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刀で人を殺せなかったのではなく、弓矢や石のような〔後に鉄砲〕飛び道具の方が効率が良かったから、殺傷率が群を抜いていた。次に効率が良かったのが長物。
宮本武蔵が島原の乱に参戦したとき投石にはずいぶん苦しめられたらしい
まぁ、刀で甲冑が安々と切られるなら誰もあんな重いの着て戦うハンデを負わないちょっと考えればすぐわかる事ではある
鎧は飛び道具対策なのを知らないの?
いつかやるの動画では足や指を狙う、て言ってたな。内腿に鎧は無いから内側から刀を入れてそのまま切り上げる、て
@@手水舎-k1r内腿には大きな血管が走っているから、ヤクザの鉄砲玉は内腿を狙うらしい😮
石投げは鍛錬が簡単だし、川中島のような河原を戦場にすれば小石は無尽蔵。数十人で投げまくれば騎馬武者だってただじゃ済まないでしょうね。あまり記録に出てこないのは、ほとんどの場合足軽ですらない小者や小人なんて最下級の人達の戦法だからかも…。
石はタダ同然で手に入るから支配者側の統制が効かないだから嫌われていたのでしょう。弾丸・火薬など高価な消耗品を要する鉄砲とは対極に位置する武器。
幕末は、佐幕、攘夷で、日本刀で斬りあってますよね。また、家同士のけんかでも、斬りあってる。合戦では補助的だったかもしれないが、私闘では刀使ってますよね。
使わないものをわざわざ戦場に持っていくわけがない。まず弓を撃ち、槍で突撃し、折れたら刀を抜く。武器なんて簡単に折れるんだから全部使って戦うんだよ。
冷静に論理的に考えてそうなるよなまあラストサムライみたいに刀振り上げて突撃とかはありえんよなーあれはあれで面白かったがw
刀が主力級の武器として使われたのは戊辰戦争銃の発達で鎧をつけなくなるただし函館の戦いまで元込め銃は少数で先込めのミニエー銃系統のものが多かったから射撃と立っての装填を繰り返す中で距離が詰まり白兵戦となる。ただ銃剣をつける作業が煩雑なのでみんな抜刀して駆け寄る。(装填時に危ないからか射撃戦の最中には銃剣はつけない)その様な状況が多くあったとされる。
主武器では無かっただろうけど、たまに見られる不要だった論の首を落とすことにしか使えなかったっていうのは、テレビ受けのしやすさから広まった説だと思ってる。首を獲る文化がない地域でも刀剣は姿を消してないからね。刀の方が槍より材料費が嵩むのに結局、状況次第で武器を持ち変える必要があったんだろう。
むかしNHKで長槍での戦い方をやってました。振りかぶって相手のアタマを叩く、しならせると凄く強い、兜を壊す事が可能、など実証してた
だからこそ、信長が長い槍を開発したわけです。あんな物でつくのはほぼ不可能です。
私も見ました叩いて瓦を割ってました
クレヨンしんちゃんの映画、あっぱれ戦国大合戦で学びました😅
面白いのは、江戸時代発展する剣術流儀は、そのほとんどが「受け」が基本で、攻めは後の先。唯一例外なのが薩摩示現流で受けがなく、先の先だけ。つまり剣は基本的には防御武器だった。但し、切れた。戦国時代もっとも激戦で戦死者が多かったのが川中島の合戦。両軍で数千人の死者が出ている。不期遭遇戦だったためか。関ヶ原の戦いは両軍で30万近い兵数だったが、戦死者は1000人程度だったと言われている。
実戦となればリーチのある武器が有利なのは当然なので至極当然の結果なのでしょう。ですが、ここに悲しい真実が・・・ドラマにせよアニメ・漫画にせよ時代考証をより正確に作られた作品は視聴率にせよ読者人気にせよ反比例してダダ下がりになるという法則が・・。「飛天御剣流」や「あばれん坊将軍」がこの世に存在しないことは解っていますがフィクションを否定したら誰も歴史作品なんて見ないんですよね。
刀は、拳銃の位置付けなんだな。
なるほど。そうかもしれない。いや、そうだ。
一般的には「まずは銃砲や弓や投槍や投石等の遠距離攻撃で攻撃し、それが難しい近距離まで接近したら槍などの長柄武器でぶん殴り、更に近接したら刀剣の出番」でしょうし、刀剣による死傷が少ないのは道理でしょう。遠距離攻撃や槍で一方的に攻撃できるなら、わざわざ危険な近接戦闘なんてするだけ損ですからね。ただし、屋内や狭所での乱闘になるなどした場合は飛び道具も長柄武器も使い勝手は俄然悪くなりますし、近接戦闘なんて意図していなくても突然起こり得るものですし(極端な例では、第一次世界大戦の塹壕戦の際にシャベルで殴り合いが起きたりしている)、近接戦闘を考慮しないなんて無茶はおよそ困難ですから、単に「それによる死傷が少ない」点だけをみて「日本刀は役立たず」というのは誤りでしょう。(もちろん、日常的に長柄武器や銃や弓矢を持ち運んで使うのはおよそ無理ですし、そういった街や村、もしくは街道での移動など日常的な場面では刀剣しか事実上選択肢はないですね。)
今川義元討ち死にでは最初は槍で突かれそうになったが、義元は刀を抜いて相手の膝を斬りつけて相手はつんのめって倒れてしまう。次の別人の槍が義元に刺さり重傷を負わす。義元のあごや口に手を当てて喉を掻き切ろうとしたときも存命中だったので指をかみちぎった。首をとった武者は、膝の負傷で歩行に後遺症が残り指も無いなど、また刀の使い方など信長公記に記されてたはず
当時城の建物は使い捨て同然相手が力攻めに来たら隠れ場所の多い中で斬り合い頃合いを見て自分から火をつける
AIの作った絵が酷すぎてもう、
もう色々な国の描写が混ざってて笑う。
時代劇のクオリティぐらい笑える
こんなもので日本の歴史の解説だとか言ってるからアサクリとかに付け込まれるんだよ。
戦場では、石礫や槍で叩かれる、弓矢で射られる等が死因の大多数だろうな。
負傷すると破傷風とかで逝くなど多そうですね。火縄銃は鉛弾なので、体内残ったら毒でしょう...
ヒント現代戦争学、ランチェスターの第2法則中学歴史レパントの海戦長篠の戦い戊辰戦争この絶対的な〝法則〟を覆した例は赤壁の戦い、桶狭間の戦い、アルマダ海戦くらいしかないしだからこそ、この戦争の勝者はジャイアントキリングを成し遂げた〝英雄〟として担ぎあげられたってコトバスケで例えるなら背の高い奴が10人いるチームの方が火力が高いっていうバカでも分かる理屈だからな白兵戦なんて騎士道物語や武士道の物語の創作だけの綺麗事ってコト😢
負傷原因は鉄砲、弓矢、槍、石の順だと、とある記録に残っているそうです。刀を使いこなすのは難しいし、数打ちの安物では幾らも切れないでしょう。
@@001lonestar7 槍や弓のほうがはるかに扱うの難しいよ
@@ソーソー-d1k 槍については、「槍術」ならそりゃあ難しいでしょうけど、「集団戦前提で、隊列を作って長槍を構えて突っ込んだり、長槍を並べて槍衾を作る」だったらそこまで技量は要らないんじゃないでしょうか。あと、遠距離武器や槍って「相手から距離をとれる」性質がありますが、練度が低めな場合はこれも無視できない感があります。同じ殺し合いをするにしても、相手から距離をとって仲間と一緒に槍でしばいたり弓や銃砲を撃ってた方が、刀剣や鈍器を用いて超近距離でどつき合いするよりも恐怖感が薄まって思い通りに動ける可能性が高いんじゃないでしょうか。
ステキな金縛りでも斬られてもすぐには死なない、2.3日は生きてる!ってセリフがありましたもんね。斬られた所によってはそうだったのかも
普通に日本刀を使って甲冑を着た相手に戦う闘い方(剣術)も有るし、朝鮮出兵の際に明軍側が日本軍が刀を振るって突っ込んで来たと記述してる。確かに刀は最後の武器なので、使う事は少ないけど、刀は役に立たないは、あまりにも動画回数稼ぎたいからって膨張し過ぎな気がする。
市街地戦や城に侵入した時は主力武器だよ。町や村や城を奪うのが軍事目的。
絵巻を見ると言う程、少なくはない刀をもった兵士。
昔の戦を描いた絵には刀抜いてる足軽もいるし城攻めとかには使う必要あっただろうな。沖田畷の戦いとかだと島津は弓と大太刀を装備していたとかあるね。
足止めする為に冬の田んぼに水を入れて藁や茅を生けてはまった者からころされたのが沖田畷の戦いです。うちの始祖、わざとはまって鍋島信房を助けた。
西部劇でよく見る早撃ち決闘も、実際には最初から銃を手に持った状態で始まっていて、しかも最初に銃を抜いた奴が悪い、というルールがあったとか創作物と現実で乖離があるのは日本も外国も同じか
一部騎馬隊はあり、隊長クラスは馬に乗っていたようですが、「戦国時代の合戦では馬から降りて戦った」と宣教師のルイス・フロイスも著書に記録しています。
そりゃ歩兵が並んでの合戦になったらそうでしょうけど陣の設営中を襲うのが騎馬侍の役目ですし。
それはフロイスが記述している和田勢が馬上戦闘の少ない西国だからだと言われています。東国では軍忠状や書状においても馬を"乗り入れる"記録が数多く残っていますね。
鎧の前に刀は無力であった!とかいう話を見ると「無手の鎧武者」対「大小を揃えた鎧武者」で戦わせて勝率を競わせてみろよwとか弓と石投げで戦場の優劣は決まっていた!刀は無力であった!とかいう話見ると「じゃあ刀装備せずに弓と石投げ集団」対「刀装備付きの弓と石投げ集団」はどっちが有利か考えてみろやwってなる現代戦の兵隊ですら軍用ナイフを携帯してるのに何を言ってんねんってなるわ
鎧武者相手の剣術が有るので、無力ではないよ。高温多湿の日本で使われる甲冑は、西洋のようなフルプレートアーマーではないので、関節部の内側は防御されていないからね。
@@keifu-mz8kz 俺は無力だと言ってないんで他の人に言ってあげて
お疲れ様です。先手・・・さきて・・・真っ先に突っ込む雑兵、戦場(いくさば)ではそう言う。先手・・・せんて・・・囲碁や将棋の時に先手(せんて)後手(ごて)で、順番に戦う場合に使う言葉。
小学生向けの学習雑誌でも鎧の弱点は弓矢(鉄製の矢で兜をも射抜ける)である事が記載されています。更に槍は鎌倉時代以降の武器です。
鎧を着用したもの同士だと、お互い刀で致命傷を与えるのは難しかったかも。
現代の戦争でも死傷はライフルによるものではなく、砲弾によるものと言われているため、合戦ではそうなのでしょうね
チャンバラごっこしてたらわかると思うけど、刀サイズの棒振り回すより、長めの棒振り回した方が技術とか関係なく戦える
島原の乱で宮本武蔵は石投げられてケガしたとの記述があるらしいけど、実際鉄砲を除いたら今のプロ野球投手なんかまさに人間兵器みたいになれるだろうな。
幕末に至るまで武士の表芸は「弓と馬」w そもそも状況に応じて戦術と武器を変えるのが常識でそれゆえに人はどこででも戦えてしまい、それゆえに戦いは無くならないという言葉があるのよ。
刀で人殺せないっていうのは一体情報ソースは何処なんですかね。ちなみに、古伝の浅山一伝とかには、鎧武者を刀で殺す術理がありますが、どう考えます?
刀がようやく実戦で使われたのは近世になってからと聞きますある程度街が整備され槍よりも小回りが利くので幕末の動乱から使われだした明治になっても西南戦争で薩摩藩士と新政府軍の抜刀隊が刀使ってますね
新撰組も真剣使ってたけどターゲットを「斬る」のではなく「刺し」まくって◯してた。宮本武蔵は真剣を使うことすらなく木刀での「撲◯」という戦法をチョイスしてた。動かない巻藁相手なら切れ味鋭い日本刀も、動き回る生身の敵相手には効率悪い諸刃の剣だったんじゃないかと。
鎧や兜に刀は歯が立たない、槍、鉄砲、石つぶてが有効だったみたいです
刀が歯が立たないんなら槍や弓や石も歯が立たないんだが甲冑を貫けると思う?
変な表現かもしれないが、”世界一美しい武器”、それが日本刀じゃないかな。
世界一美しい武器、それは美女の美貌。
斎藤道三Z 強そう
現代の槍がアサルトライフルで、士官が持っている拳銃が刀だと思います
何かの資料で第一次、第二次大戦ともにライフルでの死傷者数は少なく、圧倒的に大砲によるものだったそう
幕末期には刀の方が活躍した。槍や弓はかさばり人目につくから街中で使うのは不向きだったから。現代でも警察が使うのは拳銃やサブマシンガンなどのかさばらず貫通力の低いものが選ばれる。
トンチンカンなアタマピコーンお疲れ様でした
中国ではアサルトライフルを自動歩槍って言うよな。
@@ネギトロー軍隊と司法組織をごちゃ混ぜとか、何か勘違いしてる
まぁ最後の護身用兼自決用のピストルみたいなもんでしょ。戦車兵だって拳銃持ってるけど、それが必要な事態はかなり追い詰められた状況。
自決には大刀どころか脇差でも長すぎる。あれは短刀とかそっちを使う。
ジョージルーカスがクロサワの映画を観て、スターウォーズでライトセーバーによるルーカス流のチャンバラにこだわったからこそ、スターウォーズの人気が確固たるものになったわけで、槍や長槍や弓矢や盾や銃や石にはドラマがないし面白みがない。喧嘩も本当に強い喧嘩師は、頭突き、目潰し、肘打ち、金的蹴り、膝でみぞおちなど、一発で喧嘩を終わらせて、映画みたいな殴り合いになんてならないのと同じですね。
参考文献は鈴木眞哉氏の各御著書かな?
矢や石、槍で動きを止めて刀で絶命させ、首を取るには刀が必要だし、耳首取るなら脇差が必要。。よって手柄を取る為に刀が必要。
第一次大戦でも最も人がシんだのは大砲の砲弾だそうな時代が違ってもリーチが長い武器が恐ろしいんだな
アーサー王伝説を読むと「人の頭を兜ごと割った」というのが聖剣や手練の条件だという描写が結構出てくる。初めて読んだ時はショボいなと正直思ったけど、剣で兜を割るのがどんだけ凄いのかというリアルな描写なんだよね。
切るための日本刀と、重量で叩き潰す西洋の剣。
大太刀なら可能そう。馬鹿力必要だが。
ポニー、道産子、ミニチュアなんとかホースみたいなのに甲冑着て長い槍や刀を腰に差して跨るバランス感覚がスゲェと思う。暴れん坊将軍の馬もあんな立派な馬ではなく、道産子、ポニー、ミニチュアなんちゃらホースにしてあのOPを想像するとちょっと笑えるかも
基本的に日本刀で命をなくしていたでしょう、長刀で手首や足の武具の隙間を攻撃しつつ組み打ちに持って行っての脇差で留めが基本で有ったで有ろうから日本刀が多かったのではと思う、長刀はお飾りに近かったらしいが昔の人の膂力だと鎧越しに真っ二つ出来る武将もいたかもね、鍛える時間何かなり有っただろうし伝説に近い戦闘を本当にしていたのでと考えている、米と味噌で体作りに必要なものが揃ってしまう。
それ何のゲームですか?
塩竈神社の後藤信康の長巻や熱田神宮の真柄直隆の次郎太刀見てみて。使ってた人は室伏重信みたいなゲームの登場人物みたいな人だったんでしょ。
まあ、甲冑ごと刀でスパスパ斬られるような事があったなら、わざわざ重い甲冑なんか着ける意味がないし……( =Φ人Φ=)づ🗡️
鉄砲が伝わり普及する前と後でも変わる…まぁ余り有効活用しなかった・出来なかった将もいたが。で、刀は戦場で余り使用しなかったのは事実。平地での場合、先ずは石礫(距離次第)・弓から、その後足軽隊(槍)が前進、敵と接触する寸前『突く』のではなく振り上げ頭目掛け振り落とす。当たり敵がフラついた処を・外した場合も振り落とした槍を戻してはじめて『突く』これが当家の突撃。 武田と言うと『騎馬隊』のイメージが強いでしょうが…足軽が主体です。刀(大太刀)は将によりけり。槍を好む者もいれば、初めから太刀で挑む者も。なので長々と書きましたが、基本は槍。初めから太刀で立ち向かう将は…いるにはいた。他家の軍法も基本槍主体は変わらないと思う。島津等は足軽迄鉄砲もって槍との比率が違うけど。
当時の絵巻物とか見てると合戦開始は弓や槍が活用されて敵味方が入り乱れる乱戦状態になった時に刀を使ったみたいね。この状態だと槍や弓が使い難いから
@@tse1692 そうですね。両軍入り乱れる混戦時は太刀を。足軽等は軽装故隙間から斬りつけたり、足軽大将以上辺りは時代にもよりますが、ほぼ完全武装なので、斬るより顔や太もも等を突いた後斬る。また組討ち(鎧通しで)のケースも。ただ混戦時も槍のままの者もわりといたようです。そもそも一口に槍と言ってもいろいろ長さや形状(シンプルなものから片鎌や十文字等)があるので槍が巧みな者は十分立ち回れたようです。
鉄砲は使いたくても弾薬の手配が出来ない事も有るから、必ずしも 使っていない=無能では無いと思う
@@tse1692 接近戦になったら、弓は短刀を付けて小槍として使用したって聞いたけど、どうなんだろう
刃物でも切ることを主とした包丁やナイフはいまだ市中に出回っていいるけど、槍の穂先や銃剣など刺す事に特化しているものは銃刀法違反に入るから、殺傷の効率性は刺す方が余程に高い。銃弾も大きく見れば刺す方に入るのかも知れない。
日本刀でバッサバッサ出血も無く斬っていける、パラレルワールドがあっても良い。
第四次川中島の戦いは、第一次から第三次同様睨み合いで終わるはずだったが霧によって行軍中思わぬ不意遭遇戦に突入指揮系統が効かない乱戦に突入した為両軍を引き離す為、上杉政虎(後の謙信)が信玄の本陣に突っ込んだと言う説があります
上杉方は、妻女山を下りた後、善光寺方面に退却するために最短距離なら、武田本陣を突っ切らないといけなかったかな?
織田の長槍部隊については織田家中で議論があり、短い方が白兵戦には有利と主張する者もいたが、木下藤吉郎が組織した長槍部隊が模擬戦で短い槍の部隊を叩き伏せてしまい、採用された。と愛知県人は小学校の郷土史で勉強しました。また石合戦と言う遊びが子供の頃から盛んで、死者も出る危険な遊びだったが、投石の上手い足軽は重用され、戦国時代の合戦の死者数では投石で死ぬ者が一番多かったらしい。少年時代の徳川家康(竹千代)が子供の石合戦を見て「数の少ない方が勝つだろう」と予見し、その通りになったので家臣がどうして分かったか聞いたら「あいつら本気で殺しにかかってたもん」と答えた。と言う話も学校で習ったなあw
17:10 ドラクエではカワの鎧は鋼の鎧よりも防御力は低いけど。。
これはもう「『レザーの装備品は比較的軽量で、盗賊系でも装備可能など装備可能者は多いが、守備は低め』『金属鎧は守備力は高いが装備可能者は減る』というRPGの伝統」と思うしかw(実際は当然ながら、鎧の構造や素材によってどういう武器や攻撃に対して強いか、またどういう状況での使用に長けるかは全く異なる。)
戦国時代の兵士らが持つ武器は槍であり、刀ではない。刀は武術を学んだ者だけが持つ武器であり、一般のかき集め造兵たちは槍を持った。
普通に刀も持ってたよ
葉隠武士道で戦場にて刀を用いて戦う時は余程不利な時であり死狂い死に物狂いで対峙しなければ生き残れない
本庄繁長の地元は新潟県村上市です。
4mや6mの槍なんて突くのすら難しそうだけどね
そういう長槍の使い方は、主に集団で「振り下ろしてぶっ叩く」「固定した状態で構え、押し込む」「槍衾を作る」だったりするので、そこまで積極的につつき回す使い方はしないんじゃないかなあ。
中程近くをもてば、やじろべえみたいに、バランスが取れるから、それを放り出すとか、放り上げて叩くのを繰り返す感じだろう。
叩かれて脳しんとうになりそう
あの宮本武蔵も決闘の時は刀は使わず木刀を使ってるよね
って説を唱える人々がいるのは知っている。弓矢や長槍だけで死亡したとは考えにくい。当時の銃もある程度の近距離、当たりどころが悪くなければ一撃必殺とは行かないと思う。だけどどの武器も当たれば、切られれば痛い(苦笑)甲冑の隙間を突くってのが戦国時代のやり方だったとも聞く。鎌倉時代の刀や弓と戦国時代の物も違うし…剣道有段者とチャンバラゴッコやったらやたらにコテ!で負けた覚えが_| ̄|○ il||li
剣道?GHQが作ったチャンバラゲームのことですか?あんなのと戦場の戦いを一緒にしないでください。
@@山科正隆 剣道は明治維新により剣術が廃れ始めたから作られた。戦前の天覧試合とか知らんのかねw
戦国時代の兵がみんな刀を持っていたのは味方の兵から身を護るためだと思う。戦国時代の兵はガラが悪く味方からでも丸腰だと掠奪されるらね〜。
史実通りにしたら 時代劇全然 面白くない
兵士「はーい、弓弾いて」兵士「はーい、石投げて」兵士「はーい、槍で叩いて」兵士「日が暮れてきたので帰りましょー」
つまり日本刀は現代人が楽しむ為のオモチャってわけだ?
@@山科正隆 最後の保護具みたいなもんやしな刀すらないなら徒手空拳って感じで戦いの中じゃリーチが命だから今でさえ大陸間ミサイルに全振りしてる国あるやん?
大河「平清盛」の平治の乱で、平家方が多くの弓隊を伏せておいて、接近した源氏方を一気に殲滅したところは、ぞくぞくした。
@@ryutamunakata901 逃げる敵に追い打ち槍は何かに引っかかり投げ捨て刀に持ち替え逃げる兵もかさばる槍を捨て刀を抜く
古代ローマでもグラディウスのような剣は隣接戦での補助武器で、弓、槍が主武装。日本の槍はやや違う扱いで「長柄」は重さ二貫(7〜8kg)、三間二尺(6m)、とにかく頭上から兜ごと頭をぶち割る棍棒としての役割が大きな武器でしたね。
西洋の槍を使った動画がyoutubeにあるけど、3m程度でも柄がしなるので突いて当てるのは困難。6mとなったら古代のファランクスでも日本の足軽部隊でも世の東西を問わず、上からぶん殴るのが通常の使い方と思われ。
@@ほえほえ-w3x サリッサやパイクなど、長槍はその柄そのものも、強力な武器ですからね。
時代にもよりますが、グラディウスは実際の所かなり重要な武器でした。ローマ軍の主力は何と言ってもローマ市民からなる軍団兵(重装歩兵)で、その戦法は以下の様なものでした。ローマ歩兵は通常2本の投げ槍とグラディウス、大盾を持ち、敵に接近すると30メートルの距離で1本目の投げ槍、15メートルの距離で2本目の投げ槍を投擲しました。ピルムと呼ばれる彼らの投げ槍は特殊な構造をしており、敵の盾に刺さった後に折れ曲がり、引き抜くことも困難でした。そして重い槍がぶら下がった盾を捨てざるを得なくなった敵に対して一気に距離を詰め、敵の顔面に盾芯を叩きつけ、ガラ空きになった敵の胃の位置にグラディウスを突き刺します。この戦法は歩兵同士の戦闘ではすこぶる効果的で、キュノスケファライやピュドナの戦いではマケドニア軍の長槍ファランクスすら打ち破っています。しかしそんなローマ軍にも欠点はありました。クラッススによるパルティア遠征において行われたカラエの戦いでは、この歩兵戦術はほとんど役に立ちませんでした。ローマ軍の兵力は大部分が重装歩兵で、弓兵の数は4万の兵のうち1200人程度でした。そのため8千の兵のうち大部分が騎馬弓兵であったパルティア軍に射戦で圧倒され、槍兵も少なかったため投げ槍を投げずに騎兵に対する牽制に使うも、パルティア軍の重装騎兵に対抗することが出来ませんでした。武器の性能というものはあくまで状況によって左右されるものであるという良い見本だと思います。
戦国時代の刀は太刀が主流で、現代人が知る刀は主に戦にない江戸時代。だから、当然剣術も今の剣術とは全く違います。
いくさ場は、槍働きと聞いている。刀は平時の武器で、西部劇の拳銃のような立ち位置と理解。南北戦争もライフルで戦ったわけで…いざイクサとなれば、弓、槍、鉄砲で理解に違和感ないぞ。
長やりは天に上げてうち下ろす。
幕末、日本刀はピストルより速く抜くことができたので恐れられた、とか。
平地での戦いばっかじゃないんだから状況によって使い分けるってだけでしょ
戦国時代での刀の役目なんて、今で言うサブウェポンの役目なんですよね
剣道や居合など剣にまつわる武道は有名だが、槍の道場って聞いたことないよな。それに美術品、文化財としての刀剣の価値はあるけど槍でそういうのあるのかな?
仮に日本刀で人を斬り殺しても血のりがついてそんな何人も日本刀で人を斬り殺せるものではなかったというのは確からしいですね時代劇でよくあるように1人の侍が何十人を相手につぎつぎと斬り殺していくのはありえないと
@@yuan_yuan275斬れますよそれ迷信です
一カ所刃こぼれができると、布などにひっかかって切りにくくなる、と読んだことがある。
@@ごんべ-r8k斬れますよ。新選組もそれで斬ってましたし。
刀剣って「鋭く重量のある、頑丈な金属の塊」なわけで、血糊や脂で多少切れ味が鈍ろうが、「力任せに叩き斬る」要領でダメージを与えることは十分可能な感があります。仮にこれで切断に至らなくても創傷や骨折などは十分生じ得るし、人間はその程度の負傷でも十分行動不能になるか、死にますしね。※刺突で相手を無力化することももちろんあっただろうけど、今は触れない。
@@ソーソー-d1k斬れたところで接近しないと意味がない弱武器
弾と石と矢と槍が死傷の大半らしいね
殺すよりも先ず失神させる事時代劇等刀で面白味を出す屋内でも太刀を使う本当なら天井に打つかり使えない
時代劇を見て不思議に思うことがあります。日本の合戦は、何も生えていない野原のようなところで行われます。しかし日本の気候では普通、草刈しない自然な場所は2mを超えるような葦や草木に覆われてしまうはず。そんな場所で長い槍は使えないと思うのですが。
そもそもそんな場所で戦うこと自体が無い。障害物だらけの場所で集団で戦闘なんてせいぜい城攻めとか拠点せめかくらい。大半は連携取れる開けた場所とかで戦うのが当時は当たり前
不思議に思うのは、そういう連携取れる障害物のない開けた合戦向きの場所が、自然の状態では殆ど存在しないということなのです。日本の気候では、どんな空き地も数年放っておけば、人も入れない程の高さの草で覆われてしまいます。
戦国期の殆どの戦いは城攻めに付随した後詰め合戦ですから城の周りが多かったのでは?徳川家康も「合戦らしい合戦なぞ三方ヶ原と関ヶ原ぐらい」といってたぐらいで、長篠の戦いも陣城にこもった織田・徳川連合軍に武田軍が城攻めをしかけた攻城戦ですし。
街道や城の周辺など人の手の入った場所で行われただけの話。大坂夏の陣の八尾若江や道明寺合戦も極言すれば堤防と畔の上で戦ったから兵力の展開ができず、寡兵だった大阪方が粘れた。 第二次大戦の欧州、特にソ連内では街道や鉄道で結ばれた都市をめぐる戦いで教科書や通俗書で見られる長大な戦線の随所で戦ったというのは単なるイメージ。
そもそも徳川幕府が帯刀を認め、平時にそれ以外の武器を持ち歩くことを原則禁止したのは、打刀や脇差が武器としてそれほど強くないからってこと。打刀ではよほどの実力差が無ければ薙刀持っている女性に普通に負ける。鉄砲、弓矢、投石などで戦ったあと、接近戦になれば槍の出番。打刀は大将クラスが槍が使えなくなった時の最後の手段で無いよりマシ程度のもの。それも打刀で打ち取るというより、何とか抱き着いて体術で転がして鎧の隙間を脇差で刺すってところだろう。現代で言えば槍がマシンガン、打刀はハンドガンみたいなものか。さすがにそこまでの差はないと思うが。ただし幕末は治安用や暗殺用の武器として大活躍した。槍持っていたら完全に目立ってしまうから当然だが 笑現代で言えばマシンガン持ち歩いていたら完全に意図を読まれるが、敵だと感づかれないように近づいてハンドガンで暗殺するような感じか。
お世話になります。武器の進化と共に鎧も進化していきました。鎧の進化に合わせて戦術の変化。戦術の変化に合わせて武器の変化。さておき、剣道やると刀の使い方がよく分かりますよ。
剣道と剣術は似て非なるもの。狙う場所も違えば刀の振り方ひとつとっても異なるし、合戦で乱戦の最中だと剣道的な考えではあっという間に首級を取られる。
@@keifu-mz8kz 様実際に真剣が重たいのは存じております。剣術主眼の稽古だと怪我が絶えません。真剣で打ち合うのは、現代では現実的ではないと思うのです。術と道の違いは語られている通りです。
豊臣秀吉は余り「鉄砲」を使わなかった。
少し真偽が怪しい解説もあるけど、幅広い上にこの物量。面白いテーマも取り扱うし、このチャンネルはラジオがわりにちょうどいい。
てっきり、56さんでくれ〜😢ええい!見苦しいわ~来世友情〜!!! バッサリゾーン突入かと思っていたよ😮
落ち武者狩りで命を落とすことが多かったと思う
石最強
古来武士は弓馬の家と呼ばれてたしな。
刀の基本は抑止力だわな生身でアレに接することを考えればすぐに分かるだからそれ自体が畏敬の対象として祀られたりもしてるしだけど甲冑がそれほど発展するまではそれが基本の武器だったわけで要は武士とそうでないのを分けるのが単に装備の違いだったということ
剣道と薙刀と対戦では、やっぱり剣道の方が、一本とらていたな。😅女子相手だったのに
鉄砲もあったし、槍や、弓があったのだからわざわざ相手の目の前まで近寄って行って切りつける必要もないだろう。
刀が活躍したのは幕末よ
槍が主流ってのは否定しないが、槍が機能するのは陣形を保っていられる間だけだろうな。突撃するか突撃されて乱戦になってしまえば小回り効く刀のほうが良い。長槍なんぞ振りかぶる暇ねーわ
槍兵隊は陣形を保てないと機能しなくなるので、突撃時に陣形を崩す真似はしないんじゃないかなあ。(逆に、突撃を受けて一方的に陣形が崩れたら、乱戦以前にその時点でだいたい詰んでる。)ただし、槍兵隊同士が陣形を保ったまま激突した場合は最終的に白兵戦に至りえますし(西洋でいう「プッシュ・オブ・パイク」。圧死者が出るレベルの押し合いに至る)、この状態まで至ればおっしゃるとおり、刀剣の出番でしょう。(そして当然、この状態の発生は無視できない。)
絶対戦なんかに参加したくねぇw
最も生命を奪う武器は槍、薙刀、弓矢、鉄砲の登場からは槍、鉄砲、弓矢、それに白兵戦には古相撲、柔術、合気術などで気絶させ首級を脇差しで挙げて居たのだろう。刀は接近戦や護身用程度だったのではと思って居る。
接近戦で何故刀を抜かずに体術で勝負すると思っているのだろう(刀は使わないという前提で話をしているからか?)
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは創作と言われていますけどね
日本はヨーロッパと違い近世まで一貫して遠戦志向だからね
本当の事をしたら刀自体の意味がぜんぜん無く為る時代劇を観る人も居なく為る
長篠の戦いも武田の騎馬隊が突入する前に竹の束を持った前衛が前に進み、その後ろを鉄砲兵、長槍兵、投石要員、騎馬武者と云う順で突入したとのこと。さらに後ろに弓兵と当時の攻撃側のトレンドだった。しかも戦場が水田耕作地のため畦道しか突入は不可能だった。対する織田側は三段の防護柵を準備。畦道の突入に合わせて三段それぞれの柵内に鉄砲隊を配置した。武田軍は横に広がった展開が出来ないので、畦道の数でしか攻撃ポイントは無い。ポイント毎に待ち伏せ的な守備体勢である。それでも三段目の柵を突破されていたと云う研究結果が出ているので、武田軍の戦いも悪くはなかった模様。でもこれでは…騎馬隊の迫力が無いにも関わらず、二段目までの防御は突破されていた。なんとも締まらない…。織田と武田の勝敗を大きく分けた要因が鉄砲の玉の精度にあったとか。織田の陣地側から発掘される鉄砲玉は歪んでいるが、水田側から発掘される鉄砲玉はキレイな丸い玉だけそうだ。
またつまらぬものを切ってしまった…は創作かぁ〜(そらそーか)
中世世界では遠距離→中距離→近距離が基本。最初の遠距離攻撃でいかに敵戦力を削ぐか。だから投石器や弓や鉄砲、大砲が発達した。その際たるものがICBM。
そもそもさ、日本刀の切れ味がいくら素晴らしくても何度も何度も斬ってるうちに切れにくくもなるわ、硬いところに当たりまくってたら変形して使い物にならなくなるって思うと実際に刀で人1人が人を殺せる人数なんて限られると思ってる。
普通に斬れるよそして甲冑の隙間を狙うわけだし
飛び道具の類は手柄にならんゆえに出世したくば
11:03 こんな的外れな画像どこから引っ張り出してんの…
合戦で刀を使ってた訳がない。そんな事も知らないのは、日本人の大部分が侍の子孫じゃないから
組み打ちで相手を仕留めるときに使う鎧通しも刀の一種やぞ。
21:55 刃より峰の方が構造上受けには強いでしょ。
なぜですか?反りが逆なら当然弱くなりそうに思います
@@ksmsepk607 刀の構造調べてね
@@ksmsepk607 鎬を削るって語源も調べてね
@@ksmsepk607 刃で受けると刃が欠けて切れ味が落ちるのと構造上一番頑丈なのが刀の背の部分(峰)だからだと思います。私が持ってる江戸後期の刀にも幕末でつけられたと思しき受け傷が峰についてます。
@@sarusaru19467 峰で受けたら絶対にダメ実際の剣術の型を見てどこで受けているか見ましょう
冗談も程々にね!使い方次第で何でもできるよ。
火縄銃で撃たれて重傷を負った敵兵を追い掛けて刀で首を切る、のが使い方だろ
刀で人を殺せなかったのではなく、
弓矢や石のような〔後に鉄砲〕飛び道具の方が効率が良かったから、殺傷率が群を抜いていた。次に効率が良かったのが長物。
宮本武蔵が島原の乱に参戦したとき投石にはずいぶん苦しめられたらしい
まぁ、刀で甲冑が安々と切られるなら誰もあんな重いの着て戦うハンデを負わない
ちょっと考えればすぐわかる事ではある
鎧は飛び道具対策なのを知らないの?
いつかやるの動画では足や指を狙う、て言ってたな。
内腿に鎧は無いから内側から刀を入れてそのまま切り上げる、て
@@手水舎-k1r
内腿には大きな血管が走っているから、ヤクザの鉄砲玉は内腿を狙うらしい😮
石投げは鍛錬が簡単だし、川中島のような河原を戦場にすれば小石は無尽蔵。数十人で投げまくれば騎馬武者だってただじゃ済まないでしょうね。あまり記録に出てこないのは、ほとんどの場合足軽ですらない小者や小人なんて最下級の人達の戦法だからかも…。
石はタダ同然で手に入るから支配者側の統制が効かない
だから嫌われていたのでしょう。
弾丸・火薬など高価な消耗品を要する鉄砲とは対極に位置する武器。
幕末は、佐幕、攘夷で、日本刀で斬りあってますよね。
また、家同士のけんかでも、斬りあってる。
合戦では補助的だったかもしれないが、私闘では刀使ってますよね。
使わないものをわざわざ戦場に持っていくわけがない。
まず弓を撃ち、槍で突撃し、折れたら刀を抜く。
武器なんて簡単に折れるんだから全部使って戦うんだよ。
冷静に論理的に考えてそうなるよな
まあラストサムライみたいに刀振り上げて突撃とかはありえんよなーあれはあれで面白かったがw
刀が主力級の武器として使われたのは戊辰戦争
銃の発達で鎧をつけなくなる
ただし函館の戦いまで元込め銃は少数で先込めのミニエー銃系統のものが多かったから
射撃と立っての装填を繰り返す中で距離が詰まり白兵戦となる。
ただ銃剣をつける作業が煩雑なのでみんな抜刀して駆け寄る。
(装填時に危ないからか射撃戦の最中には銃剣はつけない)
その様な状況が多くあったとされる。
主武器では無かっただろうけど、たまに見られる不要だった論の首を落とすことにしか使えなかったっていうのは、テレビ受けのしやすさから広まった説だと思ってる。
首を獲る文化がない地域でも刀剣は姿を消してないからね。刀の方が槍より材料費が嵩むのに
結局、状況次第で武器を持ち変える必要があったんだろう。
むかしNHKで長槍での戦い方をやってました。振りかぶって相手のアタマを叩く、しならせると凄く強い、兜を壊す事が可能、など実証してた
だからこそ、信長が長い槍を開発したわけです。
あんな物でつくのはほぼ不可能です。
私も見ました
叩いて瓦を割ってました
クレヨンしんちゃんの映画、あっぱれ戦国大合戦で学びました😅
面白いのは、江戸時代発展する剣術流儀は、そのほとんどが「受け」が基本で、攻めは後の先。唯一例外なのが薩摩示現流で受けがなく、先の先だけ。つまり剣は基本的には防御武器だった。但し、切れた。
戦国時代もっとも激戦で戦死者が多かったのが川中島の合戦。両軍で数千人の死者が出ている。不期遭遇戦だったためか。関ヶ原の戦いは両軍で30万近い兵数だったが、戦死者は1000人程度だったと言われている。
実戦となればリーチのある武器が有利なのは当然なので至極当然の結果なのでしょう。ですが、ここに悲しい真実が・・・ドラマにせよアニメ・漫画にせよ時代考証をより正確に作られた作品は視聴率にせよ読者人気にせよ反比例してダダ下がりになるという法則が・・。「飛天御剣流」や「あばれん坊将軍」がこの世に存在しないことは解っていますがフィクションを否定したら誰も歴史作品なんて見ないんですよね。
刀は、拳銃の位置付けなんだな。
なるほど。そうかもしれない。いや、そうだ。
一般的には「まずは銃砲や弓や投槍や投石等の遠距離攻撃で攻撃し、それが難しい近距離まで接近したら槍などの長柄武器でぶん殴り、更に近接したら刀剣の出番」でしょうし、刀剣による死傷が少ないのは道理でしょう。
遠距離攻撃や槍で一方的に攻撃できるなら、わざわざ危険な近接戦闘なんてするだけ損ですからね。
ただし、屋内や狭所での乱闘になるなどした場合は飛び道具も長柄武器も使い勝手は俄然悪くなりますし、
近接戦闘なんて意図していなくても突然起こり得るものですし(極端な例では、第一次世界大戦の塹壕戦の際にシャベルで殴り合いが起きたりしている)、近接戦闘を考慮しないなんて無茶はおよそ困難ですから、
単に「それによる死傷が少ない」点だけをみて「日本刀は役立たず」というのは誤りでしょう。
(もちろん、日常的に長柄武器や銃や弓矢を持ち運んで使うのはおよそ無理ですし、そういった街や村、もしくは街道での移動など日常的な場面では刀剣しか事実上選択肢はないですね。)
今川義元討ち死にでは最初は槍で突かれそうになったが、義元は刀を抜いて相手の膝を斬りつけて相手はつんのめって倒れてしまう。次の別人の槍が義元に刺さり重傷を負わす。義元のあごや口に手を当てて喉を掻き切ろうとしたときも存命中だったので指をかみちぎった。首をとった武者は、膝の負傷で歩行に後遺症が残り指も無いなど、また刀の使い方など信長公記に記されてたはず
当時城の建物は使い捨て同然
相手が力攻めに来たら隠れ場所の多い中で斬り合い頃合いを見て自分から火をつける
AIの作った絵が酷すぎてもう、
もう色々な国の描写が混ざってて笑う。
時代劇のクオリティぐらい笑える
こんなもので日本の歴史の解説だとか言ってるから
アサクリとかに付け込まれるんだよ。
戦場では、石礫や槍で叩かれる、弓矢で射られる等が死因の大多数だろうな。
負傷すると破傷風とかで逝くなど多そうですね。
火縄銃は鉛弾なので、体内残ったら毒でしょう...
ヒント
現代戦争学、ランチェスターの第2法則
中学歴史
レパントの海戦
長篠の戦い
戊辰戦争
この絶対的な〝法則〟を覆した例は
赤壁の戦い、桶狭間の戦い、アルマダ海戦くらいしかないし
だからこそ、この戦争の勝者はジャイアントキリングを成し遂げた〝英雄〟として担ぎあげられたってコト
バスケで例えるなら背の高い奴が10人いるチームの方が火力が高いっていうバカでも分かる理屈だからな
白兵戦なんて騎士道物語や武士道の物語の創作だけの綺麗事ってコト😢
負傷原因は
鉄砲、弓矢、槍、石の順だと、とある記録に残っているそうです。刀を使いこなすのは難しいし、数打ちの安物では幾らも切れないでしょう。
@@001lonestar7
槍や弓のほうがはるかに扱うの難しいよ
@@ソーソー-d1k 槍については、「槍術」ならそりゃあ難しいでしょうけど、
「集団戦前提で、隊列を作って長槍を構えて突っ込んだり、長槍を並べて槍衾を作る」だったらそこまで技量は要らないんじゃないでしょうか。
あと、遠距離武器や槍って「相手から距離をとれる」性質がありますが、練度が低めな場合はこれも無視できない感があります。
同じ殺し合いをするにしても、相手から距離をとって仲間と一緒に槍でしばいたり弓や銃砲を撃ってた方が、
刀剣や鈍器を用いて超近距離でどつき合いするよりも恐怖感が薄まって思い通りに動ける可能性が高いんじゃないでしょうか。
ステキな金縛りでも斬られてもすぐには死なない、2.3日は生きてる!ってセリフがありましたもんね。斬られた所によってはそうだったのかも
普通に日本刀を使って甲冑を着た相手に戦う闘い方(剣術)も有るし、朝鮮出兵の際に明軍側が日本軍が刀を振るって突っ込んで来たと記述してる。
確かに刀は最後の武器なので、使う事は少ないけど、刀は役に立たないは、あまりにも動画回数稼ぎたいからって膨張し過ぎな気がする。
市街地戦や城に侵入した時は主力武器だよ。
町や村や城を奪うのが軍事目的。
絵巻を見ると言う程、少なくはない刀をもった兵士。
昔の戦を描いた絵には刀抜いてる足軽もいるし城攻めとかには使う必要あっただろうな。沖田畷の戦いとかだと島津は弓と大太刀を装備していたとかあるね。
足止めする為に冬の田んぼに水を入れて藁や茅を生けてはまった者からころされたのが沖田畷の戦いです。うちの始祖、わざとはまって鍋島信房を助けた。
西部劇でよく見る早撃ち決闘も、実際には最初から銃を手に持った状態で始まっていて、しかも最初に銃を抜いた奴が悪い、というルールがあったとか
創作物と現実で乖離があるのは日本も外国も同じか
一部騎馬隊はあり、隊長クラスは馬に乗っていたようですが、「戦国時代の合戦では馬から降りて戦った」と
宣教師のルイス・フロイスも著書に記録しています。
そりゃ歩兵が並んでの合戦になったらそうでしょうけど
陣の設営中を襲うのが騎馬侍の役目ですし。
それはフロイスが記述している和田勢が馬上戦闘の少ない西国だからだと言われています。
東国では軍忠状や書状においても馬を"乗り入れる"記録が数多く残っていますね。
鎧の前に刀は無力であった!とかいう話を見ると
「無手の鎧武者」対「大小を揃えた鎧武者」で戦わせて勝率を競わせてみろよwとか
弓と石投げで戦場の優劣は決まっていた!刀は無力であった!とかいう話見ると
「じゃあ刀装備せずに弓と石投げ集団」対「刀装備付きの弓と石投げ集団」は
どっちが有利か考えてみろやw
ってなる
現代戦の兵隊ですら軍用ナイフを携帯してるのに
何を言ってんねんってなるわ
鎧武者相手の剣術が有るので、無力ではないよ。
高温多湿の日本で使われる甲冑は、西洋のようなフルプレートアーマーではないので、関節部の内側は防御されていないからね。
@@keifu-mz8kz
俺は無力だと言ってないんで
他の人に言ってあげて
お疲れ様です。
先手・・・さきて・・・真っ先に突っ込む雑兵、戦場(いくさば)ではそう言う。
先手・・・せんて・・・囲碁や将棋の時に先手(せんて)後手(ごて)で、順番に戦う場合に使う言葉。
小学生向けの学習雑誌でも鎧の弱点は弓矢(鉄製の矢で兜をも射抜ける)である事が記載されています。更に槍は鎌倉時代以降の武器です。
鎧を着用したもの同士だと、お互い刀で致命傷を与えるのは難しかったかも。
現代の戦争でも死傷はライフルによるものではなく、砲弾によるものと言われているため、合戦ではそうなのでしょうね
チャンバラごっこしてたらわかると思うけど、刀サイズの棒振り回すより、長めの棒振り回した方が技術とか関係なく戦える
島原の乱で宮本武蔵は石投げられてケガしたとの記述があるらしいけど、実際鉄砲を除いたら今のプロ野球投手なんかまさに人間兵器みたいになれるだろうな。
幕末に至るまで武士の表芸は「弓と馬」w そもそも状況に応じて戦術と武器を変えるのが常識でそれゆえに人はどこででも戦えてしまい、それゆえに戦いは無くならないという言葉があるのよ。
刀で人殺せないっていうのは一体情報ソースは何処なんですかね。
ちなみに、古伝の浅山一伝とかには、鎧武者を刀で殺す術理がありますが、どう考えます?
刀がようやく実戦で使われたのは近世になってからと聞きます
ある程度街が整備され槍よりも小回りが利くので幕末の動乱から使われだした
明治になっても西南戦争で薩摩藩士と新政府軍の抜刀隊が刀使ってますね
新撰組も真剣使ってたけどターゲットを「斬る」のではなく「刺し」まくって◯してた。宮本武蔵は真剣を使うことすらなく木刀での「撲◯」という戦法をチョイスしてた。動かない巻藁相手なら切れ味鋭い日本刀も、動き回る生身の敵相手には効率悪い諸刃の剣だったんじゃないかと。
鎧や兜に刀は歯が立たない、槍、鉄砲、石つぶてが有効だったみたいです
刀が歯が立たないんなら槍や弓や石も歯が立たないんだが
甲冑を貫けると思う?
変な表現かもしれないが、”世界一美しい武器”、それが日本刀じゃないかな。
世界一美しい武器、それは美女の美貌。
斎藤道三Z 強そう
現代の槍がアサルトライフルで、士官が持っている拳銃が刀だと思います
何かの資料で第一次、第二次大戦ともにライフルでの死傷者数は少なく、圧倒的に大砲によるものだったそう
幕末期には刀の方が活躍した。
槍や弓はかさばり人目につくから街中で使うのは不向きだったから。
現代でも警察が使うのは拳銃やサブマシンガンなどのかさばらず貫通力の低いものが選ばれる。
トンチンカンなアタマピコーンお疲れ様でした
中国ではアサルトライフルを自動歩槍って言うよな。
@@ネギトロー軍隊と司法組織をごちゃ混ぜとか、何か勘違いしてる
まぁ最後の護身用兼自決用のピストルみたいなもんでしょ。
戦車兵だって拳銃持ってるけど、それが必要な事態はかなり追い詰められた状況。
自決には大刀どころか脇差でも長すぎる。
あれは短刀とかそっちを使う。
ジョージルーカスがクロサワの映画を観て、スターウォーズでライトセーバーによるルーカス流のチャンバラにこだわったからこそ、スターウォーズの人気が確固たるものになったわけで、槍や長槍や弓矢や盾や銃や石にはドラマがないし面白みがない。喧嘩も本当に強い喧嘩師は、頭突き、目潰し、肘打ち、金的蹴り、膝でみぞおちなど、一発で喧嘩を終わらせて、映画みたいな殴り合いになんてならないのと同じですね。
参考文献は鈴木眞哉氏の各御著書かな?
矢や石、槍で動きを止めて刀で絶命させ、首を取るには刀が必要だし、耳首取るなら脇差が必要。。
よって手柄を取る為に刀が必要。
第一次大戦でも最も人がシんだのは大砲の砲弾だそうな
時代が違ってもリーチが長い武器が恐ろしいんだな
アーサー王伝説を読むと「人の頭を兜ごと割った」というのが聖剣や手練の条件だという描写が結構出てくる。
初めて読んだ時はショボいなと正直思ったけど、剣で兜を割るのがどんだけ凄いのかというリアルな描写なんだよね。
切るための日本刀と、重量で叩き潰す西洋の剣。
大太刀なら可能そう。
馬鹿力必要だが。
ポニー、道産子、ミニチュアなんとかホースみたいなのに甲冑着て長い槍や刀を腰に差して跨るバランス感覚がスゲェと思う。
暴れん坊将軍の馬もあんな立派な馬ではなく、道産子、ポニー、ミニチュアなんちゃらホースにしてあのOPを想像するとちょっと笑えるかも
基本的に日本刀で命をなくしていたでしょう、長刀で手首や足の武具の隙間を攻撃しつつ組み打ちに持って行っての脇差で留めが基本で有ったで有ろうから日本刀が多かったのではと思う、長刀はお飾りに近かったらしいが昔の人の膂力だと鎧越しに真っ二つ出来る武将もいたかもね、鍛える時間何かなり有っただろうし伝説に近い戦闘を本当にしていたのでと考えている、米と味噌で体作りに必要なものが揃ってしまう。
それ何のゲームですか?
塩竈神社の後藤信康の長巻や熱田神宮の真柄直隆の次郎太刀見てみて。使ってた人は室伏重信みたいなゲームの登場人物みたいな人だったんでしょ。
まあ、甲冑ごと刀でスパスパ斬られるような事があったなら、わざわざ重い甲冑なんか着ける意味がないし……
( =Φ人Φ=)づ🗡️
鉄砲が伝わり普及する前と後でも変わる…まぁ余り有効活用しなかった・出来なかった将もいたが。
で、刀は戦場で余り使用しなかったのは事実。
平地での場合、先ずは石礫(距離次第)・弓から、その後足軽隊(槍)が前進、敵と接触する寸前『突く』のではなく振り上げ頭目掛け振り落とす。
当たり敵がフラついた処を・外した場合も振り落とした槍を戻してはじめて『突く』
これが当家の突撃。
武田と言うと『騎馬隊』のイメージが強いでしょうが…足軽が主体です。
刀(大太刀)は将によりけり。槍を好む者もいれば、初めから太刀で挑む者も。
なので長々と書きましたが、基本は槍。
初めから太刀で立ち向かう将は…いるにはいた。
他家の軍法も基本槍主体は変わらないと思う。
島津等は足軽迄鉄砲もって槍との比率が違うけど。
当時の絵巻物とか見てると合戦開始は弓や槍が活用されて敵味方が入り乱れる乱戦状態になった時に刀を使ったみたいね。この状態だと槍や弓が使い難いから
@@tse1692 そうですね。両軍入り乱れる混戦時は太刀を。足軽等は軽装故隙間から斬りつけたり、足軽大将以上辺りは時代にもよりますが、ほぼ完全武装なので、斬るより顔や太もも等を突いた後斬る。また組討ち(鎧通しで)のケースも。
ただ混戦時も槍のままの者もわりといたようです。
そもそも一口に槍と言ってもいろいろ長さや形状(シンプルなものから片鎌や十文字等)があるので槍が巧みな者は十分立ち回れたようです。
鉄砲は使いたくても弾薬の手配が出来ない事も有るから、必ずしも 使っていない=無能では無いと思う
@@tse1692 接近戦になったら、弓は短刀を付けて小槍として使用したって聞いたけど、どうなんだろう
刃物でも切ることを主とした包丁やナイフはいまだ市中に出回っていいるけど、槍の穂先や銃剣など刺す事に特化しているものは銃刀法違反に入るから、殺傷の効率性は刺す方が余程に高い。銃弾も大きく見れば刺す方に入るのかも知れない。
日本刀でバッサバッサ出血も無く斬っていける、パラレルワールドがあっても良い。
第四次川中島の戦いは、第一次から第三次同様睨み合いで終わるはずだったが霧によって行軍中思わぬ不意遭遇戦に突入指揮系統が効かない乱戦に突入した為両軍を引き離す為、上杉政虎(後の謙信)が信玄の本陣に突っ込んだと言う説があります
上杉方は、妻女山を下りた後、善光寺方面に退却するために最短距離なら、武田本陣を突っ切らないといけなかったかな?
織田の長槍部隊については織田家中で議論があり、短い方が白兵戦には有利と主張する者もいたが、木下藤吉郎が組織した長槍部隊が模擬戦で短い槍の部隊を叩き伏せてしまい、採用された。
と愛知県人は小学校の郷土史で勉強しました。
また石合戦と言う遊びが子供の頃から盛んで、死者も出る危険な遊びだったが、投石の上手い足軽は重用され、戦国時代の合戦の死者数では投石で死ぬ者が一番多かったらしい。
少年時代の徳川家康(竹千代)が子供の石合戦を見て
「数の少ない方が勝つだろう」と予見し、その通りになったので家臣がどうして分かったか聞いたら
「あいつら本気で殺しにかかってたもん」
と答えた。と言う話も学校で習ったなあw
17:10 ドラクエではカワの鎧は鋼の鎧よりも防御力は低いけど。。
これはもう「『レザーの装備品は比較的軽量で、盗賊系でも装備可能など装備可能者は多いが、守備は低め』『金属鎧は守備力は高いが装備可能者は減る』というRPGの伝統」と思うしかw
(実際は当然ながら、鎧の構造や素材によってどういう武器や攻撃に対して強いか、またどういう状況での使用に長けるかは全く異なる。)
戦国時代の兵士らが持つ武器は槍であり、刀ではない。
刀は武術を学んだ者だけが持つ武器であり、一般のかき集め造兵たちは槍を持った。
普通に刀も持ってたよ
葉隠武士道で
戦場にて刀を用いて戦う時は余程不利な時であり
死狂い死に物狂いで対峙しなければ生き残れない
本庄繁長の地元は新潟県村上市です。
4mや6mの槍なんて突くのすら難しそうだけどね
そういう長槍の使い方は、主に集団で「振り下ろしてぶっ叩く」「固定した状態で構え、押し込む」「槍衾を作る」だったりするので、そこまで積極的につつき回す使い方はしないんじゃないかなあ。
中程近くをもてば、やじろべえみたいに、バランスが取れるから、それを放り出すとか、放り上げて叩くのを繰り返す感じだろう。
叩かれて脳しんとうになりそう
あの宮本武蔵も決闘の時は刀は使わず木刀を使ってるよね
って説を唱える人々がいるのは知っている。
弓矢や長槍だけで死亡したとは考えにくい。
当時の銃もある程度の近距離、当たりどころが悪くなければ一撃必殺とは行かないと思う。
だけどどの武器も当たれば、切られれば痛い(苦笑)
甲冑の隙間を突くってのが戦国時代のやり方だったとも聞く。
鎌倉時代の刀や弓と戦国時代の物も違うし…
剣道有段者とチャンバラゴッコやったらやたらにコテ!で負けた覚えが_| ̄|○ il||li
剣道?GHQが作ったチャンバラゲームのことですか?
あんなのと戦場の戦いを一緒にしないでください。
@@山科正隆 剣道は明治維新により剣術が廃れ始めたから作られた。戦前の天覧試合とか知らんのかねw
戦国時代の兵がみんな刀を持っていたのは味方の兵から身を護るためだと思う。戦国時代の兵はガラが悪く味方からでも丸腰だと掠奪されるらね〜。
史実通りにしたら 時代劇全然 面白くない
兵士「はーい、弓弾いて」
兵士「はーい、石投げて」
兵士「はーい、槍で叩いて」
兵士「日が暮れてきたので帰りましょー」
つまり日本刀は現代人が楽しむ為のオモチャってわけだ?
@@山科正隆 最後の保護具みたいなもんやしな
刀すらないなら徒手空拳って感じで戦いの中じゃリーチが命だから今でさえ大陸間ミサイルに全振りしてる国あるやん?
大河「平清盛」の平治の乱で、平家方が多くの弓隊を伏せておいて、接近した源氏方を一気に殲滅したところは、ぞくぞくした。
@@ryutamunakata901 逃げる敵に追い打ち
槍は何かに引っかかり投げ捨て刀に持ち替え
逃げる兵もかさばる槍を捨て刀を抜く
古代ローマでもグラディウスのような剣は隣接戦での補助武器で、弓、槍が主武装。日本の槍はやや違う扱いで「長柄」は重さ二貫(7〜8kg)、三間二尺(6m)、とにかく頭上から兜ごと頭をぶち割る棍棒としての役割が大きな武器でしたね。
西洋の槍を使った動画がyoutubeにあるけど、3m程度でも柄がしなるので突いて当てるのは困難。
6mとなったら古代のファランクスでも日本の足軽部隊でも世の東西を問わず、上からぶん殴るのが通常の使い方と思われ。
@@ほえほえ-w3x サリッサやパイクなど、長槍はその柄そのものも、強力な武器ですからね。
時代にもよりますが、グラディウスは実際の所かなり重要な武器でした。
ローマ軍の主力は何と言ってもローマ市民からなる軍団兵(重装歩兵)で、
その戦法は以下の様なものでした。
ローマ歩兵は通常2本の投げ槍とグラディウス、大盾を持ち、敵に接近すると
30メートルの距離で1本目の投げ槍、15メートルの距離で2本目の投げ槍を投擲しました。
ピルムと呼ばれる彼らの投げ槍は特殊な構造をしており、敵の盾に刺さった後に折れ曲がり、
引き抜くことも困難でした。
そして重い槍がぶら下がった盾を捨てざるを得なくなった敵に対して一気に距離を詰め、
敵の顔面に盾芯を叩きつけ、ガラ空きになった敵の胃の位置にグラディウスを突き刺します。
この戦法は歩兵同士の戦闘ではすこぶる効果的で、キュノスケファライやピュドナの戦いでは
マケドニア軍の長槍ファランクスすら打ち破っています。
しかしそんなローマ軍にも欠点はありました。
クラッススによるパルティア遠征において行われたカラエの戦いでは、
この歩兵戦術はほとんど役に立ちませんでした。
ローマ軍の兵力は大部分が重装歩兵で、弓兵の数は4万の兵のうち1200人程度でした。
そのため8千の兵のうち大部分が騎馬弓兵であったパルティア軍に射戦で圧倒され、槍兵も少なかったため
投げ槍を投げずに騎兵に対する牽制に使うも、パルティア軍の重装騎兵に対抗することが出来ませんでした。
武器の性能というものはあくまで状況によって左右されるものであるという良い見本だと思います。
戦国時代の刀は太刀が主流で、現代人が知る刀は主に戦にない江戸時代。
だから、当然剣術も今の剣術とは全く違います。
いくさ場は、槍働きと聞いている。
刀は平時の武器で、西部劇の拳銃のような立ち位置と理解。
南北戦争もライフルで戦ったわけで…
いざイクサとなれば、弓、槍、鉄砲で理解に違和感ないぞ。
長やりは天に上げてうち下ろす。
幕末、日本刀はピストルより速く抜くことができたので恐れられた、とか。
平地での戦いばっかじゃないんだから状況によって使い分けるってだけでしょ
戦国時代での刀の役目なんて、今で言うサブウェポンの役目なんですよね
剣道や居合など剣にまつわる武道は有名だが、槍の道場って聞いたことないよな。それに美術品、文化財としての刀剣の価値はあるけど槍でそういうのあるのかな?
仮に日本刀で人を斬り殺しても血のりがついてそんな何人も日本刀で人を斬り殺せるものではなかったというのは確からしいですね
時代劇でよくあるように1人の侍が何十人を相手につぎつぎと斬り殺していくのはありえないと
@@yuan_yuan275
斬れますよ
それ迷信です
一カ所刃こぼれができると、布などにひっかかって切りにくくなる、と読んだことがある。
@@ごんべ-r8k
斬れますよ。
新選組もそれで斬ってましたし。
刀剣って「鋭く重量のある、頑丈な金属の塊」なわけで、血糊や脂で多少切れ味が鈍ろうが、「力任せに叩き斬る」要領でダメージを与えることは十分可能な感があります。
仮にこれで切断に至らなくても創傷や骨折などは十分生じ得るし、人間はその程度の負傷でも十分行動不能になるか、死にますしね。
※刺突で相手を無力化することももちろんあっただろうけど、今は触れない。
@@ソーソー-d1k
斬れたところで接近しないと意味がない弱武器
弾と石と矢と槍が死傷の大半らしいね
殺すよりも先ず失神させる事時代劇等刀で面白味を出す屋内でも太刀を使う本当なら天井に打つかり使えない
時代劇を見て不思議に思うことがあります。日本の合戦は、何も生えていない野原のようなところで行われます。しかし日本の気候では普通、草刈しない自然な場所は2mを超えるような葦や草木に覆われてしまうはず。そんな場所で長い槍は使えないと思うのですが。
そもそもそんな場所で戦うこと自体が無い。障害物だらけの場所で集団で戦闘なんてせいぜい城攻めとか拠点せめかくらい。大半は連携取れる開けた場所とかで戦うのが当時は当たり前
不思議に思うのは、そういう連携取れる障害物のない開けた合戦向きの場所が、自然の状態では殆ど存在しないということなのです。日本の気候では、どんな空き地も数年放っておけば、人も入れない程の高さの草で覆われてしまいます。
戦国期の殆どの戦いは城攻めに付随した後詰め合戦ですから城の周りが多かったのでは?徳川家康も「合戦らしい合戦なぞ三方ヶ原と関ヶ原ぐらい」といってたぐらいで、長篠の戦いも陣城にこもった織田・徳川連合軍に武田軍が城攻めをしかけた攻城戦ですし。
街道や城の周辺など人の手の入った場所で行われただけの話。大坂夏の陣の八尾若江や道明寺合戦も極言すれば堤防と畔の上で戦ったから兵力の展開ができず、寡兵だった大阪方が粘れた。 第二次大戦の欧州、特にソ連内では街道や鉄道で結ばれた都市をめぐる戦いで教科書や通俗書で見られる長大な戦線の随所で戦ったというのは単なるイメージ。
そもそも徳川幕府が帯刀を認め、平時にそれ以外の武器を持ち歩くことを原則禁止したのは、打刀や脇差が武器としてそれほど強くないからってこと。打刀ではよほどの実力差が無ければ薙刀持っている女性に普通に負ける。
鉄砲、弓矢、投石などで戦ったあと、接近戦になれば槍の出番。打刀は大将クラスが槍が使えなくなった時の最後の手段で無いよりマシ程度のもの。それも打刀で打ち取るというより、何とか抱き着いて体術で転がして鎧の隙間を脇差で刺すってところだろう。
現代で言えば槍がマシンガン、打刀はハンドガンみたいなものか。さすがにそこまでの差はないと思うが。
ただし幕末は治安用や暗殺用の武器として大活躍した。槍持っていたら完全に目立ってしまうから当然だが 笑
現代で言えばマシンガン持ち歩いていたら完全に意図を読まれるが、敵だと感づかれないように近づいてハンドガンで暗殺するような感じか。
お世話になります。
武器の進化と共に鎧も進化していきました。鎧の進化に合わせて戦術の変化。
戦術の変化に合わせて武器の変化。
さておき、剣道やると刀の使い方がよく分かりますよ。
剣道と剣術は似て非なるもの。
狙う場所も違えば刀の振り方ひとつとっても異なるし、合戦で乱戦の最中だと剣道的な考えではあっという間に首級を取られる。
@@keifu-mz8kz 様
実際に真剣が重たいのは存じております。剣術主眼の稽古だと怪我が絶えません。
真剣で打ち合うのは、現代では現実的ではないと思うのです。
術と道の違いは語られている通りです。
豊臣秀吉は余り「鉄砲」を使わなかった。
少し真偽が怪しい解説もあるけど、幅広い上にこの物量。面白いテーマも取り扱うし、このチャンネルはラジオがわりにちょうどいい。
てっきり、56さんでくれ〜😢
ええい!見苦しいわ~来世友情〜!!! バッサリゾーン突入かと思っていたよ😮
落ち武者狩りで命を落とすことが多かったと思う
石最強
古来武士は弓馬の家と呼ばれてたしな。
刀の基本は抑止力だわな生身でアレに接することを考えればすぐに分かる
だからそれ自体が畏敬の対象として祀られたりもしてるし
だけど甲冑がそれほど発展するまではそれが基本の武器だったわけで
要は武士とそうでないのを分けるのが単に装備の違いだったということ
剣道と薙刀と対戦では、やっぱり剣道の方が、一本とらていたな。😅
女子相手だったのに
鉄砲もあったし、槍や、弓があったのだからわざわざ相手の目の前まで近寄って行って切りつける必要もないだろう。
刀が活躍したのは幕末よ
槍が主流ってのは否定しないが、槍が機能するのは陣形を保っていられる間だけだろうな。突撃するか突撃されて乱戦になってしまえば小回り効く刀のほうが良い。長槍なんぞ振りかぶる暇ねーわ
槍兵隊は陣形を保てないと機能しなくなるので、突撃時に陣形を崩す真似はしないんじゃないかなあ。
(逆に、突撃を受けて一方的に陣形が崩れたら、乱戦以前にその時点でだいたい詰んでる。)
ただし、槍兵隊同士が陣形を保ったまま激突した場合は最終的に白兵戦に至りえますし(西洋でいう「プッシュ・オブ・パイク」。圧死者が出るレベルの押し合いに至る)、
この状態まで至ればおっしゃるとおり、刀剣の出番でしょう。
(そして当然、この状態の発生は無視できない。)
絶対戦なんかに参加したくねぇw
最も生命を奪う武器は槍、薙刀、弓矢、鉄砲の登場からは槍、鉄砲、弓矢、それに白兵戦には古相撲、柔術、合気術などで気絶させ首級を脇差しで挙げて居たのだろう。刀は接近戦や護身用程度だったのではと思って居る。
接近戦で何故刀を抜かずに体術で勝負すると思っているのだろう(刀は使わないという前提で話をしているからか?)
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは創作と言われていますけどね
日本はヨーロッパと違い近世まで一貫して遠戦志向だからね
本当の事をしたら刀自体の意味がぜんぜん無く為る時代劇を観る人も居なく為る
長篠の戦いも武田の騎馬隊が突入する前に竹の束を持った前衛が前に進み、その後ろを鉄砲兵、長槍兵、投石要員、騎馬武者と云う順で突入したとのこと。さらに後ろに弓兵と当時の攻撃側のトレンドだった。しかも戦場が水田耕作地のため畦道しか突入は不可能だった。
対する織田側は三段の防護柵を準備。畦道の突入に合わせて三段それぞれの柵内に鉄砲隊を配置した。武田軍は横に広がった展開が出来ないので、畦道の数でしか攻撃ポイントは無い。ポイント毎に待ち伏せ的な守備体勢である。それでも三段目の柵を突破されていたと云う研究結果が出ているので、武田軍の戦いも悪くはなかった模様。
でもこれでは…騎馬隊の迫力が無いにも関わらず、二段目までの防御は突破されていた。なんとも締まらない…。
織田と武田の勝敗を大きく分けた要因が鉄砲の玉の精度にあったとか。織田の陣地側から発掘される鉄砲玉は歪んでいるが、水田側から発掘される鉄砲玉はキレイな丸い玉だけそうだ。
またつまらぬものを切ってしまった…は創作かぁ〜(そらそーか)
中世世界では遠距離→中距離→近距離が基本。最初の遠距離攻撃でいかに敵戦力を削ぐか。だから投石器や弓や鉄砲、大砲が発達した。その際たるものがICBM。
そもそもさ、日本刀の切れ味がいくら素晴らしくても何度も何度も斬ってるうちに切れにくくもなるわ、硬いところに当たりまくってたら変形して使い物にならなくなるって思うと実際に刀で人1人が人を殺せる人数なんて限られると思ってる。
普通に斬れるよ
そして甲冑の隙間を狙うわけだし
飛び道具の類は手柄にならんゆえに出世したくば
11:03 こんな的外れな画像どこから引っ張り出してんの…
合戦で刀を使ってた訳がない。
そんな事も知らないのは、日本人の大部分が
侍の子孫じゃないから
組み打ちで相手を仕留めるときに使う鎧通しも刀の一種やぞ。
21:55 刃より峰の方が構造上受けには強いでしょ。
なぜですか?
反りが逆なら当然弱くなりそうに思います
@@ksmsepk607 刀の構造調べてね
@@ksmsepk607 鎬を削るって語源も調べてね
@@ksmsepk607 刃で受けると刃が欠けて切れ味が落ちるのと構造上一番頑丈なのが刀の背の部分(峰)だからだと思います。私が持ってる江戸後期の刀にも幕末でつけられたと思しき受け傷が峰についてます。
@@sarusaru19467
峰で受けたら絶対にダメ
実際の剣術の型を見てどこで受けているか見ましょう
冗談も程々にね!使い方次第で何でもできるよ。
火縄銃で撃たれて重傷を負った敵兵を追い掛けて刀で首を切る、のが使い方だろ