鄒族民謠 - 打獵歌 - by Uyongu Yatauyungana 高一生

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  • Опубликовано: 12 дек 2024

Комментарии • 2

  • @k.sumire6512
    @k.sumire6512 2 года назад +2

    なぜ台湾のチャンネルで日本語の歌を歌っているのでしょうか?
    「鹿狩り」がなぜ日本語で作られたのか、台湾の作曲家 高一生/高義生/矢多一生/Gao Yisheng (時代に合わせ改名しなければならなかったのでいくつもの名前の表記があります)の半生と台湾の歴史を織り交ぜながらご説明します。
    台湾は九州と同じくらいの面積の島です。台湾にはオーストロネシア語族の言語を話す16民族以上の原住民が各地分かれて住んでいました。その後、清(中国)が1683-1895年の間、統治しました。
    日清戦争後、台湾は中国から日本へ受け渡され、台湾では日本による統治と日本語教育が行われていました。作曲者の高一生(1908.07.05-1954.04.17)は阿里山のツォウ族出身の秀才で、その村から初めて師範学校を卒業し、卒業後はツォウ族の村の発展のために尽力されました。師範学校では近代西洋音楽の作曲法も学び、多くの歌曲を作曲しました。
    しかし、日本が敗戦することによって事態は変わります。
    日本が撤退し、中国が再び統治し始めました。
    中国の政府は、日本の統治の際に知識を得た台湾の優秀な人材が中国の敵になることを恐れ、多くの台湾の人々は無実の罪で逮捕され、死刑となりました。(白色テロ)
    高一生もその一人で、投獄中にいくつもの手紙と歌曲を家族に送りました。1954年に死刑となりました。1987年に戒厳令が解除されるまで、高一生に関わる表現は禁止されていました。
    彼らの山である阿里山には台湾鹿(ニホンジカの亜種)がおり、ヨーロッパへ多くの毛皮が輸出されました。
    他に日本語で作られた歌曲もあり、春之佐保姫、長春歌(フロックスの花)、つつじの山 などがあります。

    • @k.sumire6512
      @k.sumire6512 2 года назад +1

      私が台湾へ旅行に行った際には、日本統治下で日本語教育を受けた多くのご高齢の方が日本語で親切に迎えてくださいました。そのような暖かい話がある一方で、過去に日本も台湾で日本統治に対する反対運動を鎮圧したということが事実としてあります。
      台湾の友人からこの日本語の歌を知りました。日本語での情報があまりなかったので、この度勝手ながら大まかに纏めてみました。
      東日本大震災をはじめとする巨大災害の際には、台湾の方々は日本へ多くの支援をしてくださいました。今後も隣人として長く平和に友好関係を続けられることを切に願っています。
      ○Link○
      ・阿里山の桜(台湾国際放送): m.ruclips.net/video/qwdFuHqaAFY/видео.html&feature=emb_imp_woyt
      ・矢多一生(日本語wiki): ja.wikipedia.org/wiki/ウオグ・エ・ヤタウヨガナ
      ・佐保姫神社(日本): 〒630-8202 奈良県奈良市川上町
      ameblo.jp/navihico-8/entry-12684981332.html
      (日本にある佐保姫神社の紹介と日本文学における佐保姫についての考察)