Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ホンダと契約してNRに乗ってた片山敬済さんも、開発が間に合わなくてNRに乗れないレースに、市販RGを個人的に調達してプライベーターとしてスポット参戦していた、とご本人のRUclipsでおっしゃってました。
市販RG/RGBはシリンダーなどの部品含め潤沢に現存しており、スズキが撤退時に放出されたワークス部品がポンで付いたりするので、クラシックレースの世界では今でも一線級
バリー・シーンにフランコ・ウンチーニ、涙が止まらん。
ロブさん、確かビックマックってあだ名がついてた巨漢ライダーだったと思うけど、その当時なのヘロンスズキはカーボンフレームで、体重かあるロブが乗っても、タイヤの減り方が綺麗だったって記事を見た記憶が…とりあえずスコールバンディットカラーも格好良かった。
ライバル車を含めて「強いマシンは美しい」のがわかるイイ動画でした強くなるに従いだんだんかっこよくなっていったRGだけど バリー効果でかっこ良さが更に五割増しになってましたね全然関係ないけど 長いGPの歴史上バリーの奥さんの美貌は殿堂級でしかも夫に尽くす良妻分野は違うけど匹敵するのはローレン・バコールくらいだと思います あ 中村玉緒さん忘れてた 失礼
そういえば'80年代にスズキがワークス活動を止めていた時、スズキの技術者が「もし今すぐに「ワークス活動をやれ」と言われても、3ヶ月位で前線に戻れる様に常に準備はしています」と、雑誌のインタビューで語っていたけど、もうそういう準備はやらせてもらえないんだろうなぁ................。
スズキ市販レーサーで優勝して記録に残る水谷勝選手と最後のプライベーターで記憶に残る松本憲明選手
伊藤 巧選手、草間選手、福島選手、保立選手達もいました。
水谷選手といえばファクトリー撤退後にヤマハファクトリーの平選手を相手に熱戦を展開した印象が強い。
@@saisai-qc6zw因みにウルフは日本法人でウォルターはノータッチだったそうです。
ケンメーさんは最後はホンダRS500に乗ってました
@@ストレイカー専務😮 13:22 13:34
マモラには一度で良いからワールドチャンピオンになって欲しかったな。良い人だったし🇯🇵
カジバ時代のダッチTTで、レース前にアライヘルメットのデスプレイ用の、巨大なマモラヘルメットを被って歩き回り、観客の笑いをとっていたマモラが大好きです😄
@@鳥海誠-i4oそーゆーエピソード、マモラ多いっスよね。愛らしいキャラでしたね🇯🇵
無冠の帝王マモラ
今でもRG・RGΓシリーズとスクエア4エンジンは大好きです。次回の市販車シリーズも期待しています。
バイクに興味ないオレの隣に、バイク通勤野郎が話題を提供してくれました。スクエアエンジンなんてあるんだと驚きました。また、アルミフレームをひっさげてやって来た「レーサーレプリカ」なるバイクを知ったのもこの頃でした。
ルッキネリはツナギの中にボタンダウンシャツ着てネクタイ絞めてレースしてたのカッコ良すぎ
この時代初バイクは50Γでミッション練習しました😊
ロータリーバルブがレース用エンジンとして最良に選択だった時代にはスクエア4が良い選択だったんでしょうね。性能のいいリードバルブが開発されたらロータリーバルブに勝ち目がなくなっただろうけど。
ロータリーバルブで通した2ストアップリカ‥‥
アプリリアは最後までロータリーディスクでしたね それでWGPの最後までホンダ、ヤマハよりも速かった 500でも2気筒でポールポジション獲得してましたし。単独ならコースによってはケースリードの4気筒よりロータリーディスクの2気筒でも速いのを証明した@@yanchitakagi2849
2ストのピストンバルブ、ロータリーバルブ、ロータリーディスクバルブはピストン位置やクランク回転位置によって吸気ポートの開閉タイミングが機械的に決定されてしまうので狭い回転域の範囲内でしかパワーバンドのセッティングが出来なかった対してケースリードバルブはクランクケース内に負圧が生じた時点で吸気が開始され正圧に転じたら自然に閉じるので高い充填効率が狙える利点があり理論上、幅広い回転域での高出力が期待されたしかし初期のステンレス素材のリードバルブは耐久性は高いが高回転域でのバルブの追従性が悪くピークパワーが劣る難点が存在した後にグラスファイバーやカーボン製の柔軟な素材のリードバルブが開発され弱点は克服されたかに見えたがGP250クラスでアプリリアが搭載したロータックスエンジンは敢えてロータリーディスクバルブを採用しケースリードバルブエンジンのオールラウンドな出力特性を上回る高回転域でのピークパワーのみを重視した特性としたケースリードバルブはケース内圧の変化によってのみ吸気開始タイミングが決定されるので素材の改良があっても流体力学的にどうしても遅延が発生してしまうがロータリーディスクバルブは吸気タイミングを予め意図的に設定できるので特定の回転域に絞りさえすればケースリードバルブを凌駕する事が出来たいわゆるパワーバンドが極端に狭いドッカンパワー!!このエンジンの特性をよく理解したマックス・ビアッジによってアプリリアは数々のタイトルを獲得しましたね。
スズキが復帰しないと国際レースって感じがしない😅
バリーさん、マモラさん、ウンチさんみんな懐かしいけど、やっぱり自分にとっては水谷勝の兄貴だな当時の中免取って、最初に買ったバイクが、兄貴の経営する店で買ったRG-Γ250だからねぇ
イントロがレイザーラモンRGからの〜スズキRGシリーズの強引さがステキ💓
川島健三郎率いるケンツレーシングの篠崎選手がBVDカラーのRG-Γ500で全日本GP500クラスに参戦していました。既にスズキワークスがRGV-Γ500を走らせていた1988年です。
RGシリーズにロマンを感じます😂ちなみに、モータ-ホームを初めて持ち込んだのも、ケニ-・ロバーツでしたね。
SUZUKIのHBカラー懐かしいですね。友達がこのカラーのGSX-Rに乗っていました。
2年位前ツーリング中にコンビニでΓ500を見かけました😍懐かしさと珍しさでライダーさんと少しお話しましたがエンジン下部からオイル漏れがあり聞いたら最近全バラしてパッキン類も変えたけど止まらないと言ってました😅Γ400でも珍しいのにΓ500はRZV500、NSR500と共に超レアな単車でしたね😊
バリバリ伝説で秀吉がうんちやないで、ウンチーニやのセリフが真っ先に浮かびました。RG250γとウンチーニの広告フレディスペンサーとケニーロバーツのデッドヒートが印象に残っています。全日本の500も人気ありましたね。あと鈴鹿の四耐みたいなノービスのレースまでみんな興味を持ってました。
8耐+4耐は、バイク用テントスペースやコインシャワーあった時代が‥今や温泉すら?*夜前後売れ残り惣菜パンなど処分はまだしも、バルブ期パチブランドTシャツなどは(苦笑)
@@yanchitakagi28491回だけ観た8耐はレースよりもバックステージでRQのをねいさんがローアングラーをシメてたのが印象に😅😅😅
平忠彦に挑むウォルターウルフカラーの水谷勝が好きだったなぁ。
5:10 この写真、イマトラの踏切を超えるシーンでですよね。1982のXR45は確かに勝てなかったけど、変更を受けた中盤から1位2位を独占したケニーとフレディーに次いで安定してマモラが3位に入っていた印象があります、開発ライダーの川崎裕之さんがヤマハに移籍してなかったら、1勝くらいしてたかも。RG特集なら、XR70で平さんに緒戦状を叩きつけた水谷勝さんと岡本満さんの奮闘物語なんかすごく面白いから解説してほしいですね。
RG250Γ II型持ってます。2スト最高🎵
1985年頃、勤めていたバイク屋で、RGB500を1週間限定で借りて展示していた。多分、本物ベースの、ゼッケン3マモラレプリカカラーだと思うんだけど、メカニック心が疼き、カウル類を取っ払って写真撮りまくり。エンジン周りは特に入念にw 仕上げは跨って撮影。未だに大量の写真があるよ。後にヤマハの営業が対抗してYZR750デイトナを持ってきたw。それも撮った。
この時代は、TZやRS、RGBなどの市販レーサーが、オートバイ雑誌の、市販車アルバムに一般車と一緒に競技用モデルとして並んでて、さすがに公道モデルとは価格は桁が違ってたけど、一般にもこんなハイパワーなバイクを買う事が出来るんだなあと感じて、夢がありましたね。
バイク乗りでは無いオイラには、ウンチーニといえば転倒後後続車に頭を跳ねられるシーンを思い出すな。
はねたのは後のホンダのエースでチャンピオンにもなった ワイン・ガードナー。しかもデビュー戦。あの日、珍しいことにNHKの朝のニュースで流れたシーンは忘れられません。
六甲のウンチーニは転倒車を回避したら対向車に…
@@hbo747ヒデヨシの霊までガンボーイと言って檄ってたのは雑草😅
83RGB500が格好良くて大好き!耐久の83GS1000Rも格好良くて大好き!
期待を裏切らない。晩酌が楽し〜!
83年型は軽くし過ぎて走安が悪化してしまったモデルでしたね。フレームパイプも曲げると潰れる位薄かったので溶接で繋いでたりステップが樹脂だったり、開発者曰くやり過ぎたって位軽量化に拘った作りをしていましたね。
シ-トレールの一部がアルミより軽いからと木のバルサで作られていました…
@@釣友-o2qシートレールは元に戻されたのでしょうか?♪バルサミコ酢やっぱ要らへんで😂😂😂#ウッウッーウマウマ
ケニーロギンス!吹きました😂
熱い時代だった、RGB-Γを最後に見たのは全日本筑波でのオートボーイのプライベーターだったか?いや松本賢明だったか?でも水谷、樋渡のV-Γにはシビれたっけ。良い話だったぜよ😂
辻元(違うっ!)辻本さん‥‥
@@yanchitakagi2849辻󠄀元w、学生時代に #TIMERS を学祭に呼んだらZERRYさんに「ヲレ達を利用すんじゃねぇよ!!」と睨まれたらしいです😂😂😂
車体の進化を見ると、年々新しい技術を使って発展して行く過程も解りますね😊この頃は今では撤退したSUZUKI(数年で復帰する事を願います…😢)が当時の2輪WGPでは無敵に近かった事が解りますよ😮次回の市販車RGの話も楽しみにしております😊そして、驚いた時の霊夢ちゃんの「きゃあ〜ぁ…😰」は笑えます😅
面白いですね。ありがとうございました😊😭!
1982年、鈴鹿での全日本は全て観に行ったけど水谷勝さんの全戦優勝は(きゃぁぁ~)でした市販RGBを使っての快進撃でワークスの石川岩男さんやヤマハ陣営は焦ったでしょうね高井幾次郎さんも打倒水谷の為に参戦予定でしたがテスト中にお亡くなりになってしまい悲しかったです
突っ込ませてもらうなら82年迄全日本選手権は市販マシンにのみポイントが与えられるルールでワークス在籍でもタイトル争いの為に市販マシンに乗っていた選手もいました、ワークスマシンを走らせてもタイトル争いが出来ないルール故に「ブック」(プロレス風表現失礼します)もあったのではと思われます。
@@maruhiroya417 そんなルールありましたね~!!そうか82年まででしたか~ワークスライダーでも開発中心でレースにたまにしか出ないとかね雑誌名は忘れましたけど高井さんが亡くなった時の追悼記事の中でヤマハは水谷さんの連勝を意地でも止めたくて高井さんも準備していた、とあり、しかしあの悲劇で次のレースは陣営ごと棄権したんですよね貴方もバイク乗りならお体の為になるべく”突っ込まない”でくださいね。
@@狐の八重歯 V4YZRの初号機はとんでもないマシンでしたからね、剛性的にヤバそうなフレームと変形レイアウトのリアサス、更には某BSのチャリに使われてた「トリアルタイヤ」のお化けみたいなタイヤ、あれじゃまともに走れるわけがないですよね。高井さんが亡くなったのが引鉄になり?バリーとケニーも病院送りという有様でした。
@@狐の八重歯V4YZR初号機は高井さんの命を奪いケニーとバリーも病院送りになった危なさ。
川シャケさんってYAMAHAの開発ライダーってイメージがあったけどSUZUKIの開発もしていたんだ
スズキ→ヤマハ→スズキ→ヤマハと移籍してますね。
今では考えられない事ですね。ちなみにスズキとヤマハはそれほど仲が悪くない様です。ホンダは二社から嫌われているけど…
@@toshisuzuki4394昨日の敵は今日の友でケニーがJrをスズキにブッキングして史上唯一の最高峰クラス親子王者達成。
HERON SUZUKIがチバガイギーに作らせたカーボンフレームのRGΓがかっこよかった。
カーボンの前は、確かアルミハニカムボードで同じようなデザインのフレームでしたよね。フロントブレーキでハブ側ではなくリム側にディスクローターのシングルキャリパーのブレーキも試してましたね。
@@まさかりくさお-k6m さん 懐かしいですね。リムブレーキ、なんで無くなったのかな?レスありがと。
モータースポーツの面白い所で、日本メーカー排除のためにレギュレーション変更して追い出したと思ったら数年後に戻ってきて席巻されるの繰り返しなのが(笑)
YZRは、2年くらいしかスクエア型を採用して無いからね。SUZUKIも最終的にV型になったよね。。。
シュワンツ以後遠ざかってた王座を奪還したのがかつての敵だった男の息子というのかドラマ。
NSRとYZRもやってくれるんですよね。
テレビの解説で市販レーサーをワークスレーサーのレプリカと解説した人がいるけど全く違う。通常はパワーが違うし、見た目が同じパーツ、例えばチャンバーや燃料タンク等は肉厚が違い、市販車の部品を持ってからワークスの部品に持ち帰ると思わず持ち上がる程違う。ワークスやメーカー直系の市販車も軽い部品を使ってる。たまにパワフルな市販車がいますが500に乗る先輩に「あれがノーマルな市販車な訳ないだろ」と怒られました。ストレートが短い筑波でさえ観ていて結構な差があるのに菅生や鈴鹿なら大変気の毒。
ガンマと言えば、やはりファイター水谷勝でしょ
スズキが撤退した後の、ヘロンスズキとガリーナスズキのオリジナルバイクが好きでしたね。当時は雑誌サイクルサウンズ(サウンド?)にアラン・カスカート氏の試乗レポートが載ってたので、よく買っていたなぁ。
この流れが知りたかった。
9:10 RACERS No,12の表紙だ。
🦁夫がRG250Γに乗っていたとき、ウンチーニと揶揄されるのが辛かったと言っていました😅
WWのカラーリングが格好良かった‼️当時グッズ販売してたWWの長財布買ったっけ。
ウォールターウルフカラーのガンマに乗ってたなぁ・・・メッチャ昔の思い出w
1980年代初頭はガンマ500と1100カタナが象徴的なイメージがあるなぁ
83HBには、ウイング ウイリィー対策かなフォークより 前にでてるから現在のルーツみたいなものかな77の スポイラーとは 目的が違うな
RGB500のリアサスは、80年当時はフルフローターでは無く、フローティングサスと呼ばれてた記憶が有ります。
元々は4輪のF1でマクラーレン(テディ・メイヤー時代)がトライしてた(72〜74年)けどリンクの作動が悪かったのかチャンピオンになりながらも破棄してたんですよね。
懐かし過ぎて、涙がチョチョ切れましたぜ…。
ガンマといえば天下無敵、首都高SPLガンマですね。
昔のまだ現役だったRGB500のエンジン音を聞いた。当時でも古くお世辞にも戦闘力はトップクラスと一緒に走れるレベルではないバイクだったが「コレは化け物か?」と思うくらいの迫力がある音だった。2st500㏄を今の技術で作れたら、どれだけの馬力を引き出せるだろうか?まあ人の乗れるレベルじゃなくなったかもね。
昔気分はウンチーニでダイネーゼのツナギでΓ500乗ってました 今でもツーストバイクは手放せませんわ
ウンチーニのマシン、知り合いの親戚のお店にあったんだよなぁ、
ハーベーカラーが、とても懐かしい❤
地元の自転車屋にRGB500が飾ってあった かっこよし
11:28マモラ乗りはホンダに移籍してNSに乗るようになってからだったはずでは?15:38水谷さんが市販RGBだったのは「お前は転倒するからワークスマシンじゃ勿体ない」とスズキの偉い人に言われたからだそうで17:15ウォルターウルフカラーはよくスポンサーと間違えられますが、実際は逆イメージカラーとしてスズキの方が金を払ってましたこれは市販車も同じ当時F1やウルフカウンタックで「ウォルターウルフ=スポーティ」のイメージがありました
F1撤退と同時に日本法人が出来て日本のレースをサポートする路線にシフトしたんですよね(但し、ウォルター氏はノータッチ)当初はF1からの流れで4輪から始まり当時のメンバーにはまだマツダ側だった関谷さんが居ました。
チームガリーナのプラモ作ったなぁ
懐かしい名前が沢山出てきてたねー
ウォールターウルフは人の名前なんだよね、ドイツ系カナダ人で北海油田の石油採掘施設の機材を商って一財をなした正真正銘の大金持ちだね。
確かオーストリア移民
@@maruhiroya417 西ドイツだと思ってた、ありがとう、誤りを正せた。
スズキだとオフもRH250とRA125がレーサーレプリカだった。RA125は世界選手権V10を達成しフレーム/マフラー構造がワークスマシンと一緒だった。しかしデザインが変だったんだよね。スズキらしい・・。そんなおポンチなところが好きだけど・・。
そっちのRGはちゃうw
ウオルターウルフは、人によってはランボルギーニカウンタックのスペシャルマシンの方で有名かも。
F1は77年がピークの一発屋
俺の愛するΓよ永遠なれ
GT750は昔、ワイルド7に使われていたな。51年前のドラマだよ。ドラマでもバイク宣伝していたな😅多分。
V-Γまで宝庫の英国へ!?
昔中型免許(当時)を持ってなかった頃400Γの不動車を8万円で買った。トランポなんて無いので8キロ離れた月極め駐車場まで押して帰ったが途中クラッチ繋がったまま押してエンジンがかかり焦った。汗だくで契約してる月極駐車場に着き車体にカバーをかけて置いておいたら部品を盗まれフレームとタンクだけになってしまった、泣きたくなって教習所に免許とりに行くのを止めた( ;∀;)
RG250Γはレーサーのノウハウを生かしたバイクだったんだね。ホンダがNRで参戦してたことが、スズキの7年の栄光につながったことになるのか。
自分がバイクレースを知った頃にはもうRGΓは劣勢だったな。いつまでスクエア4でやってんだって思ってた。
RGA RGB RGΓ Aがα Bがβ CがΓ…横内氏が名ずけたらしいが、チョット無理があると思います。
日本バイクメーカーの黄金時代!
v4で市販してほしかった
(ФωФ)…👍️Γ最高よね!
ウンチーニがΓとヌードモデルと一緒に記念撮影をしていたのを思い出しました。
ホンダと契約してNRに乗ってた片山敬済さんも、開発が間に合わなくてNRに乗れないレースに、市販RGを個人的に調達してプライベーターとしてスポット参戦していた、とご本人のRUclipsでおっしゃってました。
市販RG/RGBはシリンダーなどの部品含め潤沢に現存しており、スズキが撤退時に放出されたワークス部品がポンで付いたりするので、クラシックレースの世界では今でも一線級
バリー・シーンにフランコ・ウンチーニ、涙が止まらん。
ロブさん、確かビックマックってあだ名がついてた巨漢ライダーだったと思うけど、その当時なのヘロンスズキはカーボンフレームで、体重かあるロブが乗っても、タイヤの減り方が綺麗だったって記事を見た記憶が…
とりあえずスコールバンディットカラーも格好良かった。
ライバル車を含めて「強いマシンは美しい」のがわかるイイ動画でした
強くなるに従いだんだんかっこよくなっていったRGだけど バリー効果でかっこ良さが更に五割増しになってましたね
全然関係ないけど 長いGPの歴史上バリーの奥さんの美貌は殿堂級でしかも夫に尽くす良妻
分野は違うけど匹敵するのはローレン・バコールくらいだと思います あ 中村玉緒さん忘れてた 失礼
そういえば'80年代にスズキがワークス活動を止めていた時、スズキの技術者が「もし今すぐに「ワークス活動をやれ」
と言われても、3ヶ月位で前線に戻れる様に常に準備はしています」と、雑誌のインタビューで語っていたけど、
もうそういう準備はやらせてもらえないんだろうなぁ................。
スズキ市販レーサーで優勝して記録に残る水谷勝選手と最後のプライベーターで記憶に残る松本憲明選手
伊藤 巧選手、草間選手、福島選手、保立選手達もいました。
水谷選手といえばファクトリー撤退後にヤマハファクトリーの平選手を相手に熱戦を展開した印象が強い。
@@saisai-qc6zw
因みにウルフは日本法人でウォルターはノータッチだったそうです。
ケンメーさんは最後はホンダRS500に乗ってました
@@ストレイカー専務😮 13:22 13:34
マモラには一度で良いからワールドチャンピオンになって欲しかったな。
良い人だったし🇯🇵
カジバ時代のダッチTTで、レース前にアライヘルメットのデスプレイ用の、巨大なマモラヘルメットを被って歩き回り、観客の笑いをとっていたマモラが大好きです😄
@@鳥海誠-i4o
そーゆーエピソード、マモラ多いっスよね。
愛らしいキャラでしたね🇯🇵
無冠の帝王マモラ
今でもRG・RGΓシリーズとスクエア4エンジンは大好きです。
次回の市販車シリーズも期待しています。
バイクに興味ないオレの隣に、バイク通勤野郎が話題を提供してくれました。スクエアエンジンなんてあるんだと驚きました。また、アルミフレームをひっさげてやって来た「レーサーレプリカ」なるバイクを知ったのもこの頃でした。
ルッキネリはツナギの中にボタンダウンシャツ着てネクタイ絞めてレースしてたのカッコ良すぎ
この時代初バイクは50Γでミッション練習しました😊
ロータリーバルブがレース用エンジンとして最良に選択だった時代にはスクエア4が良い選択だったんでしょうね。性能のいいリードバルブが開発されたらロータリーバルブに勝ち目がなくなっただろうけど。
ロータリーバルブで通した2ストアップリカ‥‥
アプリリアは最後までロータリーディスクでしたね それでWGPの最後までホンダ、ヤマハよりも速かった 500でも2気筒でポールポジション獲得してましたし。単独ならコースによってはケースリードの4気筒よりロータリーディスクの2気筒でも速いのを証明した@@yanchitakagi2849
2ストのピストンバルブ、ロータリーバルブ、ロータリーディスクバルブは
ピストン位置やクランク回転位置によって吸気ポートの開閉タイミングが
機械的に決定されてしまうので
狭い回転域の範囲内でしかパワーバンドのセッティングが出来なかった
対してケースリードバルブはクランクケース内に負圧が生じた時点で
吸気が開始され正圧に転じたら自然に閉じるので高い充填効率が狙える
利点があり理論上、幅広い回転域での高出力が期待された
しかし初期のステンレス素材のリードバルブは耐久性は高いが
高回転域でのバルブの追従性が悪くピークパワーが劣る難点が存在した
後にグラスファイバーやカーボン製の柔軟な素材のリードバルブが開発され
弱点は克服されたかに見えたが
GP250クラスでアプリリアが搭載したロータックスエンジンは敢えて
ロータリーディスクバルブを採用し
ケースリードバルブエンジンのオールラウンドな出力特性を上回る
高回転域でのピークパワーのみを重視した特性とした
ケースリードバルブはケース内圧の変化によってのみ
吸気開始タイミングが決定されるので
素材の改良があっても流体力学的にどうしても遅延が発生してしまうが
ロータリーディスクバルブは吸気タイミングを予め意図的に設定できるので
特定の回転域に絞りさえすればケースリードバルブを凌駕する事が出来た
いわゆるパワーバンドが極端に狭いドッカンパワー!!
このエンジンの特性をよく理解したマックス・ビアッジによって
アプリリアは数々のタイトルを獲得しましたね。
スズキが復帰しないと国際レースって感じがしない😅
バリーさん、マモラさん、ウンチさんみんな懐かしいけど、やっぱり自分にとっては水谷勝の兄貴だな
当時の中免取って、最初に買ったバイクが、兄貴の経営する店で買ったRG-Γ250だからねぇ
イントロがレイザーラモンRGからの〜スズキRGシリーズの強引さがステキ💓
川島健三郎率いるケンツレーシングの篠崎選手が
BVDカラーのRG-Γ500で全日本GP500クラスに参戦していました。
既にスズキワークスがRGV-Γ500を走らせていた1988年です。
RGシリーズにロマンを感じます😂
ちなみに、モータ-ホームを初めて持ち込んだのも、ケニ-・ロバーツでしたね。
SUZUKIのHBカラー懐かしいですね。友達がこのカラーのGSX-Rに乗っていました。
2年位前ツーリング中にコンビニでΓ500を見かけました😍懐かしさと珍しさでライダーさんと少しお話しましたがエンジン下部からオイル漏れがあり聞いたら最近全バラしてパッキン類も変えたけど止まらないと言ってました😅Γ400でも珍しいのにΓ500はRZV500、NSR500と共に超レアな単車でしたね😊
バリバリ伝説で秀吉がうんちやないで、ウンチーニや
のセリフが真っ先に浮かびました。
RG250γとウンチーニの広告
フレディスペンサーとケニーロバーツのデッドヒートが
印象に残っています。全日本の500も人気ありましたね。
あと鈴鹿の四耐みたいなノービスのレースまでみんな興味を持ってました。
8耐+4耐は、バイク用テントスペースやコインシャワーあった時代が‥今や温泉すら?
*夜前後売れ残り惣菜パンなど処分はまだしも、バルブ期パチブランドTシャツなどは(苦笑)
@@yanchitakagi2849
1回だけ観た8耐はレースよりもバックステージでRQのをねいさんがローアングラーをシメてたのが印象に😅😅😅
平忠彦に挑むウォルターウルフカラーの水谷勝が好きだったなぁ。
5:10 この写真、イマトラの踏切を超えるシーンでですよね。
1982のXR45は確かに勝てなかったけど、変更を受けた中盤から
1位2位を独占したケニーとフレディーに次いで安定してマモラが3位に入っていた印象があります、
開発ライダーの川崎裕之さんがヤマハに移籍してなかったら、1勝くらいしてたかも。
RG特集なら、XR70で平さんに緒戦状を叩きつけた水谷勝さんと岡本満さんの奮闘物語なんか
すごく面白いから解説してほしいですね。
RG250Γ II型持ってます。2スト最高🎵
1985年頃、勤めていたバイク屋で、RGB500を1週間限定で借りて展示していた。多分、本物ベースの、ゼッケン3マモラレプリカカラーだと思うんだけど、メカニック心が疼き、カウル類を取っ払って写真撮りまくり。エンジン周りは特に入念にw 仕上げは跨って撮影。未だに大量の写真があるよ。後にヤマハの営業が対抗してYZR750デイトナを持ってきたw。それも撮った。
この時代は、TZやRS、RGBなどの市販レーサーが、オートバイ雑誌の、市販車アルバムに一般車と一緒に競技用モデルとして並んでて、さすがに公道モデルとは価格は桁が違ってたけど、一般にもこんなハイパワーなバイクを買う事が出来るんだなあと感じて、夢がありましたね。
バイク乗りでは無いオイラには、ウンチーニといえば転倒後後続車に頭を跳ねられるシーンを思い出すな。
はねたのは後のホンダのエースでチャンピオンにもなった ワイン・ガードナー。しかもデビュー戦。
あの日、珍しいことにNHKの朝のニュースで流れたシーンは忘れられません。
六甲のウンチーニは転倒車を回避したら対向車に…
六甲のウンチーニは転倒車を回避したら対向車に…
@@hbo747
ヒデヨシの霊までガンボーイと言って檄ってたのは雑草😅
83RGB500が格好良くて大好き!耐久の83GS1000Rも格好良くて大好き!
期待を裏切らない。晩酌が楽し〜!
83年型は軽くし過ぎて走安が悪化してしまったモデルでしたね。
フレームパイプも曲げると潰れる位薄かったので溶接で繋いでたりステップが樹脂だったり、開発者曰くやり過ぎたって位軽量化に拘った作りをしていましたね。
シ-トレールの一部がアルミより軽いからと木のバルサで作られていました…
@@釣友-o2q
シートレールは元に戻されたのでしょうか?
♪バルサミコ酢やっぱ要らへんで😂😂😂
#ウッウッーウマウマ
ケニーロギンス!
吹きました😂
熱い時代だった、RGB-Γを最後に見たのは全日本筑波でのオートボーイのプライベーターだったか?いや松本賢明だったか?でも水谷、樋渡のV-Γにはシビれたっけ。良い話だったぜよ😂
辻元(違うっ!)辻本さん‥‥
@@yanchitakagi2849
辻󠄀元w、学生時代に #TIMERS を学祭に呼んだらZERRYさんに「ヲレ達を利用すんじゃねぇよ!!」と睨まれたらしいです😂😂😂
車体の進化を見ると、年々新しい技術を使って発展して行く過程も解りますね😊
この頃は今では撤退したSUZUKI(数年で復帰する事を願います…😢)が当時の2輪WGPでは無敵に近かった事が解りますよ😮
次回の市販車RGの話も楽しみにしております😊
そして、驚いた時の霊夢ちゃんの「きゃあ〜ぁ…😰」は笑えます😅
面白いですね。ありがとうございました😊😭!
1982年、鈴鹿での全日本は全て観に行ったけど水谷勝さんの全戦優勝は(きゃぁぁ~)でした
市販RGBを使っての快進撃でワークスの石川岩男さんやヤマハ陣営は焦ったでしょうね
高井幾次郎さんも打倒水谷の為に参戦予定でしたがテスト中にお亡くなりになってしまい
悲しかったです
突っ込ませてもらうなら82年迄全日本選手権は市販マシンにのみポイントが与えられるルールでワークス在籍でもタイトル争いの為に市販マシンに乗っていた選手もいました、ワークスマシンを走らせてもタイトル争いが出来ないルール故に「ブック」(プロレス風表現失礼します)もあったのではと思われます。
@@maruhiroya417 そんなルールありましたね~!!そうか82年まででしたか~
ワークスライダーでも開発中心でレースにたまにしか出ないとかね
雑誌名は忘れましたけど高井さんが亡くなった時の追悼記事の中で
ヤマハは水谷さんの連勝を意地でも止めたくて高井さんも準備していた、
とあり、しかしあの悲劇で次のレースは陣営ごと棄権したんですよね
貴方もバイク乗りならお体の為になるべく”突っ込まない”でくださいね。
@@狐の八重歯
V4YZRの初号機はとんでもないマシンでしたからね、剛性的にヤバそうなフレームと変形レイアウトのリアサス、更には某BSのチャリに使われてた「トリアルタイヤ」のお化けみたいなタイヤ、あれじゃまともに走れるわけがないですよね。
高井さんが亡くなったのが引鉄になり?バリーとケニーも病院送りという有様でした。
@@狐の八重歯
V4YZR初号機は高井さんの命を奪いケニーとバリーも病院送りになった危なさ。
川シャケさんってYAMAHAの開発ライダーってイメージがあったけどSUZUKIの開発もしていたんだ
スズキ→ヤマハ→スズキ→ヤマハと移籍してますね。
今では考えられない事ですね。
ちなみにスズキとヤマハはそれほど仲が悪くない様です。ホンダは二社から嫌われているけど…
@@toshisuzuki4394
昨日の敵は今日の友でケニーがJrをスズキにブッキングして史上唯一の最高峰クラス親子王者達成。
HERON SUZUKIがチバガイギーに作らせたカーボンフレームのRGΓがかっこよかった。
カーボンの前は、確かアルミハニカムボードで同じようなデザインのフレームでしたよね。フロントブレーキでハブ側ではなくリム側にディスクローターのシングルキャリパーのブレーキも試してましたね。
@@まさかりくさお-k6m さん 懐かしいですね。リムブレーキ、なんで無くなったのかな?レスありがと。
モータースポーツの面白い所で、
日本メーカー排除のためにレギュレーション変更して追い出したと思ったら
数年後に戻ってきて席巻されるの繰り返しなのが(笑)
YZRは、2年くらいしかスクエア型を採用して無いからね。SUZUKIも最終的にV型になったよね。。。
シュワンツ以後遠ざかってた王座を奪還したのがかつての敵だった男の息子というのかドラマ。
NSRとYZRもやってくれるんですよね。
テレビの解説で市販レーサーをワークスレーサーのレプリカと解説した人がいるけど全く違う。通常はパワーが違うし、見た目が同じパーツ、例えばチャンバーや燃料タンク等は肉厚が違い、市販車の部品を持ってからワークスの部品に持ち帰ると思わず持ち上がる程違う。ワークスやメーカー直系の市販車も軽い部品を使ってる。たまにパワフルな市販車がいますが500に乗る先輩に「あれがノーマルな市販車な訳ないだろ」と怒られました。ストレートが短い筑波でさえ観ていて結構な差があるのに菅生や鈴鹿なら大変気の毒。
ガンマと言えば、やはりファイター水谷勝でしょ
スズキが撤退した後の、ヘロンスズキとガリーナスズキのオリジナルバイクが好きでしたね。当時は雑誌サイクルサウンズ(サウンド?)にアラン・カスカート氏の試乗レポートが載ってたので、よく買っていたなぁ。
この流れが知りたかった。
9:10 RACERS No,12の表紙だ。
🦁夫がRG250Γに乗っていたとき、ウンチーニと揶揄されるのが辛かったと言っていました😅
WWのカラーリングが格好良かった‼️
当時グッズ販売してたWWの長財布買ったっけ。
ウォールターウルフカラーのガンマに乗ってたなぁ・・・メッチャ昔の思い出w
1980年代初頭は
ガンマ500と1100カタナが象徴的なイメージがあるなぁ
83HBには、ウイング ウイリィー対策かな
フォークより 前にでてるから
現在のルーツみたいなものかな
77の スポイラーとは 目的が違うな
RGB500のリアサスは、80年当時はフルフローターでは無く、フローティングサスと呼ばれてた記憶が有ります。
元々は4輪のF1でマクラーレン(テディ・メイヤー時代)がトライしてた(72〜74年)けどリンクの作動が悪かったのかチャンピオンになりながらも破棄してたんですよね。
懐かし過ぎて、涙がチョチョ切れましたぜ…。
ガンマといえば天下無敵、首都高SPLガンマですね。
昔のまだ現役だったRGB500のエンジン音を聞いた。当時でも古くお世辞にも戦闘力は
トップクラスと一緒に走れるレベルではないバイクだったが「コレは化け物か?」と
思うくらいの迫力がある音だった。
2st500㏄を今の技術で作れたら、どれだけの馬力を引き出せるだろうか?
まあ人の乗れるレベルじゃなくなったかもね。
昔気分はウンチーニでダイネーゼのツナギでΓ500乗ってました 今でもツーストバイクは手放せませんわ
ウンチーニのマシン、知り合いの親戚のお店にあったんだよなぁ、
ハーベーカラーが、とても懐かしい❤
地元の自転車屋にRGB500が飾ってあった かっこよし
11:28
マモラ乗りはホンダに移籍してNSに乗るようになってからだったはずでは?
15:38
水谷さんが市販RGBだったのは
「お前は転倒するからワークスマシンじゃ勿体ない」
とスズキの偉い人に言われたからだそうで
17:15
ウォルターウルフカラーはよくスポンサーと間違えられますが、
実際は逆
イメージカラーとしてスズキの方が金を払ってました
これは市販車も同じ
当時F1やウルフカウンタックで「ウォルターウルフ=スポーティ」のイメージがありました
F1撤退と同時に日本法人が出来て日本のレースをサポートする路線にシフトしたんですよね(但し、ウォルター氏はノータッチ)当初はF1からの流れで4輪から始まり当時のメンバーにはまだマツダ側だった関谷さんが居ました。
チームガリーナのプラモ作ったなぁ
懐かしい名前が沢山出てきてたねー
ウォールターウルフは人の名前なんだよね、ドイツ系カナダ人で北海油田の石油採掘施設の機材を商って一財をなした正真正銘の大金持ちだね。
確かオーストリア移民
@@maruhiroya417
西ドイツだと思ってた、ありがとう、誤りを正せた。
スズキだとオフもRH250とRA125がレーサーレプリカだった。RA125は世界選手権V10を達成しフレーム/マフラー構造がワークスマシンと一緒だった。しかしデザインが変だったんだよね。スズキらしい・・。そんなおポンチなところが好きだけど・・。
そっちのRGはちゃうw
ウオルターウルフは、人によってはランボルギーニカウンタックのスペシャルマシンの方で有名かも。
F1は77年がピークの一発屋
俺の愛するΓよ永遠なれ
GT750は昔、ワイルド7に使われていたな。51年前のドラマだよ。ドラマでもバイク宣伝していたな😅多分。
V-Γまで宝庫の英国へ!?
昔中型免許(当時)を持ってなかった頃400Γの不動車を8万円で買った。トランポなんて無いので8キロ離れた月極め駐車場まで押して帰ったが途中クラッチ繋がったまま押してエンジンがかかり焦った。汗だくで契約してる月極駐車場に着き車体にカバーをかけて置いておいたら部品を盗まれフレームとタンクだけになってしまった、泣きたくなって教習所に免許とりに行くのを止めた( ;∀;)
RG250Γはレーサーのノウハウを生かしたバイクだったんだね。ホンダがNRで参戦してたことが、スズキの7年の栄光につながったことになるのか。
自分がバイクレースを知った頃にはもうRGΓは劣勢だったな。いつまでスクエア4でやってんだって思ってた。
RGA RGB RGΓ Aがα Bがβ CがΓ…横内氏が名ずけたらしいが、チョット無理があると思います。
日本バイクメーカーの黄金時代!
v4で市販してほしかった
(ФωФ)…👍️
Γ最高よね!
ウンチーニがΓとヌードモデルと一緒に記念撮影をしていたのを思い出しました。