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13:32上岩知志小学校跡ですが、ひろりんさんが訪問してから数ヶ月後(1.2年ほど前)に左の体育館の屋根が崩落し、解体工事が行われ、今は右の教室棟のみになっています。なんとも物悲しい・・・
私も最近行きましたが、体育館が無くなっていましたね…オッフ…
仁世宇の駅周辺農家は有名な平取トマトのハウス栽培になったのかな?駅跡の充実度で富内と振内が際立ってますね。現役時代の70年代に既に過疎ってる所は仕方ないけど穂別や日高の扱いが悲しい。地域の愛着の差なのか何なのか。。。
当時は町の中心だった穂別や日高町の現在の姿は寂しいですね…
いつも有難うございます 私も富内線を2001頃2度ほど回りましたが 今までの廃線跡巡りで駅跡を確定できなかった(自信を持って)のが日高町駅でした 何かの本の写真から多分この辺だろうと思って納得させていましたが ひろりん様の航空写真で今日納得です 廃線後に不要な?道を色々作ってあって当時本当に分かりにくかったです 例の石はありましたが・・・でわ!
私も日高町駅跡は石の場所かと思っていましたが、もっと先でしたね…
平取町は稲原牧場があって重賞勝ち馬を出してますサイレンススズカのはかを見学しました
👍️
いつも思う事ですが、跡形も無くなった場所でも、撮影して下さるひろりんさんには、感謝致します。ありがとうございます。
いくつか駅跡が残っていれば巡り甲斐もあるんですけどね。
お疲れ様でした。
お疲れさまです!
❤❤
こんばんは最後の「富内線がわずかに届かなかった占冠」のテロップに、グッときちゃいました🥲ありがとうございました🙏
こんばんは~ありがとうございます!
現実でA列車とかシムシティみたいな線路の敷き方をしても誰も乗らないのを体現している…
この線もダイヤが厳しくて乗れなかった。そして30年後位にそこで没した知人。さよなら。
自分が富内の駅に行った時、そこは時間が止まったままのようでもあり、また、異空間に迷い込んだかの如く不思議な感覚にとらわれました。とにかくワクワクする高揚感を抑えられなくなり、端から端まで何往復もしたのを覚えてます。振内駅跡も良かったですが、記念館が閉まってたのが残念。日高町駅跡は特定するのに手こずって、やっとたどり着いたら正に「おっふ」。岩を見るために来たのかよ、とやりきれなくなりました。
富内が素晴らしかっただけに、日高町はオッフでしたね…石碑も駅跡の場所では無いし…
駅跡からもかなり離れてるとか?
富内のあのトロッコです‼️まだあるんですね‼️あれに、乘って遊びましたね‼️
まだありますが、チェーンが外れていますね。昔は乗れたんですね~
3年前のことですけどね‼️DLでも、あったらいいですね‼️
手押し式になったと思えば…
「行きますけど」のくだりが好きですwうぽつでした!
最近はいつもやっていますねw
改正鉄道敷設法に示された新得〜占冠〜日高町〜富内の路線は、あと僅か15kmで全通できたんですよね。一方の富内〜清風山〜占冠〜金山の路線はどの程度着手されていたものか。結局、残ったのは札幌直通に寄与する石勝線だけ。石炭産業の衰退と札幌集中が無ければ、十勝エリアから苫小牧、室蘭への路線として活躍してくれたかも知れない。石炭復活の兆しが見えてきた昨今ですが、失われた鉄路はもう戻ることはないんですよね。
仮に石炭が復活してもダンプ等で事足りるので鉄道は無理でしょうね
富内駅跡に保存されている客車、宿泊しました。駅前の ”ふじ屋商店” さんが管理されていました。今はどうなっているのでしょうね。自分は内地ですが 懐かしく拝見しましたありがとうございました。
振内は何年も行ってないので客車の色が変わっていたのは知りませんでした。ここの客車は1両はライダーハウスとなっていてトイレだった場所がコインシャワーに、洗面所だった場所が脱衣場となっています。
自分も色褪せていた客車時代しか知らないのですが、ホームの縁石も当時はところどころ崩壊していて危なかったですね。今回の動画を拝見するとD51の塗り替えも含め、かなり鉄道遺産として大切に修繕されているようですね。
@@Su---- 縁石に関する記憶はないですが駐輪場から客車までの距離があったので荷物を運ぶのがしんどかった記憶はあります。富内の方が単車を客車の目の前に付けられるから楽ですねw
@@北斗一裂拳 なるほど。そういう立地による使いやすさもあるんですね。でも振内は徒歩圏内にセコマもあるし、ラーメン屋、洋食屋もあって、そっち方面では富内駅より便利ですよね。
自然に還った場所は北海道の廃線跡ならではですが、僅かに遺構がある場所が毎度の慰めだと言えるでしょうね。日高町駅跡の変化は凄まじいですね。意識しないと石碑に気付かないかも知れないですね。仮に富内線が石勝線に到達しても果たしてどうなったのか?と考えてしまいます。毎度ですが取材お疲れ様でした。ありがとうございます。
気落ちしている時にこの映像を見たらなぜか勇気付けられました☺ねこしゃんに癒やされた😺
やはり猫さんは偉大ですね!
いつも素晴らしい動画をありがとうございます。ここの廃線跡(富内線)いつか行ってみたいなぁ〜
富内線はいいですよ!
岩泉方面は、勾配がありますからね。
日高町駅跡にはちょいちょい立ち寄りますが、石碑以外目印となるものがほとんど残されていないほどおっふ案件なため、いつも迷います。今の目印は「こっちみんな!」の猫さんでしょうか。カワユスですね。そちらよりむしろ個人的には、延長開業後の4年間だけ交換設備もあって駅員がいた「岩知志駅」に謎を感じます。
岩知志駅はあの立地で開業時は有人駅でしたからね…上岩知志小学校の廃校と駅の無人化が同時期なので、何かあるのかも知れませんね…
@@hiroring0323 自分もいろいろ調べたのですが、特に周辺に鉱山があったわけでも「士幌線 発電所前駅」のようなダム建設需要による駅でもなかったようで、単に開業当初は貨物列車も含め運転本数が多かった?振内~日高町間の中間に交換駅を設置しただけだったのか?さて真実や如何に!旧駅舎は簡素なブロック積み。マイナス20度になるこの地での当直駅員さんは地獄の職務だったと推察されます。
「躊躇しつつも、行く」スタイルが定着してきましたね! 安全面が心配だけど、期待もしちゃってます。お怪我などはされませんようにお気をつけて…
いつものパターンですねw怪我には気を付けます!
銀河鉄道的な線路は松本先生から一筆もらっているそうです。
国鉄時代に日高町~帯広(十勝清水経由)で国鉄バスが夏季運行されていた。北海道ワイド周遊券で利用できたけど富内線もバスも本数が極度に少なく、乗車には困難を極めたはず。当時苫小牧~鵡川~日高町~帯広ル-トと、苫小牧~様似~襟裳岬(国鉄バス)~広尾~帯広ル-トがあった。
全駅「おっふ」案件でしたね。自然の力が凄いです。
末端は凄かったですね…
振内(ふれない)駅と読むんですね.静態保存された客車の雰囲気がいいですね.ボックスシートに憧れます.
通勤路線?では特急以外は見なかったはず座り心地はロングシートと変わらないかも知れないけど乗ってみたいですね
振内駅の車両数年前にリペイントされたようですね以前は客車は水色のボロボロで、機関車も錆が多くて可哀想だったのが、綺麗になっていて嬉しいです
以前はボロボロだったんですね…
オリジナル色「青色15号」が雨雪ざらしになって白い粉を吹いていたやつですね。自分はその頃の物しか知らなかったのですが、結構最近に再塗装されたのですね!
かなり昔まだ国道274から分岐する、道道610が通行可能な時行った事有りますね、なんか素朴な駅な感じでした。
本線である日高線の方も一部残して廃止。こちらは存在すら忘れられているような・・・。昨年日高町へ行きましたが、今の日高町の中心地は日高山脈博物館あたりでしょうか。現地に行った時はそこが妙に広くて、そこが駅跡だと思っていました。調べると駅は町はずれにあったようで。
駅は町外れにありましたね。
鉄道という文明も、自然に返って何もなくなるんですね。。。
北海道では自然に還ることも多いですね…
ひろりんさんへ今日11月20日の夜に、拝見しました。幌毛志駅の跡は完全に自然回帰という現況を知り、あなたが立ち入りを躊躇われるのも解る気がしますね。虫・野生動物(熊や猪、浣熊[小型ながら獰猛。侮るべからず]等)との遭遇、怪我や病に注意され取材活動をされるようお祈りします。
日高町駅は、道の駅樹海ロード日高の近くにあったんですね。道の駅には何回か行ったことがあるのですが全く気にしていませんでした。次回行った時は訪ねて見たいと思います。「行くのに躊躇しますね...行きますけど」この件最高です。道南バスさんには、是非幌毛志中央のバス停を直してほしいです。
日高町駅跡はかつて駅が、終着駅があったようには思えない感じになっていますからね…
いつも、ふるさと北海道の廃線を巡っていただきありがとうございます&お疲れ様でした。動画といつものエンドレスに流れるメロディに感動と昔を思い出してしまいます。近くにいながら富内線は子供の頃に廃線になってるので一度も乗る事なく、今回初めて聞く駅もありました。大人になった今、残ってる駅舎や線路を見に行こうかなって思いました。あと今回も『うっぷ』が見れて良かったです。
あまり有名でない路線ですが、素敵な駅跡があります。
振内にあるミニ鉄道博物館へ行ってみたいです。
20:36 日高町のネコさん。 しっかりと、国鉄の標識を守られているのかと思いました。 占冠まで、あと 15キロ。 されど 15キロ。
山中の15キロは厳しかったようですね。
繋がっていたら運命は…あまり変わらないかな?
最後の写真のバスデザインとかは今と大差ないはずなのにレトロ感有りますね途中の何処だったか個人?の為の駅っぽく見えた駅跡はそれなりに良い感じに残ってるか「そんなの有った?」と言わんばかりに何も無いの極端な気がした
付近に1軒しか家が無い駅もありましたね…
振内以外は元々淋しい処ですが、終着駅は少しは違うはず・・と期待しながら進みました。見事に裏切られました。猫さんたちが迎えてくれたのがせめてもの救いです。この先山中を15㎞ほど行って占冠にたどり着いても、運命は変わらなかったような気がします。外地向けD51を見たのは初めてでした。
振内駅は日本で初めて鉄道ファンによる国鉄完乗が達成された駅
そうだったんですね。
殆どの駅が跡形もなく消えてしまいましたね…振内駅跡の客車は中は今までの姿ではありませんが、外見が他と比べてキレイに保たれていたので末永くこの状態であって欲しいです
3:01 に出てきた、なかなかパンチの効いたバス停ですが、きっと『幌毛志駅入口』とか『幌毛志駅前』だったのを駅が無くなったため、バス停名変更するにあたって、ちょうどうまく最後の数文字分が錆びついていたので、「これ幸い…」とばかりに放置しているのかな?…って、最初は思いました。w
ソ連向けD51初めて見ました。確かにスタイルが違いますね〜
ちょっと違うんですよね。
冒頭の「オハフ33」が「オッフ33」に見えてしまいました…w
オッフw
あのD51は正面から見た顔やフォルムが日本で走る物とは違い洋風モダン?な雰囲気がありますね。今回は、早々のひろりんが行くでしたがこの後に何箇所行くと思っていたら・・・😅あの奥は農地で私有地ですから更に進む事は躊躇されたんですね。
振内のから先は緑の暴力に負けて緑一色になってしまっていますね。
秋の紅葉を背景にした富内駅のカット素晴らしいですね、今にも気動車が1両で走ってきそうな雰囲気です、やはり撮影センスが凄いなあ(現実逃避)ほぼ虚無化している路線跡で虚しさが残る中、元気に冬を越している猫さんをみてほっこりできました。しかも誰かから餌貰っているのか横幅も増えてふくふくしてますねw
紅葉の富内駅は良かったですね~北海道で同じ場所で同じ猫さんにまた会えるとはw
猫「おう久しぶりだな!」こんな感じの良そう
@@豪-t6u さん 「まあゆっくりしていけや、ワレ」みたいに貫禄が付いてますねこの猫さんw 日高地区は富内線が完成した頃には既に深刻な人離れが起こっていたのですが終着駅くらいは記念館や公園として保存できなかったかなあ
最後の占冠駅がよかったです!前編にコメントいたしましたが,占冠駅から日高町営バスで日高町駅に向かい富内線に乗ったので,占冠駅も含めて思い出があります。占冠駅まで富内線が届いていたら…結果は変わらなかったのかなぁと思いつつ,期待してしまいます。そして富内線沿線の「おっふ」加減は,かなり大きいなぁと感じました。振内・富内あたりの市街地は,鉄道が廃止になる前から衰退していたという感じではないので,鉄道の廃止が人口減(地域の衰退)に拍車をかけたように感じながら,拝見しておりました。(元々廃止当時から高齢化の進行はあった地域ですが)
振内地区は、もともと石狩地方~日高~十勝に抜ける車が往来するR273上でしたので、地上交通の往来はそこそこあったところでした。平成に入り道東自動車道が開通し激減するも、苫小牧港から十勝方面に抜けるトラックは未だにこの道利用が多いです。一方の富内地区は鉄道廃止により完全に孤立した感があります。昔は林業関係の施設や旅館もあったのですが、駅は1977年に無人化。現在一番立派な建物は福祉施設という状況です。ただ、道東道穂別IC開通で札幌への足は良くなりました。人口減少は鉄道廃止や高齢化はもちろんなのですが、それ以前に「林業などの地元産業衰退」があったのだと思っています。
日高町駅の周辺、現役時代の画像と現在の画像見た時に、本当に同じ場所?と思いますね。今までひろりんさんが紹介している画像見ますと、駅舎が残っていたり、町が残っているというのはありましたが、ここは衝撃的に感じました。何もかも無くなったのですね。
日高町駅跡の駅前らしい雰囲気すら無くなってしまったのは衝撃でした。
富内とか振内とか日高町とか自然の中でいくつかの町が孤立していたんですね…。維持は困難だったんでしょうね…。
終点なのに、石碑でしか分からないのは切ない。占冠まで開通する夢を見たい。
石碑だけで駅前らしい雰囲気も無し…寂しい終着駅跡ですね…
21:30
振内駅と富内駅には行かねば🚙💨💨遺構もあるし廃線跡巡りのきっかけでもあるんですよ?ひろりんさん😁
振内と富内は行く価値がありますね!
振内駅の記念館の方は、行ってイキナリ見学はできないですよ。通常無人なので、事前に役場へのアポが必要です。自分の時は10分くらいで来てくれてカギを開けてくれましたが前もって予約しないと1時間くらい待つときあるようです。(役場の人が別の公務でほかの地区を周っているときなど)
振内駅も駅舎が記念館になってるとは言えホームと線路、車両があっていいですね😎とおもいきや日高町駅までぜーんぶ「おっふ」状態…あそこに線路を敷いて何を期待してたのか…そして最後の石碑にもある意味おっふ…あれじゃただの石にしか見えないです…残り15キロ?なら占冠駅まで通してほしかったです…でも多分振内からその占冠までぜーんぶおっふ&廃線なのが目に見えますけど…
「ただの石」に見えますが、実はかなりの銘石で、地元岩知志の山奥で産出される「橄欖(かんらん)岩」じゃないかしら?。だとすると、あの大きさなら100万円超えかと。(まぁ、と思って持ってこうと思っても持ち運びはほぼムリですが)平取町や日高町自体が(庭園や露天風呂などに使う)石の産地で、もともと日高町駅前には地元産の銘石を配置した公園があったと聞いています。
やっぱり終着駅が残っていませんでしたか~😓でも富内駅や振内駅は雰囲気が良く、デコイチさんも保存されていたので良かった...
残念ながら終着駅の日高町は何も残っていませんでした…
@@hiroring0323 廃線後は速攻解体されたと思っていたのですが、国鉄(JR)バスの車庫としてしばらく使用されていたという事実は初めて聞きました。
旧樺太鉄道のD51は振内保管だったですね…富内と混同していました。北海道の冬は野良には厳しいので、猫さんは地域猫か飼猫なのかも。羆もそうですが、躊躇せず藪漕ぎする際は赤茶色のシュルツェマダニにも注意してくださいね…いつも素晴らしい映像有難うございます。
いつもありがとうございます!マダニにも気を付けないといけませんね。
90年代半ば、樺太からの引き上げD51は起点だった鵡川町内の路上にもあった(放置)と記憶していますが、その次に行ったときには解体されたようで無くなってました。現存はここと標津線西春別駅跡の2カ所だけだそうです。数年前の「北海道わがまちご当地入場券」では「旧振内駅」としてこのD51が図柄となりアイヌ博物館入場者に限定配布(非売品)されていました。
鵡川の車両、朧げに記憶していますが、あれも樺太鉄道局の引き揚げ車両だったのですね…樺太にも多くの炭鉱と鉄道の存在が知られているので、いつの日か辿れる時代が来れば良いですね。
@@伊藤達哉-t3g 自分も鵡川の旧道を走っていて、突然道の脇にD51が現れてびっくらポンしました。(当時はそんな情報は当然ない)ハイフン付きのナンバープレートを見て、テレビでやっていた「樺太D51」だとわかり狂喜乱舞して写真撮りまくりました。なんか、車体の一部が赤く塗られた部分があったような記憶があります。
@@Su----あったのは 90年代の半ば頃でしたっけ?付近には3両程あった気がします。いずれも錆だらけで状態は悪かったような…数年後気がついたら消えていました…
22年で廃線は早いですね😱
何のために延伸したのか分からないですね…
根北線、白糠線はもっと短命でした。
この区間、現役期間よりも廃線後の期間の方が長くなってしまった…。まあ白糠線とかもそうですが…。
そういう場所もいくつかありますね…
もし富内線が占冠まで開通して石勝線から室蘭本線の苫小牧方面に行ければ苫小牧初苫小牧行きの東日高環状線が開通していたかも。
色々と妄想してみるのも楽しいですね。
そうなれば今でも…
ひろりんさん、お疲れ様でした。何もない所でも、現地の様子を伝えてくださり、ありがとうございます。少しでも、ここに鉄道があったことがわかる遺構があるのはうれしいですね。いつも思いますが、何故?何もない所に駅を作ったのか?
何も無い所にある駅、多いですよね…何で作ったんでしょうかね…
たまに信号場でよくね?って思うところ有りますよね森や原野のど真ん中で近隣には人工物皆無の所なんかで
石碑に住民たちの意思があらわれてますね。石だけに
振内駅跡にある資料館の中にある通票閉塞の機械とか駅名とかファンにとっていいものだらげで一度行ってみたいな~終着駅の跡は記念の石碑だけであとは何もなくなってしまい昔よりかなり寂しいなってしまったけどこの立地じゃ早く廃線になってもしかないと思います。
振内の記念館は規模こそ小さいものの、展示品は興味があるものばかりでした。
5:49の駅標 今や伝説
芦別から旭川までの未成線も見たいですね。
占冠までつながっていれば、路線も沿線の集落もあるいは・・・というのは甘いのかな。サハリン向けデゴイチは、ハイフン入りのプレートが特徴ですね。日本国内用は「D51 498」のようにハイフンがありませんが、サハリン帰りは「D51-23」とハイフンつき。
占冠までは更に山の中ですからね…
日高町駅...跡形もなくて...おっふ
オッフ
そのうち相生(あいおい)線もやってほしいです。
相生線は北見相生しか行っていないんですよね。そのうち全駅跡巡りたいですね。
動画拝見しました。前編以上にハードな風景でした。ラピュタ化が過ぎる(汗)あとたった15キロで占冠だったんですね。占冠まで届いていたら、もう少し延命できたかも知れませんね。北海道は鉄道にとって色々な意味で過酷な土地なのかも知れませんね。
外国向けD51って-あったんでしたっけ
当時は南サハリンは日本領でしたか。
記憶ちょっとあいまいですが、日本領樺太時代はD51は走っておらず、敗戦後、ソビエトへの輸出貿易品として、D51が30両ほど製造されて送られたと聞いています。
いつも楽しみにしています。今回の廃線区間はまるで姫新線の津山~新見、芸備線の新見~東城~備後落合 みたいです… まだ現役の旅客路線であることが不思議と思わないといけないですね…
いつもありがとうございます!同じ路線でも区間で雰囲気や性質が異なる路線はありますね。
もし占冠まで線路がつながっていればもしかして存続していたのかもしれませんね スキー客や登山客等臨時列車が走っている路線だったかもしれません 沿線人口が少ない地域に列車を走らせるのは厳しいでしょうがせめて占冠まで延伸して石勝線とつながっていたらと思うと切ない気持ちになります 今本気で鉄道の意義について考える時期ではないのでしょうか?乗降人数や赤字路線だけで本当に廃止していいのか?もっと沿線地域の人たちに乗ってもらえるように努力していくことも必要なのではないのでしょうか?長文失礼しました お疲れさまでした
日高町から先は人家は疎らではあるものの車の往来は結構ありますからね…
日高町~占冠間、ここ何度も車で走っていますが、まぁまぁ熊の巣窟で怖いくらいの無人地帯です。山を越えた占冠とその手前にある廃村寸前の双珠別というところが森林資源が豊富だったので、石勝線など通ることがない前提なら、木材輸送目当ての延長開通もあったのかも知れませんが、森林資源がなくなったら「十勝三股」と同じ末路は免れませんので、まず無謀な話だったのでしょう。そもそも日高町まで延長開通されたのが昭和39年で、その頃には既に日本の森林需要は激落ちでした。
おっふ物件なんですが、深名線見てしまうと・・・・・白樺~蕗の台が、壮絶すぎるのかもしれまてん ( ノД`)シクシク…
白樺~蕗の台は…( ノД`)シクシク…
だってあそこは、廃線前から…ゴニョゴニョ
今回も『おっふ』を頂きありがとうございましたm(_ _)mいつか富内線を。と期待し続け、素晴らしい動画になり大変嬉しいです。今は最後の猫さんしか思い出せませんがありがとうございました(^_^;)
やはり猫さんは偉大ですw
すんません、今日は早朝からバタバタしとって、コミュニティーに返信したと、ほぼ同時に本編でしたwひろりんさんにはやっぱりヌコ!(=^ェ^=)wwwね!過去にも何処やったっけ?廃駅の現役猫駅長さんがグルッと案内してくれて、終わったら『早ょ帰れや!』的なwwwしかし終着駅の石碑が、今では草刈りの邪魔物扱いすか(泣)僕は樺太(サハリン)と聞くと、当時、多治見旭ヶ丘から来とったパートのオバチャンが、『樺太から(大)豆が入ゃーらんもんで、豆腐が出来ぇーせんがね!とウチの婆さんが、よー言っとったゎ』ってゆー話を思い出しますwww初めて稚内駅に着いた時も3個ある小便器の両端に大きなロシア人が居って、僕が後から入ったもんで、仕方なく真ん中でして、なんか変な気分でしたwww今でも稚内~樺太(サハリン)航路はあるんやろか???いつか乗りたい!と思いながら、中々海外やし、パスポート要るし!でねwww今回もデラおっふ祭りしたね♪♪♪いつか『おっふ』が流行語になって、18きっぷのポスターで『おっふ!とは言わせない!』的なのが作られるのを楽しみにしとりまーす★
猫さんが案内してくれたのは幌内線 三笠駅跡ですね~確かサハリン航路は休止中だったような…
@@hiroring0323 さんサハリン航路は恐らくかなり前から運休してますね(泣)何回か稚内行きましたが、無いみたいですw次は何処で、デラおっふ祭りすかね♪♪♪楽しみにしとります☆
@@黒いPoohさん どこやりましょうかね…
@@hiroring0323 さんえぇー!!!じょーこー、、、ぃゃぃゃぃゃwww逆おっふ祭りだゎ♪♪♪こんなん出ましたけど!www
@@黒いPoohさん 千歳楼は動画的にあまり面白く無さそうなので…
猫さん、ニヒルですなw
猫さんの表情がw
ゆっくまーの対決シリーズのあとのこの動画はひとつのリラクゼーションであり。自然へのスピチュアルを感じます。時空を忘れて、栄華のあとの過疎となった界隈…私は言葉では表せない何かを感じました。おっふな映像、今回もありがとうございました。
本当に…本当に、占冠まであと一歩だった…開通していても旅客流動は望むべくもないが…いや、占冠から日高町という国鉄バスもあったか平取町、記念館作ってたんですね厚真といい平取といい、細長い町だからなあ
占冠~日高町駅間は「日高町営バス」だったと思います。マイクロバスみたいなやつ。これ使うと、結構効率(鵡川まで戻らずに済むため)よく乗りつぶしできたのでジョーカー的な存在でした。
そうだそうだ日高町営!自分もそのルートで当時乗りつぶしの行程組んでましたただ胆振線とどちらかを棄てざるを得ず、泣く泣く富内線を切りましたなので未乗のまま廃線になってしまいました
@@あずき抹茶-o5j 当時でも「こんな無人地帯にバス走らせて需要あんのか?」と思ってましたが、あとあと聞いた話では『札幌に行くには占冠乗換の石勝線が早い』とのことでした。これは南富良野町~占冠の無人地帯を貫く道路にも言えるのですが、やはり占冠まで車で来て、特急に乗り換えるのが時間的に一番早いのだそう。(その後道東自動車道が開通したのでだいぶ需要は減ったでしょうけど)。一般の鉄ちゃんには考えつかない理由ですが、聞いて「なるほどガッテン!」しました。
@@Su---- まあ道内には無人地帯を貫く道路はいくらでもありますからね地域住民のためじゃなく2点間ショートカットみたいなのが南富良野って幾寅ですよね?なるほど幾寅から占冠へ出てたのか、そういえばバス路線もありましたっけ?悲しいかな何事にもほぼ車を使う現在では鉄道は無用の長物と化してしまいましたが当時は汽車を使うためにできるだけ特急の停まる近い駅へ車で出てたんですよね
@@あずき抹茶-o5j 日高町~占冠に日高町営バスが走っていた頃、同じように占冠~金山~富良野に占冠町営バスが走っていました。おそらく石勝線開通前からの住民の足だったのでしょう。この間は立派なトンネルとともに大変整備されており、占冠~金山間は20分。でも現在では金山、下金山駅周辺はゴーストタウンに近く、ここの需要はないでしょう。(占冠IC経由で富良野をめざす観光客の車やバスはバンバン通ってますが)一方、南富良野町(地元では「なんぷ=南富」と呼んでます)の役場は幾寅。現在の占冠村営バスは占冠駅~トマム駅~落合~幾寅間を結んでいます。幾寅住民が鉄道で札幌に向かう際は30分で行ける「トマム駅乗換」だと地元食堂のおばちゃんが話してました。車なら20分なので家族親戚に送ってもらう方が多いと言ってましたが。幾寅の人は鉄道だけで石勝線に乗る場合、一度新得まで戻らないといかんですからね。なお、幾寅から直接南に抜ける道道は、オフロードライダーにも有名な山越えのダート(冬季通行止)で一般車は普通通りません。
オッフ
遺構が残っていたのは振内駅跡だけであとは何もないとは・・・これが富内線の本気でしょうか。
振内から先は何も残っていませんが…こんな所に鉄道を通し占冠を目指した所に富内線の本気を感じました…
13:32上岩知志小学校跡ですが、ひろりんさんが訪問してから数ヶ月後(1.2年ほど前)に左の体育館の屋根が崩落し、解体工事が行われ、今は右の教室棟のみになっています。
なんとも物悲しい・・・
私も最近行きましたが、体育館が無くなっていましたね…
オッフ…
仁世宇の駅周辺農家は有名な平取トマトのハウス栽培になったのかな?駅跡の充実度で富内と振内が際立ってますね。現役時代の70年代に既に過疎ってる所は仕方ないけど穂別や日高の扱いが悲しい。地域の愛着の差なのか何なのか。。。
当時は町の中心だった穂別や日高町の現在の姿は寂しいですね…
いつも有難うございます 私も富内線を2001頃2度ほど回りましたが 今までの廃線跡巡りで駅跡を確定できなかった(自信を持って)のが日高町駅でした 何かの本の写真から多分この辺だろうと思って納得させていましたが ひろりん様の航空写真で今日納得です 廃線後に不要な?道を色々作ってあって当時本当に分かりにくかったです 例の石はありましたが・・・でわ!
私も日高町駅跡は石の場所かと思っていましたが、もっと先でしたね…
平取町は稲原牧場があって重賞勝ち馬を出してますサイレンススズカのはかを見学しました
👍️
いつも思う事ですが、跡形も無くなった場所でも、撮影して下さるひろりんさんには、感謝致します。ありがとうございます。
いくつか駅跡が残っていれば巡り甲斐もあるんですけどね。
お疲れ様でした。
お疲れさまです!
❤❤
👍️
こんばんは
最後の「富内線がわずかに届かなかった占冠」のテロップに、グッときちゃいました🥲
ありがとうございました🙏
こんばんは~
ありがとうございます!
現実でA列車とかシムシティみたいな線路の敷き方をしても誰も乗らないのを体現している…
この線もダイヤが厳しくて乗れなかった。そして30年後位にそこで没した知人。さよなら。
自分が富内の駅に行った時、
そこは時間が止まったままのようでもあり、
また、異空間に迷い込んだかの如く
不思議な感覚にとらわれました。
とにかくワクワクする高揚感を抑えられなくなり、
端から端まで何往復もしたのを覚えてます。
振内駅跡も良かったですが、記念館が閉まってたのが残念。
日高町駅跡は特定するのに手こずって、
やっとたどり着いたら正に「おっふ」。
岩を見るために来たのかよ、と
やりきれなくなりました。
富内が素晴らしかっただけに、日高町はオッフでしたね…
石碑も駅跡の場所では無いし…
駅跡からもかなり離れてるとか?
富内のあのトロッコです‼️まだあるんですね‼️あれに、乘って遊びましたね‼️
まだありますが、チェーンが外れていますね。
昔は乗れたんですね~
3年前のことですけどね‼️DLでも、あったらいいですね‼️
手押し式になったと思えば…
「行きますけど」のくだりが好きですw
うぽつでした!
最近はいつもやっていますねw
改正鉄道敷設法に示された新得〜占冠〜日高町〜富内の路線は、あと僅か15kmで全通できたんですよね。一方の富内〜清風山〜占冠〜金山の路線はどの程度着手されていたものか。結局、残ったのは札幌直通に寄与する石勝線だけ。
石炭産業の衰退と札幌集中が無ければ、十勝エリアから苫小牧、室蘭への路線として活躍してくれたかも知れない。石炭復活の兆しが見えてきた昨今ですが、失われた鉄路はもう戻ることはないんですよね。
仮に石炭が復活してもダンプ等で事足りるので鉄道は無理でしょうね
富内駅跡に保存されている客車、宿泊しました。
駅前の ”ふじ屋商店” さんが管理されていました。
今はどうなっているのでしょうね。
自分は内地ですが 懐かしく拝見しました
ありがとうございました。
振内は何年も行ってないので客車の色が変わっていたのは知りませんでした。ここの客車は1両はライダーハウスとなっていてトイレだった場所がコインシャワーに、洗面所だった場所が脱衣場となっています。
自分も色褪せていた客車時代しか知らないのですが、ホームの縁石も当時はところどころ崩壊していて危なかったですね。今回の動画を拝見するとD51の塗り替えも含め、かなり鉄道遺産として大切に修繕されているようですね。
@@Su---- 縁石に関する記憶はないですが駐輪場から客車までの距離があったので荷物を運ぶのがしんどかった記憶はあります。
富内の方が単車を客車の目の前に付けられるから楽ですねw
@@北斗一裂拳 なるほど。そういう立地による使いやすさもあるんですね。
でも振内は徒歩圏内にセコマもあるし、ラーメン屋、洋食屋もあって、そっち方面では富内駅より便利ですよね。
自然に還った場所は北海道の廃線跡ならではですが、僅かに遺構がある場所が毎度の慰めだと言えるでしょうね。
日高町駅跡の変化は凄まじいですね。
意識しないと石碑に気付かないかも知れないですね。
仮に富内線が石勝線に到達しても果たしてどうなったのか?と考えてしまいます。
毎度ですが取材お疲れ様でした。
ありがとうございます。
気落ちしている時にこの映像を見たら
なぜか勇気付けられました☺
ねこしゃんに癒やされた😺
やはり猫さんは偉大ですね!
いつも素晴らしい動画をありがとうございます。
ここの廃線跡(富内線)いつか行ってみたいなぁ〜
富内線はいいですよ!
岩泉方面は、勾配がありますからね。
日高町駅跡にはちょいちょい立ち寄りますが、石碑以外目印となるものがほとんど残されていないほどおっふ案件なため、いつも迷います。
今の目印は「こっちみんな!」の猫さんでしょうか。カワユスですね。
そちらよりむしろ個人的には、延長開業後の4年間だけ交換設備もあって駅員がいた「岩知志駅」に謎を感じます。
岩知志駅はあの立地で開業時は有人駅でしたからね…
上岩知志小学校の廃校と駅の無人化が同時期なので、何かあるのかも知れませんね…
@@hiroring0323 自分もいろいろ調べたのですが、特に周辺に鉱山があったわけでも「士幌線 発電所前駅」のようなダム建設需要による駅でもなかったようで、単に開業当初は貨物列車も含め運転本数が多かった?振内~日高町間の中間に交換駅を設置しただけだったのか?さて真実や如何に!
旧駅舎は簡素なブロック積み。マイナス20度になるこの地での当直駅員さんは地獄の職務だったと推察されます。
「躊躇しつつも、行く」スタイルが定着してきましたね! 安全面が心配だけど、期待もしちゃってます。
お怪我などはされませんようにお気をつけて…
いつものパターンですねw
怪我には気を付けます!
銀河鉄道的な線路は松本先生から一筆もらっているそうです。
国鉄時代に日高町~帯広(十勝清水経由)で国鉄バスが夏季運行されていた。
北海道ワイド周遊券で利用できたけど富内線もバスも本数が極度に少なく、乗車には困難を極めたはず。
当時苫小牧~鵡川~日高町~帯広ル-トと、苫小牧~様似~襟裳岬(国鉄バス)~広尾~帯広ル-トがあった。
全駅「おっふ」案件でしたね。
自然の力が凄いです。
末端は凄かったですね…
振内(ふれない)駅と読むんですね.
静態保存された客車の雰囲気がいいですね.
ボックスシートに憧れます.
通勤路線?では特急以外は見なかったはず
座り心地はロングシートと変わらないかも知れないけど乗ってみたいですね
振内駅の車両
数年前にリペイントされたようですね
以前は客車は水色のボロボロで、機関車も錆が多くて可哀想だったのが、綺麗になっていて嬉しいです
以前はボロボロだったんですね…
オリジナル色「青色15号」が雨雪ざらしになって白い粉を吹いていたやつですね。
自分はその頃の物しか知らなかったのですが、結構最近に再塗装されたのですね!
かなり昔まだ国道274から分岐する、道道610が通行可能な時行った事有りますね、なんか素朴な駅な感じでした。
本線である日高線の方も一部残して廃止。こちらは存在すら忘れられているような・・・。昨年日高町へ行きましたが、今の日高町の中心地は日高山脈博物館あたりでしょうか。現地に行った時はそこが妙に広くて、そこが駅跡だと思っていました。調べると駅は町はずれにあったようで。
駅は町外れにありましたね。
鉄道という文明も、自然に返って何もなくなるんですね。。。
北海道では自然に還ることも多いですね…
ひろりんさんへ
今日11月20日の夜に、拝見しました。幌毛志駅の跡は完全に自然回帰という現況を知り、あなたが立ち入りを躊躇われるのも解る気がしますね。虫・野生動物(熊や猪、浣熊[小型ながら獰猛。侮るべからず]等)との遭遇、怪我や病に注意され取材活動をされるようお祈りします。
日高町駅は、道の駅樹海ロード日高の近くにあったんですね。道の駅には何回か行ったことがあるのですが全く気にしていませんでした。次回行った時は訪ねて見たいと思います。「行くのに躊躇しますね...行きますけど」この件最高です。道南バスさんには、是非幌毛志中央のバス停を直してほしいです。
日高町駅跡はかつて駅が、終着駅があったようには思えない感じになっていますからね…
いつも、ふるさと北海道の廃線を巡っていただきありがとうございます&お疲れ様でした。
動画といつものエンドレスに流れるメロディに感動と昔を思い出してしまいます。近くにいながら富内線は子供の頃に廃線になってるので一度も乗る事なく、
今回初めて聞く駅もありました。
大人になった今、残ってる駅舎や線路を見に行こうかなって思いました。あと今回も『うっぷ』が見れて良かったです。
あまり有名でない路線ですが、素敵な駅跡があります。
振内にあるミニ鉄道博物館へ行ってみたいです。
20:36 日高町のネコさん。 しっかりと、国鉄の標識を守られているのかと思いました。
占冠まで、あと 15キロ。 されど 15キロ。
山中の15キロは厳しかったようですね。
繋がっていたら運命は…あまり変わらないかな?
最後の写真のバスデザインとかは今と大差ないはずなのにレトロ感有りますね
途中の何処だったか個人?の為の駅っぽく見えた
駅跡はそれなりに良い感じに残ってるか「そんなの有った?」と言わんばかりに何も無いの極端な気がした
付近に1軒しか家が無い駅もありましたね…
振内以外は元々淋しい処ですが、終着駅は少しは違うはず・・と期待しながら進みました。見事に裏切られました。猫さんたちが迎えてくれたのがせめてもの救いです。
この先山中を15㎞ほど行って占冠にたどり着いても、運命は変わらなかったような気がします。
外地向けD51を見たのは初めてでした。
振内駅は日本で初めて鉄道ファンによる国鉄完乗が達成された駅
そうだったんですね。
殆どの駅が跡形もなく消えてしまいましたね…
振内駅跡の客車は中は今までの姿ではありませんが、外見が他と比べてキレイに保たれていたので末永くこの状態であって欲しいです
3:01 に出てきた、なかなかパンチの効いたバス停ですが、きっと『幌毛志駅入口』とか『幌毛志駅前』だったのを駅が無くなったため、バス停名変更するにあたって、ちょうどうまく最後の数文字分が錆びついていたので、「これ幸い…」とばかりに放置しているのかな?…って、最初は思いました。w
ソ連向けD51初めて見ました。確かにスタイルが違いますね〜
ちょっと違うんですよね。
冒頭の「オハフ33」が「オッフ33」に見えてしまいました…w
オッフw
あのD51は正面から見た顔やフォルムが日本で走る物とは違い洋風モダン?な雰囲気がありますね。
今回は、早々のひろりんが行くでしたがこの後に何箇所行くと思っていたら・・・😅あの奥は農地で私有地ですから更に進む事は躊躇されたんですね。
振内のから先は緑の暴力に負けて緑一色になってしまっていますね。
秋の紅葉を背景にした富内駅のカット素晴らしいですね、今にも気動車が1両で走ってきそうな
雰囲気です、やはり撮影センスが凄いなあ(現実逃避)
ほぼ虚無化している路線跡で虚しさが残る中、元気に冬を越している猫さんをみてほっこりできました。
しかも誰かから餌貰っているのか横幅も増えてふくふくしてますねw
紅葉の富内駅は良かったですね~
北海道で同じ場所で同じ猫さんにまた会えるとはw
猫「おう久しぶりだな!」
こんな感じの良そう
@@豪-t6u さん 「まあゆっくりしていけや、ワレ」みたいに貫禄が付いてますね
この猫さんw 日高地区は富内線が完成した頃には既に深刻な人離れが起こって
いたのですが終着駅くらいは記念館や公園として保存できなかったかなあ
最後の占冠駅がよかったです!
前編にコメントいたしましたが,占冠駅から日高町営バスで日高町駅に向かい富内線に乗ったので,占冠駅も含めて思い出があります。
占冠駅まで富内線が届いていたら…結果は変わらなかったのかなぁと思いつつ,期待してしまいます。
そして富内線沿線の「おっふ」加減は,かなり大きいなぁと感じました。振内・富内あたりの市街地は,鉄道が廃止になる前から衰退していたという感じではないので,鉄道の廃止が人口減(地域の衰退)に拍車をかけたように感じながら,拝見しておりました。(元々廃止当時から高齢化の進行はあった地域ですが)
振内地区は、もともと石狩地方~日高~十勝に抜ける車が往来するR273上でしたので、地上交通の往来はそこそこあったところでした。平成に入り道東自動車道が開通し激減するも、苫小牧港から十勝方面に抜けるトラックは未だにこの道利用が多いです。
一方の富内地区は鉄道廃止により完全に孤立した感があります。昔は林業関係の施設や旅館もあったのですが、駅は1977年に無人化。現在一番立派な建物は福祉施設という状況です。ただ、道東道穂別IC開通で札幌への足は良くなりました。
人口減少は鉄道廃止や高齢化はもちろんなのですが、それ以前に「林業などの地元産業衰退」があったのだと思っています。
日高町駅の周辺、現役時代の画像と現在の画像見た時に、本当に同じ場所?と思いますね。
今までひろりんさんが紹介している画像見ますと、駅舎が残っていたり、町が残っているというのはありましたが、ここは衝撃的に感じました。
何もかも無くなったのですね。
日高町駅跡の駅前らしい雰囲気すら無くなってしまったのは衝撃でした。
富内とか振内とか日高町とか自然の中でいくつかの町が孤立していたんですね…。維持は困難だったんでしょうね…。
終点なのに、石碑でしか分からないのは切ない。
占冠まで開通する夢を見たい。
石碑だけで駅前らしい雰囲気も無し…
寂しい終着駅跡ですね…
21:30
振内駅と富内駅には行かねば🚙💨💨遺構もあるし廃線跡巡りの
きっかけでもあるんですよ?ひろりんさん😁
振内と富内は行く価値がありますね!
振内駅の記念館の方は、行ってイキナリ見学はできないですよ。
通常無人なので、事前に役場へのアポが必要です。自分の時は10分くらいで来てくれてカギを開けてくれましたが
前もって予約しないと1時間くらい待つときあるようです。(役場の人が別の公務でほかの地区を周っているときなど)
振内駅も駅舎が記念館になってるとは言えホームと線路、車両があっていいですね😎とおもいきや日高町駅までぜーんぶ「おっふ」状態…あそこに線路を敷いて何を期待してたのか…そして最後の石碑にもある意味おっふ…あれじゃただの石にしか見えないです…残り15キロ?なら占冠駅まで通してほしかったです…でも多分振内からその占冠までぜーんぶおっふ&廃線なのが目に見えますけど…
「ただの石」に見えますが、実はかなりの銘石で、地元岩知志の山奥で産出される「橄欖(かんらん)岩」じゃないかしら?。
だとすると、あの大きさなら100万円超えかと。(まぁ、と思って持ってこうと思っても持ち運びはほぼムリですが)
平取町や日高町自体が(庭園や露天風呂などに使う)石の産地で、もともと日高町駅前には地元産の銘石を配置した公園があったと聞いています。
やっぱり終着駅が残っていませんでしたか~😓でも富内駅や振内駅は雰囲気が良く、デコイチさんも保存されていたので良かった...
残念ながら終着駅の日高町は何も残っていませんでした…
@@hiroring0323 廃線後は速攻解体されたと思っていたのですが、国鉄(JR)バスの車庫としてしばらく使用されていたという事実は初めて聞きました。
旧樺太鉄道のD51は振内保管だったですね…富内と混同していました。
北海道の冬は野良には厳しいので、猫さんは地域猫か飼猫なのかも。
羆もそうですが、躊躇せず藪漕ぎする際は赤茶色のシュルツェマダニにも注意してくださいね…
いつも素晴らしい映像有難うございます。
いつもありがとうございます!
マダニにも気を付けないといけませんね。
90年代半ば、樺太からの引き上げD51は起点だった鵡川町内の路上にもあった(放置)と記憶していますが、その次に行ったときには解体されたようで無くなってました。現存はここと標津線西春別駅跡の2カ所だけだそうです。
数年前の「北海道わがまちご当地入場券」では「旧振内駅」としてこのD51が図柄となりアイヌ博物館入場者に限定配布(非売品)されていました。
鵡川の車両、朧げに記憶していますが、あれも樺太鉄道局の引き揚げ車両だったのですね…樺太にも多くの炭鉱と鉄道の存在が知られているので、いつの日か辿れる時代が来れば良いですね。
@@伊藤達哉-t3g 自分も鵡川の旧道を走っていて、突然道の脇にD51が現れてびっくらポンしました。(当時はそんな情報は当然ない)
ハイフン付きのナンバープレートを見て、テレビでやっていた「樺太D51」だとわかり狂喜乱舞して写真撮りまくりました。
なんか、車体の一部が赤く塗られた部分があったような記憶があります。
@@Su----あったのは 90年代の半ば頃でしたっけ?
付近には3両程あった気がします。いずれも錆だらけで状態は悪かったような…数年後気がついたら消えていました…
22年で廃線は早いですね😱
何のために延伸したのか分からないですね…
根北線、白糠線はもっと短命でした。
この区間、現役期間よりも廃線後の期間の方が長くなってしまった…。まあ白糠線とかもそうですが…。
そういう場所もいくつかありますね…
もし富内線が占冠まで開通して石勝線から室蘭本線の苫小牧方面に行ければ
苫小牧初苫小牧行きの東日高環状線が開通していたかも。
色々と妄想してみるのも楽しいですね。
そうなれば今でも…
ひろりんさん、お疲れ様でした。
何もない所でも、現地の様子を伝えてくださり、ありがとうございます。
少しでも、ここに鉄道があったことがわかる遺構があるのはうれしいですね。いつも思いますが、何故?何もない所に駅を作ったのか?
何も無い所にある駅、多いですよね…
何で作ったんでしょうかね…
たまに信号場でよくね?って思うところ有りますよね
森や原野のど真ん中で近隣には人工物皆無の所なんかで
石碑に住民たちの意思があらわれてますね。石だけに
振内駅跡にある資料館の中にある通票閉塞の機械とか駅名とかファンにとっていいものだらげで一度行ってみたいな~
終着駅の跡は記念の石碑だけであとは何もなくなってしまい昔よりかなり寂しいなってしまったけどこの立地じゃ早く廃線になってもしかないと思います。
振内の記念館は規模こそ小さいものの、展示品は興味があるものばかりでした。
5:49の駅標 今や伝説
芦別から旭川までの未成線も見たいですね。
占冠までつながっていれば、路線も沿線の集落もあるいは・・・というのは甘いのかな。
サハリン向けデゴイチは、ハイフン入りのプレートが特徴ですね。日本国内用は「D51 498」のようにハイフンがありませんが、サハリン帰りは「D51-23」とハイフンつき。
占冠までは更に山の中ですからね…
日高町駅...跡形もなくて...
おっふ
オッフ
そのうち相生(あいおい)線もやってほしいです。
相生線は北見相生しか行っていないんですよね。
そのうち全駅跡巡りたいですね。
動画拝見しました。前編以上にハードな風景でした。ラピュタ化が過ぎる(汗)
あとたった15キロで占冠だったんですね。占冠まで届いていたら、もう少し延命できたかも知れませんね。
北海道は鉄道にとって色々な意味で過酷な土地なのかも知れませんね。
外国向けD51って-あったんでしたっけ
当時は南サハリンは日本領でしたか。
記憶ちょっとあいまいですが、日本領樺太時代はD51は走っておらず、敗戦後、ソビエトへの輸出貿易品として、D51が30両ほど製造されて送られたと聞いています。
いつも楽しみにしています。今回の廃線区間はまるで姫新線の津山~新見、芸備線の新見~東城~備後落合 みたいです… まだ現役の旅客路線であることが不思議と思わないといけないですね…
いつもありがとうございます!
同じ路線でも区間で雰囲気や性質が異なる路線はありますね。
もし占冠まで線路がつながっていればもしかして存続していたのかもしれませんね スキー客や登山客等臨時列車が走っている路線だったかもしれません 沿線人口が少ない地域に列車を走らせるのは厳しいでしょうがせめて占冠まで延伸して石勝線とつながっていたらと思うと切ない気持ちになります 今本気で鉄道の意義について考える時期ではないのでしょうか?乗降人数や赤字路線だけで本当に廃止していいのか?もっと沿線地域の人たちに乗ってもらえるように努力していくことも必要なのではないのでしょうか?
長文失礼しました お疲れさまでした
日高町から先は人家は疎らではあるものの車の往来は結構ありますからね…
日高町~占冠間、ここ何度も車で走っていますが、まぁまぁ熊の巣窟で怖いくらいの無人地帯です。
山を越えた占冠とその手前にある廃村寸前の双珠別というところが森林資源が豊富だったので、石勝線など通ることがない前提なら、木材輸送目当ての延長開通もあったのかも知れませんが、森林資源がなくなったら「十勝三股」と同じ末路は免れませんので、まず無謀な話だったのでしょう。
そもそも日高町まで延長開通されたのが昭和39年で、その頃には既に日本の森林需要は激落ちでした。
おっふ物件なんですが、
深名線見てしまうと・・・・・
白樺~蕗の台が、壮絶すぎるのかもしれまてん ( ノД`)シクシク…
白樺~蕗の台は…
( ノД`)シクシク…
だってあそこは、廃線前から…ゴニョゴニョ
今回も『おっふ』を頂きありがとうございましたm(_ _)m
いつか富内線を。と期待し続け、素晴らしい動画になり大変嬉しいです。今は最後の猫さんしか思い出せませんがありがとうございました(^_^;)
やはり猫さんは偉大ですw
すんません、今日は早朝からバタバタしとって、コミュニティーに返信したと、ほぼ同時に本編でしたw
ひろりんさんにはやっぱりヌコ!
(=^ェ^=)www
ね!過去にも何処やったっけ?
廃駅の現役猫駅長さんがグルッと案内してくれて、終わったら『早ょ帰れや!』的なwww
しかし終着駅の石碑が、今では草刈りの邪魔物扱いすか(泣)
僕は樺太(サハリン)と聞くと、当時、多治見旭ヶ丘から来とったパートのオバチャンが、『樺太から(大)豆が入ゃーらんもんで、豆腐が出来ぇーせんがね!とウチの婆さんが、よー言っとったゎ』ってゆー話を思い出しますwww
初めて稚内駅に着いた時も3個ある小便器の両端に大きなロシア人が居って、僕が後から入ったもんで、仕方なく真ん中でして、なんか変な気分でしたwww
今でも稚内~樺太(サハリン)航路はあるんやろか???
いつか乗りたい!と思いながら、中々海外やし、パスポート要るし!でねwww
今回もデラおっふ祭りしたね♪♪♪
いつか『おっふ』が流行語になって、18きっぷのポスターで『おっふ!とは言わせない!』的なのが作られるのを楽しみにしとりまーす★
猫さんが案内してくれたのは幌内線 三笠駅跡ですね~
確かサハリン航路は休止中だったような…
@@hiroring0323 さん
サハリン航路は恐らくかなり前から運休してますね(泣)
何回か稚内行きましたが、無いみたいですw
次は何処で、デラおっふ祭りすかね♪♪♪
楽しみにしとります☆
@@黒いPoohさん
どこやりましょうかね…
@@hiroring0323 さん
えぇー!!!
じょーこー、、、ぃゃぃゃぃゃwww
逆おっふ祭りだゎ♪♪♪
こんなん出ましたけど!www
@@黒いPoohさん
千歳楼は動画的にあまり面白く無さそうなので…
猫さん、ニヒルですなw
猫さんの表情がw
ゆっくまーの対決シリーズのあとのこの動画はひとつのリラクゼーションであり。自然へのスピチュアルを感じます。時空を忘れて、栄華のあとの過疎となった界隈…
私は言葉では表せない何かを感じました。
おっふな映像、今回もありがとうございました。
本当に…本当に、占冠まであと一歩だった…
開通していても旅客流動は望むべくもないが…いや、占冠から日高町という国鉄バスもあったか
平取町、記念館作ってたんですね
厚真といい平取といい、細長い町だからなあ
占冠~日高町駅間は「日高町営バス」だったと思います。マイクロバスみたいなやつ。
これ使うと、結構効率(鵡川まで戻らずに済むため)よく乗りつぶしできたのでジョーカー的な存在でした。
そうだそうだ日高町営!自分もそのルートで当時乗りつぶしの行程組んでました
ただ胆振線とどちらかを棄てざるを得ず、泣く泣く富内線を切りました
なので未乗のまま廃線になってしまいました
@@あずき抹茶-o5j 当時でも「こんな無人地帯にバス走らせて需要あんのか?」と思ってましたが、あとあと聞いた話では『札幌に行くには占冠乗換の石勝線が早い』とのことでした。これは南富良野町~占冠の無人地帯を貫く道路にも言えるのですが、やはり占冠まで車で来て、特急に乗り換えるのが時間的に一番早いのだそう。(その後道東自動車道が開通したのでだいぶ需要は減ったでしょうけど)。一般の鉄ちゃんには考えつかない理由ですが、聞いて「なるほどガッテン!」しました。
@@Su----
まあ道内には無人地帯を貫く道路はいくらでもありますからね
地域住民のためじゃなく2点間ショートカットみたいなのが
南富良野って幾寅ですよね?なるほど幾寅から占冠へ出てたのか、そういえばバス路線もありましたっけ?
悲しいかな何事にもほぼ車を使う現在では鉄道は無用の長物と化してしまいましたが
当時は汽車を使うためにできるだけ特急の停まる近い駅へ車で出てたんですよね
@@あずき抹茶-o5j 日高町~占冠に日高町営バスが走っていた頃、同じように占冠~金山~富良野に占冠町営バスが走っていました。おそらく石勝線開通前からの住民の足だったのでしょう。この間は立派なトンネルとともに大変整備されており、占冠~金山間は20分。でも現在では金山、下金山駅周辺はゴーストタウンに近く、ここの需要はないでしょう。(占冠IC経由で富良野をめざす観光客の車やバスはバンバン通ってますが)
一方、南富良野町(地元では「なんぷ=南富」と呼んでます)の役場は幾寅。現在の占冠村営バスは占冠駅~トマム駅~落合~幾寅間を結んでいます。幾寅住民が鉄道で札幌に向かう際は30分で行ける「トマム駅乗換」だと地元食堂のおばちゃんが話してました。車なら20分なので家族親戚に送ってもらう方が多いと言ってましたが。幾寅の人は鉄道だけで石勝線に乗る場合、一度新得まで戻らないといかんですからね。
なお、幾寅から直接南に抜ける道道は、オフロードライダーにも有名な山越えのダート(冬季通行止)で一般車は普通通りません。
オッフ
オッフ
遺構が残っていたのは振内駅跡だけであとは何もないとは・・・
これが富内線の本気でしょうか。
振内から先は何も残っていませんが…
こんな所に鉄道を通し占冠を目指した所に富内線の本気を感じました…