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マシュマロに質問文を公開しないようにリクエストされたものです。マシュマロは1000以内でしか返信できないため、こちらに投稿しました。=======================あくまで個人的な見解をお話します。聴者の動画発信者はたくさんいますので一緒に聞いてみてください。■前提私は「手話は世界共通か?」という疑問を持ったことはありません。しかしながら、私はコーダでもなく10年前に手話サークルに入るまで手話とのかかわりは全くなかったのでその質問をする方々と非常に近いとは思います。■要因①: 知識がない手話とかかわりのない聴者には手話に関する知識がありません。手話というものが「手を動かす何か」ということのみ認識していますがそれ以上の知識はありません。私の場合だと手話が聞こえない人たちの言語ということもほとんど理解していませんでした。■要因②: 言語としての認識がない手話とのかかわりがない聴者にとって手話が言語という感覚は基本的にありません。特に日本語のみで生活してきた人にこの傾向は顕著だと思います。生まれてきてから言語というものは「音声」または「書記(文字)」媒体で扱われてきました。手話は基本的にどちらでも表現されませんので、言語としての認識も持たれていないと思います。かつ、手話とのかかわりがない、ということは手話がコミュニケーション方法として使われる場面も一度も見たことがありません。ここで実践的な場面でも言語として活用されてる場面を見たことがないので体験としても言語としての認識ができません。ここまでで知識も認識もない状態が出来上がります。■要因③: 手話はジェスチャーみたいこの状態で感じる手話は確かに「ジェスチャー」あるいは「ブロックサイン」に近いです。特定の形の手を表現した時に、それが特定の意味を持つようなイメージです。なぜならば、言語としての感覚も文法要素が存在するという知識もないからです。一方で私の感覚だと「パントマイム」はやや違うような気がします。パントマイムは無音で特定のシチュエーションを演じており一連の動作の一つ一つというよりは連続した動きの総体が意味をなすイメージです。ここで感じる手話は特定の形をした表現の一つ一つが意味を持つ、という感じなのでそれならば国に依存しない意思疎通が可能なのではないか、という疑問がここで浮かび上がるかもしれません。当然、【食べる】は2本の箸の形からきているなどのちょっとした知識があれば日本由来の単語が使われている時点で世界共通ではないことに気づけますが要因①で知識がないので気づくことはできません。■備考: 深く考えていないただし、この疑問、そこまで深く考えてはいないと思います。手話学習者が手話に触れるとき【私】【名前】【(指文字)】【です。】【よろしくお願いします。】などと最初に触れますがこれがもし世界共通であるならば語順の問題はどうするのか?などが考慮から抜け落ちています。日本語がメインの言語で第二言語の習得も特にしたことがない身からすると全ての根幹は日本語なので、日本語以外をすべて切り離して特別視するというのも分からなくはありません。聴者が「世界共通ですか」と聞くのは「これから学んでいきます」という挨拶みたいなものかもしれません。■事例: ゆる言語学ラジオ事例として「ゆる言語学ラジオ」の手話について取り扱った回があります。出演者の方はこれまでにさまざまな音声言語を扱ってきましたが手話に触れるのは初めてのようです。その中で「手話は日本語と対応しているだろう」という認識を持ちながらも「手話は世界で通じる、手話は手話なんじゃない」という矛盾した話の展開をしています。このように学習序盤で聴者の頭の中はほとんど整理されていないと思います。なのであまり聴者がこの質問に行きつくロジックを解明するというのは意味のないことかもしれませんね。24分15秒~ruclips.net/video/L8JOs6BM94k/видео.htmlsi=7V5IuEuf8v427Cjh&t=1455
マシュマロに質問文を公開しないようにリクエストされたものです。
マシュマロは1000以内でしか返信できないため、こちらに投稿しました。
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あくまで個人的な見解をお話します。
聴者の動画発信者はたくさんいますので一緒に聞いてみてください。
■前提
私は「手話は世界共通か?」という疑問を持ったことはありません。
しかしながら、私はコーダでもなく10年前に手話サークルに入るまで手話とのかかわりは全くなかったのでその質問をする方々と非常に近いとは思います。
■要因①: 知識がない
手話とかかわりのない聴者には手話に関する知識がありません。
手話というものが「手を動かす何か」ということのみ認識していますがそれ以上の知識はありません。
私の場合だと手話が聞こえない人たちの言語ということもほとんど理解していませんでした。
■要因②: 言語としての認識がない
手話とのかかわりがない聴者にとって手話が言語という感覚は基本的にありません。
特に日本語のみで生活してきた人にこの傾向は顕著だと思います。
生まれてきてから言語というものは「音声」または「書記(文字)」媒体で扱われてきました。
手話は基本的にどちらでも表現されませんので、言語としての認識も持たれていないと思います。
かつ、手話とのかかわりがない、ということは
手話がコミュニケーション方法として使われる場面も一度も見たことがありません。
ここで実践的な場面でも言語として活用されてる場面を見たことがないので体験としても言語としての認識ができません。
ここまでで知識も認識もない状態が出来上がります。
■要因③: 手話はジェスチャーみたい
この状態で感じる手話は確かに「ジェスチャー」あるいは「ブロックサイン」に近いです。
特定の形の手を表現した時に、それが特定の意味を持つようなイメージです。
なぜならば、言語としての感覚も文法要素が存在するという知識もないからです。
一方で私の感覚だと「パントマイム」はやや違うような気がします。
パントマイムは無音で特定のシチュエーションを演じており一連の動作の一つ一つというよりは
連続した動きの総体が意味をなすイメージです。
ここで感じる手話は特定の形をした表現の一つ一つが意味を持つ、という感じなので
それならば国に依存しない意思疎通が可能なのではないか、という疑問がここで浮かび上がるかもしれません。
当然、【食べる】は2本の箸の形からきているなどのちょっとした知識があれば
日本由来の単語が使われている時点で世界共通ではないことに気づけますが
要因①で知識がないので気づくことはできません。
■備考: 深く考えていない
ただし、この疑問、そこまで深く考えてはいないと思います。
手話学習者が手話に触れるとき【私】【名前】【(指文字)】【です。】【よろしくお願いします。】などと最初に触れますが
これがもし世界共通であるならば語順の問題はどうするのか?などが考慮から抜け落ちています。
日本語がメインの言語で第二言語の習得も特にしたことがない身からすると
全ての根幹は日本語なので、日本語以外をすべて切り離して特別視するというのも分からなくはありません。
聴者が「世界共通ですか」と聞くのは「これから学んでいきます」という挨拶みたいなものかもしれません。
■事例: ゆる言語学ラジオ
事例として「ゆる言語学ラジオ」の手話について取り扱った回があります。
出演者の方はこれまでにさまざまな音声言語を扱ってきましたが手話に触れるのは初めてのようです。
その中で「手話は日本語と対応しているだろう」という認識を持ちながらも
「手話は世界で通じる、手話は手話なんじゃない」という矛盾した話の展開をしています。
このように学習序盤で聴者の頭の中はほとんど整理されていないと思います。
なのであまり聴者がこの質問に行きつくロジックを解明するというのは
意味のないことかもしれませんね。
24分15秒~
ruclips.net/video/L8JOs6BM94k/видео.htmlsi=7V5IuEuf8v427Cjh&t=1455