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24時間十数人が校則違反しないか見張り続けたり、みんなが学級裁判してる裏で頑張って死体処理とお掃除したりしてるの健気でかわいい
江ノ島って、ゼロで松田を殺した後「罪悪感で死んじゃいたい!」とか言ってたし、常識あるし優しいのは確かただ、その落ち込みも絶望として快楽に変わってしまうだけで…絶望的事実を絶望としてそのまま受け取ってる時点でかなりマトモ要するに、情深い常識人で、幼馴染とお姉ちゃんが大好きなギャル…と解釈してる
情深い常識人は絶望のために大好きな人を殺さないし、デスゲームの主催者なんてしないんだよなあ
良くも悪くも、やはり「高校生のギャル」なのだなと言う印象。刹那的で、短絡的で、人を魅了して、カリスマのようなものを見せつけるけどその本質はただ好きなものに夢中なだけの女の子………ダンロン全部終わった後のカリスマがなくなった彼女も、本当はただ頭がいいだけ、って言うのが高校生の等身大という感じがして個人的には好きだ。
江ノ島が生まれついての天才で個人で何でもできるのに対し苗木はただの凡人であり極限下で仲間がいる場合こそその才能を最大限発揮できるというのが正反対で面白い‥しかも万能タイプの江ノ島と違い限定条件での一点特化だけど開花すれば彼女でも勝てないのがね
Qなんで人類史上最大最悪の絶望的事件を起こすことができたの?A”江ノ島盾子“だから2までだったら割とこれで納得できるぐらいカリスマ性感じた。だからこそ3の人類史上最大最悪の絶望的事件を起こすまでの過程は描かなくてよかったわ
あらゆる面で苗木と対比されるアンチテーゼなのが面白い。だからこそこの2人は絶対相容れない
苗木の前任は苗木が幸運に選ばれることにより絶望的事件が打ち砕かれるという人類の幸運も引いているよな
他の才能達は常に泳いでたり、一歩事に幸運に見舞われたり、会う人物全員にその場で即トレーニング指導みたいなことはしてないけど、江ノ島は絶望が常に基準になってしまってるから途中でも言われてた絶望をラーニングしただけで、元々持ち合わせた才能ではないっていう説が割と自分的には好き
洗脳映像が雑だとかよく言われるがひとりひとりご丁寧に誑かしてたら本人が途中で飽きるんだよな性分的に一応2の江ノ島はアルターエゴだから本人の感性とは微妙にずれてるような部分もあると思うだから実は姉が真性の絶望で妹はラーニングしただけ、って言うのが非公式だとしても割とすんなり受け入れられるのもそこかも姉の方がよっぽど人の生死に関わってるし
江ノ島は失われた2年間の中じゃ普通に良い奴として振る舞ってると美味しい未来機関のおかげで記憶取り戻した6人が後でゾッとする展開だと良い
ある意味才能の被害者ではあるよね。記憶を失っている間の松田や仲間達との交流を見ても もし超分析力を持たずあるいはもっと早く自らの才能でも読み切れない未来があると知れていれば絶望を盲愛する怪物には堕ちなかったかもしれないな。
江ノ島の一番悲しいところは「江ノ島自身には何も無い」こと全て真似であり、そこには達成感や成長や努力もなく、絶望以外に心惹かれるものがないくらい退屈しているところ
絵に描いたような絶望しか作れなくて飽きちゃうあたり実は絶望への理解度はかなり低いのではなかろうか
えのじゅんって個人的に無印、スーダン、V3、(他小説、絶対絶望少女、アニメ)とかで存在の感じ方が変わるんだよねぇ…無印、スーダンでは黒幕って感じがして、V3ではつむつむのコスプレ、フィクション上の存在とか
絶望を愛しその才能で退屈なほど全てを思い通りにできた江ノ島の唯一の天敵が意志と幸運以外は何の才も持たず希望を信じるただの常人(苗木)という対比が皮肉
今無印見返すとエノジュンはやっぱカリスマ性はないと思う。あくまで超高校級のギャル、分析力、絶望で超高校級のカリスマではない感じ。分析力で相手の弱みを簡単に握れたし、絶望は伝播するものだから、1人が絶望したら後は勝手に周りに移る。2はメディア系を掌握できる超高校級が多いし分析力で2メンバーを取り込めば簡単に絶望が広がると思う。実際カリスマ性だったら十神ソフィア宗像王馬のほうがあると思う。
そもそも江ノ島盾子さんを産んだご両親が出会わなければ良かったんですよね……
あんまり元を辿り過ぎるとビッグバンまで行っちゃうから生まれてからので完結させようね。
本来は続編が出る予定じゃなかった事を考えると、無印のダンガンロンパでエノジュンを把握するために必要な全てを(敢えて過去などをぼかしてる所まで含めて)描いているんじゃないかなと思う。常人というか一般的な基準で見ると、分からない所もあるから不気味な悪役だったというのもあるかと。その後は小説のダンガンロンパゼロで見事に補完されたと思う。人が無意識に他者から感化されてしまうという連鎖で世の中が悪い方に変わっていく恐ろしさや、エノジュン本人は世界を牛耳るつもりはなくてただ絶望が蔓延してしまうというのが、妙に現実味感じる(怖いけれど)シンパは勝手にできていっただけだと思う。モナカの扱いを見るに、エノジュンが利用していたというよりはモナカが一方的に憧れていそうな気がした。77期生がシンパだったのかマインドコントロールされた手下だったのかは、作品ごとに表現が少し違う気もする(うろ覚えかもだけど)エノジュンはいつも前向きな思考の苗木くんの逆で、ネガティブ思考の持ち主、あるいは成功体験を受け入れられない性格だったんじゃないかなと思う。だから結末は絶望的なのが当然と思ってそうというか。その性格に並外れた聡明さやビジュアルの良さが備わっていたから、大勢の人間に影響を与えていったのかもしれない。……というわけで、個人的には、3(アニメ)の世界とゼロは別な世界なんじゃないかなと思ってる。V3には3の要素も入っているけれど、アニメ3は音無さんが松田くんと過ごした時期がないから平行世界のような位置付けの可能性もあるかも…?V3はユーザー目線でメタフィクションなだけじゃなく、ゲーム内で既にメタフィクションだから、全てのダンガンロンパの派生作品を扱っていてもおかしくない=ゼロも3も、どちらも最原くん達の世界にあった作品なんじゃないかと予想しました。最後だから3もゲームに逆輸入(?)してくれた制作サイドの温かみもある気もします。エノジュン個人については、分析したり何かを成し遂げた後に何も残ってなくてつまらない=絶望的というのが何となく分かる気がする…。退屈という感情は恐怖に近いと私は思うから。はた迷惑なドM説にも個人的に同意してる。刺激を求め続けた人生の末路なのかもしれない。
無印の江ノ島監視がワンオペすぎるネタすき2のアルター江ノ島の設定があるから江ノ島、アルター江ノ島でシフト制の可能性もありうるのよね
自分のオシオキ中ニッコニコなのすき
にこにこだったのに最後にプレスされる瞬間に真顔になるのが「『これで本当に死ぬ』という段階になって死の絶望に飽きた」説も好き
女版カムクラというかまだ感情表現が出来るカムクラって印象
えのじゅんのカリスマ性というか凄みみたいなのは無印の結末時点でそんなに感じなくなってたかな結局の所世界とえのじゅんで希望と絶望の基準(感性?)が違うだけで最期のシーンなんか自分には「つまらない世界で生きていく絶望」から逃げて「死という希望」にすがったようにしか見えなかった
江ノ島って超高校級のブラック会社管理職って感じ。会社の変な思想を刷り込んで来るとことか、24時間ワンオペだったり、色んな分野を一人でカバーしてたり、他人を乗せるやり方とか。
デスゲームを円滑に進めるために寝る間も惜しんでデスマーチ強行していたの絶望的すぎる…でも本人は意外とこの状況を楽しんでそう
絶望することに希望を持った奴超分析能力のお陰で、答えがわかりきった人生でつまらなかったけど、絶望だけは未知の答えで始めて楽しいと思った。故にそこに希望を見出してしまった。ある意味、一番希望を夢見ていたともいえる。
コピペのやつくっそおもろい
「恐怖と絶望」が薄れて可愛く見えてくるラスボスかわいい
あの、考察(妄想かな?)失礼します。江ノ島が最後おしおきを受ける前「あたしは生きることに希望なんて持ってないの」と発言しているのですが、江ノ島は絶望に希望を持っていて、でもその絶望は苗木の希望に敗れてしまったことでその絶望に裏切られた?から生きることを諦めてしまったと私は考えています。まぁ、純粋に死という最大の絶望を楽しみたいと思って死を選んだだけかもしれないです。長文失礼しました。
悲しき絶望
キャラパワーと雰囲気で抽象画みたいな迫力をわざわざ作った作品なのに人気ですぎて詳細化をせざるを得なくなってちょっと魅力落ちちゃったイメージある作品何事もはっきりさせるのが良いわけではないないってGANTZも言ってたよ
プッチ神父がバ美肉したら大体同じになる
本物の黒人神父?!
,や。を使うとマシンガントークじゃなくなりますよ一息で話されると耳に残りづらい気がします。
葉隠は薬師カブトみたいに表向きは無能な年長者ポジだったけど実はゴリゴリの復讐鬼タイプだと思ってた
姉の絶望コピーは結局デマ?😊
個人的に江ノ島盾子より葉隠がラスボスのほうが良かったと思う。アホなフリしてたけど全部演技でしたというオビトがアホなフリしてトビをやってたみたいな展開のほうがしっくりきたやろうし江ノ島盾子=モノクマは無理ありすぎだと思ったもんな。
桑島さんえらい飛んだ奴引き受けたな。多分こりゃしまった❗と思ったのでは?
24時間十数人が校則違反しないか見張り続けたり、みんなが学級裁判してる裏で頑張って死体処理とお掃除したりしてるの健気でかわいい
江ノ島って、ゼロで松田を殺した後「罪悪感で死んじゃいたい!」とか言ってたし、常識あるし優しいのは確か
ただ、その落ち込みも絶望として快楽に変わってしまうだけで…
絶望的事実を絶望としてそのまま受け取ってる時点でかなりマトモ
要するに、情深い常識人で、幼馴染とお姉ちゃんが大好きなギャル…と解釈してる
情深い常識人は絶望のために大好きな人を殺さないし、デスゲームの主催者なんてしないんだよなあ
良くも悪くも、やはり「高校生のギャル」なのだなと言う印象。刹那的で、短絡的で、人を魅了して、カリスマのようなものを見せつけるけどその本質はただ好きなものに夢中なだけの女の子………
ダンロン全部終わった後のカリスマがなくなった彼女も、本当はただ頭がいいだけ、って言うのが高校生の等身大という感じがして個人的には好きだ。
江ノ島が生まれついての天才で個人で何でもできるのに対し苗木はただの凡人であり極限下で仲間がいる場合こそその才能を最大限発揮できるというのが正反対で面白い‥しかも万能タイプの江ノ島と違い限定条件での一点特化だけど開花すれば彼女でも勝てないのがね
Qなんで人類史上最大最悪の絶望的事件を起こすことができたの?
A”江ノ島盾子“だから
2までだったら割とこれで納得できるぐらいカリスマ性感じた。だからこそ3の人類史上最大最悪の絶望的事件を起こすまでの過程は描かなくてよかったわ
あらゆる面で苗木と対比されるアンチテーゼなのが面白い。だからこそこの2人は絶対相容れない
苗木の前任は苗木が幸運に選ばれることにより絶望的事件が打ち砕かれるという人類の幸運も引いているよな
他の才能達は常に泳いでたり、一歩事に幸運に見舞われたり、会う人物全員にその場で即トレーニング指導みたいなことはしてないけど、
江ノ島は絶望が常に基準になってしまってるから途中でも言われてた絶望をラーニングしただけで、元々持ち合わせた才能ではないっていう説が割と自分的には好き
洗脳映像が雑だとかよく言われるがひとりひとりご丁寧に誑かしてたら本人が途中で飽きるんだよな性分的に
一応2の江ノ島はアルターエゴだから本人の感性とは微妙にずれてるような部分もあると思う
だから実は姉が真性の絶望で妹はラーニングしただけ、って言うのが非公式だとしても割とすんなり受け入れられるのもそこかも
姉の方がよっぽど人の生死に関わってるし
江ノ島は失われた2年間の中じゃ普通に良い奴として振る舞ってると美味しい
未来機関のおかげで記憶取り戻した6人が後でゾッとする展開だと良い
ある意味才能の被害者ではあるよね。記憶を失っている間の松田や仲間達との交流を見ても もし超分析力を持たずあるいはもっと早く自らの才能でも読み切れない未来があると知れていれば絶望を盲愛する怪物には堕ちなかったかもしれないな。
江ノ島の一番悲しいところは「江ノ島自身には何も無い」こと
全て真似であり、そこには達成感や成長や努力もなく、絶望以外に心惹かれるものがないくらい退屈しているところ
絵に描いたような絶望しか作れなくて飽きちゃうあたり実は絶望への理解度はかなり低いのではなかろうか
えのじゅんって個人的に無印、スーダン、V3、(他小説、絶対絶望少女、アニメ)とかで存在の感じ方が変わるんだよねぇ…
無印、スーダンでは黒幕って感じがして、V3ではつむつむのコスプレ、フィクション上の存在とか
絶望を愛しその才能で退屈なほど全てを思い通りにできた江ノ島の唯一の天敵が意志と幸運以外は何の才も持たず希望を信じるただの常人(苗木)という対比が皮肉
今無印見返すとエノジュンはやっぱカリスマ性はないと思う。あくまで超高校級のギャル、分析力、絶望で超高校級のカリスマではない感じ。分析力で相手の弱みを簡単に握れたし、絶望は伝播するものだから、1人が絶望したら後は勝手に周りに移る。2はメディア系を掌握できる超高校級が多いし分析力で2メンバーを取り込めば簡単に絶望が広がると思う。実際カリスマ性だったら十神ソフィア宗像王馬のほうがあると思う。
そもそも江ノ島盾子さんを産んだご両親が出会わなければ良かったんですよね……
あんまり元を辿り過ぎるとビッグバンまで行っちゃうから生まれてからので完結させようね。
本来は続編が出る予定じゃなかった事を考えると、無印のダンガンロンパでエノジュンを把握するために必要な全てを(敢えて過去などをぼかしてる所まで含めて)描いているんじゃないかなと思う。常人というか一般的な基準で見ると、分からない所もあるから不気味な悪役だったというのもあるかと。
その後は小説のダンガンロンパゼロで見事に補完されたと思う。
人が無意識に他者から感化されてしまうという連鎖で世の中が悪い方に変わっていく恐ろしさや、エノジュン本人は世界を牛耳るつもりはなくてただ絶望が蔓延してしまうというのが、妙に現実味感じる(怖いけれど)
シンパは勝手にできていっただけだと思う。モナカの扱いを見るに、エノジュンが利用していたというよりはモナカが一方的に憧れていそうな気がした。
77期生がシンパだったのかマインドコントロールされた手下だったのかは、作品ごとに表現が少し違う気もする(うろ覚えかもだけど)
エノジュンはいつも前向きな思考の苗木くんの逆で、ネガティブ思考の持ち主、あるいは成功体験を受け入れられない性格だったんじゃないかなと思う。だから結末は絶望的なのが当然と思ってそうというか。
その性格に並外れた聡明さやビジュアルの良さが備わっていたから、大勢の人間に影響を与えていったのかもしれない。
……というわけで、個人的には、3(アニメ)の世界とゼロは別な世界なんじゃないかなと思ってる。V3には3の要素も入っているけれど、アニメ3は音無さんが松田くんと過ごした時期がないから平行世界のような位置付けの可能性もあるかも…?
V3はユーザー目線でメタフィクションなだけじゃなく、ゲーム内で既にメタフィクションだから、全てのダンガンロンパの派生作品を扱っていてもおかしくない=ゼロも3も、どちらも最原くん達の世界にあった作品なんじゃないかと予想しました。
最後だから3もゲームに逆輸入(?)してくれた制作サイドの温かみもある気もします。
エノジュン個人については、分析したり何かを成し遂げた後に何も残ってなくてつまらない=絶望的というのが何となく分かる気がする…。退屈という感情は恐怖に近いと私は思うから。
はた迷惑なドM説にも個人的に同意してる。刺激を求め続けた人生の末路なのかもしれない。
無印の江ノ島監視がワンオペすぎるネタすき
2のアルター江ノ島の設定があるから江ノ島、アルター江ノ島でシフト制の可能性もありうるのよね
自分のオシオキ中ニッコニコなのすき
にこにこだったのに最後にプレスされる瞬間に真顔になるのが「『これで本当に死ぬ』という段階になって死の絶望に飽きた」説も好き
女版カムクラというかまだ感情表現が出来るカムクラって印象
えのじゅんのカリスマ性というか凄みみたいなのは無印の結末時点でそんなに感じなくなってたかな
結局の所世界とえのじゅんで希望と絶望の基準(感性?)が違うだけで
最期のシーンなんか自分には「つまらない世界で生きていく絶望」から逃げて「死という希望」にすがったようにしか見えなかった
江ノ島って超高校級のブラック会社管理職って感じ。
会社の変な思想を刷り込んで来るとことか、24時間ワンオペだったり、色んな分野を一人でカバーしてたり、他人を乗せるやり方とか。
デスゲームを円滑に進めるために寝る間も惜しんでデスマーチ強行していたの絶望的すぎる…
でも本人は意外とこの状況を楽しんでそう
絶望することに希望を持った奴
超分析能力のお陰で、答えがわかりきった人生でつまらなかったけど、絶望だけは未知の答えで始めて楽しいと思った。故にそこに希望を見出してしまった。ある意味、一番希望を夢見ていたともいえる。
コピペのやつくっそおもろい
「恐怖と絶望」が薄れて可愛く見えてくるラスボス
かわいい
あの、考察(妄想かな?)失礼します。
江ノ島が最後おしおきを受ける前「あたしは生きることに希望なんて持ってないの」と発言しているのですが、江ノ島は絶望に希望を持っていて、でもその絶望は苗木の希望に敗れてしまったことでその絶望に裏切られた?から生きることを諦めてしまったと私は考えています。
まぁ、純粋に死という最大の絶望を楽しみたいと思って死を選んだだけかもしれないです。長文失礼しました。
悲しき絶望
キャラパワーと雰囲気で抽象画みたいな迫力をわざわざ作った作品なのに人気ですぎて詳細化をせざるを得なくなってちょっと魅力落ちちゃったイメージある作品
何事もはっきりさせるのが良いわけではないないってGANTZも言ってたよ
プッチ神父がバ美肉したら大体同じになる
本物の黒人神父?!
,や。を使うとマシンガントークじゃなくなりますよ
一息で話されると耳に残りづらい気がします。
葉隠は薬師カブトみたいに表向きは無能な年長者ポジだったけど実はゴリゴリの復讐鬼タイプだと思ってた
姉の絶望コピーは結局デマ?😊
個人的に江ノ島盾子より葉隠がラスボスのほうが良かったと思う。アホなフリしてたけど全部演技でしたというオビトがアホなフリしてトビをやってたみたいな展開のほうがしっくりきたやろうし江ノ島盾子=モノクマは無理ありすぎだと思ったもんな。
桑島さんえらい飛んだ奴引き受けたな。多分こりゃしまった❗と思ったのでは?