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谷汲戦は廃線になる前に一度だけ乗りに行ったなぁ、名鉄の600V線区はとにかく色々な種類の車両に乗れてとても面白い路線だった
戦っちゃった
トラベルとは違う切り口で良かったです。廃線跡がそのまま放置されているだけでなく沿線に“ひとけ”がないのが何とも言えません。耕作地も目にあまり入りませんし、家々もおそらく空家が多いのではないかと。
黒野駅での新旧車両映像に心奪われます。当時の新型車両… 現在は豊橋鉄道さんや福井鉄道さんで今でも活躍してますね。後編楽しみにしてます🙋
懐かしいですね。かつて40年ほど前に、谷汲方面や、逆に本揖斐から新岐阜まで、当時はあった「急行」で行きました。黒野駅も当時は大きな駅でしたよ。
廃止の報道を聞き、廃止の半年位前に乗りに行きました。もう終点は黒野だったかも。そこから、近鉄までちょうどバスがあって、養老線経由で名古屋に戻りました。楽しかった。残念ですね。
地元すぎる、一回も乗れずに廃止になってしまったので悲しい😢
名鉄は三河山線もそうですが,廃線跡が結構残っていますね。(関市内は消えたけど)西国の先達なので年に1-2回は谷汲に行きますが,年々交通の便が悪く…。揖斐からも谷汲口からもスクールバスに便乗する始末。環境を見るに廃線はやむなしではあったんでしょうが。年々不便に。谷汲口のオハ36を見るたび哀しくなります。
全然知りませんでしたが割と最近まであったんですね。遺構がすごい多いですねぇ
「大手私鉄」と「あまりにも有名な路線」と「古い電車」に「23年前に廃線」から「谷汲線かな?」と思ったら案の定だった。
45年前、子供会で谷汲のキャンプ⛺️場に行きました。自宅の最寄り駅から新岐阜駅へ。そこから忠節線に乗り谷汲線に乗り換え。うろ覚えですが風光明媚でした。
谷汲の一つ前にあった無人駅 何故か忘れられない
御開帳の為に建設とは、北大阪急行電鉄の万博みたいですね。
なので、毎月18日の御開帳の日と、せいぜい初詣の期間以外は、開業時から赤字でした。駅も、家が数軒有ったら作ったようで、設置も廃止も多かったそうです。
谷汲線が、廃線に なる前に友達と撮影に行きました 確か 真夏です 線路脇の田んぼのあぜ道から写真を撮影しました
谷汲線大好き!50年位前と1988年頃に見物に行きました 最初の時は木知原から国鉄に乗って帰りました2度目の時はおかみさん連れて華厳寺でお戒壇巡りして門前でアユの塩焼きとみそ田楽を食べました花街は「かがい」って読んでほしいな
谷汲線廃線と高山線北アルプス廃止が同じ日でした。当日は両方乗りましたが、たいへんな1日でした。
廃線間際の9月にお別れ乗車に行ったけど…途中の無人駅「赤石」のホームの真横は、墓場🪦になってて…ちょうど秋の彼岸の時期だったからか、地元の宗教的な儀式みたいな、何だか知らないがお墓🪦に派手な提灯🏮やらお花💐やらお供え物の飾り付けがやたらしてあって…廃線間際の路線だったことも相まって…その墓場から座敷わらしでも出てきそうな👧👘…昼間でも不気味で、余計に悲しく寂しくなるような異様な光景だったのを覚えてる…😅あの墓場は今でもあるのかな…?💦
モ510・520がすでに市内線直通黒野止まり急行になってた頃(辛うじて昭和末期?)に、揖斐線末端とともに谷汲線にも乗りましたが、その頃ですら昼間帯に1時間に2本が素人目線でも無駄に思えるくらいガラガラでしたけどね…。←たしか夏休みにその辺りを乗ったと思いましたが、美濃電や瀬戸電お下がりの非冷房オンボロ電車でも、いまのような酷暑でなかったのでまだマシでしたが、そのままで残存していたら「地獄の業火」レベルですね…。←
谷汲線の撮影に行くため、新岐阜駅(現・岐阜駅)前から揖斐行きに乗り、降り立った我々は谷汲行黒野折り返しを待っていたら、オールドミセスw軍団に取り囲まれ「皆さん、どこへ行くの?」「あ、谷汲まで行きます。」「そう!?お若いのに信心深いのね😊」、と言われました。いやいやいや、谷汲山へ参拝に行くんじゃないんですがあぁぁぁぁ😅普通、谷汲へ行く用事といえば「谷汲山華厳寺」へお参りするくらいしか無いらしいです(笑)我々は谷汲へ向かう電車にオールドミセス軍団といっしょに揺られながら、車窓からロケハンをして、谷汲駅前のドライブイン?で朝食をとってから、谷汲駅周辺で数カット、北野畑へ移動して撮影。あとは道路をたどり黒野へ戻りながら、途中樽見鉄道の谷汲口駅付近で樽見鉄道を撮影したりしながら楽しみました😊
自己レスですみません。念のため谷汲駅前の地図を検索してみたらいつも食事をしたドライブイン(実は喫茶店でした)が残っていたんですよ!喫茶「アイドル」(笑)。当時も看板を見て笑っちゃったので間違いありません😭
コメントありがとうございます。喫茶アイドル、私も行きました。後編の最後に出てきますので、ぜひ後編もご視聴ください。
@@TakagiRailway ホンマですか?!絶対見ます!楽しみです〜😊
谷汲線の代替バスを名阪近鉄バスが運行 していましたが こちらも赤字ですでに廃止になっています。 黒野駅 あとは JR 岐阜駅から大野バスセンター行きに乗って 途中で降りて アクセスできますが。 谷汲駅に行く場合は 長良川鉄道で 谷汲口で降りて 徒歩で行くしかないんでしょうかね。
谷汲駅へ行く近鉄バス無くなっちゃったんですか?約19年前に谷汲口から乗り換えて谷汲駅へ1度だけ行った事がありますが・・・
そうだろうね、末期の輸送密度は300位だったはずだから。
今巡るには車必須かなぁ?
黒野から谷汲 間 の名阪近鉄バスが運行していた 代替バスはすでに廃止になっているので車が必須です。 岐阜から 黒野 駅跡 までは 岐阜バスが大野バスセンター行きを1時間に1本ぐらい運行しているので 確か 終点まで乗らず 途中のバス停で降りて路地裏から入っていくような感じだったの 他の RUclipsr の方が動画をあげていましたよ。
樽見鉄道も本数がかなり少ないので、車で無いと自由に動けないと思います。
黒野駅で営業日でも無いのに特別に2階の鉄道模型の展示場に入れてくれました
NPO法人の方に感謝です
昨年10月に此処から割と歩いていける場所に宿泊したんですが、時間の都合や悪天候で訪れるのを断念しました
ラウンドアップマックスロードとMCPP
13:06「タ」が2つに「ク」が3つで「タニグミ」とあるわけですな!ちゃんと言及されていましたね。あと、北野畑駅での列車交換の時には、係の人が出張っていました!
谷汲戦は廃線になる前に一度だけ乗りに行ったなぁ、名鉄の600V線区はとにかく色々な種類の車両に乗れてとても面白い路線だった
戦っちゃった
トラベルとは違う切り口で良かったです。
廃線跡がそのまま放置されているだけでなく沿線に“ひとけ”がないのが何とも言えません。耕作地も目にあまり入りませんし、家々もおそらく空家が多いのではないかと。
黒野駅での新旧車両映像に心奪われます。当時の新型車両… 現在は豊橋鉄道さんや福井鉄道さんで今でも活躍してますね。
後編楽しみにしてます🙋
懐かしいですね。かつて40年ほど前に、谷汲方面や、逆に本揖斐から新岐阜まで、当時はあった「急行」で行きました。黒野駅も当時は大きな駅でしたよ。
廃止の報道を聞き、廃止の半年位前に乗りに行きました。もう終点は黒野だったかも。そこから、近鉄までちょうどバスがあって、養老線経由で名古屋に戻りました。楽しかった。残念ですね。
地元すぎる、一回も乗れずに廃止になってしまったので悲しい😢
名鉄は三河山線もそうですが,廃線跡が結構残っていますね。(関市内は消えたけど)西国の先達なので年に1-2回は谷汲に行きますが,年々交通の便が悪く…。揖斐からも谷汲口からもスクールバスに便乗する始末。環境を見るに廃線はやむなしではあったんでしょうが。年々不便に。谷汲口のオハ36を見るたび哀しくなります。
全然知りませんでしたが割と最近まであったんですね。遺構がすごい多いですねぇ
「大手私鉄」と「あまりにも有名な路線」と「古い電車」に「23年前に廃線」から「谷汲線かな?」と思ったら案の定だった。
45年前、子供会で谷汲のキャンプ⛺️場に行きました。自宅の最寄り駅から新岐阜駅へ。そこから忠節線に乗り谷汲線に乗り換え。うろ覚えですが風光明媚でした。
谷汲の一つ前にあった無人駅 何故か忘れられない
御開帳の為に建設とは、北大阪急行電鉄の万博みたいですね。
なので、毎月18日の御開帳の日と、せいぜい初詣の期間以外は、開業時から赤字でした。
駅も、家が数軒有ったら作ったようで、設置も廃止も多かったそうです。
谷汲線が、廃線に なる前に友達と撮影に行きました 確か 真夏です 線路脇の田んぼのあぜ道から写真を撮影しました
谷汲線大好き!
50年位前と1988年頃に見物に行きました 最初の時は木知原から国鉄に乗って帰りました
2度目の時はおかみさん連れて華厳寺でお戒壇巡りして門前でアユの塩焼きとみそ田楽を食べました
花街は「かがい」って読んでほしいな
谷汲線廃線と高山線北アルプス廃止が同じ日でした。
当日は両方乗りましたが、たいへんな1日でした。
廃線間際の9月にお別れ乗車に行ったけど…
途中の無人駅「赤石」のホームの真横は、墓場🪦になってて…
ちょうど秋の彼岸の時期だったからか、地元の宗教的な儀式みたいな、何だか知らないがお墓🪦に派手な提灯🏮やらお花💐やらお供え物の飾り付けがやたらしてあって…
廃線間際の路線だったことも相まって…その墓場から座敷わらしでも出てきそうな👧👘…
昼間でも不気味で、余計に悲しく寂しくなるような異様な光景だったのを覚えてる…😅
あの墓場は今でもあるのかな…?💦
モ510・520がすでに市内線直通黒野止まり急行になってた頃(辛うじて昭和末期?)に、揖斐線末端とともに谷汲線にも乗りましたが、その頃ですら昼間帯に1時間に2本が素人目線でも無駄に思えるくらいガラガラでしたけどね…。←
たしか夏休みにその辺りを乗ったと思いましたが、美濃電や瀬戸電お下がりの非冷房オンボロ電車でも、いまのような酷暑でなかったのでまだマシでしたが、そのままで残存していたら「地獄の業火」レベルですね…。←
谷汲線の撮影に行くため、新岐阜駅(現・岐阜駅)前から揖斐行きに乗り、降り立った我々は谷汲行黒野折り返しを待っていたら、オールドミセスw軍団に取り囲まれ「皆さん、どこへ行くの?」「あ、谷汲まで行きます。」「そう!?お若いのに信心深いのね😊」、と言われました。
いやいやいや、谷汲山へ参拝に行くんじゃないんですがあぁぁぁぁ😅
普通、谷汲へ行く用事といえば「谷汲山華厳寺」へお参りするくらいしか無いらしいです(笑)
我々は谷汲へ向かう電車にオールドミセス軍団といっしょに揺られながら、車窓からロケハンをして、谷汲駅前のドライブイン?で朝食をとってから、谷汲駅周辺で数カット、北野畑へ移動して撮影。あとは道路をたどり黒野へ戻りながら、途中樽見鉄道の谷汲口駅付近で樽見鉄道を撮影したりしながら楽しみました😊
自己レスですみません。
念のため谷汲駅前の地図を検索してみたらいつも食事をしたドライブイン(実は喫茶店でした)が残っていたんですよ!
喫茶「アイドル」(笑)。当時も看板を見て笑っちゃったので間違いありません😭
コメントありがとうございます。
喫茶アイドル、私も行きました。後編の最後に出てきますので、ぜひ後編もご視聴ください。
@@TakagiRailway ホンマですか?!
絶対見ます!楽しみです〜😊
谷汲線の代替バスを名阪近鉄バスが運行 していましたが こちらも赤字ですでに廃止になっています。 黒野駅 あとは JR 岐阜駅から大野バスセンター行きに乗って 途中で降りて アクセスできますが。 谷汲駅に行く場合は 長良川鉄道で 谷汲口で降りて 徒歩で行くしかないんでしょうかね。
谷汲駅へ行く近鉄バス無くなっちゃったんですか?
約19年前に谷汲口から乗り換えて谷汲駅へ1度だけ行った事がありますが・・・
そうだろうね、末期の輸送密度は300位だったはずだから。
今巡るには車必須かなぁ?
黒野から谷汲 間 の名阪近鉄バスが運行していた 代替バスはすでに廃止になっているので車が必須です。 岐阜から 黒野 駅跡 までは 岐阜バスが大野バスセンター行きを1時間に1本ぐらい運行しているので 確か 終点まで乗らず 途中のバス停で降りて路地裏から入っていくような感じだったの 他の RUclipsr の方が動画をあげていましたよ。
樽見鉄道も本数がかなり少ないので、車で無いと自由に動けないと思います。
黒野駅で営業日でも無いのに特別に2階の鉄道模型の展示場に入れてくれました
NPO法人の方に感謝です
昨年10月に此処から割と歩いていける場所に宿泊したんですが、時間の都合や悪天候で訪れるのを断念しました
ラウンドアップマックスロードとMCPP
13:06
「タ」が2つに「ク」が3つで「タニグミ」とあるわけですな!
ちゃんと言及されていましたね。
あと、北野畑駅での列車交換の時には、係の人が出張っていました!