった。
当社出身の選手でした😮
76年のシリーズのハイライトは第7戦の6回裏ではないでしょうか?巨人が追い越して2-1、さらにワンアウト満塁、打者淡口の場面。ここで足立投手が投じたのはど真ん中のシンカー。淡口は引っ掛けて1-2-3のダブルプレー。淡口からすれば絶好球に見えたが球かクイッと変化して引っ掛けてしまった。ど真ん中ではなく外角のシンカーであれば見逃されたでしょう。ど真ん中だかこそ手を出してしまう。この今では当たり前となったど真ん中に投げる変化球でのゲッツー術は足立投手が元祖ではないかと思います。この投球術は78年のヤクルトとの日本シリーズでも冴えて第3戦で完封してます。9回、角、若松、大杉を三者連続のピーゴロで打ち取ったのは圧巻でしたね。でも78年の足立投手のシーズンは防御率4点台で4勝6敗でしたが、笑。印象に残る投手でしたね
1978年第3戦のピッチング 凄かったですね! 強力なヤクルト打線が凡フライとボテボテのゴロばかり…第7戦も、あの中断さえなく、足立さんが投げ続けていれば、試合はどうなったか分からないですね
第3戦の試合後の広岡監督が「一応マークはしていたが」とのコメントをしていました(記憶が薄いですが。。新聞で語っていました)。広岡監督からすれば、シーズン4勝の投手がこんな投球するのかよ、という感じだったのでしょうね。この年のヤクルトは完封負けが一回しかなかったので、一層引き立ちましたね。
@@user-dr6bd6cm2f その完封負け試合も、最終戦、広島の大野豊投手(当時2年目)相手のものですね(最近知った話)シリーズ前の大事な時期に、たぶんまだ荒れ球だったと思われる大野氏相手のものなので、ヤクルト打線もきっと「ケガだけは絶対したくない」という思いだったと推測されます当方カープファンですが、それを見越して大野氏を先発に起用した故 古葉監督の、選手に自信をつけさせ育てたい、強いチームを作りたいという思いが感じられますちなみにワタクシ広岡達朗さんの、「プロならば、プロらしくなれ。正しい技術を身につけ、『これぞプロだ』という姿をファンに見せろ」的な厳しくも選手を高みに導こうとするところが非常に好きです確かに、いろいろと、毀誉褒貶ある方でもありますが、根本にはいつも強い野球愛、古巣の巨人軍に対する強い思い入れがあり、そこは野球人としてプロとして非常に立派だと思います
エースの山田久志、2番手の今井雄太郎は打ち崩したので、第7戦に再び先発してくる足立投手の攻略がヤクルト日本一の最後の難関だったわけですが、前回3安打に抑えられた足立投手を序盤からじわじわと攻め、5回(だったかな)に足を絡めて先制点を奪い、例の大杉選手の打球を巡る中断とトラブルがあったものの、結局運を味方につけて(というとスワローズファンには失礼かもしれませんが)エース松岡の熱投もあり、初の日本一に輝いた、私としては非常に見応えのある、いいシリーズでした
巨人打線を手玉に取るピッチングはまさの足立魔術。日本シリーズでの信頼感は、ヤマさん(山田久志)をしのぐものがありました。
王者阪急ブレーブス...たまに思うんです、実在したのかなあ~って。だけど、あの記憶は本当だったと改めて思います。少数精鋭って、この事だと思います。
里中のモデル!
3:22 今坂さんw
例のヤクルト大杉の疑惑の判定の時も足立が投げてましたね!上田監督は足立には申し訳なかったと後年言っておられました。
あの大杉選手の本塁打が
36歳にしてこの貫禄よ。
阪急ブレーブスらしく今坂団長も映っている!
綺麗なアンダースローでしたが打者からしたら、イヤなピッチャーでしたね晩年は、シーズンは休んでて日本シリーズで活躍するイメージでした
5:05 高田選手に喝を入れる長嶋監督
王さんのことを、的確に表現しているインタビューがあった。「長島さんが、どんどん身体を動かして打ってくるのに対し王さんは不動の構え、一点に集中して打ってくる、自分のパワーより凄い球を投げられたら、打てない、出来ること、出来ないことがはっきりしている打者、しかし日本の投手は王さんのバワーよりボルテージが低いので王さんにとっては全て出来ることになってしまうんです。」そういうことからすると1968.917シーズン最多353奪三振を王さんから取った江夏さんは、大リーグ並だった、ということになる
そう!このシリーズは打線とアンダースローの2人なんだよなぁ…近年、何故か山口投手の活躍で…みたいになって納得いかない
元祖アンダースローのイメージがある
足立投手は元もと巨人に強かった。ですが阪急が巨人に大手をかけたのは初めてなんですよ。1勝するかたまに2勝。途中山口投手が調子くずして引っ込みましたけど、巨人に大手をかけれたのは山口投手のおかげですね。自分では影のmvpです。
山田のモーションは里中そっくり。😂
ご存じかもしれないですが、作者の水島新司氏が山田氏のファンで、あの投球フォームをそのまま使ったそうです何度ケガしても復活する里中のキャラ設定みたいなものも、高校野球マンガというのもありますが、敗北しても復活する山田氏の生き様を投影していたのかもしれないですね
山田久志さんは足立さんにシンカーの投げ方を教えてもらおうと直訴するも、無視されて見て覚えろ❗️と言って山田さんはその通り生きた教材を見てシンカーを習得しました。
ドカベンの里中の投球フォームのモデルはこの方って聞きました
そうだ思い出した。山田にシンカ―の握りを伝授した男それが足立だ。まだ快速球サブマリンとしてリ―グに君臨していた若き日の山田にこれを覚えておけ、いずれ必要になる。と呆気にとられる山田に魔球シンカ―の握りを教えた。晩年の山田が語っていた。
阪急は過去5回の巨人との日本シリーズでは、1~2勝するのがやっとで、王手をかけることすらできず、通算成績も8勝20敗と圧倒されていたのです・・・が・・・その8勝のうちの4勝は足立投手が勝ち投手だったのです。巨人相手にシリーズ通算4勝4敗で、阪急の中では唯一孤軍奮闘していたのですね。この試合でも、巨人ファンの異様なまでの大声援をものともせず冷静な投球で9回を1失点に抑え阪急を日本一に導きました。
この頃は巨人絶対的王者経験豊富で横綱相撲スター揃いで、阪急は発展途上だった。初の対決の時に阪急西本監督が巨人川上監督に胸を借りると電話で言った。
ここ一番では山田久志より足立光宏だった!エースは山田だったが大事な一戦では足立!阪急・西京極から電車に乗ってきたマルカーノとウィリアムスや!
自分も会議で詰められたときは「もっと吠えろもっと喚け」と心の中で叫ぶ。足立はもっとクローズアップされてもいい投手(まあ今もオリには安達はいるけど)。1976日本シリーズ第7戦ほどのアウェーは見たことがない。なんせ「長嶋」巨人の日本一がかかってたからね(あと阪急ファンなんて日本にほとんど存在しなかった)。
山際淳司の「ささやき」で知りました
梶本、米田、足立と三人エースいた阪急って凄かったよね‼️\(^_^)/
社会人野球大丸初の選手!🔥阪急の酸いも甘いも噛み分ける男で、持病の膝痛と闘った!❤️
あと、あのv9🐰から日シリで既に5勝!👍76年最終戦で騒ぐ🐰ファンにもっと騒げ!🔥と。現在、82歳で御身体悪くされているが、殿堂入りレベル!😀
当社出身でした。伝統的に下手投げの好投手が輩出して後の小林投手も同じです。プロ入りは最初ではなくて秋本投手が第一号と思いますが!足立さんは最近まで長いこと関西学院大学(当時の監督も当社出身で)足立さんは投手コーチをしていましたが、今は退任されています。良く会社時代応援に行きました。既に野球部は廃部となり寂しい限りです!又大阪桐蔭の初代監督の長澤も当社出身でした。懐かしい思い出となりました。令和4年8月4日
@@NN-sc7id さん大丸野球部の最後のプロ野球選手は、小田慎也投手(西武ライオンズで左のワンポイントリリーフとして活躍)でしたね。
山田より足立の方が遥かに印象に残っている不思議w
足立さんの全盛期は、張本さんをカモにしていた、張本さんの唯一の弱点内角高めのストレートを投げておけばよかった、(よく空振りしていた)やがて張本さんは、その球をファールするようになり、果ては、快打するようになった、そこで足立さんは、自分の速球に衰えを感じ技巧派に転じた、という
天下分け目に足立あり!
アンダースローでも、(当時は)山田投手は速球派、足立投手は完全なシンカー技巧派。そのシンカーを覚えたかった山田投手は、足立投手に聞きに行ってもすんなり教えてくれなかったそうで、自分なりに、【ボールの握り、リリース瞬間に下に切る様な投げ方】を編み出して持ち球にするまで数年かかったと言ってましたね。
足立は手首が横で山田は立てる投げ方。山田は後に「足立さんがシンカーを教えてくれなくて正解だった。私のシンカーは山田が編み出したシンカーです。きっと足立さんが教えなかったのは自分でシンカーを生み出しなさいという事だったと思う」。
山田 足立 山口 山田 足立 って、笑
無茶苦茶な起用。高校野球か!
もっと騒げ…かあの桜木華道さん思い出すな。ヤマオー戦完全アウェーに近い中。
今井投手って、回転数の少ないボールで相手さんを重い球で、ホームランさせなかったのでは?
あの伝説の第7戦オンタイムでテレビみてました。敵地水道橋後楽園で中継は巨人ベッタリ読売テレビまるで巨人が正義、阪急が悪玉という偏りすぎの不快な実況音声と、巨人の攻撃時の騒音でしかない球場音声を遮断するためテレビの音声は消し公平なNHKラジオ音声で画面見ながら足立さんを応援していた見事に優勝し表彰式となり、もう大丈夫だと思いテレビの音声あげたら、しつこく球場に居残った巨人ファンが阪急 ナインにヤジ飛ばしている音声をわざと巨人読売テレビが流していた。
その巨人が悪玉になるには楽天が初の日本一になったシリーズまで待たなければならなかった。マー君がウルトラマンで原がバルタン星人になった。
日本シリーズとは言え、中3日や中2日で投げさせられるのは大変だと思うけど、この時代はこれが許されていたのかなー。
野球は奥が深いね。覚えてるわ。阪急が初めて日本一になったのは広島相手だったんだけど、その広島に足立はまったく通用しなかった。相性ですね。
あれ?50年も足立は、第一戦で要所を抑えてたような…。それにカープは六戦中、一つも勝てなかった筈では。
*足立光宏* 投手は個人的にはベテランの域になってから見たのでその芸術品足立と言われた投球術は見事だった。またここという時に強い印象が。1976年の *日本シリーズ* 、1977年のプレーオフがとても記憶に残っているピッチャだ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
50代後半の福岡在住の者です。
おかむら村長さん、あの頃の阪急ブレーブスをたくさん取り上げてもらって、本当にありがとうございます。「1976年阪急投手陣10人のみ」の動画も最高で、(涙しつつ)心躍らせながら拝見しました。
あゝ、阪急ブレーブス
足立投手はカムバック賞を3度獲得してもおかしくない投手だもんなぁ。それと、76年の第7戦の「騒げ!もっと騒げ!」と思いながらの完投勝利は凄い。
俺が生まれた年に引退したからリアルではしらないけど、本当に凄いと思う。特に逆境での粘り強い戦いは。パワプロなら間違いなくピンチ○、逆境○は付く投手。
当時、小学生の私は、周りに巨人・阪神ファンしかいない(広島ファンは1人いた)中で、唯1人の阪急ファンでした。
6戦が終わった時は、ショックと絶望感で泣きました。それでも一縷の望みを胸に、次の日は遠足だったのですが、姉の携帯ラジオを(勝手に)持って行って、足立を必死で応援しました。
そして、急いで帰ってきて、最後、完投勝利の瞬間は見れました。後から知った「騒げ、騒げ・・・」のことも含めて、カッコよすぎます。
あの試合は、いまだ、生涯最高の試合です。
(シリーズは昼間がよい、まったく同感です)
懐かしいです。小学生でしたが夢中になって見ました。足立さんカッコ良かったなぁ。ジャイアンツファンだったのですが、ブレーブスの3本柱がカッコ良すぎて。
3塁に偽投して1塁ランナーを指したのは痺れた 17三振の記録はなかなか破られませんでしたね
1976年の日本シリーズ第7戦の足立は、本当にカッコ良かった。長嶋巨人初の日本シリーズで、場所は後楽園。文字通り日本中を敵にして全く動じず、自軍の攻撃中に、一本の煙草を吸って、また、淡々とマウンドに戻る。大人の男のカッコ良さを教えられました。
前日に、怯えたり、虚勢を張る選手達と離れ、1人静かに銀座のバーでウイスキーグラスを傾けていた話しを後日に知り、ますますシビレました。
大好きな投手。大舞台にめっぽう強かった。
日本シリーズやパ・リーグのプレーの大事な試合はエース山田より足立投手が先発。
裏のエース、切り札的な存在
スピードはないのに、コントロールと駆け引きで強力打線でも手玉にとってしまうあの老練な投球術はスゴい、と思いました
あと米田、梶本、石井、当然勝率667
かつては速球で押す本格派
1試合17奪三振は95年野田浩司投手に更新されるまで長い間プロ野球記録でした
足立粘り強く芸術投球
山田山口も凄い投手だが
私の中ではいちばん記憶に残っている
足立は、日本シリーズで巨人相手に通算7勝4敗。冷静で度胸満点の大試合に強い投手でした。
1976年日シリ第6戦に7点差をひっくり返されたショックから、山田さん、山口さんはもう投げたくないと落ち込んだ、それを救ったのが足立さん、二人とも足立さんは神様です、と言っていた。また、日本一になったあと、阪急ナインは、銀座に繰り出したが、そこで巨人小林繁投手とばったり会い、4連敗しなくてよかったね、、おめでとう、と祝福されたという
足立さん・山田さん・山口さんは、それぞれキャラが立っており、インパクトが半端なかったです。
長らく主戦級ピッチャーだった足立さんは、ピッチャー陣の精神的支柱だったと思います。
昭和52年53年の選手としての晩年はペナントレースではあまり活躍出来なかったですが日本シリーズでは存在感ありまくりでしたね。日本シリーズでは巨人、ヤクルトを応援していたので、スピードないのに何で打てないんだよ....って子供心で物凄くジレンマがありました。。これぞ足立の術中なんですよね。
アンダースローの本格派 足立投手でしたし、シリーズに本当に強かったですね!そして後楽園でベテラン森本潔選手の逆転ツーランで、阪急の選手がベンチを飛び出て皆で、森本選手を迎えるシーンは、今では中々観られないですね。やはりシリーズは昼間が良いですね!
この時、森本のトレードが決まってたらしいんだよなぁ・・・上田監督も複雑な気持ちで出迎えたと言ってた。
足立さんの現役後半は自分の中学時代でした。シリーズの大舞台のマウンドでの雰囲気が、ほんとうに独特で強く印象に残っています。
野球選手と言うより、何か、こう…足立さんだけが昔の侍のように見えて、映画やドラマに出てくる凄腕の剣の達人を見ているようでした。
完全に流れが巨人でこのピッチングは凄かったです。巨人が勝ってたら柴田さんがMVPでしたね。僕の中では1番のシリーズです。
巨人ファン小学生でしたが、山田、足立のエース格二人がアンダースローというのは衝撃的で、その後しばらくアンダースローの練習ばっかりしました^ ^
その後に出てくるのが山口高志なので阪急恐るべし!と感じました。
同世代ですね。
ほんと、一緒です。
昭和53年の日本シリーズ、後楽園球場のライトスタンドから観てました。山田投手と同様に、アンダースローから地を這うような速球が今でも目に焼き付いています。まさに昭和の名投手でした。
200勝を達成してないのが予想外でした。昔の起用法は想像を絶する凄さですね。
山田 山口の起用が凄い。
山田はよく壊れなかったな。
大舞台に強かった足立
大一番に弱かった山田
@@ohkh6841
でも日シリMVPになってる。
負けた試合でも、山田の調子より、打線の援護が無かったケースが多い。
昭和46年の王のホームランも、阪急が序盤にもっと点を入れてれば、さしもの読売も戦意喪失して、大逆転出来なかっただろうし、昭和59年もハイクオリティスタートして、試合を作ってる。
「いぶし銀」て、この人のためにある言葉
同じ会社で働いていました😮
ドカベンの里中のモデルになったおかたですね
ヤクルトファンの自分としては第7戦のあの抗議による長い中断の後、交代してくれてこれで勝てると思った記憶があります。
すぐ再開したら、どうやっても打てそうな気配がなかったので上田監督に感謝です。
小学生のころ親父に連れられて後楽園で見た日本シリーズ。その時の動画が再び見れて感謝!
堀内投手(マルカーノに打たれたんだよなぁ…)ファンでしたが、阪急山口高志投手のスピードボールは未だに鮮明に覚えております。
速い…豪速球とは彼の為にある言葉です。ホリは快速球ってイメージだったかな。
同僚の山田投手も今までで一番速い右投手は高志、左なら江夏って語ってますしね。
山田投手が速球一本からシンカー覚えるキッカケにもなった程の投手でした。
因みに足立投手のとこに行ってシンカー教わろうとしたけど、無下に断られたとか…(苦笑)。
石井茂雄も見たくなりました
肝心のシーンがなかったですね。
加藤のエラーで逆転されワンアウト満塁のピンチに代打淡口。
ここで足立投手はすべてボール球で勝負!
わかっていない中継アナウンサーは足立がビビってると表現、アホか!
淡口は足立投手の術中にはまり、
1-2-3のダブルプレー!
そして逆転ホームランがでました!!
今風にいえば超のつくクラッチプレイヤーですね。ここ一番で何度も阪急を窮地から救った救世主でした。
日本シリーズのエース
日本シリーズ敢闘賞4回
日本シリーズ第1戦先発3回
ミスターポストシーズン
短期決戦の活躍って生涯成績には残らないですが、ファンは絶対忘れないですね
昭和40年代半ばまで、二人合わせて600勝以上という超ド級エース(米田、梶本)の陰に隠れていた感のある足立投手でしたが、日本シリーズ他大事な試合で一番頼りになるのはこの方でしたね。昭和40年代後半以降、やはりエースの座は山田投手という印象でしたが、大きく浮き上がってから落ちてくるカーブを武器に度々相手チームをぎゅうじっていたなあ。個人記録である200勝にこだわることなく引退されましたが、チームのために献身的に働いた感は誰よりも強かった。
日本シリーズは良く覚えている。足立が打てない歯がゆさと憎々しさとテレビ画面を見つめ阪急負けろと叫んでいた。あとから足立の戦績をみて凄い奴だと感銘を受けたのを覚えている😂
今は関学でコーチをされているらしいですねー。山口高志が関大のコーチなので、関関戦の時は二人で話しでもしているのかな?
改めて山田久志投手の凄さが、分かりました😅
この時の足立投手は、正に大ベテランの風格がありました。
実年齢がこの時の足立投手よりも年上の工藤投手、山本昌投手の方が若く見えたのは何故なのでしょうか。
このシリーズと1958年の神様仏様稲尾様のシリーズと1959年の杉浦4連投4連勝のシリーズが3大名シリーズだと思う。
昭和58年の取った取られたの攻防戦。
昭和61年の史上最多試合の崖っぷち逆転劇。
平成4・5年の策士同士の探り合い。
平成25年の苦節星野、神がかりマー君劇場。
は如何かと。
昨年(令和5年)も見応えあったよね。オリに勝って欲しかったけど。
まあ、日シリの名勝負って、最終戦までもつれるのが大前提だよね。
@@nmpu6324
自分で勝手に三大にしたけど、確かにそれらも名シリーズだと思う。ノムさんと森さんの平成4,5年は2年で完成する大作のようなシリーズだと思う。まるでX JAPANのART OF LIFE (1曲の中で曲調が目まぐるしく変わりながら展開する30分弱の曲)のような。
@@nmpu6324
2003年のダイエーと阪神も捨てがたいな。結果的に全試合ホームチームが勝ったけど、見応えあった。
それから、あなたも挙げてくれてるオリックスとヤクルトも熱かったな。2021,2022年の。最後までどっちが勝つか分からなかった。
こうやって改めて振り返ったり資料を見直すと、素晴らしいシリーズってたくさんあるなぁ。江夏の21球で締めた1979年も凄かった。
当社出身の選手でした😮
76年のシリーズのハイライトは第7戦の6回裏ではないでしょうか?
巨人が追い越して2-1、さらにワンアウト満塁、打者淡口の場面。ここで足立投手が投じたのはど真ん中のシンカー。淡口は引っ掛けて1-2-3のダブルプレー。淡口からすれば絶好球に見えたが球かクイッと変化して引っ掛けてしまった。ど真ん中ではなく外角のシンカーであれば見逃されたでしょう。ど真ん中だかこそ手を出してしまう。
この今では当たり前となったど真ん中に投げる変化球でのゲッツー術は足立投手が元祖ではないかと思います。
この投球術は78年のヤクルトとの日本シリーズでも冴えて第3戦で完封してます。9回、角、若松、大杉を三者連続のピーゴロで打ち取ったのは圧巻でしたね。でも78年の足立投手のシーズンは防御率4点台で4勝6敗でしたが、笑。
印象に残る投手でしたね
1978年第3戦のピッチング 凄かったですね! 強力なヤクルト打線が凡フライとボテボテのゴロばかり…
第7戦も、あの中断さえなく、足立さんが投げ続けていれば、試合はどうなったか分からないですね
第3戦の試合後の広岡監督が「一応マークはしていたが」とのコメントをしていました(記憶が薄いですが。。新聞で語っていました)。広岡監督からすれば、シーズン4勝の投手がこんな投球するのかよ、という感じだったのでしょうね。この年のヤクルトは完封負けが一回しかなかったので、一層引き立ちましたね。
@@user-dr6bd6cm2f その完封負け試合も、最終戦、広島の大野豊投手(当時2年目)相手のものですね(最近知った話)
シリーズ前の大事な時期に、たぶんまだ荒れ球だったと思われる大野氏相手のものなので、ヤクルト打線もきっと
「ケガだけは絶対したくない」
という思いだったと推測されます
当方カープファンですが、それを見越して大野氏を先発に起用した故 古葉監督の、選手に自信をつけさせ育てたい、強いチームを作りたいという思いが感じられます
ちなみにワタクシ広岡達朗さんの、「プロならば、プロらしくなれ。正しい技術を身につけ、『これぞプロだ』という姿をファンに見せろ」的な厳しくも選手を高みに導こうとするところが非常に好きです
確かに、いろいろと、毀誉褒貶ある方でもありますが、根本にはいつも強い野球愛、古巣の巨人軍に対する強い思い入れがあり、そこは野球人としてプロとして非常に立派だと思います
エースの山田久志、2番手の今井雄太郎は打ち崩したので、第7戦に再び先発してくる足立投手の攻略がヤクルト日本一の最後の難関だったわけですが、前回3安打に抑えられた足立投手を序盤からじわじわと攻め、5回(だったかな)に足を絡めて先制点を奪い、例の大杉選手の打球を巡る中断とトラブルがあったものの、結局運を味方につけて(というとスワローズファンには失礼かもしれませんが)エース松岡の熱投もあり、初の日本一に輝いた、私としては非常に見応えのある、いいシリーズでした
巨人打線を手玉に取るピッチングはまさの足立魔術。
日本シリーズでの信頼感は、ヤマさん(山田久志)をしのぐものがありました。
王者阪急ブレーブス...たまに思うんです、実在したのかなあ~って。だけど、あの記憶は本当だったと改めて思います。
少数精鋭って、この事だと思います。
里中のモデル!
3:22 今坂さんw
例のヤクルト大杉の疑惑の判定の時も足立が投げてましたね!上田監督は足立には申し訳なかったと後年言っておられました。
あの大杉選手の本塁打が
36歳にしてこの貫禄よ。
阪急ブレーブスらしく今坂団長も映っている!
綺麗なアンダースローでしたが
打者からしたら、イヤなピッチャーでしたね
晩年は、シーズンは休んでて日本シリーズで活躍するイメージでした
5:05 高田選手に喝を入れる長嶋監督
王さんのことを、的確に表現しているインタビューがあった。「長島さんが、どんどん身体を動かして打ってくるのに対し王さんは不動の構え、一点に集中して打ってくる、自分のパワーより凄い球を投げられたら、打てない、出来ること、出来ないことがはっきりしている打者、しかし日本の投手は王さんのバワーよりボルテージが低いので王さんにとっては全て出来ることになってしまうんです。」そういうことからすると1968.917シーズン最多353奪三振を王さんから取った江夏さんは、大リーグ並だった、ということになる
そう!このシリーズは打線とアンダースローの2人なんだよなぁ…近年、何故か山口投手の活躍で…みたいになって納得いかない
元祖アンダースローのイメージがある
足立投手は元もと巨人に強かった。
ですが阪急が巨人に大手をかけたのは初めてなんですよ。1勝するかたまに2勝。
途中山口投手が調子くずして引っ込みましたけど、巨人に大手をかけれたのは
山口投手のおかげですね。自分では影のmvpです。
山田のモーションは里中そっくり。😂
ご存じかもしれないですが、作者の水島新司氏が山田氏のファンで、あの投球フォームをそのまま使ったそうです
何度ケガしても復活する里中のキャラ設定みたいなものも、高校野球マンガというのもありますが、敗北しても復活する山田氏の生き様を投影していたのかもしれないですね
山田久志さんは足立さんにシンカーの投げ方を教えてもらおうと直訴するも、無視されて見て覚えろ❗️と言って山田さんはその通り生きた教材を見てシンカーを習得しました。
ドカベンの里中の投球フォームのモデルはこの方って聞きました
そうだ思い出した。山田にシンカ―の握りを伝授した男それが足立だ。まだ快速球サブマリンとしてリ―グに君臨していた若き日の山田にこれを覚えておけ、いずれ必要になる。と呆気にとられる山田に魔球シンカ―の握りを教えた。晩年の山田が語っていた。
阪急は過去5回の巨人との日本シリーズでは、1~2勝するのがやっとで、王手をかけることすらできず、通算成績も8勝20敗と圧倒されていたのです・・・が・・・その8勝のうちの4勝は足立投手が勝ち投手だったのです。巨人相手にシリーズ通算4勝4敗で、阪急の中では唯一孤軍奮闘していたのですね。この試合でも、巨人ファンの異様なまでの大声援をものともせず冷静な投球で9回を1失点に抑え阪急を日本一に導きました。
この頃は巨人絶対的王者経験豊富で横綱相撲スター揃いで、阪急は発展途上だった。初の対決の時に阪急西本監督が巨人川上監督に胸を借りると電話で言った。
ここ一番では山田久志より足立光宏だった!エースは山田だったが大事な一戦では足立!阪急・西京極から電車に乗ってきたマルカーノとウィリアムスや!
自分も会議で詰められたときは「もっと吠えろもっと喚け」と心の中で叫ぶ。
足立はもっとクローズアップされてもいい投手(まあ今もオリには安達はいるけど)。
1976日本シリーズ第7戦ほどのアウェーは見たことがない。なんせ「長嶋」巨人の日本一がかかってたからね(あと阪急ファンなんて日本にほとんど存在しなかった)。
山際淳司の「ささやき」で知りました
梶本、米田、足立と三人エースいた阪急って凄かったよね‼️\(^_^)/
社会人野球大丸初の選手!🔥
阪急の酸いも甘いも噛み分ける男で、持病の膝痛と闘った!❤️
あと、あのv9🐰から日シリで既に5勝!👍
76年最終戦で騒ぐ🐰ファンにもっと騒げ!🔥と。
現在、82歳で御身体悪くされているが、殿堂入りレベル!😀
当社出身でした。伝統的に下手投げの好投手が輩出して後の小林投手も同じです。プロ入りは最初ではなくて秋本投手が第一号と思いますが!足立さんは最近まで長いこと関西学院大学(当時の監督も当社出身で)足立さんは投手コーチをしていましたが、今は退任されています。良く会社時代応援に行きました。既に野球部は廃部となり寂しい限りです!又大阪桐蔭の初代監督の長澤も当社出身でした。懐かしい思い出となりました。令和4年8月4日
@@NN-sc7id さん
大丸野球部の最後のプロ野球選手は、小田慎也投手(西武ライオンズで左のワンポイントリリーフとして活躍)でしたね。
山田より足立の方が遥かに印象に残っている不思議w
足立さんの全盛期は、張本さんをカモにしていた、張本さんの唯一の弱点
内角高めのストレートを投げておけばよかった、(よく空振りしていた)やがて張本さんは、その球をファールするようになり、果ては、快打するようになった、そこで足立さんは、自分の速球に衰えを感じ技巧派に転じた、という
天下分け目に足立あり!
アンダースローでも、(当時は)山田投手は速球派、足立投手は完全なシンカー技巧派。そのシンカーを覚えたかった山田投手は、足立投手に聞きに行ってもすんなり教えてくれなかったそうで、自分なりに、【ボールの握り、リリース瞬間に下に切る様な投げ方】を編み出して持ち球にするまで数年かかったと言ってましたね。
足立は手首が横で山田は立てる投げ方。山田は後に「足立さんがシンカーを教えてくれなくて正解だった。私のシンカーは山田が編み出したシンカーです。きっと足立さんが教えなかったのは自分でシンカーを生み出しなさいという事だったと思う」。
山田 足立 山口 山田 足立 って、笑
無茶苦茶な起用。高校野球か!
もっと騒げ…か
あの桜木華道さん思い出すな。
ヤマオー戦完全アウェーに近い中。
今井投手って、回転数の少ないボールで相手さんを重い球で、ホームランさせなかったのでは?
あの伝説の第7戦オンタイムでテレビみてました。敵地水道橋後楽園で中継は巨人ベッタリ読売テレビ
まるで巨人が正義、阪急が悪玉という偏りすぎの不快な実況音声と、巨人の攻撃時の騒音でしかない球場音声を遮断するためテレビの音声は消し公平なNHKラジオ音声で画面見ながら足立さんを応援していた
見事に優勝し表彰式となり、もう大丈夫だと思いテレビの音声あげたら、しつこく球場に居残った巨人ファンが阪急 ナインにヤジ飛ばしている音声をわざと巨人読売テレビが流していた。
その巨人が悪玉になるには楽天が初の日本一になったシリーズまで待たなければならなかった。マー君がウルトラマンで原がバルタン星人になった。
日本シリーズとは言え、中3日や中2日で投げさせられるのは大変だと思うけど、この時代はこれが許されていたのかなー。
野球は奥が深いね。覚えてるわ。阪急が初めて日本一になったのは広島相手だったんだけど、
その広島に足立はまったく通用しなかった。相性ですね。
あれ?50年も足立は、第一戦で要所を抑えてたような…。
それにカープは六戦中、一つも勝てなかった筈では。