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はじめに研ナオコのデビュー曲の譜面と聞いて、エーと思いましたが、まさか本人のデビューの時だったとは、驚きました。私も結構歌手のバックやりましたが、初めての時が千昌夫の元奥さん、あとは平浩二、ソウル恋の奴隷などで、人気になったポピーズですね。いろいろやりましたが、記憶に残ってるのはそのくらいですね。
バンド生活って、苦あり、楽しさありと、思いで尽きないですね。次は、ムゲンの話し楽しみにしてます。
エドさん、こんばんは♫本日も楽しく視聴させていただきました。研ナオコさんは私も最初は歌手って知らなかったです♫カックラキン大放送で初めて知ったので、歌手って知ったのはもう少し後でした。ボリュームの下り、昔、見た気がします😊エドさんがきっかけだったんですね♫B面で流行った曲って結構ありますよね!ガロの「学生街の喫茶店」もB面でしたよね!B面シリーズも楽しみにしてます😊
本日もお疲れ様です。 演奏情景が浮かび上がります。本当に和みますエドさん次回まってますよ。
ダンスパブ、ゴーゴークラブとかのバンド話はそれこそ無限にあるでしょうね。これからもますます楽しみにしております。
うわあ、最初に聞けました。研ナオコさんって最初、そういえばそう云う格好でしたね。続き楽しみにしています。
いつも楽しみにしていますもうひとつの芸能界があったのですねそして、あの研ナオコとの遭遇は、貴重な体験ですね。
今日の話 1971~72年頃 自分はやはり新宿歌舞伎町のパプミラノで演ってました🎸他の人もコメントしていますがよくそんな昔のこと 色々覚えていますね すごい !自分は当時の資料ほとんど断捨離してしまったので後悔している最近です。えどさん 次回も楽しみに待ってますよ(^O^)
いよいよ次回、ムゲンデビューですね。楽しみです。
「はじらいエコーズ」・・・一度聴いたら、忘れる事が出来ない「グループ名」ですね!!「集団離村」を「テーマ」にした「大平エレジー」を歌ったグループという「認識」しかなかったのですが、エドさんと「ご縁」があったとは・・・!!「ヴォーカル」の方との「六本木」での「再会」も実に「ドラマチック」であります!!「ムゲン」デビューは1971年の6月1日ですか!!岡田シローさんの「オックス」はその前日の5月31日に「池袋ACB」で「解散ライブ」を行っているのですよ!!「オックス」の「お話」を是非ゼヒお聴きしたいですね!!
回るスピーカー、ロータリー・スピーカーとか言っていたような、キーボード用とかで、ギターで使ったら面白いだろうと欲しかったけど、田舎だから、パンフレットも手に入らなかった。WWWW 。ベースにはエルクのバイキング100Wを使ってました。
今度は是非、グッチーさんか弟さんをゲストで呼んで昔の話を聴きたいです。
仲悪そうだから無理でしょう
200Wのアンプ・テスコの「チェックメイト キング 2」ーー「こちらホワイトロック」:コンバット(
レズリーのスピーカーカッコいいです。
当時はPA機材もすべて自前で用意しなくちゃいけなかったんですね。マイクやスタンドまで!知りませんでした。
研ナオコさん、デビューで「月刊明星」で見たとき。「この娘は、売れないわ」と、思いました。エドさんは、同業だから表現がソフトだけど・・・。それが、歌もヒットその他オールマイティの芸能界の重鎮のような存在になるとは。芸能界は、努力と経験ですね。大好きです。
楽しお話ありがとう。遂にムゲンですね。1971年 私はハワイで青春を謳歌してました。メキシコのフアンより
レズリー、クラプトンがバッヂでギターに使ってます、let it beのシングルもギターに使ってます。
機材の選定にはいろいろ大変ですよね。好みの音に近いものは出ますが、決して本物ではない。そして次々に買い換えて、より良いものにしていくのは、際限無いです。私も今でこそ現役ミュージシャンは引退しましたが、音へのこだわりは相変わらず強く、人前で弾くこともあまり無いのに、ギターやアンプなどを頻繁に買い換えてえおります。やはり、Fenderアンプのリバーブや、真空管特有の音質は、何事にも代え難いのです。
今回も面白いお話、有難うございました。冬樹さんとのけんか話、最高でした。初見、私、自慢ですが、小学校6年生くらいで90パーセント初見できました。しかし、全ての能力は中学3年で頭打ちになりました。川崎楽器、いまでもありますか?私的に、千葉成田にあります、サウウド・ハウスはオールマイティなミュージシャン専門店ですよ。因みに研ナオコさんを一時期、アメリカが宇宙人研究用に拉致を試みた、という話、本当ですか?
そして後年、アルフィーが研さんのバックバンドを務める事になります。金の無かった三人を食わせていたのも研さん。研さんは先見の明があります。みゆきさんや桑田さんに曲を書いて貰ったのも研さんが最初ではないでしょうか。
やっぱり・・・バンドの話が・・・いっちゃん、おもれーーーッ!乗せちゃえば・・・だいたいOK! 何でもアリ!だよね!
セルスターズと言えば「ハチのムサシは死んだのさ」。 この作詞が悪訳俳優だった人。 確か千葉県出身で身近に感じたのを思い出す。
内田良平さんですよね
機材のバンド学 かなり難解🌺🌻m(_ _)m🗽
「また会う日まで」のベースは難しかったでしょう。レコードの寺川正興氏のベースは今聴くと革命的な事を幾つも演ってます。
楽しいね。
なんかお笑いのネタがこんな前からあったんですねw
サロペットといえば石ちゃん・・冬、大森駅のホームでサロペットに白のTシャツ、ラードを着ているから寒くないのでしょう・・・研ナオコ、日吉ミミ、ミミ萩原(女子プロレス)、ケイとブルネン、などなど・・ビジーフォーはRUclipsで見て笑っています。ドラムのウガンダの話も良かったですよ。もっと活躍してほしかったですね。
キャロルとか矢沢永吉とのエピソードがあったら…お願いします🙇⤵️
。今みたいにPA屋さんが出てくる少し前かな?。ギャラが高くないとデカいアンプやボーカルアンプを揃えれないですね。
その後研ナオコさんとのご対面は⁉️😱
ヘチ
譜面 弟さんは譜面ダメなのに なぜエドさんのアレンジにイチャモンを?
威張るな!
ま、でも竹内まりあさんだって新人の頃はぼろくそに言われてたのを思い出しますよ。サザンだって宇崎竜童さんだってスタートは何だこの変な奴、変ってすごいね。エドさんも変。
はじめに研ナオコのデビュー曲の譜面と聞いて、エーと思いましたが、まさか本人のデビューの時だったとは、驚きました。私も結構歌手のバックやりましたが、初めての時が千昌夫の元奥さん、あとは平浩二、ソウル恋の奴隷などで、人気になったポピーズですね。いろいろやりましたが、記憶に残ってるのはそのくらいですね。
バンド生活って、苦あり、楽しさありと、思いで尽きないですね。次は、ムゲンの話し楽しみにしてます。
エドさん、こんばんは♫
本日も楽しく視聴させていただきました。
研ナオコさんは私も最初は歌手って知らなかったです♫カックラキン大放送で初めて知ったので、歌手って知ったのはもう少し後でした。
ボリュームの下り、昔、見た気がします😊
エドさんがきっかけだったんですね♫
B面で流行った曲って結構ありますよね!
ガロの「学生街の喫茶店」もB面でしたよね!
B面シリーズも楽しみにしてます😊
本日もお疲れ様です。 演奏情景が浮かび上がります。本当に和みますエドさん次回まってますよ。
ダンスパブ、ゴーゴークラブとかのバンド話はそれこそ無限にあるでしょうね。
これからもますます楽しみにしております。
うわあ、最初に聞けました。研ナオコさんって最初、そういえばそう云う格好でしたね。続き楽しみにしています。
いつも楽しみにしています
もうひとつの芸能界があったのですね
そして、あの研ナオコとの遭遇は、貴重な体験ですね。
今日の話 1971~72年頃 自分はやはり新宿歌舞伎町のパプミラノで演ってました🎸
他の人もコメントしていますがよくそんな昔のこと 色々覚えていますね すごい !
自分は当時の資料ほとんど断捨離してしまったので後悔している最近です。
えどさん 次回も楽しみに待ってますよ(^O^)
いよいよ次回、ムゲンデビューですね。楽しみです。
「はじらいエコーズ」・・・一度聴いたら、忘れる事が出来ない「グループ名」ですね!!
「集団離村」を「テーマ」にした「大平エレジー」を歌ったグループという「認識」しかなかったのですが、エドさんと「ご縁」があったとは・・・!!「ヴォーカル」の方との「六本木」での「再会」も実に「ドラマチック」であります!!
「ムゲン」デビューは1971年の6月1日ですか!!
岡田シローさんの「オックス」は
その前日の5月31日に「池袋ACB」で「解散ライブ」を行っているのですよ!!
「オックス」の「お話」を是非ゼヒ
お聴きしたいですね!!
回るスピーカー、ロータリー・スピーカーとか言っていたような、キーボード用とかで、ギターで使ったら面白いだろうと欲しかったけど、田舎だから、パンフレットも手に入らなかった。WWWW 。ベースにはエルクのバイキング100Wを使ってました。
今度は
是非、グッチーさんか弟さんをゲストで呼んで昔の話を聴きたいです。
仲悪そうだから無理でしょう
200Wのアンプ・テスコの「チェックメイト キング 2」ーー「こちらホワイトロック」:コンバット(
レズリーのスピーカーカッコいいです。
当時はPA機材もすべて自前で用意しなくちゃいけなかったんですね。マイクやスタンドまで!知りませんでした。
研ナオコさん、デビューで「月刊明星」で見たとき。「この娘は、売れないわ」と、思いました。エドさんは、同業だから表現がソフトだけど・・・。それが、歌もヒットその他オールマイティの芸能界の重鎮のような存在になるとは。
芸能界は、努力と経験ですね。大好きです。
楽しお話ありがとう。
遂にムゲンですね。
1971年 私はハワイで青春を謳歌してました。
メキシコのフアンより
レズリー、クラプトンがバッヂでギターに使ってます、let it beのシングルもギターに使ってます。
機材の選定にはいろいろ大変ですよね。好みの音に近いものは出ますが、決して本物ではない。そして次々に買い換えて、より良いものにしていくのは、際限無いです。
私も今でこそ現役ミュージシャンは引退しましたが、音へのこだわりは相変わらず強く、人前で弾くこともあまり無いのに、ギターやアンプなどを頻繁に買い換えてえおります。
やはり、Fenderアンプのリバーブや、真空管特有の音質は、何事にも代え難いのです。
今回も面白いお話、有難うございました。冬樹さんとのけんか話、最高でした。初見、私、自慢ですが、小学校6年生くらいで90パーセント初見できました。しかし、全ての能力は中学3年で頭打ちになりました。川崎楽器、いまでもありますか?私的に、千葉成田にあります、サウウド・ハウスはオールマイティなミュージシャン専門店ですよ。因みに研ナオコさんを一時期、アメリカが宇宙人研究用に拉致を試みた、という話、本当ですか?
そして後年、アルフィーが研さんのバックバンドを務める事になります。金の無かった三人を食わせていたのも研さん。研さんは先見の明があります。みゆきさんや桑田さんに曲を書いて貰ったのも研さんが最初ではないでしょうか。
やっぱり・・・バンドの話が・・・いっちゃん、おもれーーーッ!
乗せちゃえば・・・だいたいOK! 何でもアリ!だよね!
セルスターズと言えば「ハチのムサシは死んだのさ」。 この作詞が悪訳俳優だった人。 確か千葉県出身で身近に感じたのを思い出す。
内田良平さんですよね
機材のバンド学 かなり難解🌺🌻m(_ _)m🗽
「また会う日まで」のベースは難しかったでしょう。レコードの寺川正興氏のベースは今聴くと革命的な事を幾つも演ってます。
楽しいね。
なんかお笑いのネタがこんな前からあったんですねw
サロペットといえば石ちゃん・・冬、大森駅のホームでサロペットに白のTシャツ、ラードを着ているから寒くないのでしょう・・・研ナオコ、日吉ミミ、ミミ萩原(女子プロレス)、ケイとブルネン、などなど・・ビジーフォーはRUclipsで見て笑っています。ドラムのウガンダの話も良かったですよ。もっと活躍してほしかったですね。
キャロルとか矢沢永吉とのエピソードがあったら…お願いします🙇⤵️
。今みたいにPA屋さんが出てくる少し前かな?。ギャラが高くないとデカいアンプやボーカルアンプを揃えれないですね。
その後研ナオコさんとのご対面は⁉️😱
ヘチ
譜面 弟さんは譜面ダメなのに なぜエドさんのアレンジにイチャモンを?
威張るな!
ま、でも竹内まりあさんだって新人の頃はぼろくそに言われてたのを思い出しますよ。サザンだって宇崎竜童さんだってスタートは何だこの変な奴、変ってすごいね。エドさんも変。