【第3回:臨済録に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2023年7月25日(火)
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- Опубликовано: 27 ноя 2024
- 「建学の精神」である禅仏教による人格の陶冶をテーマに、「禅・仏教講座」として開設しています。
禅の世界をあらゆる角度から捉え感得するため総長、学長、仏教学科教員を中心に授業を展開し、その他、いす坐禅・読経など実践を行います。
「知識としての禅」から「感じとる禅」への転換をテーマとし、「自分だけにしかないいのちを生きる」ことを目標とした講義です。
※今年度(2023年度)の一般の方の前期の聴講は、有料となっております。
前期の申込についてはすでに締切となっております。
2023年度公開講座 禅とこころ「臨済録に学ぶ」(後期)申込サイト
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なお、学生向けに配信している総長講義のみ、順次公開させていただきます。
■講座動画の補足情報
禅とこころ 臨済録に学ぶ 第三回 令和五年七月二十五日
臨済禅師の説法―上堂― 花園大学総長 横田南嶺
「曲げて人情に順って」(岩波文庫『臨済録』16~19ページ)
成徳府知事の王常侍が部下の諸役人と共に師に説法を請うた。
師は上堂して言った、「きょうわしは、やむを得ぬ仕儀で、なんとか世間のならわしに従って、この座に上がることにした。しかし、禅の正統的立場に立って根本義を説くとなれば、まったく口の開きようもなく、お前たちの取りつくしまもないのだ。しかしきょうは常侍殿の強っての要請ゆえ、ひとつ禅の本領を開き示そう。たれか腕の立つ武将で、旗鼓堂々と一戦を挑んで来るものはおらぬか、皆の前で腕前を見せてみよ。」
僧「仏法のぎりぎり肝要の処をお伺いします。」
師はすかさず一喝を浴びせた。僧は礼拝した。
師「この坊さん、結構わしの相手になれるわい。」
僧「師は一体だれの宗旨を受け、また、だれの法を継がれましたか。」
師「わしは黄檗禅師の処で、三度質問して三度打たれた。」僧はここでもたついた。すかさず師は一喝し、追い打ちの一棒をくらわして言った、「虚空に釘を打つような真似はするな。」
「荒草曽て鋤かず」
次に座主が問うた、「三乗教や十二分教など仏の教えの一切は、すべて仏性を説き明かすものではありませんか。」師「そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ。」座主「しかし仏がまさか人をだますようなことはなさるまい。」師「その仏は一体どこにいる!」 座主は無言。師「お前は常侍殿の前でこのわしをあざむこうとするのか。退れ、退れ!ほかの者の質問の妨げになる。」
続けて言った、「今日の集まりは仏法の根本義を究明するためである。質問のある者はもういないか。いればさっさと出て来い。だがお前たちが口を開いたとたんに、もうそれとは無縁だ。なぜかといえば、釈尊も『仏法は文字を離れている、因にも属さず縁にも依存しない』と言われているではないか。お前たち自身の信念不足のために、こうして無用な論議に落ちこむのだ。こんなことでは常侍殿や諸役人に累を及ぼして、仏性を一層わからなくさせるばかりではないか。 わしもここらで引き下がった方がよかろう。」そこで一喝して言った、「信念の欠けた者はいつまでたっても埒のあく日はない。立ち通しでご苦労だった。」
「無位の真人」(岩波文庫『臨済録』20~21ページ)
上堂して言った、「この肉体には無位の真人がいて、常にお前たちの顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ!さあ見よ!」
その時、一人の僧が進み出て問うた、「その無位の真人とは、いったい何者ですか。」 師は席を下りて、僧の胸倉をつかまえて言った、「さあ言え! さあ言え!」その僧はもたついた。師は僧を突き放して、「なんと〔見事な] カチカチの糞の棒だ!」と言うと、そのまま居間に帰った。
「賓主互換」(岩波文庫『臨済録』20ページ)
ある日、師は河北府へ行った。そこで知事の王常侍が説法を請うた。師が演壇に登ると、麻谷が進み出て問うた、「千手千眼の観音菩薩の眼は、一体どれが正面の眼ですか。」 師「千手千眼の観音菩薩の眼は一体どれが正面の眼か、さあ、すぐ言ってみよ。」すると麻谷は師を演壇から引きずり下ろし、麻谷が代わって坐った。師はその前に進み出て、「ご機嫌よろしゅう」と挨拶した。麻谷はもたついた。師は麻谷を演壇から引きずり下ろし、自分が代わって坐った。
すると麻谷はさっと出て行った。そこで師はさっと座を下りた。
山田無文老師『臨済録』より
社会も世界もそうだ。いつでも相手の立場になってやれる境界がないというと、円滑にはいかん。自分の立場ばかり固執しておるようでは、世の中、円満にはいかん。いつでも相手の立場に代わってやれる。社長はいつでも社員の立場になれる。社員はいつでも社長の立場になれる。主人はいつでも奥さんの立場になれる。 奥さんはいつでも主人の立場がよう分かる。そうお互いが理解できれば、社会生活は円満に行くのである。